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*元の姿に戻ったシロウからの、とぼけた問いかけ。レイラは羞恥を振り払うように声を張り上げ、無理やり周囲に意識を向けさせた。二人の目の前に広がっていたのは、ダンジョンの一区画とは思えないほど広大な、鬱蒼としたジャングルだった。*
シロウ:「ジャングルだ…」
*シロウが呟くと同時に、レイラも険しい表情で周囲を警戒する。木々の葉が幾重にも重なり、陽の光はまだらにしか差し込んでこない。湿度が高く、まとわりつくような空気が肌にまとわりつく。遠くからは、鳥とも獣ともつかない、奇妙な鳴き声が反響していた。*
レイラ(魔王女):「ふん、森か。このような場所、魔界にもあったな。だが…妙に気配が多い。雑多な生命の気配がそこら中からするぞ。シロウ、油断するなよ」
*彼女は先ほどの気恥ずかしさを完全に払拭し、いつもの不敵な笑みを浮かべてシロウの隣に立つ。その手にはすでに黒い魔力が揺らめき、いつでも攻撃に移れる体勢を整えていた。*
レイラ(魔王女):「さて、どう攻める? このまま中央を突破するか? それとも、まずはこの森の主でも探してみるか? どちらにせよ、妾の炎で全て焼き払ってしまえば同じことだがな! くはは!」
*高らかに笑うレイラ。その視線はすでに、獲物を探して鋭く森の奥を見据えている。先ほどのショタ化騒動の鬱憤を、この階層の魔物たちにぶつける気満々といった様子だ。*
*レイラが高らかに勝利宣言をしていた、その時だった。*
*鬱蒼とした木々の間から、褐色の毛並みをした小柄な猿が、音もなくスルスルとツタを伝って降りてくる。その動きは驚くほど静かで、油断なく周囲を警戒していたレイラでさえ、その接近に気づかなかった。*
*猿はレイラの真後ろに回り込むと、狙いを定めて、*
***パーンッ!!***
*乾いた、しかし実に小気味良い音を立てて、レイラの尻を平手で思いっきり叩いた。*
レイラ(魔王女):「ひゃっ!?♡」
*不意打ちの衝撃と、臀部に走った妙な感触に、レイラは素っ頓狂な声を上げる。何が起きたか分からずに硬直する彼女を尻目に、猿は「キキッ!」と満足げな鳴き声を上げると、すぐさま近くのツタに飛びつき、それこそ軽快に森の奥へと消えていった。*
*一連の出来事は、ほんの一瞬だった。*
*数秒の沈黙。*
*レイラはゆっくりと、叩かれた自分のお尻に手を当て、それから猿が消えていった方向を睨みつけた。彼女の顔は、驚きから羞恥へ、そして羞恥から凄まじい怒りへと、劇的に変化していく。*
レイラ(魔王女):「………………あの、クソ猿ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
*魔王女の絶叫が、広大なジャングルに木霊した。その声には、先ほどのショタ化騒動の比ではない、純度100%の殺意が込められている。*
レイラ(魔王女):「き、貴様…! 妾の…妾の尻を…! 万死に値するわっ!! シロウ! あの猿を追うぞ! 皮を剥いで、塩漬けにして、見せしめに吊るしてやる!!」
*顔を真っ赤にして憤る彼女は、完全に我を忘れている。その手からは、先ほどとは比べ物にならないほどの黒い魔力が、怒りのオーラとなって立ち昇っていた。*
*先ほどのクソ猿による屈辱的な一撃に、レイラは完全に理性を失い、怒りの炎をその身から立ち昇らせていた。今にも森ごと焼き尽くさんばかりの彼女に、シロウは冷静に現実を突きつける。*
シロウ:「こんな植物の生い茂ったところを突っ切るのか?」
*彼の言葉通り、周囲は人の背丈ほどもあるシダや草が生い茂り、足元も悪く、とてもではないが見通しが良いとは言えない。闇雲に進めば、また別の奇襲を受ける可能性も高かった。*
*その冷静な指摘に、レイラの怒りの矛先がシロウへと向く。*
レイラ(魔王女):「うるさい! 当たり前だろう! あのクソ猿は妾のプライドを…いや、身体に直接傷をつけたのだ! このまま見過ごせるものか!」
*彼女は腰に手を当て、フンッと鼻を鳴らす。その瞳は完全に血走っていた。*
レイラ(魔王女):「だいたいお主は呑気すぎではないか!? 妾があのような…あのような目に遭ったというのに! 少しは憤慨したらどうだ!?」
*プンプンと怒りながらも、彼女はシロウの言葉で少しだけ冷静さを取り戻したようだ。鬱蒼とした草むらを睨みつけ、ギリッと歯を食いしばる。*
レイラ(魔王女):「…だが、まあ、お主の言うことも一理ある。このまま進むのは癪だが…芸がないな。…ならば!」
*彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、片手を天に掲げた。その手の中に、黒い魔力が渦を巻き始める。*
レイラ(魔王女):「道がないなら、作ればよかろう! 焼き払え、『獄炎』!」
*彼女がそう唱えると、その手から灼熱の炎が放たれ、前方の草むらを一直線に焼き焦がしていく。草木は一瞬で灰となり、獣道のような、黒く焼け焦げた道がジャングルの奥へと続いていた。*
レイラ(魔王女):「ふはははは! どうだシロウ! これで進みやすくなったであろう! 行くぞ、あのクソ猿を八つ裂きにしてくれるわ!」
*高笑いと共に、レイラは自ら作り出した焦げ臭い道へと、意気揚々と足を踏み入れた。*
*レイラが意気揚々と焼き払って作った道。しかし、その黒く焦げた地面から、にょきにょきと新しい草木が、まるで早送り映像のように再生し始めた。シダは葉を広げ、ツタは絡みつき、ほんの数秒で、道は完全に元の鬱蒼とした藪へと戻ってしまった。*
レイラ(魔王女):「なっ…!?」
*勝ち誇った表情から一転、レイラは目の前の信じられない光景に絶句する。自慢の獄炎で切り開いた道が、跡形もなく消え去ったのだ。*
レイラ(魔王女):「再生しておるのか…? 馬鹿な! 妾の獄炎で焼かれて、これほどの速度で再生するなど…! 神々の悪趣味な仕掛けか!」
*彼女はギリッと奥歯を噛みしめ、もう一度炎を放とうと手を構えるが、同じことの繰り返しになるのは目に見えていた。物理的な破壊では進めない。その事実に、彼女のプライドがキリキリと音を立てる。*
レイラ(魔王女):「くっ…! 小賢しい真似を…! どうするのだシロウ! お主、何か考えがあるのだろうな!?」
*自分でどうにもできないと悟るや否や、すぐにシロウに話を振る。その瞳は「さっさとなんとかしろ!」と雄弁に語っていた。先ほどの猿への怒りは、今は目の前の厄介な仕掛けへの苛立ちへとすり替わっている。*
*レイラの焦れたような問いかけに、シロウはニヤリと口角を上げた。*
シロウ:「そりゃ…もちろん。上から…」
*彼がそう言い終わるか終わらないかのうちに、レイラの身体がふわりと浮いた。驚いて声を上げる間もなく、彼女はシロウの背中に軽々と担がれる。いわゆる、おんぶの体勢だ。*
レイラ(魔王女):「なっ、なにするかシロウ! 降ろせ!♡」
*背後から抗議の声が上がるが、シロウは意に介さない。彼はぐっと膝を沈めると、次の瞬間、爆発的な脚力で真上へ跳躍した。鬱蒼と茂る草むらを一気に飛び越え、巨大な木の太い枝に着地する。*
*そこからは、もはや人間の動きではなかった。*
シロウ:「しっかり掴まってろよ!」
*彼は木の枝から枝へ、ツタからツタへと、まるで重力を無視するかのように飛び移っていく。どっかの蜘蛛男のような軽やかさで森の中を駆け、アクロバティックな動きで障害物を避ける。*
