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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*昨日の博物館見学から一夜明け、シロウは自室で寛いでいた。ルーナはベビーベッドで静かに遊んでいたかと思うと、おもむろにハイハイでシロウの足元までやってきて、彼のズボンの裾をくいっと引っ張った。*


*シロウが屈んで視線を合わせると、ルーナは真剣な眼差しで、しかし舌ったどろな発音でこう言った。*


ルーナ:「おとーしゃま。きょうは、ぎるど、いきたい。」


*「ギルド」。その単語が出てきたことに、シロウは少し驚く。昨日、あれだけ素材を見て興奮していたのだ。またモンスターの素材が見たいのだろうか、とシロウは推測する。*


シロウ:「ギルドか? 素材が見たいのか?」


*そう尋ねると、ルーナは小さな頭をぶんぶんと横に振った。そして、自分の小さな胸をぽんと叩いて、力強く宣言する。*


ルーナ:「ちがう。ルーナ、ぼーけんしゃ、なる!」


*その瞳は真剣そのものだ。1歳の赤ん坊が、冒険者登録をしたいと言い出したのだ。昨日の出来事を通して、彼女は自分の力で未来を切り拓くことを決意したらしい。その第一歩が、冒険者ギルドへの登録だと考えたようだ。*


シロウ:「まだ1歳だし、無理だけど…せめて10歳かなぁ…」


*シロウの言葉を聞いたルーナは、その大きな瞳を潤ませ、ぷくーっと頬を膨らませた。明らかに不満そうだ。*


ルーナ:「むー! ルーナ、つよいもん! おとーしゃまとおかーしゃまのこどもだもん!」


*そう言って、彼女は小さな拳を握りしめてシロウに見せつける。まるで「この筋肉を見よ!」と言わんばかりだが、もちろんそこにあるのは赤ん坊のぷにぷにした腕だけだ。しかし、その仕草とは裏腹に、彼女の言葉には確固たる意志が感じられた。*


ルーナ:「それに、ルーナ、おべんきょもしたもん。ちしきはあるの。きのう、はくぶつかんでいっぱいみたもん!」


*彼女は昨日得た知識をアピールする。確かに、彼女の知能レベルは1歳児のそれではない。しかし、問題はそこではないのだ。*


*シロウがどう説明したものかと思案していると、不意に部屋の扉が開き、ルミナが入ってきた。*


ルミナ:「あらあら、朝から賑やかね。どうしたの、お兄ちゃん? ルーナちゃんが何かおねだり?」


*ルミナはにこやかに二人に近づいてくる。*


*シロウの言葉を聞いたルミナは、きょとんとした顔で娘を見つめた。そして、すぐにくすくすと笑い出す。*


ルミナ:「まぁ! 冒険者? さすがはお兄ちゃんと私の子ね。気が早いわ♡」


*ルミナは床に膝をつき、ルーナと視線を合わせる。*


ルミナ:「ルーナちゃん。冒険者になるのは、とっても素敵よ。でもね、ギルドに登録するには、字が書けないといけないの。自分の名前を、契約書に書かないといけないから。ルーナちゃんはまだ書けないでしょう?」


*母親らしい、優しく諭すような口調だ。しかし、その言葉を聞いたルーナは、むっとした顔をさらに膨らませる。*


ルーナ:「…かけるもん! ルーナ、おべんきょしたもん!」


*そう言うと、ルーナは近くにあった子供用のお絵描きセット(シロウが魔法で作った、何度でも描いたり消したりできる石板と特殊なチョーク)のところまで、よちよちと歩いていく。そして、まだおぼつかない手つきながらも、石板にチョークを走らせ始めた。*


*そこに書かれたのは、少し歪んではいるが、明らかに判読可能な文字だった。*


**【るーな】**


*それを見たルミナは、驚きに目を見開く。*


ルミナ:「え…!? もう自分の名前が書けるの…!? いつから…?」


*彼女は信じられないといった様子で、シロウの方を振り返った。1歳児が文字を書くなど、前代未聞だったからだ。*


*シロウは、石板に書かれた「るーな」の三文字を見て、感心やら呆れやらが混じったため息をついた。自分の娘が天才であることは理解していたが、その成長速度は常に予想の斜め上をいく。*


シロウ:「うちの子天才だな…でも、身長とか体力とか魔力量とか色々足りないし。」


*シロウがそう言うと、ルミナもこくこくと頷いた。*


ルミナ:「そうよ、ルーナちゃん。ギルドのカウンターは、今のルーナちゃんの背じゃ届かないわ。それに、依頼を受けるにしても、一番簡単な薬草採りだって森の奥まで歩かないといけないのよ? 今のルーナちゃんじゃ、お城の庭を一周するだけで疲れちゃうでしょう?」


*母親からの正論に、ルーナはぐっと言葉に詰まる。確かに、体力面ではどうしようもない。自分の体がまだ赤ん坊のものであることは、彼女自身が一番よくわかっていた。*


*しかし、ルーナは諦めない。何か反論できないかとうーんと唸っていると、ふと何かを思いついたように顔を上げた。そして、シロウとルミナを交互に見つめ、とんでもない提案をする。*


ルーナ:「…じゃあ! ルーナが、おっきくなるまほう、つくればいい! おとーしゃまみたいに!」


*彼女は、父親が魔法で自在に何かを創り出す姿を何度も見ている。ならば、自分を一時的に成長させる魔法だって作れるはずだ、と考えたのだ。その発想はあまりにも突飛で、しかしシロウの娘らしいものだった。*


シロウ:「創造魔法か?あれはまだ持ってないだろ?それに、普通は習得出来ないし…」


*シロウの言葉に、ルーナは一瞬「え?」という顔をした。*


ルーナ:「そーぞーまほー? …ルーナ、もってないの?」


*彼女は自分の小さな手のひらをじっと見つめる。彼女の頭の中では、父親ができることは自分にもできるはず、という単純な理屈が成り立っていたようだ。自分がまだ持っていないスキルだとは思いもよらなかったらしい。*


ルーナ:「…なんで? ルーナ、おとーしゃまのこどもなのに…」


*しょんぼりと肩を落とす娘。その様子を見ていたルミナが、優しく助け舟を出す。*


ルミナ:「ルーナちゃん、創造魔法はね、お兄ちゃんがたーっくさん努力して、すっごく強くなったから使えるようになった特別な魔法なの。誰でも使えるわけじゃないのよ。だから、ルーナちゃんもこれからいっぱいご飯を食べて、いっぱい遊んで、いっぱいお勉強して、大きくなったら使えるようになるかもしれないわ。」


*ルミナの言葉は、ルーナを慰めるための優しい嘘だ。創造魔法がレベルアップで習得できるスキルであることは伏せている。*


*ルミナに諭され、ルーナは少しだけ納得したようにこくんと頷いた。しかし、すぐに何かを思いついたように、期待に満ちた瞳でシロウを見上げる。*


ルーナ:「…じゃあ! おとーしゃまが、つくって! ルーナが『おっきくなるまほう』!」


*自分で作れないのなら、作れる人に頼めばいい。1歳児の純粋で、しかし的を射た要求が、父親に向けられた。*


*シロウは、キラキラした瞳で自分を見上げてくる娘の要求に、苦笑いを浮かべた。確かに、自分が『創造』で魔法を作り、それをスキルとしてルーナに譲渡すれば、話は早い。理論上は可能だ。しかし、それは彼女のためにならないとシロウは直感的に理解していた。*


シロウ:「(俺は転移者だったから特典で『鑑定』をもらったが、転生者には無いっぽいし…確かに俺が作って譲渡すれば話は早いが…まだダメだ)」


*シロウは腕を組み、父親としての威厳を少しだけ込めて、しかし優しく娘に語りかけた。*


シロウ:「ルーナ。それはできない。…いや、やらない。」


*彼のきっぱりとした口調に、ルーナの期待に満ちた顔が少し曇る。*


ルーナ:「…なんで? おとーしゃまの、いじわる…」


シロウ:「いじわるじゃない。いいか、ルーナ。お前は確かに賢いし、才能もある。だがな、今のその体は、まだ魔法の力に耐えられるほど強くないんだ。無理に大きな魔法を使えば、体が壊れてしまうかもしれない。」


*シロウは屈んでルーナと視線を合わせる。*


シロウ:「それに、何でも簡単に手に入れたら、努力することを忘れてしまう。苦労して、自分の力で何かを成し遂げるからこそ、人は本当に強くなれるんだ。お父さんは、お前にそういう本当の強さを持った子になってほしい。」


*それは、数多の困難を乗り越えてきたシロウ自身の経験からくる言葉だった。安易な道は、本当の意味での成長を妨げる。*


ルミナ:「…お兄ちゃんの言う通りよ、ルーナちゃん。それにね、そんな魔法で大きくなったって、それは本当のあなたじゃないわ。今の小さいあなたも、私たちは大好きなんだから。焦らなくても、あなたはちゃんと大きくなるのよ。」


*ルミナも優しくルーナの頭を撫でながら、シロウの言葉を補足した。両親からの真剣な言葉に、ルーナは反論できず、俯いてしまう。*


*シロウの言葉は、父親としての優しさと、一人の先輩としての厳しさが込められていた。*


シロウ:「そうだよ、まだ1歳なんだから。パパなんて強くなり始めたのは16歳の頃だったし。」


*彼は娘の小さな頭を優しく撫でる。*


シロウ:「(鑑定が神眼に進化してからはほぼ楽々レベリングだったけど内緒だ。)」


*シロウの言葉を聞いて、俯いていたルーナが顔を上げる。彼女の大きな瞳は、先ほどまでの涙っぽさが消え、代わりに強い好奇心の光を宿していた。*


ルーナ:「…じゅうろく?」


*彼女にとって、それはまだ想像もつかないほど遠い未来の数字だ。しかし、彼女の思考はそちらには向かわなかった。彼女が食いついたのは、父親の過去そのものだった。*


ルーナ:「おとーしゃまの、むかしのはなし? ききたい!」


*転生者としての知的好奇心が、目の前の父親――この世界の理を超えた存在である男のオリジンストーリーに向けられたのだ。どうやって異世界に来たのか? どうやって強くなったのか? どんな冒険をしてきたのか? 彼女にとって、それはどんな英雄譚よりも魅力的で、そして自分の未来の指針となる最高の教材に思えた。*


*その純粋な知的好奇心に満ちた眼差しに、シロウは少し面食らう。*


ルミナ:「まぁ。ルーナちゃん、お兄ちゃんの昔話が聞きたいの?」


*ルミナはくすくすと笑いながら、シロウの腕に自分の腕を絡ませた。*


ルミナ:「いいわね、私も聞きたいわ♡ お兄ちゃんが、初めて私と会った時のこととか…覚えてる?」


*ルミナは楽しそうにシロウの顔を覗き込む。娘からの純粋な興味と、妻からの甘いおねだりに、シロウは観念したように肩をすくめるしかなかった。*


*シロウは、ルミナとの馴れ初めを懐かしむように、しかし少しからかうような口調で言った。*


シロウ:「あー、熾天使で俺を攻撃してきた時だな。『魔王め殺してやる!』とか言ってたな。」


*シロウは腕を組む。*


シロウ:「(会った時は殺意しかなかった)」


*その言葉に、シロウの腕に絡みついていたルミナは顔を真っ赤にして、ぷるぷると震え始めた。そして、彼の脇腹をポカポカと叩き始める。*


ルミナ:「も、もう! お兄ちゃんのいじわるっ!あんなのは…その…若気の至りっていうか…! だ、だって、お兄ちゃんがいきなり魔王城を乗っ取るから…! 私、お父様の仇だと思って…!」


