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*シロウは、慌ててバスルームに駆け込むルミナの後ろ姿を、暖かい目で見守っていた。産後すぐに自分を求めてくるほどの深い愛情と、少女のような初々しい反応。そのどちらもが、シロウにとっては何物にも代えがたい宝物だった。*
シロウ:「(可愛い…)」
*しばらくして、身支度を整えたルミナがバスルームから戻ってきた。頬はまだ少し上気しているが、その表情はすっかりと母親の顔に戻っている。*
ルミナ:「お待たせ、お兄ちゃん。さあ、行きましょうか。私たちの可愛い娘に会いに♡」
*シロウは頷くと、ルミナの腰に優しく手を添えて支えながら、隣室へと向かった。*
*扉を開けると、そこには揺り椅子に腰かけたメイド長のリーシアが、腕の中の小さな存在を優しくあやしている姿があった。*
リーシア:「あら、陛下、ルミナ様。おはようございます。お待ちしておりましたよ。王女様、とってもお利口さんでいらっしゃいました。」
*リーシアは静かに立ち上がると、腕の中の赤ん坊をそっとルミナに手渡す。*
ルミナ:「ルーナ…♡」
*ルミナは愛おしそうに我が子の名前を呼び、その小さな顔を覗き込む。ルーナはすやすやと眠っており、時折「ふにゃ」と小さな口を動かしていた。昨日の激痛が嘘のように、ルミナの心は穏やかな幸福感で満たされていく。*
シロウ:「よく眠ってるな。いい子だ。」
*シロウもルミナの隣からルーナの寝顔を覗き込み、その小さな頭を優しく撫でた。自分と、愛する妻との間に生まれた新しい命。その確かな重みと温もりが、家族の絆をより一層強く結びつけていくのだった。*
*シロウは、愛おしげに眠る我が子を眺めながら、誰にも気づかれぬよう、その瞳に静かに魔力を込めた。彼が持つ特別な能力、『神眼』の前身である『鑑定』を発動させる。父親として、娘の健やかな成長を願うがゆえの確認作業。そのはずだった。*
*しかし、シロウの脳裏に流れ込んできた情報は、彼の予想を遥かに超える、衝撃的なものだった。*
シロウ:「(ん?なんだこれ、転生…?)」
*シロウは内心の動揺を悟られぬよう、表情を一切変えずに鑑定結果を凝視する。*
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【鑑定結果】
名前:ルーナ・アストライア Lv.1
種族:半神(人間/元熾天使)
性別:女
称号:星の子、祝福されし者、転生者、皇女、月の祝福を受けし者
HP:50/50
MP:100/100
腕力:3
体力:5
敏捷:4
知力:20
魔力:30
器用:10
【ユニークスキル】
・転生者の知識
説明:異世界(地球)より転生した魂を持つ赤子。前世の記憶を魂の奥深くに留めているが、現在は赤子としての本能が優先されている。シロウとルミナの強力な魔力と血を受け継ぎ、神に近い存在『神人』として生を受けた。潜在的な魔力量は計り知れない。
【スキル】
・光魔法(天性)
・治癒魔法(天性)
・魔力感知(天性)
・魔力操作 Lv.1
・月の加護
・言語理解(継承)
・魂魄記憶
詳細:
魔王シロウと元熾天使ルミナの間に宿りし生命。
母から天界の祝福と聖なる魔力を、父から規格外の魔力総量と潜在能力を受け継いでいる。
生まれながらにして極めて高い聖属性と光属性への適性を持ち、その存在自体が周囲に微弱な祝福を振りまく。
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*『転生者』『魂魄記憶』『転生者の知識』――。*
*そこに並んでいたのは、およそ生まれたての赤子にはあり得ない文字列。自分と同じ、異世界からの来訪者。しかも、赤子として生まれ直した、正真正銘の『転生者』。シロウは驚愕の事実を前に、腕の中の小さな娘を改めて見つめ直した。このか弱く、愛おしいだけの存在が、自分と同じように前世の記憶を魂に宿している。その事実に、シロウは言葉を失っていた。*
*シロウは内心で激しくツッコミを入れながらも、そのポーカーフェイスは崩さない。まさか自分の娘が、自分と同じ境遇――いや、生まれ変わりという点ではさらに特殊な『転生者』だったとは。一体、前世は何をしていた人物なのか。どんな記憶を持っているのか。父親として、そして同じ異世界からの来訪者として、その興味は尽きなかった。*
