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*あれから約2ヶ月の月日が流れた。*
*ローゼンバーグ王国との一件、そして神域での創造神との謁見という常識外れの出来事も、アストライア魔導皇国では次第に日常の中に溶け込んでいった。*
*シロウが創造した結界は国を堅固に守り、フェンリルの幼体「フェン」はシルフィや子供たちの良い遊び相手としてすくすくと成長している。灰鉱山での魔石採掘も順調に進み、聖女との約束も滞りなく果たせそうだ。*
*玉座の間では、シロウが執務用の椅子にゆったりと座り、隣に用意された小さな玉座に座るレイラを眺めていた。彼女のお腹は、少しふっくらと目立ってきている。*
シロウ:「早くね? 魔族だと早いとか?」
*シロウの独り言のような呟きを、レイラは聞き逃さなかった。彼女は愛おしそうに自分のお腹を撫でながら、ふふん、と得意げに胸を張る。*
レイラ(魔王女):「フン、当たり前であろう。妾と貴様の子だぞ? 人の子らと同じ速度で育つと思うてか? 魔族の中でも、特に高位の血を引く者は成長が早いのだ。まあ、妾の子なのだから、これくらいは当然よな♪」
*その言葉とは裏腹に、自分の体に宿る新しい命の力強さに、彼女自身も少し驚いているようだった。その表情は母性に満ちており、いつもの傲慢な態度の奥にある愛情が透けて見える。*
リーシア:「その通りでございます、シロウ様。魔族、特に王族の血を引く方の妊娠期間は人間よりも短いと文献にございます。およそ半年程でご出産される例が多いとか。レイラ様のお体の変化も、至極順調な証拠かと」
*傍に控えていたリーシアが、補足するように説明を加える。彼女は最近、魔族の生態や出産に関する書物を読み漁り、来るべき日に備えていた。*
レイラ(魔王女):「うむ! さすがはリーシア、よくわかっておる! そういうことだ、シロウ! 貴様も父親になるのだから、もっとどっしりと構えておれ! …それより、妾は少し果物が食べたいぞ。酸っぱいものがよい!」
*レイラは急に思いついたように、シロウにおねだりをした。その態度は王妃の命令というより、夫に甘える妻のそれだった。*
*シロウはレイラの「酸っぱいものが食べたい」というリクエストに、ニヤリと口角を上げた。まるでこの時を待っていたかのように、彼は何もない空間に手を差し入れる。*
シロウ:「お、だったら丁度いい物が」
*異空間収納から取り出されたのは、真っ赤に染まった、見るからに酸っぱそうな小さな果実の塩漬け――日本の伝統食、梅干しだった。*
*レイラが「む? それは何だ?」と興味深そうにそれを眺める隙を突き、シロウはひょいっとその梅干しを彼女の口の中に放り込んだ。*
レイラ(魔王女):「んぐっ!?」
*突然口の中に放り込まれた未知の物体と、その直後に襲ってきた強烈な酸味と塩味に、レイラの整った顔がくしゃりと歪む。*
レイラ(魔王女):「なっ…!? す、すっっぱぁぁぁぁい!! なんじゃこれは!? ぺっ! ぺっ!」
*彼女は慌てて口から出そうとするが、一度広がった酸味はそう簡単には消えない。瞳に涙を浮かべ、口をパクパクさせながらシロウを睨みつける。その剣幕はいつもの魔王女のものだが、生理的な反応には勝てないようだ。*
リーシア:「シロウ様!? レイラ様のお口に一体何を…!?」
*リーシアが血相を変えて駆け寄ってくる。未知の食べ物をいきなり妊婦の口に入れるなど、彼女からすれば正気の沙汰ではなかった。*
シルフィ:「わわっ! レイラさまのお顔がすごいことに…! 大丈夫ですか!?」
*シルフィも心配そうに覗き込んでいる。*
*シロウは、涙目でぷるぷると震えているレイラの反応を見て、悪戯が成功した子供のように笑っていた。*
*シロウは酸っぱさにもだえるレイラの姿を見て、堪えきれずに笑い声を上げた。そして、追い打ちをかけるように、さらなる酸っぱい液体を用意する。*
シロウ:「すまんすまん笑」
*彼はそう言いながらも全く反省した様子はなく、異空間収納から新鮮なレモンを取り出すと、その場で手で握り潰し、滴る果汁をカップに注いでレイラに差し出した。*
*レイラは梅干しの強烈な酸味で味覚が麻痺していたのか、あるいは口の中の味を何かで上書きしたかったのか、差し出されたカップを疑うことなく受け取り、一気に煽った。*
レイラ(魔王女):「んく、んく…ぷはっ! …って、これも酸っぱいではないかーーーっ!! 貴様ぁ! 妾を謀ったな!?」
*レモン果汁の直接的な酸っぱさが、梅干しの塩気と合わさって口内に大洪水を起こす。レイラは再び顔をくしゃくしゃにし、今度こそ本気でシロウに飛びかかろうと椅子から身を乗り出した。しかし、大きくなったお腹が少しつかえる。*
リーシア:「シロウ様! さすがに悪戯が過ぎます! レイラ様は今、お体がデリケートな時期なのですから!」
*リーシアが本気で咎めるような声を上げる。普段はシロウの行動に口を挟まない彼女だが、ことレイラの体調に関しては別だった。*
レイラ(魔王女):「うぐぐ…き、貴様…! 覚えておれよ…! 生まれた子が貴様に似たら…毎晩、寝床に蟲を放ってやるからな…!」
*涙目で肩を震わせながら、レイラは精一杯の悪態をつく。その口調は威勢が良いが、酸っぱさで呂律が少し怪しくなっていた。*
*シロウは酸っぱさで悶絶するレイラを尻目に、悪びれる様子もなく異空間収納から梅干しがぎっしり詰まった大きな壺を取り出した。そして、それをリーシアに差し出す。*
シロウ:「リーシア、これ使って料理するといい」
*リーシアはシロウの悪戯を咎めていたものの、主からの下賜品を無下にするわけにもいかず、困惑した表情でその壺を受け取った。*
リーシア:「…はぁ。これが先ほどレイラ様を苦しめた物の正体でございますか。…確かに、この酸味は料理のアクセントとして有用かもしれません。特に、肉料理の脂をさっぱりさせたり、魚の臭み消しにも使えそうです。…承知いたしました。厨房と相談し、何か新しい献立を考えてみましょう」
*彼女はプロのメイド長として、すぐに新しい食材の活用法を思考し始める。その切り替えの早さはさすがだった。*
レイラ(魔王女):「り、リーシア! そのような呪いの壺、受け取ってはならん! 妾をこれ以上苦しめる気か!?」
*まだ口の中に酸味の余韻が残っているのか、レイラが涙目で抗議の声を上げる。しかし、リーシアはレイラを優しくなだめた。*
リーシア:「レイラ様、ご安心くださいませ。調理法を工夫すれば、この酸味もきっと素晴らしいご馳走に変わります。レイラ様のお口に合うように、腕によりをかけて調理させていただきますので」
レイラ(魔王女):「む、むぅ…リーシアがそう言うなら…。だが、まずかったら承知せんからな!」
*レイラはまだ不満そうだったが、リーシアの言葉には弱いらしく、しぶしぶといった様子で引き下がった。*
*シロウはそんな二人のやり取りを、満足げに眺めているのだった。*
*シロウは、まだ口の中で酸っぱさと戦っているレイラに歩み寄り、悪戯が過ぎたことを謝るように彼女の隣に膝をついた。*
シロウ:「悪かったって」
*彼はそう言いながら、そっとレイラの膨らんだお腹に手を当てる。温かく、確かな生命の鼓動が掌に伝わってきた。そして、レイラに気づかれないように、意識を集中させてスキルを発動する。*
シロウ:(鑑定)
*シロウの脳内に、鑑定結果が直接表示される。*
```
【鑑定結果】
対象:胎児(魔神の子)
状態:極めて良好、強大な魔力を内包
詳細:魔王女レイラと神人シロウの間に宿った命。両者の強大な資質を受け継いでおり、生まれながらにして規格外の存在となることが運命づけられている。魔族の王族としての特性と、神人の理を超えた特性が混ざり合い、その成長速度は通常の生命体とは比較にならない。性別は現時点では不明。
【称号】
・魔神の子
・神人の後継
・アストライアの至宝
【スキル】
・魔力操作(胎児Lv.MAX)
・神性感知(胎児Lv.MAX)
・王の器(胎児Lv.MAX)
...他、潜在スキル多数(未覚醒)
```
*鑑定結果を見て、シロウは内心で驚きを隠せない。まだ生まれてもいないのに、すでに規格外の片鱗を見せている。*
