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ソラの向こう側は、ユウ闇に煌めく  作者: 乙希々


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第一章 ふたりだけの世界。〜南雲悠一の場合

 ──鼻につく濃い土の匂い。


 ずぼりと、買ったばかりの真新しい靴がぬかるみにはまった。思わず舌打ちが出そうになる。


 うっそうと茂る木々の隙間から、わずかな木漏れ日が落ちた。湿った地面に、じわりと光が広がる。


 クワッークワッ、と空の向こうから不気味な鳴き声が響いた。制服の半袖が肌身にしみる。


 チラリと背後を見た。


 形の良いおでこに張り付いた長い前髪の下、彼女は無言で僕の後をついてくる。


 僕は立ち止まり、重苦しい空を仰ぐ。




 ──そう、全ての始まりは、あの鏡のせいだ。





◇◇◇


 制服が夏服に変わる衣替えの季節。


 ジメジメとした小雨が鬱陶うっとうしい放課後だった。


「──それで、話って一体何? 私の下駄箱に手紙を入れたの、貴方なんでしょ?」


 校舎四階。


 人気のない階段の踊り場。無造作に立て掛けられた大鏡を背に、彼女──柊美空ひいらぎみそらは、正面で向かい合う僕を射抜くように睨みつけ、腕を組んだ。その表情は明らかに不機嫌で気だるそうだ。


「ぁ、はい……ええっと、その……」


 そして僕、南雲悠一なぐもゆういちは、ここにきて何度も繰り返し練習した台詞もすべて頭から吹っ飛んで、無理やり吐き出した言葉でさえも、語尾が小さく言い淀んでしまう。


 柊さんは、男子平均身長の自分よりも、ほんの数センチ背が低いぐらいなので、その威圧的な態度も相まってか、僕は不良に呼び出された気弱な男子生徒のような態度になってしまった。


 正面の古い大鏡に映る彼女の真っ白なブラウスの背中が、まるで今の情けない自分の姿を嘲笑うかのように見える。


 ただ、柊さんは今まで話したこともない、同じクラスというだけの僕のために、わざわざこんな場所に出向いてくれた。


 だから──。


(え〜い、もう、当たって砕けろだっ!)


 意を決し、引き気味だった腰を整え、逸らしていた視線を改め、真っ直ぐ彼女の長いまつ毛に隠れた瞳の奥を見つめた。


「……ぇ」


 すると、今度は柊さんがたじろぐ。あんな毅然とした態度だったのに、何だか今は逃げ腰になっている。


 それでも──、


「ひ、柊さんっ、僕はあなたのことがㇲ」


「ごめんなさい」


「……へ? ま、まだ、最後まで、」

「私は貴方と付き合えません」

「言ってな、」


「貴方に興味がありません。だからお断りします」


 取り繕うまでもない拒絶。


 冷たく無表情で言い放つ彼女の顔を見ながら、それでも僕は思う。


 奇麗きれいな顔だよな──と。


 肩の先まで伸ばしたつやのある黒髪に沿って描かれた、まるで日本人形のような端正な顔立ち。後ついでにチェック柄のプリーツスカートから伸びるスラリとした足も。


 色々と理屈をこねていたけど、僕が好きになる女子はやはり見た目重視なのだろうか?


 いや、たしかにそこは大事だけど、彼女、柊美空さんに至っては、その佇まいというか、優等生特有の近寄りがたいオーラが逆に気高く感じて……そんな彼女に告白を決意する自体、なんとも無謀だったかもしれない。


 ……まぁ、何にしても、僕は彼女にフラれたらしい。

 

「──私、自分より学力が劣る人には、全く興味がありませんので」


 あ、そういうこと?