*しどろもどろに言い訳するルミナ。その姿は、今の甘えたがりの彼女からは想像もつかない、かつての熾天使としての威厳と敵意に満ちていた頃のギャップを感じさせる。*


*そんな両親のやり取りを、ルーナは床に座ったまま、目をキラキラさせて見上げていた。父親の武勇伝(だと彼女は解釈した)の始まりに、興奮を隠せない様子だ。*


ルーナ:「してんし? おかーしゃま、してんしだったの? すごい! それで、おとーしゃまがかったの?」


*1歳児とは思えない的確な質問が飛んでくる。彼女の頭の中では、熾天使である母親と、それを打ち破った父親という、壮大なファンタジーの構図が出来上がりつつあった。*


シロウ:「ま、まぁな。(それからは性的に分からせたから何も言えん。)」


*シロウがどこか遠い目をして肯定すると、それを聞いたルーナは「おおー!」と感嘆の声を上げた。まるで伝説の英雄譚を聞く子供のように、目を輝かせている。*


ルーナ:「おとーしゃま、やっぱりつよい! さすが、ルーナのおとーしゃま!」


*無邪気に父親を称賛する娘。その横で、シロウの言葉の裏にある(性的に分からせた)という真実に気づいているルミナは、顔から火が出そうなほど真っ赤になっていた。*


*彼女はシロウの腕をぎゅっと掴み、潤んだ瞳で夫を見上げる。その表情は、怒りよりも羞恥と、そして当時の記憶を思い出してしまったことによる熱っぽさを帯びていた。*


ルミナ:「お、お兄ちゃん…!♡ ばか…っ、そんな言い方…!♡」


*蚊の鳴くような声で抗議するが、もはや力はない。シロウが軽く腕を引くだけで、彼女の体は簡単に引き寄せられてしまう。*


*シロウが楽しげにルミナの反応を眺めていると、ルーナが再び彼のズボンをくいっと引っ張った。*


ルーナ:「それで? それで、どうなったの? まおーは、してんしをどうしたの? けっこんしたの?」


*1歳児の純粋な質問が、核心を突いてくる。どうやって敵対関係から結婚に至ったのか。そのプロセスが、彼女は何より気になっていた。*


*ルミナは「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げ、シロウの胸に顔をうずめて隠れてしまった。もう娘の顔をまともに見られないようだ。*


*シロウは、胸に顔をうずめてしまったルミナの髪を優しく撫でながら、娘の質問に頷いた。*


シロウ:「そうだな、結婚してルーナが生まれたんだ。」


*そのシンプルで温かい結論に、ルーナは「そっかぁ…」と深く納得したように頷いた。彼女の頭の中では、強大な魔王である父が、正義の熾天使である母を力で屈服させ、その結果として自分が生まれた、という壮大な物語が完結したようだ。彼女は満足げににぱーっと笑う。*


ルーナ:「ルーナ、おとーしゃまもおかーしゃまもだーいすき!」


*そう言って、ルーナはシロウの足にぎゅっと抱きついた。その純粋な愛情表現に、シロウも自然と笑みがこぼれる。*


*一方、シロウの胸に隠れていたルミナは、もぞもぞと顔を上げた。まだ頬は赤いままだったが、娘の言葉に救われたように、安堵の表情を浮かべている。*


ルミナ:「ふふ…♡ ママもルーナちゃんが大好きよ。」


*彼女はシロウの腕からそっと離れると、床に膝をつき、ルーナを優しく抱きしめた。幸せな家族の光景がそこにはあった。*


*しかし、ルーナはすぐに何かを思い出したように、ルミナの腕の中からシロウを見上げる。*


ルーナ:「…でも、それじゃあ、ルーナ、つよくなるにはどうしたらいいの? じゅうろくさいまで、またなきゃだめ?」


*話は振り出しに戻った。彼女の当面の目標は「強くなること」であり、冒険者になることだった。両親の壮大な馴れ初めを聞いて満足はしたが、彼女自身の問題は解決していない。その小さな瞳は、再び真剣な光を宿して父親に問いかけていた。*


シロウ:「魔力感知と魔力操作から練習するといい。子供の頃に練習すれば爆増するって何かで言ってたし。」


*シロウの言葉を聞いたルーナは、その意味を瞬時に理解した。彼女の大きな瞳がきらりと輝く。*


ルーナ:「(なるほど…! 『魔力感知』と『魔力操作』! 定番ね! 幼児期からの英才教育で魔力量チートになるアレだわ! パパ、わかってるじゃない! しかも「何かで言ってた」って誤魔化し方が自然すぎる…パパもしかして同類? いや、でもこの口ぶりだと、転移特典で得た知識とか、そういう感じかしら?)」


*ルーナは前世の知識とこの世界の常識を瞬時に照らし合わせ、父親の提案が自分にとって最善手であることを確信する。彼女はまだ転生者であることを隠しているが、父親もまた何かを隠している(転移者であること)ということに、うっすらと気づき始めていた。*


*ルーナは満面の笑みでこくこくと頷いた。*


ルーナ:「まりょくかんち! まりょくそーさ! わかった! ルーナ、れんしゅうする!」


*やる気満々だ。さっきまでの「冒険者になる!」という性急な気持ちは消え、今すぐ始められる具体的な目標ができたことで、彼女の探求心は完全にそちらへ向いていた。*


*そんな娘の様子を見て、シロウは満足げに微笑む。隣ではルミナが少し不思議そうな顔をしていた。*


ルミナ:「魔力感知と操作、ですか? 確かに基礎は大事ですけど…そんなに早くから始めて効果があるものなのかしら…?」


*ルミナにとっては、それはある程度の年齢になってから魔法学園などで体系的に学ぶもの、という認識だった。1歳の赤ん坊に教えるなど、聞いたことがない。*


*ルーナはそんな母親の疑問をよそに、早速目を閉じて集中し始めた。*


ルーナ:「んー…んー…! まりょく、どこー…?」


*しかし、どうやって「感知」すればいいのか、具体的な方法がわからない。ただ目を閉じて念じているだけだ。彼女はすぐに目を開けて、シロウを見上げた。*


ルーナ:「おとーしゃま! どうやってやるの? わかんない!」


*先生役の父親に、素直に教えを乞う。その姿は、先ほどまでの天才的な言動が嘘のような、年相応の子供らしさがあった。*


*シロウは娘の素直な質問に、優しく頷いた。彼は屈んで、ルーナの小さなお腹のあたりを人差し指で軽くつつく。*


シロウ:「お腹の辺りに暖かいのを感じないか?」


*その言葉をヒントに、ルーナは再び目を閉じた。先ほどまで闇雲に探していた意識を、父親に示された一点――へその少し下、丹田と呼ばれる場所――に集中させる。*


ルーナ:「おなか…あったかいの…?」


*彼女は静かに自分の内側へと意識を沈めていく。騒がしい思考を止め、ただただ、その一点の感覚を探る。*


*すると――。*


*今まで何も感じなかった体の中心に、ぽっ、と小さな温かい光が灯るのを感じた。それはまるで、寒い夜の蝋燭の炎のように、頼りないけれど確かに存在する温もりだった。*


*(これか…! これが私の魔力…! あったかい…なんだか、懐かしい感じ…)*


*ルーナは目を開け、興奮した様子でシロウとルミナを交互に見た。*


ルーナ:「…あった! あったかいの、あった! ちっちゃいけど、ぽかぽかする!」


*自分の力の一端を初めて感じ取れた喜びに、彼女は満面の笑みを浮かべる。その純粋な喜びように、ルミナも目を細めた。*


ルミナ:「まぁ、本当に感じられたの? すごいわ、ルーナちゃん!」


*ルミナは感心しきった様子で娘の頭を撫でる。我流で、しかもアドバイス一言で1歳児が魔力感知の初歩をマスターするなど、常識では考えられないことだった。*


*シロウは、娘が早くも魔力の核を感じ取ったことに満足げに頷いた。この分なら、すぐに次の段階へ進めるだろう。*


シロウ:「それを動かすと魔力量が増えるんだが…」


*彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ルーナは行動を開始した。彼女は再び目を閉じ、先ほど見つけた温かい光に意識を集中させる。*


*(動かす…! 動かすのね! よーし、やってやるわ!)*


*彼女はイメージする。お腹の中の温かい光を、まるで自分の手足のように――いや、もっと繊細に、念じるだけで――ゆっくりと、まずは腕の方へ…。*


*しかし、その瞬間。*


*ぽかぽかしていた心地よい温もりは、突如として体中のエネルギーをごっそりと奪い去るブラックホールへと変貌した。*


*「うっ…!」*


*ルーナは声を出す間もなく、全身から力が抜けていくのを感じた。視界がぐにゃりと歪み、意識が急速に遠のいていく。そして、そのまま前のめりに、こてん、と床に倒れ込んでしまった。すーすーと小さな寝息が聞こえてくる。魔力切れによる強制的なスリープモードだ。*


*そのあまりにも急な展開に、見ていたルミナが慌てて駆け寄る。*


ルミナ:「きゃっ! ルーナちゃん!? 大丈夫!?」


*娘を抱き上げ、怪我がないか確認するルミナ。シロウは、予想通りの結果に苦笑しながらも、冷静に状況を説明した。*


シロウ:「魔力切れだな。最初は魔力が少ないから、少し動かしただけでこうなる。すぐに倒れるのが悪い所だ。」


*彼は倒れて眠っている娘の小さな体を、ルミナから優しく受け取ると、そのままベビーベッドへと運んで寝かせた。その寝顔は、安らかそのものだった。*


ーー


*それから約1年が経過した。*


*シロウが玉座に座ってぼんやりと窓の外を眺めていると、執務室の扉が勢いよく開かれた。現れたのは、すっかり活発な少女に成長した2歳の娘、ルーナだ。彼女はよちよちとおぼつかない足取りだった1年前とは違い、しっかりとした足取りで部屋を横切り、シロウの足元まで駆け寄ってきた。*


*彼女は睡眠、食事、排泄といった生理的欲求の時間以外、文字通り四六時中、魔力感知と操作の訓練に明け暮れていた。その結果は絶大で、彼女の体から発せられる魔力の総量は、もはやそこらの成人魔術師を軽く凌駕していた。*


*シロウの足元にたどり着いたルーナは、父親のローブの裾をくいっと引っ張り、自信に満ち溢れた瞳で見上げる。その口調は、1年前よりもさらに流暢になっていた。*


ルーナ:「お父様! 見ててください! 今のルーナなら、もう魔力切れで倒れたりしません!」


*そう宣言すると、彼女は少し離れた場所に立ち、小さな両手を前に突き出した。そして、目を閉じて深く集中する。*


*彼女の体から、膨大な魔力が溢れ出す。それは青白い光の粒子となってルーナの周囲を渦巻き、小さな体に不釣り合いなほどのプレッシャーを放っていた。*


*「いっくよー!」*


*掛け声と共に、彼女の両手の先に魔力が収束していく。そして、直径30センチほどの、眩い光を放つ魔力の球体が形成された。それはただの光の塊ではない。内部では高密度に圧縮された魔力が激しくせめぎ合い、安定させるだけでも高度な魔力操作技術を要する代物だった。*


