第2話 遭遇
港町ラクス。
人がいっぱいいる街で、この近辺では一番人口が多い街になる、らしい。
いっぱいってどれくらいだろう? と思ったけど、具体的な人口までは浮かんでこなかった。
しかも近辺とは言っても隣の村まで数十キロメートルも離れているのが当たり前らしいこの世界の感覚は、現代日本で生まれ育ったボクからすればピンとこない。姫宮夏姫としての感覚では「それ、全然近辺じゃないよ! 遠すぎるよ!」と言っているのに、この体の情報からは“近くの街”という感覚があるのだ。
こんな複雑な感覚、普通なら精神的な負担が大きくなりそうなモノだけど、何故かボクはこの体からもたらされる情報を「そうなんだ」と簡単に受け入れることができる。相反する二つの感覚も、完全に役に入りきっている役者みたいなものかもしれない。役者自身の感覚と、演じる登場人物の感覚、双方を同時に感じるのだ。演劇やったことないから実際にこういう感覚になるのかは分からないけどね。
まあ、それはそれとして、ボクはとりあえずローリエ村ではなくラクスに向かって歩いている。何故かというと理由は簡単。
ボクの身に何が起きたのか?
元の身体に戻る方法は?
元の世界に戻る方法は?
今のところ手がかりはない。
創造神とやらの手紙とこの体が知っている情報には、それらに関することは何もなかった。なら、手がかりは他をあたるしかない。だったら、人の集まっている方を選ぶのは当然と言える。人が集まれば、情報も集まりやすいだろうから。
ローリエ村は人口五百人くらいの村らしい。
人がいっぱいいる街と五百人の村――ラクスの方はローリエ村より遙かに人数が多いらしい。なら、考えるまでもない。
それに、ラクスの情報が思い浮かんだときに知った情報にこんなものがあった。
ラクスはおいしい海の幸が安く食べられる。
行くしかないだろう。
何かおいしいものを食べるとか、楽しみがないとやってられないよ。と、思ったところで大事なことに気づく。
「あ、お金」
お金がない。元の肉体と一緒に財布も行方不明だ。まあ、この世界のお金は日本円じゃないだろうから財布があっても使えはしないだろうけど。ただ、本屋のポイントカードがもうすぐで満点だったんだよね。
(……返ってくるのかな、財布)
と、そんなことより確認確認!
(この世界のお金持ってないのかな!?)
着の身着のまま無一文は厳しすぎる。
《所持金は世界魔法によってパーソナルカードに表示される》
世界魔法とは、創造神がこの世界を構築する際に世界そのものにかけた魔法で、パーソナルカードというアイテムに触れると、その人の名前や所持金が表示されるらしい。お金のやり取りとかどうするんだろう? と思ったけど、パーソナルカードを持って支払う相手に対し、いくら支払うかをある程度強く意識しただけで、その金額が所持金から減算されるそうだ。その際、カードの上の空間に支払う金額が表示されるので、お互いに視覚的にも確認できるとか。
つまり、この世界には硬貨や紙幣が存在しないのだ。
カード破産者とか多そうな世界だな。気をつけよう。
ちなみに会社や商売をやっている人用には個人のパーソナルカードとは別にカードがあるらしいけど、今のところボクには関係ないので割愛。
そのパーソナルカードだけど、スカートのポケットに入っているみたいなので出してみた。
見た目はクレジットカードくらいの大きさの、金属質っぽい板だ。だけど金属ではなさそう。或いはこの世界特有の金属かもしれないけども。触った感じは硬質。けど、ちょっと強めに力を入れると簡単に曲がるのだ。曲がった瞬間、正直かなり焦りました。が、指を放すと勝手に元の形状に戻るのだ。それもあっという間に。
ほっ、と息を吐く。
暫く見ていてもカードに変化はなかった。頭に浮かんだ情報によるとすぐに表示されるらしいんだけど……。
……困った。頼りの情報が間違っているとしたら信憑性が揺らいでしまう。当面この世界で生活するとして、一般常識に間違いがあると一気に難易度が跳ね上がってしまうよ。
何となくカードを裏返してみる。
「…………」
文字が書いてあった。どうやら今まで見ていたのは裏面だったらしい。我ながらアホすぎる。
しかも書いてある文字が普通に読める。
日本語だ。
そこにはこう書かれていた。
名前 イリーナ・レティス・セラフィム
LSP 735/1500
職業 魔道具使い
ランク マスター
所持金 3571936G
……イリーナ・レティス・セラフィム? 姫宮夏姫じゃなくて?
よくわからないけどこの体は、どうやらイリーナという名前みたいだ。
それにこの所持金なら、贅沢しなければ2年以上は生活していけるらしい。そこはかなりの救いだった。
魔法の力を込められたアイテム――魔道具の効果には、大きく分けて二通りの強さがあり、ひとつは誰が使っても効果の強さに大きな差が出ない物、もうひとつは使用者の技量によって効果の強さが大きく変化する物だ。
イリーナの職業は魔道具使い。ランクは最高峰であるマスター。
これは効果が変化するタイプの魔道具の性能を最大限発揮できるということを意味する。まあ、だからといって、それがどれだけ凄いのかはよくわからないけども。
浮かんでくる情報にも比較できる情報がなくて、イマイチよくわからないのだ。ただ、かなり少数派な職業で、マスターランクはもっと少ないという情報しかない。
ただ、浮かんでくる情報には魔道具の使い方だけではなく、作り方なんかもあるみたいなので、余裕ができたらやってみるのもいいかもしれない。
問題はLSPだ。
これに関する情報が浮かんだとき、正直、創造神頭おかしいんじゃないの!? と思ってしまった。
LSP。
この世界でヒトと分類される生物――人間、魔族やエルフやドワーフといった亜人間などには必ず設定されているステータスで、上限は個人差があり一生増減することはない。
蓄積速度のについては解明されておらず、1時間で10増えることもあれば、10年で1すら増えないこともあるみたいだ。
この数値はラッキースケベに遭遇したり提供側になると減るらしく、過激な状況であればあるほど大きく減算されるみたいだ。
一般的には上限の平均値は100前後と言われていて、大半のヒトの一生での累計LSPは70もいけば多い方らしい……って!
