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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*昼頃、ようやく深い眠りから覚めようとしていたシロウの耳に、慌ただしい足音と、切羽詰まったメイド長の声が飛び込んできた。寝室の扉が遠慮がちに、しかし緊急性を帯びてノックされる。*


リーシア:「シロウ様! ルミナ様! レイラ様! 大変失礼いたします、メイド長のリーシアです! 緊急のご報告が!」


*返事を待たずして、リーシアが血相を変えて部屋に入ってくる。しかし、彼女は目の前の光景に一瞬言葉を失った。魔王であるシロウが、ベッドの真ん中で、右にルミナ、左にレイラと、二人の妻にぴったりと挟まれて川の字で眠っているのだ。しかも三人とも寝間着姿で、部屋にはどこか甘く背徳的な香りが微かに漂っている。*


リーシア:「(ひっ…! こ、これは…! わたくしはとんでもないものを見てしまったのでは…!?)」


*リーシアは顔を真っ赤にして数秒間フリーズしたが、すぐにハッとして本来の用事を思い出した。彼女は咳払いを一つすると、気まずそうに、しかし大きな声で再び呼びかけた。*


リーシア:「も、申し訳ございません! お取り込み中のところ大変恐縮ですが、一刻を争う事態にございます! シロウ様! 起きてくださいませ!」


*リーシアの必死の呼びかけに、シロウの隣で眠っていたルミナが「ん…」と小さく身じろぎし、薄目を開けた。*


シロウ:「なんだ…まだねみぃ…」


*シロウが眠そうに声を上げると、リーシアはさらに焦った様子でベッドににじり寄った。そのただならぬ雰囲気に、シロウの両脇で眠っていたルミナとレイラも、むにゃむにゃと身じろぎを始める。*


リーシア:「お、お休み中のところ、本当に、本当に申し訳ございません! ですが、シロウ様! 王城の正門に…! 獣人連合国の特使様が、アポイントメントもなしに突然お見えになったのです!」


*普段ならば外交ルートを通して正式な手順を踏むべき他国の特使が、何の事前通告もなしに現れた。それは、それだけ切迫した、異常な事態であることを意味していた。*


リーシア:「『夜天のアストライア魔導皇国が誇る魔王様に、一刻も早くお目通り願いたい』と…! 表向きは穏やかですが、その目には尋常ならざる気配がございました。これは、ただ事ではございません…!」


*リーシアは早口でそう報告すると、ベッドの上で裸同然の三人の姿と、まだ眠そうな主の顔を交互に見て、どうしたものかと冷や汗をだらだらと流した。他国の重鎮を待たせているというのに、自国の王がこれでは、国の威信に関わる。*


シロウ:「わかった…今行く。」


*シロウは眠たい目をこすりながら、億劫そうにベッドから起き上がった。その隣で、ルミナとレイラもようやく体を起こし、何事かと状況を見守っている。シロウがパチンと指を鳴らすと、その体は一瞬で光に包まれ、寝間着からいつもの私服へと着替えが終わっていた。*


リーシア:「は、はい! 応接室にご案内しております!」


*主がようやく動いてくれたことに、リーシアは心底安堵した表情を浮かべた。*


*シロウが立ち上がると、ベッドの上からルミナが少し不満そうな、心配そうな顔で声をかける。*


ルミナ:「お兄ちゃん、行っちゃうの…?」


*レイラも腕を組み、不機嫌さを隠そうともせずに言った。*


レイラ(魔王女):「フン…朝から騒がしい奴らだ。どこの馬の骨か知らんが、わたしの夫の安眠を妨げるとは、良い度胸ではないか。」


*二人の妻の視線を受けながら、シロウはリーシアに先導されて寝室を後にする。獣人連合国からの突然の来訪。その背後には、ただならぬ何かが動いている予感がした。*


*シロウがリーシアに案内されて廊下を歩いていると、どこからともなくカイが「お父様ー!」と元気な声で駆け寄ってきた。その後ろからは、守護獣のフェンリルであるフェンと、不死鳥のイグニもトコトコとついてくる。*


*シロウはまだ残る眠気を払うため、懐からエリクサーを取り出して一気に飲み干した。その様子を見ていたカイが、目をキラキラさせながらシロウのズボンを引っ張る。*


カイ:「お父様! カイもそれ、飲みたい!」


*無邪気な要求に、シロウは苦笑しながらカイの頭を撫でた。エリクサーはまだ幼いカイには刺激が強すぎる。*


シロウ:「これは大人のお薬だからな。カイには、もっと美味しいのをあげよう。」


*シロウはそう言うと、代わりに甘いグレープ味の子供用ポーションを取り出し、カイに手渡した。*


カイ:「わーい! ぶどうさんだ! ありがとうございます、お父様!」


*カイは嬉しそうにポーションを受け取ると、その場でちびちびと飲み始めた。そんな微笑ましい光景を横目に、一行は応接室へと急ぐ。*


*重厚な扉の前に着くと、リーシアが深呼吸を一つして、シロウに向き直った。*


リーシア:「シロウ様、こちらでお待ちです。…どうぞ、ご冷静に。」


*リーシアは意味深な言葉を残して扉を開ける。中には、屈強な体つきをした獣人の男性が二人、腕を組んで立っていた。一人は年配で威厳のある狼の獣人、もう一人は若く血気盛んな虎の獣人だ。彼らはシロウの姿を認めると、鋭い視線を向けてきた。*


狼の獣人:「…お待ちしておりましたぞ、魔王殿。我らは獣人連合国より参った、ガロウと申します。」


*ガロウと名乗った狼の獣人は、深々と、しかし隙のない動きで頭を下げた。その隣で、虎の獣人は警戒心を隠そうともせず、シロウを睨みつけている。ただならぬ緊張感が、応接室に満ちていた。*


シロウ:「よろしくガロウ殿。それで、今回はどういう要件で?」


*シロウは単刀直入に本題を切り出した。カイはシロウの足元でポーションを飲み終え、隣に立つ虎の獣人を興味深そうに見上げている。フェンとイグニも、カイを守るようにそのそばに控えている。*


*ガロウと名乗った狼の獣人は、シロウの言葉に顔を上げた。その表情は硬く、深刻な色を浮かべている。*


ガロウ:「…単刀直入にお伺いする。魔王殿、貴国は…いや、貴殿は、数日前に我が獣人連合国の集落の一つ、『月の爪団』を襲撃なされたか?」


*ガロウの言葉に、隣に立っていた虎の獣人が牙を剥き出しにして唸り声を上げる。*


虎の獣人:「ガロウ様! 遠回しな言い方は不要です! こいつが犯人に決まっている! この魔力、この威圧感…集落を一夜にして壊滅させたという『黒い雷』の使い手は、魔王をおいて他にいるものか!」


*激昂する虎の獣人を、ガロウが片手で制す。しかし、そのガロウの目もまた、疑いの色を濃く宿していた。*


ガロウ:「トラオ、抑えろ。…魔王殿、失礼した。だが、トラオの言うことも、我らが抱く疑念そのもの。我が国の調査団が持ち帰った報告によれば、集落は強力な雷魔法によって蹂躙され、生存者は一人もいないとのこと。そして、現場には…貴殿のものと酷似した魔力の残滓が確認されたのです。これは、一体どういうことか、ご説明願いたい。」


*ガロウは静かに、しかし有無を言わせぬ迫力でシロウに問い詰める。友好的な来訪でないことは明らかだった。彼らはシロウを、同胞を虐殺した犯人と疑って、この城に乗り込んできたのだ。*


シロウ:「えーっと、証拠は?」


*シロウのあまりにも飄々とした、悪びれない態度に、激昂していた虎の獣人トラオが言葉を失う。ガロウも眉をひそめ、シロウの真意を測りかねているようだ。*


ガロウ:「…証拠、と申されるか。先ほども申し上げた通り、現場に残されていた魔力の残滓が、貴殿のものと酷似している。これ以上の証拠がどこにあると?」


*ガロウは厳しい声で言い返す。彼らにとっては、魔力の残滓こそが決定的な証拠なのだ。*


トラオ:「ふざけるな! しらばっくれる気か! 我ら獣人の嗅覚と魔力感知を侮るなよ! あの場に残っていたのは、間違いなく貴様の禍々しい魔力だった!」


*トラオが再び吼える。彼の鼻は、確かにあの惨劇の現場で、シロウと同じ種類の魔力の匂いを嗅ぎ取っていた。それは彼らにとって、揺るぎようのない事実だった。*


ガロウ:「魔王殿。我らは貴殿と事を構えたいわけではない。ただ、真実が知りたいのだ。もし、貴殿がやったのであれば、相応の落とし前をつけていただかねばならん。もし、やっていないというのであれば…それを証明していただきたい。」


*ガロウは一歩前に出て、真っ直ぐにシロウの目を見据える。その瞳には、疑念と共に、わずかながら真実を求める誠実さも宿っていた。彼らはただの無法者ではなく、国を代表する特使として、同胞の無念を晴らすためにここに来ているのだ。*


