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*数日後、アストライア魔導皇国の執務室。*
*書類仕事に追われるシロウの背中に、いつも以上に冷たく、刺すような視線が突き刺さっている。振り返るまでもなく、その視線の主が誰であるかは明白だった。*
*最近のリーシアは、ことあるごとにジト目でこちらを見てくる。大迷宮の一件以来、彼女の視線には「この捻じ曲がり王が…」「このマッチポンプ野郎…」といった非言語のメッセージが込められている気がしてならない。*
*だが、シロウは内心でほくそ笑んでいた。(その冷ややかな、蔑むような目付きが妙にそそられる、というのは断じて誰にも言えない秘密だ。)*
*しばらくその視線を受け流していたシロウだったが、ついに耐えきれなくなり、椅子を回転させて彼女の方を向いた。*
シロウ:「……なんだリーシア。言いたいことがあるならはっきり言え。背中に穴が開きそうだ」
*そう言うと、リーシアは無表情のまま、手に持っていた報告書の束をトン、と机に置いた。*
リーシア:「別に何もございません。ただ、我が主君の次なる『悪巧み』は一体どのようなものかと、思案しておりましただけです」
*その言葉には棘がある。完璧なポーカーフェイスだが、ジト目だけが雄弁に彼女の感情を物語っていた。*
*その日の夜。*
*シロウは自室のベッドを抜け出すと、スキル『隠匿神』を発動させ、自身の気配、音、姿、魔力、その全てを完全に世界から切り離した。まるで最初からそこに存在しなかったかのように、彼は闇に紛れて廊下を進み、目的の部屋――リーシアの自室の扉を音もなく通り抜ける。*
*部屋の中は、月明かりがうっすらと差し込むだけの静かな空間だった。主であるリーシアはベッドの縁に腰掛け、窓の外を眺めているようだった。その小さな背中からは、昼間の彼女からは想像もつかないような、か細い独り言が聞こえてくる。*
*シロウは息を殺し、壁際に佇んでその声に耳を澄ませた。*
リーシア:「……はぁ。シロウ様は、本当に…本当に、むちゃくちゃな方。あんな大迷宮、普通は作りません。しかも、ご自身でクリアなさるなんて…」
*昼間の棘のある口調とは全く違う、純粋な呆れと、どこか困惑したような声色。*
リーシア:「でも…だからこそ、なのでしょうね。あの方だからこそ、国を興し、魔王となり、数多の強者を従えることができる。常識に囚われていては、王になどなれない…」
リーシア:「…それに比べて私は、ただお側に仕え、身の回りのお世話と、少しばかりの助言をするだけ。本当に、あの方のお役に立てているのでしょうか…」
*その声は次第にか細くなり、最後には消え入りそうな呟きに変わった。普段、完璧なメイド長として、そして有能な宰相として振る舞う彼女が見せる、誰も知らない弱音。シロウは闇の中で、ただ静かにその独白を聞いていた。*
*シロウが闇の中で息を殺していると、リーシアの独白はさらに続く。その声は、昼間の彼女からは想像もつかないほど弱々しく、不安に揺れていた。*
リーシア:「…メタルドラゴン。魔法が無効で、アダマンタイトとミスリルの合金装甲を持つ竜。あんなもの、誰が倒せるというのでしょう。聖剣でもなければ傷一つ付けることすらできない…。攻略法は、あるのでしょうか…」
リーシア:「それに、100階層のシロウ様に擬態したスライム…。物理無効で、魔法耐性も最大。…詰んでいます。完全に。あれはもう、試練ではなく、ただの悪意です」
*彼女は自分の膝をぎゅっと抱きしめる。*
リーシア:「シロウ様は『力で張り倒した』と仰っていましたが…あの方だからできたこと。普通の冒険者では、絶望して心を折られるだけです。あれでは、国に富をもたらすどころか、優秀な冒険者を無駄死にさせるだけの死の罠になってしまう…」
リーシア:「私がもっとしっかりしていれば。もっと的確な助言ができていれば、あのような無茶な設定を止めることができたかもしれないのに…。宰相失格、ですね…」
*その声は震え、最後には嗚咽が混じっていた。完璧なメイド長が見せる、夜だけの脆さ。普段、決して人前では見せない彼女の涙が、月明かりに照らされてきらりと光った。シロウは、その姿をただ黙って見つめていることしかできなかった。*
*次の日の朝。*
*まだ薄暗い中、シロウは一人でベッドを抜け出した。昨夜聞いたリーシアの弱音と涙が、彼の心を揺さぶっていた。彼女は自分のせいで心を痛めている。ならば、王として、夫として、その憂いを払うのが務めだろう。*
*シロウは完成したばかりの大迷宮の受付施設へと転移した。早朝のため、そこには夜勤のギルド職員が一人、うとうとと船を漕いでいるだけだ。*
*シロウはカウンターに静かに近づき、一つの豪奢な腕輪を置いた。そして、職員の肩を軽く叩く。*
