はよ帰れ、異世界トリッパー
会社の倉庫で、棚の高い所にある備品を脚立を使って取ろうとしたら、踏み外して落っこちた。
尻もちをついた拍子に、赤いフレームの眼鏡が顔から吹っ飛んだ。
……痛くないなと思ったら、床にふかふかの絨毯が敷かれている。倉庫に絨毯なんて高尚なものは敷かれていないはずなので、あれ? とは思ったものの、
「赤い絨毯に赤い眼鏡じゃ、見えないじゃんよ……」
と悪態をついて四つん這いで眼鏡を探す。目を細めながら手探りしてようやく見つけ、かけて、顔を上げた。
――目の前のテーブルを囲む、数人の濃い顔の男たちが、全員私を見下ろしていた。
「なぜこの女がこちらの世界にいる! 帰れ!」
「えっ、なんで来ちゃったんですか!? 帰って下さい!」
「神よ、この女をこちらにお送りになるとは、いったい我々はどのような罪を犯したのでしょうか。女、早く帰りなさい!」
……散々な言われような『この女』は、松本花笑という。
ここどこ、とか、「こちらの世界」ってどういう意味、とか、そういうショックも抜けきらないうちから帰れ帰れの大合唱。
「何をしている、早う帰れ!」
だから、その前にここどこなのよ。
後に教えてもらった知識を自分なりにまとめて、現在の状況を説明してみることにする。
私が今いるこの世界は、フォッティニアと呼ばれていて、日本とか地球があるのとは異なる世界だそうだ。
フォッティニアにはギリシャ神話みたいに、全能神を初めとするたくさんの神様がいるんだけど、神話の時代にその中の一人(神様だから一人じゃなくて一柱?)が何やら罪を犯し、異世界地球に追放された。
彼がたどり着いたのは、神でも悪魔でもどんとこいの日本。八百万の仲間入りをして、彼は安住の地を得た。
でも、やっぱり故郷が恋しくてたまらない。そこで、フォッティニアの全能神に頼んだ。
元の世界に帰してほしい、それがダメならたまにでいいから里帰りすることを許してほしい、と。
そしてそれを願う際に、袖の下として、地球に満ちる魔法の元になるエネルギーをこちらの世界に横流しし始めた。地球に魔法が存在せず、こちらに存在するのは、そういうわけだそうだ。
こうしてフォッティニアには魔法の力が豊かにあふれるようになり、追放された彼は時々フォッティニアを訪れるのを許されるようになったということだ。めでたし、めでたし。
――で、そこにどう私が絡んでくるのかというと。
地球からこちらに魔法のエネルギーを送るときに、管みたいになってる空間を通して送るんだけど、その地球側の「取水口」の役割を果たすのが、神の血を引く人間で。
現在の「取水口」になっているのが、私だったんだそうだ。全然知らなかったけど、私の身体を通してエネルギーがフォッティニアに届いていたわけね。
しかし、その「取水口」がなぜか地球を離れ、こちらに来ちゃっている。
ということは、地球からのエネルギーがストップしちゃったことになる。
それで、冒頭の「はよ帰れ」コールにつながるわけ。
異世界に迷い込むファンタジーって、読んだことあるけど、即お引き取り願われるヒロインなんてアリ?
