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うつ病日記  作者: Hana Hana


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次男を生んだあとにひどい産後うつになり、その後も再発を繰り返している日々を綴ってみました。

産後うつになるまで

 それまでは特に何も感じず、自分がうつ病になるなんて思っていなかった。長女、長男を生んだ時は特になにも起こらなかった。でもまぁ、なっても不思議ではない環境ではあったのかもしれない。夫が仕事と遊びで常に不在でほぼワンオペ育児だった。精神的にも満たされておらず、子育てでイライラもして、幼い子を叱ったりもしてしまっていた。あと、悩み癖はあった。ちょっとしたことをずっと頭の中で考えてしまう。落ち込むのが普通というか、常に暗い曲ばかり聞いていた(笑)。でもほんと、まさか自分があんなにひどいうつ病になるとは。


産後うつ病発症

 次男を生んでもちろんワンオペだった私。子供は3人欲しいと思っていたので、何も考えずに生んでしまったが、あれ?私3人って無理じゃない?って生んでから気づいた。上2人を連れて、赤子を抱いて近所の公園に行った帰りの事。長男がまだ一人で自転車に乗るのは危険で見守りが必要なのに、さっさと一人で公園を出て行ってしまった。その時必死で赤子を抱っこしながら追いかけたが間に合わない。そこに車が来て、危険な長男を避けながら、私の方をじろっと睨んで去って行った。あぁ、子供の面倒もまともに見られない母親に思われたんだろう。その時に、あぁ、無理だ…と思った。それからはみるみる悪くなっていき、動機がするようになってきた。赤ちゃんを抱っこする気力も体力もなくなり、ベビーラックに寝かせ、隣に横たわりながらなんとかラックを揺らしてあやしていた。そんな中、動機もひどくなり、ある日呼吸が苦しくなり、このまま死ぬのかと思った。もう限界だ。近くの心療内科を探して駆け込んだ。心療内科ははじめてだったので、横になるスペースがあったり、独特の雰囲気だった。薬を処方されてすぐに飲んだら、なんだかフワフワして酔っぱらったようになり、なんだか良くなったような気がした。でもそれは一時的で、症状はどんどん悪化し、眠れない、不安、だるさがとにかくひどかった。なかなか母親にも言えずにいたが、限界で助けてもらえはしたが、一向によくなるどころがひどくなった。


みるみる悪化

 薬を飲み始めたのに、逆にどんどんひどくなる。止まらない。とうとう旦那に「もう無理。子育てできない。」と話した。するとその日の夜に旦那の両親が夕ご飯を買って持ってきてくれたが、そうじゃない。そういうことじゃない。

 うちの母も限界がきて、とうとう心臓が悪くなってしまった。もうどうにもなくなり、次男を短期間行政に預かってもらうことになった。近くに乳児院があり、そこに2週間預かってもらった。何もわからない次男を乳児院に入れるなんて、と普通なら思うのだが、もう限界だったのでそこまで抵抗はなく、むしろほっとした。それなにに全くよくならなくて、乳児院に預けるにはお金がかかりすぎるため、次男を保育園に入所されることになった。そうなると、職場の育児休暇も療養休暇に切り替わった。なんだかだめな人になった感じで情けなかった。生後3か月で保育園に入った次男。生後3か月で何も分からないのが逆に救いだったのかもしれない。あっさり保育園に慣れてくれた。そんな中でもどんどん症状が悪化していく。どこまで悪くなるのか。不安で仕方なかった。


とうとう死にたくなる

 みるみる悪化し、とにかく何もかもが無理になった。生きていること自体が無理なのだ。辛い。とにかくつらい。しんどい。何も楽しめる訳はなく、何も出来なくなっていく。お風呂に入るのもしんどく、一日中寝たきりになった。眠っている間だけが唯一救いだった。起きると地獄が始まる。起きている間ずっと辛い。食事も全く食べたくない、体重はどんどん落ちてがりがりになった。そのうち生きているのがしんどくなり、「死にたい」と思うようになった。生きているのがとにかく辛いのだ。苦しくなく死ぬ方法を検索してみたり、首を手で絞めてみたりもした。死ねるわけない。楽に死ねる薬が欲しかった。あったら確実に飲んでいた。死にたいけど死ぬ勇気も気力も体力もなかった。よく自殺は回復期に起こるっていうけど、そういうことなのかもしれない。自分で死ねないなら、いっそ末期がんになったらいいのにとまで思った。今考えると異常な思考だ。でも本気でそう思っていた。


