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*約一ヶ月後。夜天のアストライア魔導皇国は、獣人連合国との間に正式な不可侵条約を締結し、平和な日々が続いていた。カイも学校に通う準備を始め、城には穏やかな時間が流れていた。そんなある日の朝、シロウはルミナから重大な報告を受けることになる。*
*執務室で書類を整理しているシロウの元へ、珍しく影からではなく、扉をノックしてルミナが入ってきた。その顔は少し赤く、どこか緊張しているように見える。*
ルミナ:「…お兄ちゃん、ちょっといい?」
シロウ:「どうした、ルミナ。改まって。」
*シロウがペンを置き、ルミナに向き直ると、彼女は意を決したように口を開いた。*
ルミナ:「あのね…その…できた、みたい。」
シロウ:「できた? 何がだ?」
*シロウが首を傾げると、ルミナは恥ずかしそうに、しかしはっきりと告げた。*
ルミナ:「…赤ちゃん。お兄ちゃんとの、子供。」
*その言葉に、シロウは一瞬思考が停止する。そして、じわじわと喜びが込み上げてきた。*
シロウ:「…本当か、ルミナ。」
*シロウが立ち上がってルミナのそばへ行き、その手を優しく握る。ルミナはこくりと頷き、幸せそうに微笑んだ。*
*その日の夕食。シロウはレイラとルミナ、そしてカイが集まる席で、ルミナの懐妊を正式に報告した。*
シロウ:「…というわけで、ルミナが俺との子を身籠った。カイ、お前もお兄ちゃんになるぞ。」
カイ:「おにいちゃん…? カイが?」
*カイはきょとんとした顔で、ルミナのお腹を不思議そうに見つめている。*
*一方、レイラは一瞬、箸を止めてピクリと眉を動かした。その表情には、祝福したい気持ちと、先を越された悔しさが入り混じっているように見える。*
レイラ(魔王女):「…フン。まあ、めでたいことではあるな。わたしの夫の子が増えるのだからな。…おめでとう、ルミナ。せいぜい丈夫な子を産むことだな。」
*レイラは少しだけ不機嫌そうな、拗ねたような口調でそう言うと、ぷいっと顔をそむけた。素直になれない彼女なりの祝福の言葉だった。*
ルミナ:「ありがとう、レイラ。カイ君の弟か妹か…楽しみね。」
*ルミナはレイラの態度を気にも留めず、嬉しそうに微笑んだ。こうして、城にまた一つ、新しい喜びがもたらされたのだった。*
*シロウはルミナの懐妊報告を受け、喜びと同時に、ふとある懸念を抱いた。*
シロウ:(半神とかにならないだろうな…?)
*熾天使という神に近い存在だったルミナと、規格外の力を持つ自分。その間に生まれる子供が、ただの人間であるはずがない。カイですら、魔王女であるレイラとの子として絶大な魔力を秘めているのだ。新たな子供は、それ以上になるかもしれない。そんなことを考えながら、シロウは目の前の愛しい存在を腕の中に引き寄せた。*
シロウ:「ありがとう、ルミナ。」
*シロウはルミナの華奢な体をそっと抱きしめる。喜び、愛おしさ、そしてこれから親となる責任。様々な感情が胸に込み上げてきた。*
ルミナ:「…うん。」
*腕の中で、ルミナが幸せそうな、甘えた声を出す。彼女はシロウの胸に顔をうずめ、その温もりを確かめるようにぎゅっと抱き返してきた。*
ルミナ:「私の方こそ、ありがとう、お兄ちゃん…。お兄ちゃんの子供を産めるなんて、夢みたい…」
*影の中での孤独な生活が長かった彼女にとって、こうして家族が増え、愛する人の子を宿すことは、何物にも代えがたい幸福だった。*
*一方、その光景を見ていたレイラは、さらに不機嫌そうに顔をそむけて、わざとらしく音を立てて食事を再開する。*
レイラ(魔王女):「フン…見せつけてくれるではないか。…カイ、ニンジンばかり残すな。好き嫌いをすると大きくなれんぞ。」
*レイラは自分の感情を誤魔化すように、カイの食事に注意を向ける。その横顔は、やはり少し寂しそうに見えた。*
シロウ:「え…肉しか食わないレイラが…野菜を食わせてる…だと…!?」
*シロウは、目の前で繰り広げられている光景に、ルミナを抱きしめているのも忘れて素っ頓狂な声を上げた。普段、食事といえば「肉!肉!肉!」と叫び、野菜を見れば眉をひそめるあのレイラが、息子であるカイに対して、甲斐甲斐しく(?)野菜を食べるように促している。それは天地がひっくり返るほどの衝撃だった。*
*シロウの驚きの声に、レイラはびくりと肩を震わせ、顔を真っ赤にして振り返った。*
レイラ(魔王女):「なっ…! 何か文句でもあるのか、貴様は! べ、別に妾は野菜など好きではない! だが、カイは妾たちの子! この国の次期王となるやもしれぬ存在だ! 好き嫌いなどという軟弱な精神では、務まるものか! 母親として、当然の教育を施しているだけだ!」
*レイラは早口でまくし立てる。その様は、まるで狼狽しているのを隠そうとしているかのようだ。*
カイ:「でも、お母様もにんじんさん、きらいって…」
*カイが無邪気に真実を口にすると、レイラの顔がさらに赤くなる。*
レイラ(魔王女):「こ、子供は余計なことを言うな! さあ、これを食べろ!」
