後日談 安心の涙
初めてバーナード領に行った日から数ヶ月、ソーニャは相変わらず森で一人暮らしていました。けれども、変わったことが一つありました。それは――
「ソーニャ!」
家の扉が、突然勢いよく開かれました。
スープに最後の味付けを施していたソーニャの肩が大きく跳ね上がります。
怒ったような困ったような、そんな表情で玄関の方に視線をやると、ジェイドの瞳に映ったのは、いたずらが成功して喜んでいるゴールドの髪を持った少年でした。
「キース。また、驚かせようとしてノックをしなかったのね」
ソーニャはため息交じりに言いました。
「へへっ。だって、いっつもソーニャ、驚くから面白いんだもん」
「まあ!」
今日こそ怒ってやろうとソーニャが口を開いた瞬間、外に開かれたままの扉の影に隠れる二つの頭を見つけました。
「あら?」
「おまえらも早く出てこいよ」
キースの呼びかけで、二つの影がおずおずと扉の前に移動しました。
一つは、ブラウンの髪にオリーブの瞳を持った少年のものでした。
「ナッシュじゃない」
大人しそうな少年は、小さな声で挨拶をします。
「あ……お邪魔します、ソーニャさん」
彼も『魔女の涙』によって一命をとりとめた子どもでした。喉の病気で長年声を出すことをしていなかったため、完治した今でもその話し方は囁くようなものでした。
溌溂としたキースとは対照的な性格なように思えましたが、この二人は、街にいるときもソーニャを訪ねてくるときもいつも一緒でした。
しかしながら、もう一つの影の持ち主をソーニャは初めてみました。
ゴールドの長い髪を低めの位置でおさげにした、エメラルドグリーンの瞳を持つ少女でした。ナッシュの袖口をぎゅっと握ったまま、所在なさげに視線を動かしていました。
「こいつは、ケリー。ケリーも『魔女の涙』で良くなったんだよ。でも、もともとすごい人見知りでさ~」
キースの言葉で、ソーニャは思い当たることがありました。
”嬉し泣き”を知った日から、ソーニャは配給を受けることを止めました。食材や日用品は、"薬"を売ってできたお金で買いました。
『魔女の涙』は、どんな病も治ってしまうものでしたが、軽度の怪我や病気――命を脅かす心配がないものには効果がありませんでした。そのことを幼少期に知ったソーニャは、本を頼りに薬学も勉強していたのです。もっとも、今まで人と必要以上に関わってきませんでしたから、その力が日の目を見たのはここ最近のことになります。
ソーニャの作った"薬"は飛ぶように売れました。ソーニャの『涙』の効果を知っている人たちにとってそれは、どこの薬師のものよりも信用できるものだったのです。
求められる量も増え、ソーニャは度々バーナード領へと出かけていました。
そんな折、いつも視線を感じることがあったのです。市場でリンゴを買っているとき、広場でキースやナッシュと話しているとき、露店でアクセサリーを見ているとき――不思議と嫌な感じはしませんでしたから、そのままにしていました。
けれどもようやく今、その視線の主が分かりました。
ソーニャは、玄関に足を進めました。
スカイブルーのワンピースを揺らしながら、ケリーの前でしゃがみました。
「こんにちは、ケリー。いつも私を見ていたのはあなたね」
「あ……」
ケリーは図星を突かれたせいか、半歩後ろに下がろうとします。けれども、ソーニャのジェイドの瞳を見て踏み留まりました。
「瞳の色、よく似てるわね。私たち」
ケリーの緑の方が若干濃く、はっきりとしていましたが、光の加減では全く同じと言われても気が付かないほどの差でした。
ケリーは小さい口を動かし、何かを言いたそうにしています。
ソーニャは笑みを携えながら、じっと待ちました。
普段なら、すでに家の中を走り回ってるだろうキースも、幼馴染の様子をじっと見守っています。
ケリーはぎゅっと、ナッシュの袖口を掴み直すと、ゆっくり話し始めました。
「あ、あの……あたし、ずっとソーニャさんを、見てて……街に何度も来てたから、はやく、はやくお礼言わなきゃって……」
「うん」
「でも、あんまりお家から出たことなくて……人がいっぱいいるところが怖くて、でも、ソーニャさんの瞳が、私のと、私の死んだお母さんのと一緒だったから……どうしても、話してみたくて」
「うん」
「……ソーニャさん、魔女の涙をくれてありがとう、ございました……!」
ケリーは小さい体を折りたたんでソーニャにお礼を言いました。決して大きな声ではなかったけれど、彼女の気持ちはソーニャに十分伝わりました。
ソーニャは、両手をのばすと小さな体を抱きしめました。
「勇気を出して来てくれたのね。ありがとう、ケリー。あなたを助けられて本当によかったわ」
ソーニャの声がケリーの耳元で響きました。それが、あまりにも優しくて温かくて、お母さんのようだったので、エメラルドの目はたちまち塩辛い液体でいっぱいになりました。
「あらあら、ケリー、なぜ泣いているの」
ソーニャは、ケリーの背を規則正しく叩きながら、焦っていました。
数ヶ月前まで、嬉し泣きすら知らなかったソーニャにとって、ケリーの涙を理解するのは難しかったのです。
すると、二人の様子を見ていた少年たちは満面の笑みとともに答えをくれました。
「それは、安心の涙だよ」
「ソーニャが好きで泣いてるんだよ」
「安心……好き……」
ソーニャが繰り返すように呟くと、ぎゅっとソーニャの服を掴む力が強くなりました。
おそらく恥ずかしかったのでしょう。けれども、その行為こそが少年たちの言っていることが正しいという証明になったのでした。
キイ――――
夕方になり子どもたちが帰ったあと、再び玄関の扉が開きました。
「フレン!」
ソーニャは、ワインレッドの髪を持った男を認めると、玄関に駆け寄り、そしてその大きなからだに飛びつきました。
「ははっ、今日は元気だね。ソーニャ」
自分の胸に、文字通り飛び込んでた少女をしっかりと支えフレンは、嬉しそうにアッシュブロンドの瞳を細めます。
しばらく恋人の腕の中を堪能したソーニャはぱっと顔を上げ、今日あったことを待ちきれぬ様子で報告しました。
「今日は、キースとナッシュと、あとケリーも遊びに来たの」
「おや、ようやくケリーも来れたのか」
「ええ。それで私、"安心の涙"を知ったわ!」
ソーニャの笑顔は、大輪が咲いたがごとく、フレンが今まで見た中で一番良いものでした。
恋人の嬉しそうな様子を見て、喜ぶ自分と悔しがっている自分がいることにフレンは気が付きました。
「……僕が色んな感情をあげるって言ったのにな」
「え?」
フレンの独り言は小さすぎて聞こえなかったので、ソーニャは聞き返しました。けれども、返ってきたのは言葉ではありませんでした。
顔に大きな手が添えられたかと思うと、酸素が奪われました。
少し長めのキスのあと、フレンは悪戯を思い付いた子どものような笑顔で言うのです。
「こういうのを教えられるのは、僕だけだよね」
ソーニャは、真っ赤になった顔を両手で覆ってしまいましたが、フレンはなおも愛らしい恋人の様子に笑っていました。
バーナード領主は、シルバーホワイトの髪をもつ魔女を溺愛していました。それは、子どもたちにも嫉妬してしまうほどに。
生涯、その愛がおさまるところを知らなかったのは、また別のお話――。




