一
秘境に建つ、こじんまりとした山城は、九十谷城。
城主は、代々、九十谷将鞭と名乗る。
名前ほど臭くはない。
そんな城中の一こまである。
年老いた男が、笑顔を取り繕おうとしつつも見事に失敗して、すがりつくような目で、訴えかける。
「本日はめでたき日なれば、丙姫様は、重々お行儀よくなされますよう、ひらに、ひらにお願い致しますぞ」
半ば無駄とは知りつつも、言わずには居られない家来の心情を歯牙にもかけず、丙姫は、お気楽に請け合った。
「分かったから、まっかせなさーい。
なんてったって、姉上の晴れの門出、一番気合が入る日だものね。
盛り上げるわよ~ん」
お姫様とは名ばかりの、ざっくりとした態度である。
「姫様、盛り上げなくていいですから。
むしろ、何もしないでいてくださると助かります」
「いいから、いいから。遠慮せずとも良いぞ。
次は、乙姉さま、その次は、むふふふふ、わ・ら・わ・の番なのだし。
せっせと盛り上げねば」
当代の将鞭には四人の姫君と、幼い若君がいた。
姫君の名は、上から甲姫、乙姫、丙姫、丁姫。
ついでに言うと、若君の名は子若である。
図らずも、甲姫の祝言の日であった。
母親の美貌を受け継いで、一族の誰もが自慢したくてたまらない甲姫の相手は、平蔵という。
顔は不細工だが、ひときわ力量に優れ、すでにすぐれた働きをしている若者だ。
いずれは九十谷を支える人物になる、との期待を一身に背負っている。
丙姫が盛り上げなくても、十分に盛り上がっていた。
「へい、姫様。ここにおいででしたか」
腰元が来た。
「小梅、おかしなところで切るな。何度も言ってるよね」
「おや、何の事でございましょう。
それより、銀次郎から報告がございました。手配は済んだそうにございます」
小梅の言葉に、丙姫は満足げに笑った。
「よしよし」
「銀次郎に何をさせようというのですか」
「もちろん、祝言の演出の段取りよ。
祝言の宴と言えば、古今東西、華麗なる演出が全て」
何をいまさらという思いで、丙姫は力強く答えた。
「全てじゃないと思います」
小梅は、さらりと流した。
「して、何故、小梅が伝令になったのじゃ?
銀次郎が自分で報告に来ればよいのに」
「伝言を残して、逃げました」
「ふむう、まあ良い。
あとは、わらわが餞の歌をどの曲にするか決めるだけじゃ。
候補は十五曲まで絞ったのじゃが、迷うなあ。全部自信があるし。
いっそのこと、全部歌おうかなあ」
周囲に悲鳴が上がった。
「どうか、どうか~、そればかりはご容赦を~」
「死人が出ますう~」
「丙姫様の御歌は、一曲でも多すぎます」
どさくさに紛れて、きっぱりと言ってのけたのは、誰あろう、為五郎であった。
「何処から出てきた為五郎!」
忽然と現れたのは、年こそ少々いっているが、渋い二枚目の男だった。
惜しむらくは、顔に表情というものが無い。
欠落している。
その顔で言われると、たとえお天気の話でも怖い。
「出てこなくていいのに」
丙姫は嫌そうな顔を隠さないが、為五郎は無表情で問いかける。
「剛手が見当たりません。丙姫様の御用というのは本当ですか」
「うん、間違いない。演出じゃ。
近頃あやつは、南蛮渡来の巨大な四弦琴を手に入れたと聞く。
晴れの席で披露するよう 申しつけた。
てはずは完了した」
「……」
為五郎は無言で、いずこともなく消えた。
入れ替わるように、もう一人腰元がやって来た。
「ひめさまあ~ん。
おめかしをなさるおつもりなら、そろそろお支度を~」
「むむ、おめかしとな。それどころではないのじゃが。
まっ、銀次郎が手配は済んだというなら、だいじょぶであろう。
小菊、おめかしはてきとーでよいぞ。
わらわなら、頑張らなくても十分イケル」
「そ、そうでしょうか。いえ、あ、はい」
渋々頷いた後、小菊は不思議そうに首を傾げた。
「謎ですわ~。
銀次郎様は、若いおなごに可愛く頼み事をされても、たいていすげなく断ってしまうのに、ひめさま~の御用には従うのですね~」
「うん、いう事を聞かねば、わらわの婿にするぞ と言ったら、すっ飛んで行った。
恐れ入ったのであろう。謙虚な奴じゃ」
年老いた家来が、控えめに唸った。
そんなこんなで、浮足立った城内であったが、にわかに不穏な風が通り過ぎた。
「むむ、むむむむ、良からぬことが起こったらしい。警護の者どもがざわついておる」
丙姫の言葉に、家来が緊張した。
「確かめてまいります。姫様は、どうぞお部屋に」
丙姫の特技は地獄耳。
領内では知らぬものが無い特殊能力である。
丙姫がざわついていると言うなら、ざわついているのだ。
間違いない。
走るようにその場を後にした家来は気づいていなかった。
丙姫が当然のように後を追った事を。
気づかれるほど近くに行かなくても盗み聞きができる能力を生かして、すっかり事情を把握した丙姫は、敢然として立ち上がった。
「けしからん」
「何が起こったのですか。私たちにも教えてくださいな」
「気になりますう」
小梅と小菊にせがまれて、丙姫は気前よく盗み聞きの成果を披露した。
「各地を荒らしまわっておった凶悪犯が、役人に追われ、我らが領地に逃げ込んだらしい」
「きゃあ、こわ~い」
「甲姫様の門出だというのに、面倒ですね」
「そうなのじゃ。わらわは、心おきなく祝いの歌を歌いたい。
皆の拍手喝采を憂いなく浴びたい。
どこぞの凶悪犯などに台無しにされてたまるものか。
さっさととっ捕まえてやるわ。うあっはっはっは」
「ま、まさか姫様が、御自らとっ捕まえる気ではないでしょうね」
「誰かが捕まえますでしょ」
小菊と小梅は、一応止めようとした。
「いや、人任せには出来ぬ。
心配で、音をはずかもしれない」
「たいして変わらないと思いますが」
「はい~」
小梅と小菊が、火に油を注いだ。
「戦闘準備じゃ。
祝言の宴が始まるまでに、片付けるわよ」
「でもう、どうやって探すのですかあ~。
領内をくまなく探されますかあ~」
丙姫は、人差し指を立て、得意そうに細かく振った。
「チチチチ、自慢じゃないけど、我が九十谷の領地は、たいそう狭い。
その上、険しい山と谷ばかりじゃ。
凶悪犯といえども、足を踏み入れることができる場所は限られる。
そうは思わぬか。速攻逮捕じゃ」
丙姫は(すそ)裾を跳ね上げ、勢いよく走りだした。
言い出したら、もう止まらない。
二人の腰元は追いかけるでもなく、どこかに行ってしまった。
野放しである。