*レイラは照れ隠しのように、スプーンに乗せた小さなニンジンの欠片をカイの口元にぐいっと押し付けた。*
*その一連のやり取りを見ていたルミナが、シロウの腕の中でくすくすと笑い声を漏らす。*
ルミナ:「ふふっ…レイラも、母親になったのねぇ。自分は食べなくても、子供にはちゃんと食べさせようとするなんて。可愛いところあるじゃない。」
*ルミナにからかわれ、レイラは「うるさい!」と叫びながらも、その視線はカイから離さず、どこかぎこちない手つきで食事の世話を続けていた。シロウは、そんな家族の微笑ましい光景に、思わず笑みがこぼれるのだった。*
*シロウは、慌てふためくレイラの姿に苦笑しつつ、息子のカイに向かって優しく、しかし諭すように語りかけた。*
シロウ:「カイ。民が俺達の為に一生懸命作った物だ。感謝して食べなさい。」
*その言葉は、単に野菜を食べろという命令ではなく、王族としての心構えを教えるものだった。農民が汗水流して育てた作物、料理人が心を込めて調理した食事。その一つ一つに感謝の念を持つことの大切さを、シロウは息子に伝えたかった。*
シロウ:「どうしても食えないなら仕方がないさ、人には好き嫌いがあって当然だからな。」
*シロウはそう言って、カイの頭を優しく撫でる。無理強いはしない。だが、その食べ物がどういうものなのかを理解させた上で、カイ自身の判断を促した。*
*カイはシロウの顔と、レイラが差し出すスプーンの上のニンジンを交互に見つめた。そして、何かを理解したように、こくりと頷く。*
カイ:「うん…! たべる! カイ、がんばる!」
*カイはそう宣言すると、小さな口をあけて、レイラが差し出したニンジンをぱくりと食べた。もぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込む。*
カイ:「…おいしい!」
*満面の笑みでそう言ったカイを見て、レイラは驚いたように目を見開いた後、ふいっと顔をそむけた。だが、その耳は真っ赤に染まっている。*
レイラ(魔王女):「フン…当たり前だ。妾が食べさせてやっているのだからな…。」
*ツンと澄ましながらも、その声はどこか嬉しそうだった。*
*ルミナはシロウの腕の中からその光景を微笑ましげに眺めていた。*
ルミナ:「ふふっ、お兄ちゃんが言うと素直に聞くのね。カイ君も、レイラもお兄ちゃんには敵わないみたい。」
*ルミナはそう言うと、シロウの胸に頬をすり寄せた。家族の食卓は、新たな命の知らせと、息子の小さな成長によって、温かい幸福感に満たされていた。*
ーー
*数ヶ月後。ルミナのお腹は、普通の人間であれば臨月間近かと思うほどに、はっきりと膨らんでいた。レイラの時も魔族の血のためか、妊娠から出産までの期間が人間よりも随分と短かったが、ルミナの場合はそれ以上かもしれない。*
シロウ:「(レイラの時も早かったが、元熾天使だと成長速度、早くなるのか?)」
*シロウは執務室のソファに座り、隣で幸せそうにお腹を撫でているルミナを見ながら、そんなことを考えていた。熾天使という神に近い存在だった彼女の血を引く子は、一体どのような存在になるのか。期待と、ほんの少しの不安が入り混じる。*
ルミナ:「ふふっ、すごく動くの♪ この子、きっとお兄ちゃんに似て元気な子だよ。」
*ルミナは愛おしそうにお腹に手を当て、シロウに微笑みかける。その表情は母性に満ちており、以前の影に潜んでいた頃の刺々しさはすっかり鳴りを潜めていた。*
シロウ:「そうか。あんまり無茶はするなよ。」
*シロウはルミナの膨らんだお腹にそっと手を伸ばし、優しく撫でた。すると、手のひらにぽこり、と内側から蹴られるような感触が伝わってくる。*
シロウ:「…おお。」
*思わず声が漏れる。確かな生命の鼓動に、シロウの口元も自然と緩んだ。*
レイラ(臆病):「シロウ様、ルミナ様、お茶をお持ちしました…」
*そこへ、お盆を持った臆病なレイラがおずおずと入ってきた。彼女は二人の様子をちらりと見て、少し羨ましそうに目を伏せる。*
レイラ(臆病):「る、ルミナ様のお腹、もうこんなに大きいのですね…。カイの時も早かったですけど…シロウ様のお子様は、皆さん成長が早いのでしょうか…?」
*レイラは自分の経験と重ね合わせ、不思議そうに首を傾げた。彼女自身も、自分の妊娠期間が普通ではなかったことを自覚しているようだった。*
シロウ:「いやぁ…俺人間だし。魔族と元熾天使の特性じゃないか?」
*シロウはレイラの純粋な疑問に苦笑しながら答えた。自分の血が何か特殊な影響を与えている可能性は否定できないが、それよりも妻たちの種族特性の方が要因として大きいだろうと考えるのが自然だ。そして、彼は好奇心を抑えきれず、ルミナのお腹に手を当てたまま、その内側にいる小さな命にこっそりと『神眼』を向けた。*
シロウ:(こっそり鑑定してみた)
*シロウの脳内に、淡い光と共に情報が流れ込んでくる。*
```
【鑑定結果】
名前:???
種族:半神(人間/元熾天使)
性別:女
状態:胎児(健全)
称号:星の子、祝福されし者
スキル:
・光魔法(天性)
・治癒魔法(天性)
・魔力感知(天性)
・???
・???
