01蘇る記憶
自分のメモ帳内だと訳がわからなくなるので整理のために投稿
世の中には不可思議なことがある。人智では、どうしようもなく及ばない、そんな事が沢山あるのだ。
「ねえ、おかあさん」
「なあに?紅葉?」
私は大人びた子供だったという。私が前世の記憶とやらを思い出したとき、不審がられなかったのは、きっとそのせいもあるのだろう。
母の手はほっそりとしていて綺麗だけれど、短く切り揃えられた爪や荒れた手につけた薬用ハンドクリームの匂いで、彼女が働く人なのだと思う。
「私のおとうさんってどんなひとなの?」
夕焼け道。母の職場に迎えに行って、ふたり、登り坂を歩いていた。おぶってくれようとするのを断って、代わりのように母と手を繋いだ。私の手は、母よりずっと小さい。体も小さいけれど、それなりに重さはあるから、疲れている彼女に負ぶさるのは気が進まなかった。
「お父さんはねえ、あなたによく似ているわ。ちょっと無愛想で、でもとっても優しい人よ」
無愛想。言われるとちょっと複雑だ。前世の記憶があるせいか、大人びすぎた精神を手に入れたせいで、どう振る舞ったら良いのか分からないだけだ。
建物の端から覗く夕陽が目に眩しかった。目映いほどの黄金の光を撒き散らして、眩ませるよう。
「おかあさんは、おとうさん、すきだったの?」
「それはもちろん!誰より愛していたから、紅葉、あなたがいるのよ」
母は父を思い出すとき、愛おしいさに寂しさを滲ませた表情をする。けれど父の話をするとき、恋する乙女の表情になるから、私はいつも、幸せな気持ちになる。
父は、死んでしまっていた。私が前世の記憶を思い出すきっかけとなった日に。交通事故で。
朧気な記憶しかない父親は、きっと母親を愛していただろう。母親があんな幸せそうな顔をするのだ。限りない愛を捧げていたに違いない。
「おとうさん、私のこと、すき?」
「世界で一番ね」
「私もおとうさんとおかあさんのこと、世界で一番すき。おそろいだね」
すき。好き。大好き。
私を愛してくれる両親のことは、大好きだ。好きだと言われる度に、暖かい手で触れられる度に、笑顔を見るたびに、胸が温かいもので満たされる。
まるで光が満ちるように、幸せが全身に広がる。
世の中には不思議なことがある。誰しもがあり得ないと笑い飛ばすようなことすら、誰かが思い付くのならば可能性はあるのだ。
私はそれを、幼い頃に理解した。いや、理解などではなかった。体感したのだ。思い知ったのだ。鳥肌がたつほどの経験だった。もしかすると、私が私でなくなってしまいそうなほどの恐怖だった。
それは、私の全てを覆してしまった。普通だと思っていた自分自身が、一番の異常だったのだ。
気が狂うかと思ったが、私はそれを受け入れられた。私が私のままでいられたのはきっと、母の愛があったからだろう。繋いだ手の温もりや、笑いあった記憶が私を引き留めてくれた。
だから、異常であることを自覚しながらも、私は普通に生きていける。
そして、自身がこの世の不思議であるのだから、私はこの世には摩訶不思議な事があるのを、受け入れられる。
でも、私はこの世の不思議に出会うとき、いつも母を思い出す。
私が母の愛に守られたように、私も誰かを守れるのだろうかと、自問する。
***
麗らかな春。桜の花弁がひらひらと舞い散る入学式。
希望に満ちた新入生たちの笑顔が眩しい。
私にとっては二度目の高校生活だが、一度目の記憶は細かいところは曖昧だから、新鮮さはある。だが、この空気は懐かしい。
しんと張り詰めたようでいて、これからの期待にそわそわしている新入生たち。主に外部生達がそれに当たる。内部生も、外部生につられるように少し落ち着いていない。
教師の視線は優しく暖かで、彼らが真摯に生徒を導いてくれるであろうことは想像に難くない。
司会進行をしている男子生徒が玲瓏な声色で告げる。厳かな場所にふさわしく、浮わついた感じのない落ち着いた声だ。
『―――次は、在校生代表挨拶です。生徒会会長、浅倉 雅貴』
舞台袖から正装をした金髪の青年が出てくる。彼が生徒会長だ。一度だけ顔を会わせたことがあるのだが、生徒会長は大層なイケメンで男前だった。こう…俺様系な、自信に満ち溢れた感じの美丈夫だ。
彼は綺羅綺羅しいオーラを放ちながら、堂々と挨拶を始める。カリスマ性、とでも言うのだろうか。見た目だけのせいではない。彼には、何かしら人を惹き付けるようなものがある。
講堂中の、生徒から始まり教職員までもが、生徒会長さんを見詰めていた。
私はその少々異様な雰囲気の中、ぼんやりと彼を眺め尋常ではない既視感に悩まされた。
うーん、何か、見たことあるような………。いや、前に会ったことはあるのだがそれではなくて。最近じゃなくて、多分もっともっと前。でも、既視感を得るほどの接点なんて無いに等しいし…。
記憶を辿るが思い当たる節はない。やはり気のせいか、と結論をつけようとした瞬間―――
―――全てを理解した。
奔流のように記憶が溢れ出す。今世のものではない、ずっと昔、私が生まれる前ですらある記憶。私が私になる前。
もう一人の『私』が死んでしまう前。
桜の花が舞い散る入学式。“彼女”は出この世の不可思議、運命に出逢う。それは美しく、劇的で、多様な恋だった。綺麗で可愛い少女が、イケメンと恋に落ち、愛を育む。だが、幸せなだけの恋ではない。苦難も障害も、悪意も欠点も多々あった。それらを乗り越えて初めて、彼女は好きな相手と結ばれ、代えがたい幸福を手に入れた―――。 うん。良い物語だった。『私』の妹や親友がハマっていたのも頷ける。
………で?どうしてその良い物語が現実に既視感と感じるのかな?
私は壇上でありがたいお話をされている会長を見た。内容はさっぱり入ってこないが、抑揚のすべらかな挨拶はきっと見事なものだろう。講堂の舞台上で光を浴びて、自信に満ちた笑みを浮かべる生徒会長は麗しい。赤い瞳は強い意思を感じる。
そして見覚えがある。入学式のスチルにあんなんあったなあ…。
ん?スチルとな?
………………………ああ、もしかしてここ、乙女ゲームの世界ですか。
納得してしまう。おかしなことだと思うのに、そう分かってしまえば否定できないのだ。
それに、間違ってはいないだろう。彼の立ち姿は、『私』の知っているそれに違いなかった。