 確かに柊さんの成績は優秀だ。今学年で常に一ケタ順位をキープしていた。当然その成績順に僕は遥かに劣る。それが本当に告白を断わる理由だったのなら、自分にも努力次第で多少なりとも可能性があったわけか……ま、いまさらだけど。


 ともあれ、こうなったら一刻も早くこの場からいさぎよく去るべきだろう。


「……わざわざ呼び出してごめん。じゃ、僕は行くから」


 言葉少なく、僕は彼女に、〝大鏡〟に背を向けた。


「本当にごめんなさい……」


 その時、彼女らしからぬ謝罪の声が背後から聞こえて、むなしくも、僕はちょっとだけ救われた。うん、このままさっさと家に帰ってふて寝しよう。


 ──と思った瞬間……だった。


 ガタッ──。


「きゃっ!」


 背後から物音と共に彼女から短い悲鳴。


 僕は慌てて後ろを振り向く。


「へ?」


 絶句。


 なんとたった今、目の前で柊さんが──大鏡の中に吸い込まれた。


 自分でも一体何を言っているのか、さっぱりわけわからないが、この瞬間も、柊さんの細い右手が鏡の中から延びている。その手もたった今吸い込まれてしまった。これは断じて見間違いなんかではない。


「おお、おい、な、何でだよ!?」


 一瞬の出来事で、呆気にとられながらも、咄嗟に僕は鏡の前に駆け寄った。一見すると、ただの古ぼけた大きな鏡だ。


「──って、返せよっ! 今すぐ柊さんを吐き出せ──」


 無駄だと思いながらも、大鏡に右拳を思い切り叩きつける。鏡はことのほか頑丈で、何度も強く殴ろうが割れるどころか、ひびひとつ入らない。


「い、一体どうすれば……警察、いや、消防? とと、とにかく誰か呼ばないと──、」


 その時だ。


 パニくる僕にも、異変が──。


「な、」


 と、ここから後の記憶は、綺麗さっぱり途切れた。





 ──そして、気づけば、僕は森にいた。


 それと柊さんもいた。


 彼女は、空を見上げながら呆けていた。


 そして──現在に至る。


 あの不思議な大鏡のことは、今の今まで忘れていた。記憶力だけは自信があったのになぜ?


 大事なことだったのに──。




「……どうしたの? 顔真っ青だよ」


 隣で歩く彼女、柊さんが僕の顔を覗き込む。


「……え? い、いや、大丈夫。それより先を急がなきゃ日が暮れちゃうからさ」

「……うん、そだね。急ごうか、南雲君……」


 ここに来た最初こそは、現状が理解不能で二人してパニくっていたけれど、今現在はどうにか落ち着いている。


 それと、今の柊さんといえば、問答無用で僕をフったあの剣呑けんのんさはさっぱりと消え失せていて、今はごく普通の態度で自分と接してくれている。


 ……ま、彼女にフラれた身としては、若干思うところがあるが、この状況だ。仕方ないよな……というか、ちょっと嬉しい。


 って、それよりも、この樹海に迷い込んだ経緯についてだが、あの理解しがたい古い大鏡の出来事を考慮すると、これこそ信じがたいが、まさかの『異世界』に転じた可能性が大だ。


 さしあたって僕と柊さんに、チート能力だとか女神特典その他もろもろが備わった形跡は一切ない。当然叫んでもステータスウィンドウは出てこないし、チュートリアル的な謎の声も一切聴こえてこない。


 当たり前だ。


 そんなのラノベやアニメだけのテンプレにすぎない。


 現実はそんなに甘くはない。


 僕らは非力なまま、この不可解な異界を脱出しなければならない──。


 とはいえ、もしあの鏡が何だかのテレポート的な瞬間移動装置で、ただ単に『現代の日本のどこかに飛ばされた』だけだとすれば、飛ばされた場所がどこにせよ、まだ家に帰れる可能性があるのだが……。


「……ええと、南雲君。まだ明るくてよくわからないけど……、そのぉ……何だか月が二つに見える、かも?」

「え? ……見える──」


 そんなテンプレいらねーよ!


「あはは──」

「くふふ──」


 森の中、自然と二人で笑った。いや笑い合うしかなかった。


 それと本格的に周りが薄暗くなってきた。


 僕らは完全に、詰んだ、かも知れない──。

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