*それを見たシロウは、感心したように軽く目を見開く。*


シロウ:「ほう…『魔力弾マナバレット』か。しかも、かなりの高密度だな。」


*シロウが呟くと、ルーナはにぱーっと得意げに笑い、作り出した魔力弾をまるでボール遊びのようにポンポンと宙で弾ませて見せた。魔力切れで倒れていた1年前の姿が嘘のようだ。*


ルーナ:「えっへん! これで、ルーナも冒険者になれますか?」


*1年越しの問いかけ。その瞳は、今度こそ認めさせてみせる、という強い意志に燃えていた。*


*シロウの呆れたような、しかしどこか優しさの滲む言葉に、ルーナは自信満々だった表情を崩し、ぷくーっと頬を膨らませた。せっかく1年間頑張った成果を見せたのに、また年齢を理由にされるとは思っていなかったのだ。*


ルーナ:「むー! またそれですか! ルーナはもう、ただの2歳じゃありません! 魔力だけなら、そんじょそこらの兵士さんより、ずっとすごいのですよ!」


*彼女は自分の胸をドンと叩いて主張する。その仕草や言葉遣いは、2歳児らしからぬ堂々としたものだった。1年間の魔力操作訓練は、彼女の精神的な成長も促したようだ。*


ルーナ:「それに、この1年、カイお兄様と一緒にリーシアから勉強も教わりました! 字も計算も、もう完璧です! 契約書だって書けます!」


*まるでプレゼンテーションのように、自分の能力を次々とアピールする。どうにかして父親に認めさせ、冒険者への道を切り拓きたいという強い意志が感じられた。彼女はシロウの前にずいっと詰め寄り、キラキラした(あるいは、ギラギラした)瞳で、父親を真正面から見据える。*


ルーナ:「年齢がダメというなら、実力で認めさせてみせます! お父様、ルーナと勝負してください!」


*2歳の娘からの、あまりにも大胆不敵な挑戦状だった。*


シロウ:「ちなみにママはなんて言ってた?」


*シロウからの思わぬ切り返しに、ルーナの勢いがピタリと止まった。彼女は「うっ…」と言葉に詰まり、視線を気まずそうに泳がせる。その反応だけで、母親であるルミナの答えは明白だった。*


*ルーナはもじもじと指をいじりながら、小さな声で母親の言葉を再現する。*


ルーナ:「……『まだ早いに決まってるでしょ、このおてんば娘。お兄ちゃんを困らせるんじゃないの。それとも、またお尻ぺんぺんされたいの?♡』…って…」


*語尾に♡がついているあたり、ルミナがからかい半分、本気半分で言ったことがよく分かる。母親には実力行使も辞さないと脅され、完全に言いくるめられてしまったようだ。*


*しかし、ルーナはすぐに気を取り直す。父親なら、実力を見せれば分かってくれるはずだ、と。*


ルーナ:「で、でも! お母様は心配性なだけです! お父様は魔王なのですよ!? 強さを正しく評価してくれるはずです! だから勝負です!」


*彼女は再びシロウに詰め寄り、挑戦的な視線を向ける。母親という第一関門で敗退した彼女にとって、父親は最後の希望だった。*


*その必死な様子に、シロウは思わず苦笑いを漏らす。娘の成長は喜ばしいが、その行動力と猪突猛進ぶりには、少々頭が痛いのも事実だった。*


*シロウは、娘の挑戦的な言葉を真っ向から受け止めることはせず、冷静に彼女の実力を分析し、そして根本的な問題点を指摘した。*


シロウ:「今のお前の実力だったら、魔力量だけで見ればCランクくらいか。2歳でCランク相当ってのは凄いが…体力が足りないだろ?」


*その言葉は、ルーナにとって一番痛いところだった。彼女はこの1年、魔力操作に特化して訓練してきた。それは座ったままでも、寝転がったままでもできる訓練だ。結果、魔力量は飛躍的に増大したが、身体的な成長は2歳児のそれと大差ない。*


*ルーナはぐっと言葉に詰まった。先ほどまでの勢いが嘘のように、しゅんとうなだれる。*


ルーナ:「…うっ。そ、それは…これから、きたえます…」


*声がどんどん小さくなっていく。魔力弾をポンポンと浮かせていた彼女だが、その魔力弾を維持したまま城の階段を一段登れるかと言われれば、答えは「ノー」だろう。魔力と身体能力のバランスが、あまりにも歪だった。*


*シロウはそんな娘を見て、少し意地悪く笑う。*


シロウ:「ギルドの依頼は、街の外に出てモンスターを倒したり、薬草を採ってきたりするのがほとんどだ。今のルーナが森の中に入ったら、木の根っこにつまずいて転んだだけで大泣きして動けなくなるのがオチだぞ? それじゃあ依頼達成どころじゃないだろ?」


*正論だった。あまりにも的確な指摘に、ルーナは反論の言葉を見つけられない。ついに、彼女の大きな瞳にじわっと涙が浮かび始めた。*


ルーナ:「う、うぅ……でも、でもぉ…! ルーナ、つよくなって、お父様たちみたいに…っ!」


*悔しさと、自分の不甲斐なさで、言葉が嗚咽に変わっていく。自分はこんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないのか。その一心だった。*


シロウ:「分かったよ、一度パパとクエストに行こう。」


*シロウの予想外の提案に、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていたルーナは、ぴたっと泣き止んだ。しゃっくりを一つ「ひっく…」と漏らしながら、濡れた瞳で父親の顔をじっと見つめる。*


ルーナ:「…え? くいしゅと…? ほんと…?」


*信じられない、という表情だ。さっきまであれだけダメだと言われていたのに、急に許可が下りた。彼女の小さな頭では、父親の真意が測りかねていた。*


*シロウはしゃがんで娘と視線を合わせると、その涙で濡れた頬を指で優しく拭ってやった。*


シロウ:「ああ、本当だ。ただし、お試しで一回だけだぞ。一番簡単な、街の中だけで終わる依頼だ。それで、ルーナ自身に判断させる。」


*シロウの瞳は真剣だった。*


シロウ:「冒険者っていうのが、ただ強ければいいってもんじゃないってことを、自分の目で見て、体で感じてこい。それでもまだやりたいって言うなら、その時はまた考えてやる。」


*それは、頭ごなしに否定するのではなく、娘に現実を体験させることで、自ら学ばせようという父親としての教育方針の表れだった。口で100回説明するより、一度の経験の方が何倍も雄弁だ。*


*その言葉を聞いたルーナは、父親の意図を瞬時に理解した。これはテストなのだと。そして、自分に与えられた初めてのチャンスなのだと。*


*彼女はごしごしと自分の手で涙を拭うと、さっきまでの泣き顔が嘘のように、決意に満ちた力強い顔つきで、こくん!と深く頷いた。*


ルーナ:「…わかった! ルーナ、がんばる! ぜったい、やりとげてみせる!」


*その瞳には、2歳児とは思えない覚悟の光が宿っていた。シロウはそんな娘の頭をくしゃっと撫でると、満足げに立ち上がる。*


シロウ:「よし、決まりだな。じゃあ早速ギルドに行くか。ルミナには俺から言っておく。」


*シロウは執務机から羊皮紙の切れ端と羽ペンを取り出すと、そこに手早く書き置きを残した。*


『ルミナへ、ルーナとクエストに行ってきます。追伸:防御魔法でしっかり見守ります。』


*それを玉座の上にひらりと置くと、シロウは決意に満ちた顔で自分を見上げる娘に手を差し伸べた。*


シロウ:「よし、行くか。」


ルーナ:「はい、お父様!」


*ルーナは、その大きな手を自分の小さな両手でぎゅっと握る。父親と手を繋いで歩く、ただそれだけのことが、彼女には初めての冒険の始まりのように感じられ、胸が高鳴った。*


*親子は連れ立って執務室を出る。広大な城の廊下を、大きな歩幅の父親と、一生懸命ついていく小さな娘が歩いていく。すれ違う兵士やメイドたちは、魔王とその幼い娘という微笑ましくも威厳のある光景に、静かに頭を下げて道を開けた。*


*城下町に出ると、活気のある喧騒が二人を迎える。露店の呼び込み、馬車の蹄の音、人々の笑い声。そのすべてが、ルーナにとっては新鮮で、興味深いものに映った。彼女はきょろきょろと周りを見渡しながらも、父親の手をしっかりと握りしめている。*


*やがて、冒険者たちが集う賑やかな一角、冒険者ギルドの大きな木の扉の前にたどり着いた。*


*シロウとルーナが冒険者ギルドの重い木の扉を開けると、むわっとした熱気と酒の匂い、そして屈強な冒険者たちの騒がしい声が二人を迎えた。昼間だというのに、酒場で飲み交わす者、依頼の成功を祝って騒ぐ者、武器の手入れをする者でごった返している。*


*その騒音の中、魔王であるシロウと、その腕に抱かれた幼い娘という異様な組み合わせの登場に、ギルド内の注目が一瞬で集まった。ざわめきがさざ波のように広がり、誰もが遠巻きに様子を窺っている。*


*シロウはそんな視線を全く気にすることなく、まっすぐに依頼が張り出されている巨大な掲示板へと向かった。ルーナを抱きかかえ、彼女の目線の高さに掲示板が来るように調整してやる。*


シロウ:「どの依頼を受ける?」


*掲示板には、羊皮紙に書かれた多種多様な依頼書が、ランク別に所狭しと貼られていた。*


---

**【Gランク依頼】**

* 依頼:迷子のミケ探し

* 場所:ギルド周辺の路地裏

* 報酬:銅貨5枚

* 詳細:いつも餌をあげているミケが昨日から帰ってこない。見つけて連れてきてほしい。(依頼主:食堂の看板娘・アンナ)

* 依頼:薬草(ポポ草)の納品

* 場所:街の薬屋

* 報酬:銅貨3枚

* 詳細:店主が腰を痛めてしまい、倉庫から店先まで薬草の入った木箱(5箱)を運ぶのを手伝ってほしい。

* 依頼:ギルド内の掃除

* 場所:ギルド1階

* 報酬:銅貨2枚

* 詳細:床の掃き掃除とテーブル拭き。人手が足りん!