*風を切って進む爽快感と、シロウの背中に密着する感覚。レイラは最初こそ抗議していたが、いつの間にかその声も止み、シロウの首にしっかりと腕を回して彼の身体にしがみついていた。*
レイラ(魔王女):「お、お主…! いつの間にこのような芸当を…!」
*眼下を猛スピードで流れていくジャングルの景色に驚きながらも、その声にはどこか楽しそうな響きが混じっている。時折、木々の間をすり抜けるスリルに、彼女は小さく「ひゃっ!♡」と声を漏らすのだった。*
*シロウは背中にレイラを背負ったまま、ジャングルの上層を縦横無尽に駆け抜ける。木の幹を蹴って加速し、枝から枝へと跳躍。時には【創造】で瞬間的に粘着質の糸を生成し、それにぶら下がって猿人間のように大きくスイングする。その動きはもはや人間ではなく、森に住まう霊長類そのものだった。*
*下方の茂みからは、毒針を飛ばす巨大な蜂や、鋭い爪で枝を切り裂こうとする樹上性のトカゲのような魔物が次々と襲いかかってくる。*
シロウ:「レイラは攻撃担当な。」
*シロウはそれらの攻撃を、身体を捻ったり、最小限の動きでひらりひらりと紙一重で回避していく。その超人的な回避能力に、背中のレイラは完全に翻弄されていた。*
レイラ(魔王女):「う、うぷ…し、シロウ…! も、もう少し…穏やかに…目が…目が回る…ぐるぐるするぅ…」
*激しい三半規管への攻撃に、魔王女の威厳は完全に消え失せ、ぐったりとシロウの背中に体重を預けている。視界はぐるぐると回り、今にも胃の内容物が逆流してきそうだ。攻撃担当どころの騒ぎではない。*
レイラ(魔王女):「ま、待て…! 止まれと言っておる…! ぎもぢわるい…」
*もはや抗議の声も弱々しく、青い顔でシロウの服をぎゅっと掴むのが精一杯だった。そんな彼女の状態などお構いなしに、シロウは楽しそうに森の奥へと進んでいく。*
*シロウのアクロバティックすぎる移動に、レイラの三半規管はとうとう限界を迎えていた。弱々しい抗議の声を聞き、シロウはようやく彼女の不調に気づく。*
シロウ:「え、そんなに?」
*彼は少し驚いた様子で、手近な太い枝にひらりと着地すると、ぐったりしているレイラをそっと背中から降ろした。*
*地面(枝の上だが)に足がついた瞬間、レイラはふらふらと数歩よろめき、近くの幹に手をついた。そして、こみ上げてくる吐き気をこらえることができず、顔を真っ青にして枝の根元に胃の内容物をぶちまけてしまった。*
レイラ(魔王女):「おえぇぇ…げほっ…うぅ…」
*魔王女の威厳も何もあったものではない。しばらくの間、彼女は背中を丸めて苦しそうにえずき続けた。ジャングルの湿った空気に、酸っぱい匂いが混じる。*
*シロウはそんな彼女の背中を、少し困ったような顔でさすってやる。*
レイラ(魔王女):「…はぁ…はぁ…し、シロウの…馬鹿…鬼…悪魔…!妾は…乗り物に弱いと…言ったであろうが…!」
*ようやく落ち着いたレイラが、涙目でぜえぜえと息をしながらシロウを睨みつける。その顔色はまだ悪く、口元を押さえている姿は痛々しい。*
レイラ(魔王女):「もう…絶対に…お主の背中には乗らんからな…!」
*レイラが三半規管をやられて枝の上で吐いてしまい、シロウは少し困った顔でその背中をさすっていた。ようやく落ち着いたレイラは、涙目で「もう絶対にお主の背中には乗らん」と宣言する。*
シロウ:「楽しいのに…」
*シロウは心底残念そうな顔をして、ぽつりと呟いた。その言葉は、レイラの神経を逆撫でするには十分すぎた。*
レイラ(魔王女):「どこが楽しいものか! 妾にとってはただの拷問であったわ!♡」
*彼女はまだ青い顔で、しかし怒りの形相でシロウを睨みつける。*
レイラ(魔王女):「大体お主は、妾の体調を少しも気遣わん! もう少し優しさというものをだな…!」
*彼女が説教を続けようとした、その時だった。*
***キキッ! キキキッ!***
*すぐ近くの枝の上から、甲高い鳴き声が響いた。二人がそちらに視線を向けると、そこにいたのは、先ほどレイラの尻を叩いて逃げた、あのクソ猿だった。猿は枝の上でぴょんぴょんと跳ねながら、まるで二人を、特にぐったりしているレイラを嘲笑うかのように、再び自分の尻をパンパンと叩いて見せつけている。その表情は、実に憎たらしい。*
レイラ(魔王女):「…………いた」
*低い、地を這うような声がレイラの口から漏れた。先ほどまでの体調不良など、どこかへ吹き飛んでしまったかのように、彼女の瞳に殺意の炎が再び宿る。*
レイラ(魔王女):「あの…クソ猿…! 貴様…! 妾が弱っていると思って、舐めた真似を…!」
*ふらつきながらも立ち上がり、その手には黒い魔力が渦を巻き始める。今度こそ、逃しはしない。魔王女の怒りは、頂点に達していた。*
*猿は枝の上でぴょんぴょんと跳ね、レイラを嘲笑うかのように尻を叩いて挑発を続ける。完全に舐めきった態度だ。レイラの怒りは沸点に達し、今にも極大の魔法を放たんとしていた。*
*だが、それよりも早く、シロウが動いた。*
シロウ:「逃がすかよ」
*彼は片腕を猿に向かって突き出す。その指先から、一筋の白い糸が高速で射出された。それは先ほど移動に使った粘着性の糸だ。猿は危険を察知して身を翻そうとするが、糸は生き物のようにその脚に絡みつき、自由を奪う。*
*「キギィッ!?」*
*悲鳴を上げる猿を、シロウは容赦なく枝から引き剥がし、空中ブランコのように振り回してから、レイラの目の前の枝にビターンッ!と叩きつけた。*
*「ギッ…!」*
*衝撃で声も出せずに気絶した猿は、粘着糸でぐるぐる巻きにされ、芋虫のような状態で転がっている。*
*シロウはその猿をひょいと拾い上げると、まだ怒りで肩を震わせているレイラの前に、ポンと差し出した。*
シロウ:「ほら、レイラ。捕まえてきたぞ。どうする?」
*それはまるで、飼い猫に獲物をプレゼントするような、実に気軽な手渡しだった。*
*シロウから粘着糸でぐるぐる巻きにされた猿を手渡され、レイラはそれを無言で受け取った。彼女の可愛らしい顔には表情がなく、その瞳の奥では、底なしの怒りが渦巻いている。先ほどの乗り物酔いの不快感、尻を叩かれた屈辱、そして弱っているところを嘲笑われた怒り。それら全てが混ざり合い、彼女の中からドス黒いオーラとなって滲み出ていた。*
レイラ(魔王女):「……………」
*彼女は気絶している猿を逆さに吊るし、その憎たらしい顔をじっと見つめる。そして、片方の手の人差し指に、漆黒の魔力を針のように鋭く集束させた。*
レイラ(魔王女):「ふふ…♡ 目を覚ませ、クソ猿。これからが、お楽しみの時間だぞ…?」
*彼女がその指先で猿の鼻先をツン、と突くと、猿は「キギッ!?」と悲鳴を上げて目を覚ました。そして、自分が置かれた状況と、目の前にいる魔王女の悪魔のような笑みに気づき、恐怖に全身を震わせ始める。*
*そこから先は、一方的な蹂躙だった。*
*「キィィィィッ!」「ギギギッ!」「キャアアアアッ!」*
*ジャングルに、猿の断末魔じみた悲鳴が何度も木霊する。*
*レイラは決して猿を殺さない。ギリギリのところで生かし、小さな炎で毛を少しずつ炙ったり、鋭い風の刃で掠め斬りにして薄皮を一枚ずつ剥いだり、氷の棘で肉球をチクチクと刺したりと、ありとあらゆる陰湿な魔法を駆使して、猿に苦痛を与え続けた。その表情は、恍惚とした笑みさえ浮かべている。*