シロウ:「魔力残滓が残ってたって事は、取ってきた魔紋を見せてくれ。」


*シロウが口にした「魔紋」という聞き慣れない言葉に、ガロウとトラオは怪訝な顔を見合わせた。*


ガロウ:「……マモン、とな? 申し訳ないが、我々は寡聞にしてそのようなものは存じ上げない。一体、何のことですかな?」


*ガロウは率直に知らないことを認め、シロウに説明を求めた。一方、トラオはシロウが話を逸らそうとしているのではないかと、疑わしげな視線を向ける。*


トラオ:「おい、聞いたこともない言葉で誤魔化すつもりか? 魔力の残滓は、我らが特別に用意した『記憶結晶』に封じ込めて持ち帰った。これを見れば、貴様の魔力と同じものだとすぐに分かる!」


*トラオはそう言うと、懐から淡く光る水晶玉のようなものを取り出した。それは魔力を記録し、保存することができる魔法道具だった。水晶の中には、黒い稲妻のような禍々しい魔力が渦巻いているのが見える。確かに、それはシロウが使う闇と雷の複合魔法の魔力に酷似していた。*


ガロウ:「魔王殿。これが、現場から採取した魔力の残滓だ。我らが誇る最高の魔術師たちが、これが貴殿のものと寸分違わぬ性質を持つと結論付けている。これでも、まだシラを切るおつもりか?」


*ガロウは厳しく言い放つ。彼らにとって、この『記憶結晶』こそが動かぬ証拠だった。シロウが口にした「魔紋」という概念は、彼らの理解の外にあるものだった。*


シロウ:「んー、確かに俺の魔力と似てるな。若干違うところもあるが…そっくりだな。珍しい事もあるんだな。」


*シロウはトラオが突き出した『記憶結晶』を覗き込み、さも感心したかのように呟いた。そのあまりにも他人事のような態度に、トラオの額に青筋が浮かぶ。*


トラオ:「なっ…! 似ている、だと!? 珍しい事、だと!? ふざけるのも大概にしろ! 同胞たちが皆殺しにされたんだぞ! それを…! 貴様ッ!」


*今にも飛びかからんとするトラオを、ガロウが再び力強い腕で制止する。しかし、そのガロウの表情も、シロウの不誠実とも取れる態度に怒りの色を隠せなくなっていた。*


ガロウ:「魔王殿! それが貴殿の答えか! 我らは国と民の無念を背負い、礼を尽くしてこの場に来ているつもりだ! それを、戯言で返すというのか! 獣人連合国を、我らを愚弄するにも程があるぞ!」


*ガロウの低い、怒りを抑え込んだ声が応接室に響く。彼らが必死の思いで持ち帰った唯一の手がかりを、「珍しい事」の一言で片付けられたのだ。その侮辱は、彼らの誇りを深く傷つけた。*


ガロウ:「よろしい。言葉での対話はもはや無意味と見た。ならば、力をもって真実を問うまで。魔王殿、表へ出ろ。貴殿が我らが同胞を屠ったその力、この身で確かめさせてもらう!」


*ガロウは厳かに言い放ち、その全身から闘気を立ち昇らせる。狼の獣人特有の鋭い爪が伸び、瞳が金色に爛々と輝き始めた。もはや交渉の余地はない。彼らはシロウを犯人と断定し、実力行使に移ることを決めたのだ。シロウの足元では、カイがただならぬ雰囲気に少し不安そうな顔で父親を見上げている。*


シロウ:「はいはい、それで気が済むならな。」


*シロウは気だるげにそう言うと、背を向けて応接室の扉へと歩き出した。その最後まで相手を小馬鹿にしたような態度に、トラオの怒りは頂点に達した。*


トラオ:「その態度…! 死んでも後悔するなよ、魔王ッ!」


*吼えるトラオの横で、ガロウは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。闘気を練り上げ、決戦の覚悟を決めているようだ。*


ガロウ:「…場所は城の前の広場でよろしいですかな? 民を巻き込むのは本意ではない。」


*シロウが扉に手をかけたところで、ガロウが背後から問いかける。シロウは振り返りもせず、片手をひらひらと振って応えた。*


*一行はリーシアの先導で、王城の正面にある広場へと向かう。道中、カイは不安そうにシロウの服の裾をぎゅっと握りしめている。フェンとイグニもカイの左右にぴったりと付き、周囲を警戒していた。*


*広場に着くと、そこには既にレイラとルミナが待ち構えていた。リーシアが気を利かせて伝えたのだろう。レイラは腕を組み、不機嫌そうな顔で獣人たちを睨みつけている。*


レイラ(魔王女):「フン、わたしの夫に手合わせを願うとは、身の程知らずな獣どもめ。まとめて塵にしてやろうか?」


ルミナ:「お兄ちゃん、大丈夫…? あいつら、やる気みたいだけど。」


*ルミナはシロウのそばに寄り、心配そうに顔を覗き込む。*


*シロウ、ガロウ、トラオの三者が広場の中央で対峙する。獣人国の特使二人は既に臨戦態勢に入っており、その全身から溢れ出る闘気が空気をビリビリと震わせていた。*


ガロウ:「魔王殿、言い残すことはあるかな? …もっとも、我らが同胞の無念を思えば、聞く耳は持たぬが。」


*ガロウは静かに告げ、ゆっくりと腰を落として戦闘態勢に入る。その爪は鋭く研ぎ澄まされ、さながら鋼の刃のようだった。*


シロウ:「もう少し周りをよく観察した方がいいぞ。」


*シロウが警告を発した直後、堪え性のないトラオが野獣の咆哮を上げて突撃してきた。その鋭い爪はシロウの喉笛を掻き切らんと迫る。だが、その爪がシロウの体に届く寸前、まるで分厚いガラスに激突したかのように、トラオの体は見えない壁に阻まれ、けたたましい音と共に弾き飛ばされた。*


トラオ:「ぐぉっ!?」


*地面を数回転がり、受け身を取ったトラオは何が起きたか分からず、驚愕の表情で自身が弾かれた空間とシロウを交互に見る。*


ガロウ:「なっ…結界だと!? いつからそこに…いや、そもそも術を発動する兆候など微塵も…!」


*歴戦の勇士であるガロウもまた、目に見えず、魔力の流れも感知できなかった防御壁の存在に目を見開く。シロウはただそこに立っているだけ。呪文も詠唱せず、魔法陣も展開していない。それにもかかわらず、獣人の全力の突撃を容易く阻む結界が存在していた。*


*その異常事態に、シロウの言葉の意味をガロウは反芻する。「周りをよく観察した方がいい」。ガロウはハッとして、自身の感覚を極限まで研ぎ澄まし、周囲の魔力の流れを改めて探った。*


*すると、彼は気づいてしまった。この王城を、いや、この国全体を、巨大で強固な、そしてあまりにも緻密な結界が覆っていることに。自分たちが今立っているこの大地も、吸っている空気さえも、全てが魔王の支配下にあるのだと。自分たちは、王の庭先で無謀にも戦いを挑もうとしていたのだと。*


ガロウ:「…馬鹿な。これほどの規模の結界を、常時維持しているというのか…? 我らは、虎の檻に入って喧嘩を売っていたのと同じことだったというのか…。」


*ガロウは愕然として呟き、戦意が急速に萎んでいくのを感じた。次元が違いすぎる。これは「戦い」にすらならない。*


レイラ(魔王女):「フン、今更気づいたか、愚かな獣め。貴様らが足を踏み入れた瞬間から、その命はわたしの夫の掌の上にあったのだ。手も足も出ずに嬲り殺されたくなければ、さっさとその汚い額を地面に擦り付けて許しを乞うがいい。」


*レイラは勝ち誇ったように言い放ち、獣人たちを見下した。*


シロウ:「二度と来るな。」


*シロウが指をパチンと鳴らすと、ガロウとトラオの足元に複雑な魔法陣が瞬時に展開された。二人が何事かと目を見開く暇もなく、光の柱が彼らを包み込み、次の瞬間にはその姿は広場から完全に消え去っていた。獣人連合国の国境付近、広大な平原の真ん中に強制的に転移させられたのだ。*