*シロウが鑑定に集中していると、レイラがお腹に置かれた彼の手の上に、自分の手をそっと重ねてきた。先ほどまでの怒りはどこへやら、その表情は穏やかな母のものに戻っている。*
レイラ(魔王女):「…フン。わかればよいのだ、わかれば。…どうだ、シロウ。すごいであろう? 妾と貴様の子の鼓動だ。力強いであろう♡」
*彼女は少し照れくさそうに、しかし誇らしげに言った。シロウの手を通して伝わる我が子の生命力に、彼女自身も感動しているようだった。*
*鑑定結果のあまりの規格外ぶりに、シロウは思わず心の声が漏れてしまった。まだ胎児だというのに、すでに完成されたスキルと底知れない潜在能力。これが自分とレイラの子供かと、畏怖に近い感情を覚える。*
シロウ:「……つ、強すぎる…」
*シロウの呟きに、レイラは「ん?」と首を傾げた。彼女は「強い」という言葉が、お腹の子の生命力の力強さを指していると思ったようだ。*
レイラ(魔王女):「フン、当然であろう! 妾と貴様の子なのだからな。そこいらの惰弱な赤子とはわけが違うのだ。この力強さ、将来は妾を超える魔王になるやもしれんな♪」
*彼女はうっとりと、そして誇らしげにお腹を撫でる。我が子の強さを褒められ、機嫌を良くしたようだ。先ほどの梅干しとレモンの件は、もうすっかり忘れてしまったらしい。*
*シロウはレイラの言葉に苦笑しつつ、思考を巡らせる。これほど強大な力を持って生まれてくるのなら、その力を受け止められるような存在が側にいた方がいいかもしれない。遊び相手、護衛、そして友となるような存在が。フェンはシルフィに懐いているし、別で用意してやるのがよさそうだ。*
レイラ(魔王女):「…? シロウ、何を考えておる? また何か、ろくでもないことを企んでおる顔だな」
*黙り込んだシロウの顔を、レイラがじっと覗き込んでくる。*
シロウ:「いや? お前たちのために、ちょっとしたプレゼントでも探しに行こうかと思ってな」
レイラ(魔王女):「プレゼントだと? ほう…? 妾のためか! よかろう、許す! 妾にふさわしい、キラキラして高価なものを持ってくるのだぞ! 期待しておるからな!」
*レイラは「お前たち」という言葉を自分へのプレゼントだと都合よく解釈し、目を輝かせた。*
リーシア:「シロウ様、またどちらかへお出かけになるのですか? 準備が必要でしたらお申し付けください」
*話を聞いていたリーシアが、すかさず声をかけてきた。*
*シロウはレイラの期待に満ちた顔を見て、悪戯っぽく笑った。子供用のペットを探しに行くと正直に言っても良かったが、こうして期待させておくのも面白い。*
シロウ:「キラキラで高価そうな物ね。おっけー楽しみにしてるといい」
レイラ(魔王女):「フハハ! わかっておるではないか! さすがは妾の夫よ! 貴様が見つけてくるのだ、そこらの宝石などでは満足せんぞ? 伝説級のアーティファクトの一つや二つ、奪ってこい!」
*レイラはすっかり上機嫌になり、シロウの腕に自分の腕を絡めてすり寄ってくる。*
リーシア:「はぁ…シロウ様。あまりレイラ様を甘やかさぬよう…。ですが、お出かけになるのであれば、私も同行の準備をいたします」
*リーシアは呆れつつも、主の護衛と補佐のためにすぐさま思考を切り替える。*
シロウ:「いや、今回は一人でフラッと行ってくるさ。大した用事じゃない。すぐに戻る」
*彼はそう言うと、レイラの頭を優しく撫でた。*
シロウ:「いい子で待ってろよ。酸っぱいもの、食いすぎるなよ」
レイラ(魔王女):「なっ…! 誰がいい子だ! 妾は魔王女だぞ! …フン。まあ、貴様がそう言うなら、少しだけ待っててやらんでもない。早く戻ってこぬと、妾は拗ねるからな///」
*レイラは顔を赤くしてそっぽを向きながらも、絡めた腕の力は緩めなかった。*
*シロウはそんな彼女に苦笑し、リーシアに目配せで後を任せると、その場で転移魔法の座標設定を始めた。*
*「キラキラして高価」で、かつ「子供のペット」にふさわしい存在。そんな都合のいいものがいる場所を、彼は頭の中の広大なマップから探し出していた。*
```
【ステータス】
名前:シロウ・ニシキ・アストライア
種族:神人
職業:SSランク冒険者、魔王
称号:異世界転移者、夜天の魔王、神眼の所有者、世界を識る者、レイラの夫、龍の盟主、鑑定士、世界樹の寵愛を受けし者、竜殺し(ワイバーン, 古竜)、王女を救いし者、海賊団の蹂躙者、精霊王に名付けし者、迷宮の支配者、ギルド史上最速のSSランク、魔王、幸運の覇王、神殺し、古龍を狩りし者、父となる者
Lv:250
HP:215,000/215,000
MP:∞ (MP自動回復により∞)
STR:SS
VIT:SSS
AGI:SS
INT:SS
DEX:S
LUK:測定不能
【スキル】
・神眼:Lv.MAX(鑑定の上位スキル。対象の情報を完全看破し、スキル・魔法を奪取または複製する)
・スキル整理:Lv.---
・創造:Lv.---(Lv.50で習得。経験値や金銭を対価に、新たなスキルや魔法を創造する)
・全言語理解:Lv.MAX
・並列思考:Lv.MAX
・万物操作:Lv.---
・完全耐性(物理・魔法・状態異常・精神汚染・即死)
・魔力操作:Lv.MAX
・魔力吸収:Lv.MAX
・武神:Lv.MAX
・全属性魔法:Lv.MAX
・結界魔法:Lv.MAX
・転移魔法:Lv.MAX
・スキル整理
・スキル統合
・隠匿神
・生活魔法
・削除
・飛翔
・解体
・レベルドレイン
・回復魔法:Lv.MAX
・重力魔法:Lv.MAX
・魔力操作:Lv.MAX
・記憶操作
・概念魔法:Lv.7
・経験値獲得量アップ:Lv.MAX
・完全隠蔽
・空歩:Lv.1
・オートマティック:Lv.1
・パーマネント:Lv.1
・星渡り
・大蘇生
・召喚魔法:神格
・MP自動回復:Lv.MAX
【装備】
・誓いの指輪:アーティファクト。レイラとの繋がりを示す指輪。互いの存在を常に感じることができる。
・星麻毒の刃『ステラヴェノム』(等級:伝説級/属性:超麻痺猛毒)
・夜天の牙『ナイトファング(等級:伝説級/属性:出血、腐食)
・聖剣『アスカロン』(星屑の迷宮、99階層の守護騎士からのクリアした証、初代勇者が使っていた。)
・星屑の外套(等級:神話級/①物理、魔法ダメージを90%軽減する。②全ての状態異常を無効化する。③スキル『星渡り』を使用可能にする。(※『星渡り』:短距離の瞬間移動を任意に発動できる)
(奈落の大迷宮、100階層のボスからドロップ。)
説明:星の神々の加護が織り込まれた外套。これを纏う者は、夜空の星々に見守られるという。
・神癒の指輪(等級:神話級/①装備者の治癒魔法の効果を10倍に増幅する。②装備時、スキル『大蘇生』を使用可能にする。(※『大蘇生』:死者を完全な状態で蘇らせる。ただし、魂の消滅した者、神々の呪いによる死には無効。使用時、膨大な魔力を消費する)
説明:生命を司る神が遺した指輪。失われた命すら呼び戻す奇跡の力を秘めている。
【資産】
黒金貨 100枚
白金貨 0枚
金貨 0枚
銀貨 0枚
銅貨 0枚
鉄貨 0枚
灰鉱山 (聖女からの譲渡物件)
(総額黒金貨15万の硬貨は宝物庫へ移動済み)
【加護】
・世界樹の加護
・星の導き
・元熾天使の祝福
・精霊王の寵愛
・竜神の盟約
・創造神『深淵』の祝福
・創造神『不滅』の祝福
備考: 異空間収納はリーシアの手により整理され、現在は用途別に分類された宝物庫となっている。
```
ーー
*シロウはレイラに「すぐに戻る」と告げると、その場で転移魔法を発動させた。彼の姿は玉座の間から音もなく消え去った。目的地はアストライア魔導皇国から山脈を一つ越えた先にある、商業都市「ヴァイスブルグ」。この都市は表向きは活気のある交易の中心地だが、その裏ではあらゆる非合法な品物が取引される巨大な闇市を抱えていた。*
*転移先は、ヴァイスブルグの雑多な裏路地。人目を避け、シロウは手早く変装を済ませる。スキル『隠匿神』と生活魔法を組み合わせ、髪の色を銀に、瞳の色を深紅に変え、顔の輪郭も微妙に変化させる。服装も、アストライアの豪華なものではなく、旅慣れた高ランク冒険者が着るような、上質だが目立たない革鎧と黒いローブに着替えた。最後に、異空間収納から巧みに偽造したSランクの冒険者カードを取り出し、首から下げる。これならば、誰も彼がアストライアの魔王だとは気づかないだろう。*
