娘は陛下の寝所を守る
リンク集『乙女の裏路地』様の<私の異世界掌編フェスティバル>参加作品です。ほんのりブラック。→長編化しました。『娘は陛下の眠りを守る』
朝靄の残る木立に囲まれて、その純白の建物は今日も静かに、門の奥にたたずんでいます。
姿は見えないけれど、鳴き交わす小鳥の声を楽しみながら、私は建物に続く大理石の敷かれた道を歩いていきました。
細やかで豪華な彫刻の入った石の扉の前で、深々と一礼。それから、建物の脇に回ります。裏手に、掃除道具を入れてある小屋があるのです。
箒で、建物の周りをざっと掃き清めて行きます。敷地は、そうですね、小学校の小さめの校庭くらいなので、私一人でもなんとかなります。
終わるころには朝靄が晴れ、箒をしまった私が石の扉を全身全力で押し開くと、中にさぁっと朝の光が差し込んで祭壇を照らします。
祭壇の向こうには、背もたれの高い豪華な大理石の椅子。これはもちろん実際には誰も座らないんですけど、ここに眠る方の生前を偲んで、祭壇付近は真っ白な執務室のようにあつらえられています。
もう一度礼をしてから、祭壇の両脇にある観音開きの窓を開けて。
「おい」
それから、裏の聖なる井戸で汲んだ清らかな湧水で、祭壇を綺麗に拭いて。
「おい」
持ってきたお花を供えたら、中の準備は終了。
「おい! トーコ!」
いきなり目の前に、すっ、と男性が姿を現しました。
服装は着物に似ているけど、立襟で裾の長い――そう、モンゴルの人が着るみたいな服の上に、厚地のガウンを羽織っています。色は全て真っ白。
「おはようございます、先帝陛下。何でしょうか、今忙しいんです」
私は建物を出ると、再び大理石の道をたどって敷地の入口近くまで戻りました。門の手前にある平屋の建物、ここが私の仕事場なのです。
「この私を無視するとは、いい度胸だな」
男性は私の後をついてきます。年の頃は三十歳くらい。きりっとした目元、引き結んだ口元。ちょっと怖そうだけど、イケメンの部類だと思います。
私はいったん足を止め、振り向いて言いました。
「御用があればお伺いしますけれど、御用、ないでしょう? 亡くなってるんだから」
男性は、半分透けた身体でムッとなさいました。
「もうすぐ最初の参拝者の方がおいでになる時間ですから、それまでに準備を終えないと。先帝陛下、こんなところをふらふらなさっていてよろしいんですか?」
私は言いながら、平屋の建物に入りました。正面はテラスのようになっていて、奥に休憩所と事務所、倉庫があります。
「ふん、私には関係なかろうが。死んでいるのだからな」
不真面目ですねぇ。
私は倉庫から露台を出してきてテラスの屋根の下に置き、もう一度倉庫に戻って、今度は香木の入った箱を運びだしました。お供え用の香木は、かなり高価です。きちんと管理しないと。
そう。このお方は、ここゼフェナーン帝国の先代の皇帝陛下、まさにそのご本人なのです。死んでるけど。
あっ違った、えーと、「お隠れになってる」? でも全然隠れてないしなぁ。
私は白石籐子といいまして、正真正銘、生粋の、ごく一般的な日本人です。
企業の一般職として働いていた私は、仕事帰りの夜道で突然知らない道に迷い込み、気がついたらゼフェナーン帝国の宮殿前広場にぽつんと立っていました。
すぐにここの文官の方に見つかり、誰何された……ようなんですけど、言葉がちっともわからず。
戸惑う私は呆然とするばかり。その時は、まさか異世界だなんて思ってませんでしたからね。
日本語での自己紹介は、ジェスチャーをまじえてようやく名前が通じる程度。
この世界には不思議な術(魔法?)があって、私はその術によって嘘をついていないかどうか調べられました。
それでひとまず、怪しい者ではないとわかってもらえたのは幸運でした。身なりもちゃんとしていたし(会社帰りなのでスーツを着ていました)、行儀よくしていたので、どうやら良家の子女が記憶喪失になってさまよっていた、くらいな風に思われたようです。