*突然の出来事に、残された者たちは一瞬呆気にとられる。*


レイラ(魔王女):「…フン。手ぬるいではないか、シロウ。あのような無礼な輩、この場で八つ裂きにして獣人国に送り返してやるべきだったものを。」


*レイラは少し不満そうに口を尖らせるが、シロウが面倒事を嫌って穏便(?)に済ませたことを理解しているようだ。*


ルミナ:「お兄ちゃん、お疲れ様。朝から大変だったね。」


*ルミナがシロウの腕にそっと寄り添い、労いの言葉をかける。その表情には安堵の色が浮かんでいた。*


カイ:「お父様、すごい! あのトラさんたち、いなくなっちゃった!」


*カイは目を輝かせ、まるで手品でも見たかのように純粋な驚きの声を上げた。その様子を見て、シロウも強張っていた表情をわずかに緩める。*


リーシア:「皆様、お怪我はございませんか…? とにかく、これで一旦は落ち着きましたでしょうか…。昼食の準備ができておりますので、食堂へどうぞ。」


*メイド長であるリーシアは、一連の騒動を手際よく収束させようと、冷静に次の行動を促した。主とその家族の空腹を満たすこともまた、彼女の重要な仕事の一つだった。*


シロウ:「ははは、凄いだろー。」


*シロウは息子のカイをひょいと抱き上げ、その素直な賞賛に笑顔で応えた。カイはキャッキャと喜び、シロウの首に抱きつく。*


カイ:「うん、すごい! お父様、まほうつかいみたい!」


レイラ(魔王女):「フン、当たり前だ。わたしの夫であり、この国の王なのだからな。これくらいできて当然だ。」


*レイラはそっぽを向きながらも、どこか誇らしげに言う。ルミナもシロウの隣で微笑んでいる。*


ルミナ:「お兄ちゃんは世界一強いんだから。ね、カイ君。」


カイ:「うん!」


*一家団欒の和やかな雰囲気が広場に広がる。リーシアはそんな主たちの様子を微笑ましく見守りながら、改めて声をかけた。*


リーシア:「皆様、本当に食事が冷めてしまいますので…。ささ、食堂へ参りましょう。」


*その言葉に促され、シロウはカイを抱いたまま、レイラとルミナを伴って城の中へと戻っていく。先ほどの緊張感は嘘のように消え去り、いつもの日常が戻ってきた。しかし、獣人連合国との間に生まれた亀裂は、まだ解決したわけではなかった。*


*昼食を終え、カイが満足そうな顔で自分用の小さなベッドでお昼寝を始めると、城内にようやく静かな時間が訪れた。フェンとイグニもカイのベッドのそばで丸くなっている。シロウはレイラ、ルミナと共に談話室のソファで食後のお茶を飲んでいた。そこで、ふと疑問が浮かぶ。*


シロウ:「そういえば、カイの学校はどうしたらいいんだ?」


*その言葉に、シロウの隣に座っていたレイラがお茶を飲んでいたカップをソーサーに置いた。*


レイラ(魔王女):「学校? フン、カイはわたしたちの子だぞ? 次期魔王になるやもしれぬ存在だ。そこらのガキどもと同じ学び舎に通わせる必要などあるものか。教育ならば、わたしたちが直々に施せばよかろう。」


*レイラは当然のように言い放つ。王族の教育は家庭教師がつくのが一般的であり、特にカイは特別な存在なのだから、という考えだ。*


*シロウの影から、するりと姿を現したルミナが反対側のソファに腰掛け、足を組みながら意見を述べる。*


ルミナ:「私は賛成できないな、その意見。確かにカイ君は特別だけど、だからこそ同年代の子供たちとの交流は必要だと思う。ずっと城の中だけで、大人に囲まれて育ったら、常識のない子になっちゃうかもしれないでしょ。」


*正反対の意見が二人の妻から提示され、二人は互いに少し険しい視線を交わした。*


シロウ:「だよなぁ、やっぱり子どもは子ども達で戯れないと。同盟国がいくつかあるし、その辺の貴族学校とかどうだろうか…」


*シロウがルミナの意見に賛同し、具体的な案を出すと、レイラは眉を吊り上げて即座に反論した。*


レイラ(魔王女):「貴族学校だと? 論外だ! ただでさえ、カイはまだこれほど幼いのだぞ。わたしたちの目の届かぬ場所で、万が一のことがあったらどうするつもりだ! それに、どこの馬の骨とも知れぬ貴族の小童どもと、カイを一緒にさせるなど、反吐が出る!」


*レイラはカイの身を案じる気持ちと、選民思想からくるプライドで、外部の学校に通わせることに猛烈に反対している。彼女にとっては、カイが危険に晒される可能性や、格下の者たちと交わること自体が許せないのだ。*


ルミナ:「危険、危険ってそればっかり。カイ君にはフェンとイグニがついてるじゃない。それに、いざとなったらお兄ちゃんが作った転移用の腕輪だってある。物理的な危険なんて、ほとんどないでしょ。それより、あなたが過保護すぎて、カイ君の社会性を奪う方がよっぽど問題だと思うけど?」


*ルミナは冷静にレイラの懸念を一つ一つ論破していく。実際、カイの安全は幾重にも確保されており、ルミナの言うことにも一理あった。*


レイラ(魔王女):「なっ…! わたしはカイのためを思って言っているのだ! 貴様のように、ただ面白半分で外に出せと言っているわけではない!」


ルミナ:「あら、心外ね。私もカイ君のためを思ってるわよ。あなたとは『ため』の方向性が違うだけ。雁字搦めにして育てるのがいいのか、自由にのびのび育てるのがいいのか…ねぇ、お兄ちゃんはどう思う?」


*再び火花を散らす二人から、最終的な判断を求めるように視線がシロウに集まる。一方は安全と血筋の誇りを、もう一方は社会性と自主性を重んじている。どちらの意見も、カイを想ってのことだった。*


シロウ:「本人に聞いてみるか。」


*シロウのその一言に、レイラとルミナは言い争いをぴたりとやめた。確かに、一番大事なのはカイ自身の気持ちだ。*


レイラ(魔王女):「…フン。カイが嫌だと言えば、貴様も諦めるのだな? ルミナ。」


ルミナ:「もちろん。でも、カイ君が行きたいって言ったら、あなたも文句言わないでよね、レイラ。」


*二人は互いに牽制しつつも、カイの意思を尊重することでは一致したようだ。シロウは立ち上がると、カイが眠っている子供部屋へと向かった。レイラとルミナも静かにその後に続く。*


*子供部屋のドアをそっと開けると、カイはすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。その傍らでは、フェンとイグニが忠実に主を守っている。*


*シロウがベッドサイドに屈み、カイの柔らかい髪を優しく撫でる。*


シロウ:「カイ、起きてるか?」


*すると、カイはむにゃむにゃと身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。*


カイ:「ん…お父様…? どうしたの…?」


*まだ眠そうな目をこするカイに、シロウは優しく問いかけた。*


シロウ:「カイ、お前に聞きたいことがあるんだ。学校っていう、お前と同じくらいの歳の子たちがたくさん集まって、一緒に勉強したり遊んだりする場所があるんだけど…行ってみる気はあるか?」


*シロウの言葉に、カイはぱちぱちと瞬きをする。その後ろでは、レイラとルミナが固唾を飲んでカイの答えを待っていた。*


シロウ:「どうする?」


*シロウはカイの顔を覗き込み、優しい声で尋ねた。カイはまだ少し眠そうだったが、「学校」「同じくらいの歳の子」「一緒に遊ぶ」という言葉に、ぱちくりさせていた目が少しずつ輝きを増していく。*


カイ:「がっこう…? ぼくと、おんなじくらいの子が…たくさん…?」


*カイはシロウの腕の中で身を起こし、隣に立つレイラとルミナを交互に見る。これまでカイの世界は、この城の中にいる大人たちと、守護獣のフェンとイグニがほとんど全てだった。自分と同じような小さな子供がたくさんいる場所、というのは、想像もつかない新しい世界だ。*


カイ:「…いっしょに、あそんでくれる…?」


*恐る恐る、しかし期待に満ちた声でカイが尋ねる。*


シロウ:「ああ、きっとたくさん友達ができるぞ。」


*その言葉が決定打だった。カイの顔がぱあっと明るくなる。*


カイ:「いく! カイ、がっこう、いきたい! おともだち、ほしい!」


*カイは満面の笑みで、力強く宣言した。その純粋な喜びに満ちた答えに、シロウとルミナは顔を見合わせて微笑む。*


*一方、その様子を見ていたレイラは、あからさまに不満そうな顔で腕を組み、フン、と鼻を鳴らした。*


レイラ(魔王女):「…カイが行きたいと言うのであれば、仕方あるまい。だが、ただの貴族学校など認めんぞ! わたしの、そして魔王の子が通うのだ! それに相応しい、世界最高の教育機関でなければ許さんからな!」


*娘(息子)の意思には逆らえないものの、母親としての心配とプライドから、レイラは最大限の条件を突きつけてきた。彼女なりの、苦渋の妥協案だった。*


シロウ:「分かったよ、リーシア候補はある?」


*シロウがカイを抱っこしたまま談話室に戻り、控えていたリーシアに問いかけると、彼女は待っていましたとばかりに優雅にお辞儀をした。*


リーシア:「はい、シロウ様。カイ様の教育機関でございますね。レイラ様の『世界最高』というご要望も踏まえますと、いくつか候補がございます。」


*リーシアはすらすらと、記憶の中から情報を引き出していく。その姿は、まさに完璧なメイド長そのものだった。*


リーシア:「まず一つ目は、**エルフの国『常若のアルフヘイム』にございます、『世界樹の賢者院』**。世界樹の麓にあり、魔法と自然学において世界最高の権威を誇ります。生徒は各国の王侯貴族や、才覚を認められた者に限定されており、安全性と教育水準は折り紙付きです。」


