ミックスハート
山内 詠さまの『おうちでごはん』企画用に書きました。間に合うかわからなかったので参加表明もせず恐縮です! 何も凝ったところのない「ごはん」ですが、どうぞ召し上がれ。
外回りから帰社してみると、後輩の高遠が得意満面で待ち構えていた。
「主任、俺やりましたよ!」
「えっ、ホント?」
サッと営業部のホワイトボードに目をやると、高遠の名前の横に赤い造花がついている。
「わぁ、すごいじゃない! おめでとう」
私が小さく拍手すると、高遠はガッツポーズできれいな歯を見せた。
「これは奢んなきゃね! お店どこがいいか考えといて」
我が水沢係の係員が月間支社記録達成ということになれば、私も鼻が高い。自席にバッグを置き、上着を脱いでデスクチェアにかけながら言うと、高遠も自分のチェアに座って足で床を蹴り、私のデスクの横までゴーッと滑ってきた。
「俺、『喫茶ベル』のカレーがいいです!」
「え、『ベル』の? うわ、懐かしいね」
私は、昭和の香り漂うその店に思いを馳せた。
私たちの働く保険会社の事務所は、一年ほど前に現在の場所に移転してきた。一方、『喫茶ベル』は移転前の事務所の近くにあった喫茶店だ。ガラスドアに黄土色の店名、カウベルの音、赤いレトロなソファ。『カフェ』じゃなくて、『喫茶店』だ。
うちの社員御用達の店で、よくランチを食べに行っていたんだけど、ここから食べに行こうと思うと一時間近くかかるので、最近は足が遠のいていた。
確かに『ベル』のカレーは美味しい。鶏の手羽元がゴロンと入ってるんだけど、スプーンで崩せるほどホロホロになった肉……ほのかなクミンの香り……。うう、たまらん。お腹空いてきちゃった。
「そういや、最近あのカレー作ってなかったなぁ……」
ぽろっとつぶやくと、
「え、何ですかそれ、作る!?」
高遠が食いついてくる。
「いやいや。で、ホントにそこでいいの?」
「はい。その代わり」
高遠はちょっと周りを見てから、こちらを伺うように見た。
「主任と二人で行きたい」
……どうも、こいつには懐かれちゃってるんだよなぁ。まあいっか、カレー食べるくらい。
「わかった。金曜の夜ね」
「やった!」
高遠はまたガッツポーズを作りながら、椅子をガーッとバックさせた。あのままモップ持たせて掃除させるか。ロボット掃除機、高遠ルンバだわ。
ところが当の金曜日、出社してみると、高遠がしょんぼりと待っていた。
「水沢主任……『ベル』、さっき調べてみたら長期休業中だそうです」
「え、そうなの? 何で?」
「店の老朽化による改築工事だって……」
あー、あそこいかにも昭和のお店だもんね。改築しなきゃいけないほど古かったとは。
「ううう、『ベル』のカレー……俺、もうすっかりあのカレー食う胃になってたのに」
高遠は心底悔しそうだ。カレーひとつでここまでしょんぼりできるところが、上司たちに可愛がられるゆえんだろう。
「せっかく、支社トップ取ったら主任誘って行こうって……」
ぶつくさ言っていた高遠が、ふと顔を上げた。
「……あの。主任」
「ん?」
「『ベル』のカレー、作れるんですか?」
うっ。覚えてたか。
「そんな、全く同じ味は出せないよ? いや、なかなか食べられなくなると思って、こっちに移る前に誰にも教えない約束で、マスターからレシピ聞き出しちゃったんだよね」
「食いたいなー……」
「……わっかったわよ、記録のお祝いだもんね。週明けに作って持って来てあげる」
そう言ったのに、高遠はまたもや伺うような目でこっちを見た。クゥーン、とか鳴きそうだ。
「主任の家に食べに行ったらダメですか?」
「調子に乗んな」
バッサリ言う私に、奴は珍しく食い下がる。
「長居しませんから! だって、持って帰って一人で食っても美味さ半減じゃないですか!」
「会社でチンして食べればいいじゃないの」
「会社で食べても美味くないです!」
「そりゃそうか」
ぽろっと言ったとたん、高遠の目が輝いた。
「……って、え、違うわよ。納得したんじゃないからね」
「皿洗いますから!」
「当たり前じゃ。って違うから、来ていいなんて言ってないから! ああもう!」
