マカロン・フィズ
『チョコレイト・ブラウニイ』続編です。『チョコ~』を読まなくてもわかるように書きましたが、両方読んでいただけるともちろん嬉しいです♪
夜空に星が瞬く、ある晴れた夜のこと。
入り組んだ住宅街のとある一軒家、二階のすみっこに、レース模様の入った可愛いカーテンの引かれた窓があります。その部屋のシングルベッドでは、長い黒髪の女の子が一人、ぐっすり眠っていました。
勉強机の上のデジタル時計が「02:00」になった瞬間、突然天井近くにポ・ポ・ポと三つの光がともりました。
ピンクの光がふわっと床に舞い降りると、そこにはピンク色の髪を逆立てた少年が。黄色い光が舞い降りると、そこには蜂蜜色のふわふわ髪の少女が。そして緑色の光が舞い降りると、そこには灰緑色の髪をひとつに結んだ青年が、それぞれ降り立っていました。
「いい夜ね! 今夜のお菓子は何かしら!」
焦げ茶のワンピースに白いエプロンの少女は、床に置かれたローテーブルに飛びつくようにして、きちんと正座しました。
「チョコレイトだといいな! オレ、チョコレイト好き!」
黒のベストに茶色のズボンの少年も、ぽん、と膝から着地するようにして座ります。
「…………」
茶色のベストに黒のズボンの青年は、黙って靴を脱いで正座しました。靴を脱いでも脱がなくても、彼らは妖精なので、床は汚れないのですが。
テーブルの上には白いお皿が置かれ、クリームをサンドしたクッキーやら、一粒ずつ包まれたチョコレートやら、ざらざらしたお砂糖に包まれたゼリーやらが、きちんと三人で分けられる数だけ載っています。
「チョコレイトもあるぞ! こっちも美味しい!」
「ほんとね! 日本に来て良かったー!」
「……シュクレリア王国より、日本のお菓子の方が好みだな」
三人はそれぞれ感想を言い合いながらお菓子を平らげ、そして立ち上がりました。
「さー、今日も綺麗にするぞー!」
三人はドアを開けることなく、すいっと廊下にすり抜けました。すでに手には、小さなほうきやはたき、モップが握られています。
隣の部屋では女の子の両親が眠っていましたが、三人は構わずに中に入り込み、ぐるりと回りました。音一つ立てないうちに、部屋はみるみる綺麗になって行きます。その隣の、女の子のお兄さんの部屋は無人でしたが、そこもすいすい。階段をさーっと撫でるようにひと拭きしながら降りて、リビング、和室、キッチン、お風呂にトイレに玄関。次々と綺麗にして行きます。
三人はひょんなことから、この家の女の子が不思議な世界から連れてきた妖精たちです。元の世界では「夜の小間使いさん」と呼ばれていましたが、こちらの世界では外国の伝説に出てくる「ブラウニー」という妖精に似ています。お菓子が大・大・大好きで、お菓子をもらうとお礼に家の中を綺麗にしてくれるのです。
実は最近、女の子のお母さんが掃除をしながら、
「何だかあまり汚れてないわねえ……」
とつぶやいているのを、三人は知りません。あまり掃除をしなくても家の中が綺麗なので、お母さんが
「最近、電気代や水道代が少し減ったわ!」
とほくほくしていることも、知りません。
「前にいたお屋敷と、全然違うわね!」
「うん、狭いからあっという間だ!」
微妙に失礼なことを言いながら、三人は掃除を終えて再び女の子の部屋に戻ってきました。
仕上げとばかりに女の子の部屋を綺麗にしているうちに、ピンクの髪の少年はあるものに気づきました。
「あ、ケーキみーっけ!」
女の子の勉強机の上に、三角形の白いものを発見したのです。上には大きなイチゴが一粒ぴかっと光っていて、可愛らしい紙が周りにくるりと巻いてあります。
「食べていいよね、いっただっきまーす!」
「あっずるい!」
少女の声より早く、少年はまずイチゴからかぶりつきました。
ぐにっ。
「ぶえぇぇえええぇ! 何これマズイ――――!」
ぼーん! ドゴーン! どしゃどしゃ、がたーん!
