05涙の後の笑顔
人混みを掻き分けて野次馬に混ざれば、中心にぽっかりと空間ができていた。その中心にいる当事者は数人の男女だった。
「あなた、何をしたのかわかってるの!?この方はあなたなんかが近づけるような方ではないのよ!」
ヒステリックに女子生徒が一人を糾弾している。糾弾されているのは見覚えのある後ろ姿だ。
責められる勢いに負けて、小さくしぼんだ後ろ姿は、桜だった。
「本当に、ごめんなさい。濡れてしまった制服のクリーニング代はお支払いします」
桜は生徒会長に向き合って丁寧に謝罪する。どうやら桜が手に持った皿の中身を、生徒会長の服にこぼしてしまったらしい。
生徒会長は汚れた部分をハンカチで軽く拭き取ると、気にするなと言うように首を振った。ホッとして気が抜けた様子の桜だが、それを許さない厳しい声が上がる。
「あなた、なによそれ。お金を払えば許されると思っているの?そんな端金で何が解決できるって言うの。
それに、浅倉様が怪我でもなさっていたらどうするつもりだったのかしら?」
「私にぶつかっておいて、謝罪のひとつもないだなんて、失礼だわ!余所見していたのね!」
桜を責め立てる少女は二人だが、同調するのはもっと多い。生徒会長の取り巻きだろう。桜は責められて再びうつ向いた。
私は見ていられなくて飛び出そうとしたが、いつの間にか隣に立っていた副会長に留められる。
「な、邪魔をしないでください」
「大丈夫です。雅貴はそれほど愚かではありませんから、見ていなさい」
生徒会長が解決してくれるのなら、私が口を出さない方がいいかもしれない。そう思い傍観に徹し始めたが、生徒会長が何か言い出す前に、桜が顔をあげて抗議を始めた。
「生徒会長にぶつかったのは私だけど、生徒会長に謝って、許してもらいました。あなたたちが口を出すのはおかしいです」
反撃されるとは思いもしなかったのだろう。言葉に詰まった少女に、桜は続けて言った。
「あなたは私にぶつかられたと言ってたけど、私はあなたにぶつかられたと思いました。あなたこそ、余所見、してましたよね。生徒会長しか見てなくて、他の女の子たちを押し退けて、それで私にぶつかってた。あなたこそ、私に謝ってください!」
話すうちに感情的になって、涙目でそう言った桜は、かなり負けず嫌いだ。よく多対一の場面ではっきり言えたものだ。やっぱり運動競技のような順位を競うことをやっていると、気が強くないといけないのだろう。
周囲の視線も、桜に同情的に、相手側に厳しいものへと変化している。
「何よ!私が悪いって言うの!?おかしいわよ!」
責めるような視線に耐えられなかったのか、手に持っていたグラスの中身をぶちまける。
飲み物は勢いよく飛んで、桜の顔と髪、制服にもかかった。野次馬から悲鳴が上がって、やり過ぎたと思ったのか後ろめたそうな少女だが、振りきるように怒鳴る。
「百合様に言いつけてやるんだから!覚悟しなさいよ!」
言い捨ててどこかに走り去る少女。しんと静まり返って、やっと生徒会長が動いた。
「見世物じゃないんだ。皆は気にせずパーティーに戻ってくれ」
柔らかい声色でも、どこか従わせる力を持つ声に、ぎこちなくパーティーに戻っていく生徒たち。
生徒会長は飲み物をかけられて呆然自失の桜の前にしゃがむと、俯いた顔を覗き込んで顔を拭った。
「俺のせいですまなかった。必ず彼女には謝罪させる」
「………いえ、気にしないでください。元はといえば、ぶつかった私が悪いんですから」
「お前は悪くない。だから、どうか泣かないでくれ」
見ているうちに、なんか風向きが変わってきた気がする。
桜の顔を近くから覗き込んで、素手で涙を拭うとか、めっちゃ乙女ゲームじゃん。………あ、これイベントか。アニメで見てたわ。
そう思い出したら少しほっとして気が抜けた。桜もすぐに我に返って恥ずかしそうに生徒会長から距離を置いていたので迎えに行く。流石に副会長に止められることはなかった。
「桜、大丈夫?一旦寮に戻って着替えよう」
「ありがとう、紅葉。そうだね。……会長さん、寮まで戻ったらクリーニング代、取ってきますね」
「その事なら気にするな。たいした汚れではないし、洗えば落ちる」
遠慮でもなんでもなく、実際そうだろう。桜も気を使われていないとわかったのか、笑顔で感謝を述べた。
「ありがとうございます!ぶつかっちゃって、ほんとにごめんなさい」
「だから、気にするな。あ、そういえば、お前の名前とクラスを教えてほしい」
「一年五組、結姫桜です」
なぜ名前を聞かれたのかわからず首をかしげながら答える桜に、生徒会長が続けた。
「必ず謝罪にいかせるから」
「だから、ほんとに大丈夫です」