文官さんは、上流階級の娘(実際は中の下程度ですけれど)を放っておくわけにもいかず、でも保護だけして何もさせずに置いておくのも、逆に可哀想だと思って下さったようです。腕まくりをして「働きたい」という意志を示す私に、仕事をくれました。
言葉が通じなくても大丈夫な仕事で。
ある程度の教育をおさめた人に向いている仕事で。
後で身元が判明したときに、私の保護者から文句を言われない程度に、キツくなくて名誉のある仕事。
それが、先代皇帝の霊廟を管理するお仕事でした。
参拝にいらっしゃる方に、黙って礼をして、御香料と引き替えにお供え用の香木をお渡しし。
廟の掃除をしながら、眠っている先代皇帝に心の中で「どうか安らかに」と話しかける。
言葉が通じなくても全然問題なし。相手は死んでるし、こういうのは言葉じゃなく気持ちですからね。
そんな静かな日々を送るはずだったのに。
「どうして陛下とは言葉が通じちゃうのかしら」
ぶつぶつとつぶやく私の横に浮かび、先帝陛下は話しかけてくるのです。
「死者は、意思の伝達方法が生者とは違うのだろうな。お前がここにこなければ、私も知らぬままだった。面白い。生きていれば学者に研究させたものを」
「でもそれ、死ななきゃわからなかったことでしょ。……そもそも、陛下はどうしてその若さでお亡くなりに?」
御香料を入れる箱を用意しながらお聞きすると、先帝陛下はご自分のことなのに興味なさそうにおっしゃいました。
「思い出せぬ。先々代の皇帝、つまり俺の父は、暗殺者に毒殺された瞬間をはっきり覚えていると言うのだがな。俺はその時の記憶がないな」
私はうなずきながら言いました。
「ふーん。どーしてですかねー、ふしぎですねー」
「興味がないのに言うな」
バレました。
「お前こそ、なぜ他の世界から紛れ混みなどしたのだ」
先帝陛下に尋ねられ、私は椅子に腰かけながら答えます。
「それこそわかりませんよ。気がついたらいたんですから。それに、日本にいたころは死んだ人の声なんて聞こえなかったし……何でこんなことに」
今日最初の参拝者、かくしゃくとしたおじいさんが門を入って来るのが見えたので、私は口をつぐみました。独り言を言ってると思われたらイヤですからね。
そう、先帝陛下は、私以外の人には見えないようなのです。
「トーコは面白いな」
黙って参拝者のおじいさんと礼をし合う私の横で、先帝陛下は低く笑っています。うるさい。
「私が生きていれば、妾の一人にでもしてやったものを」
あっそう。あなたが死んでてよかったよ。
はっ、失礼しました。
私は何食わぬ顔で、おじいさんに香木を差し出します。お供え用です。
おじいさんが霊廟の方へ歩いていく後ろ姿を見送り、私は手元の帳面に目を落としました。記録しておかないと。
ふうっ、とうなじのあたりを風が走り抜け、私の胸までの長さの髪を巻き上げました。
「きゃ……。もう、やめて下さい!」
うなじを抑えて肩をすくめ、斜め上をにらむと、浮かんだまま組んだ足に手を置く先帝陛下。
「ちょっと髪をもてあそんだだけだ。色気のないことだな、女どもは私にこうされると、頬を赤らめたものだぞ」
「過去の栄光を語らないで下さい!」
やれやれ。
でも、こうして先帝陛下と自由に話せるというのは、気が楽になって助かります。まだまだ言葉が不自由な私ですから。
日本で幸せだったかというとそうでもなかったし、このまま穏やかにここで過ごしていけるなら、それもいいかも。
「む? そうか」
先帝陛下が、顎に手をやりました。
「今お前が死ねば、『こちら側』で私の妾にできるかもしれんな。おいトーコ、お前ちょっと死んでこい」
前言撤回。早く日本に帰りたいです。
【娘は陛下の寝所を守る おしまい】