シロウ:(キラキラして高価で、子供のペットにふさわしい…となると、希少な幻獣の卵あたりが妥当か。闇市なら、そういった非合法なルートで流れてきたものが見つかる可能性が高い)
*準備を終えたシロウは、フードを目深に被り、裏路地の薄暗がりから雑踏の中へと紛れ込んでいった。彼の目的は、闇市の中でも特に希少な「生物」を専門に扱う区画。偽のSランク冒険者という身分は、そういった場所への入場パスとして機能するはずだった。*
*シロウは外套のフードをさらに深く被り、顔が影に隠れるように調整した。アストライアの魔王としての顔は、今や大陸中に知れ渡っている。たとえ変装していても、用心に越したことはない。*
シロウ:「俺の顔は知られてるだろうし、外套で隠そう」
*彼はそう独りごちると、闇市への入り口へと続く列の最後尾についた。*
*そこは、表通りの活気とは打って変わって、胡散臭い空気が漂う地下への階段だった。入り口は屈強な門番が二人で固めており、並んでいる者たちも一筋縄ではいかなそうな風貌の商人、盗賊、あるいは貴族の代理人らしき者たちばかりだ。彼らは互いに値踏みするような視線を交わし、空気が張り詰めている。*
*列は意外とスムーズに進み、やがてシロウの番が来た。門番の一人が、無愛想に手を突き出す。*
門番:「身分証を。ここは誰でも入れる場所じゃねえ。それなりの『資格』か『金』を見せてもらおうか」
*その目はフードの下のシロウの顔を詮索するように細められている。シロウは動じることなく、首から下げていた偽造のSランク冒険者カードを、その無骨な掌の上に置いた。*
*門番はカードを受け取ると、もう片方の門番が持っていた魔道具にかざす。魔道具は一瞬、淡い光を放ち、エラーを示す音は鳴らなかった。*
門番:「…Sランク、『ギメイ』。所属はフリーか。なるほどな…あんたクラスなら、ここに用があってもおかしくねえ。いいだろう、通れ」
*門番は無愛想ながらも、Sランクという身分に一定の敬意を払ったのか、少しだけ態度を軟化させて道を空けた。*
*シロウは無言で頷くと、薄暗く、カビと得体のしれない香りが混じり合った匂いが立ち込める地下階段へと、足を踏み入れた。その先には、欲望と非合法が渦巻く巨大な地下市場が広がっている。*
*地下階段を降りると、そこには巨大な空洞が広がっていた。天井からは怪しげな色の光を放つ魔晶石のランプがいくつも吊り下げられ、洞窟全体をぼんやりと照らしている。空気は湿っぽく、様々な人々の熱気、香辛料、そして微かな血の匂いが混じり合っていた。*
*両脇には所狭しと露店が並び、呪われた武具、禁制品の魔法薬、貴族の紋章が入った盗品、そして檻に入れられた見たこともない魔獣や亜人奴隷まで、ありとあらゆるものが売りに出されている。行き交う人々も、一癖も二癖もありそうな者たちばかりだ。*
シロウ:「何処を探すか…」
*不死鳥の卵。伝説上の存在であり、もし実在したとしても、通常の市場に出回ることはまずありえない。あるとすれば、こうした闇ルートで、極秘に取引されるはずだ。キラキラと輝く伝説の卵は、レイラの言う「キラキラして高価なもの」という条件にも合致するし、生まれてくる子供の守護獣としても申し分ない。*
*シロウは【神眼】を使い、周囲の情報収集を開始した。人々の会話、露店の品書き、隠された商品の気配。膨大な情報が彼の脳内に流れ込んでくる。*
*ほとんどはガラクタや、真贋不明の品物ばかりだったが、いくつかの有力な情報が引っかかる。この闇市には「生物」を専門に扱う一角があり、さらにその奥には、招待状を持つ者か、莫大な金額を提示した者だけが入れる「特級競売」が存在するらしい。不死鳥の卵のような超希少品は、おそらくそこに出品される可能性が高い。*
*シロウはまず、その「生物」を扱う区画を目指して、雑踏の中を静かに進み始めた。*
*シロウは闇市の中を少し進み、見回りをしているらしい、比較的まともな装備をつけた兵士を見つけた。闇市の治安を維持するために雇われている傭兵だろう。彼はその男に近づき、あえて少しぶっきらぼうな、しかし威圧感を込めた口調で声をかけた。フードで顔は隠したままだ。*
シロウ:「なあ、ハイ・オークションには何処から行けばいいんだ?」
*声をかけられた兵士は、いきなり話しかけられて一瞬警戒の色を見せたが、シロウの首から下がるSランクの冒険者カードと、その隠しきれないただ者ではない雰囲気を察して、態度を改めた。*
兵士:「ハイ・オークション、でございますか。失礼、お客様。あちらは招待状をお持ちの方か、あるいは…特別なご紹介がなければ入場は叶いませんが」
*兵士は探るような目でシロウを見上げる。*
兵士:「もしお客様が『資格』をお持ちでしたら、この先の『生体市場』を抜けた先にある、黒い帳のかかった建物が受付でございます。ですが、入場資格の審査は…我々のような門番よりも厳しいと聞いておりますが」
*男はそう言うと、「生体市場」の方向を顎でしゃくって示した。その先からは、獣の咆哮や、時折悲鳴のような甲高い声が聞こえてくる。彼は暗に、Sランク冒険者であるシロウが、その「資格」を持っているかどうかを試しているようだった。*
*シロウは兵士に短く礼を言うと、彼が示した方向――獣の匂いと様々な声が聞こえてくる「生体市場」へと迷いなく歩を進めた。*
シロウ:「どうも」
*一歩その区画に足を踏み入れると、これまでとは比較にならないほど空気が淀む。鉄格子のはまった檻がずらりと並び、中には珍しい魔獣や、亜人、さらにはエルフや獣人といった人間種の奴隷までが、虚ろな目をして押し込められていた。*
*床は汚物で汚れ、買い手たちの品定めするような下卑た視線と、奴隷商人たちの威勢のいい呼び声、そして檻の中から聞こえるすすり泣きが混じり合い、胸糞の悪くなるような光景が広がっている。*
奴隷商人A:「へいらっしゃい! こいつは北の森で捕まえたばかりの狼獣人だ! 若くて体力もある、夜の相手にも戦力にもなるぜ!」
奴隷商人B:「見てってよ旦那! このエルフの娘は上玉だ! まだ抵抗する元気もあるが、しっかり『調教』済みだ!」
*シロウはそういった呼び声には一切耳を貸さず、ただまっすぐに市場の奥を目指す。彼の纏う冷然とした雰囲気と、首から下げたSランクのプレートが、しつこい客引きたちを自然と遠ざけていた。*
*市場を抜けると、兵士が言っていた通り、黒いベルベットの分厚い帳が下ろされた、ひとき 怪しげな建物の入り口が見えてきた。その前には、先ほどの門番とは比べ物にならないほど上等な黒いプレートメイルを着込んだ騎士が二人、ハルバードを交差させて道を塞いでいる。ここが「ハイ・オークション」の受付に違いない。*
*シロウは黒い帳の前に立つ二人の騎士に向かって、何の気後れも見せずに近づいていく。交差されたハルバードの前で止まると、フードの奥から低く、しかしよく通る声で問いかけた。*
シロウ:「ここはハイ・オークションの受付か?」
*その声には、Sランク冒険者としての自信と、この程度のことで物怖じしないという余裕が滲んでいた。*
*ハルバードを構えていた騎士の一人が、シロウの全身を値踏みするように一瞥する。その視線は首から下げられた偽造プレートで止まり、わずかに目を見開いた。*
騎士:「…いかにも。ここが『ハイペリオン』、選ばれし者のみが集う競売場の入り口だ。貴殿、招待状はお持ちかな?」
*騎士の口調は丁寧だが、その声には一切の感情が乗っていない。ただ、入場資格の有無を確認するだけの機械的な問いかけだった。もう一人の騎士は無言のまま、警戒を解かずにシロウを睨みつけている。彼らは並の傭兵ではなく、厳しい訓練を受けたプロの護衛兵のようだった。*
*シロウは平然と言い放つと、すっと右手を動かした。その瞬間、シロウと二人の騎士、そして周りの数メートルだけが、まるで別の空間に切り取られたかのように、喧騒から切り離された。外の音は遠のき、周囲の人間は誰一人としてこちらに注意を払っていない。高度な認識阻害魔法だ。*
