竜神探闘:準備期間③ー後編
今日は二話同時投稿のために前話が昨日の続きになりますので、そちらから御覧下さい。
「黙れ!!」
アリスの挑発にセルゲオムは激高する。その激高こそがセルゲオムの心理的にアリスに圧倒されている証拠と見て良いだろう。痛いところを衝かれた者が状況をひっくり返すために大声で威嚇するのはよくあることである。
「残念、交渉は決裂か。まぁ、あんたのような無能者が味方になれば損害ばかり増えるからよかったかもね。有能な敵より無能な味方の方が遥かに質が悪いわよね」
アリスはまったく残念がっていない声でセルゲオムに言う。セルゲオムが二の句が告げない状況を見てアリスはさらに言葉を紡いでいく。
「セルゲオム、あんたがここに何をしに来たかは分かってるわ。竜神探闘を取り消せと命令しに来たのでしょう?」
アリスの言葉にセルゲオムは返答できない。アリスに言われたことはセルゲオムの本心そのものであったからである。
「答えは“いや”よ。理由は三つ、一つはお前如きの命令を聞く義務はない。二つは敵側についたお前の言葉など従わない。三つ目は何も失わないお前如きの言葉をきくつもりはない」
「何も失わない……だと?」
「ええ、ここで竜神探闘の申請を取り消せば、私は死刑になるわ。一度申請され受理された以上、どちらかの死によって決着は成される。竜神探闘を諦めると言う事は両親の敵も討てず、私は命を失う。でもあんたは何を失うの?」
「う……」
「そうね。もし竜神探闘を取り下げるならそれなりの対価が必要よね。とりあえずイルジードの首、レグノール一族の各家の当主、配偶者の首、嫡男の利き腕、それらを差し出せば竜神探闘を取り下げてやるわよ」
「な……」
アリスの出した条件にセルゲオム達は呆気にとられた。無茶を通り越して荒唐無稽の域にまで達した条件であった。
(またふっかけたな。ま、これぐらいふっかけないと了解されたりしたらそれはそれで面倒だからな)
アディルは心の中で嗤った。アリスがなぜこのような条件を提示したかをアディルは察していたのだ。
「ふざけるな!! そのような事認めるわけなかろう!!」
セルゲオムが自失から回復するまで十秒ほどの時間が必要であったが、何とかセルゲオムは反論を試みるが、完全にアリスに圧倒されており、声は大きいが内包している力はほとんど感じられない。
「何をそこまで怒っているんですか? 首を差し出せば私は竜神探闘を取り下げると言っているのですよ。あなたの好きな“一族のため”ですよ?」
アリスの静かな声にセルゲオムはゴクリと喉をならした。アリスの静かな声に隠されたアリスの激情をこの段階でようやくセルゲオム一家は察したのだ。
「あなたは私に一族のために忍耐を強いました。だからあなたにも忍耐を強いたいと思ったそれだけのことです。“一族のため”に死んでください。“一族のため”なんですからどのような苦痛にも耐えられるのでしょう?」
アリスの声には反論を許さない何かがあった。セルゲオムは命をかけて竜神探闘に臨んでいるアリスの覚悟を完全に見誤っていたのだ。
「どうしたんです?」
アリスの視線は一瞬たりともセルゲオム達から離れない。真っ直ぐにセルゲオム達を見るアリスの視線に耐えれなくなったセルゲオムは視線を外した。それを見てアリスはふっと嗤う。アリスにセルゲオムが完全に屈した瞬間がこの時であった。
「あなたの“一族のため”という言葉など所詮はその程度です。自分が苦痛に耐えるつもりがないからそのような事を主張できるのでしょうね。そういうのを卑怯と言うんですよ大叔父様」
アリスはそう言うとセルゲオムは項垂れ、それを見てアリスは立ち上がった。
「アディル、話は終わったわ。押されたら加勢して欲しいとおもって付いてきてもらったけどこの程度なら問題無かったわ」
アリスはそう言うとアディルもまた苦笑しつつ立ち上がった。完全勝利を収めたので、これ以上の長居は無用である。
「この小娘がぁぁぁ!!」
セルゲオムが席を立った二人に向かって殴りかかってきた。アリスに完全にやり込められた以上、セルゲオムが自分のプライドを保つには暴力による屈服しかなかったのだろう。
アディルは放たれた右拳を軽く腕で逸らすと同時に右肘をセルゲオムの胸に叩き込む。
ゴギィィィ!!
胸骨の砕ける音が室内に響き、その音が鳴り止まぬ間にアディルの第二撃がセルゲオムに入れられた。アディルは右肘を胸に入れてそのままセルゲオムの耳を掴み、間髪入れずに左肘を顔面に叩き込んだ。
セルゲオムは吹き飛ぶと壁にぶつかってそのまま落ちる。受け身も取らなかったところを見ると壁にぶつかったときには恐らく気絶していたのだろう。
「酔っ払うなよ……おっさん」
アディルの言葉はセルゲオムには聞こえていない。聞こえていればその敗北感は天井知らずで上がっていた事を考えると幸運であったかもしれない。
「どうされました!!」
外で待機していた騎士が慌てて入ってくる。血を撒き散らし崩れ落ちている大貴族の姿を見てやや騎士達は呆然としたが、事情の説明を求める視線を送ってきた。
「大叔父様ってどうやら酔っ払ったみたいなのよ。とつぜん大声を出して壁に向かって跳び込んだからビックリしたわ。まさか大叔父様が阿呆とは言え、竜神探闘を控えている私達に襲いかかるなんてあるわけないわよ」
「は、はぁ……」
「イルジードが仕掛けた事なら私も遠慮無くイルジードへの責任を問うんだけど、さすがに酔って自ら壁に激突した事を責めるのは筋違いよね」
アリスは艶やかに笑うと騎士は呆気にとられた表情を浮かべる。
アリスがイルジードへ罪をなすりつけなかったのは別に正々堂々とした感情からでは無く、自らの安全を保つためである。もし、イルジードが自作自演で自分を襲わせた場合にアリスに罰則を与える可能性がある。だが、セルゲオムの件を引き合いに出せばそれを防ぐことも出来るのである。
すなわち、セルゲオムがイルジードの命令を受けてアリスに危害を加えようとしたと主張するだけでイルジードにはダメージを与えられるのである。セルゲオムがアリスに襲いかかったのは事実であるし、やった事を主張できるのは可能だが、イルジードがセルゲオムに命じた事は無いと証明することは事実上不可能なのだ。
「ここで大事にするつもりは無いわ。ただしイルジードが自作自演で私達を罠に嵌めようとしたら真実を話すつもりよ。その時は証言を頼みます」
アリスはにっこりと笑うと騎士に向かって一礼した。騎士はアリスの言った言葉の意味を理解するとゴクリと喉をならした。
(恐ろしい……前選帝公の令嬢はこんなにも恐ろしい方だったのか)
騎士は心の中でアリスを敵に回したイルジードに心から同情した。