驚きのあまり少年の身体は光の球になり、部屋の中をぽぽぽぽぽーんと跳ね回りました! 棚の本やぬいぐるみが落ち、勉強机の椅子が倒れます。
「ひゃああ! 何っ!?」
ベッドの上で、女の子が飛び起きました。
廊下をどたどたと歩く音がして、
「あんずっ!? どうしたの!?」
ノックと同時に女の子のお父さんとお母さんがドアを開け、電気をつけました。
――部屋の中は、何もおかしなところはありません。ベッドの上に、女の子が起き上がって目を丸くしているだけ。
「今の音、何!?」
「あ、あ、ごめんね、寝ぼけたみたい。ベッドから落ちちゃって!」
女の子――高校一年生のあんずは、前髪を撫でつけながらエヘヘ、と笑いました。
「落ちちゃってって、お前、落ちてないじゃないか」
お父さんの指摘に、あんずは目を泳がせます。
「え? あ、えっとえっと、落ちてびっくりしてまたベッドに飛び乗った? みたいな?」
「もう……どんな寝ぼけ方よ。昼間、何かあったの? それで悪い夢でも」
「ううん、何もないよ、大丈夫! もう平気!」
両手を振るあんずに、お母さんはいぶかしげな顔をしながら、
「そう? じゃあ、おやすみ。消すよ」
と声をかけ、電気のスイッチを切ってドアを閉めました。
「おやすみー」
あんずの返事が、暗い部屋に響きます。
隣の部屋のドアが開閉する音がして、家の中は再び静かになりました。
あんずはそうっとベッドの上に座り、枕元のスタンドをつけました。
「みんな、出ておいで」
ポ・ポ・ポ、と天井に光が浮かび、三人の妖精がちょっと申し訳なさそうに、床に降り立ちます。
「どうしたの? 一瞬だけ、部屋がすごいことになってたけど……ティイくん、片付けてくれたんだよね。ありがとう」
あんずは灰緑色の青年に言いました。
ティイと呼ばれた青年は、ちょっと視線を逸らして頭をかきます。そう、ピンクの髪の少年が暴れてめちゃめちゃにした部屋は、お父さんとお母さんが来るまでの一瞬の間に、ティイが魔法で綺麗にしたのです。
「ベリイくんの叫び声がしたよね?」
あんずが聞くと、ピンクの髪の少年は肩をすくめて小さくなりました。横から蜂蜜色の髪の少女が言いつけます。
「あのね、この子あんずのケーキを勝手に食べたのよ!」
「ケーキって何のこと? ハニイちゃん」
あんずは尋ねます。
そう、名前がないと不便なので、あんずは三人に名前をつけたのです。
「これ、これよ!」
ハニイが勉強机の上を指さしました。
あんずは立ちあがって机の上を見て――ぷっ、と噴き出しました。
「これにかぶりついちゃったの?」
手に乗せたのは、イチゴの取れたケーキ。周りに巻いてあった紙がはがれかけています。
ベリイが顔を近づけて、びっくりしてのけぞりました。
「あっ、これケーキじゃないっ!」
あんずは笑いながら、ケーキを「ほぐして」見せました。するとそれは、一枚のタオルになりました。
「タオルケーキ、って言うの。本物のケーキみたいにラッピングして、偽物のイチゴを飾ってあるのよ。昨日、お兄ちゃんがバレンタインのお返しにくれたの」
あんずのお兄さんは大学生で、一人暮らしをしています。土日に実家に泊まりに来ていて、その時に一足早いホワイトデーのプレゼントをくれたのでした。
「何それー! そんなの、ラフレーズ大陸のどの国にもなかったよーっ」
偽物のビニールのイチゴをかじってしまったベリイは、ぺっぺっ、と舌を出します。お菓子しか食べない妖精にとって、他のものを口に入れてしまったことはかなりの衝撃のようです。
「ごめんごめん、紛らわしい所に置きっぱなしにしちゃったね。今度、お詫びに本物のケーキを作ってあげる」
あんずが言うと、ベリイとハニイは大喜び。
「わーい、やったー!」
「私にも? 私にも?」
「もちろん。ティイくんにもね」
ティイも思わずと言った様子で微笑んで、鼻の下をかきました。
さて、翌日の夕方のことです。
学校から帰ってきたあんずが、家の門扉を開けて中に入ろうとしたところで、
「あんず」
と呼ぶ声がしました。