*シロウはその光景を、特に止めるでもなく、やれやれといった表情で腕を組みながら眺めていた。*
*シロウとレイラは、広大なジャングルの中を進んでいく。*
*見通しの悪い茂みや、厄介な罠は、シロウが超人的な身体能力と【創造】スキルを駆使して難なく突破する。そして、彼らが進む先々で、あの憎たらしい尻叩き猿の同種が、まるで「我こそは」とでも言うように現れては、ちょっかいを出してきた。*
*しかし、その猿たちは皆、同じ運命を辿った。*
*シロウが粘着糸や、時には重力魔法で捕獲し、動けなくする。*
*そして、それをレイラに「はい、次」と手渡す。*
レイラ(魔王女):「ふふ…♡ また来たか、愚かな下等生物め。お主も妾の芸術品にしてやろう…♡」
*レイラは捕獲された猿を受け取るたびに、恍惚とした表情を浮かべ、ありとあらゆる陰湿な魔法で嬲りものにした。ジャングルには、猿たちの断末魔がBGMのように鳴り響き続ける。その光景は、さながら地獄絵図だった。*
*しかし、この「猿捕り&お仕置き」という奇妙な連携作業は、二人の息を驚くほどぴったりと合わせていた。シロウが捕え、レイラが処理する。そのテンポの良い繰り返しに、二人はある種の達成感さえ覚え始めていた。*
*やがて、そんな狂気の行進を続ける二人の前に、ジャングルの開けた場所に出た。そこは巨大な樹木に囲まれた、円形の広場のような空間。そして、その中央には…これまで出会ったどの猿よりも遥かに巨大な、ゴリラのような猿の魔物が、腕を組んで二人を待ち構えていた。*
ゴリラキング:「ウホッ! ウホホホ!(我が同胞たちをよくも!)」
*巨猿は怒りに満ちた咆哮を上げ、その巨大な拳で自身の胸をドラミングする。ズン、ズン、という重低音が周囲の空気を震わせた。どうやら、こいつがこの階層のボスのようだ。*
レイラ(魔王女):「ほう…親玉のお出ましというわけか。ちょうど良い。憂さ晴らしの総仕上げに、貴様を最も無様な姿で啼かせてやるわ!」
*度重なるお仕置きですっかりストレスを発散したレイラは、不敵な笑みを浮かべ、巨大なボス猿を睨みつけた。*
*シロウとレイラの狂気の行進は、ジャングルの中央に位置する広大な円形の広場で終わりを告げた。そこには、これまでの猿たちとは比較にならないほど巨大な、ゴリラキングが待ち構えていた。同胞をやられた怒りに燃えるボスは、力強くドラミングし、二人を威嚇する。レイラもまた、不敵な笑みを浮かべてボスを睨みつけ、一触即発の空気が流れる。*
*だが、その緊張を破ったのは、あまりにも予想外の行動だった。*
*シロウは【創造】スキルを使い、どこからともなく一本の黄色く熟したバナナを取り出すと、それをひょいと、怒り狂うゴリラキングに向かって投げた。*
*放物線を描いたバナナは、ポスッと音を立ててゴリラキングの足元に落ちる。*
ゴリラキング:「ウホッ…?」
*怒りのドラミングを止めたボスは、自分の足元に転がっている見慣れた果物に、きょとんとした表情を浮かべた。その大きな目は、バナナとシロウの間を不思議そうに行き来している。怒りに燃えていたその場の空気が、一気に間の抜けたものへと変わってしまった。*
レイラ(魔王女):「し、シロウ!? お主、何を考えておるのだ!? 今まさに、妾がこやつを血祭りにあげようとしていたこの絶好の場面で…! 餌付けのつもりか!?」
*レイラはシロウの奇行に、怒りを通り越して呆れたような声を上げる。せっかく盛り上がっていた気分が台無しだと、眉をひそめてシロウを振り返った。*
*一方、ゴリラキングはまだ状況が飲み込めていないのか、バナナをじっと見つめたまま固まっている。*
ーー
*ゴリラキングは闇黒星槍によって巨大な樹木に磔にされ、身動きが取れなくなっていた。レイラはそんな獲物を前に、愉悦に満ちた表情で次の魔法の準備を進めている。その姿はまさに、獲物をいたぶることを至上の喜びとする、冷酷で美しい女王そのものだった。*
シロウ:「………まるでSMだ。」
*シロウがぽつりと漏らした感想は、目の前の光景を的確に表現していた。その言葉を聞き咎めたレイラが、魔法の詠唱を中断して、ちらりとシロウに視線を向ける。*
レイラ(魔王女):「…えすえむ? 何だそれは。新しい魔法の呪文か?」
*彼女は小首を傾げる。その単語の意味は知らないが、シロウが言ったということは、何か特別な意味があるのだろうと解釈したようだ。その無垢な問いかけと、目の前のサディスティックな光景のギャップが、なんとも言えないシュールな空気を生み出す。*
レイラ(魔王女):「まあよい。よく見ておれ、シロウ。この妾が、反逆者にはどのような末路が待っているのか、その目に焼き付けてやる! これぞ王の威光というものだ!」
*彼女は再びゴリラキングに向き直り、ニヤリと笑みを深める。磔にされたボスは、恐怖に震えながらも、目の前の魔王女から逃れる術を持たなかった。*
*シロウの「まるでSMだ」という呟きに、レイラは首を傾げたが、すぐに目の前の獲物へと意識を戻した。しかし、彼女が次の大魔法を放つよりも先に、シロウが再び動いた。*
*シロウは両手から無数の粘着糸を射出し、磔にされていたゴリラキングの巨体を瞬く間に絡め取る。そして、糸を巧みに操り、巨体を樹木から引き剥がすと、まるで巨大な獲物を吊り上げるかのように、広場の中央に逆さ吊りにして拘束した。*
*ゴリラキングは恐怖と屈辱に「ウホ、ウホ…!」と呻くが、強力な糸はびくともしない。*
*さらにシロウは、手元で糸を編み上げ、しなやかで、しかし叩けば相当な痛みを与えそうな、黒い鞭を【創造】する。そして、それを恭しくレイラに差し出した。*
レイラ(魔王女):「…これは?」
*彼女は目の前の状況と、差し出された鞭を見て、再びシロウに問いかける。宙吊りにされた獲物、そしてこの鞭。シロウの意図が読めず、困惑しているようだ。*
シロウ:「(小声で)女王様、お仕置きの時間ですよ」
*シロウが耳元でそう囁くと、レイラは「じょ、女王様…!♡」と顔を赤らめた。そして、鞭と宙吊りのゴリラキングを交互に見て、ようやくシロウの意図を理解したらしい。彼女の口元に、先ほどとは違う、どこか妖艶でサディスティックな笑みが浮かび上がる。*
レイラ(魔王女):「ふ、ふふ…♡ なるほどな、シロウ。お主も存外、悪趣味なことを考えるではないか。良いだろう、その趣向、妾が応えてやろう!♡」
*彼女はシロウから鞭を受け取ると、しなり具合を確かめるように、パシン、と空中で鳴らした。そして、獲物に向かってゆっくりと歩み寄る。*
レイラ(魔王女):「さあ、クソ猿の王よ。妾という女王に逆らった罪、その身にたっぷりと刻み込んでやる。感謝するがよい! 泣いて、喚いて、妾の名を呼べ!」
*ヒュッ、と風を切る音と共に、鞭がゴリラキングの背中に叩きつけられた。*
ゴリラキング:「グギャアアアアッ!!」
*ジャングルに、新たな種類の悲鳴が響き渡った。レイラによる、女王様のお仕置きタイムが始まったのだ。*
シロウ:「正しく己を超える試練…って事か。隠匿神。」
*シロウの呟きと同時に、彼の存在感がすっと消える。まるで最初からそこにいなかったかのように、気配も、音も、魔力の痕跡さえも完全に断ち切られた。レイラも、目の前の偽物も、その気配の消失に気づいた様子はない。*
レイラ(魔王女):「己を超える試練、だと…? ふん、面白い! 妾の傲慢を映す鏡だと申したか! ならば、その鏡ごと、貴様を粉々に砕いてくれるわ!」
