闇夜にきらめけ 【2012.01.28.】
「遊森 謡子」は2012年1月28日で1歳になりました。某所で「今年の干支『辰』を入れた短編を書く」とつぶやいたのを実行に移すついでに、自分で自分をお祝いする記念短編です♪
カーテンの外はすっかり明るくなっているが、その部屋のベッドの掛け布団は盛り上がったままだ。ローチェストの上で電話が鳴ってようやく、ベッドの中からもぞもぞと手が伸びて受話器を探る。
「ん……もしもし」
『希美香?』
「あ、晶花……おはよ。久しぶり」
『おはよって、寝てた? もうお昼の十二時回ったよ。てっきり仕事の昼休みだと思ったから、さっき携帯の方に電話したんだけど』
「ごめん、携帯ね、昨日……一昨日か、そのう……うっかり水没させちゃって」
『あらら。で、何で今日家にいるの? 具合悪いの?』
「あ、違う違う。あの、実は私、会社……辞めたの」
『えええ!?』
「あっ、あっ、言わなくてごめんね。晶花も転勤したばっかで忙しそうだったから、そのうちと思っててつい」
『そんなのいいけど……じゃあ今はプー?』
「えと、違う仕事してる。これからご飯食べて家のことやってから、出勤」
『…………変な時間ね。何の仕事?』
「あの、なんて言うか……家政婦さん、兼、ベビーシッター、みたいな?」
『個人のお宅?』
「じゃ、ないんだけど……夜まで、子どもの面倒を見る、っていうか」
『学童みたいな? 学校が終わってから親が帰宅するまで子どもと過ごす?』
「そっ、そうそう、だいたいそう、かな」
『ふうん。そういう仕事なら向いてそうね、希美香なら。料理うまいし、ピアノうまいし。男の子にはいじめられそうだけど』
「うっ」
『なによ、図星? おっと、私もさっさとお昼食べなきゃ。ああ、それでね、来月そっちに何日か行く用事があるから泊めてよ』
「わ、ホント! うん、もし私が仕事でいなくても、うちを自由に使ってくれていいから」
『忙しそうねー、夕飯作って待っててあげる』
「あ、あの……仕事ある日は、帰りすごく遅いから……」
『何時くらい?』
「え。うん……日付は変わっちゃう、かな」
『えええ? 子どもの世話で?』
「いや、あの、他にもやることあって。職場の、掃除とか」
『まあいいわ、また電話するから詳しく聞かせてよ。じゃね』
「うん、また」
相手が電話を切るのを待ってから、受話器を静かに戻す。
希美香は起き上がってベッドの上に座り込むと、一つ大きなため息をついた。
「嘘はついてない、よね……」
◇ ◇ ◇
片側三車線ある大通りに面した五階建てビルのエントランスを、希美香は急ぎ足で入った。右手に管理人室があるが、閉まったガラス戸の向こうに『ご用の方は管理会社×××-×××-××××まで』と書かれた白いプレートが斜めにぶら下がっているだけで、ここに人がいるところを希美香は見たことがない。
三階で止まっているエレベーターを呼ぶ間も惜しみ、すぐ横の防火扉を開けて階段を駆け上る。三階の踊り場からフロアに入ると、『㈱インペリアル・ラース』という会社名の入った受付カウンターの向こうで、栗色のロングヘアを巻き髪にした女の子が顔を上げた。
「あ、来た来た。瀬戸さん、おはようございます」
現在は午後の三時だが、希美香も「おはようございます」と返す。受付嬢は笑顔で言った。
「新城さん、もうお待ちですよ」
「うえ、早っ……」
行きたくはないが、行かないわけにはいかない。希美香は重い足を無理矢理動かして更衣室に向かった。奥のシャワー室で全身をざっと洗ってから、グレーの作業服に着替える。この『会社』の制服だ。
更衣室を出ていったん受付に戻ると、希美香は受付嬢の笑顔に見送られながら廊下を進み、つき当たりにある『STAFF ONLY』というプレートのついた鉄製のドアを開けた。
そこは、洞窟の中だった。岩天井の割れ目から差し込んだ光が、空中に線を描いているが、その光も奥までは届かない。ドアの閉まる音に希美香がいったん振り返ると、そこは行き止まり。岩壁に偽装したドアが、無言で彼女に圧力をかけてくる。暗い場所の嫌いな希美香は弱々しくため息を一つついてから、向き直って足を踏み出した。
苔の這う岩肌は湿っており、奥に進むにつれて天井から水が滴り落ちる音が徐々に増えていく。あちらこちらの岩の上に点々とLEDランタンがおいてあるのだが、その光すら洞窟の暗闇は飲み込んでしまいそうだ。