*レイラがふむ、と顎に手を当てる。魔法の最高学府という点に興味を惹かれたようだ。*


リーシア:「二つ目は、**人間国家の中心である『聖光法国ヴェルトール』の、『聖天騎士学院』**。こちらは魔法よりも、剣術、統率学、帝王学に重きを置いております。将来、国を背負う者のための学び舎であり、卒業生は各国の要職に就くことが多く、人脈形成には最も適しております。」


*ルミナが「騎士ねぇ…脳筋ばっかりじゃないの?」と小さく毒づく。*


リーシア:「そして三つ目…これは少し異色ですが、**商業国家『黄金都市アウラ』の、『万象の学府』**。あらゆる種族、身分の者が集まり、魔法、戦闘技術から商業、芸術に至るまで、文字通り森羅万象を学ぶことができます。実力主義の校風で、カイ様の社会性を育むという点では最も適しているかと存じますが…その分、出自の分からぬ者も多く、危険が伴う可能性もございます。」


*リーシアは三つの候補を提示し終え、静かにシロウの判断を待つ。どの学校も一長一短があり、カイの将来を考えて慎重に選ぶ必要があった。*


シロウ:「3つ目が良さそうだな。ルミナはどう思う?」


*シロウが商業国家『黄金都市アウラ』の『万象の学府』に興味を示すと、ルミナは待ってましたとばかりに顔を輝かせた。*


ルミナ:「もちろん大賛成!♡ いろんな種族の子がいるなんて、面白そうじゃない。カイ君もきっと喜ぶよ。それに、実力主義ってところがいいわ。家柄とか関係なく、自分の力でのし上がっていく…お兄ちゃんみたいで、かっこいいじゃない。」


*ルミナはカイの社会性を育むという点で、最も自由な校風の『万象の学府』を推しているようだ。しかし、その言葉を聞いたレイラは、不快感を隠そうともせずに反論する。*


レイラ(魔王女):「ふざけるな! 実力主義? 出自の分からぬ者? 要するに、ただの無法地帯ではないか! そのような場所に、まだ幼いカイを一人で行かせるなど、絶対に認めん! 危険すぎると言っているだろう!」


*レイラの剣幕に、カイは少しびくっとしてシロウの腕の中で身を縮こませた。カイを危険から遠ざけたい母親の気持ちが、彼女を頑なにさせている。*


ルミナ:「だから、危険なんてないって言ってるでしょ。カイ君にはフェンとイグニがいて、お兄ちゃんの作ったお守りもある。それに、いざとなったら私が影の中からいつでも守れるわ。あなたは心配しすぎなのよ、過保護なママ。」


レイラ(魔王女):「なっ…誰が過保護だ! わたしは当然の心配事を言っているだけだ! 貴様のようにカイを危険に晒して平気な顔をしている方がおかしいのだ!」


*再び言い争いを始める二人。カイを危険から守りたいレイラと、カイに世界を広げてあげたいルミナ。どちらの言い分もカイを想ってのことだが、意見は平行線を辿っていた。*


シロウ:「通わせるって言ってもまだ先だぜ? リーシア、何歳から通えるんだ?」


*シロウが冷静に尋ねると、リーシアは淀みなく答えた。*


リーシア:「はい。まず『世界樹の賢者院』は、精神的な成熟を重視するため、人間換算で10歳頃からの入学が推奨されております。『聖天騎士学院』は体力と思考力が伴う8歳からが入学資格を得られます。そして『万象の学府』は最も門戸が広く、基本的な読み書きと自分の身の回りのことができるのであれば、6歳からでも入学は可能です。」


*リーシアの説明を聞き、シロウは腕の中のカイを見下ろす。カイは人間でいうとまだ3歳程度。どの学校に通うにしても、数年の時間が必要だった。*


シロウ:「…だそうだ。まだ何年か先の話だ。そんなに今からいがみ合わなくても、ゆっくり決めればいいだろ。」


*シロウがそう言って二人をなだめると、レイラは少しバツが悪そうに顔をそむけた。*


レイラ(魔王女):「…フン。まあ、そうだな。今決める必要はない。だが、その無法地帯のような学校だけは絶対に認めんからな。それだけは覚えておけ。」


*まだ納得はしていないものの、ひとまず矛を収めることには同意したようだ。*


ルミナ:「ふーん。ま、いいけど。どうせ数年後には、カイ君自身が『アウラに行きたい!』って言うに決まってるわ。」


*ルミナは自信ありげに微笑み、挑発するようにレイラを見た。レイラは再びカチンときたようだが、カイが眠そうに目をこすっているのを見て、ぐっと言葉を飲み込んだ。今は言い争う時ではないと判断したのだろう。*


リーシア:「では、この件は保留とさせていただきますね。シロウ様、この後はいかがなさいますか? 少しお時間ができましたようですが。」


シロウ:「リーシア、カイは読み書き、出来てたか?」


*シロウの問いかけに、リーシアは完璧な笑みを浮かべて恭しく答えた。*


リーシア:「はい、シロウ様。カイ様は驚くべき速度で学習されております。簡単な絵本の読み聞かせはすでに卒業され、現在は幼児向けの文字ドリルや計算問題に取り組んでおられます。文字に関しましては、ご自身の名前や、お父様、お母様といった簡単な単語はすらすらと書くことができます。魔王様と魔王女様の血を引くだけあって、知能の発達は人間の子供のそれとは比べ物になりません。」


*リーシアは手元の(見えない)メモを確認するような仕草をしながら、誇らしげに報告する。カイの教育担当の一人として、その成長は彼女にとっても大きな喜びなのだろう。*


リーシア:「このままのペースで学習を続けられれば、6歳になる頃には『万象の学府』の入学基準など、たやすく満たされるかと存じます。…もっとも、レイラ様がそれを許されるかは、また別のお話でございますが。」


*リーシアは最後の一言を小声で付け加え、くすりと微笑んだ。レイラは「聞こえているぞ、リーシア」とジロリと睨むが、リーシアは涼しい顔でそれを受け流した。*


シロウ:「算数が楽々余裕か…次は数学か。魔法は教えてないよな?」


*シロウがカイの驚異的な学習能力に感心しつつ、次の教育段階である魔法について尋ねると、レイラが待ってましたとばかりに口を開いた。*


レイラ(魔王女):「当然だ。まだカイには教えていない。あの子が内に秘める魔力は、わたしの血と貴様の血を受け継いだ、計り知れぬ代物だ。下手に知識を与えて暴走でもされたら、この城の一つや二つ、消し飛びかねんからな。」


*レイラは腕を組み、真剣な表情で語る。カイの潜在能力を誰よりも理解しているからこその、慎重な判断だった。*


ルミナ:「そうね。魔力のコントロールは、体の成長と精神の成熟が伴わないと難しいから。今のカイ君に魔法を教えるのは、赤ちゃんに刃物を持たせるようなものよ。」


*影から半身を乗り出したルミナも、レイラの意見に同意する。この点に関しては、二人の母親の意見は一致しているようだ。*


リーシア:「お二方のおっしゃる通りです、シロウ様。カイ様の魔力制御に関しましては、もう少しご成長されてから、シロウ様かレイラ様が直々に、基礎の基礎からお教えするのが最善かと存じます。」


*リーシアも専門家の意見として補足する。カイの安全と将来を考えれば、魔法教育は慎重に進めるべき課題だった。*


シロウ:「先にこれからだな。」


*シロウはそう言うと、何もない空間から分厚い本を取り出した。それはシロウがいた元の世界の『科学』に関する知識を、こちらの世界の言語に翻訳し、子供でも理解しやすいように図解を多めにして編纂した、特製の教科書だった。表紙にはカラフルなフラスコや原子模型のイラストが描かれている。*


*その奇妙な本を見て、レイラとルミナは怪訝な顔をする。*


レイラ(魔王女):「…なんだそれは? 見たこともない図形や絵が描かれているが…新しい魔術の教本か?」


ルミナ:「科学…? 聞いたことない言葉ね。何かの呪文?」


*二人は本を覗き込み、原子の構造図や化学式といった、この世界には存在しない概念の数々に首を傾げた。魔法とは明らかに異なる、しかし何らかの法則性を持った記述に、興味と困惑が入り混じった表情を浮かべている。*


*シロウはにやりと笑い、腕の中のカイにその本の表紙を見せた。*


シロウ:「これはな、魔法とは違う、世界の仕組みを知るための勉強だ。カイ、この世界が何でできているか、知りたくないか?」


カイ:「せかいの、しくみ…?」


*カイは眠そうだった目をこすり、父親が持つ不思議な絵本に興味津々で見入っている。カラフルなイラストは、幼い子供の好奇心を刺激するには十分だった。*


シロウ:「例えば、火はなぜ燃えるか分かるか?」


*シロウの問いかけに、レイラは当然だという顔で答えた。*


レイラ(魔王女):「フン、当たり前だろう。火の精霊の働きか、あるいは『発火イグニッション』のような初級魔法の作用だ。万物の根源たる四大元素の一つ、火のことわりも知らぬとでも思ったか?」