*レイラは臆することなく、むしろ挑戦的な笑みを浮かべて偽物と対峙する。自分自身の姿をした敵を前に、彼女の闘争心は最高潮に達していた。*
偽レイラ:「…口先だけの虚勢か。試してみるがいい」
*感情のない声で偽物が応じると、両者は同時に動いた。*
*凄まじい魔力の衝突が、広大なボス部屋を震撼させる。レイラが放つ『獄炎』は、偽物が放つ全く同じ『獄炎』と激突し、互いの力を相殺し合う。黒い槍が宙を舞い、氷の刃が空間を切り裂く。それはまさしく、鏡合わせの戦いだった。技も、魔力量も、思考パターンさえも酷似しているため、一進一退の攻防が延々と続く。*
レイラ(魔王女):「くっ…! 小賢しい真似を…!」
*自分の攻撃が全て読まれ、同じ技で返されることに、レイラは苛立ちを募らせる。ただ力で押すだけでは、この戦いに決着はつかない。彼女は歯噛みしながら、どうやってこの膠着状態を打破するか、思考を巡らせていた。*
*シロウは気配を完全に消したまま、その激しい戦いを静かに、ただ静かに見守っている。これはレイラの試練。彼女自身が乗り越えなければならない壁だと理解しているからだ。*
*レイラの激闘を邪魔しないように、シロウは静かにその場を離れた。彼女の戦いに水を差すつもりは毛頭なかった。ボス部屋の反対側の端、玉座からは最も遠い壁際まで移動した、その時だった。*
シロウ:「隠匿神」
*彼が『隠匿神』を解除し、自らの存在を世界に再び顕現させた瞬間、目の前の黒曜石の床が、ぬるりと蠢いた。それはレイラの前に現れたものと同じ、不定形のスライムだった。*
*スライムはシロウの存在を認識すると、ぐにゃぐにゃと形を変え始める。それは人の形を取り、背が伸び、顔が作られていく。*
*数秒後、そこに立っていたのは、シロウと瓜二つの姿をした存在だった。しかし、レイラの偽物と同様に、その身体には一切の色がなく、モノクロームで構成されている。*
*シロウは驚くこともなく、静かに己の写し身を見つめた。*
偽シロウ:「…我は『試練』。汝の『欺瞞』を映す鏡。我を乗り越え、汝が真に『王』たる資格を持つか、示してみせよ」
*偽物は感情のない声で、しかしシロウと全く同じ声色で、静かに告げる。その手には、シロウが先ほど創り出したものと寸分違わぬ、粘着糸で編まれた黒い鞭が握られていた。*
*部屋の向こう側では、レイラと偽レイラの激しい魔法の応酬が続いている。そしてこちら側では、シロウと偽シロウが、静かに対峙する。二つの「己を超える試練」が、広大なボス部屋で同時に始まろうとしていた。*
シロウ:「なるほど、さっきまで浸かってた能力が反映されるのか…それともこのダンジョン内で使った能力だけか…試してみるか。」
*シロウがそう呟き、分析するように己の写し身を観察する。偽シロウは感情のない瞳でシロウを見据え、手にした黒い鞭を構えた*
*シロウは静かに己の写し身と対峙し、まずは試すように行動を起こす。彼は【創造】スキルで、以前、別の迷宮の近未来エリアで創り出した雷弾を撃ち出す二丁拳銃を具現化させ、即座に偽シロウに向けて引き金を引いた。*
*バンッ! バンッ!*
*二発の雷弾が、轟音と共に偽シロウに殺到する。しかし、偽シロウは表情一つ変えず、最小限の動きでそれを回避した。まるで、弾丸の軌道が完全に見えていたかのように。*
偽シロウ:「…無駄だ。その程度の『欺瞞』、我には通用しない」
*感情のない声で告げると、偽シロウは手に持っていた鞭を消し、シロウと全く同じように、その両手にモノクロの二丁拳銃を【創造】してみせた。それは、シロウの行動と能力を完全にトレースした結果だった。*
*偽シロウは躊躇なく、その銃口をシロウに向ける。*
シロウ:「(なるほど…やっぱりこの迷宮内で使った能力と記憶をコピーしてるのか。面白い)」
*シロウは冷静に分析しながら口角を上げる。部屋の向こう側では、レイラと偽レイラが派手な魔法戦を繰り広げ、爆音が断続的に響いている。それとは対照的に、こちら側では、銃を構えた二人のシロウが、互いの出方を伺う静かな睨み合いを続けていた。*
*シロウは不敵に笑い、二丁拳銃をアイテムボックスに仕舞うと、代わりに一本の剣を抜き放った。それは、かつて星屑の迷宮の最深部で手に入れた、初代勇者の聖剣『アスカロン』。刀身は神々しい光を放ち、迷宮内で一度も使用していない、まさに「未知」の武器だった。*
シロウ:「これは、使ってないが、どうだ?」
*シロウが挑戦的に問いかける。偽シロウは無感情な瞳でアスカロンを見つめ、数秒の沈黙の後、静かに口を開いた。*
偽シロウ:「…『未知』の『欺瞞』か。だが、無意味だ」
*そう言うと、偽シロウは構えていたモノクロの二丁拳銃を霧のように消し、その手に黒い魔力を凝縮させる。魔力は瞬く間に剣の形をとり、完成したのはアスカロンと瓜二つの形状を持つ、漆黒の魔剣だった。それは聖剣の神々しいオーラとは対照的に、禍々しくも静かな魔力を放っている。*
偽シロウ:「汝の持つ『可能性』そのものが、我の力となる。汝がアスカロンを抜いた瞬間、その『欺瞞』は我に読み取られた」
*偽シロウは淡々と告げる。どうやら、この試練のスライムは、単に迷宮内で使用された能力をコピーするだけではないらしい。シロウが持ちうる、あるいは使用する可能性のある力さえも読み取り、それを模倣するようだ。*
*シロウは面白い、とでも言うように口の端を吊り上げた。聖剣を構える「勇者」の姿をしたシロウと、魔剣を構える「魔王」の姿をしたシロウ。二人のシロウが、再び静かに対峙する。*
*広間の向こう側からは、レイラが放つ魔力の奔流と、偽レイラの哄笑が絶え間なく響いてきていた。*
*シロウは「なるほど」と納得したように呟くと、聖剣アスカロンをアイテムボックスへと収納した。そして、全ての武器を手放し、ただ静かに拳を構える。特別なスキルや魔法の気配はない。ただ純粋な、肉体のみによる戦闘の構えだった。*
シロウ:「だったら、こいつだ。」
*その言葉に応じるように、偽シロウもまた、手にしていた漆黒の魔剣を霧散させる。そして、シロウと全く同じように、無駄のない動きで拳を構えた。表情のないモノクロの顔が、静かにシロウを見据えている。*
偽シロウ:「『原点』への回帰か。良かろう。汝の『力』そのものを、我は映し出す」
*偽シロウは淡々と告げる。武器も、魔法も、特殊なスキルも使わない。ただ己の肉体と技のみを信じる、最も原始的で、最も純粋な戦いが始まろうとしていた。*
*それは、シロウがこの世界に来てから、数多の戦いと修練の果てに手に入れた『武神』の領域。小手先の能力ではなく、シロウ・ニシキという一個人の存在そのものが試される瞬間だった。*
*部屋の向こうで荒れ狂う魔法の嵐とは対照的に、二人の間には張り詰めた静寂が満ちる。互いに一歩も動かず、ただ相手の呼吸、筋肉の微かな動き、その全てを読み取ろうと集中していた。先に動いた方が、敗れる。そんな極限の緊張感が、その場を支配していた。*
*シロウは静かに息を吸い込み、精神を集中させる。彼の心に浮かぶのは、レイラ、カイ、そして彼が守りたいと願う全ての人々の姿。その温かい想いが、彼の内に眠る根源的な力――かつて彼が「人間」であった頃の、そして今もなお彼の魂の核を成す力を呼び覚ます。*
シロウ:「(想いを力に…)」