転院

 一向によくならない私を見て、旦那がいい病院を見つけてきてくれた。そこに言われるまま転院したが、これまた良くならなかった。先生はとても丁寧な先生で、自己紹介をきちんとしてくれる先生ははじめてだった。信頼できると思った。薬が毎回のように変わるが、どれも合わない。発病してから3か月が経っていた。


子どもを育てられない

 3人育てられないのに、なんで3人も生んでしまったんだろう。とずっと考えるようになった。無理なのだ。一番手のかかる次男は特に無理だと思った。子供を可愛いと思う気力さえなく、可愛いはずの子供に対して、無の感情だった。そのうちどこかに養子に出したいと思うようになり、とうとう旦那に話してみた。「そうか」と言って反対されなかったのが救いだが、それを私の母親に話されてしまった。すると母親は「自分の子を誰かに育ててもらうなんて」と泣いた。「私だって赤ちゃんの一人くらい育てられるから」と言う言葉に救われ、なんとかやってこられた。今考えると恐ろしい話だ。病気って本当に怖い。


やっと回復

 その日は急にやってきた。なんか気づけば今日しゃべっている。私しゃべっている。「しゃべってるよね?」と母に言うと、「そうだね、しゃべってるね!」と言ってくれた。それまでは、能面のような顏で一日を過ごし、返事もろくにせず、話もしなかった。それがなんか話が出来るようになったのだ。それからみるみるほんとにみるみるよくなっていった。ようやく効く薬が見つかったみたいだ。薬は飲み始めて2週間くらいしないと効果が出てこない。ほんとに飲み始めてそのくらいだった。薬が合うとこんなに違うのかってくらいによくなった。ほんとに嬉しかった。だるくてだるくて、鉛を背負ったような体が、どんどん軽くなっていき、食事も味がしなかったのに、おいしいと感じる。生きているって幸せだと感じた。死ななくてよかった。ほんとによかった。子供にも可愛いさを感じるようになった。子供を可愛いと感じられないってほんとに辛い。感情が死ぬ。心が死ぬ。うつ病って心の風邪っていうけど、私は心の癌だと思う。それくらい辛い。見た目じゃ分からないのがまた辛い。


薬をやめる

 どんどん元気になって、仕事にも復帰して、普通の生活を送れるようになった。1年が経ったころ、先生が「もう大丈夫でしょう」と言ってくれた。薬は減薬をしていくのかと思ったら、すっぱりやめられた。代わりにサプリメントを飲んだ。通院も終わった。それでも変わらず元気でいられた。もう出産さえしなければ大丈夫だろうという自信もついた。


まさかの事態

 私が病気で苦しんでいる間、旦那も辛かったのだろう。かといって許される訳ではないが、なんと浮気していた。ある日、旦那の車に忘れ物をして、取りに行った。そこでいけない物を見てしまった。ゴミ箱に使用済みのコンドームが捨ててあった。え?私じゃないよね。え?どういうこと?と思い、まだ寝ている旦那の携帯を盗み見た。すると出てくる出てくる。写真やら電話の履歴やら。信じられなかった。その日仕事を休んで、色々考えた。でも答えは決まっていた。その日に旦那を問いただしたが、謝るでもなく、認めるでもなく、濁された。でも証拠はあがっている。私の苦しんでいる間にというのが、もう許せなかった。とりあえず実家に帰ってもらった。その後まもなく離婚した。