下り坂をとぼとぼと進み、ぼんやりと光る鍾乳石が林立する広い空間が見えてきたあたりに、作業服姿の一人の男が立っていた。
「遅い」
苛立ちを隠そうともしない男は、長めの前髪の隙間から希美香をねめつけた。
「ご、めんなさい」
男の方が早すぎるのだ……という言葉を飲み込んで、希美香は縮こまる。
「そろそろ目を覚ますぞ。起きてお前がいなかったら大騒ぎだ」
それだけ言うと、男はきびすを返して奥へ進んだ。
(私の代わりの人、まだ見つけてくれてないんだ……)
希美香はしぶしぶ後へと続いた。
いくらも進まないうちに、地面が鍾乳石の光を反射し始めた。いや、そこは地面ではない――地底湖があるのだ。
水際よりもかなり手前で男が立ち止まったとたん、ゴボゴボッと水底から気泡が沸き上がり、やがて水面が山のように盛り上がった。
盛大な水しぶきを上げて地底湖から現れたのは、黒光りする巨大な生物。硬質な黒い鱗は縁が虹色に光り、金色の瞳の瞳孔は垂直に黒々と裂け目を見せている。コウモリのような翼には爪のようなものがいくつも生え、破壊力を感じさせる尾は電柱より太い。何度見ても、希美香の足をたやすく竦ませるその異形。
――それはどう見ても、一頭のドラゴンだった。
「おら」
いつの間にか後ろにいた男に背中を突かれ、希美香がよろりと前に踏み出したとたん、ドラゴンが咆哮を上げた。水面に細かい波紋が広がり、天井から砂がパラパラと落ちてくる。
「わかったよ。こいつには触らねえよ」
男が両手を上げて後ろに下がる。
「し、新城さん」
希美香が振り返ると、男――新城は後ろの鍾乳石に腰かけてシッシッと手をひらめかせた。オスのドラゴンは他の全てのオスの匂いを嫌がるそうで、彼はこれ以上ドラゴンには近寄れない。
希美香はよろよろと水際まで進むと、ひきつった笑みを浮かべた。
「おはよう……サージ。ま、また大きくなったね……」
『彼』の名は『サージェルメアーグ』というそうだが、希美香にはうまく発音できない。これでもまだ「幼体」と呼ばれる成長段階だそうだ。
さっきより少し高い咆哮が洞窟の中に反響し、天井近くにあったサージの頭がぐうっと下がった。
「ひ……」
固まった希美香の身体に、サージが己の顔をすり付ける。その勢いで希美香の身体は軽く浮き、すぐ近くの水たまりに尻から落ちた。派手にしぶきが上がる。
「っきゃ」
「!」
踏み込もうとした新城を、サージが低くうなりを上げて牽制する。
「っだ、大丈夫ですっ」
「……一応聞くが、お前また懲りずに携帯なんか持って来てないだろうな」
「持ってません!」
下着までびっしょりの尻を抑えながら、希美香はよろりと立ち上がる。ずぶぬれになるのはわかっていたので――高い授業料だったが――今日は『会社』の更衣室に着替えも持って来てあった。
「あ、ああああの、今ご飯あげるからね……」
希美香はサージに愛想笑いをしながら、横歩きで水際を移動した。
『会社』の社員が集めてきた水苔が、洞窟の片隅のコンテナにぎっしり詰まっているが、サージは希美香の手からしか餌を食べない。コンテナに立てかけられた梯子によじ登ってシャベルを手にすると、サージはいそいそと寄ってきて首を伸ばした。それだけの動作で風が起こり、希美香の髪を揺らす。ミディアムボブの髪はそろそろ洞窟の湿気を吸って、てんでに自由な方向へ跳ねだしていた。
サージの口がぐわっと開くと、凶器の林――立派な歯がずらりと立ち並ぶ。希美香が必死で苔を口に放り込み、素早くシャベルを引くと、間一髪で口が閉じた。このタイミングをつかむまでに、何本のシャベルが昇天したことか。
わしゃわしゃと咀嚼して、満足そうにもう一咆哮。目の前にいる希美香に、むわっと微妙に芳しい息が吹きかけられる。たまに鼻息と一緒に飛んでくる液体については、考えないことにする。
「あごの下には触るなよ」
後ろから新城が面倒くさそうに言ってくるのをスルーする。ドラゴンはあごの下に逆向きの鱗があって、触ると怒るそうなのだが、その話はもう耳にタコができるほど聞かされた。
何度かシャベルで水苔を食べたサージは、胃袋が満足すると再び波を蹴立てて湖に戻り、すいすいと泳いで食後の運動。水際に波が寄せる。
希美香はその波を避けながら、水際にサージが残した落とし物をトンボを使って水際から入り口の方へと押しやる。トンボなど使うのは、中学校の授業でソフトボールをやって以来だ。