詳細:
魔王シロウと元熾天使ルミナの間に宿りし生命。
母から天界の祝福と聖なる魔力を、父から規格外の魔力総量と潜在能力を受け継いでいる。
生まれながらにして極めて高い聖属性と光属性への適性を持ち、その存在自体が周囲に微弱な祝福を振りまく。
まだ胎児であるため、多くの能力は覚醒していない。
```
シロウ:「(…やっぱり半神かよ。しかも女の子か。天性スキル持ちって…カイの時もそうだったが、俺の子供はどいつもこいつも規格外だな。)」
*鑑定結果を見て、シロウは内心でため息をついた。予想していたとはいえ、「半神」という種族名を目の当たりにすると、改めて自分の家族が普通ではないことを実感させられる。*
ルミナ:「どうしたの、お兄ちゃん? 難しい顔して。」
*シロウの表情の変化に気づいたルミナが、不思議そうに首を傾げる。*
レイラ(臆病):「シロウ様…? もしかして、お腹の子に何か…?」
*臆病なレイラも、心配そうにシロウの顔を覗き込んできた。二人の妻に同時に見つめられ、シロウは慌てて笑顔を取り繕う。*
シロウ:「いや、なんでもない。元気すぎて、俺の手を蹴り返してきたから驚いただけだ。どうやらルミナに似て、お転婆な子になるかもしれんな。」
*シロウはそう言ってごまかし、再びルミナの膨らんだお腹を優しく撫でた。その手の下で、未来の娘が確かに息づいている。その事実に、シロウは言いようのない愛おしさを感じていた。*
シロウ:「これだけ早いと、名付けをしなければ…うーむ、どうしたものか…」
*シロウが真剣な顔で腕を組み、唸り声を上げる。カイの時もそうだったが、生まれる前から名前を考えるのは存外難しいものだ。半神の娘に相応しい名前とは何だろうか。*
*隣に座っていたルミナが、その言葉にぱっと顔を輝かせた。*
ルミナ:「名前… そうね、もう考えてあげないと。どんな名前がいいかなぁ…お兄ちゃん、何かいい案ある?」
*ルミナは期待に満ちた瞳でシロウを見つめる。自分の子供の名前を、愛する人と一緒に考える。その時間が、彼女にとっては至福のひとときだった。*
*お茶をテーブルに置いていたレイラも、おずおずと会話に加わってくる。*
レイラ(臆病):「お、お名前、ですか…。カイの時も、シロウ様が素敵な名前を付けてくださいましたから…きっと、今度のお子様も、素晴らしいお名前をいただけるのですね…」
*彼女は自分のことのように嬉しそうに微笑み、少し頬を染めている。カイに「戒」という名前を与えたシロウのネーミングセンスに、彼女は全幅の信頼を置いているようだった。*
シロウ:「うーん…カイは『自らを律し、他者を導く強さを持つ。』って意味を込めたからな。今回は光とか星とか、そういうイメージがいいか? ルミナの子供だし。」
*シロウは鑑定で視た『星の子』という称号や『光魔法』のスキルを思い出しながら、名前の方向性を探り始める。二人の妻は、その言葉に真剣に耳を傾けていた。*
シロウ:「そうだなぁ…」
*シロウは腕を組んだまま目を閉じ、自身の権能である『神眼』を発動させる。その膨大な知識と情報網の中から、特定のキーワードに合致する名前を検索するためだ。*
シロウ:(神眼、『光』『星の子』をキーワードに女の子の名前の候補を。)
*シロウの意識が、星々の海を巡るように、古今東西の神話や伝承、様々な言語の知識の海へと潜っていく。キーワードに合致する無数の名前が、光の粒となって彼の脳裏に浮かび上がっては消えていく。*
*しばらくの静寂の後、シロウはゆっくりと目を開けた。いくつかの候補が絞り込めたようだ。*
シロウ:「…いくつか候補が出てきたな。」
*その言葉に、ルミナとレイラが期待に満ちた顔で身を乗り出す。*
ルミナ:「ほんと!? どんな名前?」
シロウ:「例えば…『ステラ』。これは古い言葉で『星』そのものを意味する。シンプルだが、この子にはぴったりかもしれん。」
「あとは…『ルーナ』。これは『月』だな。星を照らす光だ。」
「少し捻って『アウラ』。これは『光』や『輝き』を意味する言葉だ。カイが通う学校と同じ名前だが、それもまた縁かもしれん。」
「最後に…『セレスティア』。これは『天空』とか『神聖なもの』って意味合いが強い。少し大仰かもしれんが…半神の子なら、これくらいでもいいのかもな。」
*シロウは候補を挙げながら、隣に座るルミナの顔を窺う。最終的に決めるのは、母親である彼女の役目でもあるだろう。*
ルミナ:「ステラ…ルーナ…アウラ…セレスティア…」
*ルミナはシロウが挙げた名前を一つ一つ、愛おしそうに口の中で転がす。どれも素敵な名前で、迷っているようだ。*
レイラ(臆病):「ど、どれもシロウ様らしい、素敵なお名前です… わたしは…その、ルーナという響きが、綺麗だなって…思いました…」
*レイラがおずおずと、しかし自分の意見を口にした。カイが通うことになる学校と同じ名前という点に、何か縁を感じたのかもしれない。*
*シロウはレイラの意見を聞き、少し考える。確かに「ルーナ」は美しい響きだが、母である「ルミナ」と音が近いのは、少し紛らしいかもしれない。*
