第48話 カシムの覚悟
(何故だ何故だ何故だ何故だ何故だっ!)
私は必死に逃げていた。
死ぬかもしれない。その恐怖が心を占め、迷いながらも一歩を踏み出した瞬間、脇目も振らずにあの場所から遠ざかった。少女を独り残してきたが、彼女があの後どうなるのかは考えないようにする。
「待ちなさいカシムっ! あの魔族を倒すのよ!」
手にした剣が、私の行動を改めようとする。
聖剣リンスリット。大魔王を倒すために、神によって作られた剣。真の勇者のための剣。
正直、おかしいとは薄々思っていた。私が勇者だなんて話は。だが、想像を絶する力を手に入れたことを実感すると、ひょっとして本当かも、と思った。何度も力を試す内に、疑念は段々薄れていった。私が勇者であるとほぼ確信に変わった頃、あの男が現れた。
オルカ・アーバレスト。
私にリンスリットを売った男。
つまり、聖剣の最初の持ち主。
彼が噂通りにドラゴンすら倒せる技の持ち主であれば、勇者と呼ばれる者であっても不思議ではない。実は彼こそがリンスリットの言う勇者なのでは? と考えたこともある。
だが、彼と手合わせをした後、その考えもあまり気にならなくなった。結果は負けだったが、それは最後に油断したからだ。油断さえなければ、私はあのオルカ・アーバレストを相手に互角かそれ以上に戦える。そう実感した戦いだった。だが──
「あなたは勇者じゃなかったわ。そっちのオルカって男だったみたい」
リンスリットのあの言葉は、私がこの数日の間積み上げてきたモノを根底から覆す威力があった。
この数日、私が感じていた運命は全て思い込みだったのだ!
マズイ状況だ。周りにいろいろ言ってしまった。家族にはリンスリットの力を示し、かなりの額を投資して貰っている。付き合いのある商人たちにも自慢した。冒険者ギルドに出した依頼に至っては、既に国中に張り出されているだろう。
商売に限ったことではないが、信用は大事だ。カタチのない財産だ。
ただの道化に、他者は大事なカネを預けたりはしないだろう。
「待ちなさいって言ってるでしょ!」
「煩い! こんなことになったのも全部お前のせいだっ!」
そうだ。こいつが最初から間違わなければ、私はこんな目に遭わなかった! たかだかゴブリンを倒したくらいで、あんな魔族に命を狙われることもなかったのだ!
「これでは聖剣ではなく魔剣ではないか!」
「んなっ! ななななななんですってーーーーっ!」
耳にキンキン響く叫び声。ほんの少し前までは然程気にならなかった声も、今はただ苛立ちを募らせるだけのものに変わっていた。
「ああああああたしが魔剣っ!? いいいい言って良いことと悪いことの区別もつかないのかしら!?」
声が震えていた。そこには今までにないくらいの、強い怒りが含まれているのが分かる。沸点の低い剣だが、どうやら禁句的なものだったらしい。だが、私の口は止まらない。
「お前のせいで私の人生は滅茶苦茶だ! どう考えても魔剣だろう! 呪いの魔剣だ!」
「ああああああああんた! いくら温厚なあたしでも怒るわよ!」
「温厚? お前が温厚!? お前は自分が温厚だとでも思っているのかっ!? どうやら“自称”聖剣様は自己分析も不自由らしいな! 勘違いもするわけだ!」
「ぐぬぬっ!」
悔しそうに呻くリンスリット。こいつには手足がないので肉体による感情表現が出来ない。可能であったなら、今頃手か足が振るわれていそうだ。
「────ッ! い、いいわ。あたしにもちょこっとだけ非があったわけだし? 許してあげるわ。あたし、おとなだから。とってもおとなだから!」
大人は自分が大人であると一々主張したりはしないだろう。
「今一番重要なのはこの場を切り抜けることよ。それにはお互いの協力が必要不可欠だわ。違う?」
頭では分かっている。どんなに腹を立てていても、今リンスリットを手放せば、私には死しかない。
今の状況で起こり得る最も可能性の高い損害とは、私が死ぬことだ。それは避けたい。
私は走りながらも、呼吸を数度、大きくする。呼気とともに怒りを吐き出し、吸気とともに冷静さを吸い込むように。
「…………この状況、何とか出来る方法でもあるのか?」
「あるわ」
「……どうすればいい?」
「あたしのさらなる能力を解放する鍵は聖女の魔力だって話、覚えてる?」
「ああ」
だからこそ、傭兵とともに聖女を募集したのだ。
こみ上げてくる苦い思いを呑み込む。
「あたしが目覚めるには、勇者と聖女が出会う必要がある。勇者はあのオルカって男だった。……なら、あの男と出会っているはずの聖女は?」
“龍殺し”と共にクエストを受けに来た、黒髪金眼の少女の姿が頭に浮かんだ。
“龍殺し”と村で出会ったとき、あの男は一人だった。
基本的には単独で活動している男だ。その男がこの数日の間にパーティーを組んだ少女。
「──まさかッ!?」
「可能性は高いわよね?」
「あの娘がお前の能力を開放させられたとして、勝算は?」
「余裕ね。新たな能力を開花させた主人公は、それまで苦戦していた敵を圧倒するものよ!」
自信満々に言ってるが、それはお前が見ていたアニメの中の話だ。
(それでも、賭けるしかない)
仮に今回は切り抜けられたとしても、相手は私の所在を知っているのだ。“次”がないとは思えない。そしてその“次”があった場合、家族に害が及ばないとは限らないのだ!