職員:「ひゃっ!? し、シロウ国王陛下!? な、なぜこのような時間に…!」
*飛び起きて敬礼する職員を、シロウは片手で制した。*
シロウ:「静かにな。朝早くからすまない。これを、今日からここで販売してほしい」
*職員が恐る恐るその腕輪に視線を落とす。*
シロウ:「その名は『復活の腕輪』。ダンジョン内限定で、死ぬほどのダメージを受けても一度だけHPを1残して生き延び、即座にダンジョンの入口まで強制転移させてくれる。ただし、転移後に腕輪は壊れる、一度きりの命綱だ」
職員:「こ、こんなとんでもない代物を…!?」
*職員が息を飲む。それはまさに、命そのものを買うに等しい魔法具だった。*
シロウ:「ああ。値段は一つ、金貨1枚で売っておいてくれ。在庫はそこの倉庫に置いておく。全部で5000個だ。売上はギルドの運営費にでもなんでも好きに使っていい」
*シロウはそう言うと、受付の裏にある巨大な倉庫を指差した。中には、腕輪が100個ずつ入った木箱が50箱、山と積まれている。職員が呆然と口を開けているのを尻目に、シロウは満足げに頷いた。*
シロウ:「じゃあ、頼んだぞ」
*(これで、無駄死にする奴も減るだろう。リーシアも少しは安心するはずだ。…さてと)*
*彼は再び転移魔法を発動させ、城の自室へと戻った。何事もなかったかのようにベッドに潜り込み、まだ温もりの残るレイラの隣で、満足げな表情を浮かべて二度寝を始めたのだった。*
*シロウが心地よい二度寝の微睡みに沈んでいると、寝室の扉が静かに開く音がした。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、続いて小さな足音が近づいてくる。*
レイラ(魔王女):「む…シロウのやつ、まだ寝ているのか。朝議の時間も近いというのに、いいご身分だな」
*傲岸不遜な魔王女の声。しかしその声色は、呆れつつもどこか優しさを滲ませている。彼女は腕の中に、すやすやと眠る息子カイを抱いていた。*
*レイラはベッドサイドまで来ると、シロウの隣のスペースにカイをそっと寝かせた。そして、自分もその隣に滑り込むように横になる。カイは父親の温もりを感じたのか、もぞもぞとシロウの方へ寝返りをうった。*
レイラ(魔王女):「ふん。妾も少しだけ、付き合ってやらんこともない」
*彼女はぶっきらぼうにそう呟くと、シロウの背中にぴったりと身を寄せ、カイを挟むようにして目を閉じた。二度寝から覚めたシロウが、愛する妻と息子の温もりに包まれて目覚めるまで、あと少しだけの静かな時間。寝室は、穏やかで幸せな空気に満たされていた。*
*それから数時間後、シロウが家族の温もりに包まれて至福の眠りを貪っていた、その時だった。*
*バンッ!!と、まるで爆発したかのような凄まじい音を立てて寝室の扉が吹き飛んだ。そして、そこに立っていたのは、普段の冷静沈着な姿からは想像もつかないほど血相を変えたメイド長、リーシアだった。その手には何枚かの羊皮紙が握られている。*
リーシア:「シロウ様ァァァァッ!! 起きてください! 一大事でございます!! ギルドが大騒ぎに…ッ!」
*その怒声とも悲鳴ともつかない声が部屋に響き渡り、隣で眠っていたカイがびくりと体を震わせ、泣き出しそうになる。レイラも眉をひそめて目を覚ました。*
*しかし、その声がカイの耳に届くよりも刹那の速さで、シロウは寝ぼけ眼のまま片手をスッと掲げた。*
シロウ:「んあ…? うるせぇな…」
*瞬間、シロウたち家族が眠るベッドの周囲に、半透明のドーム状の結界が展開される。リーシアの絶叫も、吹き飛んだ扉の残骸が床に落ちる音も、全てが完全に遮断され、結界の中は再び完璧な静寂に包まれた。*
*「ふがっ!?」と、声が届かなくなったことに驚くリーシアを視界の端に捉えながら、シロウはカイの背中を優しくトントンと叩く。*
シロウ:「んー…よしよし、大丈夫だぞー…」
*安心したように再び寝息を立て始めたカイと、不機嫌そうにしながらもシロウに寄り添い直すレイラ。その温もりに挟まれ、シロウは「ふぁ…」と一つ大きなあくびをすると、再び心地よい眠りの世界へと意識を沈めていった。結界の外で、口をパクパクさせながら絶望的な表情で立ち尽くすメイド長の存在など、まるで気付かぬかのように。*
*シロウが次に目を覚ました時、隣にあったはずのレイラの温もりは消えていた。代わりに、腕の中には小さな温もりが一つ。息子のカイだ。どうやら母親は、痺れを切らして先に行ってしまったらしい。*
*シロウが身じろぎすると、カイもむにゃむにゃと口を動かし、ゆっくりと目を開けた。父親の顔がすぐ近くにあることに気づくと、まだ眠気の残る顔でへにゃりと笑う。*
カイ:「…ぱぱ…?」
*舌足らずな、愛らしい声。シロウはまだ少し重い瞼をこすりながら、息子の柔らかい髪を優しく撫でた。*