振り向くと、マウンテンバイクに乗った同い年くらいの男の子が片足をついて、こちらを見ています。短く刈り込んだ髪に太い眉、日本男児、といった感じの子です。
「だいちゃん」
「これ、うちの親から。旅行の土産だって」
だいちゃん、と呼ばれた男の子は、土産物店の住所と名前の入った紙袋をつき出しました。
「ありがとう。えー、おじさんとおばさん、山梨行ってたの? いいなー」
あんずが受け取ると、男の子は鮮やかなブルーのウィンドブレーカーのポケットに手を突っ込んで、もう一つ小さな包みを取り出しました。
「あと、こっちはお前に」
「私にも?」
「じゃあな」
あんずが受け取ったとたん、男の子はぐいとペダルを踏み込んで、さーっと走って行ってしまいました。
「あ、ありがとねー」
あんずは彼を見送ってから、家に入りました。
「ただいまー」
お母さんは出かけているようです。あんずはリビングの机に紙袋を置いてから、二階の自分の部屋に上がりました。
鞄を机に置いて、受け取った小さな包みをくるくるとひっくり返してみます。やや厚みのある、可愛いピンクのビニール袋。口をリボン付きのワイヤータイでひねってとめてあります。
開けて中身を出し、あんずは急に、顔をぽっと赤くしました。
「あ……可愛い。なんだ、こっちは旅行のお土産じゃなくて、ホワイトデーのじゃん……」
「ホワイトデイって何?」
ひょい、と横からベリイが覗きこんできました。
「わあ! びっくりした!」
「今、男の子来てた! 何、ホワイトデイ何?」
ハニイも覗きこんできます。
「え、そんな大したことじゃないよっ。バレンタインにチョコレートをあげる話、したでしょ? ホワイトデーは、そのお返しをする日」
あんずは慌てて説明します。ベリイとハニイは興味しんしん。
「あげたの? 男の子にチョコレイト、あげたの?」
「お返し? あの子、あんずのことすきなの?」
「ちょっとーっ、ただの幼馴染だよっ、義理義理! え、ベリイくんもハニイちゃんも、恋愛話好きなの!?」
思わず後ずさるあんず。いつの間にかティイも壁に寄りかかって、こちらの話を聞いています。
「すきすき! 甘いお菓子もすきだけど、あまーい恋のお話もすきー! これ何、見せて!」
ひょい、とハニイがあんずの手の中から包みをつまみ上げました。
「わ、これマカロンっていうお菓子でしょ、美味しそう! ふたつあるから一つちょうだい!」
ハニイが手にしているのは、丸いピンク色の生地に白いクリームの挟まったマカロン――
「あっ、待っ」
あんずがとめようとした時には一瞬遅く、ハニイは魔法でちょいっと個包装のビニールを外して、かぶりつきました。
ガリッ。
「うええええええ――――! まずい――――!」
ぼーん! ドゴーン! どしゃどしゃ、がたーん!
「ああ……」
あんずは頭を抱えました。
「これはマカロンに似せて作ってあるけど、入浴剤なの。お風呂のお湯に溶かすと、いい香りがするの。食べられないの」
あんずが、手の上にピンクと水色のバス・フィズ(入浴剤)を載せて説明します。本物よりやや大きく、厚みもありますが、マカロンそっくりです。
ハニイは涙目で、
「なんでこんな変なものあるのーっ。こんなものくれる男の子、ダメ! だいちゃんダメよ!」
とぷんぷん。
「可愛いのになぁ……」
ダメ出しされてしまった幼馴染の仏頂面を思い出しながら、あんずは急いで妖精に口直しのチョコレートを用意するのでした。
マカロン・フィズは、早めに使ってしまった方が良さそうですね。
【マカロン・フィズ おしまい】
マカロン・フィズをご存知の方にはタイトルでネタバレてしまうかなーとも思ったのですが、遊森的にはフィズと言うと、ソーダ入りのカクテルの方を真っ先に思い浮かべます。妖精たちが食べ物と間違ったように、ちょっとしたひっかけになるかな? と思ってタイトルにしました(^^;)『チョコ~』もダブルミーニングだったので……
ちなみにフィズという名前は、ソーダの中の炭酸ガスが水から離れるときにたてる「シュッ!」という音からきた擬声語、と言われているそうです(Weblio辞書より)。