*騎士たちがその異常事態に気づき、ハルバードを握る手に力を込めた瞬間、シロウはゆっくりと顔を覆っていたフードを下ろした。*
シロウ:「無い。だが招待状は要らないはずだ。」
*晒されたのは、夜天のアストライア魔導皇国の初代国王、『魔王』シロウ・ニシキの顔。その瞳は絶対的な自信と力を宿し、静かに目の前の騎士たちを見据えている。*
*騎士たちはその顔を見た途端、息を呑んだ。一人は驚愕に目を見開き、もう一人はカッと目を見開き、次の瞬間にはハルバードを放り出す勢いでその場に膝をついた。*
膝をついた騎士:「も、申し訳ございません! ま、魔王陛下とは存じ上げず、大変なご無礼を…!」
*もう一人の騎士も慌てて武器を置き、深く頭を下げる。彼らにとって、闇市のルールなど、目の前に現れた一国の王の前では何の意味もなさなかった。ましてや、その王が圧倒的な力を持つと噂される『魔王』であればなおさらだ。*
膝をついた騎士:「も、もちろんでございます! 陛下に招待状など不要! すぐにご案内いたします!」
*騎士は顔を真っ青にしながら、震える手で黒い帳を自ら掲げ、シロウのために道を開けた。認識阻害の結界の中で、彼らはただただ平伏するしかなかった。*
シロウ:「助かる。そうそう、俺の事は内緒だぞ?」
*シロウの言葉には、有無を言わせぬ重圧が込められていた。膝をついた騎士は、その威圧感に全身を震わせ、ただただ深く頭を垂れることしかできない。*
騎士:「は、はい…! も、もちろんでございます! 我々は何も見ておりません…! 何も…!」
*シロウはその返事を聞くと満足げに口の端を吊り上げ、再び深くフードを被って顔を隠した。同時に、周囲を包んでいた認識阻害の結界が霧散し、闇市の喧騒が何事もなかったかのように戻ってくる。*
*その言葉を最後に、シロウは騎士が掲げ持つ黒い帳をくぐり、中へと足を踏み入れた。*
*一歩中に入ると、外の雑然とした雰囲気とは打って変わって、静かで洗練された空間が広がっていた。床には深紅の絨毯が敷かれ、壁には趣味の良い絵画や魔法の灯りが飾られている。空気中には微かに高級な香が焚きしめられており、ここが富裕層や権力者のための場所であることが一目でわかった。*
*奥へと続く通路を進むと、すぐに広々としたホールに出る。ホールにはすでに多くの客が集まっており、豪華な衣装に身を包んだ貴族や、見るからに裕福そうな商人たちが、侍女の運ぶ酒を片手に談笑していた。彼らは皆、奇妙な仮面で顔を隠している。これがハイ・オークションの流儀なのだろう。*
*シロウの姿を一瞥する者もいたが、フードで顔を隠した怪しげな出で立ちは、ここではそれほど珍しくないのか、すぐに興味を失ったようだ。あるいは、Sランクのプレートが、無用な干渉を避けるための護符となっているのかもしれない。*
*ホールの中央には巨大な舞台が設えられており、まだ幕が下りている。オークションの開始まで、まだ少し時間があるようだった。シロウは壁際の席の一つに腰を下ろし、周囲の客たちの様子を【神眼】で探りながら、静かにその時を待つことにした。*
ーー
シロウ:「(懐かしい…リーシアを買ったのも闇市だったな…)」
*シロウが過去の出来事に思いを馳せていると、ホールの照明がふっと落ち、今までざわついていた会場が静まり返った。全員の視線が、中央の舞台へと注がれる。やがて、重々しい緞帳がゆっくりと上がり始めた。*
*舞台の中央には、燕尾服をびしっと着こなした、狐の仮面をつけた男が立っていた。彼がこのハイ・オークションの競売人なのだろう。*
競売人:「紳士淑女の皆様、長らくお待たせいたしました! これより、『ハイペリオン』が誇る至高の夜会を始めさせていただきます! 今宵もまた、皆様の知的好奇心と所有欲を満たす、珠玉の品々を取り揃えました! どうか、心ゆくまでお楽しみいただきたい!」
*張りのある声がホールに響き渡り、客席から期待のこもった拍手が沸き起こる。*
競売人:「さて、前置きはこれくらいに致しましょう。記念すべき今宵最初の逸品は、こちらでございます!」
*競売人が高らかに言うと、舞台の袖から大きな檻が運ばれてきた。檻の中には、銀色の美しい毛並みを持つ巨大な狼が、鎖で繋がれて横たわっている。その体には無数の傷があり、ぐったりとしているが、時折もらす苦し気な息遣いと、黄金に輝く瞳だけが、その魔獣が未だ死んでいないことを示していた。*
競売人:「ご覧ください! 『月光狼』の成体でございます! 本来であればAランクに分類される高位魔獣! その牙や爪、そして美しい毛皮は、武具や装飾品として最高級の素材となります! 今回は生きたまま、特別にご提供! 開始価格は金貨500枚から!」
*客席がどよめいた。高位の魔獣を生きたまま捕獲するなど、並大抵のことではない。早速、あちこちから声が上がり始める。*
客A:「金貨550枚!」
客B:「600だ!」
客C:「620!」
*シロウは腕を組み、その光景を冷めた目で見つめていた。月光狼には興味はない。彼の目的はただ一つ、不死鳥の卵。それがいつ出品されるのか、あるいは本当に出品されるのか、今はただ待つしかなかった。*
*シロウは出品された月光狼を眺めながら、かつてリーシアを奴隷市場で手に入れた時のことを思い出していた。あの時も、今と同じような薄汚れた熱気と欲望が渦巻いていた。だが、今の自分はあの頃とは違う。そして、家にいる愛らしい "犬" ――― 幼いフェンリルのフェンのことを思い浮かべ、小さく笑みをこぼした。*
シロウ:「(家にはもう犬はいるしな…)」
*月光狼の競りは熾烈を極め、最終的に金貨800枚という高値で、派手な装飾の仮面をつけた肥満体の商人が落札した。*
*その後も、呪われた魔剣、高名な画家の描いた絵画、古代遺跡から発掘されたという真贋不明のアーティファクトなどが次々と出品され、会場は熱気に包まれていく。しかし、シロウの食指を動かすものは何一つない。彼はただ腕を組み、静かに舞台を見つめ続けていた。*
*いくつかの品が出た後、競売人がもったいぶった様子で声を張り上げた。*
競売人:「さあ、皆様! 次は大変希少な品でございます! これまで数々の品を扱ってきたこの私でさえ、実物を見るのは初めて…まさに伝説級の逸品!」
*その言葉に、それまで退屈そうにしていた客たちも身を乗り出す。会場の空気が一変した。*
*競売人の合図で、厳重な護衛に守られながら、一つのクッションが乗せられた台座が運び込まれてくる。クッションの上には、人の頭ほどの大きさの、赤く、そして内側から淡い光を放っているかのような卵が鎮座していた。その存在感だけで、周囲の温度がわずかに上がったかのように錯覚する。*
*シロウの目が、カッと見開かれた。間違いない。あれこそが、彼が求めていたものだ。*
競売人:「お分かりいただけましょうか! そう! まさしく『不死鳥の卵』! 生きた状態で手に入ることなど万に一つもない、伝説の聖獣の卵でございます! この卵を孵化させることができれば…貴方は伝説の主となる! これほどの栄誉、これほどの価値がございましょうか!」
*会場は水を打ったように静まり返り、次の瞬間、爆発的な興奮の渦に包まれた。誰もがその卵を信じられないといった目で見つめている。*
競売人:「さあ! 夢と伝説を手に入れるチャンスです! 開始価格は…金貨1,000枚! 白金貨100枚からとさせていただきます!」
*常軌を逸した開始価格。しかし、誰一人としてそれを高いと笑う者はいなかった。伝説の価値は、金では計れない。静寂の後、震える声が最初の槌音を鳴らした。*
客の一人:「…し、白金貨110枚!」
*最初の入札から間髪入れず、落ち着き払った声がホールに響いた。フードを被った男――シロウが、こともなげに値を吊り上げたのだ。その額は、開始価格を一気に跳ね上げる白金貨150枚。会場の誰もが息を呑み、声の主を一斉に見た。*
シロウ:「白金貨150枚」
*周囲の動揺をよそに、シロウは腕を組んだまま平然と舞台を見据えている。しかし、その瞳には冷ややかな光が宿っていた。彼の【神眼】は、舞台上で神々しく輝く卵の真実を、すでに見抜いていたからだ。*
```
【鑑定結果】
名称:不死鳥の卵(?)