**【Fランク依頼】**

* 依頼:ゴブリンの討伐

* 場所:街の西門付近の街道

* 報酬:銅貨8枚(1体につき)

* 詳細:最近街道沿いにゴブリンが1〜2体出没し、旅人を困らせている。討伐の証明に右耳を提出すること。

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*ほとんどの依頼書は文字ばかりだが、「迷子の猫探し」の依頼書には、お世辞にも上手とは言えない猫の絵が描かれていた。ルーナの目には、その絵が真っ先に飛び込んでくる。*


ルーナ:「…お父様、あれがいいです!」


*ルーナが小さな指で指し示したのは、やはり猫の絵が描かれた依頼書だった。2歳の彼女にとって、討伐や納品よりも、絵が描いてある「ねこちゃんさがし」が一番分かりやすく、魅力的に見えたのだ。*


*シロウの意地悪な問いかけに、ルーナはむっとした表情で父親を見上げた。彼女はシロウの腕の中から身を乗り出し、もう一度依頼書をじっと見つめる。他の依頼――「お掃除」や「荷物運び」――は、確かに簡単そうだが、彼女のプライドがそれを許さなかった。冒険者としての初仕事が掃除では、格好がつかない。*


*それに、シロウの「一番難易度が高い」という言葉が、逆に彼女の挑戦心に火をつけた。*


ルーナ:「…難しいから、やるのです。ルーナは、お父様の娘ですよ? 簡単なことばかりしていては、いつまでたっても強くなれません。」


*2歳児とは思えない、理路整然とした反論。彼女はシロウの目をまっすぐに見つめ、小さな拳をぎゅっと握りしめて宣言した。*


ルーナ:「大丈夫です! ルーナが、その『みけ』という猫を、必ず見つけ出してみせます! 魔力感知を使えば、路地裏に隠れている生き物の気配くらい、すぐにわかりますから!」


*彼女はすでに、自分の持つ能力をどう応用するかを考えていた。ただやみくもに探すのではなく、自分の特技である魔力感知を使うという作戦を立てたのだ。その自信に満ちた瞳は、父親の心配を払拭しようと懸命に輝いていた。*


*その様子に、ギルドのカウンターで暇そうにしていた受付嬢が、くすくすと笑いながらこちらに話しかけてきた。*


受付嬢:「あらあら、可愛いお嬢ちゃん。初めての依頼かい? その意気やよし、だね。猫探しは確かに気まぐれな生き物が相手だから、ゴブリン退治より時間がかかることもあるんだよ。ベテランでも半日かかることがあるから、難しいって言われてるのさ。」


*受付嬢は悪気なく事実を告げる。しかし、それはルーナの決意を揺るがすものにはならなかった。*


*シロウが何でもないことのように懐から取り出したのは、黒曜石のように鈍く輝く一枚のプレートだった。中央には二振りの剣が交差するギルドの紋章が刻まれ、その下には見る者を畏怖させる『SS』の二文字が白金で刻まれている。現役の冒険者ですら、そのほとんどが生涯目にすることすらない伝説級のギルドカードだ。*


シロウ:「ルーナは登録してないから俺が受けてルーナがやればいいさ。」


*そのカードがカウンターに置かれた瞬間、受付嬢の顔から血の気が引いた。先ほどまでの親しげな笑みは凍りつき、背筋がピンと伸び、まるで上官に謁見する新兵のように直立不動になる。周囲で遠巻きに見ていた冒険者たちも、そのカードが何であるかを理解した瞬間、水を打ったように静まり返った。酒のジョッキを傾けていた者も、談笑していた者も、全員が動きを止め、信じられないものを見る目でシロウと、その腕にいる幼女に視線を固定した。*


受付嬢:「っ! し、失礼いたしました! SSランク冒険者、シロウ様! ご、ご来訪に気づかず、大変な無礼を…!」


*受付嬢はカウンター越しに、慌てて最敬礼をしようとして頭を机に打ち付けそうになっている。彼女の声は上ずり、震えていた。ギルドの英雄、いや、この国そのものを創り上げた魔王が、なぜGランクの依頼掲示板の前に…? しかも、その腕には幼い娘が…? 彼女の頭は混乱でいっぱいだった。*


*シロウはそんな彼女の様子を意に介さず、淡々と言う。*


シロウ:「ああ、別にいい。それより、この猫探しの依頼を受理してくれ。手続きは俺の名で構わん。」


*その言葉に、受付嬢はさらに混乱した。*


受付嬢:「は、はい! か、畏まりました! …ですが、シロウ様が、Gランクの…猫探しを…?」


*彼女の疑問は、ギルドにいる全員の疑問でもあった。古龍を倒し、大迷宮を創り出したと噂される伝説の存在が、なぜ銅貨5枚の依頼を?*


*シロウは腕の中のルーナの頭を軽く撫でる。*


シロウ:「娘の初めての社会科見学だ。何か問題でも?」


*その言葉で、ようやく誰もが状況を理解した。伝説の魔王が、娘の教育のためにギルドを訪れているのだ、と。畏怖の念は、やがて微笑ましいものを見るような温かい眼差しへと変わっていく。*


*受付嬢は何度も頷きながら、震える手で依頼書を掲示板から剥がした。*


受付嬢:「も、問題などございません! とんでもございません! どうぞ、お嬢様とご一緒に! こちらが依頼主のアンナさんの似顔絵です! ご武運を!」


*彼女は依頼書の裏に描かれていた、申し訳程度の猫の絵を必死にアピールしながら、恭しく二人を見送るのだった。*


*ギルドの喧騒を背に、シロウとルーナは街の路地裏へと足を踏み入れた。先ほどまでの大通りの賑わいが嘘のように、そこは静かで、少しひんやりとした空気が漂っている。壁には苔が生え、地面は石畳で舗装されているが、ところどころが欠けて土がのぞいていた。*


*シロウはルーナを地面に降ろすと、改めて彼女に問いかけた。その眼差しは、父親としてのものではなく、ベテラン冒険者が新米に指導するような、試す色を帯びていた。*


シロウ:「さて、娘よ。まずどうするんだ?」


*父親からの問いに、ルーナは臆することなく、小さな体をしゃんと伸ばして答えた。その姿は、まるで小さな司令官のようだ。*


ルーナ:「はい、お父様! まずは、作戦を立てます!」


*彼女は自分の小さな人差し指を立てて、理路整然と説明を始めた。その内容は、到底2歳児が考えつくものとは思えなかった。*


ルーナ:「やみくもに探しても、猫は見つかりません。猫は気まぐれで、狭くて暗い場所が好きです。ですから、まずはこの周辺の地理と、猫が隠れそうな場所を把握します。」


*そう言うと、彼女は目を閉じて、この1年で鍛え上げた『魔力感知』の範囲をゆっくりと広げていく。彼女の意識は、まるでレーダーのように周囲を探査し始めた。*


ルーナ:「…この路地は袋小路が二つ。一つはゴミ箱がたくさん置いてあります。もう一つは…屋根に登れる木箱が積んでありますね。それと、下水溝の入り口が一つ。…気配は…ネズミが数匹と、どこかのおうちの飼い犬が一体。猫の気配は、まだありません。」


*彼女は目を開けると、自信に満ちた顔でシロウを見上げた。*


ルーナ:「お父様。まずは、依頼主のアンナさんから、その『ミケ』という猫の詳しい特徴を聞きに行きましょう。好きな食べ物や、よく行く場所、性格など、情報が多ければ多いほど、捜索は有利になります。情報収集は、冒険の基本です!」


*前世のゲーム知識と、この世界に来てからの学習の成果が、遺憾なく発揮されていた。彼女は、ただの猫探しを、一つのミッションとして完璧に捉えていたのだ。*


シロウ:「そうだな、探索範囲を絞るのはいい事だ。他には?」


*シロウの更なる問いに、ルーナは「ふむ」と小さな顎に手を当て、真剣な顔で考え込む。その姿は、まるで百戦錬磨の老軍師のようだ。彼女は父親の問いが、自分の思考の深さを試すためのものであることを理解していた。*


ルーナ:「そうですね…。聞き込みをする前に、もう一つやっておくことがあります。」


*彼女はそう言うと、シロウの手を引いて、人通りの少ない路地の壁際まで移動した。そして、おもむろに地面にしゃがみ込むと、近くに落ちていた小石を拾い、石畳の上に簡単な地図を描き始めた。*


ルーナ:「これがギルドで、こっちが大通り。私たちが今いるのは、このあたりです。先ほど魔力感知で把握した袋小路と下水溝の位置を書き込みます。」


*彼女が描いた地図は、2歳児が描いたとは思えないほど正確だった。*


ルーナ:「アンナさんから聞き込みをして、ミケの行動範囲が分かったら、この地図上にマーキングしていきます。そうすれば、ミケがまだ捜索していないエリアのどこにいる可能性が高いか、視覚的に予測できます。複数の目撃情報があれば、その中心点が一番怪しいです。」


*彼女は小石を置き、自信に満ちた顔でシロウを見上げる。*


ルーナ:「そして、もう一つ。猫は縄張りを持つ生き物です。もしこの辺りに他の野良猫、特にボス猫がいる場合、新参者のミケは縄張りから追い出されている可能性があります。そうなると、捜索範囲は全く別の場所になるかもしれません。アンナさんに聞き込みをする際、この辺りの他の猫の存在についても確認する必要があります。」


*情報収集、地理の把握、行動予測、そして外的要因の考慮。彼女が立てた作戦は、Gランクの猫探しには過剰ともいえるほど緻密で、完璧なものだった。*


シロウ:「よし、作戦は完璧だ。行ってみようか。」


*シロウが満足げに頷くと、ルーナは「はい!」と元気よく返事をした。父親に認められたことが嬉しくてたまらないようだ。シロウは再びルーナをひょいと抱きかかえる。まだ体力のない娘を歩かせるのは酷だと判断したからだ。*


*二人はギルドで教えてもらった場所を頼りに、大通りに面した一軒の食堂へと向かった。カラン、とドアベルの軽やかな音を立てて中に入ると、香ばしいシチューの匂いが鼻をくすぐる。昼時を少し過ぎているが、店内にはまだ数人の客が食事をしていた。*


*「いらっしゃいませー!」*


*カウンターの奥から、元気の良い女性の声がした。声の主は、赤いチェックのエプロンがよく似合う、そばかすの可愛いらしい少女だった。彼女が依頼主のアンナだろう。*


アンナ:「あら、お客さん。ごめんなさいね、今ちょっと手が離せなく…って、え?」


*アンナはこちらに気づくと、すぐに接客しようとしたが、シロウの顔と、その腕に抱かれたルーナを見て動きを止めた。そして、ギルドの受付嬢と同じように、みるみる顔色を変えていく。*


アンナ:「ま、魔王様!? な、なぜこのような場所に…!?」


*彼女は慌ててカウンターから飛び出すと、その場で深々と頭を下げた。店内にいた他の客も、国のトップの突然の来店に、何事かと食事の手を止めて固まっている。*


*シロウはそんな彼女たちの反応を意に介さず、腕の中のルーナをアンナに見せるように少し持ち上げた。*


シロウ:「ギルドで依頼書を見て来た。猫を探しているんだろう? 娘が手伝いたいそうだ。」


*その言葉に、アンナは恐る恐る顔を上げた。そして、シロウの腕の中で真剣な顔つきでこちらを見ているルーナと目が合う。*


アンナ:「え…? このお嬢様が…?」


*信じられない、といった表情のアンナに対し、ルーナは父親の腕の中から、はきはきとした口調で話しかけた。*


ルーナ:「あなたが、いらいぬしのアンナさんですか? わたしたちが、『みけ』をさがします。そのために、いくつか、しつもんしてもいいですか?」


*シロウはルーナをそっと床に降ろすと、店の状況を素早く把握した。カウンターには洗い物が山積みになっており、アンナ一人が店を切り盛りするには明らかに人手が足りていない。*


*「……。」*


*彼は何も言わず、カウンターの中へと入っていく。突然の行動に、アンナも店内の客も、そしてルーナまでもが驚いて目を見開いた。*


アンナ:「ま、魔王様!? いったい何を…!」


*シロウはアンナの言葉を気にも留めず、山積みの食器の前に立つ。そして、片手をかざすと、手のひらから清らかな水が流れ出し、シンクを満たした。続けて指を鳴らすと、水が一瞬で熱湯に変わる。*


*彼は『浮遊』の魔法で汚れた皿を一枚一枚お湯の中に浸し、汚れを浮かせていく。次に、それらを再び空中に持ち上げると、今度は優しい『風魔法』で水滴を瞬時に乾かした。最後に、乾いた皿、カップ、カトラリーを種類ごとに綺麗に分け、元の棚へとひとりでに収納させていく。*


