わたしがあなたのアンプになってあげる
「ねえ。何で暗い顔してんの?」
森は上から尋ねられて、タブレットから顔を上げた。そこには浜見が逆光の中で立っていた。デニムの長い脚、薄汚れたスニーカーは大地を踏んで、力強く生命力に溢れていた。大学でもずっと一人でいた森からすれば眩しすぎた。
「明るい顔で本読むか?」
森は素で、冷めたように答えてみせると、浜見はゲラゲラ笑った。
「ニコニコしながら本読むとか」
「だろ?」
「あんたさ、おもしろいね。時短勉強もできてるしさ」
「してない」
「AI組だよね?」
「まあ。でも時短してる気はないんだ。何となく生きてる」
浜見はゴロンと転がるように隣であぐらをかいた。森はタブレットに映るガルシア・マルケスの『百年の孤独』に付箋を挟んだ。
「お?まさかわたしの話聞いてくれるの?ロリポップをあげよう」
唐突にカカオ味のロリポップをくれた。森は戸惑いながら受け取ると、どうしていいのか迷った。彼女は自分の分を包みからむいて口に入れた。焦れったいらしく、森の分も袋を剥がして口に入れてきた。
(甘……)
「俺は自分が賢いのかバカなのかわからない。他人からは賢いと言われ続けたけどね。俺の脳に埋め込まれた生成ナノチップ型AIは俺以外の奴が組み立てた知識だ。俺自身、脳みその中の小部屋に引きこもって生きてる。脳の中に自分以外がいると思うとつらいんだよ」
「う〜ん。もったいない。AIのネットワークのことじゃなくて、森くんが引きこもってるのがよ?あんなもん大量生産してるんだし、たかだか原価数百円くらいじゃないかな」
浜見は難しい顔をして、ロリポップを左右で舐め返した。
「大量生産された既製品が埋め込まれて賢くなると言われて、実際に賢いということだ。考えたことは?」
「ないかな」
「俺自身、人と会話が合わないのはつらい思い出しかない。合わないと思われるのもつらいんだ。だから今もこうして芝生で本を読んでる」
「百年も孤独でいていいわけ?」
「別に孤独でいたくて読んでるわけじゃない。AI組への興味本位?」
「もちろんよ。だって興味ない奴と話してもおもしろくないわ」
「納得だね。でもAI組なら他にもいるだろう。俺じゃなくてもまともなAI人生送ってる奴が。親子ともども周囲も何の疑問も持たないで、すくすく育ってきた連中だよ」
「毒吐くね」
「だから一人で本を読むんだ」
森は我ながら棘があるなと思いながらもスラスラと吐き出した。もしかしてこうした会話に憧れていたのかもしれないと思った。
「今度レポートあるじゃん?初等教育概論の講義の話ね。一人で考えてると煮詰まるからあなたと話したいなと思ったわけよ。てかあなたのことが頭に浮かんだの。ピカッ」
「そういうことか」
かつては六年制だった初等教育が予算と技術革新のおかげで四年制に短縮された。子どもたちは生まれる前にAIチップを埋め込むことで記憶力、思考力など昔に比べて簡単に脳力を向上することができた。要するにたった十歳でも高校や大学に行くことができるとうことだ。
「もっとも成績爆発が起きた後、何もしなけりゃ劣化する」
「あんたも何もしてないわけじゃないよね?」
「人並みに勉強もした。ま、世間的にしてないな。末は博士か大臣かなんてことにはならない。こうして一般学生と一緒に基本的な講義を聴いてるんだ。たった一人でね」
「わたしは死ぬほど勉強したけど」
「俺はただ生きてるだけだな」
森が言うと、浜見はロリポップを軽く振りながら考えた。額にかかる髪の毛を指でのけながら何やら考えていた。森には彼女がレポート欲しさに近づいてきたのだと思えた。
「いくつかレポートできてるの?」
「頭にはね」
そのうちの一つくれと言われるくらいはいい。しょせんは大学の講義のレポートだし、教授も深いところまでは求めていない。しかし浜見は譲ってくれとは言わずに、浜見自身の見解を聞いて意見が欲しいのだと言いい、スマホの番号を交換した。
「今日、何限?」
「五限」
「了解。ここで待ってるわ。いなきゃスマホで連絡して。こっちもいなきゃ連絡するし。教育関係進むんでしょ?わたしも興味あるから聞かせて」
森は学校や家族から見捨てられた気がしていたので、教育関係に進む気はなかった。頭の中でAIネットワークが展開したとき、白アリが柱を食い散らかすように、何かが自分の頭を侵食しているように思えた。