説明された私が「帰り方、知らないんですけど」と言い――会話は何故か可能で、それはおそらく私が神とやらの子孫だかららしい――、それがどうやら本当らしいとなって、こちらの人々は大いに慌てている。特に王族、そして魔法を生業にしている人たち。
このまま私が地球に帰らなければ、数年後か数十年後には魔力が枯渇して、こちらでも魔法が使えなくなってしまうんだそうだ。
彼らは必死で研究を重ね、どうにかして私を地球に帰そうとしている。
帰るなら帰るで早めに帰してほしいもんだわ。あんまり年食ってから帰されても、再就職できなくなるし婚期逃すし。
長いことこっちにいるにしても、最終的に方法が見つかったら日本に帰るんだと思うと、文字覚えたり仕事したりして生活の基盤作ったって無駄だし。ここが単に地球上の外国なら、言葉を学べばいつか何かの役に立つかもしれないけど、異世界語じゃまるで役に立たないし。
……あーあ。子ども時代は親に育児放棄され、学生時代は学校で無視され、就職すれば職場でお局呼ばわりされてた私が、こっちでも除け者扱いとはね。
今までの出来事を思い返していた私は、
「うーん……」
という地を這うようなうなり声で我に返った。
目の前で、白いシャツにだぼっとしたズボンの男が、巻物みたいなのを片手で縦に広げ、だらんと床に垂らして眺めながら頭をバリバリかいている。
ここは森の中の、というより苔蒸して蔦も絡まって半分森に飲み込まれるようにして建っている、魔法使いたちの暮らす石の塔だ。現在はほとんどの魔法使いが、私を地球に帰す術を研究している。
そのうちの一人が、目の前の男。彼の帰還魔法陣の実験に協力していた私は、床に広げられた大きな布にインクのようなもので描かれた魔法陣の上に立っていた。
「またダメだったみたいね」
中指で眼鏡を直しながら、歩いて陣を出る。
「そもそも、神々の技を人間がやろうって方が無理なんだよ。チッ」
男は舌打ちをして、床に本が山積みになっているその上に巻物を放り出した。
――私が悪い訳じゃないのに、こういう態度取られると何か責められてる気がするんですけど。
「……お茶でも淹れましょーか」
殊勝にも申し出てみたのに、彼はシッシッというようにこちらの空間を手で払った。
「余計なことすんな、部屋に帰れ。もう一回構築し直して、完成したら呼ぶ」
あっそ。そうね、私はこっちにいると困る、こっちでは価値のない人間ですからね、目障りなんでしょうよ。
「はいはい。……ここの本、借りてってもいいの? 部屋にいてもヒマなのよ」
ワンレンの髪を耳にかけながら、本棚の下の方を見ようとかがみこんだ私の背中に、ため息混じりの声が投げかけられた。
「いいご身分だな」
「……今なんて? いいご身分って言った?」
私はゆっくりと振り返りながら、わざと復唱してやる。
訳も分からず異世界に放り出されて、さっさと帰れって言われてるこの私が、いいご身分……だとう?
「お前だって、元の世界では生活するために働いてたんだろ?」
年下っぽく見える彼は全くひるまず、丸眼鏡の向こうの落ちくぼんだギラギラする瞳でこちらを見た。
「自分の仕事だけやりてえのに無能な上司に振り回されたりするだろ? 休日には寝まくって、結局翌日の仕事のために体力回復するだけで一日が終わるだろ? それ以前に休日出勤だろ? しかし、だ」
彼はビシッと私を指さした。
「今は何もすることがない。そうだな?」
「……そうだけど」
「最高じゃねぇか。無事に帰さなきゃなんねぇから衣食住には不自由しない。こちらで何かやれと言われるわけでもない。元の世界の仕事のことなんか、今考えてもしょうがないから考えなくていい。本物の『休暇』だ。クッソ、うらやましい」
「……とりあえず、あんたが色々とストレス抱えてるらしいのはわかったわ」
私は呆れてそう言ったけれど。
確かにね。今の私には何にもない。過去はおいて来ちゃったし、未来のことは考えられない。
完璧な休暇。
そう思えば、地球と同じようにこっちでつまはじき扱いされていても、何となく気が楽だ。
と、そんな自分の立場を意識して目の前の男を見ると、優しい気持ちになれるのが不思議だよね。
ただでさえくせっ毛の頭はボサボサ、目の下にクマ作っちゃって、昨日徹夜だったのかな。お疲れさん。そういや名前も聞いてないわ。
「まあ頑張ってー。私はせいぜいのんびりさせてもらうわ。さて、やっぱりお茶でも淹れよう」
「いらねえ! 余計なことすんなって言っただろう!」
「うるさいよメガネ、私が飲むのよ」
「ムカつく奴だな……! つーか、お前もメガネだろうが!」
異世界の神の子孫である私は、こうして今日も、何もしないのでありました。
【はよ帰れ、異世界トリッパー おしまい】
花笑がこっちに来たのが、例の神様がエネルギーを送らないようにしてるせいなのかとか。
「取水口」が彼女なら、こっちの世界に「放水口」の人物はいるのかとか。
色々練って行くと長編になりそうだなーとも思いますが、とにかく眼鏡女×眼鏡男が書きたくて書きました(^^)