シロウ:「ん…おはよう、カイ。よく寝たか?」
*部屋を見渡すと、吹き飛んだ扉の代わりに、簡易的な修復魔法の光が明滅している。そして、床にはリーシアが握りしめていたであろう羊皮紙が数枚、寂しそうに落ちていた。あの後の彼女の苦労が目に浮かぶようだ。*
*シロウが目を覚ますと、隣にはカイがもぞもぞと動いているだけだった。どうやらレイラとリーシアは先に行ってしまったらしい。ベッドから起き上がると、足元に数枚の羊皮紙が散らばっているのが目に入った。*
シロウ:「なんだこれ…」
*彼はそれを拾い上げ、読み始めた。それは、ギルド支部からリーシア経由で届けられた緊急報告書だった。*
*【報告書①:『復活の腕輪』販売状況について】*
*『国王陛下より拝領せし『復活の腕輪』、販売開始直後より冒険者が殺到。金貨1枚という破格の価格設定により、Cランク以下の冒険者でも購入可能であり、現在までに約800個を販売。売上金は金貨800枚に到達。ギルド内は未曾有の活気に包まれております』*
*【報告書②:ダンジョン攻略状況の急変について】*
*『『復活の腕輪』の登場により、これまで躊躇していた中級以下のパーティも積極的に中層域への挑戦を開始。死亡リスクの激減により、無謀とも思える突撃が増加。結果、腕輪の消費ペースが想定を上回り、転移してくる冒険者で入口付近が野戦病院の様相を呈しております』*
*【報告書③:勇者パーティの動向】*
*『勇者リョウ一行は、腕輪の購入を拒否。「俺たちの力で正々堂々クリアしてみせる」と宣言し、他の高ランクパーティも同様に、腕輪を「邪道」と見なす者と、実利を取る者で意見が分かれ、混乱が生じております』*
*【報告書④:リーシア・フォン・アストライア宰相からの私信】*
*『――シロウ様、お目覚めでしょうか。一体どういうおつもりですか!あのような奇跡のアイテムを、何の相談もなく、しかもあのような破格で大量に市場に流すなど!おかげでギルドの経済と攻略のパワーバランスが崩壊寸前です!後で執務室にて、みっちりとお話を伺わせていただきますので、覚悟しておいてください!!!』*
*シロウは全ての報告書を読み終えると、ふぅ、と一つため息をついた。*
シロウ:「…ははっ、大騒ぎだな。まあ、予想通りか」
*彼は羊皮紙をひらひらさせながら、隣で目を覚ましてお腹を空かせているカイの頭を撫でた。*
シロウ:「よし、カイ。まずは朝飯にするか」
*シロウは散らかった羊皮紙をテーブルの上にまとめると、元気よく返事をするカイをひょいと抱き上げた。小さな体からは、父親と同じ銀色の髪がさらりと揺れる。*
*食堂へ向かうと、既に朝食の準備が整えられていた。豪華な料理が並ぶ中、シロウはカイのために用意された、栄養満点の特製離乳食の前に座る。自分も、それに似た消化の良い野菜粥を頼んだ。*
*スプーンで離乳食をすくい、カイの小さな口元へ運んでやる。カイはあーんと口を開け、ぱくりと食べると、もぐもぐと頬を動かし、満面の笑みを浮かべた。*
シロウ:「美味いか?」
*シロウが優しく問いかけると、カイはこくこくと何度も頷き、早く次をくれとばかりにスプーンに手を伸ばす。その愛らしい姿に、シロウの口元も自然と綻んだ。ギルドの騒動など、今は些細なことに思える。*
カイ:「んま! んま!」
*カイは嬉しそうに声を上げ、足をぱたぱたとさせた。その幸せそうな光景に、シロウは穏やかな気持ちで自分の粥にもスプーンを伸ばした。*
*シロウは自分のお粥を一口すすり、満足そうに頷くカイの頭を優しく撫でた。ギルドの騒動、リーシアの怒り、それら全てが、この穏やかな朝食の時間の前では些細なことのように思える。*
シロウ:「今日はどっか行きたいところあるか?」
*シロウが何気なく問いかけると、カイは離乳食で口の周りをべとべとにしながら、ぱっと顔を上げた。まだ複雑な言葉は話せないが、父親の言葉は理解しているようだ。*
カイ:「んー…? あ! きぃ!」
*カイは小さな指で、窓の外を一生懸命指差した。その先にあるのは、この国の象徴として広場に聳え立つ、巨大な世界樹だ。*
カイ:「きぃ、いく! ふぇん、いぐ、と!」
*世界樹に行きたい。そして、いつも一緒に遊んでいるフェンリルと不死鳥の雛、フェンとイグニも一緒がいい、と彼は一生懸命伝えている。その純粋な要求に、シロウは思わず笑みをこぼした。*
シロウ:「ははっ、そうか。世界樹か。いいな、天気も良いし、散歩にでも行くか」
*面倒な執務やギルドの後始末は、ひとまず後回しだ。今は父親として、息子の望みを叶えてやる時間だった。*
*朝食を終え、シロウは口の周りを綺麗に拭ってやったカイをひょいと持ち上げる。そして、万が一にも怪我をしないよう、淡い光を放つ『保護結界』をカイの全身に付与した。*