苦笑いして、首を振りながら場を離れる。人がいなくなるにつれ、桜の元気はなくなっていった。
「ったく、羽山は何してたの?一緒にいたと思ったんとけど」
「樹は、友達と話にいっちゃって。でも、まさかあんなことになると思わなかったし。……ごめんね、紅葉。もっとパーティーいたかったでしょ?」
「ううん。全く」
つい真顔になる。正直帰りたかったし、騒ぎのおかけで助かった感は否めない。
「なんか、紅葉らしいね」
「なにそれ」
即答過ぎたのか、桜に笑われる。釈然としないが、桜に元気が出たなら良かった。
部屋につくなり桜をバスルームに放り込んで、汚れてしまった制服を洗う。
ひどい汚れではないのですぐにもとに戻すことができた。
シャワーを浴びてすっきりしたはずの桜だが、やはり元気がない。さっきのことでショックを受けているのかと思い、桜を慰めた。
「あんまり気にしないで。あの人たちは、生徒会長担過激派なんだよ。桜が羨ましくて、あんなこと言ってるんだから、気にすることないよ」
「うん…ありがとう。なんか、言い過ぎちゃったかなって思って」
紅茶を入れて砂糖と牛乳を足したものを桜に手渡す。私はストレートで、桜のとなりに腰かけた。
「言い過ぎたのは向こうじゃない?」
「…私、皆の前であんな風に言われて、凄く恥ずかしくて嫌だった。だから言い返したけど、おんなじことしちゃったのかなって」
「自業自得だと思うけどね」
誰が見たって桜が正しいのに、桜は相手の気持ちを慮る。凄く心が広い。私はそういう風には思えないから、純粋に尊敬する。
「……桜は優しいね」
桜にくっついて言えば、桜も私にくっついた。
口数少なく、二人でゆっくり紅茶を飲んだ。
後日、桜は生徒会に呼び出された。
用事は先日の件の謝罪とのことだった。そもそも生徒会とは関係ない気もするし、謝罪をするなら自ら出向くのが筋ではないかと思うが、実際彼らが桜のもとに訪れて謝ったら悪目立ちするため、桜が出向くのは向こうの配慮だ。
しかし、内部生でさえ尻込みする生徒会室に一人で出向くのはかなり心細いらしい。
彼女に付き添って扉の前まで行くと、宥め透かして送り出す。
「紅葉!お願いだからね!待っててね」
「はいはい。わかったよ。待ってるから、心配しないで。ほら、 時間過ぎてるよ」
行ってらっしゃい、と手を振って、壁に寄りかかりながら持参した本を読む。
この学校に図書室はなく、図書館と呼ばれている。実際に独立した建物がまるまる図書館だし、大学の図書館にも劣らないほどの本が納められている。
中学の図書室はもう少し小さくて、専門書より児童書や小説が充実しているらしいので、それはそれで気になっている。
きりの良いところまで読み進めると、本を閉じた。そろそろ桜が帰ってくる頃だろうか。なんとなくそんな気がしたものの、扉は微動だにしない。
もう一度小説を開く気にもなれず、ぼんやりと佇んでいると、ふと、違和感を覚えた。
さっきから同じ女子生徒が、何度もテント会室の前を行き来しているのだ。
やはり会室を気にしているのか、じっと扉を見つめながら通りすぎることを繰り返している。
何か用事があるのだろうか。いや、それならさっさと入っていけるだろう。
学生であることはわかるので、不審者とは言えないが、行動がまるっきり不審者のそれである。
なんとなく彼女を眺めると、どこか既視感を覚えた。
黒髪は耳の上でツインテールにされており、ストレートヘアはきれいなキューティクルだ。前髪は揃えられていて、いわゆる姫カットの美少女だ。
会ったことはないと思うし、クラスメイトでもない。既視感に首をかしげていれば、彼女の不審行動に終止符を打つ声がかけられた。
「千里さん、何しているの!あなた今日日直よ。先生も、ペアの子も困っているわ」
駆け足でやって来た少女は、彼女をとがめると、さあ行きましょうと手を取った。
「何って、別にあたしが何しようと勝手でしょ。ほっといてよ」
しばらく言い合いになっていた会話から察するに、窘めている方の女子はクラスの委員長で、内部生のようだ。外部生である彼女に心を砕いているらしいが、彼女は煩わしく思っている模様。
勿体ないような、理解できるような。
ただ、ツインテール少女の行動は明らかに不審なので、少しは聞き入れてほしい。
そこまで考えて、私はフリーズした。
何か、知っている名前が聞こえたようだ。
千里――――千里 葵?
名字から、するすると名前まで思い出した。あ、これ、あの人の名前だ。
もう一人の、ヒロイン。
私が呆然としている間に、しぶしぶ連行される千里葵。
ふと、呟きが聞こえた。
「あたしはヒロインだもの。…みんな待っててね」