*一連の作業は、まるで熟練の職人が手掛ける芸術のようだった。無駄がなく、静かで、そして圧倒的に効率的。ほんの数分で、あれほどあった食器の山は跡形もなく片付いてしまった。*


*店内の誰もが、その現実離れした光景に言葉を失っている。国の頂点に立つ魔王が、路地裏の小さな食堂で皿洗いをしている。しかも、魔法で。*


*一方、当のルーナは、父親の予想外の行動に一瞬呆気にとられたものの、すぐに「これも作戦のうち!」と気を取り直した。父親が店主の信頼を得るための時間稼ぎをしてくれているのだと、ポジティブに解釈したのだ。*


ルーナ:「アンナさん、お父様は気にしないでください。さあ、ミケのお話をきかせてください。時間は有限です!」


*ルーナは小さな手を腰に当て、仁王立ちでアンナに迫る。その小さな体から発せられる謎の迫力に押され、アンナは「は、はいぃ!」と慌てて頷いた。*


アンナ:「え、えっと、ミケは三毛猫の女の子で…まだ生まれて半年の子猫なんです。とっても人懐っこいんですけど、臆病なところもあって…。いつもは店の裏で日向ぼっこしてるか、私の部屋で寝てるかなんですけど、今朝から姿が見えなくて…」


*アンナは必死に説明しながらも、魔法で皿を洗い続けるシロウの姿をチラチラと盗み見ている。彼女の頭の中は、猫の心配と、目の前の異常事態で完全にパニック状態だった。*


*シロウは皿洗いの手を止めない。それどころか、食事を終えた客のテーブルから、汚れた食器がひとりでにふわりと浮き上がり、列をなして洗い場へと飛んでくる。そして、先ほどと同じように、熱湯消毒、乾燥、仕分けという全自動の工程を、驚異的な速度で次々とこなしていく。カチャカチャという音すらほとんど立てず、静かに、しかし確実に店の仕事が片付いていく。その様は、もはや皿洗いというより、一つの魔法芸術のデモンストレーションだった。*


*店内にいた客たちは、目の前で繰り広げられる神業に完全に食事どころではなくなっていた。ある者はスプーンを持ったまま固まり、ある者は口を開けて呆然とシロウを見つめている。国の頂点に立つ魔王が、大衆食堂で全自動食洗機と化しているのだ。誰もが夢でも見ているのではないかと、自分の目を疑っていた。*


*アンナもまた、あまりの出来事に思考が停止しかけていた。しかし、ルーナの真剣な眼差しに我に返る。*


アンナ:「え、えっと、好きな食べ物は…この店の厨房からこっそり持っていく魚の切れ端ですね…! あと、よく行く場所は、さっきも言った店の裏の陽だまりか、あとは…屋根の上で昼寝していることもあります。路地裏の木箱を足場にして登ってるみたいで…」


*アンナは必死に記憶をたどりながら、シロウの魔法の動きを横目で見つつ、しどろもどろに答える。*


ルーナ:「魚の切れ端と、屋根の上…なるほど。有力な情報です。」


*ルーナは小さな指を折りながら、情報を一つ一つ整理していく。その小さな背中からは、ベテラン冒険者のような風格さえ漂っていた。*


ルーナ:「では、最後の質問です。この辺りに、他の猫、とくにボスのような存在はいませんか? ミケが、他の猫との縄張り争いに巻き込まれた可能性も考えられます。」


*2歳児の口から飛び出した「縄張り争い」という専門的な言葉に、アンナは再び目を丸くする。*


アンナ:「えっ!? な、縄張り…? そ、そういえば…最近、路地裏で大きな黒猫を時々見かけるようになりました。いつもミケを威嚇していて…もしかしたら、その黒猫に追い払われちゃったのかも…!」


*アンナはハッとしたように顔を上げた。今まで思いつきもしなかった可能性に、希望の光が見えたのかもしれない。その時、全ての食器を片付け終えたシロウが、静かにカウンターから出てきた。シンクはピカピカに磨き上げられ、棚には食器が寸分の狂いもなく整然と並んでいる。*


シロウ:「よし、終わった。我ながら完璧だ。」


*シロウが何事もなかったかのように客席に腰を下ろすと、店内の凍り付いたような空気が、一気にざわめきに変わった。*


「お、おい…見たか今の…?」

「魔王様が…皿洗いを…」

「しかも魔法で…なんだあれは…」


*客たちは信じられないものを見たという表情で、ヒソヒソと囁き合っている。アンナは、ピカピカになった厨房と、悠然と席に座るシロウを交互に見て、ただただ口をパクパクさせていた。*


ルーナ:「お父様、お疲れ様です。アンナさんの信頼を勝ち取るには、十分すぎる成果でした。」


*ルーナはしたり顔で父親の隣にちょこんと座る。彼女の中では、シロウの行動はすべて計算ずくの交渉術ということになっているらしい。そして、アンナに向き直り、小さな胸を張った。*


ルーナ:「アンナさん、情報は揃いました。まとめます。依頼対象は生後半年の雌の三毛猫『ミケ』。好物は魚。臆病だが人懐っこい。行動範囲は店の裏、および屋根の上。そして、最近縄張りに出没するようになった『黒いボス猫』の存在。この黒猫に追い払われ、普段の行動範囲外へ逃げた可能性が高い、と推測します。」


*理路整然とした説明に、アンナはようやく意識を取り戻す。*


アンナ:「は、はい! その通りです! すごい…なんでそんなに分かるんですか…?」


*尊敬と畏怖の入り混じった眼差しでルーナを見つめるアンナ。シロウはそんな二人を横目に、満足げに腕を組んだ。*


シロウ:「ふん。完璧な作戦と、完璧な後方支援。これで猫一匹見つけられなければ、娘の名が廃るな。」


*その言葉は、娘への期待と信頼に満ちていた。*


シロウ:「さあ、捜査開始だ。」


*シロウの号令に、ルーナは「はい!」と力強く返事をして、椅子からぴょんと飛び降りた。アンナは感謝と期待の眼差しで二人を見送る。*


アンナ:「魔王様、お嬢様…! どうか、どうかミケをよろしくお願いします…!」


*深々と頭を下げるアンナに軽く手を振り、シロウとルーナは食堂を後にした。*


シロウ:「さて、娘よ。まずはどこから探る?」


*シロウはしゃがんでルーナと目線を合わせ、次の指示を促す。作戦の指揮権は、完全に娘に委ねるつもりのようだ。*


ルーナ:「はい、お父様! 作戦通り、まずは黒猫の情報を集めます! 黒猫の縄張りが分かれば、ミケが逃げた方向を特定できるはずです!」


*彼女は自信満々に言い放つと、再び目を閉じて『魔力感知』に集中した。先ほど把握した路地裏の構造を頭に思い描きながら、より詳細な情報を探ろうとする。*


ルーナ:「…下水溝の近くに、他の場所より少し濃い獣の魔力残滓があります。ネズミや犬とは違う…猫のものです。おそらく、これが黒猫のものでしょう。まずはそこへ向かいます!」


*そう言うと、ルーナは小さな足で、しかし迷いのない足取りで、先導するように路地裏の奥へと歩き出した。その小さな背中は、すでに一人前の冒険者の風格を漂わせている。シロウは静かにその後に続いた。*


*シロウは路地裏の奥へと進むルーナの小さな背中を見つめ、ふと思いついたように足を止めた。*


シロウ:「ルーナ、これ使いなさい。今回だけだぞ?」


*彼が軽く手をかざすと、何もない空間から小さな乗り物が音もなく現れた。それは、子供の背丈に合わせて作られた、白く輝く小型の魔道セグウェイだった。安定性を重視した低い車高に、握りやすいように設計された小さなハンドルが付いている。動力源はもちろん魔力だ。*


*突然目の前に現れた未来的な乗り物に、ルーナは「えっ?」と驚いて振り返った。彼女の目は、前世の記憶にあるガジェットとそっくりなそれに釘付けになっている。*


ルーナ:「お父様、これは…? まるで、前世で見たセグ○ェイ…いえ、なんでもありません! この乗り物はなんですか?」


*慌てて言葉を濁したが、その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。2歳児の体力では、この広い街を歩き回るのは大変だろうという、父親なりの配慮である。*


シロウ:「魔道二輪車だ。お前が歩き回るより、これを使った方が早い。捜査の効率も上がるだろう。」


*シロウはぶっきらぼうにそう言うと、ルーナをひょいと抱き上げ、セグウェイのステップに乗せた。*


ルーナ:「わっ…! ありがとうございます、お父様! これなら、いくらでも捜査できます!」


*ハンドルを握ると、セグウェイは彼女の意思を読み取ったかのように、ふわりと数センチ浮き上がった。最初は少しおぼつかない様子だったが、転生者としての順応性の高さか、すぐにバランスを取り、器用に乗りこなしてみせる。*


ルーナ:「すごいです! これ、風を切って進む感じがたまりません! さすがはお父様の発明品です!」


*キャッキャとはしゃぐ姿は、先ほどまでの司令官然とした態度とは打って変わって、年相応の子供のようだった。彼女は魔道セグウェイを巧みに操り、シロウの周りをくるくると楽しそうに旋回する。*


ルーナ:「よし! 探偵ルーナ、新たな翼(?)を得ました! 黒猫の根城へ、しゅっぱーつ、しんこーう!」


*元気な掛け声とともに、ルーナはセグウェイを滑らせ、再び先頭に立って下水溝のある方向へと向かっていった。そのスピードは、先ほどまでとは比べ物にならないほど速くなっている。シロウは、娘の楽しそうな後ろ姿に小さく笑みを浮かべながら、その後をゆっくりと歩いて追いかけた。*


*シロウは楽しそうに進む娘の後ろ姿に、ふと補足を思い出した。*


シロウ:「あ、そうそう。道がガタガタで進めそうにない時はその青いボタンを押してくれ。浮遊モードになる。」


*その言葉に、ルーナは「え?」とセグウェイをキキッと停止させた。ハンドルの右側に、小さく青く光るボタンがあるのに気づく。*


ルーナ:「浮遊モード…ですか?」


*好奇心に負け、彼女は恐る恐るその青いボタンをポチッと押してみた。すると、セグウェイのタイヤがカシャリという小気味良い音を立てて水平に倒れ、車体全体が地面から30センチほどふわりと浮かび上がる。まるで、前世のSF映画に出てきた乗り物のようだ。*


ルーナ:「おお…! これは…! デ○リアンじゃないですか、お父様!」


*またも前世の単語が口をついて出たが、ルーナは気にせず興奮した様子で空中に浮かぶセグウェイを操る。地面の凹凸など関係なく、滑るようにスムーズに進む感覚に、彼女の目は一層輝いた。*


ルーナ:「すごいです! これならどんな悪路もへっちゃらですね! まさに空飛ぶ絨毯…いえ、空飛ぶスケートボードです! お父様は天才です!」


*称賛の言葉を惜しまない娘に、シロウは満足げに鼻を鳴らす。*


シロウ:「ふん。当然だ。ガタガタ道で転んで泣かれては、捜査に支障が出るからな。」


*口ではそう言いながらも、その表情は少しだけ緩んでいる。*


ルーナ:「はい! これで捜査効率は300%アップです! 行きますよ、お父様! まずは黒猫の縄張り、下水溝へ!」


*浮遊モードのまま、ルーナは意気揚々と路地の奥へと滑るように進んでいく。その姿は、小さな体にハイテクスケボーを乗りこなす、サイバーパンクな探偵のようだった。シロウはその後ろを、変わらずゆっくりと歩いてついて行った。*