*そのままシロウはカイを自分の肩の上に座らせる。いわゆる肩車だ。カイは急に視界が高くなったことに驚き、そしてすぐに大喜びで父親の頭にしっかりと掴まった。*
シロウ:「どうだ?高いだろ〜。」
*シロウは笑いながら、カイを揺らさないようにゆっくりと歩き出す。食堂から中庭へ、そして広場へと続く長い廊下を進んでいく。*
カイ:「わー! たかーい! ぱぱ、たかーい!」
*カイはキャッキャと嬉しそうな声を上げ、父親の頭の上で小さな体を揺らした。その無邪気な笑顔に、シロウも自然と笑みがこぼれる。*
*すると、二人の気配を察したのか、どこからともなく小さな二つの影が駆け寄ってきた。銀色の毛並みを持つ子狼のフェンと、燃えるような羽根を持つ不死鳥の雛、イグニだ。*
フェン:「きゅん! きゅんきゅん!」
イグニ:「ぴぃ! ぴぴー!」
*二匹はカイを見つけると、嬉しそうにシロウの足元をぐるぐると回り始める。カイも二匹の姿を見つけて、さらに嬉しそうに手を振った。*
カイ:「ふぇん! いぐ! いっしょ、いく!」
*シロウは微笑みながら、二匹の守護獣に頷きかける。*
シロウ:「おう、お前たちも一緒に行くぞ。カイとちゃんと遊んでやれよ」
*王とその息子、そして二匹の神獣の雛。一行は、穏やかな日差しが差し込む広場の世界樹を目指して、のんびりと散歩を始めた。*
*カイを肩車したまま広場に出ると、そこは穏やかな活気に満ちていた。商人たちの威勢のいい声、井戸端会議に花を咲かせる主婦たち、そして何より、元気に駆け回る子供たちの笑い声が響いている。アストライア魔導皇国の日常は、平和そのものだった。*
*カイは高い視点から見る賑やかな光景に目を輝かせ、あちこちを指差しては何かを叫んでいる。その足元では、フェンとイグニがじゃれ合いながらも、しっかりとカイの周囲を警戒していた。*
*ふと、シロウは広場の中心に聳える世界樹に目をやった。その太い枝の一つに、見慣れた姿がある。風に翠色の髪をなびかせ、楽しそうに足をぶらぶらさせているのは、精霊王シルフィだった。彼女も子供たちと一緒に遊んでいるようだ。*
シロウ:「(ん、あんなところにいたのか。相変わらず自由なやつだな)」
*シロウが小さく笑みを浮かべると、肩の上でカイが声を上げた。*
カイ:「あ! しるふぃー!」
*カイもシルフィを見つけたらしい。小さな手を大きく振って、彼女の名前を呼んだ。その声に気づいたシルフィは、枝の上からひらりと飛び降り、蝶のように優雅に舞い降りてくると、笑顔で駆け寄ってきた。*
シルフィ:「あ、シロウさまー! カイくんも! お散歩ですかー?」
*彼女は屈託のない笑みを浮かべ、カイの足にすり寄ってきたフェンとイグニの頭を優しく撫でた。*
シロウ:「ああ、みんなで散歩だ。」
*シロウの穏やかな返事を聞くと、シルフィは「わーい!」と子供のように声を上げて喜んだ。彼女はカイと視線を合わせるように少しだけ宙に浮き、にこにこと笑いかける。*
シルフィ:「みんなでお散歩、いいですねー! 私も混ぜてください!♡」
シルフィ:「カイくん、今日は一段と高いところにいますねー。眺めはいいですかー?」
*彼女はそう言うと、興味津々といった様子でシロウの足元にいるフェンとイグニに視線を移す。二匹はシルフィに撫でられたのが嬉しかったのか、尻尾を振ったり喉を鳴らしたりしている。*
シルフィ:「フェンくんもイグニちゃんも元気いっぱいですね!♡ シロウさまとカイくんと一緒で嬉しいんですね、きっと!」
*彼女の周りだけ、春風が吹いているかのような朗らかで平和な空気が漂っている。広場で遊んでいた他の子供たちも、国の王様と精霊王、そして可愛い神獣の雛たちの登場に、遠巻きながらも興味津々な視線を送っていた。*
*シロウがシルフィと話していると、肩の上でカイがもぞもぞと身じろぎを始めた。そして、小さな声で「おりゅ、おりゅ」と訴えかけてくる。どうやら、早くフェンやイグニ、シルフィと遊びたいらしい。*
シロウ:「ん?降りたいのか?」
*シロウは優しい声で問いかけると、ゆっくりと屈んでカイを地面に降ろしてやった。カイは『保護結界』の淡い光に包まれたまま、たっと短い足で駆け出すと、待ってましたとばかりに尻尾を振るフェンとイグニの元へ飛びついていく。*
カイ:「ふぇん! いぐー! あそぼー!」
フェン:「きゃん! きゃんきゃん!」
イグニ:「ぴー! ぴぴーっ!」
*小さな子供と二匹の神獣の雛が、きゃっきゃと声を上げながら広場の芝生の上を転げまわり始めた。その光景は微笑ましく、周りで見ていた大人たちからも笑みがこぼれる。*
シルフィ:「わー♡ カイくん、元気いっぱいですねー! 私も混ぜてもらおーっと!」