「ボク既に735もあるよ!」
しかも上限1500!?
きっとかわいい女の子とぶつかっただけでエロい体勢になるに違いない。巻き込まれ体質の漫画の主人公のように。
かわいい女の子を見かけたらうっかりぶつかってみよう。
新たな行動予定を頭のメモ帳に書き込みつつ歩みを緩めることなく、ボクは改めて状況の確認作業に戻ることにする。
創造神の手紙に書いてあったこと。
道具袋の中にボクが望んだ報酬が入っているとかなんとか。
心当たりは……うん。やっぱりない。
道具袋といったら、思い当たるのは腰に下がっている革袋くらいだ。巾着状で大きさは高さ15センチ、横幅10センチくらいの小さな物だ。かなり軽いので、中身も当然重量があまりない物が入っているのだろう。
袋を掴んで軽く押してみる。
何かが入っているような感触はない。
口を開いて中を見てみると、そこは闇だった。
「何……これ?」
闇だ。
比喩でも何でもない。袋の中は真っ暗闇なのだ。
今は昼で太陽が出ている。その光を完全に遮断しているとしか言い様がない程、袋の中が暗いのだ。ありえない。が、この体の知識からそれが危険な物ではなく、空間拡張魔法のひとつで真っ暗に見えているだけだと知ることで安堵する。
触れることで中身が頭の中に浮かんできて、意識すれば欲しい物が取り出せるとのことだ。
意を決して、試しに中の闇に触れてみた。
瞬間、頭の中に映像が浮かんでくる。
白、黒、赤、青、黄、桃色、水色、紫、縞々、うさぎやくまのプリント、かぼちゃみたいなやつから紐っぽいやつ、フリルやレースなど、無数にある。
無限のパンツだ。
脳内に浮かぶ、どこまでもどこまでも終わりなく続く無限の布地。
パンツの大地にパンツの山にパンツの海にパンツの雲。
鳥のようにパンツが空を飛び、獣のようにパンツがパンツの大地を駆け、魚のようにパンツがパンツの海を泳いでいる!
よく見ると中にはブラジャーも混ざっていた。
この光景をボクが望んだだって? いやいや、ないでしょ!
試しに目に付いた赤いフリルレースのパンツを“取り出す”と意識してみる。と、指先に布の感触が現われた。
摘まんだまま手を袋から出すとあら不思議、そこには思った通りのパンツが摘ままれていた。
で、このパンツをもらってボクにどうしろと?
穿くの?
水面に映った今の姿を思い出して、この下着を身に着けた姿を想像してみる。
うん、エロかわいいんじゃないかな、客観的に見れば。但し、主観で見れば何かが違う。何だろうと考えてみる。
すぐにわかった。そうだ、エロだ。エロさに対する執着だ。
いくらエロかわいかろうが、それが自分だと認識している時点で性欲の対象になりにくいのだ。
パンツを袋の中に戻す。
さて、問題は使命とやらだ。うん。
パンツ袋のことはこの際置いておくことにする。中身が謎世界すぎる。ついていけそうにない。
創造神によれば、ボクにはこの世界での使命があるらしい。
情報収集によって状況を打開できないかを模索するとしても、使命とやらも無視出来ない。
その使命とやらのためにこんな状況になっているとしたら、それを果たさないことには元に戻れないかもしれない。とは言っても、その使命が何なのか分からない以上、果たすも何もないんだけど。
あれこれと考えてはみたものの、結局のところ出た結論。
早く街に行って美味しいもの食べてとにかく寝よう。
問題を先送りにするとも言う。
「ん?」
思考が振り出しに戻ったところで、前方の街道のど真ん中に白い大岩があるのが見えた。
近くまで行ってみると本当に綺麗な白い岩だ。純白だ。大きな岩で二メートル前後、小さなものでは三十センチくらいだろうか。そんな大小様々な岩がいくつかあった。
ふと、思いつく。
ここはゲームの世界だ。
エロゲーという以外はジャンルが分かっていない。
ゲームの中には素材を集めてアイテムを作ったり出来るものもある。この世界でも可能かもしれない。魔道具の作り方とかも頭に浮かんだくらいだし、可能性は高い。
今、目の前にある石は珍しい石かもしれない。これだけ綺麗なんだし、何かに使えるかもしれないじゃないか。
腰に下がるパンツ袋を見る。
あれ程の量の下着が入っているにも関わらず、重量は革袋ひとつ分と言ってもいいくらい軽い。
もし、袋の中身の重量は関係ないなら、この岩だって持って行けるんじゃないかな。いや、無理か。袋の口が小さすぎて、一番小さな岩も入らない。
一瞬いい案が浮かんだと思ったけど、即座に問題点に気づき却下。名残惜しく、何となく袋の口を弄った。すると、
「お? おぉ~……」
袋の口が伸びたのだ! しかも引っ張れば引っ張るほど! 両手いっぱいに広げても問題ない。これならこの岩も入る!
意気揚々と改めて岩を見る。
「?」
そこには白い壁があった。
おかしい。ついさっきまでこんな壁はなかった。岩がゴロゴロあっただけだ。
「ん?」
妙な感覚に何となく、上を見る。
そして、ボクはそいつと“目”があった。