――日曜日。
天気がいいのをいいことに、私は窓を開け放して高遠を我が城に入れた。
「お邪魔します! これつまらないものですが!」
玄関でビシッ、と何やらお土産の袋を差し出す高遠は、シンプルな白シャツに黒のジーンズ。下手におしゃれな格好をするより、よく似合っていると思う。
そういう私も、テロテロ素材のサロペットを着た普段の格好だ。自分の家だし。……さすがに眉は描いたけど。
「はいどうも。入って」
袋を受け取っていったん靴箱の上に置き、高遠とすれ違うようにして玄関に出ると、ドアストッパーを足で蹴り降ろして少し開けたまま固定した。
振り向くと、高遠はまだそこに突っ立ってこちらを見ている。私の一挙手一投足をガン見するの、やめてよね。
「へへ、私服の主任って」
「早く奥行ってよ」
ビシッと遮ると、はいっ、と向きを変える高遠。
「あ、これカレーですよね!」
キッチンの前を通った高遠が、ガスコンロの上の鍋を見て目を輝かせた。
やや年数の行った1Kなので、オール電化なんてシャレたもんじゃないけど、一応ガスコンロは二口。その片方には片手鍋、もう片方には両手鍋が載っていて、昨晩仕込んだカレーが出番を待っていた。
「そこで手、洗って。タオルそっちね」
「はいっ」
流しで手を洗う高遠の隣で、鍋を温め直すべく火をつける。ちょっと身体を屈めて火加減を見ながら調節し、顔を上げると、すぐ隣で高遠が頬を上気させて私を見ていた。
「主任と二人でキッチ」
「狭い。あっち座って」
はいっ、と私の後ろを通って素直にキッチンを出ていく高遠と、身体が軽く触れ合った。
ちゃぶ台で正座して待っている高遠の前に、「足、崩して」と声をかけながらカレー皿を置くと、「おお!」と声が上がった。大げさだなぁ、まだ『ベル』のカレーと見た目が似てるってことしかわからないじゃないの。
後はサラダの器と、水と……ぬぬう、一人だと運ぶ食器も少ないから、トレイ買ってなかったけど、二人だと必要だな。
そんなことを思っていると、高遠がさっと立ち上がって手伝ってくれた。
……トレイ、いらないかも。
「いただきます!」
申し合わせたように両手をパシッと合わせる音が重なり、食事は始まった。
「うわ、本当だ、『ベル』のカレーだ! すげ、感動」
高遠はふうふう言いながらも、あっと言う間に皿を空にしていく。以外と几帳面な奴のようで、ルーをご飯で拭うように食べるので、お皿はピカピカだ。
「主任、カレー全部混ぜて食べるんですね」
奴も私の皿を観察していたらしい。だからやめなさいって。
「へへ、なんか可愛」
「お代わりは自分でどうぞ」
はいっいただきます、といそいそと立ち上がる高遠。
どのくらい食べるかわからなかったので、米は三合炊いてあるし(一人暮らしなので冷凍ご飯もストックしてあるし)、カレーもたっぷり作ってあった。
「あれ? 主任、こっちもカレーですか」
振り向くと、高遠は両手鍋の隣の片手鍋を覗いていた。お玉を入れたまま蓋をずらしてあったので、中が見えたのだろう。
「うん。そっちはちょっと味が違うの。高遠は『ベル』のが食べたいって言ってたから、途中で分けて作った」
「え、主任の家のカレーって事ですか!? 食いたい!」
「いいけど?」
私が今食べているのがそっちのカレーで、すでに温まっている。高遠は二杯目にも関わらず普通に一人前よそうと、ちゃぶ台に戻ってきて早速「いただきまっす」と食べ始めた。
「こっちも美味い! ホントだ、少し違う……なんか、味が締まってるっていうか」
「そっちは、『ベル』のレシピに酢をプラスしたやつ」
「酢!?」
「あんま聞かないよね。でも私は好きなんだよね、酢入りカレー。水沢家の味なんだ。多めに入れても大丈夫だよ」
「へええ、こっちも美味いです!」
母の味を褒められると嬉しい。私は微笑んで、自分のカレーをゆっくり口に運んだ。
「高遠んちのカレーは、なんか入れないの?」
「自分で作るときは何も……あ、そういやオカンがソース入れてたことあるな。今度やってみます」