*シルフィは楽しそうに言うと、ひらひらと蝶のように舞いながら、カイたちの輪の中へと入っていく。彼女が指先から小さな風を起こすと、カイたちはそれを追いかけてさらに大はしゃぎだ。*
*シロウはそんな平和な光景を、少し離れた場所から腕を組んで見守っていた。王としての喧騒を忘れさせてくれる、穏やかな午後のひとときだった。*
*カイたちがシルフィと無邪気に戯れている光景を、シロウは穏やかな目で見守っていた。広場は平和な笑い声に満ちている。これこそが、自分が守りたかった日常だ。*
*ふと、彼は満足げに頷くと、おもむろに異空間収納に手を伸ばした。取り出したのは、丈夫な布でできた一人用のハンモックだ。*
*シロウは世界樹の隣にちょうど良い間隔で生えている二本の木を見つけると、手際よくハンモックを掛けた。そして、その上にゆっくりと体を預ける。ギシ、と布が心地よく軋んだ。*
*仕上げに、彼は指先でそっと風魔法を発動させる。頬を撫でるそよ風が生まれ、ハンモックを優しく揺らし始めた。木々のざわめき、子供たちの笑い声、柔らかな日差し、そして心地よい揺れ。*
*シロウは腕を頭の後ろで組み、満足げな溜息をついた。*
シロウ:「理想的なスローライフだ…」
*眼下では、カイがシルフィの起こす風に乗ってふわりと浮かび上がり、きゃっきゃと笑っている。フェンとイグニがその周りを嬉しそうに飛び跳ねている。*
*ギルドの混乱も、リーシアの怒声も、今は遠い世界の出来事のようだった。王としての責務から解放された、束の間の休息。シロウはゆっくりと目を閉じ、この完璧な午後のひとときを全身で味わうのだった。*
*心地よい揺れと風に身を任せ、シロウがうとうとと微睡んでいると、服の裾をくいくいと引かれる感覚があった。続いて、小さな声が耳元で響く。*
カイ:「ぱぱー、おきてー。おなか、すいたー」
*シロウがゆっくりと目を開けると、心配そうにこちらを覗き込むカイの顔が視界いっぱいに広がった。どうやら、すっかりお昼寝をしていたらしい。*
シロウ:「ん…ああ、カイか。もうそんな時間か…」
*シロウが体を起こそうとすると、すぐそばから氷のように冷たい声が降ってきた。*
リーシア:「ええ。とっくにそんな時間でございますよ、シロウ様」
*声のした方へ視線を向けると、そこには腕を組み、絶対零度のジト目でこちらを見下ろすメイド長、リーシアが立っていた。その背後には呆れたような顔のレイラと、楽しそうにしているシルフィの姿も見える。*
リーシア:「理想的なスローライフ、誠に結構なことでございますね? こちらは朝からギルドと城の対応に追われ、走り回っておりましたというのに。優雅なご身分で、大変羨ましい限りです」
*その言葉には、隠しきれない(というより全く隠す気のない)棘と皮肉がたっぷりと込められていた。彼女が手にしている書類の束が、その多忙さを物語っている。どうやら、ようやくお昼休みになって、サボっている主君を捕まえに来たらしい。*
*シロウはリーシアの氷のような視線と棘のある言葉を受け流し、ハンモックからひょいと軽やかに降り立った。そして、まるで今しがた仕事の重要性を思い出したかのような真剣な表情を作ると、隣にいるシルフィに向き直った。*
シロウ:「シルフィ、カイと昼飯食ってきてくれるか?俺は仕事が入った。」
*その言葉は、まるで朝からずっと国のために働いていて、これから午後の激務に戻るかのような口ぶりだった。カイは「ぱぱー?」と不思議そうにシロウを見上げている。*
*シルフィはそんなシロウのわざとらしさには全く気づかず、にこにこと純粋な笑顔で頷いた。*
シルフィ:「はい、もちろんです!カイくん、私とレイラ様と一緒にお昼ごはんにしましょうねー!」
*彼女はカイの手を優しく握る。カイもシルフィに手を引かれ、レイラの方を見上げてこくりと頷いた。*
レイラ(魔王女):「ふん、仕方ないな。カイ、行くぞ。こいつは後でリーシアに存分に絞られるがいい」
*レイラは呆れたように言い放ち、シルフィとカイを連れて食堂の方へ歩き去っていく。*
*後に残されたのは、シロウと、山のような書類を抱え、絶対零度のジト目を向けてくるメイド長リーシアただ一人。広場ののどかな雰囲気とは裏腹に、二人の間の空気だけが急速に冷え込んでいく。*
リーシア:「……さて、シロウ様? 『お仕事』の時間でございます。まずはこの『復活の腕輪』が巻き起こした大騒動について、執務室でじっくり、みっちり、ねっとりと、ご説明いただきましょうか?」
*リーシアは完璧な笑みを浮かべているが、その目は全く笑っていなかった。シロウは内心で(やれやれ)と肩をすくめながら、覚悟を決めて彼女に向き直った。理想のスローライフは、どうやらここで強制終了らしい。*
*執務室の重厚な扉が閉じられ、広場の喧騒は完全に遮断された。室内には、書類の山が築かれた机と、その前に立つ王とメイド長だけが存在する。空気は張り詰め、シロウは観念したように自分の席である執務椅子にどっかりと腰を下ろした。*