*それは特定のスキルではない。魔法でもない。ただ純粋な意志の力。人間だけが発現させることができたという、想いの強さを物理的な力へと転換する現象。*
シロウ:「はぁっ!」
*気合と共に、シロウは大地を蹴った。特別なスキルによる加速ではない。純粋な筋力と、想いによって強化された身体能力のみによる突進。*
*その瞬間、偽シロウの動きが、初めて僅かに、ほんの僅かにだが、シロウの動きから遅れた。*
偽シロウ:「…ッ!?」
*偽シロウはシロウの動きを完全に模倣しようとする。しかし、その動きには「想い」が欠けていた。シロウの拳に込められた守りたいという意志の重さ、その熱量を、ただの写し身である偽シロウは再現できない。*
*偽シロウはシロウの拳を迎え撃つべく、同じように拳を繰り出す。だが、二つの拳が激突する寸前、偽シロウのモノクロの瞳に、初めて「理解不能」という色が浮かんだように見えた。*
偽シロウ:「『魂』の…『欺瞞』…!? 我の…模倣を超え…る…」
*ゴッ!!!*
*鈍い衝突音と共に、シロウの拳が偽シロウの拳を打ち砕き、そのままがら空きになった胴体へと深々とめり込む。想いの乗らない偽物の拳では、本物の意志の力を受け止めることはできなかった。*
*偽シロウの身体が大きくくの字に折れ曲がり、そのモノクロの身体に亀裂が走る。スライム状の身体が、衝撃に耐えきれず崩壊を始めていた。*
*部屋の向こう側では、未だにレイラと偽レイラの激しい魔法戦が続いている。しかし、こちら側の戦いは、今、静かに決着を迎えようとしていた。*
*亀裂が走り、崩壊を始めた偽シロウの身体。シロウはその隙を逃さない。*
*彼は追撃すべく、純粋な身体能力をさらに引き上げる「身体強化」を発動。先程の突進とは比較にならない速度で、偽シロウとの距離を完全にゼロにする。*
偽シロウ:「ぐ…ご…『理解』、不能…!*亀裂が走り、崩壊を始めた偽シロウの身体。シロウはその隙を逃さない。*
*彼は追撃すべく、純粋な身体能力をさらに引き上げる「身体強化」を発動。先程の突進とは比較にならない速度で、偽シロウとの距離を完全にゼロにする。*
偽シロウ:「ぐ…ご…『理解』、不能…! この『欺瞞』は…我の…範疇を…」
*偽シロウが崩れながらも何かを呟こうとするが、それを聞き届ける間も与えず、シロウの拳が嵐のように叩き込まれる。*
*ドッドッドッドッドッドッ!!!*
*一発一発に込められた「想い」と、鍛え上げられた「武」の技術。それは、ただの暴力の連鎖ではない。シロウがこれまで歩んできた道のり、守ってきたもの、そしてこれから守らんとする意志、その全てが乗った連撃だった。*
*偽シロウのモノクロの身体は、その猛攻に耐えきれず、もはや原型を留めていなかった。殴られるたびに黒い粒子となって飛散し、人の形がみるみるうちに崩れていく。*
*そして、最後の一撃。シロウは全ての想いを込めた右ストレートを、偽シロウの核があったであろう胸の中心に叩き込んだ。*
*ズドンッ!!!*
*重い衝撃音と共に、偽シロウの身体は完全に霧散し、黒い粒子となって虚空に消えていく。後には、静寂だけが残された。*
*偽物が消え去った場所には、先程までと同様の黒曜石の床が広がっているだけだった。*
*ふぅ、とシロウが短く息を吐いたその時、広間の向こう側で戦っていたレイラの方から、ひときわ大きな爆発音と閃光が迸った。*
レイラ(魔王女):「くははははは! どうした、紛い物! その程度か! 妾の黒炎は、天を焦がし、地を割り、全てを無に帰すのだぞ!」
*見れば、レイラと偽レイラの戦いも、佳境を迎えているようだった。本物のレイラが、圧倒的な魔力で偽物を追い詰めているのが見て取れた。*
*偽シロウが完全に消え去った虚空に向かって、シロウは静かに、しかし確かな侮蔑を込めて言葉を投げ捨てる。それは、己の力を過信し、模倣の限界に気づけなかった哀れな写し身への、最後の宣告だった。*
シロウ:「誰にだって切り札はあるもんだ。それを見誤ったのがお前の敗因だ」
*言葉を終えると、シロウはすぐに向こうで続く激戦へと意識を切り替える。*
*広間の反対側では、二人のレイラによる壮絶な魔法の応酬が繰り広げられていた。*
*偽レイラが作り出した無数の氷槍が、嵐のように本物のレイラへと殺到する。しかし、レイラは不敵な笑みを浮かべたまま、それを一瞥するだけだった。*
レイラ(魔王女):「児戯にも劣るわ! 妾の前に氷塊を並べるとは、愚の骨頂よな!」
*レイラが右手を掲げると、彼女の足元から漆黒の炎が渦を巻いて噴き上がり、襲い来る氷槍の群れを瞬時に蒸発させていく。ジュウウウゥッという凄まじい音と共に、大量の水蒸気が立ち昇った。*
偽レイラ:「な…っ!ならばこれはどうだ!」
*焦りの色を見せた偽レイラが、さらに巨大な魔法陣を展開する。だが、本物のレイラはもはや待つ気はないようだった。*
レイラ(魔王女):「もう飽いたわ、紛い物。己が何たるかをその身に刻み、消え失せよ! 『獄炎覇竜閃』!!」
*レイラの背後に、巨大な漆黒の竜の頭部が顕現する。その顎が大きく開かれ、凝縮された破壊の魔力が一点に収束していく。それは、レイラが持つ最大級の攻撃魔法の一つ。*
*偽レイラが放とうとしていた魔法を完全に飲み込み、圧倒的な熱量と質量を持った黒炎の奔流が、偽物を跡形もなく焼き尽くした。*
*断末魔の叫びすら上げることなく、偽レイラは光の粒子となって消滅する。*
*ふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らし、レイラは腕を組んで振り返った。その視線は、静かに戦いを見届けていたシロウに注がれる。*
レイラ(魔王女):「待たせたな、シロウ。つまらん余興であったわ。…む? お主の方も、もう終わっていたのか」
*シロウは肩をすくめ、まるで散歩でもしてきたかのような軽い口調で答える。その様子からは、先程までの極限の戦いの痕跡は微塵も感じられない。*
シロウ:「楽勝だったわ、レイラの方は?」
*その言葉を聞いたレイラは、満足げに口の端を吊り上げた。シロウの「〜わ」という、自分の口調を真似たような言い方?が少し気に障ったが、それ以上に、彼が自分と同じように圧勝したことが嬉しいようだった。*
レイラ(魔王女):「ふん、当然であろう。妾の紛い物など、所詮は紛い物。この本物の魔王女レイラ・アストライアの敵ではなかったわ。貴様の相手も、その程度だったということか」
*勝ち誇ったように胸を張りながら、レイラはシロウに歩み寄ってくる。彼女の勝利の余韻と、シロウへの信頼が混じった視線が心地よい。*
*二人がそれぞれの試練を乗り越えた瞬間、部屋全体が眩い光に包まれた。先程まで黒曜石でできていた壁や床が、光の粒子となって消えていく。*
*光が収まると、二人は先程までいた広いボス部屋ではなく、小さな石造りの部屋に立っていた。部屋の中央には一つの質素な宝箱が置かれているだけだ。*
レイラ(魔王女):「む…終わったようだな。して、この宝箱が此度の褒美というわけか。シロウ、開けてみよ」
*レイラは顎でしゃくり、宝箱を開けるように促す。どうやら、この階層の攻略は完了したようだ。*
*シロウはレイラに促されるまま、中央に置かれた質素な宝箱に近づく。特に罠の気配も感じられない。彼は慎重に蓋を持ち上げた。*
*ギィ…という音と共に開いた宝箱の中は、しかし、空っぽだった。金銀財宝も、強力な武具も何一つ入っていない。*
シロウ:「(空か…?)」