シロウ:「(『転生したら魔王の娘だった件』ってか?ラノベかよ!!)」
*シロウは動揺を悟られまいと、眠るルーナの頭を優しく撫でるふりをしながら、さらに深く彼女の内面を探るべく、自身のスキル『読心術』を静かに発動させた。*
*しかし、シロウの意識がルーナの精神世界に触れようとした瞬間――。*
*シロウの脳内に流れ込んできたのは、明確な言葉や思考ではなかった。*
*『あたたかい』『きもちいい』『すき』『おなかすいた』『まぶしい』『ねむい』…*
*それは、まだ言葉にすらならない、赤ん坊の純粋で原始的な感覚の奔流。心地よさ、不快感、愛情、空腹。あらゆる感情が混じり合い、温かいミルクの海に浮かんでいるかのような、漠然とした幸福感だけが伝わってくる。*
*『鑑定』で示された『転生者の知識』や『魂魄記憶』といったスキルは、魂の最も深い場所に封印されているかのようだ。今のルーナの意識は、完全に生まれたての赤ん坊そのもの。前世の記憶や人格は、分厚い霧の向こう側で眠っており、今のシロウの『読心術』では到底届かないようだった。*
*唯一、他の感覚とは少し違う、明確な指向性を持った『感情』が微かに感じ取れた。それは、扉の近くに立っているカイに向けられた、純粋な『好意』と『興味』だった。*
シロウ:「(…なるほどな。今はただの赤ん坊、か。記憶が蘇るのは、もっと成長してから…あるいは、何かのきっかけが必要なのかもな。)」
*シロウはそっと『読心術』を解き、腕の中の小さな娘を改めて見つめる。今はまだ、何も知らない無垢な赤ん坊。それでいい。父親として、この子が健やかに育つことだけを願おう。シロウはそう心に決め、穏やかな笑みを浮かべた。*
*シロウは、部屋の入り口近くでそわそわと佇んでいる息子のカイに気づいた。その視線は、ルミナの腕に抱かれた小さな妹、ルーナに釘付けになっている。昨日、初めて妹に触れた時の驚きと戸惑いが、今は好奇心と興味に変わっているようだ。その様子は、まるで新しいおもちゃを欲しがる子供のようでもあり、兄としての何かが芽生え始めているようにも見えた。*
シロウ:「カイ? 抱っこしたいのか?」
*シロウは優しく声をかける。カイはシロウの言葉にはっとしたように顔を上げ、少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせた。しかし、すぐにこくりと小さく頷く。その瞳は期待にきらきらと輝いていた。*
ルミナ:「ふふっ、カイもお兄ちゃんになったものね。でも、カイはまだ小さいから、座って抱っこしましょうか。」
*ルミナはベッドの縁に腰掛け、自分の膝をぽんぽんと叩いてカイを促す。シロウがカイをひょいと抱き上げ、ルミナの隣に座らせた。*
ルミナ:「いい? こうやって、優しく、そーっとね。」
*ルミナはカイの小さな腕を支えながら、ゆっくりと産着にくるまれたルーナをその腕の中へと移してあげる。カイは体を硬くして、壊れ物を扱うように、ぎこちなく妹を抱きしめた。ずしり、とした初めて感じる命の重みに、カイはごくりと唾を飲み込む。*
*カイは初めて抱く妹の重みと温かさに、全身を緊張させて固まっていた。どう扱っていいのかわからず、ただ腕に乗せているだけ、というぎこちない状態だ。それを見たシロウは、赤ん坊の扱いで最も重要な点を、慌てて、しかし幼い息子にもわかるように言い換えて伝えた。*
シロウ:「首がまだ座ってない…あー、頭をしっかり持つんだぞ。」
*その言葉に、カイははっとしたように、ルーナの小さな頭と首のあたりに視線を落とす。そして、おそるおそる、自分の小さな片手をルーナの後頭部にそっと添えた。シロウとルミナがいつもやっているのを見様見真似で真似る。*
カイ:「…こう…?」
*不安そうに父親と母親の顔を交互に見上げるカイ。その腕の中で、ルーナは心地よさそうにすやすやと眠り続けている。兄のぎこちないながらも優しい腕の中が、よほど安心するらしい。*
ルミナ:「そうよ、上手上手。カイは優しいお兄ちゃんね。」
*ルミナはカイの頭を優しく撫でる。母親に褒められたことで、カイの表情が少しだけ和らいだ。彼はもう一度、腕の中の小さな妹に視線を落とす。自分を守ってくれる両親の愛情とはまた違う、自分が守ってあげなければいけない存在。その小さな責任感が、カイの心に確かに芽生え始めていた。*