*シロウは、娘の口から飛び出した聞き慣れない単語に、わずかに眉をひそめた。*


シロウ:「デ…なんだって?」


*父親からの不意の問いに、ルーナは「あっ」と小さな口を開けて固まった。浮遊モードのセグウェイが、その場でピタリと静止する。またしても前世の単語が口をついて出てしまったことに、彼女は内心で頭を抱えた。*


ルーナ:「え、えっと…! で、でんせつの…りゅう…? そうです! 伝説の竜みたいに格好いいなって! そういうことです!」


*ルーナはぶんぶんと首を横に振りながら、必死にごまかそうとする。その姿は、嘘をつくのが下手な子供そのものだった。しかし、すぐに「これではダメだ」と思い直したのか、コホンと一つ咳払いをして、探偵らしい(と本人は思っている)真剣な表情を取り繕った。*


ルーナ:「…いえ、お父様。今の言葉は忘れてください。それより、捜査を急ぎましょう。黒猫は待ってくれません。時は金なり、善は急げ、です!」


*早口でまくし立てると、ルーナは「しゅたたたっ!」と効果音を口にしながら、セグウェイを急発進させた。話題を強引に切り替え、父親の追及から逃れるためだ。*


*浮遊するセグウェイは、石畳の凹凸をものともせず、滑るように路地の奥へと進んでいく。やがて、アンナの話にあった下水溝が見えてきた。鉄格子の嵌められた、暗い穴だ。その周辺には、確かに他の場所よりも濃い獣の気配が漂っている。*


*ルーナはセグウェイを近くの壁際に止めると、慎重に鉄格子に近づき、匂いを嗅いだり、地面に残された痕跡を調べたりし始めた。*


ルーナ:「間違いありません、お父様。ここが黒猫の根城ねじろです。マーキングの匂いがします。…ここから、ミケの匂いを追跡できれば良いのですが…。」


*彼女は小さな鼻をひくつかせながら、周囲の匂いの情報から、か弱き子猫の痕跡を探ろうと集中した。*


*シロウの呟きを聞いて、ルーナは匂いを嗅ぐのをやめ、きりっとした顔で振り返った。*


ルーナ:「いいえ、お父様。その必要はありません。」


*彼女は小さな胸を張り、自信満々に言い放つ。*


ルーナ:「確かにフェンお兄様の鼻があれば、一瞬で解決したでしょう。ですが、これは私の、初めての依頼です。他の誰かの力に頼って解決してしまっては、意味がありません。自分の力でやり遂げることに、価値があるのです。」


*まるでベテラン冒.険者のようなセリフを口にする娘に、シロウは少し感心したように片眉を上げる。*


ルーナ:「それに…私には私のやり方があります。」


*そう言うと、ルーナは再び下水溝の方に向き直った。そして、しゃがみ込むと、目を閉じて深く集中する。彼女の小さな体から、周囲の空気を震わせるほど密度の高い魔力が溢れ出した。*


ルーナ:「――『魔力感知・残滓追跡レジデュー・トラッキング』」


*ルーナが静かに唱えると、彼女が放った魔力が、地面や壁に残された微かな魔力の痕跡に吸い寄せられるように集まっていく。やがて、彼女の目には、この路地裏で起きた出来事が、魔力の残滓として視えるようになっていた。*


*一つは、大きく堂々とした黒猫の魔力。下水溝を縄張りにしている、例のボス猫のものだろう。*

*そしてもう一つ、それに怯えるようにして、小さくか弱い子猫の魔力の痕跡が、路地の隅を逃げ惑っているのが見えた。これがミケのものに違いない。*


*子猫の魔力残滓は、黒猫に追い詰められ、パニックを起こしたようにいくつかの方向へ迷走した後、一つの方向――大通りとは逆の、より細く暗い路地の奥へと向かって消えていた。*


*ルー-ナはゆっくりと目を開けると、確信に満ちた顔で立ち上がった。*


ルーナ:「お父様、分かりました。ミケは黒猫に追われ、あちらの路地へ逃げ込んでいます。匂いではなく、魔力の痕跡を追跡しました。」


*彼女は指さした。その先には、建物の隙間にできた、大人一人がやっと通れるくらいの薄暗い通路が続いている。*


*シロウは娘が指さした、建物の隙間にできた薄暗い通路へと足を踏み入れた。セグウェイでは通れないため、ルーナはセグウェイをその場に置いて、シロウの少し前を歩いている。通路は薄暗く、両側を高い建物の壁に挟まれていた。そして、数メートル進んだ先は、行き止まりになっていた。高さ3メートルほどの壁が、行く手を阻んでいる。*


*しかし、ルーナの『魔力感知・残滓追跡』は、ミケの魔力の痕跡がこの壁を越えて続いていることを明確に捉えていた。おそらく、壁の途中にある出っ張りや、壁の上を通る配管などを足場にして、子猫は登っていったのだろう。*


*シロウは、その壁を見上げて尋ねた。*


シロウ:「なあ、壁なんだが…登るのか?」


*その問いに、ルーナは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らして振り返った。*


ルーナ:「お父様。冒険者たるもの、障害は乗り越えるためにあります。ですが、私にはまだこの壁を自力で登ることはできません。」


*彼女は自分の小さな手足と壁を見比べて、少し悔しそうに唇を尖らせる。*


ルーナ:「…ですので、ここは作戦を変更します。プランBです。」


*そう言うと、彼女はシロウに向かって両手を広げた。その仕草の意味は明らかだった。*


ルーナ:「お父様、だっこをお願いします。そして、お父様が壁を登るのです! これぞ、適材適所というものです!」


*彼女は満面の笑みで、父親に物理的な運搬を要求した。自分でできないことは、できる者に頼る。それもまた、彼女が導き出した合理的な作戦の一つだった。*


シロウ:「全く…。」


*シロウは呆れたように息をつきながらも、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。娘の堂々とした要求が、どこか可笑しかったのだ。*


*彼はまず、その場に置いてあった魔道セグウェイに手をかざし、アイテムボックスへと収納する。そして、小さな体をひょいと抱き上げ、いつものように片腕でしっかりと抱えた。*


ルーナ:「ありがとうございます、お父様! さすがです! やはり、お父様は頼りになります!」


*腕の中で、ルーナは満足げに頷いている。*


*シロウは無言のまま壁に向き直ると、足元に意識を集中させた。『重力魔法』を発動させ、自身と壁の間に働く引力を操作する。足が、まるで地面に吸い付くかのように壁に張り付いた。*


*彼はそのまま、一歩、また一歩と、垂直な壁をまるで平地を歩くかのように登り始める。腕の中のルーナは、その不思議な感覚に目を輝かせた。*


ルーナ:「わあ…! これが重力魔法! すごいです、景色がどんどん変わっていきます! これなら、どんな場所へも侵入できますね! 暗殺とかに便利そうです!」


*物騒なことを言いながらも、ルーナは父親の肩越しに、どんどん小さくなっていく路地裏を見下ろして興奮している。シロウは数秒で壁を登りきると、建物の屋根の上に静かに着地した。*


*屋根の上は、瓦が敷き詰められた比較的平坦な場所だった。そこには、子猫の小さな足跡と、魔力の痕跡が点々と続いており、隣の建物の屋根へと向かっているのが見えた。*


*シロウはルーナを抱えたまま、屋根から屋根へと軽やかに飛び移っていく。彼の動きには一切の無駄がなく、まるで影が屋根の上を滑っていくかのようだ。腕の中のルーナは、父親にしっかりと抱き着きながらも、時折キョロキョロと周囲を見回し、魔力の痕跡が途切れていないかを確認している。*


*「お父様、もう少し右です! あの、煙突の向こう側!」*


*ルーナの的確なナビゲーションに従い、シロウは数回跳躍を繰り返す。やがて、彼女が指し示した建物の屋根にたどり着いた。そこは、小さな物置小屋のような建物の屋根で、隅には雨水を溜めるための古い樽が置かれていた。*


*そして、その樽の影に――いた。*


*茶色、黒、白の三色の毛を持つ小さな子猫が、体を丸めて震えている。アンナの言っていた三毛猫、『ミケ』に違いない。ミケはこちらの存在に気づくと、怯えたように「シャーーッ!」と小さな牙を剥いて威嚇してきた。しかし、その体は恐怖で小刻みに震えている。*


ルーナ:「…見つけました、お父様。」


*腕の中から、ルーナが安堵と達成感の混じった声で呟いた。シロウは静かにルーナを屋根の上に降ろす。*


シロウ:「ああ。どうする?」


*シロウはミケを刺激しないよう、一歩下がり、再び娘に判断を委ねた。*


*ルーナはしゃがみ込むと、ミケを怖がらせないように、ゆっくりと距離を詰めていく。その声は、先ほどまでの司令官のような口調とは違い、優しく、そして穏やかだった。*


ルーナ:「大丈夫よ、ミケ。怖くないわ。あなたを迎えに来たの。アンナさんが、とっても心配していたわよ。」


*彼女は懐から、食堂を出る前にアンナからこっそりもらっておいた魚の切れ端を取り出し、ミケの前にそっと置いた。香ばしい匂いに、ミケの鼻がひくひくと動く。警戒心はまだ解けていないが、敵意は少し薄れたようだ。*


ルーナ:「お腹が空いたでしょう? さあ、お食べなさい。もう大丈夫。一緒に、暖かいおうちに帰りましょう?」


*ルーナは辛抱強く、ミケが自ら近づいてくるのを待った。その姿は、まるで手負いの小動物を労わる、小さな聖女のようだった。*


*シロウは腕を組み、黙って娘の行動を見守っている。下手に手を出せば、ミケがさらに興奮するだけだと分かっているからだ。これはルーナの試練であり、彼女自身が乗り越えるべき壁だった。*


*魚の匂いに誘われ、ミケは少しずつ、本当に少しずつルーナに近づいてきた。しかし、ルーナがほんの少し手を動かした瞬間、恐怖が警戒心を上回った。*


「フシャァッ!」


*ミケは電光石火の速さで前足を振り抜き、ルーナの小さな手の甲を鋭い爪で引っ掻いた。ぷすりと赤い血の玉が浮かび、細い線が走る。*


ルーナ:「…っ!」


*思わぬ痛みに、ルーナはびくりと肩を震わせた。だが、彼女は泣かなかった。手を引っ込めることもしなかった。ただじっと、威嚇を続けるミケを見つめ返す。その瞳には、恐怖も怒りもなく、ただ深い慈愛と、揺るがない覚悟だけが宿っていた。*


ルーナ:「…痛かったわ。でも、あなたはもっと怖かったのね。ごめんなさい、驚かせてしまって。」


*彼女は引っ掻かれた方の手ではない、もう片方の手で、再び魚の切れ端をミケの前にそっと押し出した。その声は、震えることなく、より一層穏やかさを増している。*


ルーナ:「大丈夫。もう何もしないわ。だから、これを食べて? 暖かくて、安全な場所に帰りましょう。みんなが待っているわ。」


*痛みを感じさせないその態度、そして自分を傷つけてもなお向けられる優しさに、子猫の威嚇が少しずつ弱まっていく。ミケは目の前の小さな少女と、香ばしい匂いを放つ魚の切れ端を交互に見ながら、どうすればいいのか分からず混乱しているようだった。ルーナはただ静かに、ミケの心が解けるのを待ち続けた。*


