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「うん、暑気払いにもなるであろう。

疲れた時は、その酸っぱさがちょうど良い」


涼しい顔で、さらに二三本差し出す丙姫を、睨む気力もない。

(ぜーったい、城に着いたらぶち殺す。ぼっこぼこにして、切り刻んでやる)

頭の中では威勢の良い罵詈雑言を連発している口に、丙姫が、親切にも草の茎を突っ込んだ。

なさけなく顔をしかめて草を齧らされる山田屋だった。

もはや周囲の観察どころではない。


すぐだと言ったはずなのに、またもや険しい斜面になり、空腹をこらえて山肌を這うようにして進んだが、なかなかたどりつけなかった。


「すぐって言ってなかったか。言ったよな」

「そちがいなければ、とっくのとうに着いておる。

途中で置いて行ったりはせぬ。日暮れまでには間に合うじゃろ。

しかし、問題は発声練習じゃ」

山田屋の脳内に、再び罵詈雑言が駆け巡った。

あふれそうだ。

(昼飯も食ってないのに、日暮れまで歩くだとーっ。聞いてないぞ)

が加わった。


やがて、

「ほれ、あそこが城じゃ。

ぎりぎりかな。発声練習しながら行くか」


やっと 城の一角が見えた時、精も根も付き果てた凶悪犯は、山田屋の仮面を脱ぎ捨てることにした。

どうせ たいした役には立っていない。

場所が分かれば、娘は用済みだ。

お気楽そうな金太郎眉毛が、わざわざ殺さなくてはならぬほど、この先の逃走の障害になるとは思えないが、クソ酸っぱい草を齧らされ、吐きだすこともできないうちに、無理やり追加の草を口に突っ込まれたのだ。

あの屈辱と恨みは晴らしておきたい。


懐に手を入れ、匕首(あいくち)をつかんだ。

使いなれた凶器が、ぴたりと手に収まる。


しかしながら、ついて行くのがやっとの状況では、凶悪犯にとって 分が悪い。

「おい、娘」

立ち止らせようと声をかけたその時、怖ろしいまでの音痴が男を襲った。

しかも、信じられない大声である。

「うわああああああ――」

腰を抜かした。


その後のことは、何がどうなったのか分からない。

我に返ってみれば、匕首は取り上げられ、投げ飛ばされ、がんじがらめに縛り上げられていた。

身動き一つできない。

耳をふさぐことができない。

地獄だ。


「丙姫様、ご無事で何よりでした。

こいつを牢にぶちこんでおきます。

姫様は、この場で 心おきなく発声練習をなさってください。

明日の朝までじっくりとなさってはいかがでしょう」


どこから現れたのか、無表情な渋い二枚目が耳を押さえながら、音痴なドラ声に負けじと怒鳴った。

耳を塞ぐことが出来ない凶悪犯にとっては、地獄の二乗である。

若い男前も居て、取り上げた匕首を手にしたまま、ちゃっかり耳を塞いでいる。

「た……頼む。早く牢に入れてくれ」

懇願してしまう凶悪犯であった。


「行くぞ、銀次郎」

「はい、為五郎様」

凶悪犯を哀れに思ったのか、自分たちが耐えきれなかったのか、二人は、そそくさと凶悪犯を引き立てて去った。


「おぬしらは馬鹿か。

朝までやっていたら本番が出来ぬではないか」

置いて行かれた丙姫は、残された時間を有意義に使って練習したのだった。

どこから聞こえるのか、子どもが泣きわめく声が遠くから加わった。



     ◇     ◇     ◇



さて、夕闇が降りると、甲姫と平蔵の祝言が始まった。

めでたく固めの盃も済み、祝辞が述べられ、いよいよ宴席となった。


まずは重臣の一人が、祝いの舞いを舞った。

毎度おなじみの演目である。バカの一つ覚えともいう。

当人は、これが無ければ宴席が始まらぬと固く信じている。

和やかなうちに祝い膳が次々と運ばれ、ありがちな出し物が二つ三つと進んでいき、ほどよく酔いも回り始めた頃、南蛮渡来の巨大な四弦琴を抱えた剛手(ごうしゅ)が登場した。

珍しいものを目にして、その場の一同は興味深く注目した。


剛手は大きく深呼吸をして、弓を構え、おもむろに演奏を始めた。


 グギギギ―― ギューン ガリガリガリ


聴衆は うろたえた。

どう理解したらいいのか分からない。

初めて耳にする面妖な音であった。

さすがは南蛮渡来。上手いのか下手なのかさえ判断できない。

和やかに進んでいた談笑が、ぴたりと止まった。

隣と顔を見合わせ、なんなんだよこれ的な表情を見かわすばかりだ。

戸惑いに充ち溢れる中、

 ギュギュ――ン バリバリ ギュギュ――――ン

が何度か繰り返された その時であった。


 ドコドコドコドコ ドドドドン ド――ン

太鼓の音が加わった。

巨大な太鼓に向かって撥を振るっていたのは、

「どこから出てきた為五郎!」

宴席から一斉に発せられた言葉の通り、あくまで無表情な為五郎だった。


 ギコギコ ギギギ―

 ドドドン ドンドコ

 ギュギューン ゴリゴリ

 ズドドドドドドン

 ギ――――ッ ギュギュギュン ギュルルルル―― ゴリッ

 ドドンドンドン ズダダダダ――ン ドドスコ ドドスコ ズンドコド


頭の中と五臓六腑にしみわたる演奏は、もはや、上手いとか下手とかはどーでもいいところにまで達して、宴席を震え上がらせた。


 ズギューン ドドン


終わった時に訪れた 形容しがたい静寂の後、怒濤の拍手が沸いた。

「何か、人生観が変わった気がします」

「今まで生きてきて、いま、世界の不思議に改めて気がつきました」

「いや、分かんないけど、すごい。全然分かんないけど」

「ギュルルルル―― のところが良かったんじゃないか。

魂がでんぐりかえりしそうでさ」


様々な感想が飛び交う中、摩訶不思議な興奮とざわめきに包まれた彼等は、この後、丙姫のどら声によって 地獄に突き落とされることを、まだ知らない。


        了



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