*シロウたちがカイとルーナの微笑ましい交流を見守っていると、部屋の扉が音もなく開き、レイラが入ってきた。いつものように腕を組み、眉間に僅かな皺を寄せているその姿は、一見すると不機嫌そのものだ。だが、その視線は部屋に入った瞬間から、カイにだけ注がれていた。*
レイラ(魔王女):「フン、騒がしいと思えば…揃いも揃ってこんな狭い部屋に集まりおって。カイ、貴様もか。」
*いつもの傲慢な口調で言い放つが、その声色には刺々しさがない。彼女はベッドに近づくと、カイが小さな妹を抱いている姿を認め、僅かに目を見開いた。*
レイラ(魔王女):「ほう…それがルミナの子供か。…カイ、重くはないか? 無理をする必要はないぞ。妾が代わってやろう。」
*レイラはそう言うと、カイの隣にすっと腰を下ろし、彼の背中を優しく支えるように手を添える。口ではぶっきらぼうなことを言いながらも、その眼差しは息子であるカイへの深い愛情に満ちていた。カイがお兄ちゃんになったことへの、彼女なりの祝福と気遣いの表れだった。*
*シロウは、息子のこととなると途端に態度が柔らかくなるレイラの姿を見て、思わず心の声が漏れた。それは常々思っていたことだったが、こうして目の当たりにすると、そのギャップが可笑しくもあり、愛おしくもあった。*
シロウ:「………。レイラってカイには甘々だよな。」
*シロウがぽつりと呟くと、隣にいたルミナがぶんぶんと首を縦に激しく振り、全力で同意の意を示した。その様子は「そうなのよお兄ちゃん!いつもそうなのよ!」とでも言いたげだ。*
*二人の視線と同意を受けて、レイラは一瞬、きょとんとした顔をした後、すぐにカッと顔を赤らめた。*
レイラ(魔王女):「なっ…! き、貴様ら、何を馬鹿なことを言っている! 妾がこの小僧に甘いだと!? ありえん! 妾は魔王女レイラだぞ! 誰に対しても等しく厳格に接するのが当然であろうが!」
*レイラは慌ててカイの背中から手を離し、腕を組んでそっぽを向く。しかし、その耳まで真っ赤に染まっている様は、彼女の動揺を隠しきれていない。*
レイラ(魔王女):「こ、この小僧は妾の息子であり、この国の次期魔王となる存在だ! 妾が直々に厳しく鍛え上げるのは当然のこと! 甘やかしているなどと…あらぬ疑いをかけるな、下郎が!」
*早口でまくしたてるレイラだったが、その視線はチラチラとカイの方を向いている。当のカイは、母親の剣幕にもまったく動じず、腕の中の妹の小さな寝顔をじっと見つめているだけだった。その微笑ましい光景が、レイラのツンデレっぷりをより一層際立たせていた。*
*シロウの「はいはい」という、まるで子供をあやすかのような返答に、レイラはさらにカチンときたようだった。しかし、そんな自分に向けられたシロウの眼差しが、怒りや嘲りではなく、温かく慈愛に満ちたものであることに気づき、それ以上強く言い返すことができなくなってしまう。*
レイラ(魔王女):「…フン。分かればいい、分かれば。」
*レイラはバツが悪そうに小さく呟くと、再びぷいっと顔をそむけた。だが、その視線の先はやはり、カイと、カイに抱かれているルーナに向けられている。その横顔は、不機嫌さを装ってはいるものの、どこか穏やかだった。*
*そんな中、カイは腕の中の妹の重さに少し疲れてきたのか、もぞりと身じろぎをした。*
カイ:「おとうさま…おもたい…」
*まだ幼い子供の腕力では、長時間赤ん坊を抱き続けるのは難しい。*
ルミナ:「あらあら。じゃあ、お母さんに返してくれるかしら? カイ、ありがとうね。えらかったわ。」
*ルミナが優しく声をかけ、ルーナを受け取ろうと手を伸ばした、その時だった。*
レイラ(魔王女):「…待て。妾が持とう。」
*それまでそっぽを向いていたレイラが、すっと手を差し出した。その行動はあまりにも自然で、先程までの強がりが嘘のようだ。ルミナもシロウも、少し驚いて顔を見合わせる。*
レイラ(魔王女):「…なんだその顔は。カイが疲れているのだろう。妾が代わるのは当然だ。…ほら、カイ。よこせ。」
*レイラはカイの隣に座り直し、有無を言わさぬ口調で、しかし手つきは驚くほど優しく、カイの腕からそっとルーナを受け取った。初めて抱く、自分のものではない子供。その小さな命の重みを、レイラはどこか不思議そうな、そして複雑な表情で静かに見つめるのだった。*