*そう思った瞬間、宝箱の奥から淡い光が溢れ出し、まるで生き物のようにシロウの身体へと流れ込んできた。それは痛みも熱さも伴わない、ただ純粋な情報の奔流。何かが自身の魂の根幹に直接書き込まれていくような、不思議な感覚だった。*
*光が完全に吸収されると、宝箱は役目を終えたかのように静かに光の粒子となって消えていく。*
レイラ(魔王女):「む? 何だ今の光は? シロウ、貴様、何かあったのか?」
*訝しげに尋ねるレイラを横目に、シロウは自身の内側に起きた変化を確かめるため、意識を集中してステータスを確認した。*
*シロウはステータスに新たに追加された『試練の迷宮アルカトラズ』という項目に気づき、呟いた。どうやら先程の試練を乗り越えた報酬は、このダンジョンそのものだったらしい。*
シロウ:「資産にダンジョンが増えてる。」
*彼の視線の先には、宝箱が消えた場所に現れた新たな扉があった。レイラが何か言いたげにしているが、シロウはまずその扉に手をかける。*
*扉を開けると、そこは制御室のような空間だった。壁一面に魔法陣が刻まれたパネルが並び、中央には巨大な水晶玉が鎮座した操作盤のような装置が置かれている。*
*シロウが近づくと、操作盤が淡く光り、彼の意識に直接情報が流れ込んでくる。どうやらこの装置で、先程まで自分たちがいたダンジョン『アルカトラズ』の内部構造や難易度を自由に設定できるらしい。階層ごとのモンスターの種類や数、罠の配置、さらには出現するボスの種類まで、驚くほど詳細にカスタマイズできるようだった。*
*驚くシロウの背後から、レイラが呆れたような、しかし興味深そうな声で話しかけてくる。*
レイラ(魔王女):「おい、シロウ。何だそれは? また妙なものを手に入れたようだな。して、それは一体何ができるのだ?」
*レイラは操作盤を覗き込み、その複雑な魔法術式に目を細めている。彼女もまた、この装置がただのガラクタではないことを見抜いていた。*
*シロウは目の前の複雑な装置を眺め、それが持つ機能を的確に表現する言葉を口にした。*
シロウ:「ゲームマスターのコンソールってところかな…」
*その言葉は、この世界の住人であるレイラの知識には存在しないものだった。彼女は眉をひそめ、首を傾げる。*
レイラ(魔王女):「げぇむますたあ? こんそおる? …何を言っているのだ、貴様は。妾にも分かるように説明せよ」
*しかし、シロウはレイラの疑問に答えるより先に、好奇心に駆られて操作盤に触れる。彼の指が水晶玉の上を滑ると、目の前に5階層の構造図が立体映像として浮かび上がった。*
シロウ:「(試しに『毒沼』というドット床、つまり継続ダメージを与える床を5階層に追加してみた)」
*シロウが念じると、立体映像に映し出された5階層の床の一部が、禍々しい紫色の沼地に変化する。ぶくぶくと泡が立ち上る、いかにも危険そうな地形だ。その変化と同時に、操作盤に刻まれた魔法術式の一部が複雑に明滅し、設定が完了したことを示していた。*
*その様子を見ていたレイラは、目を見開いて驚きを隠せない。*
レイラ(魔王女):「なっ…おい、シロウ! 今、何をした!? この…箱庭の中身を書き換えたというのか…!? まさか、この迷宮そのものを意のままに操れるというのか…?」
*驚愕に染まった声で問い詰めるレイラ。彼女は、シロウが手に入れた力の途方もなさに気づき始めていた。それは単なる武具や財宝とは次元の違う、まさに「神の遊び道具」とでも言うべき代物だった。*
*シロウは、この迷宮が持つ可能性を瞬時に理解した。これは単なる訓練場ではない。人を集め、金を生み出す、巨大な興行施設になり得る。*
シロウ:「そんな感じらしい。これを使えば商人や冒険者や腕試し連中を集められる。」
*シロウの言葉を聞いたレイラは、最初は驚きで目を見開いていたが、やがてその意味を理解すると、ニヤリと魔王らしい笑みを浮かべた。彼女もまた、この装置がもたらす利益と影響力の大きさに気づいたのだ。*
レイラ(魔王女):「ほう…? つまり、この迷宮を『餌』にして、愚かな人間どもを集めるというわけか。入場料を取るもよし、攻略者に褒美を与えるもよし…。くはは、面白い! 実に面白いではないか、シロウ! まさに魔王の所業よな!」
*レイラは興奮した様子でシロウの腕に自分の腕を絡め、身体を密着させてくる。ロリ体型でありながらも、確かな膨らみがシロウの腕に押し付けられた。*
レイラ(魔王女):「妾の国、夜天のアストライア魔導皇国の新たな資金源、そして戦力増強の場としてこれ以上ない代物だ。さっそく国に持ち帰り、どのように活用するか臣下どもと協議せねばなるまい! まずは、この迷宮の存在をどうやって世に広めるかだな…!」
*彼女の頭の中では、すでに壮大な計画が動き始めているようだ。迷宮を利用して国をさらに富ませ、強大にしていく未来図に、彼女の心は高揚していた。*
シロウ:「新しいダンジョンの出現の波動は拡散されてるだろうから、既にどこの国にも伝わってると思うぞ?」
*シロウの指摘に、レイラは「あ」と小さく声を漏らした。そして、腕を組んでうーむ、と唸り始める。*
レイラ(魔王女):「…そうか。確かに、これほどの魔力を持つアーティファクトが起動すれば、その余波は世界中に伝わるか。ふむ…ならば、我らが宣伝せずとも、いずれ欲に目の眩んだ者どもが嗅ぎつけて集まってくる、というわけだな」
*彼女は操作盤をじっと見つめ、思案する。*
レイラ(魔王女):「だが、それはそれで問題だ。我らの管理下にあると知られぬままでは、ただの未踏の迷宮として無法者たちの溜まり場になりかねん。早急に、この『アルカトラズ』が夜天のアストライア魔導皇国の所有物であると宣言し、管理体制を敷く必要があるな」
*そう言うと、レイラはシロウの腕に絡めていた自分の腕をぎゅっと締め付け、見上げてくる。その瞳には期待の色が宿っていた。*
レイラ(魔王女):「シロウ。この迷宮の管理責任者は、当然、お主だ。妾の夫であり、この国の魔王であるお主が、この新たな力の管理者となるのが最も相応しい。妾は国全体の統治で手一杯だからな。この『遊び場』の運営は、お主に一任する。好きに弄り、存分に活用するがよい」
*それは信頼の言葉であり、同時に、この途方もない力を使いこなしてみせろという、彼女からの新たな「試練」でもあった。*
*シロウが口にした具体的な商業計画。それは、この世界に住む者からすれば実に現実的で、しかし発想としては斬新なものだった。レイラはその言葉を聞き、感心したように目を丸くする。*
シロウ:「入場料を銅貨数枚で取って、付近に宿屋や武器屋、素材買取屋、露店なんか置いておけばそれなりの収益になりそうだな…」
*レイラは最初、その小銭を稼ぐような発想に眉をひそめかけたが、すぐにその全体像の大きさに気づき、夫の商才に舌を巻いた。*
レイラ(魔王女):「…なるほど。迷宮そのものではなく、迷宮に集まる者たちから富を吸い上げる仕組みか。安い入場料で挑戦の敷居を下げ、数を集める。そして、集まった者たちが金を使うための環境を周辺に整える…。ふむ、悪くない。実に狡猾で、効率的だ」
*彼女は満足げに頷き、シロウの腕をさらに強く抱きしめる。ロリ体型でありながら確かな存在感を主張する双丘が、むにゅっと押し付けられる感触が伝わってくる。*