「絶対よ」
「約束はできない」
「追いかけるぞ」
浜見はデニムの芝生を払い、校舎棟へと走っていく途中、振り向いて手を振ってこけかけた。
森は驚いて腰を浮かした。
「平気平気」
照れ笑いしながら去った。
森の能力を安易に利用しようとしてくる人はたくさんいるが、彼女は違う気がしてきた。違うと思いたいと思った。こうして人工的に賢くなろうとも、気持ちまでは還ることができないような気がする。
結局は話し相手にしろ、レポートの代筆にしろ森自身、残されてキズつくことには違いない。放課後、行くのはやめようと考えた。
□ □ □
森は五限を終えると、芝生のところに行った。浜見がアコースティックギターの練習をしていた。自分でもどうして来たのか言えない。約束を破るのが気持ち悪いと言えばそうなのだが、コミュニケーションを求めているのだと分析した。
「来てくれたのね」
「約束した」
「そりゃそうだけど、嫌がってるような気がしてたし」
「わかるのか?」
「勘は鋭い」
森は隣に腰を下ろした。
何度も楽しそうにコードを押さえては失敗を繰り返して表情豊かに練習していた。Fで詰まると言われているが、Fだけは詰まらないぞと考えているらしい。
「だからFからやってるの」
浜見理論では、難しいのはやる気のあるうちにやればいいということだ。簡単なことからはじめて難しくてテンションが下がるからやめるのではないかと同意を求めてきた。
「ずっとそんな調子で?」
「どういうこと?」
「ずっとそんな調子で生きてきたのかと思ったからさ」
「だいたいはね。結局数学でも難しいものは捨てるんだけどさ」
浜見はくしゃっと笑った。彼女が笑うと、こちらまで意味もなく笑ってしまうから不思議だ。
「一万円で譲ってくれたのよ。AI組の先輩なんだけどさ。練習してもできないらしい。この教則本は買ってきた。森くんは弾くの?」
「聴くけど弾かない」
「賢いのに」
「賢くても感覚神経と運動神経は脳の力とは別だからさ。理解はできるけど弾けない。先輩と同じ」
「練習すれば?」
「特に弾きたくないのに練習?」
浜見は「そりゃそうだな」と大げさに頷いてギターを肩に立て掛けた。森は本題を尋ねた。
「待って。あなたはいくつもレポートあるのよね。わたしは自分オリジナルのレポートを書きたいのよ。だから話に脈絡もないし、あちこち飛んじゃうけど聞いてほしいのよね」
「はあ」
(他にもAIいるのに?)
埋め込み型チップを施された学生はいるし、もっと知能がハイレベルな学生や教授、飛び級の高校生くらいの子もいる。中途半端な自分に聞いてこなくてもいいのにと、内心思った。浜見はこちらを向いて長い足であぐらのように組んだ。
「あんた他の誰かに聞けばいいのにとか迷惑だなとか、バカの相手疲れるなとか思ってるよね?」
「迷惑だともバカだとも思ってないけど。他にいるだろうとは思う」
「やっぱそう思うわよね」
ガックシと頭を垂れた。ベースを弾くようにギターの弦を弾いた。
しかしすぐ顔を上げた。
「初等教育四年制てどう思う?」
「漠然な問いだ」
「まあね。わたしに合わせてくれなくていい。勉強する。わからないこと調べるのとかできないことにトライするの楽しくない?」
「本」
森は答えた。
「わたし思うんだけど、あなたが本を読んでるの知識欲求とかじゃないわよね?いつも楽しんでるもん」
講義中、後ろからチラチラ視線を感じていたが、今ようやく浜見が見ていたのかと気づいた。
「ジャンルないもんね。おもしろそうな本読みまくってない?マンガとか小説、論文も関係ないよね」
「覗き見してたのか」
「二年生になってからずっと後ろにいたのよ。気づかれなかったのは念力不足かもね。AIっぽくない」
「AIっぽいというのがわからないんだけど。ま、ポンコツだよ。無理矢理の埋め込まれ型AI人間だ」
「おもしろい発想ね。自分で埋め込んでないものね。ちなみにわたしは埋め込まれ型だと思う?」
面倒臭くて、プライバシーに関わるので答えにくい。AIだと思うと答えると、ピンッと弾いた。
「あのさ、今のお世辞?わたしみたいなのがAIなわけないじゃん」
「答えにくいんだよ」
「時短勉強てどうなの?」
(話が飛ぶなあ。バッタか)