新城がそれをさらにトンボで奥に押しやって、壁沿いに掘られた穴に落としこんだ。ドラゴンの分泌物はそれなりに利用価値があるそうで、穴の下では『社員』が作業をしているらしいが、希美香は自分のことでいっぱいいっぱいのため詳しくは知らない。というか、これ以上知りたくない。
(何が子どもの面倒を見る仕事よっ)
人事担当者にそう言われてこの会社『インペリアル・ラース』に就職した希美香は、内心毒づいた。が、親友の晶花に全く同じ説明をして誤魔化した自分を思い出し、軽く落ち込む。
まさか言えるはずもない。就職した会社は表向きは普通の会社だが、自社ビルは異世界とつながっていて、そこでドラゴンの幼体を飼育して落ちた鱗やら分泌物やらを売りさばき、ある程度大きくなったらドラゴン本人(本竜?)も売って大儲けしている、などと。
餌やりも掃除も何しろすべてがビックサイズなので、体力も時間もどんどん削られ、作業が終わる頃には希美香はへとへとになっていた。これもいつものことだ。
「そ、それじゃあ、またね……」
こちらを見ているサージにおずおずと片手を上げると、サージは波を立てながらもう一度希美香に寄ってきて、再び頬ずりした。水の中にいたはずなのに、不思議と濡れていない鱗の硬質な感触を感じる間もなく、疲れて踏ん張りのきかない希美香の身体は再び宙を飛び、まるでコントのようにさっきと同じ水たまりに落ちた。
しかし今度は、新城の揶揄は入らなかった――薄情な彼はすでに姿を消していた。
◇ ◇ ◇
『会社』に戻ると、廊下の明かりはついているものの受付の明かりは落ちており、受付嬢の姿もなかった。こちらはすでに真夜中なのだ。
すぐにシャワー室に駆け込むと、無香料のボディソープとシャンプーリンスで全身くまなく洗い、アレの匂いやソレの汁を洗い流す(代名詞しか使いたくない)。家で使うシャンプー類も、会社から同じものを支給されていた。希美香の持つ『匂い』を邪魔しないためだ。
私服に着替えて更衣室を出たとたんに、横から伸びて来た腕にぐいっと肩を抱かれた。ぎょっとして顔を上げると、吊り眼気味の新城の顔。
「遅い」
さっきと微妙に違う口調で、同じセリフ。
「さあ、飯食いに行くぞ」
「ちょ……ちゃんと歩くから離して下さいっ」
引きずられるように歩きながら身体をよじるが、新城の手は緩まない。
「たぁけ、やっとお前に触れるのに何で離さにゃならんのだ。次にサージェルメアーグが起きるまで丸二日あるからな、今日くらいは触り放題だ」
顔を寄せて髪の匂いをかいでくる新城を、希美香は押しやろうとする。
「せ、セクハラっ……」
「で、飯どこにする」
「聞いてないしっ。どこって、開いてるお店なんて『S』か『T』しかないでしょ! こんな時間なんですから!」
希美香は思い切って新城の手を強く振り払った。
「新城さん、本当に無理です私この仕事。ちゃんと私の代わり探してくれてるんですか? ドラゴンの好きな香りのする人間なんて、私以外にもいるんでしょ!?」
「探してる探してる」
絶対嘘だ、と希美香は新城の顔を睨みつけた。
面接の時、面接官の隣で一言もしゃべらずにこちらを見ていたこの男は、ドラゴンの好む匂いをかぎわける特殊な人間らしい。そもそもこんな会社で働いていること自体が特殊だが。
「私は堅気の仕事に就きたいんですっ。今日こそはちゃんと話を聞いて下さいよ!」
「ん? じゃあ俺んち行くか?」
「行きません!」
この男に気を許したら、ますますこの仕事から抜け出せなくなる。
ビルを出ると、すでに車どおりさえ少ない時間。この仕事のおかげですっかり生活時間帯が昼夜逆転してしまった。
星もない夜空を見上げると、サージのあの黒い姿がのしかかって来るような気がして、私は身を震わせた。本当に、真剣に、私はああいう生き物が苦手なのだ。
「うう……今日も悪夢を見そう……」
「その前に、俺がいい夢を見せてやろうか?」
「結構です!」
「遠慮するな」
見上げると、新城の獰猛な笑顔。
街灯の明かりにきらめく新城のとがった犬歯を間近に見ながら、こんなもう一頭のドラゴンみたいな男の相手までしてたら身がもたない、と思う希美香だった。
【闇夜にきらめけ 完】
Imperial wrath ……「逆鱗」をgoogle翻訳に入れたら出てきた。
「逆鱗に触れる」……触れてはいけないことに触れて目上の人や権力者を怒らせてしまうこと。竜のあごの下に一枚だけ逆向きのうろこがあり、そこに触れると普段はおとなしい竜が怒って触れたものを殺すと言う言い伝えから。(メトロガイド2012年1月号より)