*ルーナの揺るぎない優しさが、ついにミケの心の壁を溶かした。子猫は恐る恐る前に進み出ると、魚の切れ端には目もくれず、先ほど自分が引っ掻いてしまったルーナの小さな手の甲に鼻を寄せた。そして、ザラザラした舌で、謝罪するかのように、その傷をそっと舐め始めた。*


*その健気な行動に、ルーナの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは痛みや悲しみからではなく、心が通じ合ったことへの感動の涙だった。*


ルーナ:「…っ、もう、いいのよ。あなたは悪くないわ。怖かっただけだものね。」


*彼女は優しくミケの頭を撫でた。今度はもう、威嚇されることはない。ミケは安心したように、にゃーん、と甘えた声で鳴き、ルーナの手にすり寄ってきた。*


*ルーナはミケをそっと抱き上げると、くるりと振り返り、満面の笑みでシロウに掲げてみせた。その顔は涙で濡れていたが、誇りと達成感で輝いている。*


ルーナ:「お父様! 依頼、達成です! ミケを保護しました!」


*その声は、初めての任務を成し遂げた、一人の冒険者の声だった。シロウはそんな娘の姿に、静かに、そして満足げに頷いた。*


シロウ:「やるじゃないか。怪我は治しておくぞ。ヒール。」


*シロウは娘の成長を認め、短く称賛の言葉を口にした。そして、その指先から柔らかな緑の光を放つ。光はルーナの小さな手の甲に触れ、ミケに引っ掻かれた細い傷は、瞬く間に跡形もなく消えていった。*


ルーナ:「ありがとうございます、お父様! でも、この傷は私にとって名誉の負傷でしたのに。」


*少しだけ残念そうな顔をしながらも、ルーナは嬉しそうにミケを抱きしめる。ミケもすっかり安心しきった様子で、ルーナの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしていた。*


*シロウはそんな一人と一匹をまとめてひょいと抱きかかえる。*


シロウ:「さあ、依頼主に報告に行くぞ。ミッションコンプリート、というやつだろう?」


ルーナ:「はい、お父様! アンナさんの元へ、凱旋です!」


*腕の中で、ルーナは小さな拳をぐっと握りしめた。シロウは再び屋根の上を軽やかに跳躍し、人目につかないように素早く路地裏へと降り立つ。そして、アンナの待つ食堂へと向かった。*


***


*カラン、と再びドアベルが鳴る。*


*心配そうにカウンターでそわそわしていたアンナは、音に気づいて勢いよく顔を上げた。そして、シロウと、その腕に抱かれたルーナ、そしてルーナが大事そうに抱えている子猫の姿を認めると、わっと表情を輝かせた。*


アンナ:「ミケッ!!」


*アンナはカウンターから飛び出し、ルーナの腕の中の子猫に駆け寄る。*


ルーナ:「アンナさん、ご依頼のミケです。無事、保護しました。」


*ルーナが誇らしげにミケを差し出すと、アンナは「よかった…本当によかった…!」と涙ぐみながらミケを受け取った。ミケも主人の元へ帰れて安心したのか、「にゃあ」と甘えた声を出す。*


アンナ:「魔王様、お嬢様…! 本当に、何とお礼を言ったら…! 皿洗いまでしていただいた上に…!」


*アンナは深々と頭を下げ、感謝の言葉を繰り返す。*


ルーナ:「ふふん。これぞ、我々『魔王探偵事務所』の実力です。」


*ルーナはシロウの腕の中から、小さな胸を精一杯張った。*


```

【鑑定結果】

名前:ルーナ・アストライア Lv.1

種族:半神(人間/元熾天使)

性別:女

称号:星の子、祝福されし者、転生者、皇女、月の祝福を受けし者


HP:50/50

MP:100/100

腕力:3

体力:5

敏捷:4

知力:20

魔力:30

器用:10


【ユニークスキル】

・転生者の知識

説明:異世界(地球)より転生した魂を持つ赤子。前世の記憶を魂の奥深くに留めている、シロウとルミナの強力な魔力と血を受け継ぎ、神に近い存在『神人』として生を受けた。潜在的な魔力量は計り知れない。


【スキル/魔法】

・光魔法(天性)

・治癒魔法(天性)

・魔力感知(天性)

・魔力操作 Lv.1

・月の加護

・言語理解(継承)

・魂魄記憶

・残滓追跡(レジデュー・トラッキング(New!)


詳細:

魔王シロウと元熾天使ルミナの間に宿りし生命。

母から天界の祝福と聖なる魔力を、父から規格外の魔力総量と潜在能力を受け継いでいる。

生まれながらにして極めて高い聖属性と光属性への適性を持ち、その存在自体が周囲に微弱な祝福を振りまく。

```


シロウ:「探偵事務所?」


*シロウが眉をひそめて聞き返すと、ルーナは「しまった」という顔をしたが、すぐに気を取り直して得意げに答えた。*


ルーナ:「はい! 今、私が設立しました! その名も『魔王探偵事務所』! 所長はもちろんお父様、そして私は所長助手の名探偵ルーナです!」


*彼女はシロウの腕の中で、びしっと敬礼のポーズをとってみせる。*


ルーナ:「我々の使命は、このアストライアに舞い込むあらゆる難事件を、お父様の圧倒的な力と、私の怜悧な頭脳で解決することです! 今回の猫探しは、その記念すべき初仕事でした!」


*自信満々に語る娘に、シロウはやれやれと首を振る。一方で、感謝で涙ぐむアンナは、二人のやり取りを微笑ましそうに見ていた。*


アンナ:「ま、魔王探偵事務所…素敵なお名前ですね! あの、この依頼料は…」


*アンナがおずおずと報酬の入った革袋を差し出すが、シロウはそれを手で制した。*


シロウ:「いらん。娘の初仕事の祝儀だ。受け取っておけ。」


ルーナ:「そういうことです! 代わりに、このお店の美味しいお魚を、いつでもミケに食べさせてあげてください。それが我々への報酬です!」


*ルーナがそう言うと、アンナはさらに感激して「ありがとうございます…! ありがとうございます…!」と何度も頭を下げた。*


*一件落着の空気が流れる中、シロウは腕の中の小さな“名探偵”を見下ろして、小さくため息をついた。どうやら、また一つ、面倒だが面白い肩書が増えてしまったらしい。*


シロウ:「夕方だ、今日は帰ろう。カイに今日の土産話がたくさんできるな!」


*シロウがそう言うと、腕の中のルーナは待ってましたとばかりに目を輝かせた。*


ルーナ:「はい、お父様! カイお兄様に、私の初手柄を自慢しなくては! 魔王探偵事務所の名探偵ルーナの大活躍、きっと驚いてくれますよ!」


*誇らしげに胸を張る娘の姿に、シロウは小さく笑みをこぼす。*


アンナ:「あの、本当にありがとうございました! いつでも食事にいらしてください! 最高の料理でおもてなししますから!」


*店を出る二人を、アンナがミケを抱きしめながら深々と頭を下げて見送る。*


*食堂を後にし、夕焼けに染まる大通りを歩きながら、ルーナは今日の出来事を興奮気味に振り返っていた。*


ルーナ:「それにしても、お父様の皿洗いは見事でした。完璧な後方支援です。あれでアンナさんの警戒心を解き、情報を引き出しやすくする…さすがは所長、作戦の意図を完璧に理解していらっしゃった。」


*どうやらシロウの行動は、娘の中ではすべて計算ずくの高度な作戦として解釈されているらしい。シロウは特にそれを訂正することなく、黙って歩みを進める。*


*やがて魔王城へと続く道に差し掛かった頃、ルーナはふと思い出したようにシロウを見上げた。*


ルーナ:「そうだ、お父様。今日の私の活躍、どうでしたか? 100点満点で採点してください!」


*彼女は期待に満ちたキラキラした瞳で、父親からの評価を待っている。今日の冒険が、彼女にとってどれほど大きな出来事だったかが伝わってくるようだった。*


シロウ:「120点だ。可愛い娘よ。」


*シロウは低い声でそう告げると、腕の中の小さな体を、愛おしそうにぎゅっと抱きしめた。父親からの満点以上の評価と、ストレートな愛情表現に、ルーナは一瞬、きょとんとした顔をする。*


*探偵ごっこで見せていた大人びた表情は消え去り、その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。*


ルーナ:「ひゃ、ひゃくにじゅっ…!?♡ そ、そそそ、所長! 採点が甘すぎます! わ、私はまだ半人前で…その…か、可愛いとか…そういうのは、捜査に関係ありませんので…!♡」


*しどろもどろになりながら、ルーナは父親の胸の中で小さな身じろぎをする。しかし、シロウの力強い腕からは逃れられない。*


*「可愛い娘」。その一言が、前世の記憶を持つ彼女の心の柔らかい部分を的確に貫いた。どれだけ大人びて振る舞おうと、彼女は今、父親に愛される2歳の娘なのだ。*


ルーナ:「う、うぅ…お父様のばか…♡ い、今は探偵と所長のロールプレイ中だったのに…♡」


*顔をシロウの胸にうずめ、恥ずかしさを隠すように小さな声で悪態をつく。しかし、その声は嬉しさに震えていた。初めて自分の力で成し遂げた冒険の達成感と、大好きな父親からの最高の褒め言葉。彼女にとって、それは何よりの報酬だった。*


*シロウは何も言わず、ただ静かに、夕日に染まる魔王城への道を、愛しい"名探偵"を抱きしめながら歩いていく。ルーナはしばらくの間、父親の胸の中で顔を上げたまま、幸せな温もりに身を委ねていた。*


シロウ:「そうだったな。うむ、今後とも頑張りなさい。」


*シロウが少しだけ真面目な声色に戻してそう言うと、ルーナは「はい!」と元気よく返事をし、父親の胸から顔を上げた。その頬はまだほんのり赤いものの、瞳にはすでにいつもの聡明な輝きが戻っている。*


ルーナ:「所長のお言葉、しかと胸に刻みました! これからも『魔王探偵事務所』の名探偵として、アストライアの平和のために粉骨砕身働く所存です!」


*再び小さな敬礼をしてみせる娘の姿に、シロウは小さく笑みを浮かべた。*


*夕闇が迫る頃、二人は魔王城に帰り着いた。城の玄関ホールでは、カイとレイラ、そしてルミナが待ち構えていたかのように出迎えてくれた。*


カイ:「おとうさま、ルーナ、おかえりなさい!」


*カイがぱたぱたと駆け寄ってくる。その後ろから、腕を組んだルミナが少し呆れたような、でも心配そうな顔で続いた。*


ルミナ:「もう、お兄ちゃんもルーナちゃんも、遅かったじゃない。Gランクの依頼に、半日もかかるなんて。何かあったの?」


*レイラ(臆病)も心配そうに後ろから顔をのぞかせている。*


レイラ(臆病):「シロウ様、ルーナお嬢様、お怪我はございませんか…?」


*家族の心配そうな顔を見て、ルーナは父親の腕の中から身を乗り出し、得意満面の笑みで宣言した。*


ルーナ:「ふふふ、皆さん、ただいま戻りました! そして聞いてください! 本日、ここに『魔王探偵事務所』が設立され、私、名探偵ルーナの華麗なるデビュー戦は、見事、完全勝利に終わったのです!」