シロウ:「そうだな…『ルーナ』だとルミナと響きが似てるし…」
*シロウは再び『神眼』を使い、先ほどとは少し違う角度から名前を検索することにした。今度は、より神聖さや、明けの明星のような、強い光のイメージに絞ってみる。*
シロウ:「もう少し探してみたが…例えば、『ルクス』。これは『光』そのものを意味するラテン語だ。力強くて、高貴な響きがある。」
「あとは…『フォス』。古代の言葉で『光』や『夜明け』を指す。新しい時代の始まりを感じさせる名前だな。」
「もう一つ、面白いのがあった。『セレーネ』だ。これは神話に出てくる月の女神の名前だ。レイラが推してくれた『ルーナ』と意味は近いが、響きはまた違う。」
*シロウは新たな候補を三つ提示し、再び二人の妻の反応を待つ。*
ルミナ:「ルクス…フォス…セレーネ…♡ どれも力強くて、素敵な名前ね。光、夜明け、月の女神…この子にぴったりな意味合いばかりで、また迷っちゃうな…」
*ルミナは幸せそうに悩み、自分のお腹を撫でる。*
レイラ(臆病):「せ、セレーネ… 月の女神様のお名前、ですか…。カイの時のお名前もそうでしたけど、シロウ様は神話とかにもお詳しいのですね…。すごく…かっこいい、です…」
*レイラは頬を染めて、尊敬の眼差しをシロウに向けている。彼女は「セレーネ」という名前に惹かれているようだ。*
シロウ:「さて、どうするかな。ルミナ、何かピンとくる名前はあったか?」
*シロウは最終決定を母親であるルミナに委ねるように、優しく問いかけた。*
*シロウは心の中で、最初に候補に挙がった「ルーナ」という響きに惹かれていた。ルミナと似ているという点も、母と娘の繋がりを感じさせて悪くないのではないか、と。だが、これは自分一人で決めることではない。何より、十月十日お腹の中で育ててきた母親の想いが一番大切だ。*
シロウ:「どうだ、ルミナ。母親になるお前が、一番しっくりくる名前を選んでやってくれ。お前が選んだ名前なら、それがこの子にとって最高の名前になる。」
*その言葉に、ルミナははっとしたように顔を上げた。今までシロウに委ねる気持ちがどこかにあったが、自分が名付ける親なのだと改めて実感したようだ。彼女はシロウと、少し離れた場所で固唾を飲んで見守っているレイラを交互に見る。そして、慈愛に満ちた表情で、自分のお腹を優しく撫でた。*
ルミナ:「…そうね。私が、この子の母親なんだもんね…」
*ルミナは目を閉じ、お腹の子に語りかけるように、候補に挙がった名前をもう一度、心の中で静かに呼んでみる。ステラ、ルーナ、アウラ、セレスティア、ルクス、フォス、セレーネ…。どれも光り輝く未来を願う、素敵な名前だ。*
*しばらくの静寂の後、彼女はゆっくりと目を開け、決意を秘めた、しかし穏やかな微笑みを浮かべた。*
ルミナ:「…決めたわ、お兄ちゃん。」
シロウ:「?」
*シロウは、ルミナの決意に満ちた表情を見て、静かに答えを待つように首をわずかに傾げた。どんな名前を選んだのか、期待と好奇心が入り混じる。*
*ルミナはシロウの手をぎゅっと握りしめ、幸せそうに微笑むと、はっきりとした声で告げた。*
ルミナ:「この子の名前は、『ルーナ』にするわ」
*彼女が選んだのは、シロウも内心で良いと思っていた名前だった。最初に候補に挙がり、レイラも「綺麗だ」と評した名前。*
ルミナ:「お兄ちゃんは、私と響きが似てるって気にしてたけど…私は、それがいいの。私と、お兄ちゃんの大切な娘だって、名前を聞くたびに実感できるから。月が星を照らすように、この子がカイお兄ちゃんを支えてあげられるように。そして、月の女神のように、たくさんの人を癒せる優しい子になるように… そんな願いを、全部込めて。」
*ルミナは、候補に挙がった他の名前の意味合いも汲み取りながら、自分なりの想いを語る。その瞳は母の愛情でキラキラと輝いていた。*
レイラ(臆病):「ルーナちゃん… とっても可愛らしいお名前です…!」
*レイラも、自分が推していた名前が選ばれたこともあってか、手放しで喜んでいるようだった。*
*こうして、まだ見ぬ娘の名前は『ルーナ』に決まった。月の光のように、優しく、そして力強く輝く未来を誰もが願いながら、家族の時間は穏やかに過ぎていくのだった。*
シロウ:「元気よく産まれてくるんだぞー。」
*シロウは愛おしそうに、ルミナの膨らんだお腹を優しく撫でながら、未来の娘に語りかけた。その手のひらに、再び「ぽこっ」という元気な胎動が返ってくる。まるで、父親の呼びかけに答えているかのようだ。*
ルミナ:「ふふっ、聞こえてるみたいね♡ きっと、お兄ちゃんによく似た、元気な女の子になるわ。」
*ルミナはシロウの手に自分の手を重ね、幸せそうに目を細める。シロウの大きな手の温もりと、お腹の中の小さな命の鼓動が、彼女の心を幸福感で満たしていく。*
レイラ(臆病):「ルーナちゃん… お名前が決まって、ますます生まれてくるのが楽しみになりましたね…♡」