(その最悪だけは、何としても避けねばならない!)
私は妻のアイナを──子供の頃、虐められていた幼なじみを助けたくて、彼女の英雄になろうとしたのではなかったか。
結局、その問題はすぐに解決した。自分の子供が余所の子を虐めているという事実を知った、加害者側の親が激怒したことによって。
トントン拍子に強くなる予定だった私が、それまでのほんの少しの時間を稼げればいいと思い流した情報が、予想以上の威力を持っていたのだ。
問題が解決した後も強さに対する憧れは消えず、英雄譚を読むことで──幼心に強さの指針にしていた──より強くなった私は力を求めた。いつの間にか、手段が目的に変わっていた。そして……挫折した。
その私が力を手に入れ、結果として家族を危険に晒すのは本末転倒だ。それは、私が好きだった英雄とは真逆の姿だ。
(やってやる。やってやるぞ!)
決意と共に、柄を握り締める手に力が入る。
「──追いつかれたわ! 右に跳んで!」
「────くっ!」
咄嗟にリンスリットの叫びに反応する。
ザンッと背中を剣で薙がれる。
回避には成功した。身体は無傷だ。だが、背中が軽くなった。後ろを振り向くと、剣を手にした隻腕の甲冑と槍持ちの甲冑の後ろに舞う、数日前に妻が自作してくれたマントが見えた。
切り裂かれたのだ! 私の専用装備がっ!
怒りにまかせて剣を振るいたい衝動を抑え、私は走ることに集中する。と見せかけ、突如反転。隻腕の甲冑の脇を通る。
「フンッッ!」
ギンッ!
振るってきた剣をまともに受けず、軌道だけを逸らした。走る速度は緩めない。次いで私の進路を塞ぐように振るわれる槍。それを地に伏せるようにして躱し、一回転して体勢を立て直すと、勢いを取り戻すように地を蹴った。
再び甲冑共を置き去りにする。向かうは、聖女と思われるあの娘のいる場所だ。
「やるじゃないカシム!」
「わ、私が本気を出せばこんなものだ!」
そういえば道場に通っていた頃、試合で勝つことはあまりなかったが、防戦に徹した試合だけは判定が多かったか。師範にも防御の技術だけは褒められたことがある。攻撃に転ずると途端に隙が多くなって負けることが多かったが。
私は後のことなど考えず、とにかく甲冑共に追いつかれないように全力で走る。あの少女が無事であることを祈りながら。
(賭けさせて貰うぞ!)
そして────私は失敗した。
◇◆◇◆◇◆
「────後は俺に任せておけ」
自信に満ちたその言葉を聞いたとき、憧憬と嫉妬、こうなれなかった自分への苛立ちを感じた。だがそれ以上に、もう大丈夫だと安堵した。
走り行く“勇者”と“聖剣”の頼もしい姿を見送る。
(これで……家族を巻き込まなくてすむ)
緊張の糸が切れたためか、暫く独りで全身の痛みに耐えていると強烈な眠気に襲われた。
「はあ……はあ……」
少々呼吸をするのも苦しい。酸素が足りない。寒い……眠い。
(…………少し眠るか…………)
私は疲れた身体を癒やすため、目を閉じる。
意識はすぐに闇に沈んだ。
(………………………………む? 何だ……?)
唐突に、全身がポカポカと心地よい温もりに包まれる。身体の奥まで届く温もり。
とても気持が良い。ずっとこのままこうしていたい気分だ。
心の奥に抑え込んでいた黒い感情──今大半を占めているのは、あの魔族とオルカ・アーバレストやリンスリットに対するものだ──も、この心地よさを感じていれば溶けて消え、どうでもよくなっていく。
と、不意に私を包み込んでいたその温もりが、体内の数カ所で停滞する。
(この感覚は──)
覚えがある。
リンスリットに身体能力を強化されるとき、一瞬だけ強化がそこで滞る。そこを“聖剣の力”が突破すると、全身に力が漲るのだ。あの感覚とよく似ていた。
しかし、リンスリットではない。
いつもなら力の循環を妨げる壁のようなものは、無理矢理突き抜けるような感覚だ。今はそんな乱暴さはない。むしろ優しさしか感じない。
壁が温もりに溶かされる。身体の内側から癒やされる不思議な感覚。
昨日までは出来なかったことが、今日になって急に出来るようになったというストレスからの解放。
それが、分かった。
一度逆上がりのやり方を身体で覚えれば次からは難なく出来るように、この数日何度も体験した強化の感覚。
それは圧倒的爽快感。まさに生まれ変わったような気分!
私は何が起きたのか確かめるため、目を開こうとする。が、意識に身体がついてこない。それでも、目蓋をゆっくりとではあるが開けた。
「良かった……」
地面に横たわる私の傍で、背中に白い光の翼を広げた黒髪金眼の天使が安堵の息を吐いていた。