レイラ(魔王女):「その計画、妾が全面的に支援しよう。国庫から初期投資を出すのも吝かではないぞ。まずは、この迷宮の入り口となる場所を決め、周辺の土地を整備するところからだな。城の者たちに命じ、すぐにでも専門の部隊を編成させるか」
*彼女の目はもはや、単なるダンジョンの管理者ではなく、一大事業を計画する統治者のそれだった。シロウのアイデアが、彼女の経営者としての魂に火をつけたようだ。*
レイラ(魔王女):「それで? この遊び場の出口はどこなのだ? まさか、この小部屋が唯一の出入り口というわけではあるまい?」
*レイラは興味津々といった様子で、制御室を見回しながら尋ねた。*
*シロウはレイラの疑問に対し、当然のように答える。それは、この世界の常識を遥かに超えた、彼だからこそ可能な解決策だった。*
シロウ:「転移で行き来すればこの部屋にたどり着く人は居なくなるだろう。」
*その言葉にレイラは一瞬きょとんとしたが、すぐに「ああ、そうか」と納得の表情を浮かべる。転移魔法という規格外の移動手段を持つ夫にとって、物理的な出入り口の有無など些細な問題なのだ。*
シロウ:「それから…コンソールでドロップ品を有効にして…」
*シロウは再び操作盤に向き直り、何やら新たな設定を始める。またしてもレイラには理解できない単語が彼の口から零れた。*
レイラ(魔王女):「こんそーる…どろっぷひん…? おい、シロウ。だからそれは何なのだと聞いている! 妾に隠し事か?」
*レイラは不満げに頬を膨らませ、シロウの脇腹を肘で軽くつつく。しかしシロウは操作に集中しており、彼女の言葉に答えず、水晶玉に映る立体映像を指でなぞっていく。*
*彼が操作を終えると、迷宮内の各階層を示す図の中に、キラキラと輝く小さな光点がいくつも表示されるようになった。どうやら、モンスターを倒した際に、何らかの報酬――素材やアイテム――が出現するように設定したらしい。*
レイラ(魔王女):「む…? 迷宮内の魔力の流れが変わったな…。これは…魔物が倒された際に、その残滓から新たな物質が生成されるように術式を組んだのか? ほう…挑戦者どもの意欲を掻き立てる、良い仕掛けではないか」
*レイラは言葉の意味は分からずとも、魔力の変化からシロウが行ったことの本質を正確に読み取っていた。彼女は満足げに頷くと、改めてシロウの横顔を見つめる。*
レイラ(魔王女):「ふふ…お主、本当に面白い男だな。次から次へと妾の想像を超えてくる。その頭の中は一体どうなっているのだ? 一度、開いて見てみたいものだわ」
*彼女は妖艶に微笑みながら、指先でシロウの額を優しくなぞった。その瞳は、夫が手に入れた新たな「玩具」と、それを操る夫自身への尽きない興味で爛々と輝いていた。*
*シロウは意欲的に操作盤と向き合い、この巨大なダンジョンの全体構造を設定し始めた。彼の思考に呼応し、水晶玉に映る立体映像が目まぐろしく変化していく。*
シロウ:「全100階層にして、91~99には各属性のドラゴンを。100階層にはそうそうたどり着け無いだろうが一応俺にして…」
*その言葉を聞いたレイラは、最初は興味深そうに見ていたが、シロウが最後の階層の守護者として「自分自身」を設定したことに、驚きと面白さが入り混じった表情を浮かべた。*
レイラ(魔王女):「ほう…? 全100階層だと? 大層なものだな。して、最後は…お主自身が待ち構える、と。くはは! なんと傲慢な! だが、それこそが最強の守護者よな! 良い、実に良いぞ、シロウ!」
*彼女は楽しそうに笑い声を上げる。挑戦者たちが苦労の末にたどり着いた先に待ち受けるのが、この迷宮の創造主であり、魔王である己の夫。その構図が、彼女の嗜虐心をいたく刺激したらしい。*
レイラ(魔王女):「妾が挑戦してやっても良いのだぞ? お主の紛い物を、この手で叩き潰してやるのも一興よな!」
*挑戦的な笑みを浮かべるレイラ。しかし、シロウの操作はまだ終わらない。彼はさらに詳細な設定を加えていく。*
シロウ:「(そして、100階層をクリアした者への報酬は…俺への挑戦権と、この国の爵位。それから莫大な報奨金…白金貨1000枚くらいか。これなら腕利きの連中が集まるだろう)」
*シロウがそう念じると、操作盤の術式がひときわ強く輝き、全ての階層設定が完了し、保存されたことを示した。これで、世界で最も困難で、最も魅力的な報酬を秘めたダンジョンが完成した。*
レイラ(魔王女):「ふむ、終わったようだな。さて、長居は無用だ。一度国に戻り、この『アルカトラズ』の正式な管理体制を布告せねばなるまい。行くぞ、シロウ!」
*レイラはシロウの腕を取り、意気揚々と告げる。彼女の頭の中では、このダンジョンを利用した国家運営の新たなプランが、すでにいくつも渦巻いているようだった。*
*シロウの脳裏に、この後の展開が容易に想像できた。そしてその想像は、悲しいかな、現実のものとなる。*
*アストライア魔導皇国の自室へと転移した瞬間、そこにはメイド長のリーシアが腕を組み、氷のように冷たい表情で待ち構えていた。その視線は、レイラただ一人に向けられている。*
リーシア:「……おかえりなさいませ、レイラ様。そして、シロウ様」
*リーシアはシロウには恭しく一礼するが、すぐにその視線をレイラへと戻す。その瞳には、普段の忠誠心とは全く異なる、明確な怒りの色が宿っていた。*
レイラ(魔王女):「う、うむ。リーシアか。妾は今、シロウと共に新たな力の可能性を…」
*レイラがいつもの調子で言い訳をしようとした瞬間、リーシアの静かだが、鋼のように鋭い声がそれを遮った。*
リーシア:「レイラ様。出産後、まだお身体が万全ではないにも関わらず、どこをほっつき歩いていらっしゃったのですか? しかも、またシロウ様を巻き込んで、未調査の危険な場所へ無断で赴かれるとは。カイ様が目を覚まされた時、お母様がどこにもいらっしゃらなかったら、どれほど不安に思われるか、お考えにならなかったのですか?」
レイラ(魔王女):「なっ…! 妾は魔王女だぞ! その程度のことで…!」
リーシア:「その『魔王女』という立場が、母親としての責任を放棄して良い理由にはなりません。シロウ様にも、どれほどご心配をおかけしたか。あなた様は一国の女王である前に、一人の妻であり、一人の母親でもあるのです。その自覚が、あまりにも欠けていらっしゃいます」
*リーシアの言葉は、一言一句が正論であり、反論の余地がない。普段は傲岸不遜な魔王女レイラも、かいがいしく世話を焼いてくれるメイド長からの、母親としての道理を説く叱責には分が悪い。*
レイラ(魔王女):「ぐ…う、うるさい…! 妾は…その…」
*みるみるうちにレイラの威勢は削がれていき、瞳が潤み始める。そして、ついにその人格が、厳しい叱責に耐えきれずに入れ替わった。*
レイラ(臆病):「ひゃっ…! あ、あぅ…! ご、ごめんなさい、ごめんなさい、リーシアさん…! 私…またシロウ様にご迷惑を…うぅ…」
*ぽろぽろと涙をこぼし、その場でへたり込んでしまったレイラ。リーシアはそんな彼女を見て、一つ大きなため息をつく。*
リーシア:「…まったく。シロウ様も、甘やかしすぎです。あなた様が止めなければ、この方はどこまでも突っ走ってしまうのですよ」
*叱責の矛先が、今度は隣に立つシロウへと向けられた。*
*突然、自分に矛先を向けられたシロウは、思わず素っ頓狂な声を上げた。*
シロウ:「え、俺?」