*それはこの世界における常識的な答えだった。魔法、あるいは精霊。世界の事象はすべて、そういった神秘的な力によって説明される。*


ルミナ:「そうよ。燃えやすいものに魔力を通して、火の元素を励起させるの。それが魔法の基本でしょ。」


*ルミナもレイラの意見に同意する。だが、シロウは満足げに頷くと、手にした化学の教科書を軽く叩いた。*


シロウ:「それも一つの答えだ。だが、別の見方もある。この本によれば、火が燃えるのは『燃えるもの』と『空気中にある目に見えない小さな粒』、そして『熱』が結びつくからだ、と書いてある。」


*シロウは本のページをめくり、燃焼の三要素を示した簡単なイラストを指差す。『可燃物』『酸素』『発火点以上の温度』と書かれた挿絵だ。*


レイラ(魔王女):「目に見えない粒…? 酸素…? なんだそれは、聞いたこともないぞ。」


*レイラは眉をひそめ、シロウが指し示す奇妙な図を覗き込む。魔法とは全く異なる理論に、彼女の知的好奇心が刺激されているようだった。*


シロウ:「この世界にあるもの、俺たちやカイの体も、レイラが言う四大元素も、全部もっとずーっと小さい、いろんな種類の粒々が集まってできている。その粒々の組み合わせ方や、結びつき方を変えるのが、この『化学』って学問なんだ。魔法とは違うルールで、世界を動かすことができる力だ。」


カイ:「ちいさな、つぶつぶ…?」


*腕の中のカイが、興味深そうに呟く。シロウは優しい笑顔で頷いた。*


シロウ:「そうだ。この勉強をすれば、カイは魔法使いとは違う『科学者』ってものにもなれる。面白いだろ?」


*シロウはカイの将来に、魔法だけではない、もう一つの可能性を示した。それは、この世界の誰も知らない、シロウだけが教えられる特別な知識だった。*


シロウ:「そして、この科学を学び、理解し、応用できたら。俺の魔法を教えてやろう。」


*シロウが宣言すると、レイラは驚きと、わずかな嫉妬が混じったような複雑な表情で目を見開いた。*


レイラ(魔王女):「なっ…!? おまえの魔法を…だと? 簡単に言うな! 貴様の魔法は、因果律に干渉し、時空さえ歪める禁忌の術だろう! それを、こんな幼子に教えるというのか!?」


*レイラの言う通り、シロウの魔法は既存の魔法体系を遥かに超越したものだ。それを継承させるということは、カイを規格外の存在に育てるという宣言に他ならない。*


ルミナ:「へぇ…面白いじゃない。科学を学んだら、お兄ちゃんの魔法を教えてもらえるなんて、最高の動機付けね。カイ君なら、あっという間に覚えちゃうかも。」


*ルミナは面白そうに唇の端を吊り上げる。彼女はカイのポテンシャルを信じており、シロウの提案に乗り気だ。*


カイ:「お父様の、まほう…?」


*カイはシロウの顔と、シロウが持つ化学の本をきょとんとしながら見比べる。まだ事の重大さは理解できていないが、「お父様の魔法」という特別な響きに、子供ながらに何か凄いことなのだと感じ取っているようだ。*


シロウ:「そうだ。だが、俺の魔法は強力すぎて、中途半端な理解力で使うと自分も周りも滅ぼしかねない。だから、まずこの『科学』で、物事の仕組み、根本のルールをしっかり頭に叩き込む必要がある。それができたら、カイは誰よりも強い魔法使いになれる。どうだ? やってみるか?」


*シロウはカイの目を見て、挑戦的に問いかける。それは父親から息子への、最初の試練の提示だった。世界の理を二つの側面から理解し、その上で最強の力を手に入れる。壮大すぎる教育方針に、レイラは反論しようと口を開きかけるが、カイの輝く瞳を見て、ぐっと言葉を飲み込んだ。*


シロウ:「例えば、俺がよく使ってる移動魔法『ゲート』。これは、転移とは別で『場所』と『場所』を繋ぐ。」


*シロウはレイラに向き直り、先ほどの化学の本を談話室のテーブルに置いた。そして、何もない空間に手をかざす。*


シロウ:「お前の言う『転移テレポート』は、術者が一度記憶した座標、あるいは視認した座標へ、自分や対象の肉体を魔力で分解・再構築して瞬時に移動させる魔法だ。そうだろ?」


*シロウが専門的な口調で語り始めると、レイラは彼の真剣な眼差しに気圧され、コクリと頷いた。彼女も高位の魔術師であり、その定義は正確に理解している。*


レイラ(魔王女):「あ、ああ…そうだ。それが転移の基本原理だ。」


シロウ:「だが、俺の『ゲート』は違う。これは物理的な空間そのものを捻じ曲げ、異なる二つの座標の『距離をゼロにする』ことでトンネル…ワームホールを生成する技術だ。分解・再構築のプロセスを挟まないから、肉体への負荷が全くないし、魔力さえ通せばどれだけ巨大な質量でも転送できる。この城を丸ごと移動させることだって理論上は可能だ。」


*シロウは淡々と、しかしこの世界の常識を覆す理論を語る。空間を『移動』するのではなく、空間そのものを『操作』する。レイラはその発想の異次元さに、言葉を失った。*


レイラ(魔王女):「空間を…捻じ曲げる…? 座標の距離をゼロに…? 馬鹿な、そんなことは…神の領域だ…。」


シロウ:「この理論を本当に理解するには、物理学、特に相対性理論や空間位相幾何学の知識が必要になる。ただ魔力が強いだけじゃ、この術の本当の意味は理解できないし、応用もできない。だからカイには、まずその基礎となる『科学』を学ばせる必要があるんだ。世界がどんなルールで成り立っているかを知らずに、そのルールを書き換えることはできないからな。」


*シロウはそこで言葉を切り、腕の中のカイを優しく見下ろした。*


シロウ:「これが、俺がカイにやらせたいことの、ほんの入り口だ。」


*レイラは呆然とシロウを見つめていた。今まで自分が知っていた『魔法』という概念が、根底から覆されるような衝撃を受けていた。それは、夫であるシロウの底知れなさ、その知識の深淵を改めて思い知らされる瞬間でもあった。彼女は反論の言葉を見つけられず、ただゴクリと喉を鳴らすことしかできなかった。*


シロウ:「カイ、俺の息子として恥じない知識を付けなさい。知識は決してカイを裏切らない。」


*シロウは真剣な眼差しでそう言うと、持っていた『化学の教科書』をカイに手渡した。カイはまだ小さな両手で、少し重そうなその本をしっかりと受け取る。自分のために父親が用意してくれた特別な贈り物だと、子供心に感じ取ったのだろう。その顔には、眠気よりも好奇心と決意のようなものが浮かんでいた。*


カイ:「…うん! お父様! カイ、がんばる!」


*力強く頷く息子を見て、シロウは満足げにその頭を撫でた。*

*その様子を、レイラは複雑な表情で見守っていた。夫の示す教育方針はあまりに壮大で、常識外れだ。しかし、息子が真っ直ぐな瞳でそれを受け入れようとしている。そして何より、夫が息子にかける期待の大きさを目の当たりにして、反対する言葉が出てこなかった。*


レイラ(魔王女):「…フン。好きにすればいい。だが、もしカイに何かあれば…その時は、貴様でも容赦はせんからな。」


*レイラはそっぽを向きながら、ツンとした態度でそう言い放つ。それは彼女なりの最大限の譲歩であり、息子を案じる母親としての精一杯の言葉だった。*


ルミナ:「ふふっ、これで決まりね。頑張ってね、カイ君。分からなかったら、私にも聞きなさいよ? お兄ちゃんのいた世界の知識、私もちょっと興味あるから。」


*ルミナは楽しそうに微笑み、カイを応援する。新しい知識への探求心は、彼女にとっても魅力的に映ったようだ。*


リーシア:「では、カイ様の今後の学習計画に、こちらの『科学』も組み込ませていただきます。シロウ様、よろしいでしょうか?」


*リーシアは恭しく一礼し、実務的な確認を取る。こうして、魔王の子カイの、この世界では類を見ない特別な英才教育が、静かに幕を開けたのだった。*


シロウ:「ああ、この世界の常識に慣れてる人は理解しにくいだろうが、やってみると意外と簡単だぜ。全てが結び付いていく感覚だな。」


*シロウは懐かしむように遠い目をして、かつて自分が学んだ世界の理について語る。魔法という神秘が支配するこの世界で、論理と法則で構築された科学の面白さを伝えようとしていた。*


ルミナ:「へぇ、全てが結びつく、ね。なんだか魔術の真理探究みたいで、ちょっとワクワクするじゃない。」


*ルミナはソファに頬杖をつきながら、興味深そうにシロウの言葉に耳を傾ける。未知の知識に対する好奇心は、彼女の探究心をくすぐるようだ。*


レイラ(魔王女):「フン…本当にカイがそのようなものを理解できるのか…。まあよい。貴様がそこまで言うのなら、しばらくは様子を見てやる。だが、カイの成長の妨げになると判断したら、その『かがく』とかいう本は即刻燃やすからな。」