まさかの事態②

 母子家庭になって、大変な日々だったが、それなりに元気に過ごしていた。仕事も行けていたし、子どもたちとも色々ありながら楽しく過ごせていた。そんな中、またまさかの事態が起こった。妊娠したのだ。どうしてかというと、お付き合いしている人は確かにいた。でも妊娠は出来ないと思って避妊リングを入れていた。入れていたのに、入れたまま妊娠してしまった。そんなことある?と調べてみると、あるらしい。あとあと聞いたら、入れていた避妊リングの性能が良くなかったらしい。ヤブ医者に行ってしまっていた。違う病院に行くと、そのままリングを抜去してもしなくても流産の可能性は高いですと言われた。また別の病院に行くと、入れたまま妊娠継続できるという。どうする。出産したらまたあの苦しみがやってくるかもしれない。でも彼は未婚でもう40歳手前。子供が欲しい人だった。生んであげたい。何より彼が大好きだった。でも3人の子供がいる。悩んで悩んだ結果、再婚して出産することになった。


やっぱり再発

 出産しなければ再発しなかったかもしれないのに、生んでしまったものだから、やっぱり再発した。でも今回は合う薬が分かっているし、早めに病院に行ったので、そこまでひどくはならなかった。ほどなく回復した。ところが、薬をやめようとすると具合が悪くなる。それを何回も何回も繰り返した。具合が悪くなるくらいなら、薬を飲み続けた方がいいとなり、何年も飲み続けることになる。でもしばらくは元気だった。


薬を飲んでいたのに再発

 薬を飲み続けること、8年。その間はなんとか元気でいられた。薬を飲み続ければ一生元気でいられるのかと思った。思ったのに。

 仕事の環境が変わり、仕事量がもう半端ないくらいに増えた。人間関係もあまりよくなかった。だんだん思考力が低下し、仕事効率が下がった。このまま具合が悪くなるのはすぐに分かった。でも誰にも言えなかった。出来ませんなんて言えなかった。助けてなんて言えなかった。ある日、限界が来た。ぱたっと休み、病院に行った。療養休暇が必要と診断されて、そのまま療養休暇に入った。それからは毎日また寝たきりになった。すべての家事は母と旦那がやってくれた。ご飯があまり食べられなくなり、今度は寝ても寝てもだるい、眠い日々だった。一日のほとんどを寝て過ごした。子供達はあまり深刻にならず、「ママまた寝てるねー」と見守ってくれたのが救いだった。ただ母には特に申し訳なかった。4人目の出産も猛反対されていたし、だんだん高齢になってきたから家事もしんどそうだった。ほんとに申し訳なかった。自分が情けなかった。

 旦那は支えてくれた。はじめはうつ病なんて気持ちの問題だって言ってた人なんだけど、薬を減らしては具合が悪くなったり、長年私を見ているからだんだんと理解してくれたようだ。本当にありがたかった。ただ、再婚のストレスはかなりあった。旦那と子供たちの関係に悩み、離婚話になったこともあった。そんな日常だったから、薬をやめられなかったのかもしれない。さらに更年期もあった。更年期には絶対具合が悪くなるだろうなぁと思っていたけど、本当にそうなった。いろんな原因が混ざっているんだろうけど。


再発を繰り返す

 よくなって、仕事復帰したのに、すぐまた具合が悪くなった。早めに対処しようってことで、そこまで悪くなる前に短時間勤務にしてもらった。するとゆっくり回復していった。やっぱり早めに対策するといいみたい。でもその後、インフルエンザにかかった。インフルエンザの体のだるさがいつまで経っても取れない。病院に行くと、インフルエンザの後遺症でそうなる人多いらしいと聞いた。またみるみる悪くなりそうだったので、有給休暇を使って半日勤務をした。でもよくならず、また療養休暇を取るようなのかと悩んだが、仕方なく診断書を貰ってきた。しかしちょうど年末休暇に入り、2週間休むうちにだいぶ回復したので、診断書を出さずに普通勤務に戻ることが出来た。もうインフルエンザになりたくない。更年期もあるし、またいつ再発してもおかしくない。そう思うから余計再発するのか、根本的に治すのは難しいのか。うつ病は寛解という言葉を使うが、治癒することはないのだろう。一生付き合っていくようなのか。なんでこんな体になってしまったのか。普通に生活できる人が心からうらやましい。ただ、普通の日常がものすごく幸せに感じることはできるのだが。できればなりなくない病気だ。


今後も再発を繰り返していくのだろう。そのたび生きるのが辛くなる。ほんとに健康ってすごくありがたい。それだけで幸せだ。元気な間の時間を有効に使いたいと思う。人より元気時間が短いのだから。

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