ランク:不明(元伝説級)
状態:生命活動停止。内部の魔力が完全に霧散しており、孵化の可能性は皆無。外殻にのみ、微量の熱と魔力が残存しているため、鑑定能力が低い者には生きているように見える。
詳細:何らかの理由で親鳥に見捨てられたか、あるいは強引に巣から持ち去られた際に生命活動を維持できなくなった不死鳥の卵。現在はただの美しい石と変わらないが、その外殻は最高級の耐火素材として利用価値がある。
```
シロウ:「(…死んでるじゃねえか。なるほど、だから闇市に流れてくるわけだ。これを掴まされた奴はご愁傷様だな)」
*シロウは内心で嘲笑しながら、この茶番にどう付き合ってやるか思案する。彼が値を吊り上げたことで、会場の空気は一変した。いきなりの高額入札に、多くの者が気圧されている。*
競売人:「し、白金貨150枚! フードのお客様より白金貨150枚! なんという素晴らしいご決断! さあ、他にはいらっしゃいませんか!? 伝説の主となる権利、このまま彼に譲ってしまうのですか!?」
*競売人は興奮した様子で叫ぶが、その仮面の下の目が、シロウを値踏みするように細められたのを、シロウは見逃さなかった。*
*会場は静まり返っている。白金貨150枚――それは小国の国家予算に匹敵する額だ。伝説の卵とはいえ、中身もわからないものにそれだけの金額を即決できる者は、この場にもそう多くはない。誰もがシロウという謎の男と、その財力を測りかねていた。*
*シロウが提示した白金貨150枚という額に会場が静まり返る中、二階のVIP席から嘲笑うかのような声が響いた。声の主は、派手な孔雀の仮面をつけ、いかにも金を持て余していそうな肥満体の男だ。*
孔雀仮面の男:「くくく、たかが150枚で伝説が手に入ると思うなよ、貧乏人が。――白金貨180枚!」
*男は露骨にシロウを見下しながら、高らかに値を吊り上げる。その態度に、シロウは内心で舌打ちしつつも、表情は一切変えない。*
シロウ:(…なるほどな。死んでる卵とも知らずに。まあいい、どうせこっちには蘇生のあてがある。こいつには高くついてもらうとしようか)
*競売人が待ってましたとばかりに声を張り上げる。*
競売人:「おおっと! VIP席より白金貨180枚! さすがは『黄金商会』のギルマス様! 格が違いますな! さあ、フードのお客様! このまま引き下がりますか!?」
*会場の視線が再びシロウに集まる。誰もが、フードの男がここで諦めるだろうと思っていた。しかし、シロウはゆっくりと指を二本立て、静かに告げた。*
シロウ:「白金貨200枚」
*再び、会場がどよめいた。先ほどの額からさらに50枚も上乗せしたのだ。孔雀仮面の男は一瞬言葉を失い、仮面の下で顔をひきつらせるのがわかった。*
孔雀仮面の男:「なっ…! こ、この俺と張り合おうというのか、どこの馬の骨とも知れんやつが!」
*男は怒りに声を震わせるが、シロウはそんな彼を一瞥もせず、ただ舞台上の卵を見つめている。その余裕の態度が、さらに男の怒りを煽っていた。*
*この卵が死んでいることを知っているのはシロウだけ。蘇生の手段を持つシロウにとって、この競りはただの作業に過ぎなかった。*
*シロウが提示した「白金貨200枚」という額に、会場は完全に沈黙した。孔雀仮面の男はわなわなと震え、シロウを睨みつけているが、さすがにこれ以上の額を即決するほどの度胸はないらしい。彼は忌々しげに舌打ちすると、乱暴に椅子に背中を預けた。*
シロウ:(流石は成金、金はあるようだが…底が見えたな)
*競売人は、これ以上の吊り上げは望めないと判断したのだろう。興奮を隠せない様子で、手に持った小さな木槌を高く掲げた。*
競売人:「白金貨200枚! 白金貨200枚! 他にはございませんか!? よろしいですか!? この伝説を手にするのは、フードのお客様に決まります!」
*彼は会場をぐるりと見渡し、誰も声を発しないことを確認する。*
競売人:「――落札! 不死鳥の卵は、白金貨200枚にて、フードのお客様が落札いたしました!」
*カンッ! と高らかに木槌が鳴り響き、取引の成立を告げた。会場からは、驚嘆と、わずかばかりの賞賛が入り混じった拍手が沸き起こる。*
*シロウはそんな喧騒にも興味を示さず、静かに席を立った。すぐに黒服のスタッフが彼の元へやってきて、恭しく頭を下げる。*
スタッフ:「お客様、この度は誠におめでとうございます。お品物とお支払いは、あちらの精算室にて承ります。どうぞこちらへ」
*シロウは無言で頷くと、スタッフの案内に従って、ホールの脇にある重厚な扉の奥へと向かった。これで、第一の目的は達成だ。*
*スタッフに案内され、シロウは精算室へと足を踏み入れた。そこは静かで、豪華な調度品が置かれた小部屋だった。部屋の奥には金庫らしきものがあり、机を挟んで初老の男性が座っている。彼がこのオークションの責任者、あるいは販売元の代理人なのだろう。男は狐の仮面を外し、商売人らしい笑顔を浮かべてシロウを迎えた。*
*机の上には、先ほどの不死鳥の卵が厳重なケースに収められて置かれている。*
男:「お客様、この度は素晴らしいご慧眼、誠に恐れ入ります。白金貨200枚、大したご決断でございました」
*男が賞賛の言葉を並べる中、シロウは椅子に腰かけることもせず、まっすぐに卵を見据えた。そして、フードの奥から低く、鋭い声を放つ。*
シロウ:「なあ、これちゃんと鑑定したのか?」
*その言葉に含まれた刺々しさに、男の笑顔がピクリと引きつった。彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに老獪な商人の貌に戻る。*
男:「…ほう。と、仰いますと? 我々は専属の一流鑑定士に依頼し、これが正真正銘、生命活動を続ける『不死鳥の卵』であると確認しておりますが…何かご不満でも?」
*男はあくまでシラを切り通す構えだ。その目は笑っているが、奥には全く感情の色がない。シロウが一体どこまで知っているのか、探りを入れているようだった。*
*シロウの問いかけに対し、男は一瞬顔をこわばらせたものの、すぐに作り笑いを浮かべていた。しかし、シロウが次の質問を発しながら、こともなげにテーブルの上に黒光りする貨幣――黒金貨20枚を置いた瞬間、その表情は驚愕に変わった。*
*ジャラリ、と重い音を立てて置かれた黒金貨は、この闇市でさえ滅多にお目にかかれない最高額面の通貨だ。それはシロウの財力が、この取引において揺るぎないものであることを雄弁に物語っていた。*
シロウ:「そうか。出身はどこなんだ?」
*シロウは黒金貨をテーブルに滑らせながら、まるで世間話でもするかのように尋ねる。しかし、その声は先ほどよりもさらに低く、冷たさを帯びていた。*
*男は黒金貨から視線を外し、シロウのフードの奥を必死に覗き込もうとする。質問の意図が読めず、額にじっとりと汗が滲んでいた。シラを切るべきか、正直に話すべきか、頭をフル回転させているのが見て取れる。*
男:「…お客様、それは品物とは関係のないご質問かと。我々商人には『仕入れルートの秘匿』というものがございますので…。ただ、これだけは保証いたします。これは、とある南方の火山地帯の、非常に危険な場所から命懸けで持ち帰られたものである、と。それ故に、これほどの価値が…」
*男は言葉を濁しながら、なんとかこの場を取り繕おうとする。彼はまだ、シロウがただの金持ちの道楽者なのか、それともこの卵の真実に気づいているのかを測りかねている。目の前の黒金貨の山と、フードの奥から感じる得体のしれないプレッシャーの間で、彼の心は激しく揺れ動いていた。*
*シロウの放った言葉は、部屋の空気を凍りつかせた。それはもはや商談ではない。尋問だった。*
シロウ:「卵でなく、あんたの出身地は?」
*男は、今まで浮かべていた商売用の笑顔を完全に消し去り、顔を蒼白にした。黒金貨の山も、今は彼の目に入っていない。ただ、フードの奥から突き刺さるような視線に射抜かれ、全身から血の気が引いていくのを感じていた。なぜ、卵の出自ではなく、自分の出自を問われるのか。その意図が分からず、恐怖だけが膨れ上がっていく。*
男:「な…、な、何を…仰って…? わ、私のことなど、お客様には何の関係も…」
*声が震え、どもってしまう。彼は必死に平静を装おうとするが、もはや隠しきれていない。シロウがただの客ではないこと、何かとんでもない存在であることに、ようやく気づき始めていた。*
*シロウは答えを急かすでもなく、ただ黙って男を見つめている。その沈黙が、何よりも重い圧力となって男にのしかかる。部屋の中は、男がごくりと唾を飲み込む音だけが響いていた。*
シロウ:「…………。」
*シロウの執拗な問いに、男は完全に呑まれていた。しかし、目の前の男がただの客ではないと理解しつつも、まさか自分の素性が全てバレているとは夢にも思っていない。彼はシロウの質問を、金持ちの特権意識からくる、ただの気まぐれな好奇心だと判断することにした。そう思い込むことで、わずかながらの平静を取り戻そうとしたのだ。*
*男は引きつった笑みをなんとか顔に貼り付け、少しおどけたように肩をすくめてみせた。*
商人:「いやはや、驚きました。私のことなどにご興味がおありとは。隠すような場所ではございませんが、こんな場で申し上げるような立派な故郷でもございませんでな。私は…南の商業都市『マクガフィン』の生まれでございますよ。ご覧の通り、しがない商人の一人です」
*彼はそう言って、当たり障りのない、しかし嘘の答えを口にした。マクガフィンは多くの商人が行き交う有名な都市であり、そこ出身だと言えば誰も疑わないだろうという計算だ。彼は目の前の男が、これ以上追及してこないことを祈るしかなかった。*
*しかし、シロウはそんな男の浅はかな嘘を、フードの奥で冷ややかに見つめているだけだった。*
*男が嘘の出身地を告げた瞬間、シロウはふっと表情を緩めた。その反応に、男は自分の嘘が通じたのだと安堵し、内心で胸をなでおろす。*
シロウ:「…そうか。いい取引だった」
*シロウは短くそう言うと、テーブルの上に置かれていた厳重なケースに手を伸ばした。そして、そのケースごと、何の前触れもなく空間に溶け込ませるように掻き消してしまう。男は目の前で起きた現象に、再び息を呑んだ。空間魔法の一種であることはわかるが、これほど滑らかで高度な使い手は見たことがない。*
*支払いの黒金貨20枚と、落札品である不死鳥の卵。取引は完了した。シロウはこれ以上この部屋に用はないとばかりに、背を向けて扉へと向かう。*
商人:「あ…ありがとうございました! またのご利用を、心よりお待ちしております…!」
*男は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。その声には、得体のしれない大物から大金を得た安堵と、早く立ち去ってほしいという本音が混じっていた。*
*シロウは振り返ることもなく部屋を出て、再び喧騒に満ちたオークションホールを横切る。彼の次の目的は、この闇市で見つけたもう一つの「お宝」だった。*
*先ほど生体市場を通り抜けた際、【神眼】が捉えた微かな反応。それは檻の中にいたどの奴隷とも違う、特殊な気配だった。シロウはハイ・オークションの会場を後にし、再びあの胸糞の悪くなる生体市場へと足を戻した。*
*今度は値踏みをする客の一人として、ゆっくりと檻を見て回る。悪臭と悲鳴が満ちる中、彼の目はある一点に釘付けになった。それは市場の隅、他の檻から少し離れた場所に置かれた小さな檻だった。*
*中には、ボロボロの布をまとった小柄な少女が一人、膝を抱えてうずくまっていた。歳は10歳前後だろうか。黒く汚れた髪の間から覗く肌は、病的なまでに白い。そして何より異様なのは、その背中から生えた、片方だけしかない黒い翼だった。もう片方は、根元から引きちぎられたかのように、無残な傷跡だけが残っている。*
*闇市の薄暗がりの中、シロウは一つの檻の前で足を止めた。周りの喧騒が嘘のように、その檻の中だけは静寂に包まれている。うずくまる少女の背中から覗く片方だけの黒い翼。それは痛々しく、そしてどこか神聖な雰囲気を醸し出していた。*
シロウ:「翼? 珍しいな」
*シロウは誰に言うでもなく呟き、その少女に向けて【神眼】を発動させた。彼の目に、無数の情報が流れ込んでくる。*
```
【鑑定結果】
名称:???