「知識や公式を使うときに自分が自分でないような気がすることがある。くそ難しい問題でも解けるのが気持ち悪い。勝手に繋がる」
「わたしは思うんだけどさ。初等教育に問題があると思うのよね。さっき自分の中に他人が現れたみたいって話してたじゃん?いつ頃?」
「十歳くらいかな」
「そんときにさ、あなたがあなたであることを伝えないといけないんじゃないかと思うのよ」
「情緒教育?」
「他人が自分の中にいるように思うとかあるわけでしょ?」
「よくわかるね」
「そうなの?何となく想像したんだけど。原因があるはずよね。頭をパカッと見るわけにはいかないもんね。言語系はどうなの?十歳で気持ちを言語化できるわけ?」
十歳のことを思い出した。次々と押し寄せる知識と公式の波のせいで言葉を奪われた。
「しばらく話せずにいたかな」
「しばらく?」
「十年くらいかな」
「なぜ話せるようになったの?」
「なってないよ。今も話しかけられたから話してるんだよ」
「普通そうでしょうが。突然道でベラベラ話さないしさ。ん?今のわたしの悪口?」
「違う違う。頭の中で解決できることなんて小さなことなんだ。考えたことを話もできないなんてね」
「だからあなたと話したい。話せないならわたしがアンプになってあげる。あなたはわたしと付き合うの」
「へ?」
□ □ □
森はギターを与えられ、浜見と一緒にコードの練習をした。小さなアプに繋いで、意外にスパルタで指導された。お互い監視しながらやめないように訓練した。浜見はどこかで森のアコースティックギター、エレキギターを調達してきた。
「エレキギターのやわらかい弦で押さえ方を練習すればいいみたい」
「そうなのか。どこかで聞いた?」
「軽音部」
「入ってるの?」
「入ってないし、入る気もないけど聞いてきた。アコギこそギターだとか聞かされたから買ってきた」
「すごい行動力だな」
「人ってのはね、恥さえ忍べば何とかなるもんよ。森くんのためにと思えば動けるの」
「お世話になります」
「こちらこそ。おカネ払ってね」
「もちろんバイト代で。脳みそ進化しても、やってること変わらない気がするよ」
「人の進化なんてもんは脳みそだけで成立しないからね」
そもそも二足歩行から手や指が進化して脳が肥大した。支えるための骨格や筋肉も進化して今に至る。
「AIチップなんて埋め込んだら退化するんじゃないのかな」
「じゃAIのニューラルネットワークが展開してないわたしの方が進化してるってことになるわね」
「お師匠様と呼びます」
「敬いたまえ」
浜見が教則本で指の位置を確かめながら、しかるべき位置に指で押さえた。AI組のはずの自分と浜見の上達速度は同じだった。頭で理解することと運動神経のギャップは解消されないなら、こんな存在は単なる生体AIではないかと思わされた。
「森くん、今日はわたしと同じところまで弾くまで終わらないから」
「こんなの修行だ」
「森くんはたかだか一週間で音を上げるのかね?」
「今夜バイト行くんだ」
「掛け持ち?昼もしてない?」
「勉強しなくていい分、掛け持ちができるんだよ」
「何かイメージと違うわね」
「だろ?しょせんAI組だ何だ比べてみても本人次第なんだってこと」
「森くん、あなたのそんなところがいいのよ。わたしのセンス凄い」
「急に何だよ」
浜見は急に腹を抱えた。賢くなったくせにやってることは、歴史で学んだ不景気時代と同じだと。仕事を掛け持ちしなければ、生計を支えることができない時代のことだ。
「何のバイト?」
「ひたすらクリームサンドパンにイチゴ型のゼリーを乗せる」
「あれ機械じゃないの?」
「人なんだよ。あれだけできる機械導入するんなら、人の方が速いし安いらしいんだ。もう先輩のベトナム人なんて神業だよ」
「クリームも?」
「クリームは機械だ。専用の充てん機てのがある。クリームを入れて流れてきたパンにニュルッと出す」
「ま、時短学習できる森くんはギターも時短で覚えるんだね。わたしの監視はAIなんかよりも厳しいぞ」
「なぜか頭には入ってるけど」
指を動かしてみせた。
「こいつが疎い。運動神経は別ものなんだよ。さっきも話したように人として退化してるんじゃないか」
森はやわらかい弦を押さえて出てくる音を合わせた。浜見と重ねるようにコードを弾いて、間違えた方がデコピンされることになった。