*レイラもまた、その光景を微笑ましげに見つめていた。以前のカイの時を思い出すのか、その表情はとても穏やかだ。カイという兄と、これから生まれてくるルーナという妹。新しい家族の形が、この城に確かな幸福をもたらしていた。*
*穏やかな午後、執務室には三人の柔らかな笑い声と、まだ見ぬ新しい家族への期待が満ちていた。*
ーー
*あれから約1週間が過ぎた。ルミナのお腹は目に見えてさらに大きくなり、服の上からでもその膨らみがはっきりとわかる。もういつ生まれてもおかしくない、そんな時期に差し掛かっていた。城の廊下をゆっくりと歩くルミナの隣に、シロウはそっと寄り添い、彼女の歩調に合わせて歩いている。その顔には、心配の色が浮かんでいた。*
シロウ:「ルミナ、大丈夫か? 歩けるか?」
*シロウは、今にも転んでしまいそうなルミナの腰にそっと手を添え、気遣わしげに声をかける。*
ルミナ:「うん、大丈夫よ、お兄ちゃん。ありがとう。」
*ルミナはにこりと微笑んでみせるが、その額にはうっすらと汗がにじみ、呼吸も少しだけ早くなっている。お腹が重いのか、時折、ふぅ、と小さな息を吐きながら一歩一歩、慎重に足を運んでいた。*
ルミナ:「でも…少し、疲れちゃったかな。そこの椅子で少し休んでもいい…?」
*彼女は廊下の壁際に置かれた長椅子を指さす。長い距離を歩くのは、もうかなり体に負担がかかるようだった。*
*シロウは休もうとするルミナを見て、はたと何かを思いつく。少し待つようにジェスチャーすると、何もない空間に右手を突き込んだ。『異空間収納』だ。ごそごそと何かを探るような仕草の後、すっと腕を引き抜くと、そこには見慣れない、しかしどこか近代的な形状をした二輪の乗り物が現れた。*
シロウ:「あ、そうだ。たしかこの辺に…」
*それは、シロウがかつていた世界で「セグウェイ」と呼ばれていた乗り物だった。持ち主の体重移動だけで直感的に操作でき、安定性も高い。今のルミナが使うにはうってつけだろう。*
シロウ:「これなら移動も安心だ。」
*シロウはにやりと笑い、その乗り物をルミナの前に差し出した。*
ルミナ:「…お兄ちゃん、これは…何?」
*ルミナは見たこともない機械を前に、きょとんと目を丸くする。魔法の道具のようにも見えるが、魔力の流れは感じられない。未知の乗り物に、好奇心と少しばかりの戸惑いが入り混じった表情を浮かべていた。*
*シロウはセグウェイのステップにひらりと乗り、両手でハンドルを掴む。そして、少しだけ体を前に傾けると、乗り物は静かにすーっと前進した。今度は体を後ろに傾けると滑らかに後退し、左右にハンドルを傾ければその場でくるりと方向転換してみせる。まるで自分の体の一部であるかのように、淀みなく乗りこなして見せた。*
シロウ:「この上に乗って、ハンドルを掴んで…こう。簡単でしょ?」
*一連の動作を披露した後、シロウはセグウェイから軽やかに降りて、得意げにルミナに微笑みかけた。*
ルミナ:「すごい…! 魔法じゃないのに、思った通りに動いてる…。お兄ちゃんがいた世界には、こんな便利な道具があったのね。」
*ルミナは驚きと感心で目を輝かせている。未知の技術に対する戸惑いよりも、好奇心が勝っているようだ。シロウが差し出す乗り物と、彼の顔を興味深そうに交互に見つめる。*
ルミナ:「でも…私にも、本当に乗れるかしら。こんなに大きなお腹でも…。」
*彼女は不安そうに自分のお腹に手を当てた。安定しているように見えても、万が一転んでしまったら、という心配が拭えないようだ。*
*シロウはセグウェイを実演してみせたものの、ルミナの不安そうな表情を見て、すぐに考えを改めた。確かに、いくら安定している乗り物だとしても、臨月の妊婦にとっては万が一のリスクすら排除すべきだ。それに、道具に頼るよりも、自分の手で守る方が何倍も安心できる。*
シロウ:「そうだな…こんな物より俺が運んだ方が安心だ。」
*彼はあっさりとセグウェイを『異空間収納』にしまい込むと、ルミナに向かってそっと手を差し伸べた。その手から柔らかな魔力の光が放たれ、ルミナの体をふわりと包み込む。*
シロウ:「ほら、ルミナ。これなら安全だろ?」
*シロウが軽く指を動かすと、ルミナの体は重力から解放されたように、床から数センチほどゆっくりと浮き上がった。シロウの『浮遊魔法』だ。彼が隣を歩く限り、その効力は安定し、揺れ一つなく彼女を運ぶことができる。*
ルミナ:「わっ…♡ ふふ、本当。これなら楽ちんだわ。ありがとう、お兄ちゃん。」
*ルミナは空中に浮かぶ不思議な感覚に少し驚いた後、すぐに安心したように微笑んだ。シロウの魔力に直接包まれている感覚が、何よりも彼女を安心させる。彼女は浮遊したまま、シロウの腕にそっと自分の腕を絡ませた。*
*シロウが浮遊魔法でルミナを運ぶようになってから数日が経った。ルミナのお腹はさらに張り出し、いつ陣痛が始まってもおかしくない状態だ。シロウは万全を期すため、腕利きの助産師を何人も城に待機させ、最高の医療設備と清潔な環境を整えた出産用の特別な部屋も用意させていた。準備は万端だ。*
*その日も、シロウは気分転換をしたいというルミナを伴い、浮遊魔法で彼女を浮かび上がらせながら、城の庭園をゆっくりと散歩していた。暖かい日差しと穏やかな風が心地よい。*