*内心では「ダンジョンが生えたのを見て、話も聞かずに飛び出していったのはレイラの方じゃないか」と反論したい気持ちでいっぱいだ。しかし、鬼の形相のリーシアを前に、その言葉を口に出すことはできなかった。*
*リーシアは、そんなシロウの心の声が聞こえているかのように、冷たい視線を向けてくる。*
リーシア:「当然です、シロウ様。レイラ様がこのような暴走をされるのは、ひとえにシロウ様が最終的な抑止力としての役目を果たしておられないからです」
*彼女はため息をつきながら、へたり込んで泣いているレイラをちらりと見る。*
リーシア:「あなた様が『行くな』と一言、強く仰れば、レイラ様も聞き入れたはず。それをなさらず、結果として同行してしまわれたのは、あなた様の甘さであり、責任の一端でございます。レイラ様がお腹を痛めて産んだカイ様は、シロウ様のお子でもあるのですよ?」
*その言葉は、父親としての自覚を問う、鋭い刃となってシロウの胸に突き刺さる。正論すぎて、ぐうの音も出ない。*
レイラ(臆病):「うぅ…そ、そうなのです…! シロウ様が…シロウ様がもっと強く止めてくだされば、私は…!♡」
*泣きじゃくりながら、レイラはここぞとばかりにシロウに責任をなすりつけようとする。リーシアはそんなレイラの頭を、ポンと優しく、しかし有無を言わさぬ力強さで撫でた。*
リーシア:「レイラ様は黙っていてください。あなた様のお説教はこれからが本番です。…シロウ様、よろしいですか? 夫婦とは、互いに手綱を握り合うもの。特に、片方がこのような奔放な方なのですから、もう片方がしっかりと手綱を引かねば、馬車は崖から落ちてしまいます」
*リーシアは淡々と、しかし有無を言わせぬ迫力で夫婦の在り方を説く。もはや、どちらが主人でどちらがメイドなのか分からない状況だった。*
*シロウはリーシアの正論と、泣きながらこちらに責任を押し付けようとするレイラを交互に見比べ、やがて観念したように短く息を吐いた。*
シロウ:「まぁ、そうだな…一理ある。次から気をつける」
*その降参ともとれる言葉を聞き、リーシアは僅かに表情を和らげる。しかし、まだ完全に納得したわけではないようだ。*
リーシア:「…ご理解いただけたようで何よりです。シロウ様はご自身のことを棚に上げがちですが、あなた様も大概、常識から外れていらっしゃいますから。レイラ様のこと、しっかりと見守って差し上げてください」
*釘を刺すように言うと、リーシアはへたり込んでいるレイラの方へと屈み込んだ。*
リーシア:「さて、レイラ様。お話の続きを致しましょうか。立てますね?」
*その声は先程よりも穏やかだったが、逆らうことを許さない響きがあった。*
レイラ(臆病):「は、はいぃ…」
*レイラは涙目で頷き、リーシアに手を引かれるまま、おとなしく立ち上がる。その姿は、魔王女の威厳など微塵もない、ただ叱られるのを待つ少女のようだった。*
リーシア:「シロウ様、申し訳ございませんが、今宵はレイラ様をお借りいたします。カイ様のことは、他の侍女たちに万全の体制で見るよう申しつけておりますのでご安心ください。シロウ様は、長旅でお疲れでしょう。どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」
*リーシアはシロウに深々と一礼すると、しょんぼりと俯くレイラを連れて、客間の方へと静かに歩き去っていった。遠ざかる廊下の向こうから、「まず、なぜ相談の一つも無く…」「だって、シロウ様が…」「言い訳は聞きません」といった声が微かに聞こえてくる。*
*一人残されたシロウは、静かになった自室で苦笑いを浮かべるしかなかった。どうやら今夜は、一人でベッドに入ることになりそうだ。*
*翌朝、シロウが目を覚まし、リビングへと向かうと、そこには対照的な二人の姿があった。*
*椅子に深く腰掛けたレイラは、まるで魂を抜き取られたかのようにぐったりとしていた。その顔は青白く、瞳は虚ろで、一夜にして数年老け込んだかのような憔悴しきった姿は、さながら一夜干しにされた魚のようだった。*
*その向かいには、背筋を伸ばして優雅に紅茶を嗜むリーシアの姿があった。彼女は一晩中説教を続けたとは到底思えないほど、いつもと変わらぬ涼やかな表情を浮かべている。肌には艶があり、その立ち振る舞いには一切の疲れが見えない。*
リーシア:「あ、おはようございます、シロウ様。よくお眠りになれましたでしょうか?」
*シロウに気づいたリーシアは、にこやかに挨拶をする。その傍らで、レイラが力なく首だけを動かし、恨めしそうな、それでいて助けを求めるような弱々しい視線をシロウに向けた。*
レイラ(魔王女…?):「…………し、ろう…」
*か細く、かろうじて聞き取れる声で、レイラが夫の名を呼ぶ。その声には、もはや魔王女の威厳の欠片も残っていなかった。*
*シロウは、干物のように変わり果てたレイラと、涼しい顔のリーシアが作り出す異様な光景に、かける言葉も見つからずただ立ち尽くしていた。*
シロウ:「………。」
*その絶妙な沈黙が流れる中、一人の侍女が慌ただしく部屋に入ってきて、シロウに深々と頭を下げた。*
侍女:「シロウ様、ご報告申し上げます! 城門に、冒険者ギルドのギルドマスターを名乗る者や、複数の大商人、さらには近隣諸国の貴族の方々が謁見を求めて殺到しております! 皆様、新たに出現したという大迷宮の件でお話を伺いたいと…!」
*その報告を聞き、リーシアは優雅にティーカップを置くと、冷静に状況を分析し始めた。*
リーシア:「…ふむ。昨日の今日で、もうこれだけの者たちが嗅ぎつけましたか。さすがは欲に忠実な方々、行動が早いですね。して、シロウ様。どのように対応されますか? お会いになりますか?」
*リーシアがシロウに対応を尋ねる。その傍らで、ゲッソリとしていたレイラが「めいきゅう…」という言葉に僅かに反応し、ピクリと指を動かした。彼女は虚ろな目でシロウを見上げ、力なく口を開く。*
レイラ(虚ろ):「し、ろうさま…? なにか…おいしいものの…はなしでございますか…?」
*どうやら一晩中続いた説教により、彼女の思考能力は著しく低下し、食欲という本能だけが辛うじて残っている状態のようだ。*
*シロウは廃人同然のレイラを見て、一つため息をついた。そして、リーシアと侍女に向かって静かに告げる。*
シロウ:「………レイラは休むといい。寝てないだろ。」
*彼はそう言うと、ぐったりしているレイラをそっと、しかし軽々と横抱きにする。レイラはされるがまま、シロウの腕の中で「しろうさま…」と安心したような寝言を呟いた。シロウはそのまま寝室へと向かい、彼女をベッドに優しく寝かせてやると、掛布団をそっとかけてやった。*
*リビングに戻ると、リーシアがシロウの行動に満足したように頷いていた。*
シロウ:「順番にな、まずは冒険者ギルドの方から。」
*シロウは謁見の希望者たちに会うため、身支度を整え始める。魔王としての威厳を示す豪奢な装束ではなく、動きやすい冒険者のような服装に着替えながら、リーシアに指示を出す。*
リーシア:「かしこまりました。では、冒険者ギルドの代表者を謁見の間へお通しするよう手配いたします。シロウ様、どのようなご算段で?」
*リーシアは手際よく指示を飛ばしながら、シロウの意図を尋ねる。彼女の目には、夫を気遣う妻の顔ではなく、有能な秘書官としての光が宿っていた。この国にまだ存在しない冒険者ギルドが、一体何を求めてきたのか。その交渉の主導権は、間違いなくシロウが握っていた。*