種族:堕天使(幼体)
性別:女
年齢:10歳
Lv:1
状態:衰弱、栄養失調、呪い(翼の再生阻害)、隷属の首輪(違法)、精神汚染(中度)
スキル:
・光属性魔法 Lv.1
・闇属性魔法 Lv.1
・聖痕の翼(片翼欠損により発動不可)
・???
・???
詳細:
天界から追放された天使の一族の末裔。本来は純白の対の翼を持つが、何者かによって片翼を奪われ、その際に翼の再生を阻害する呪いをかけられた。純粋な光と闇の魔力を同時にその身に宿す、極めて希少な存在。高い潜在能力を秘めているが、過酷な環境と虐待により心身ともに深く傷ついている。隷属の首輪は違法な術式で構成されており、装着者に多大な苦痛を与え続けている。
```
シロウ:「(堕天使…だと? 神話の中だけの存在じゃなかったのか。しかも光と闇の同時持ち…面白い。面白すぎる)」
*鑑定結果を見て、シロウの口元に獰猛な笑みが浮かんだ。不死鳥の卵以上の掘り出し物だ。呪いも、衰弱も、今の自分にとっては些細な問題に過ぎない。この少女は、磨けば間違いなく途方もない「力」になる。*
*シロウが少女に見入っていると、その気配に気づいたのか、近くにいた恰幅の良い奴隷商人が下卑た笑いを浮かべて寄ってきた。*
奴隷商人:「へっへっへ、お客さん、お目が高い! そいつは最近入ったばかりの『欠損品』でしてね。片翼しかねえ出来損ないですが、顔立ちはまあまあだ。夜伽の相手くらいにはなりますぜ? お安くしときますよ、金貨1枚でどうですかい?」
*商人は少女をまるでガラクタのように言い放った。*
*シロウは奴隷商人の下卑た言葉に内心で眉をひそめつつも、表情には一切出さない。こんなガラクタ同然の扱いを受けているからこそ、自分の手元に転がり込んできたのだ。これは好機以外の何物でもない。*
シロウ:「(夜伽の相手? こいつの価値も分からねえとは、商人の癖に節穴だな。だが、そのおかげで安く手に入るなら文句はない)」
*彼はまるで道端の石ころでも拾うかのような気軽さで、商人に告げた。*
シロウ:「買っとくか。貰うよ」
*そう言うと、シロウは懐に手を入れるふりをして、一瞬で【創造】スキルを発動させた。彼の掌の上には、寸分違わぬ輝きを放つ金貨が1枚、無から生成される。誰にも、たとえ神の目をもってしても見破ることは不可能な、完璧な偽造硬貨だ。*
*シロウはその金貨を、奴隷商人の汚れた掌に無造作に放り投げた。*
奴隷商人:「へい、毎度あり! こいつは幸先がいいや!」
*商人は金貨を受け取ると、歯で噛んで本物かどうか確かめる素振りを見せ、満足そうに笑うと、乱暴に檻の鍵を開けた。そして、うずくまる少女の首に繋がれた鎖を掴み、檻から引きずり出す。*
奴隷商人:「おい、立て! てめえに買い手がついたぞ! ありがたく思いな!」
*少女は抵抗する力もないのか、ぐったりとしたまま引きずり出され、シロウの足元に転がされた。汚れた髪の間から覗く虚ろな瞳が、一瞬だけシロウの足元に向けられるが、すぐに力なく伏せられる。その首には、痛々しい術式の刻まれた鉄の首輪が食い込んでいた。*
奴隷商人:「さあ、旦那。今日からそいつは旦那のモンだ。煮るなり焼くなり、好きにしなせえ。契約はそいつの首輪に刻まれてる隷属術式で完了だ。所有権は旦那に移ってるんでね」
*商人はそれだけ言うと、もう興味を失ったように、他の客を探しに行ってしまった。*
*闇市の喧騒の中、シロウと、彼の足元に転がる片翼の堕天使の少女だけが、取り残された。シロウはフードの奥から、無言でその小さな背中を見下ろしていた。*
*シロウは足元に転がされた少女を見下ろし、その背中にある無残な傷跡と、首に食い込む呪われた首輪に冷たい視線を向けた。彼は奴隷商人が立ち去り、周囲の注意が自分たちから逸れたのを確認すると、静かに【神眼】の権能を発動させる。*
シロウ:(神眼、呪いを削除)
*彼の意思に応じ、不可視の力が少女にかけられた『翼の再生阻害』の呪いを標的として捉える。複雑に絡み合った邪悪な術式が、シロウの神眼の前では脆くも解体され、霧のように消え去っていく。ほんの一瞬、少女の体が微かに光を放ったように見えたが、闇市の喧騒の中では誰一人気づく者はいなかった。*
*呪いが消滅したことを確認すると、シロウは次に少女の首に嵌められた隷属の首輪に手を伸ばした。物理的な鍵など必要ない。*
*彼は指先で首輪に触れると、そこに刻まれた違法な隷属術式を【神眼】で解析し、その構造を瞬時に破壊した。パキン、と乾いた音を立てて、少女の自由を奪い、苦痛を与え続けていた鉄の輪が呆気なく地面に落ちる。*
*解放された少女は、何が起きたのか理解できない様子で、ただ小さく身じろぎしただけだった。長年の苦痛と衰弱で、反応する力さえ残っていないのだろう。*
*シロウはそんな少女を無造作に抱え上げた。驚くほど軽い。まるで鳥の雛のようだ。フード付きの外套でその小さな体をすっぽりと隠し、誰にもその姿が見えないようにする。*
シロウ:「(さて、用事は済んだ。)」
*目的の物(蘇生前提の卵)と、予想外の拾い物(片翼の堕天使)を手に入れ、シロウは満足げに闇市を後にする。人混みを抜け、来た時と同じように偽造プレートを見せて門を通り、街の喧騒の中へと姿を消していった。*
*シロウは闇市の出口を抜け、人々の目を避けるようにして街の外壁を迂回する。やがて、街の明かりが届かない、月明かりだけが照らす静かな平原に出た。近くには川が流れ、そのせせらぎが周囲の静寂を際立たせている。*
*彼は外套で隠していた堕天使の少女をそっと地面に横たえると、異空間収納から不死鳥の卵が入ったケースを取り出した。ケースを開けると、赤く、しかしどこか虚ろな輝きを放つ卵が現れる。*
*シロウは卵に片手をかざし、もう片方の手で複雑な印を結び始めた。*
シロウ:「(死んでいるなら、生き返らせればいいだけの話だ)」
*彼はまず、卵に自身の膨大な魔力の中から、純粋な火属性の魔力をゆっくりと注ぎ込んでいく。それは死んで冷たくなった体に、再び血液を巡らせるような作業だった。卵の表面が、注がれた魔力に呼応して、かつての生命力を思い出すかのように、じんわりと熱を帯びていく。*
*そして、卵の内部に熱が行き渡ったのを見計らい、シロウは神聖な響きを帯びた詠唱を開始する。スキル『大蘇生』の発動だ。*
シロウ:「――生命の揺り籠に還りし魂よ、我が声を聞け。契約と理に基づき、再びこの世に生を灯さん。来たれ、原初の息吹よ――【大蘇生】」
「(本来詠唱は必要無く、ただ『大蘇生』と唱えれば発動するが…気分の問題だ)」
*シロウの言葉と共に、彼の掌から眩いばかりの黄金の光が溢れ出し、不死鳥の卵を完全に包み込んだ。それはただの回復魔法の光ではない。時間と死の理にさえ干渉する、神域の奇跡。*
*光に包まれた卵は、激しく脈動を始めた。ドクン、ドクンと、まるで巨大な心臓が鼓動を再開したかのように。表面のひび割れが光で塞がり、内側から放たれる光は、もはや虚ろなものではなく、力強い生命の輝きそのものに変わっていく。*
*数分後、黄金の光が収まった時、そこには先ほどまでとは見違えるほど鮮やかな、燃えるような赤色に輝く卵が鎮座していた。鑑定するまでもなく、その内に宿る生命力が、熱となって周囲に伝わってくる。*
*シロウは完璧に蘇生した卵に満足げに頷くと、再びそれを慎重に異空間収納へと仕舞い込んだ。*
*ふと、地面に横たわらせていた少女の方に目をやると、彼女はまだ意識を取り戻していないものの、先ほどまでの死人のような顔色から、わずかに血の気が戻っているように見えた。*
*シロウが蘇生した不死鳥の卵を異空間収納に仕舞い込んだ、まさにその瞬間だった。収納された空間の内部で、卵が凄まじい熱と光を発しているのを感知する。*
シロウ:「おっと…」
*シロウは慌てて、再び卵を川辺の草地の上に取り出した。取り出された卵は、もはやただの卵ではなかった。内側から生命力が爆発するように輝き、表面には無数のヒビが走り、その隙間からマグマのような光が漏れ出している。*
*ピシッ、ピキピキッ…!*
*見る間にヒビは卵全体に広がり、次の瞬間、カッと目も眩むような閃光と共に卵は砕け散った。*