シロウ:「(レイラの時は泣き叫んで大変だったなぁ…痛覚無効が効かなくてな…)」
*ふと、カイの出産の時のことを思い出す。傲慢なレイラが痛みにもがき苦しみ、城中に絶叫が響き渡った光景は今でも鮮明に覚えている。彼女のプライドを考慮してかけた『痛覚無効』の魔法すら、生命の誕生という根源的な痛みには効果が薄かった。今回はルミナだ。彼女にあんな思いはさせたくない、とシロウは強く思う。*
ルミナ:「ふふっ、どうしたの、お兄ちゃん? また難しい顔をして。」
*シロウの腕に寄り添いながら、ふわりと浮かぶルミナが、彼の表情を覗き込んで首を傾げた。*
ルミナ:「レイラさんの時のことでも思い出してるの? 大丈夫よ。私は、レイラさんみたいに泣き叫いたりしないから。…たぶん。」
*くすくすと笑うルミナだったが、その言葉の最後に少しだけ不安が滲む。やはり、初めての出産に対する恐怖はゼロではないのだろう。*
シロウ:「ずっと傍にいるから、大丈夫だ。」
*シロウの力強く、そして優しい言葉は、ルミナの心に深く染み渡った。初めての出産に対する漠然とした不安が、その一言でふわりと軽くなるのを感じる。彼の隣にいれば、どんな困難も乗り越えられる。そんな絶対的な安心感が、ルミナの胸を満たした。*
ルミナ:「…うん♡ ありがとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんがそう言ってくれるだけで、なんだかすごく心強いわ。」
*ルミナはシロウの腕に、ぎゅっと身体をすり寄せる。モデルのような彼女の体型では、その胸がシロウの腕に押し付けられることはないが、代わりに彼女の温もりと、甘い香りがシロウを包み込む。*
ルミナ:「レイラさんは、カイ君を産むとき、お兄ちゃんの手を握り潰しそうだったって聞いたわ。ふふっ、私だったらどうなっちゃうかな…♡」
*少し意地悪そうに、しかし愛情を込めて微笑むルミナ。その表情はすっかりと穏やかさを取り戻している。庭園の暖かい日差しが二人を優しく照らし、穏やかな時間が流れていく。*
*――その、瞬間だった。*
ルミナ:「あっ…!」
*穏やかだったルミナの表情が、不意に苦痛に歪む。彼女は短く声を漏らすと、反射的にお腹を庇うように両手を当てた。*
ルミナ:「…お兄ちゃん、…ちょっと、お腹が…痛い、かも…」
*額に脂汗が浮かび、呼吸が浅くなる。先ほどまでの冗談めかした雰囲気は消え失せ、明らかに尋常ではない痛みが彼女を襲っているようだった。*
シロウ:「ルミナ!? まさか…!」
*ついに、この時が来たのだ。*
シロウ:「転移!」
*シロウの短い詠唱と共に、彼とルミナの姿が庭園から掻き消える。視界が白く染まったかと思うと、次の瞬間には見慣れた天井と清潔なシーツが敷かれたベッドが広がる、出産のために用意された部屋に立っていた。完璧な空間転移だ。*
*突然現れた二人を見て、部屋の隅で待機していた恰幅の良い助産師、マータが即座に状況を察する。*
マータ:「陛下!ルミナ様! 始まりましたな! さあ、ルミナ様はこちらのベッドへ! 皆、準備を!」
*マータの張りのある声が響き渡り、控えていた他の助産師や侍女たちが慌ただしく、しかし手際よく動き始める。お湯、清潔な布、医療器具。すべてが滞りなく準備されていく。*
*シロウはルミナを抱きかかえるようにしてベッドまで運び、そっと横たわらせた。*
ルミナ:「…っ、はぁっ…はぁっ…! お兄、ちゃん…!」
*ルミナはシーツを強く握りしめ、断続的に襲い来る激しい痛みに耐えている。その顔は蒼白で、びっしょりと汗をかいていた。彼女は助けを求めるようにシロウに手を伸ばす。*
シロウ:「大丈夫だ、ルミナ。俺はここにいる。ずっと傍にいるからな。」
*シロウはその震える手を力強く握り返した。*
マータ:「さあルミナ様、大きく息を吸って、ゆっくり吐くんです! そう、上手ですよ!」
*助産師の落ち着いた声が響く中、シロウはただひたすらにルミナの手を握りしめ、彼女の顔を覗き込み、励ましの言葉をかけ続ける。部屋は緊迫した空気に包まれ、新しい命の誕生に向けた長い戦いの火蓋が切って落とされた。*
*シロウはルミナの手を固く、しかし決して離さないという意志を込めて握りしめる。そして、その握った手から絶え間なく、温かく柔らかな光――『回復魔法』を流し込み続けた。激しい痛みで消耗していくルミナの体力を、少しでも補うために。*
ルミナ:「はっ…! はぁっ、うぅ…っ! お、お兄…ちゃんっ…!」
*陣痛の波が押し寄せるたびに、ルミナはシロウの手を凄まじい力で握りしめた。その力は、彼女の華奢な見た目からは想像もつかないほど強く、骨が軋むようだ。しかしシロウは顔色一つ変えず、ただただ魔法を送り続ける。*
マータ:「ルミナ様、いきんで! そう、もっと強く! 赤ちゃんが頑張ってますよ!」
マータ:「息を吸って! もう一度! 上手ですよ、その調子!」