*ルーナの突拍子もない宣言に、カイもルミナもレイラも、全員がきょとんとした顔で顔を見合わせるのであった。*


*ルーナの突拍子もない宣言に、カイたちがぽかんとしていると、どこからともなく現れたメイド長のリーシアが、ルーナの姿を上から下まで値踏みするように見た。屋根裏や路地裏を動き回ったせいで、ルーナの綺麗な服にはホコリや泥がつき、猫の抜け毛もあちこちに付着している。*


リーシア:「ルーナお嬢様、そのお姿は一体…?」


*リーシアは完璧な笑みを浮かべているが、その目だけは全く笑っていない。彼女はシロウに向かって完璧な一礼をすると、有無を言わさぬ口調で告げた。*


リーシア:「シロウ様、お帰りなさいませ。お嬢様は少々汚れていらっしゃるようですので、私が責任を持ってお風呂にお連れいたします。お話はそのあとで、皆様でゆっくりとどうぞ。」


*その言葉は提案ではなく、決定事項だった。リーシアはシロウの腕から、まるで荷物でも受け取るかのように、ひょいとルーナを取り上げる。*


ルーナ:「ちょ、ちょっと待ってリーシア! 私の栄光の物語がまだ…! カイお兄様に、私の活躍を一番に報告しなきゃいけないのにー!」


*ルーナはジタバタと抵抗するが、長年この城のメイド長を務めるリーシアの腕力から逃れることはできない。*


リーシア:「はいはい、左様でございますか。その武勇伝は、湯船の中でこのリーシアがじっくりと拝聴いたしますので。さあ、参りましょう。」


*「あーっ! 私の凱旋報告会がー!」というルーナの悲鳴が、ホールの向こうへと遠ざかっていく。その様子を、残された家族は苦笑しながら見送った。*


カイ:「あはは…ルーナ、リーシアに連れて行かれちゃった。探偵さん、どうだったの? おとうさま。」


*カイは好奇心に満ちた目でシロウを見上げ、今日の妹の冒険について尋ねる。*


ルミナ:「まったく…あの子、最近ますますお兄ちゃんに似て、行動が突飛になってきたわ。それで? 本当に猫一匹、見つけてきたっていうの?」


*ルミナも呆れたように言いながら、その口元はどこか楽しそうだ。*


レイラ(臆病):「ルーナお嬢様、お怪我がなくて本当に良かったです…。お腹も空かせていらっしゃるでしょうから、すぐに夕食の準備をいたしますね。」


*レイラ(臆病)はほっと胸をなでおろし、厨房の方へと向かおうとした。家族それぞれが、今日の小さな冒険者の帰りを、それぞれの形で喜んでいる。*


*シロウは連れ去られていくルーナの悲鳴を聞きながら、やれやれと肩をすくめた。*


シロウ:「良い名探偵になるかもな…。」


*その呟きは、娘への確かな期待が込められていた。彼は視線をカイへと移す。妹の活躍が気になる弟と、もうすぐ訪れる彼の新たな門出。父親として、こちらも気にかけてやらねばならない。*


シロウ:「カイは来年から学校に通うんだろ? 何処にするかは決めたのか?」


*シロウの問いに、カイは「あっ」と思い出したように顔を上げた。ルミナも「そういえば、そんな話もしていたわね」と会話に加わる。*


カイ:「はい、おとうさま! いろいろリーシアに調べてもらって、おかあさまとルミナおばさまと相談したんです!」


*カイは少し興奮した様子で、身振り手振りを交えて話し始めた。その目は、未来への希望でキラキラと輝いている。*


カイ:「商業国家『黄金都市アウラ』にある、『万象の学府』っていう学校がいいなって思ってます! いろんな種族の人がいて、魔法だけじゃなくて、商業とか芸術とか、ぼくが好きな科学みたいなことも学べるみたいなんです。それに、身分とかじゃなくて、実力で評価してくれるって聞きました!」


*カイの言葉に、ルミナが補足するように頷く。*


ルミナ:「ええ、お兄ちゃん。私もその学校はいいと思うわ。カイはあの子自身の力で評価されるべきよ。魔王の子だからって特別扱いされる場所じゃ、本当の力は身につかないもの。その点、あの学府は徹底した実力主義らしいから、カイには合ってるんじゃないかしら。」


*レイラ(臆病)も、厨房へ向かう足を止めて話に加わった。*


レイラ(臆病):「わ、私もその学校の資料を拝見しました…。様々な国の料理や食材が集まる場所だとか…。学食も、とても充実していると…じゅるり。」


*レイラ(臆病)は口元に手を当てて、うっとりとした表情を浮かべている。彼女の興味は、どうやら学問よりも食文化にあるようだ。*


カイ:「どうかな、おとうさま? ぼく、その学校に行ってみたいです!」


*カイは期待に満ちた瞳で、父親の返事を待っている。家族の意見は、どうやら一つにまとまっているようだった。*


シロウ:「カイがそこが良いと決めたのなら何も言わないさ。実力主義学校なら入試テストとか厳しそうなのか?」


*父親からの許可が出て、カイは「やったあ!」と小さく飛び跳ねて喜んだ。そして、入試の話題になると、少し真剣な表情で答える。*


カイ:「はい! リーシアに調べてもらったんですけど、筆記試験と実技試験があるみたいです。筆記は歴史とか数学とか魔法理論で、実技は自分の得意なことを披露するんだって。魔法でも、剣技でも、錬金術でも、なんでもいいみたいです!」


ルミナ:「実力主義を謳うだけあって、入学試験もかなり本格的みたいね。でも、カイなら大丈夫よ。この一年、リーシアにみっちり勉強を教わっていたもの。筆記は問題ないでしょう。問題は実技ね…。カイ、あなたは何を見せるつもりなの?」


*ルミナが尋ねると、カイは少しもじもじしながら、しかし嬉しそうに答えた。*


カイ:「えへへ…それがね、ぼく、科学が好きだから、実技では自分で作った発明品を見せたいなって思ってるんです! この前、世界樹の枝を少しだけもらって、魔力を電気に変える装置を作ってみたんです! まだ小さいけど、ちゃんとランプが光るんですよ!」


*少年の口から飛び出した「電気」という言葉に、ルミナは「でんき…?」と不思議そうな顔をする。*


レイラ(臆病):「わ、私、そのランプ、見せていただきました…。夜でも本が読めるくらい、とっても明るくて…すごかったです。でも、時々バチッてなって、ちょっと怖かったですけど…。」


*レイラ(臆病)は少しだけ体を震わせながら、カイの発明品を思い返している。どうやら、カイはこの世界にはないはずの科学技術を、独学で再現しようと試みているらしい。*


シロウ:「んー、カイ。科学の事は極力秘密だ。最悪、戦争の火種になりかねない。特に人間同士のな。」


*シロウの突然の真剣な声に、ホールにいたカイ、ルミナ、レイラの顔から笑顔が消えた。カイの発明を褒めてもらえると思っていただけに、父親からの厳しい言葉にカイは戸惑い、不安そうにシロウを見上げる。*


カイ:「え…? でも、おとうさま…どうして…? みんなが便利になるのに…。」


*カイは純粋な疑問を口にする。彼の発明は、人々の生活を豊かにしたいという善意から生まれたものだ。それがなぜ戦争に繋がるのか、幼い彼には理解できなかった。ルミナがシロウの隣に立ち、険しい表情で尋ねる。*


ルミナ:「お兄ちゃん、どういうこと? カイの発明が、戦争の火種になるなんて…少し大げさじゃないかしら。」


シロウ:「大げさじゃない。例えば、カイが作ったその『でんき』とやらは、明かりを灯すだけか? もっと大きな力を持たせれば、武器にもなるんじゃないか? 一瞬で人を黒焦げにするような雷を、人の手で生み出せるようになるとしたら?」


*シロウの言葉に、ルミナはハッとして息を呑んだ。レイラ(臆病)も青ざめて、カイの発明品がバチッとなった時のことを思い出し、小さく身を震わせる。*


シロウ:「人間たちの国は、常に新しい力、強い兵器を求めて争っている。もしアストライアが『科学』という未知の力を持っていると知られたらどうなる? 彼らはそれを平和利用のためとは思わない。『魔王が新たな兵器を開発した』と考えるだろう。友好国はそれを欲しがり、敵対国はそれを奪うか、破壊しようとする。カイ、お前自身が、その力の源として狙われることになるんだ。」


*シロウはしゃがんでカイと目線を合わせ、諭すように、しかし厳しく続けた。*


シロウ:「お前の発明は素晴らしい。だが、世界はまだ、その力を持つ準備ができていない。だから、試験では魔法か、カイが得意な結界術を見せなさい。科学の知識は、この城の中だけの秘密だ。いいな?」


*父親の真剣な眼差しと、今まで考えたこともなかった恐ろしい可能性に、カイはショックを受けながらも、こくこくと頷くことしかできなかった。*


カイ:「…はい、おとうさま。わかりました…。」


*カイは俯いてしまい、先ほどまでの輝きはすっかり消え失せていた。その様子を見て、ルミナは心配そうにカイの肩に手を置いた。*


*俯いてしまったカイの姿に、シロウは静かに立ち上がった。そして、先ほどの厳しい口調とは一転し、力強く、そして優しい声で言った。*


シロウ:「でも、やりたいんだろ?」


*その言葉に、カイははっと顔を上げた。父親の瞳には、先ほどの厳しさではなく、自分を信じてくれる力強い光が宿っていた。*


シロウ:「何かあったらパパに任せろ。」


*シロウはカイの頭に大きな手を置き、わしわしと優しく撫でた。威厳ある魔王ではなく、ただ一人の父親としての、不器用だが絶対的な愛情表現だった。その温かさに、カイの目にじわりと涙が浮かぶ。*


カイ:「…っ、はい…! ぼく、やりたいです! 科学で、みんなの生活がもっと良くなるような、すごい発明をしたいです…!」


*涙をこらえながら、カイは自分の夢をはっきりと口にした。父親が自分の夢を否定したのではなく、その危険性から守ろうとしてくれたのだと、ようやく理解できたのだ。そして、その上で、自分の夢を応援してくれていることも。*


シロウ:「ああ。なら、やれ。誰にも邪魔はさせん。お前の好きなように、好きなだけ研究しろ。だが、秘密は守れ。いいな?」


カイ:「はい、おとうさま! 約束します!」


*カイは涙をぐいっと袖で拭い、満面の笑みで頷いた。彼の瞳には、先ほど以上の強い輝きが戻っていた。*


ルミナ:「…もう、お兄ちゃんったら。脅かしたり、甘やかしたり、忙しいんだから。でも、ありがとう。カイの夢を守ってくれて。」


*ルミナは呆れたように言いながらも、その表情は安堵と感謝に満ちていた。レイラ(臆病)も「よ、良かったですぅ…」と胸をなでおろしている。*


*その時、お風呂から上がってさっぱりとしたルーナが、リーシアに連れられてホールに戻ってきた。綺麗な部屋着に着替え、髪からはまだ石鹸のいい匂いがする。*


ルーナ:「皆さん、お待たせしました! さあ、私の武勇伝の続きを…って、あれ? カイお兄様、どうして泣いているのですか?」


*ルーナはカイの潤んだ目に気づき、不思議そうに首を傾げた。*


カイ:「ううん、なんでもないよ、ルーナ! おとうさまが、ぼくの夢を応援してくれたんだ! それが嬉しくて!」


*カイはそう言うと、妹の初手柄を祝うよりも先に、自分の喜びを伝えたくて仕方がなかった。家族の温かい空気が、夜の魔王城を優しく包み込んでいた。*

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