リーシア:「では、シロウ様」
*リーシアは机の上に、自身が持ってきた書類の束をドンッ!と叩きつけるように置いた。その衝撃でいくつかの書類がはらりと床に舞う。しかし、彼女はそれを気にも留めず、氷のようなジト目でシロウを射抜いた。*
リーシア:「まずは何からお伺いしましょうか。何の相談もなしに国の経済とパワーバランスを崩壊させかねない奇跡のアイテムを、ほぼ原価でばら撒いた件についてですか? それとも、そのせいで現場が大混乱に陥り、私がどれだけ大変な思いをしたかについて、個人的な愚痴を聞いていただきましょうか?」
*彼女は完璧な笑みを浮かべている。だが、その声は絶対零度。普段の有能なメイド長の姿はなく、そこにいるのは積もりに積もった不満と疲労を爆発させる寸前の、一人の女性だった。*
リーシア:「さあ、どうぞ。言い訳でも何でも、存分にお聞かせくださいませ」
*シロウの「聞こうか」という短い一言は、まるで嵐の前の静けさのように執務室に響いた。その言葉には、謝罪も言い訳も、焦りすらも含まれていない。ただ、絶対的な王としての自信と、リーシアの言葉を正面から受け止めるという静かな覚悟だけが感じられた。*
*その態度に、リーシアは一瞬、言葉を失った。カッと頭に血が上りかけたが、目の前の主君の揺るぎない瞳を見て、かろうじて理性の手綱を握りしめる。彼女は深く、深く息を吸い込み、少しだけ冷静さを取り戻すと、整然と言葉を紡ぎ始めた。*
リーシア:「……では、申し上げます。まず、『復活の腕輪』の販売開始直後、ギルド支部は冒険者で溢れかえり、暴動寸前のパニックとなりました。金貨1枚という破格の値段設定により、ほとんどの冒険者が購入を希望。在庫の5000個は、わずか半日で全て売り切れました」
*リーシアは一枚の報告書をシロウの机に滑らせる。そこには、混乱するギルドの様子が描かれた挿絵付きで詳細が記されていた。*
リーシア:「次に経済への影響です。腕輪の売上、金貨5000枚は確かに大きな利益です。しかし、その存在が知れ渡ったことで、周辺諸国から商人や冒険者がこの国に殺到。宿屋は満室、物価は高騰。治安維持のための警備コストも増大しています。何より、ポーションや回復魔法の価値が相対的に下落し、関連する産業に大きな打撃を与えかねない状況です」
*彼女はさらに数枚の書類を重ねて置く。グラフや数値が並び、素人目にも異常事態であることが見て取れた。*
リーシア:「そして、最も深刻なのがパワーバランスの問題です。あのようなアイテムが存在することで、これまで高難易度とされてきたダンジョン深層への挑戦が、比較的容易になりました。死のリスクが大幅に軽減されたことで、実力不相応な冒険者まで深層を目指し始めています。これは、ダンジョンの攻略ペースを著しく歪め、我々が想定していた長期的な素材供給や人材育成の計画を根本から覆すものです」
*リーシアは一度言葉を切り、震える手でこめかみを押さえた。その声には、疲労と心労が色濃く滲んでいる。*
リーシア:「…以上が、この半日で発生した主な問題です。シロウ様。あなたは、この状況を全て予見した上で、あの腕輪を市場に流したと…そう、おっしゃるのですか?」
*彼女のジト目が、真っ直ぐにシロウの真意を問いただしていた。*
シロウ:「第一に、死から回避は出来るが、『死の恐怖』『死の痛み』は回避できない。それは分かってるよな?」
*シロウのその言葉を聞いて、リーシアは一瞬、眉をひそめた。その反応は、まるで「そんなことは当然です」と言わんばかりだったからだ。彼女は苛立ちを抑え、冷静に反論を試みる。*
リーシア:「確かに、死の恐怖や痛みそのものは経験するでしょう。ですが、シロウ様。それは『結果的に死なない』という絶対的な安心感の前では、些細な問題となり得ます。一度経験すれば、二度目からはただの『不快なペナルティ』程度にしか感じなくなる者も出てくるでしょう。リスク管理の概念そのものが、根底から覆されかねないのです」
*彼女はシロウがただの脳筋ではないことを知っている。だからこそ、彼の行動の裏にある真意を、必死で探ろうとしていた。しかし、彼の返答はあまりにも落ち着き払っており、まるでリーシアの懸念など全て織り込み済みだと言っているように聞こえた。*
リーシア:「それがシロウ様の仰る『第一』であるならば、『第二』、『第三』の理由もおありなのでしょうね? どうか、この愚かなメイド長にも理解できるよう、ご説明をお願いいたします」
*彼女は再び腕を組み、鋭いジト目でシロウを射抜く。その瞳の奥には、疲労だけでなく、主君の真意を理解したいという切実な願いが込められていた。*