言いながら、彼は今度は付け合わせのサラダの器を引き寄せた。サニーレタスの上にカボチャサラダを盛りつけてある。もうすぐハロウィンだしね。
「レーズン苦手とか、ない? 入れてないのも分けてあるけど」
「好きです!」
良かった。まあ、あまり好き嫌いなさそうなタイプよね。
「カレーにレーズンっていいですよねー」
嬉しそうに口に運んだ高遠は、「ん!?」と視線を天井に向けた。
「……ラムレーズンだ! いいですねこれ!」
「一人暮らしだし、あんまり凝った料理ってしないけど、ちょっとリッチな気分になれるでしょ」
私も自分の分を食べる。一緒に食事する人と食べ物の好みが合うって、楽しい。
さあ、コーヒーを淹れよう。
高遠が食後のデザートにと買ってきたのは、フローズンヨーグルトだった。「カレーにヨーグルトって、よく入れるじゃないですか。だから合うと思って」とのことで、なかなか気の利いたチョイス。カレーの辛さに汗ばんだ後の、爽やかな冷たさが心地良い。
「嬉しいです。主任の家でゆっくり飯食えるなんて。ダメ元で言ってみて良かった」
満足そうな高遠。私は、ちゃぶ台の上の彼の手のあたりに視線を下げた。
「……まあ、ちょうど話もあったから」
「何ですか?」
高遠が、すっ、と正座する。すごく自然な姿勢なので、もしかしたら「道」のつく何か――柔道とか剣道とか――をやってたのかもしれない。
「あのさ。私、転勤になるんだ」
「え」
短い沈黙。
……ああ、せっかくの空気が変わっちゃったな。残念に思いながら、言葉を続けた。
「うち、実家に母一人で、年も年だしさ。実家に行きやすい場所に住みたくて、転勤願、出したの」
「……そうですか」
視線を上げてみると、今度は高遠が視線を下げていた。
「高遠は、私が主任になって最初の係員で、色々助けてもらったね。ありがとう。……今月高遠がいい成績取って、心おきなく行けるなってホッとしたよ。これからも頑張ってね」
「何だか……正直それ、嬉しくないです」
しょんぼりとうなだれる高遠を見て、私はついつい同情してしまった。ちゃぶ台越しに手を伸ばして、軽く肩をたたく。
「まあまあ、一応日帰りできる距離だから、またいい成績取ったらカレー食べに来なよ」
すると高遠は、ぐっと身を乗り出した。
「今度は泊めて下さい」
「調子に乗んな」
即答っスかぁ、とのけぞる彼の口調が、食事の時の空気を戻してくれる。私も、意地悪く付け加えた。
「そういうこと言ってると、日本最古のカレーレシピでカレー作って食べさせるよ」
「え、何ですかそれ美味そう、作ってくださいよ!」
ぱっ、と顔を上げる高遠に一言。
「いいの? カエル入りなんだって」
「ぎょーえー」
目を剥く高遠の顔がおかしくて、私は声を上げて笑った。
「よし、それじゃあ皿洗って帰りますね!」
コーヒーを飲み終わると、奴はパッと立ち上がった。
おやおや、次は泊めてくれとか言った割に潔いこと、と思っていると、表情を読んだのか高遠はヘヘッと笑った。
「お邪魔してみて、今は主任に彼氏いなさそうだなってわかったから、今日はそれでいいです」
「なっ……!」
――悪かったわね、色気のない部屋で!
三ヶ月後。
実家近くのショッピングモールで、母と夕飯の買い物をしている最中、携帯がメールを受信した。チェックしてみる。
『月間記録更新しました。カエル食いに行きます!』
私は吹き出した。――頑張るなぁ!
母が「何?」と尋ねてくるのに、私は笑って首を振る。
そうだ、泊まりで来るなら一緒にカレー作るのもいいかも。
酢とソース、両方混ぜたら美味しくなるかな?
【ミックスハート 完】
『西洋料理指南』という本に、「日本のカレー」の最古のレシピと言われるものの一つがあるそうで、蛙を入れるんだそうです。当時の横浜にきていた貿易商や役人が使っていた、中国人シェフのレシピだったのではないかと推測されるとのことでした(『食に歴史あり 和食・洋食事始め』産経新聞文化部編著)。
カレーに入れるもの、各家庭で違いますよね。違う味で育ってきた2人が一つの料理を作ったら、またそこに新しい味が生まれる、そういうのっていいなと思いながら書きました。おそまつさまでした♪