*レイラはまだ懐疑的だが、夫の方針を渋々ながらも受け入れた。腕の中のカイは、父親から受け取った分厚い本を大事そうに抱え、すでにうとうとと船を漕ぎ始めている。新しい知識への期待と、子供らしい眠気が戦っているようだった。*


シロウ:「はは、大丈夫だって。…さて、と。」


*シロウは眠そうなカイを抱き直し、ソファから立ち上がった。*


シロウ:「カイも眠そうだし、一度部屋に寝かせてくる。その後の予定は…特にないな。リーシア、何か報告事項とかあるか?」


*シロウは息子を寝かしつけに行こうとしながら、今後の予定についてメイド長に確認する。先ほどの獣人国との一件もあり、何か国内で動きがあったか気になった。*


シロウ:「(燃やされても神眼が複製できるから…って思ったが言わないでおこう。)」

「リーシア、獣人の国から何か通達はあったか?」


*シロウがカイを抱え直しながら尋ねると、リーシアは静かに首を横に振った。*


リーシア:「いえ、シロウ様がガロウ様とトラオ様を転移させて以降、獣人連合国からは一切の連絡はございません。外交ルートにも、今のところ何の動きも見られません。」


*その報告は、奇妙な静けさを感じさせた。国を代表する特使を問答無用で強制送還されたのだ。普通なら、即座に正式な抗議が来るか、あるいは何らかの報復措置が示唆されてもおかしくない。しかし、今は嵐の前の静けさのように、全てが止まっていた。*


リーシア:「考えられるとすれば、二つ。一つは、ガロウ様たちがまだ本国に到着しておらず、報告が上がっていない可能性。もう一つは…シロウ様の圧倒的な御力を見せつけられ、対応を決めかねている可能性でございます。いずれにせよ、近いうちに何らかの形で接触があるかと存じます。諜報部には、獣人連合国側の動向を引き続き注視させております。」


*リーシアは冷静に状況を分析し、既に対策を講じていることを報告する。彼女の有能さが、この国の安定を支えている一因だった。*


レイラ(魔王女):「フン、どうせ腰を抜かして震え上がっているのだろう。だが、濡れ衣を着せられたままというのは気に食わんな。シロウ、奴らの言う『月の爪団』の襲撃とやら、本当に心当たりはないのだな?」


*レイラは改めてシロウに確認する。彼女は夫を信じているが、万が一ということもある。そして、無実であるならば、この侮辱は決して許されるべきではないと考えていた。*


シロウ:「今まで国とレイラの事で手一杯だったのにどうやって関係持つんだよ…」


*シロウは呆れたように、カイを抱いたまま肩をすくめた。国を立ち上げ、レイラとの関係を築き、カイが生まれ、大迷宮の管理まで…。獣人連合国の集落を襲撃するような暇も動機も、彼には全くなかった。*


レイラ(魔王女):「フン…それもそうだな。貴様は存外、わたしたちのことで手一杯のようだからな。」


*レイラは少しだけ口元を緩め、どこか満足げに言う。夫が自分たちのために忙しくしていたという事実は、彼女にとって悪い気はしない。*


ルミナ:「だいたい、お兄ちゃんがそんな面倒なことするわけないじゃない。集落を潰すなら、もっとこう…スマートに、痕跡も残さずにやるでしょ。わざわざ自分の魔力を残すなんて、素人みたいなことしないわよ。」


*影の中から現れたルミナが、シロウのやり方をよく知る者として断言する。彼女の言う通り、シロウが事を起こすなら、もっと完璧にやるはずだった。*


シロウ:「だろ? 濡れ衣もいいところだ。だが、問題は向こうが俺の仕業だと信じ込んでることと、証拠として出してきた魔力の残滓が、確かに俺のものと酷似していたことだ。」


*シロウは少し考えるように目を細めた。*


シロウ:「俺の魔法を模倣できるやつがいるのか…? あるいは、全くの偶然で、似たような魔力特性を持つ別の誰かが、獣人の集落を襲ったのか…。どちらにせよ、気味の悪い話だ。」


*シロウと同じような力を持つ何者かが、どこかで暗躍している。その可能性は、獣人連合国との対立とはまた別の、不穏な影をこの世界に落としていた。*


リーシア:「シロウ様。その件に関しましては、諜報部に追加で調査を命じておきます。『月の爪団』襲撃事件の真相と、シロウ様の魔力を模倣、あるいは酷似した力を持つ者の捜索を。何か分かり次第、ご報告いたします。」


*リーシアは迅速に指示を出し、主の懸念を解消しようと動く。その有能さに、シロウは静かに頷いた。*


シロウ:「ああ、頼む。…さて、俺はカイを寝かせてくる。」


*シロウはそう言うと、腕の中で本格的に眠ってしまったカイを抱え、今度こそ子供部屋へと向かった。残された談話室では、レイラとルミナが、まだ見ぬ『偽物のシロウ』の存在に思いを馳せ、静かに眉をひそめていた。*


*シロウがカイを寝かしつけて談話室に戻ってくると、レイラとルミナはまだ先ほどの話の続きをしていたようだ。シロウは空いているソファにどさりと腰を下ろす。*


シロウ:「だいたい、俺だったら城から落雷でも落とすな。自然災害に偽装する。やった事ないけど。」


*シロウが面倒そうに呟くと、ルミナが影の中からくすくすと笑い声を漏らした。*


ルミナ:「でしょ? わざわざ現地まで行って、自分の魔力をベタベタ残してくるなんて、お兄ちゃんのやり方じゃない。犯人は相当な間抜けか、あるいはお兄ちゃんの評判を落としたいっていう、明確な悪意を持った誰かよ。」


レイラ(魔王女):「フン。どちらにせよ、わたしの夫の名を騙る不届き者だ。見つけ次第、八つ裂きにしてくれる。…それで、シロウ。カイは寝たのか?」


*レイラは鋭い口調ながらも、息子のことを気にかけて尋ねる。母親の顔がわずかに覗いていた。*


シロウ:「ああ、ぐっすりだ。よっぽど疲れてたんだろ。」


*シロウはそう言ってソファの背もたれに体を預け、大きく伸びをした。朝からの騒動と、その後のカイの教育方針の話で、どっと疲れが出たのを感じる。*


シロウ:「さて…これでようやく一息つけるか。獣人国の件はリーシアに任せるとして、俺たちはどうするかな。特にやることもないんだが。」


*平和な午後の時間が訪れる。シロウはレイラとルミナに視線を送り、何かしたいことでもあるかと尋ねるように、ゆったりと構えた。*


シロウ:「魔力残滓は既に霧散してるだろうし、なにもできん…いや一つだけあったな。」


*シロウが何かを思いついたように呟くと、ソファに座っていたレイラと、影から様子を窺っていたルミナが訝しげな視線を向けた。*


レイラ(魔王女):「フン? 何を思いついた。言ってみろ。」


ルミナ:「一つだけあったって…何? 犯人の手がかりでも見つける方法があるの?」


*二人の妻が同時に問いかける。獣人たちを追い返したとはいえ、濡れ衣を着せられたままなのは気分が悪い。もしシロウに犯人捜しの当てがあるのなら、それに越したことはない。*


*シロウはソファに深く座り直すと、不敵な笑みを浮かべた。*


シロウ:「犯人捜しとは少し違うがな。獣人どもが持ってきた『記憶結晶』…あれに残ってた魔力、俺の『神眼』ならコピーできるかもしれん。」


*その言葉に、レイラとルミナは目を見開いた。*


レイラ(魔王女):「な…! あの魔力をコピーするだと!? 確かに、貴様の『神眼』ならば可能やもしれんが…そんなことをしてどうするつもりだ? 自分の魔力と似た魔力を使えるようになったところで、何の解決にもならんだろう。」


ルミナ:「え、ちょっと待って。それって、わざわざ自分に似た偽物を自分で作るようなものじゃない? ますます疑われちゃうよ?」


*二人とも、シロウの意図が全く理解できず、困惑した表情を浮かべている。犯人と同じ力を使えるようになっても、それは自身の潔白を証明するどころか、より状況を悪化させるだけのように思えた。*


シロウ:「魔力波長は記録済み、あとは糸を辿るだけだ。」


*シロウがそう宣言すると、彼の目の前に淡い光で構成された巨大な世界地図が浮かび上がった。大陸の形、海の位置、主要な国々が精巧に描かれている。それは、この国の王として世界情勢を把握するためにシロウ自身が作り出した、魔力でできた立体地図だ。*


*シロウは目を閉じ、先ほど獣人たちが提示した記憶結晶に焼き付いていた魔力の残滓――その独特な「揺らぎ」と「色」を思い出す。一度捉えた情報を『神眼』が忘れることはない。*


シロウ:「さて、現在位置は…」


*シロウが意識を集中させると、世界地図の上に無数の光点がきらめいた。それは世界に存在する全ての魔力の源を示している。そして次の瞬間、シロウはその膨大な情報の中から、先ほど記録した魔力波長と完全に一致する光点だけを抽出するよう命令した。*