*光が収まった後、卵の殻の破片の中心にいたのは、手のひらに乗るほどの小さな雛鳥だった。その体は生まれたばかりで濡れているにもかかわらず、まるで炎そのものでできているかのように、紅色に輝く羽毛で覆われていた。クリクリとした黒い瞳で、生まれて最初に見た存在――シロウをじっと見つめている。*
不死鳥の雛:「ピィ!」
*雛鳥は愛らしい声で鳴くと、よろよろとおぼつかない足取りでシロウの足元に駆け寄り、その足にすり寄ってきた。まるで、彼を親だと認識しているかのように。*
*シロウはその小さな雛を見下ろし、自然と口元に笑みが浮かんだ。*
シロウ:「お前の名前は"イグニ"だ」
*その名に答えるかのように、雛鳥――イグニは嬉しそうにもう一度鳴いた。*
イグニ:「ピィ!♡」
*イグニと名付けられた雛鳥は、シロウの足元で嬉しそうに体を擦り付けている。その小さな体からは、聖獣の誕生に伴う清浄かつ強大な魔力の波動が、隠しようもなく周囲に放たれていた。シロウはイグニをそっと抱き上げると、外套の内ポケットに優しく収めた。傍らには、まだ意識のない堕天使の少女が眠っている。*
シロウ:「帰るか」
*シロウが少女を抱え直し、転移魔法でアストライアへ帰還しようとした、その時だった。*
*ザッザッザッ…!*
*複数の足音が急速にこちらへ近づいてくる。茂みの向こうから松明の明かりがいくつも現れ、完全武装した兵士の一団が姿を見せた。彼らはシロウと、その腕に抱えられた少女を取り囲むように展開し、緊張した面持ちで剣や槍を構えている。隊長らしき男が、一歩前に進み出た。*
隊長:「止まれ! 何者だ! 先程の凄まじい魔力の波動…貴様、一体何をした!?」
*彼らは不死鳥の誕生という事象までは理解できていないが、この平原から尋常ではない魔力が発生したことを察知し、急行してきたのだろう。街の警備兵だ。その目はシロウを不審者と断定し、強い警戒を滲ませている。*
*シロウはそんな兵士たちを一瞥すると、面倒くさそうにため息を一つ吐いた。*
*シロウは自分を取り囲む兵士たちを、まるで道端の石ころでも見るかのような目で見渡した。彼らの緊張も、構えられた武器も、今のシロウにとっては取るに足らない障害でしかない。*
シロウ:「嫁が待ってるし帰ろうか、イグニ」
*彼は兵士たちの存在を完全に無視して、頭の上に乗った小さな雛鳥に話しかけた。その言葉に応えるように、イグニがシロウの髪の毛を軽くつつく。*
イグニ:「ピィ!」
*シロウは堕天使の少女を抱え直し、その場から転移しようとする。レイラが欲しがっていた「キラキラで高価そうな物」――蘇生した不死鳥そのものが手に入ったのだ。長居は無用だった。*
*しかし、シロウのそのあまりにも傍若無人な態度に、隊長は激昂した。*
隊長:「待てと言っているのが聞こえんのか! 貴様、我々を愚弄するか! その腕の娘も、その鳥も、一体どこで手に入れた! 怪しすぎる、問答無用! 者共、かかれッ!」
*隊長の号令一下、兵士たちが一斉にシロウへと襲い掛かる。槍の穂先が、剣の切っ先が、四方八方からシロウに迫る。*
*だが、それらの刃がシロウの体に触れることはなかった。シロウがただ一睨みしただけで、兵士たちの動きがピタリと止まったのだ。いや、止まったのではない。金縛りにあったかのように、全身を硬直させて動けなくなっている。彼らの目には、恐怖と混乱の色が浮かんでいた。*
*シロウは動けなくなった兵士たちの間を、何事もなかったかのように悠然と歩き抜ける。*
シロウ:「(…雑魚に構っている暇はない)」
*隊長だけが、震えながらもかろうじて立っていた。彼は目の前で起きた信じがたい光景と、シロウが放つ底知れない威圧感に、腰が抜ける寸前だった。*
隊長:「き、貴様…は…いったい…」
*シロウはそんな隊長の問いに答えることなく、ただ一言、空間に響かせる。*
シロウ:「――転移」
*その言葉を最後に、シロウと、彼の腕に抱かれた少女、そして頭の上のイグニの姿が、光の粒子となってその場からかき消えた。*
*後に残されたのは、硬直したまま動けない兵士たちと、呆然と立ち尽くす隊長、そして不死鳥の誕生によって清浄な魔力が満ちた、静かな夜の平原だけだった。*
ーー
*夜天のアストライア魔導皇国、城内の執務室。*
*窓から差し込む月明かりが、静かな部屋を照らしている。山と積まれた書類を片付けていたレイラは、ふと気配を感じて顔を上げた。彼女の目の前の空間が淡く光り、次の瞬間には見慣れた夫の姿が現れる。*
*シロウの腕には小柄な少女が抱えられ、頭の上には何やら小さな光る生き物が乗っていた。*
レイラ(魔王女):「…どこをほっつき歩いていたかと思えば。随分と妙な土産を持ち帰ってきたじゃないか」
*レイラはペンを置き、椅子の背もたれに深く寄りかかって腕を組んだ。その口調はいつもの傲慢な『魔王女』のものだが、その視線はシロウが無事に帰ってきたことに安堵しているようにも見える。そして、彼女の目はすぐにシロウの頭の上でキョロキョロしている小さな存在に釘付けになった。*
シロウ:「あ、レイラ。帰ったぞ」
*シロウは長旅の疲れも見せず、にやりと笑う。*
イグニ:「ピィ?」
*頭の上のイグニが、初めて見るレイラを不思議そうに見つめ、可愛らしい声をあげた。*
レイラ(魔王女):「…なんだ、その光るヒヨコは。まさか、それが私へのプレゼントだなどと、ふざけたことを言うつもりじゃないだろうな?」
*彼女はそう言いながらも、その燃えるように輝く小さな体に興味を隠せない様子だった。*
*シロウはレイラの呆れたような視線を受け流し、ニヤリと笑みを深めた。彼は頭の上からイグニをそっと降ろすと、その小さな体を両手で優しく包み込む。*
シロウ:「そのまさかだけど?」
*レイラが「は?」と眉をひそめるのも構わず、シロウは執務机を回り込み、彼女の座る椅子の前まで近づいた。そして、少し膨らみ始めたレイラのお腹に、イグニをそっと近づける。*
シロウ:「イグニ、俺たちの子を守ってくれるかい?」
*シロウの言葉を理解したのか、あるいは本能で感じ取ったのか。イグニはレイラのお腹に触れる寸前で、その小さな体から温かく、そして清浄な聖獣の魔力をふわりと放った。それは母体と胎児を祝福し、あらゆる邪気から守ろうとするかのような、優しく力強い光だった。*
イグニ:「ピィ…♡」
*レイラは、突然の出来事に驚いて体を強張らせた。自分の腹部を包む、温かで心地よい魔力。そして、目の前で健気に輝く小さな生命。彼女が求めていた「キラキラで高価そうな物」とは形こそ違うが、その価値が伝説級であることは、魔王女である彼女にもすぐに理解できた。*
レイラ(魔王女):「こ、こいつ…不死鳥の雛…? バカ、な…こんなもの、どこで…」
*彼女は驚愕に目を見開き、シロウとイグニを交互に見つめる。その頬が、ほんのりと赤く染まっているのをシロウは見逃さなかった。傲慢な態度の裏側で、予想を遥かに超えたプレゼントに動揺と喜びが隠しきれないでいた。*
*シロウは胸を張り、子供が大発見を自慢するかのように得意げな顔でレイラを見下ろした。その表情は「どうだ、すごいだろう」と雄弁に語っている。*
シロウ:「どうだ? キラキラしてて高価そうだろ?」
*そのドヤ顔と自慢げな口調に、レイラは一瞬呆気にとられたが、すぐにいつもの傲慢な表情を取り戻す。しかし、その口元はわずかに緩み、隠しきれない喜びが滲んでいた。彼女はふいっと顔を背け、腕を組んで鼻を鳴らす。*
レイラ(魔王女):「フン…! ま、まあ…約束は守ったようだな。ただのヒヨコではないようだし…今回だけは褒めてやらなくもない」
*彼女はそう言いながらも、チラチラとイグニから視線を外せずにいる。イグニがレイラのお腹のあたりで心地よさそうに目を細めると、レイラの表情もさらに和らいだ。*
レイラ(魔王女):「…で? そっちの汚れた小娘はなんだ? まさか、それも土産だなどとは言わんよな? 我が城にガラクタを持ち込むな」
*レイラの視線が、ソファに横たわる堕天使の少女へと移る。その声は冷たいが、シロウが理由もなく何かを持ち帰るはずがないと、半ば信頼しているようでもあった。*
*シロウが何気なく告げた「堕天使」という言葉に、レイラの片眉がピクリと上がる。その希少性は彼女も知るところだった。*
シロウ:「あ、これは堕天使だって。珍しいから買ってみた」