「あ、か弱い女の子にデコピンするなんて〜怖い〜っ!」
「もう時代はジェンダー末期だ」
「非AIなのよ。わたしには男にはない卵巣と子宮を抱えてるのよ」
「おっぱいは?」
「あのね。気にしてること言わないでくれる?森くんもちんちん小さいと言われたら凹むくせに」
「小さいかな」
「どれどれ」
浜見はベルトを外そうとしていたので、慌てて這うように逃げた。不意に芝生の上で何をしてるんだというような視線を感じた。
「ね、今からホテル行かない?」
「いいよ」
□ □ □
森は浜見が飛行機好きだと言うので空港へ遊びに行った。特に何をすることもなく、ただ展望台から離着陸する飛行機を見ていた。飛んでいるのを見ていると、空想で旅ができるという得意技を持っていた。
「ずっと見てても飽きない」
「乗らないのか」
「乗るのは目的があるから。鉄道が好きな人と同じよ。撮る?」
「でも撮らないじゃん」
「甘いわね、森くんは」
缶コーヒーをコツンコツンと指で叩いてみせた。たいてい理由のわからないことを言うとき、こうしてもったいぶる癖がある。
「せっかく眼で見られるのに、肌で空気を感じるのに、スマホの画面越しに見ててどうするの?」
「遺したいんじやないか」
「気持ちは刻まれるものよ。わたしとあなたの共有記憶に刻まれる」
「記憶の共有が心?」
『さあどうかな。わたしはあなたとこの青空を共有するのよ。二人でハルシネーション起こすかもね。ギター持ってくればよかったな。弾けないか、ここじゃ」
「たぶんね」
『ちゃんと弾きたいな。どうやってもさつなさが出ないのよね。何だろ?』
浜見は親子連れがいる中、ベンチから立ち上がると、ミュージカルかと思うくらいの勢いで両手を広げた。これは何か歌うなと思った。
(なぜこんな古典みたいな『カントリー・ロード』なんだよ)
「言いたいことわかるわよ。これはね、故郷に帰りたい人の曲なの。しかも歌手は飛行機で墜落した」
「飛行機好きならサン・テグジュペリの『星の王子さま』や『夜間飛行』も好きなのか?」
「さすがAI組。入ってるの?」
「読んだんだよ」と憮然とした。
「あれ?わたしは読んでないわ」
『高校のとき。暇持て余した』
「あ、ずっと一緒にいると思い込んでた。『夜間飛行』もあの時代の息吹を感じるわね。でもエンパシーはないかな。男たちの夢だもん」
どこから飛んできたのか、どこへ飛んでいくのかを考えるのが好きだと話していた。いずれどこか遠くへ行きたいとも思わないらしい。
「すぐ行けるところが好き」
「俺に遠慮してない?」
「何で?」
「おカネ」
「暮らせればいいのよ。今も二人で暮らせてる。働くために生まれてきたんじゃない。実はね」
耳に唇を寄せてきた。
「内緒にしてね。わたしね、実は内向的なのよ。インドア派だし」
「マジメに聞いて損した。内向的なな奴が人前で歌うか?ステージに立てるかよ」
「ん〜」
浜見は目玉を上に上げて考え込んだ。実は内向的ではないのかもしれないと呟いたが、不意に森を見つめた。犬のように首を傾げた。
「森くんといれば何でもできる気がするのよね。おかしい?わたしの気持ちが森くんの知識の型枠にスポスポ入るの。森くんの知識がわたしに型枠を付けてくれるのよ」
森はそれがどうストリートミュージシャン、もっと言えばストリートミュージカルやステージになるのかわからないと頭を掻いた。
「自信もって表現できるのよ」
「俺、関係ある?」
「もちろん。これは森くんが表現したいと思ってることなのよ。わたしはアンプになって増幅するの」
「エフェクターに思えるけど」
浜見はゲラゲラ笑った。
「今度、バーでライブするんだけど一緒にやるよね」
「やることに決めたんだろ?」
「まあね。小さなところ。わたしは歌うからギター弾いてよ。曲は決めてあるんだ。スターダスト・レビュよ。これがいいの。二人でジプシー・キングスを弾く。ジョン・デンバーとね。もう頼んであるから」
「突っ走るよなあ」
森は呆れた。いつも一緒に行くバーでのことだし、マスターが暇つぶしに何かしないかと話したんだろうなどは思った。他に客がいなくてもいても楽しめればいいやと。
「オリジナル作らないのか」
「作りたい?もしかしてAIネットワークに入ってるとか?」
「ないと思うよ」
