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バッテンの少年  作者: こう318
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山道にて


 霧が出始めてまだ間もない日のことだ。降り続けた雨の名残で足元の濡れた暗い山道を、男が急ぎ足で歩いていた。

 麻の葉模様の風呂敷で包まれた荷物を大切に抱え込み、地面に足を取られて滑ってしまわないよう、一歩一歩慎重に道を進んでいる。


 山育ちの男にとってこの道は比較的歩きやすいものだったが、一度息を整える為に男は足を休めた。荷物も落とすことのないよう大事に抱え直す。六歳の誕生日を迎える息子への贈り物だ。きっと喜んでくれるだろう。

 可愛い息子の笑顔を思い浮かべ、自然と口角が上がり温かな気持ちに包まれたとき、背後の草むらで何かが動く音がした。狐か狸だろうかと何気なく振り返った男はその先を見て驚いた。


 その場所にはひとりの少女が佇んでいた。村の年若い娘たちと同年齢くらいだろうか。腰まである黒髪は艶やかな輝きを見せ、汚れを知らなさそうな美しい瞳に吸い込まれそうになる。山仕事にしてはかごが見当たらず、見たところ服装も汚れひとつなく綺麗だった。どこかの良家の娘が迷ってここまでたどり着いたか、家出をしていると言われたら誰しもが納得するだろう。いずれにせよ、このような山の中には似つかわしくない少女だった。


 最近、巷では化け物の類いが多く出ると聞く。化け物にはヒトガタのものや、文字通り人の皮を被って成りすましている者もいるらしい。なんだか気味が悪いと、男は自然と警戒心を強め少女からじりじりと離れた。

 男の内心など気づく様子もなく、少女は男に笑いかける。


「こんにちは。今、お帰りですか?」


 鈴のような優しい声。男へ向ける少女の微笑みも柔らかい。


「……あ、ああ。そうだ。……君もかい?」


 つとめて冷静に対応しようとするも上擦る声は誤魔化せない。しかし隙を見せるとどんなことに巻き込まれてしまうかわからない。緊張した面持ちで男は彼女と言葉を交わす。


「はい。わたしもなんです。お世話になっている旦那様のご厚意で、久しぶりに故郷へ戻れることになりまして。せっかくだからと急ぎ足で来ましたのに、あの雨でしょう? もう、やんなっちゃう」


 久方ぶりの帰郷。会いたくても会えなかった家族に会うのだから、綺麗にしていきなさいと御銭も用意してくれたのだそうだ。きっと良い奉公先なのだろう。ころころと笑いながら話す彼女は物腰も柔らかく、優雅な雰囲気を醸し出している。


 こんな少女が化け物であるはずがない。一瞬でもそう思ってしまった自身に軽く怒りを覚えながら、男は「それなら」と声を出す。


「足元はまだ安全とはいえないし、君さえよければ送っていこうか」


 その瞬間、少女の纏う空気が変わったように男は感じた。柔らかな微笑みは消え失せ、温かな光を灯していた瞳も、ただただ虚空を見つめている。その眼からは何の感情も見ることができない。


「ど、どうしたんだ?」

「………」


 突然の変わりように男は動揺を隠せないでいる。再度呼びかけるが尚も少女は黙ったままだ。どうしたものか。彼女にとって何か不味いことを言ってしまったのか。そう疑問にも思ったが、言いたくないこともあるのだろうと敢えて問わないでいた。しかし、このままでは会話が成り立たないので男は続けた。


「……君はどこの子だい? 村の子だろう?」


 質問を変えてそう問うと少女は漸く反応を示したが、ゆっくりと首を振って男の問いを否定する。


「いいえ。たまに村へは行きましたけど…」


 ころころと笑っていたときとは違う、冷たさを感じるような声。たまに村に来ていたという少女の返答内容と、声に乗せた温度の違いに男は違和感を覚えた。


 この少女が村にいた記憶は男にはなかった。男の住む村自体はあまり裕福な村ではない。それぞれが何かしらの職人だったり、各家々で作ったものを町へ売りに出掛けたり、貧しすぎるというわけでもないが、それなりに働きをすればそれなりの昼夜を過ごすことはできる。きっと村にいたときと奉公先で少女の生活もがらりと変わっていたのだろう。また、人は身に纏うものを変えるだけで雰囲気も変わると聞いたことがあるような気もする。男が知らぬだけで、おそらくはそういうこともあるのだろう。


 また、男自身も今回のように仕事で幾度か村を空けることがある。もしかしたら少女はそのときに村へ訪れていて、だからお互いに面識がなかったのかもしれない。


 それにそもそもの前提からが違うのかもしれなかった。少女の言う村と、男の住む村は同じ村ではないのかもしれない。この一帯には幾つかの集落があり、ある程度の土地の広さや家屋の多さ、川や森林の区切りでそれぞれの村としている。この山道はそこへ向かう道のひとつだ。それぞれの村に近い場所にそれぞれの道が拓かれているが、決まった道を必ず通らないと各村へ辿り着けないということでもない。


 そして声の冷たさについては、彼女にとって聞かれたくないことをまた聞いてしまったのだろう。浮かんだ疑問違和感をひとつづつ消して行きながら、男は少女へ笑いかける。


「じゃあ今は誰かを待っているのかな」


 少女はこくりと頷いた。きっと家族から、久しぶりに帰郷する彼女を待ちきれなくて迎えにいくと、事前に文でも届いていたのだろう。だから彼女はこんな山道で佇んでいたのだ。きっとそうだ。


「そうか。じゃあ私はもう行くよ」


 そう言って歩き出す。そのとき、風が吹いて木々が大きく揺れた。自分も家族のもとへ帰ろうと足を進めた男は、その風で一瞬足を止める。

 危ない。落としそうになった荷物を一瞥して大切に抱え直す。男が再び前を向いたとき、三丈ほど離れた木々の間にひとりの人物がいた。少女によく似た雰囲気の、いくらか落ち着いた青年だ。きっとあの少女の身内なのだろう。


「ああよかった。お迎えが来たようだ」


 初めて会ったとはいえ僅かな時間言葉を交わした少女。彼女と家族はいつ会えるのだろうと微かに気にとめていた男が振り返ると、少女は眼を大きく見開いていた。しかし歓喜のものではなく、目の前の光景が信じられないという表情なのが気になった。

 もともと白い肌だが、さらに血の気がなくなるほどの、どう見てもただならぬ様子の彼女に息をのみ、男も恐る恐る目の前の青年へ顔を戻す。


「────」


 青年が口を開く。何を言っているのかは、風の音でかき消され聞き取れなかった。男が声を出そうとしたところで、何故か声が出ないことに気がついた。青年が一歩進む。


「だめ……っ」


 少女のか細い叫びが耳に届くが振り返ることもできない。このままここにいることを拒否したい。早く遠くへ駆け出してしまいたい。


 逃げろ。


 頭のなかでは警鐘が鳴り響き心臓も大きく鼓動する。しかしその気持ちや自身の勘が告げる警告とは裏腹に、男の身体は石のように動けない。


 目の前に青年が来る。


「……っ、ごめんなさい──」


 男が最後に聞いたのは、少女の謝罪の声だった。

お久しぶりの投稿です。リメイクをぼちぼちと進めていますが、いかんせん昔の物語すぎて、読み返すたびに画面から離れたくなります。でもちゃんと書き直したい。

次話から主人公が本格的に動き出しますので気長にお待ちいただけますと幸いです。

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