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二つ目の物語

 誰もが恐れ敬う万夜の森に貧しい少女が住んでいた。



 彼女の名前はイラ。



 薪を拾い、薬草を摘み、彼女は細々と暮らしていた。


 物心ついた頃から、イラは森で暮らしていた。

 イラの記憶にはないが、彼女の一家が森で暮らし始めた切欠は、

 母親が伝染性の肺病にかかり、村を追われたためだった。


   一家は自分たちを追い出した村を憎んでいた。


 母が死に、それを追うかのように父も死んだ。

 けれど、外の暮らしを知らないイラは村には帰らず森で暮らし続けた。


   心に復讐という火種を抱え込んだまま。



 

 イラの家の側には井戸があった。


 小さな湧泉に石を積んで井戸の形に整えたのはイラの父親だった。

 両親が残してくれた数少ない財産である、

   呪術者としての知識と毒にあふれた薬草園と、

 小さな住居とこの井戸をイラはことのほか大切に思っていた。

 

 ある年、日照りが続いて村中の井戸が干上がり、

 村人は水を求めて恐る恐る万夜の森に足を踏み入れた。


   ついにイラの呪は効果を発揮したのだ。


 イラはそんな村人達に自分の井戸から汲み上げる水を快く提供した。

   自分の呪で村人達が困るのを見るのは楽しかった。

 けれど雨は一向に降らず、井戸の水位は目に見えて減っていった。


   だからイラは、呪の最後の仕上げにかかった。




 ある日、水を汲みにきた村人にイラはこう言った。


 「森に入ってはいけない。水が必要ならば、私が運ぼう」


 村人達は、イラが水を占有するつもりだと恐れた。

 井戸の水位が減っている事は誰の目にも明らかで、

 だからこそ、イラは水を村人達に分け与えるのが惜しくなったのだと、

 誰かが推測で言った言葉が、水不足で苛ついていた人々の真実になってしまった。


   それはけして邪推ではない。

   イラはずっとこの時を待っていたのだから。


 

 イラは毎日水を運んだ。


 村と森の境目まで、何度も何度も水を運んだ。

 村人達が生きていくのに最低限の水。

   もちろん、それには毒が入っていた。

   すぐには死なない、けれどじわじわと死へと近づく毒が。

 けれど、それを一人で運ぶのはとても重労働で、

 イラは水を運ぶのにかかりきりだった。


   それでもイラは嬉々として水を運び続けた。

   水を運ぶのも、そう長い間ではないと知っていたから。


 しかし、イラは決して村人を森へ入れようとはしなかった。

 時には強引に森へ入ろうとする者もいたが、イラはそれを許さず、

 苛烈にも石を投げて村人を追い返すほどだった。



   井戸の水はイラのもの。

   父親が残してくれた数少ない遺産。

   誰が村人達に無償でくれてなどやるものか。

   どれほど自分たちを万夜の森へと追いやった村人達を憎んでいた事か。

   志半ばで倒れた両親に代わって、イラの手によって復讐は完結する。

  

   イラの呪に気づいた青年がいた。

   彼はイラの禁止を破って井戸へ水を汲みに来ていた。

   夜、獣達の遠吠えが響く暗い森を、彼は恐る恐る歩いていた。

   少し遠くから窺うイラの小屋は明かりも消え、シンと静まり返っていた。

   けれど彼は小屋の外で楽しげに歌いながら水を汲むイラを見つけた。

   楽しげに歌いながら汲んだ水に毒を入れるイラの姿を。

  

   青年の胸に去来したのは驚愕と得心。

   村人達の間でもイラに対する疑念はあった。

   だからこそ彼は、こうして禁を破って水を汲みに来ていたのだ。

   彼は咄嗟に手近にあった大きな石を拾い上げ、足音を消してイラの背後へと近づく。

   気配に気がつきイラが振り返った瞬間、

   青年は渾身の力を込めてイラの頭上めがけて石を振り下ろした。


 

 村と森との境に水の入った桶がなかった。


 毎日欠かさず続いてきたイラの水汲みが途絶えたその日、

 村には念願の雨が降った。


   イラが死んだことによって、呪は解けたのだ。


 不思議な事に、それ以来イラを見たものは誰もいない。

 森の中の小さな東屋は無人で、井戸の水は干上がっていた。

   井戸の側には夥しい血の跡と、狼の足跡だけが残っていた。

 イラの姿はどこにもなく、村人達は首を傾げた。

 

 その井戸はずいぶんと長い間、枯れたままだった。


 ある年、雨が降らずまた村の井戸が枯れ始めると、

 森の中の小さな井戸には水が溢れ出した。

 そして、雨が降ると井戸は干上がってしまう。


 そんなことが何度も続いた。


   イラの呪は完全には解けていなかったのだ。

   ただ、イラの死によって断ち切られてしまっただけで、

   時々、思い出したように呪は浮かび上がって村人達を苦しめた。




 いつしか井戸は「イラの井戸」と呼ばれるようになった。

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