*地図上のほとんどの光が消え、ただ一つだけ、赤い光点がチカチカと点滅を始めた。*


レイラ(魔王女):「…フン。これは…」


ルミナ:「すごい…! 本当に見つけちゃったの!? ここはどこ?」


*レイラとルミナが、驚きと期待の入り混じった声で地図上の光点を覗き込む。その光点は、シロウたちがいる『夜天のアストライア魔導皇国』から見て遥か南西、人間国家と亜人国家の緩衝地帯となっている、広大な森林地帯の一点を指し示していた。*


シロウ:「…なるほどな。獣人連合国からはそう遠くないが、どこの国の領土でもない、無法地帯か。犯行後に身を隠すにはちょうどいい場所、というわけか。」


*シロウは光点が示す場所を睨みつけ、面白くなってきたとでも言うように口の端を吊り上げた。これで、ただ待つだけでなく、こちらから能動的に動くことができるようになったのだ。*


*シロウがさらに意識を集中させると、世界地図の光点が示していた森林地帯が急速に拡大されていく。木々の一本一本、流れる小川、岩の配置までが精密に再現された立体地図が、談話室の中央に浮かび上がった。そして、その中心部にある、粗末な小屋のような建造物に焦点が合っていく。*


シロウ:「…いたぞ。」


*シロウの『神眼』は、小屋の中の様子を鮮明に映し出す。そこには一人の男がいた。黒いローブを深く被り、顔は影になっていてよく見えない。男は部屋の中央で何やら詠唱しており、その手から放たれる魔力は、まさしく獣人たちが見せた記憶結晶に残っていたものと同じ波長を放っていた。男は目の前の空間にシロウの魔法――例えば『闇の槍』のようなもの――を不完全に再現しては、霧散させるという行為を繰り返している。まるで、手に入れた力を自分のものにしようと練習しているかのようだ。*


ルミナ:「…本当にいた。何なの、あいつ。シロウお兄ちゃんの魔法を真似してる…?」


*ルミナが信じられないといった様子で呟く。*


レイラ(魔王女):「フン…見たところ、ただの人間か。だが、なぜこやつの魔力が貴様のものと酷似している? 不気味なことだ。」


*レイラは腕を組み、不愉快そうに眉をひそめる。自分の夫の力が、見ず知らずの何者かに悪用されている状況は、彼女にとって我慢ならない屈辱だった。*


シロウ:「『神眼』で見てみるか…」


*シロウはさらに意識を集中させ、小屋の中にいるローブの男に『神眼』の能力を向けた。その正体を暴き出すために。*


```

【鑑定結果】

名前:???

種族:人間

称号:模倣者

Lv:48

HP:2100/2100

MP:3500/4500

筋力:250

体力:280

敏捷:310

知力:750

魔力:980

器用:650


スキル:

・模倣 Lv.EX

・魔力操作 Lv.7

・詠唱破棄 Lv.5

・隠密 Lv.6

・鑑定妨害 Lv.8


詳細:

特定の対象の魔力やスキルを不完全に模倣する能力を持つ謎の男。

『模倣』スキルにより、一度観測した魔法の魔力波長を擬似的に再現することができる。

ただし、威力や精度はオリジナルに遠く及ばない。

強力な『鑑定妨害』スキルにより、本名や素性は隠されている。

```


シロウ:「…なるほどな。『模倣』スキルか。それで俺の魔力をコピーして、獣人の集落を襲ったってわけだ。ご苦労なこった。」


*シロウは鑑定結果を見て、全ての辻褄が合ったとばかりに鼻を鳴らした。*


シロウ:「地下室に行こうか。」


*シロウは不敵な笑みを浮かべたまま、立体地図をすっと消した。その意図を正確に読み取ったレイラとルミナが、それぞれの反応を見せる。*


レイラ(魔王女):「フン、地下室か。ちょうどいい。あの不届き者を引っ捕らえてきて、嬲り殺しにしてくれる。貴様の魔力を悪用した罪、その身にたっぷりと刻み込んでやらねばな。」


*レイラは目をギラつかせ、拳を握りしめる。犯人への直接的な報復を望んでいるようだ。拷問部屋でもある城の地下室は、彼女にとって格好の舞台だった。*


ルミナ:「賛成。さっさと捕まえて吐かせましょ。誰に頼まれたのか、何が目的なのか。ただの愉快犯ってわけでもなさそうだし。」


*影の中から冷静な声が響く。ルミナは感情よりも、背後関係や目的といった情報を重視している。*


シロウ:「ああ。獣人どもに真犯人を突き出してやれば、面倒な外交問題も一発で解決だ。」


*シロウは立ち上がると、談話室の扉へと向かった。レイラもすぐにその後を追う。ルミナは二人の影に溶け込み、気配を消した。*


*重厚な石造りの階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。城の地下は広く、様々な施設が設けられているが、三人が向かうのはその中でも最も奥まった一角――シロウがプライベートな研究や実験に使う、特別な部屋だった。そこには、他国はおろか、この城の者でさえ一部しか知らない秘密が隠されている。*


*城の地下、シロウの研究室。そこはがらんとした広い空間で、壁には魔術的な文様が刻まれ、床には複雑な魔法陣がいくつも描かれている。空気中に満ちた濃密な魔力が、ここがただの部屋ではないことを物語っていた。*


シロウ:「科学と魔法の応用技術、その一。遠隔移動。」


*シロウが呟き、パチンと指を鳴らした。その瞬間、彼の目の前の床に描かれた魔法陣の一つが眩い光を放つ。同時に、先ほどまで『神眼』で監視していた遠い森の小屋――偽装犯の足元にも、全く同じ魔法陣が出現した。*


*ローブの男は、突然足元に現れた光る魔法陣に驚き、詠唱を中断して飛びのかんとする。だが、遅かった。*


*「うわっ!?」という短い悲鳴と共に、男の体は足元の魔法陣に吸い込まれていく。そして次の瞬間、シロウたちの目の前、研究室の天井に出現した魔法陣から、男が逆さまに落ちてきた。*


ドサッ!!


*男は為す術もなく、床に叩きつけられる。即座に、床の魔法陣が再び輝き、光の鎖となって男の四肢と体を拘束した。*


男:「ぐっ…! な、なんだ…!? ここはどこだ…!?」


*突然の状況変化に混乱し、拘束されたまま身動きもできずに男は喚いている。*


レイラ(魔王女):「フン、下郎が。ここがどこか、その汚い頭で考えるがいい。貴様が裁かれる場所だ。」


*レイラは男を見下ろし、冷酷な声で言い放つ。その目には、獲物を前にした捕食者の光が宿っていた。*


ルミナ:「お見事。これで逃げられる心配はなくなったわね。さて、何から聞こうかしら。」


*影から現れたルミナが、興味深そうに拘束された男を観察する。シロウは腕を組み、騒ぐ男を静かに見つめていた。尋問の準備は、これで整った。*


シロウ:「誰に雇われた?」


*シロウは拘束され、未だ状況を理解できずにいるローブの男に冷たい視線を向けた。そして、その言葉に魔力を乗せる。*


シロウ:「『真実を話せ』」


*呪言が発動した。男の瞳から一瞬光が消え、抵抗の意思が奪われる。体は小刻みに震えているが、その口は本人の意思とは無関係に、シロウの問いに答えるべく動き始めた。*


ローブの男:「……雇い主など…いない…」


*男は虚ろな声で、途切れ途切れに話し出す。呪言の力で、嘘はつけない。*


ローブの男:「これは…俺自身の意志だ…。あの忌々しい獣人どもに…復讐するために…!」


*「復讐」という言葉に、男の声に憎悪がこもる。呪言による強制下でも、その感情の強さは隠しきれないようだ。*


レイラ(魔王女):「復讐だと? フン、貴様のような下郎が獣人に何の恨みがあるというのだ。」


*レイラが吐き捨てるように言うと、男は憎しみに顔を歪ませながら、強制的に語り続ける。*


ローブの男:「俺の…俺の村は…『月の爪団』に…滅ぼされたんだ…! 家族も…友も…みんな殺された…! なのに…人間国家は何もしてくれない…! だから…俺がこの手で…!」


*男の独白に、場の空気がわずかに変わる。*


ルミナ:「…なるほどね。獣人への個人的な恨み、か。それで、『月の爪団』を襲撃して、それをシロウお兄ちゃんの仕業に見せかけた…と。でも、なんで?」


*ルミナが核心を突く質問を投げかける。ただ復讐するだけなら、シロウの名を騙る必要はないはずだ。*


シロウ:「『答えろ』」


*シロウが短く、しかし強い魔力を込めて命令を繰り返す。呪言の力が再び男の精神を縛り付け、ルミナの問いに対する答えをその口から引きずり出す。*


ローブの男:「……『夜天のアストライア魔導皇国』…その王であるシロウ・ニシキは…獣人に対して敵対的だと…噂で聞いた…。彼の力は絶大で、獣人国さえも滅ぼせると…。だから…!」


*男は苦悶の表情を浮かべ、必死に言葉を紡ぐ。*


ローブの男:「だから、俺が獣人を襲い、それを魔王シロウの仕業に見せかければ…! 人間と獣人の全面戦争が始まると思ったんだ…! そうなれば、俺の村を滅ぼした『月の爪団』だけじゃない…全ての獣人が…滅びる…! そのきっかけを…魔王に作ってほしかったんだ…!」