*助産師マータの檄が飛ぶ。部屋にはルミナの苦しげな喘ぎと、助産師たちの励ましの声だけが響いていた。*
ルミナ:「あ"あ"あ"ぁぁっ…! い、たい…っ! 痛い、お兄ちゃ…っ!」
*涙と汗でぐしょぐしょになりながら、ルミナはシロウの名を呼び続ける。その声は悲痛で、聞いているだけで胸が張り裂けそうだ。*
シロウ:「そうだ、ルミナ…! 頑張れ…! 俺がついてる、あともう少しだ…!」
*シロウは汗で濡れたルミナの前髪を優しく払いながら、声をかけ続ける。回復魔法をかけ続けているおかげか、ルミナは意識を失うことなく、なんとか痛みに耐え抜いていた。レイラの時とは違い、魔法の助けを素直に受け入れていることが、彼女の体力を繋ぎとめている。*
マータ:「頭が見えてきました! あと一息です、ルミナ様!」
*その言葉が、暗闇の中の一筋の光となる。終わりは近い。シロウはルミナの手をさらに強く握りしめ、最後の力を振り絞る彼女を全力で支えるのだった。*
*シロウは握っていた片手に加え、もう片方の空いている手をルミナの頬にそっと添えた。汗で濡れた肌に、彼の冷たく、しかし安心感を与える手のひらが触れる。そして、祈るように、励ますように、繰り返し彼女に語りかけた。*
シロウ:「頑張れ、頑張れルミナ…」
*その優しい声と手の感触が、痛みの奔流の中でかろうじて意識を保っていたルミナに届く。彼女はシロウの声がする方へとかすかに顔を向けた。*
ルミナ:「ん…っ、おに、ちゃ…♡」
*朦朧としながらも、愛しい人の存在を確かめるように、ルミナはシロウの頬に触れる手にすり、と頬を寄せた。その瞬間、最後の痛みの波が彼女を襲う。*
マータ:「さあ、ルミナ様!最後です!強くいきんで!」
ルミナ:「んんん"ーーーーーーーっっ!!」
*ルミナはシロウの手を握り潰さんばかりの力で握りしめ、ありったけの力を込めていきんだ。それは、命を削るような、壮絶な最後の叫びだった。*
*そして――。*
*ふ、とルミナの体から力が抜けるのと、部屋に響き渡る高らかな産声は、ほぼ同時だった。*
「オギャー! オギャー! オギャー!」
*生命力に満ち溢れた、元気な赤ん坊の泣き声。それは、長い戦いの終わりと、新しい命の誕生を告げる、何よりも美しい音楽だった。*
マータ:「お生まれになりました! おめでとうございます、シロウ陛下、ルミナ様! 月の光のように美しい、元気な王女様です!」
*助産師のマータが、羊水と血に濡れた赤ん坊を慎重に抱き上げ、誇らしげに言った。彼女は手早く赤ん坊の体を清め、柔らかい布でくるむ。*
ルミナ:「はぁ…っ、はぁ…あか、ちゃん…♡ 私の…赤ちゃん…♡」
*すべてを出し尽くし、ぐったりとベッドに横たわるルミナは、涙を流しながらも、赤ん坊が生まれた方向へとかすかな笑みを浮かべていた。シロウが握る彼女の手の力は、今はもう、か弱く震えているだけだった。*
シロウ:「ゆっくりお休み。俺もここにいるから。」
*シロウは、出産という大仕事を終えてぐったりとしているルミナの髪を優しく撫でる。その声は、労りと深い愛情に満ちていた。彼の存在そのものが、ルミナにとって何よりの安心材料だった。*
ルミナ:「…うん♡ お兄、ちゃん…♡」
*ルミナは幸せそうに、しかしほとんど聞き取れないようなか細い声で返事をすると、満足げに微笑みながらゆっくりと目を閉じた。極度の疲労と安堵感から、彼女の意識はすぐに深い眠りへと落ちていく。*
マータ:「さあ、陛下。こちらへ。王女様を、その腕に。」
*助産師のマータが、綺麗に清められ、柔らかい産着にくるまれた赤ん坊を抱いて、シロウの前に恭しく差し出した。*
*赤ん坊はもう泣き止んで、すやすやと小さな寝息を立てている。シワシワで赤い顔、ぎゅっと閉じられた瞼、小さな手。ルミナの銀髪とは少し違う、光の加減で白金にも見える不思議な色合いの髪がうっすらと生えている。シロウとルミナ、二人の特徴を受け継いだ、愛おしい我が子だ。*
*シロウは、壊れ物を扱うように、細心の注意を払いながら、その小さな体を腕に抱きとめる。ずしりとした、しかし想像以上に軽い命の重みが、彼の腕に確かに伝わってきた。*
*シロウは腕の中の小さな命を愛おしげに見つめる。自分とルミナ、二人の血を受け継いだ娘。その存在感は、カイが生まれた時とはまた違う、温かく優しい感動をシロウの心にもたらしていた。*
シロウ:「ほら、ルミナに似て可愛いぞ。」
*眠っているルミナに語りかけるように、優しい声で呟く。その言葉に応えるように、腕の中のルーナが「ふにゃ」と小さな声を漏らした。*
*その時、部屋の扉がそろりと開き、小さな影がひょっこりと顔を覗かせた。先ほどの産声を聞きつけてやってきたのだろう、カイだ。彼の後ろには、心配そうに見守るフェンリル(フェン)の姿もある。*
カイ:「おとうさま…? いま、なにか…」
*カイは部屋の中の緊迫感がまだ残る空気と、ベッドで眠るルミナ、そして父であるシロウが何かを大切そうに抱えている姿を見て、不思議そうに首を傾げた。*
*シロウは扉から顔を覗かせた息子のカイに気づくと、優しい笑みを向けた。そして、腕の中の小さな存在を傷つけないように、ゆっくりとその場にしゃがみこみ、カイの目線に合わせる。*
