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美しい玩具  作者: 遠堂瑠璃
6/11

No.06 『イブ』

 アルフレドは、昨日母星から送られて来た本の中の一冊を読んだ。

 美しい一人の娘に、一方通行の恋心を抱く少年の物語。身分が違い過ぎるが故、貧しい少年の思いは娘に届かない。少年の心に気付かぬまま、娘は異国へと旅立っていく。


 物語は三部作で、一冊目はそこで終わっていた。

 アルフレドは一緒に届いた他の数冊の本を手に取ってみたが、そこに物語の続きの二冊はなかった。アルフレドは諦めて、今日の観測結果データの分析とまとめに取りかかる。

 今日も何も変化はなかった。

 大気、気候、共に異常なし。


 本日のデータと共に、今度あの物語の続きの二冊を送ってくれるよう要求する一文を添えて、母星へと送信した。



 本日の作業を終え、アルフレドはガラス菅の中の『少女』の元へ向かった。

 『少女』は薄い目蓋を閉じたまま、ただ眠り続けていた。心音を表す心地好い波とリズムが、冷たい基地の一角に響いている。

 まるで『彼女』の命が発する声のように。


 アルフレドは、仄青く照らされた『少女』のカタチを見詰めた。

 絶えず分裂と再生を繰り返す瑞々しい細胞。生身たる故の、命の営み。

 疾うに死んだ筈の肉体が、こうしてアルフレドの眼の前で穏やかに息づいている。


 ガラス菅の中に泳ぐ、淡い色彩の『少女』。


 不意にアルフレドの思考回路に、今日読んだ物語の一文一文が鮮やかに(よみがえ)り、溢れ返った。

 美しい娘に想いを寄せる少年。届かぬ気持ち。豊かに揺れ動く感情。

 娘への、一方通行の恋心。


 アルフレドの人工頭脳の神経回路を、永い歳月をかけて学習した『感情』というものが、目まぐるしく駆け抜けていく。


 『恋』をする、という事。

 アルフレドの人工頭脳は、僅かずつそれを理解し始めていた。


 物語の中の少年が恋をした、美しい人。

 彼女の名前は、『イブ』。


 アルフレドは、ガラス菅に眠る『少女』を『イブ』と名付けた。


「僕はアルフレド。君の名前は、イブ」


 ガラス菅に映り込んだアルフレドの顔は、まるで人間の少年のように微笑んでいた。


      ∞ 


 音もなく、星は巡りゆく。

 アルフレドは、飽きる事なくイブを眺めた。


 イブの規則正しい心音。グラフの描き出す、なだらかな波。

 生命の電流。


「君は、何処から来たの」


 アルフレドは、眠り続けるイブに問いかけた。もちろん、答は返らない。

 あの場所で、鉱物と土に埋もれていた彼女の痕跡を見つけた日から、15年程の歳月が経過していた。

 アルフレドは、この星へ送り込まれた目的の作業を毎日繰り返しながら、ただ彼女が目覚める日を待ち続けた。


 イブの眠る長円形のガラス菅の表面に、恒星からの光が射し込む。

 イブの肉体は、もうすっかりアルフレドの姿と同じ頃合いの少女へと成長していた。


 白い皮膚が(かたど)る滑らかな線が、キラキラとした光を纏う。真っ直ぐに伸びた腕はアルフレドよりもずっと華奢で、その素足も同様に繊細な形をしていた。

 水の流れに舞う、色彩を忘れた髪。今ではもう、その長さはイブの背丈を越えている。


 アルフレドは、イブの姿をうっとりと見詰めた。

 本能や欲望を持たないアルフレドは、素肌のまま液体に浸るイブに生身の少年のような余計な思考を巡らせる事はない。けれどこうしてイブを見詰めていると、神経回路が活発に動き出すのが判った。

 

 人工頭脳が高揚している。まるで、人間の心のように。

 人間の感情の高ぶり。その様子は、何度も本で読んだ。


 今のアルフレドの神経回路の動きは、それに似ている。

 まるでいとしい人を眼の前にした、初々しい少年の心、そのものに。


 

 アルフレドは、眠り続けるイブに恋をしていた。

 

 生き物ではない故に、本能の伴わない感情。純粋な、感情のみの恋。

 何の見返りも求めない、最も深い恋心。


「僕の願いは、ただひとつ何だよ」


 アルフレドの青く深い人工眼球に、イブの形が揺らめく。


「君が、眼を覚ましてくれる事」


 イブの心拍を拾い続ける機械音に、アルフレドの静かな声が重なった。

 

 アルフレドとイブを隔てる、一枚のガラス。

 生身の少女と、造り物の少年を別つ、冷たい境界線。


明日も、夜19時に更新します。

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