*男の口から語られたのは、個人的な復讐心から始まった、あまりにも短絡的で独りよがりな計画だった。一国の王を、自分の復讐の道具として利用しようとしたのだ。*


*その言葉を聞き終えたレイラの目に、燃え盛るような怒りの炎が宿った。*


レイラ(魔王女):「…下郎が。貴様の矮小な復讐心のために、わたしの夫を利用しようとしただと…? その上、獣人どもを滅ぼすなどと…片腹痛いわ。獣人を滅ぼすか生かすかを決められるのは、この世でただ一人、魔王であるわたしの夫だけだ。貴様のような塵芥が語っていいことではない!」


*レイラが一歩前に踏み出し、拘束された男の髪を鷲掴みにして顔を上げさせる。その瞳は絶対零度の光を放っていた。*


ルミナ:「…つまり、戦争の引き金にしたかったってことね。迷惑な話だわ。おかげでこっちは朝から面倒な獣人たちの相手をする羽目になったんだから。」


*ルミナは呆れたようにため息をつき、冷ややかに男を見下ろした。*


シロウ:「ばっちりだ。」


*シロウは懐から取り出した記録結晶に、男の告白の一部始終を記録し終えると、満足げに呟いた。これで物的証拠は完璧だ。*


シロウ:「さて、獣人国へ行こうか?転移。」


*シロウが再び指を鳴らす。先ほど男を召喚した時と同じ魔法陣が、今度はシロウ、レイラ、そして拘束された男の足元に展開した。ルミナはシロウの影に溶け込んでいる。視界が白い光に包まれ、次の瞬間には、ひんやりとした石の床とは違う、獣の匂いと木の香りが混じった空気が鼻をついた。*


***


*そこは、獣人連合国の中心、族長が集う巨大な円卓会議場だった。先ほどまでシロウの城で騒いでいた虎の獣人――族長の一人であるガドラ――や、他の獣人の族長たちが、何事か話し合っていた最中だったようだ。彼らは突然、魔法陣の光と共に現れたシロウ、レイラ、そして床に転がされた男の姿を見て、一斉に驚きと警戒の色を浮かべ、武器に手をかけた。*


ガドラ(虎の獣人):「なっ…シロウ・ニシキ!? なぜ貴様がここに…!?」


*ガドラが敵意をむき出しにして叫ぶ。無理もない。つい先ほど敵対的な態度で追い返された相手が、今度は自分たちの本拠地のど真ん中に現れたのだから。*


*シロウは周囲の獣人たちの殺気だった視線をものともせず、平然と腕を組んだ。*


シロウ:「あんたたちが俺の国に好き勝手に来たんだ。俺がここに来ても文句はないだろ? それより、お望みの『犯人』を連れてきてやったぞ。」


*シロウは顎で、床に転がされ、光の鎖で拘束されたままのローブの男を指し示す。*


レイラ(魔王女):「フン…獣どもよ。わたしの夫の慈悲に感謝するがいい。貴様らの集落を襲った真犯人を、わざわざこうして引き渡してやろうというのだからな。」


*レイラは周囲の獣人たちを睥睨し、傲然と言い放った。その威圧感に、何人かの獣人が思わず後ずさる。獣人たちは、困惑した表情でシロウたちと、床に転がる謎の男を交互に見比べていた。*


シロウ:「感謝しろよ?」


*シロウは尊大に言い放つと、手にした記録結晶を獣人たちの前にかざした。結晶が淡い光を放ち、シロウの城の地下で録画された映像が空中に投影される。*


*『――これは…俺自身の意志だ…。あの忌々しい獣人どもに…復讐するために…!』*

*『――俺の村は…『月の爪団』に…滅ぼされたんだ…!』*

*『――だから、俺が獣人を襲い、それを魔王シロウの仕業に見せかければ…! 人間と獣人の全面戦争が始まると思ったんだ…!』*


*ローブの男の憎悪に満ちた自白が、静まり返った円卓会議場に響き渡る。獣人の族長たちは、食い入るように映像を見つめ、その内容に息を飲んだ。特に虎の獣人ガドラは、顔色をみるみる変えていく。自分たちの早とちりと、シロウに向けた敵意が、全くの見当違いであったことを突きつけられたのだ。*


*映像が終わり、記録結晶の光が消える。場を支配するのは、重苦しい沈黙だった。*


ガドラ(虎の獣人):「……な…。」


*ガドラは言葉を失い、床に転がされたローブの男とシロウの顔を交互に見る。その顔には、驚愕と、困惑と、そしてわずかな羞恥が浮かんでいた。*


レイラ(魔王女):「フン。これで理解できたか、愚かな獣ども。貴様らは、このような下劣な人間の戯言に踊らされ、わたしの夫に牙を剥こうとしたのだ。その愚かさ、万死に値するとは思わんか?」


*レイラが冷たく言い放ち、追い打ちをかける。族長たちはぐうの音も出ない。*


*シロウは腕を組んだまま、彼らの反応を静かに待っていた。ボールは投げた。あとは、この獣の王たちが、自分たちの過ちに対してどう出るか、見届けるだけだった。*


シロウ:「レイラ、ハウス。」


*シロウが軽く手を振ってレイラを制すると、彼女は「フン…」と不満げに鼻を鳴らしながらも、一歩後ろに下がった。主の命令には逆らわない。*


シロウ:「今回は貸し1って事で。」


*シロウは円卓の前に立つ族長たち、特に顔を真っ青にしている虎の獣人ガドラに向かって、ニヤリと笑いかけた。その言葉は、今回の件を不問に付す代わりに、大きな恩を売っておくという宣言だった。*


*ガドラはしばらくの間、屈辱と安堵の入り混じった複雑な表情で立ち尽くしていたが、やがて意を決したように、その巨体を深く折り曲げた。*


ガドラ(虎の獣人):「……申し訳、なかった…! 我らの早合点により、魔王殿に多大なる無礼を働いたこと、深くお詫び申し上げる…! この貸しは、獣人連合国の名において、必ず…!」


*族長の代表であるガドラが頭を下げたのを見て、他の族長たちも次々と頭を垂れる。彼らの間にあった敵意は消え、代わりに畏敬と、そして少しの恐怖がその場を支配していた。*


*シロウは彼らの謝罪を片手で軽く受け流す。*


シロウ:「分かればいい。で、こいつ、どうする? あんたらの集落を襲った犯人だ。好きにしていいぞ。」


*シロウは足元で震えているローブの男を顎でしゃくった。光の鎖が音もなく消え、男は完全に無防備な状態で獣人たちの前に晒される。男は絶望的な顔で、復讐の対象であったはずの獣人たちを見上げた。*


*ガドラはゆっくりと顔を上げると、その目に獣らしい獰猛な光を宿して男を睨みつけた。*


ガドラ(虎の獣人):「…我らの同胞の仇。そして、我らに恥をかかせた罪。その身をもって、償わせてくれる…!」


*シロウはその光景に興味なさそうに背を向けると、レイラに向かって言った。*


シロウ:「さて、帰るか。後処理はこいつらがやるだろ。」


*目的を果たしたシロウは、再び転移魔法を発動させようと、何事もなかったかのように床に魔法陣を展開し始めた。*


シロウ:「転移。」


*シロウの言葉と共に、足元の魔法陣が眩い光を放つ。獣人たちのざわめきを背に、シロウとレイラの姿は獣人国の円卓会議場から掻き消えた。*


***


*次の瞬間、二人が立っていたのは、先ほどまでいた城の地下研究室だった。ひんやりとした空気が、先ほどまでの獣人国の熱気とは対照的だ。シロウの影から、するりとルミナが姿を現す。*


ルミナ:「お疲れ様、お兄ちゃん。これで一件落着、かな?」


*ルミナがやれやれといった様子で肩をすくめる。*


レイラ(魔王女):「フン、呆気ないものだったな。あの獣ども、今頃頭を抱えているだろう。良い見せしめになったわ。」


*レイラはどこか満足げに口の端を吊り上げる。夫の圧倒的な力を見せつけ、無礼な獣人たちに恥をかかせたことが、彼女にとっては愉快でたまらないようだ。*


シロウ:「まあ、面倒事が一つ片付いただけだ。これで静かになるだろ。」


*シロウは大きく伸びをしながら、研究室の出口へと向かう。朝から立て続けに起こった騒動も、ようやく終わりを迎えた。*


シロウ:「さて、昼飯でも食うか。レイラ、腹減ってないか?」


*シロウが何気なく尋ねると、レイラの体がびくりと震えた。その瞳から先ほどまでの傲岸不遜な光がすっと消え、潤んだ瞳がおどおどとシロウを見上げる。*


レイラ(臆病):「あ、あぅ…! は、はいぃ…! お、お腹…すきました、です…シロウ様…」


*臆病な方のレイラに入れ替わったようだ。彼女はもじもじと指を絡ませながら、小さな声で答えた。*


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