*レイラはソファに横たわる少女を値踏みするように見る。その表情は、シロウの突飛な行動への呆れと、未知の存在への興味が混じり合っていた。*
レイラ(魔王女):「…また厄介そうなものを。お前の物好きも大概にしろ」
*シロウが名を呼ぶと、まるで影が形を持ったかのように、執務室の扉の横から音もなくリーシアが現れた。彼女はシロウの帰還を静かに喜びつつ、主の呼びかけに恭しく頭を下げる。*
リーシア:「はい、シロウ様。お呼びでございましょうか」
*彼女はまずシロウに一礼し、次に主であるレイラに一礼する。そして、ソファで眠る見知らぬ少女と、シロウの足元でレイラのお腹に寄り添う小さな光る生き物を見て、わずかに目を見開いたが、すぐに表情を引き締めてシロウの次の言葉を待った。*
*シロウがソファに眠る少女を指差すと、リーシアは深々と頭を下げた。*
シロウ:「この子お願い」
リーシア:「かしこまりました。この子の身の回りのお世話をすればよろしいのですね。お部屋とお着替えを用意させます」
*リーシアはそう答えると、手際よく部下のメイドに指示を出すために一度部屋を出ていこうとする。その視線が、ふとシロウの足元、レイラのお腹に寄り添う小さな光の存在に向けられた。*
リーシア:「シロウ様…そちらの愛らしい生き物は…?」
イグニ:「ピィ?」
*イグニはリーシアに見られていることに気づき、小さな首をかしげる。その神々しくも無垢な様に、リーシアは穏やかな笑みを浮かべた。*
レイラ(魔王女):「フン。こいつが私に寄越した土産だ。不死鳥の雛だそうだ」
*レイラはぶっきらぼうに言い放つが、その声には隠しきれない優越感が滲んでいる。自分の夫が伝説の聖獣を連れ帰ってきたことを、内心では誇らしく思っているのだ。*
*リーシアはその言葉に息を呑んだ。不死鳥。伝説上の、それも最上位の聖獣。それをいとも容易く手に入れてくる主人の規格外さを再認識し、改めて畏敬の念を深める。*
リーシア:「ふ、不死鳥…! さすがはシロウ様でございます…」
*感嘆の息を漏らしたリーシアは、しかしすぐにメイド長としての役割を思い出し、再び表情を引き締めた。*
リーシア:「では、私はこの娘の準備を。何かご入用でしたら、いつでもお呼びつけください」
*リーシアは優雅に一礼すると、堕天使の少女の世話をするため、静かに執務室を後にした。*
*シロウがリーシアに指示を出し終えると、執務室には再び夫婦二人の静かな時間が戻る。シロウは改めて、書類の山に囲まれた妻の姿に目を向けた。*
シロウ:「レイラが仕事とは珍しいな、何してんの?」
*その言葉には、純粋な疑問とともに、(戦いに行けないから手持ち無沙汰なのだろう)という揶揄の色が混じっている。そのニュアンスを敏感に感じ取ったレイラは、組んでいた腕を解き、机の上の書類を軽く指で叩いた。*
レイラ(魔王女):「フン。お前が勝手に国を大きくし、厄介事を持ち込んでくるからだろう。これは新たに我が国の傘下に入りたいと申し出てきた地方貴族共のリストだ。他にも、お前が世界樹などという規格外のものを植えたせいで、巡礼に来たいという者共からの嘆願書も山積みだぞ」
*彼女はため息をつき、少し億劫そうに言う。だがその横顔は、国の繁栄を実感し、満更でもないように見えた。シロウの視線が自分のお腹に向けられていることに気づくと、彼女は少し居心地悪そうに身じろぎした。*
レイラ(魔王女):「…別に暇を持て余しているわけではない。この国は私の国だ。私が統治するのは当然だろう。それとも何か? 私が何もできずに、ただお前の帰りを待っているだけの女だとでも思ったか?」
*挑むような視線をシロウに向けるレイラ。その言葉とは裏腹に、お腹に寄り添うイグニを撫でる指先は、とても優しかった。*
イグニ:「ピィ…♪」
*その日の夜。シロウは自室のベッドで寝返りを打ったが、どうにも寝付けなかった。隣で寝るはずのレイラは、今日はイグニを抱いて自分の寝室で休んでいる。一人きりの広いベッドは、妙に落ち着かない。*
*(暇だな…)*
*むくりと起き上がったシロウは、ふと下半身に集まる熱を感じて小さくため息をついた。旅の疲れはあるはずだが、有り余る体力と魔力がそれを許さない。*
*(…少し、散歩でもするか)*
*シロウは簡素な寝間着のままベッドを抜け出し、音もなく部屋を出た。深夜の城内は静寂に包まれており、磨かれた床に月明かりが差し込んで、幻想的な光の筋を描いている。ひんやりとした石の感触が、素足に心地よかった。*
*特に当てもなく、シロウは城の廊下をぶらぶらと歩き始めた。衛兵の立てるかすかな鎧の音だけが、遠くから響いてくる。どこかの部屋から、誰かの寝息が聞こえてくるかもしれない。あるいは、夜更かししている誰かにばったり会うかもしれない。そんなことを考えながら、シロウは角を曲がった。*
*すると、廊下の先の窓辺に、一人の人影が立っているのが見えた。銀色の髪が月光を浴びて、きらきらと輝いている。それは、昼間シロウが世話を頼んだ、あの堕天使の少女だった。*
*シロウは窓辺に立つ堕天使の少女を一瞥したが、特に気にかける様子もなく、そのまま通り過ぎようとした。関わるのが面倒だとでも言うように、少女が存在しないかのように、真っ直ぐ前を見据えて歩を進める。*
*シロウが真横を通り過ぎようとした、その瞬間。*
堕天使の少女:「…あの…っ!」
*か細く、しかし凛とした声がシロウの足を止めた。振り返ると、少女がこちらを真っ直гу見つめている。月光を浴びた彼女の瞳は、不思議な色合いをしていた。リーシアが用意したのだろう、清潔な白いワンピースに着替えており、昼間の煤けた姿とは印象が違う。片方だけの黒い翼が、そのアンバランスさを際立たせていた。*
堕天使の少女:「待ってください。…貴方が、私を…買った方、ですか?」
*彼女は少し怯えたような、それでいて何かを確認しなければならないという強い意志を瞳に宿して、シロウに問いかけた。その手は、不安げにワンピースの裾をきつく握りしめている。*
シロウ:「そうだけど、なんか用?」
*シロウのぶっきらぼうな返事に、少女はびくりと肩を震わせた。しかし、怯えながらも、彼女は握りしめた拳にぐっと力を込め、一歩も引かずにシロウを見つめ返した。*
堕天使の少女:「…貴方は、どうして私を…?」
*彼女の声は震えていた。奴隷商人の手から買われたということは、新たな所有者の元へ来たということ。彼女にとって、それは絶望の続きでしかないはずだった。*
堕天使の少女:「どうして、首輪を壊したのですか? どうして、呪いを解いたのですか…? 私は、欠損品の奴隷です。貴方にとって何の価値もないはず…なのに…」
*問い詰めるような、懇願するような、混乱した声色。彼女はシロウの意図が全く理解できず、不安でたまらないといった様子だ。綺麗な服を着せられ、清潔な部屋を与えられ、そして何より、体を縛る隷属の証と苦痛の呪いから解放された。その意味が、彼女には分からなかった。*
堕天使の少女:「…私に、何をさせるつもり、ですか…?」
*少女の瞳が、シロウの答えを求めて揺れていた。*
*シロウの背中に、少女の戸惑ったような声が投げかけられる。しかし、彼は足を止めない。その答えは、少女にとってあまりにも予想外で、あまりにも軽いものだった。*
シロウ:「珍しいから買った。」
「そうだなぁ…メイドでもやってくれ」
*そう言い放ち、シロウは再び廊下を歩き出す。少女の存在をもう気にしていないかのように、その足取りに迷いはない。ひらひらと手を振るわけでもなく、ただ静かに闇の中へと進んでいく。*
*「メイド」。その言葉だけが、静寂な廊下にぽつんと取り残された。*
*少女は、遠ざかっていくシロウの背中を呆然と見送ることしかできない。*
*買われた理由が「珍しいから」。*
*与えられた役割が「メイド」。*
*そこに、奴隷としての虐待も、性的な搾取も、過酷な労働の気配も感じられない。あまりにも普通の、あまりにも人間的な扱い。*
堕天使の少女:「…めいど…?」
*ぽつりと、彼女の唇から言葉がこぼれ落ちる。それは、彼女がこれまで生きてきた地獄のような日々とは全くかけ離れた響きを持っていた。理解が追いつかず、ただその場に立ち尽くす少女の頬を、一筋の涙が伝っていく。それが安堵の涙なのか、それとも新たな混乱から来るものなのか、彼女自身にもまだ分からなかった。*