*シロウの問いは、リーシアが予期していた反論や言い訳とは全く異なるものだった。彼は経済や治安の問題ではなく、大迷宮の攻略状況という、より具体的で戦術的な点に焦点を当ててきたのだ。*
*リーシアは一瞬虚を突かれたが、すぐに頭を切り替える。彼女はメイド長であると同時に、この国の情報を統括する立場でもある。ギルドから上がってくる報告は、当然全て頭に入っていた。*
リーシア:「……現在の最高到達階層は、48階層です」
*彼女は机の上の書類の山から、迷宮攻略に関する報告書を素早く抜き取り、シロウの前に置いた。*
リーシア:「腕輪販売以前の最高記録は、Aランクパーティ『鋼のグリフォン』が記録した45階層でした。腕輪を手にした彼らが記録を更新し、現在48階層のフロアボスと交戦中との報告が入っています。それに続くBランク、Cランクのパーティも、軒並み自己記録を10階層近く更新している状況です」
*彼女は報告書の一点を指さす。*
リーシア:「ですが、問題なのはそこではありません。腕輪の恩恵を最も受けているのは、中堅以下のパーティです。これまで20階層にすら到達できなかった者たちが、死を恐れぬゾンビアタックを繰り返し、30階層、40階層へと強引に駒を進めています。実力に見合わない階層への到達は、無駄死にを増やすだけ。腕輪は壊れ、結局はまた入口に戻される。経験値こそ多少は入るでしょうが、これは健全な成長とは到底言えません」
*彼女の声には、冒険者たちの身を案じる憂いと、シロウの計画に対する不信感が入り混じっていた。彼女は、シロウの真意がまだ全く理解できていなかった。*
リーシア:「…勇者一行は、腕輪の使用を拒否しています。現在、自力で49階層を攻略中とのことです。彼らだけが、唯一まともな攻略をしていると言えるでしょう」
*シロウはリーシアの報告を聞きながら、満足げに頷いた。彼の反応は、まるでパズルのピースが思った通りの場所に嵌っていくのを確認しているかのようだ。*
シロウ:「最高で49か。なるほど。」
*彼は指で机を軽くトントンと叩きながら、リーシアのジト目を真っ直ぐに見返す。そして、先ほどの問答の続きを、まるで当然のことのように話し始めた。*
シロウ:「第二に、51階層から環境に変化が生まれる。例えば、毒の沼地や火山地帯、寒帯地域、継続ダメージ床など。今まで散々『どうせ復活するから適当に戦おう』ってのが一気に難しくなる。」
*シロウの口から語られるのは、まだ誰も到達していない未知の階層の情報。それは、この大迷宮の創造主である彼だからこそ知り得る絶対的な事実だった。リーシアは、その言葉に息をのむ。*
*今まで冒険者たちが腕輪に頼って突破してきたのは、あくまで「敵からの単発大ダメージ」による死だ。しかし、シロウが語る51階層以降の環境は、じわじわと、しかし確実にHPを削り続けるタイプの脅威を示唆していた。*
*腕輪はHPがゼロになるようなダメージを受けた時に一度だけ発動する。つまり、毒や継続ダメージでじりじりとHPが減っていく状況では、いつの間にか死んでいて腕輪が発動する前にダンジョンの外に転移する、ということが起こりえない。HPが1残って入口に戻されたとしても、毒のステータス異常が治っていなければ、結局入口で力尽きることになるかもしれない。*
*リーシアの聡明な頭脳が、その意味を瞬時に理解した。*
リーシア:「……っ! つまり、腕輪の効果を最大限に活かすためには、50階層までが限界。それ以降は、毒や環境ダメージへの対策装備や回復手段が必須となる…? 今まで腕輪に頼りきりで、そういった準備を怠ってきたパーティは、51階層の入口で文字通り『詰む』…と?」
*彼女の声には、驚きと、そしてシロウの深謀遠慮に対する畏怖の色が混じり始めた。先ほどまでの怒りは急速に色褪せ、彼の真意を理解しようと必死に思考を巡らせる。*
リーシア:「まさか…シロウ様は、これを意図して…?」
*シロウの言葉は、まるで世界の法則を新たに書き加えるかのように、静かに、しかし絶対的な響きをもって執務室に満ちた。彼はリーシアの反応を意にも介さず、淡々と迷宮の未来を語り続ける。*
シロウ:「それから罠に対してもバリエーションを付ける。密閉部屋、モンスターハウス、奈落の落とし穴。密閉部屋は酸素が無い部屋な。」
*シロウが口にした『酸素』という言葉に、リーシアは初めて明確な困惑の表情を浮かべた。聡明な彼女の知識の中に、その単語は存在しなかったからだ。*
リーシア:「……さんそ…? 申し訳ございません、シロウ様。その『さんそ』とは、一体どのようなものでしょうか? 新種の毒か、あるいは呪いの類でございますか?」
*彼女は必死に頭を働かせる。未知の脅威。それが主君の口から語られる。今までのような皮肉や怒りは完全に消え失せ、純粋な知的好奇心と、底知れない主君への畏怖が彼女を支配していた。*