「スキャンすればニューラルネットワークとニューロンの継ぎ目とか見られるのかな。チップ埋め込み型なら物質的?物理的?に展開してるわけなんだからさ」
「見せないからな」
『AIと人に差はあると思う?』
「どうかなあ。AIの演算力が驚異的になればなるほど、それこそ人との差が見える。AIが人に近づこうとすればするほど、差が広がる」
「完璧な球体や平行がないように完璧に埋まる隙間もない。顕微鏡ができてコルクを見たときから」
彼女は手刀でチョップしてきた。それから空港から離れて、助手席の浜見は空を抱くようにして贅沢だと騒いでいて居酒屋はやめて、夕食は彼女の家でテイクアウトを食べた。
□ □ □
それからしばらく森は彼女の車で海へと行った。わずかな秋を見つけて、砂場でギターを弾いた。
「ひとまずは『カントリー・ロード』にしようかな」
「運転しながらずっと歌ってた」
「文句ある?好きなのよね。この古い歌。帰りたい帰れない故郷。たいしたところじゃないのに帰りたい」
「遠いの?」
「距離は問題じゃない。森くんも家が近いのに、一人暮らしでバイトしてるんだし。わたしの家族のことは忘れたわ。今話したくない」
「一人か」
「森くんがいる」
「賢くても幸せとは限らない」
「考えないことも必要よ」
浜見がそっと森の浅黒い頬にキスをして、屋根付きの浜辺の遊歩道で見つけて、森はアコースティックギターを出すときに気づいた。
「カポ忘れた」
カポはカポタストと呼ばれ、ネックを挟むことで弦を短くすることができる。ジョン・デンバーの『カントリー・ロード』の場合、Gからはじめられ、複雑な指の押さえ方をしなくても弾ける。
「結局俺はアコギなんだな」
「わたしはエレキでも何でもいいんだけど、森くんはアコギよ。クラプトンもエレキもアコギも弾いてる」
「あのエリック・クラプトンと比べられてもな」
「Aから」
「マジ?」
「わたしが歌うんだもの。カポ忘れたんだからAからね」
「いつ外したんだろ」
「出てくる前に見たけど、テーブルに置いてあったわよ。カラオケボックスから持って帰ったときよ」
「教えてくれればいいのに」
「いらないのかなあと」
Gからはじめるように持ってきた紙きれに、浜見がそれぞれペンで考えながらコードを書いた。
AF#mEDAAF#mEDA
AEF#mDAEDA
AF#mEDAAF#mEDA
AEF#mDAEDA
F#mEADAEF#mGDAEE7
AEF#mDAEDA
AEF#mDAEDA
「これでOKじゃない?特訓の成果を見せるのよ。特訓してないか」
「カポ持ってくれば……」
「ないものはないんだから諦めなさい。AIなくてもこれくらいできる。わたしもAIなくて諦めたもん」
浜見は誰もいない海に発声練習をした。そのうちに森は椅子に腰を掛けてギターを調整した。
「いつの間にかアコギ弾くようになってたしな」
「アコギ持ってればどこでも歌えるしね」
「持ってなくても歌ってるじゃないか」
「まあね。海好きだな。あ〜♪」
彼女が『カントリー・ロード』を歌いながら海へ歩いた。真木は白く輝く砂の上を腕を広げて舞うような姿を撮った。
「さっきから静かだと思ったら、準備してたんじゃないの。盗撮してるのじゃん。撮るんなら化粧決めてくればよかった。不思議よね、飛行機好きで写しても小さいもんね」
浜見はスマホに意地悪そうな笑みを浮かべて走ってきた。
「こらあ。わたしたちは肌が触れ合うからいいのよ。花火映してる人の気持ちがわからない。あ、今度冬の花火大会行こう」
「あるの?」
「探せばあるわよ」
森はスマホを置いた。
リズムは浜見が丸太のように見せかけたコンクリートの椅子にまたがって叩いた。カホーンという打楽器があるのだが、それを真似ていた。
「いい?」
「ちょっと待ってくれ。Gからにしてくれない?」
「カポ忘れたの誰よ。わたしはAからが歌いやすいからね」
「はいはい」
「よろしい」
AF#mEDAAF#mEDA
AEF#mDAEDA
AF#mEDAAF#mEDA
AEF#mDAEDA
F#mEADAEF#mGDAEE7
AEF#mDAEDA
AEF#mDAEDA
もうこれで今度のライブ完ぺきにできるんじゃないかと言いはじめたので、できるんだろう。どういうわけか彼女の自信は現実になる。
森も巻き込んで……
おわり