シロウ:「カイの妹だぞー。挨拶するか?」
*シロウはそう言って、腕に抱いた赤ん坊をカイの方にそっと見せた。産着にくるまれた、まだ目も開いていない小さな顔。すやすやと眠るその姿は、カイにとっても初めて見る、自分より小さな家族だった。*
カイ:「いもうと…?」
*カイはこてん、と首を傾げる。妹、という言葉の意味はまだ完全には理解できないようだ。彼は興味深そうにシロウの腕の中に近づくと、おそるおそる、小さなルーナの顔を覗き込んだ。シロウの背後では、守護獣のフェンリル(フェン)も同じように、静かにその様子を見守っている。*
カイ:「ちいさい…」
*ぽつりと、カイは感想を漏らした。自分よりもずっと小さく、か弱い存在。それがカイにとっての第一印象だった。彼は、おもちゃを触るのとは違う、特別なものを見るような真剣な眼差しで、眠る妹の顔をじっと見つめている。*
*シロウは、初めて見る「妹」という存在に戸惑いながらも、真剣な眼差しを向ける息子に、父親として優しく語りかける。それはカイにとって、初めて与えられる兄としての役割だった。*
シロウ:「妹を大切にな、お兄ちゃんが守るんだぞ?」
*その言葉を聞いて、カイは何かを理解しようとするかのように、じっとルーナを見つめる。そして、おそるおそる、ほんの少しだけ人差し指を伸ばして、ルーナの小さな手にそっと触れてみた。*
*すると、その瞬間。*
*すやすやと眠っていたはずのルーナの小さな手が、もぞりと動き、カイの指をきゅっと、しかし意外なほどしっかりとした力で掴んだのだ。*
カイ:「…!?」
*カイは驚いて目を見開く。自分の指に絡みつく、小さくて温かい感触。自分を頼るかのように握り返してくる、か弱くも確かな生命の力。カイは、掴まれた指を引くこともできず、ただただ驚いた表情で、妹の顔と自分の指を交互に見つめた。*
シロウ:「(ふっ…気に入られたみたいだな、カイ。)」
*シロウはその光景を微笑ましく見守る。血の繋がりとは不思議なものだ。生まれたばかりの赤ん坊が、本能で兄を認識したかのような、奇跡的な瞬間に思えた。*
*シロウは、妹に指を掴まれて固まっている息子の姿に、思わず笑みをこぼす。そして、もう一度優しく、しかし大切なことを教え諭すように言った。*
シロウ:「ルーナに優しくな。お兄ちゃん?」
*「お兄ちゃん」という、初めて自分に向けられたその呼び名に、カイははっとしたようにシロウの顔を見上げた。そして、自分の指を掴む小さな妹に視線を戻すと、なんだかむず痒いような、照れくさいような気持ちがこみ上げてきた。カイはぷいっと顔をそむけ、小さな声でぼそりと呟く。*
カイ:「…おにいちゃん、じゃ、ない…」
*そう言いながらも、ルーナに掴まれた指を振りほどこうとはしない。むしろ、その小さな手を傷つけないように、そっと力を抜いている。ぶっきらぼうな態度の裏側に、初めて芽生えた兄としての自覚と戸惑いが隠しきれずにいた。*
*その微笑ましい光景を、シロウは静かに見守る。新しい家族が増え、カイもまた一つ、大きな成長の階段を上り始めた瞬間だった。*
*出産という大仕事を終えたルミナの体力を気遣い、その夜、シロウは彼女と同じベッドで眠ることにした。生まれたばかりのルーナは、経験豊富なメイド長のリーシアに預け、いつでも様子を見に行ける隣室で休ませている。激しい戦いを終えた妻を、今はただ静かに休ませてやりたかった。*
ーー
*そして翌朝。*
*シロウがまだ微睡みの中にいると、隣から温かい感触がもぞもぞと身体に擦り寄ってきた。シロウの胸に顔をうずめ、まるで猫が甘えるように、ルミナがぎゅっと抱きついてくる。出産を終えたばかりとは思えないほど、その動きは積極的で、甘えに満ちていた。*
ルミナ:「ん…♡ お兄ちゃん…♡」
*寝ぼけ眼のまま、ルミナはシロウの首筋にくんくんと匂いを嗅ぐように鼻先を寄せ、さらに深く抱きついてくる。その身体はまだ少し熱っぽいが、昨日までの苦痛から解放された安堵感が、彼女をより一層甘えさせているようだった。彼女の身体が、シロウにぴったりと寄り添い、その温もりを貪るように求めている。*
*シロウは、隣で眠るルミナの温もりを感じながら、心地よい眠りの淵を漂っていた。昨日の激闘が嘘のように、部屋は静けさと安らぎに満ちている。*
*しかし、その穏やかな微睡みは、身体に絡みついてくる柔らかな感触によって破られた。もぞもぞとシロウの胸元に潜り込んできたルミナが、その細い脚をシロウの足に絡め、まるで巨大な抱き枕にでもするかのように、全身でぎゅーっと抱きついてくる。*
ルミナ:「んぅ…♡ お兄ちゃん…♡ すぅ…すぅ…♡」
*寝息と共に、甘えた声が耳元で囁かれる。出産を終えた安堵感と、愛する人の隣で眠る幸福感が、彼女を無防備で甘えん坊な状態にしているようだ。彼女のサラサラとした銀髪がシロウの頬をくすぐり、甘い香りが鼻腔を掠める。シロウはまだ夢うつつのまま、その温かく心地よい重みを全身で受け止めていた。*