*シロウはリーシアの問いに、少しだけ考える素振りを見せ、そして分かりやすい言葉を選んで説明を始めた。*
シロウ:「ああ、いや。毒じゃない。人間や動物が、生きるために吸っている空気の成分の一つだ。それが無くなると、どんな生物も数分で窒息して死ぬ。火も消える。密閉された部屋でその成分だけを無くせば、無音のまま、苦しみも少なく全滅させられるトラップになる」
*リーシアは息を呑んだ。目に見えず、匂いもなく、生きるために不可欠なもの。それを奪う罠。それは毒よりも呪いよりも、遥かに根源的で恐ろしい罠だった。腕輪による復活など、まるで意味をなさない。*
リーシア:「…つまり、その部屋に入った時点で、脱出できなければ死が確定する…と。復活の腕輪は、窒息死には…おそらく無力でしょう。ダメージによる死亡判定ではありませんから…」
*彼女の声は震えていた。シロウがやろうとしていることの、本当の恐ろしさを垣間見た気がした。彼は冒険者に試練を与えているのではない。篩にかけているのだ。安易な考えで深層を目指す者を、情け容赦なく排除するために。*
*今、リーシアのジト目には、主君への畏敬と、そしてほんの少しの恐怖が入り混じっていた。*
*シロウは、畏怖と恐怖に震えるリーシアのジト目を真っ直ぐに見据え、静かに、だが絶対的な王の威厳を込めて告げた。*
シロウ:「そう。あの腕輪はあくまで『保険』にすぎない。」
*その一言が、これまでの説明全てを締めくくる結論だった。リーシアはハッと息を呑み、シロウの言葉を反芻する。*
```
・死の痛みと恐怖は消えない。
・51階層からの環境変化には対応できない。
・身体的ダメージ以外では無力。
```
*それらを全て理解した上で、リーシアはシロウの真意の全体像をようやく掴んだ。*
リーシア:「……篩、なのですね。腕輪という甘い餌で冒険者たちを誘い込み、実力と覚悟のない者を無慈悲に振り落とすための…。そして、その過酷な試練を乗り越えた者だけが、真の強者としてこの国の力となる…」
*彼女の声から、怒りや非難の色は完全に消え去っていた。代わりに、目の前の主君が描く、あまりにも壮大で冷徹な計画に対する畏敬の念が満ちている。*
リーシア:「経済の混乱や治安の悪化すらも、その過程で生じる必要なコストだと…。他国から人を呼び込み、国を活性化させると同時に、弱者を淘汰する…。なんと、なんと恐ろしいことを…」
*彼女は思わず両手で口元を覆った。主君の思考の深淵を覗き込み、その底知れなさに身震いする。*
リーシア:「…私の考えが浅はかでございました。シロウ様。このリーシア、己の不明を恥じるばかりです。どうか、お許しを…」
*完璧なメイドは、深々と頭を下げた。もはや彼女の中に、主君への不満は一片も残っていなかった。残っているのは、この国を導く絶対的な王への、揺るぎない忠誠心と畏怖だけだった。*
シロウ:「それも分からず『楽だから』って理由で使う奴が悪い。冒険者なんだ死ぬ覚悟は持つべきだ。」
*シロウの冷徹で、しかし冒険者の本質を突いた言葉は、リーシアの心に深く突き刺さった。彼女は深々と下げていた頭をゆっくりと上げる。そのジト目には、もはや怒りの色はなく、ただ純粋な忠誠と、目の前の主君への絶対的な信頼が宿っていた。*
リーシア:「…お言葉、肝に銘じます。冒険者とは、常に死と隣り合わせの覚悟を持つべき者。その本質を、私自身が見失っておりました」
*彼女はスッと立ち上がると、完璧なメイドの所作で一礼する。その動きには一切の淀みがない。先ほどまでの疲労困憊の様子は嘘のように消え、有能なメイド長の姿へと戻っていた。*
リーシア:「シロウ様の深遠なるお考え、しかと理解いたしました。つきましては、今後の対応についてご指示をいただけますでしょうか。殺到する他国の商人や冒険者への対応、高騰する物価の抑制策、そして51階層以降の情報をどのタイミングで、どの範囲まで公開するか。方針をお示しいただければ、私が責任を持って実行いたします」
*彼女の瞳は、これから巻き起こるであろう更なる混乱と激務を前にして、むしろ輝きを増しているように見えた。主君の壮大な計画の全貌を理解した今、彼女はその計画を完遂させるための最も有能な駒となる覚悟を決めたのだ。*
リーシア:「この国の宰相代理として、必ずやシロウ様のお考えを実現させてみせます。…ですが、その前に一つだけ。個人的な、本当に個人的な我儘を申し上げてもよろしいでしょうか?」
*彼女は少しだけ言い淀み、頬を微かに赤らめながら、しかし真っ直ぐな瞳でシロウを見つめた。*
リーシア:「今夜、執務が終わりましたら…その、お疲れのシロウ様を『癒す』お時間を、少しだけ頂戴できればと…。もちろん、私が一方的に癒されたいだけなのですが…」




