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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*そして、戦いから五日後の昼下がり。執務室で報告書に目を通していたシロウのもとに、メイド長のリーシアが慌てた様子でやってきた。*


リーシア:「シロウ様、大変です! 正門に、聖光教国からの使者を名乗る者たちが…!」


シロウ:「え? 謁見?」


*シロウが眉をひそめて聞き返すと、リーシアは緊張した面持ちで頷いた。*


リーシア:「は、はい…。『魔王シロウ陛下に、我らが新たな指導者よりの親書をお届けに参りました』と…。武器は携行しておらず、敵意はないように見えますが…いかがいたしますか?」


*隣のソファで優雅にお茶を飲んでいたレイラ(魔王女)が、面白そうにカップを置いた。*


レイラ(魔王女):「ほう、聖光教国とな? 教皇王が死に、神にまで喧嘩を売った我々に、一体何の用だ? 見せしめに首を刎ねて送り返してやってもよいのだがな」


*彼女の物騒な言葉にリーシアがびくりと肩を震わせる。*

*シロウの影の中から、ルミナが顔だけを覗かせた。*


ルミナ:「…殺すの? めんどくさい」


*三者三様の反応の中、シロウはペンを置き、椅子の背にもたれかかった。*


*シロウの執務室。物騒なことを言い出すレイラとルミナを、シロウはやれやれといった様子で制した。*


シロウ:「いちいち殺すな、話がややこしくなるだろ…」


*彼はメイド長のリーシアに向き直る。*


シロウ:「通してくれ」


*その言葉に、リーシアは安堵したように胸をなでおろし、深々と一礼した。*


リーシア:「かしこまりました。すぐに謁見の間にご案内いたします」


*リーシアが退出していくのを見送ると、ソファに座っていたレイラ(魔王女)が不満げに頬を膨らませた。*


レイラ(魔王女):「ちぇっ、つまらんな。てっきり、泣いて命乞いをする様を見られると思ったものを」


*彼女は言いながらも、立ち上がってシロウの隣に寄り添う。謁見に同席する気満々のようだ。*


ルミナ:「…お話、長いのかな。つまらなかったら、勝手に殺していい?」


*シロウの影の中から、ルミナがそんなことを呟く。シロウは彼女の頭があるあたりをポンと軽く叩いた。*


シロウ:「だめだ。大人しくしてろ」


ルミナ:「…はぁい」


*不承不承といった感じの返事が返ってくる。*

*やがて、準備が整ったのか、別のメイドが執務室の扉をノックし、謁見の間への準備ができたことを告げた。シロウはレイラと、影に潜むルミナを伴って、玉座が置かれた広間へと向かう。*


---

*謁見の間。*

*玉座にシロウが腰を下ろし、その隣には后としてレイラが立つ。ルミナは変わらずシロウの影の中だ。やがて、重々しい扉が開き、使者の一行が入場してきた。*

*先頭に立つのは、意外にも若い女性だった。清廉な白い神官服に身を包み、緊張で顔はこわばっているが、その瞳には強い意志の光が宿っている。彼女の後ろには、数名の文官らしき男たちが神妙な顔で控えていた。彼らは玉座の前に進み出ると、深々と頭を下げた。*


使者の女性:「――この度、謁見の栄を賜り、心より感謝申し上げます。夜天のアストライア魔導皇国、魔王シロウ陛下」


*代表の女性が、震えながらも凛とした声で口上を述べた。*


使者の女性:「私は、聖光教国、臨時代表枢機卿を務めさせていただいております、セレスティーナ・クォーツと申します。本日は、我々の新たな指導者からの親書を携え、陛下との和平を願い、参上いたしました」


*彼女はそう言うと、傍らの文官が捧げ持っていた、美しい装飾の施された箱を恭しく受け取り、シロウの前に進み出て膝をついた。そして、その箱を高く掲げる。*


*玉座にふんぞり返ったまま、シロウは使者たちの言葉を鼻で笑った。彼の冷ややかな声が、静まり返った謁見の間に響き渡る。*


シロウ:「勝手に敵対して、勝手に宣戦布告しておいて、和平…とは傑作だな」


*その言葉には、侮蔑と嘲りが色濃く含まれていた。シロウの言葉の圧力に、使者として進み出たセレスティーナはびくりと肩を震わせ、顔を青ざめさせる。しかし、彼女はぐっと唇を噛みしめると、膝をついたまま、さらに深く頭を下げた。*


セレスティーナ:「…っ! まことに、お言葉もございません…。これまでの我ら聖光教国の非礼、そして愚かな行いの全ては、前教皇王グレゴリウスの独善と、彼を唆した女神ルミナスティアの邪な意志によるもの。我々は、もはや彼の国ではありません。新たな国として生まれ変わるべく、陛下の寛大なるご慈悲を乞いに参った次第にございます…!」


*彼女の声は震えていたが、その言葉は淀みなく、必死さが伝わってくる。その様子を、シロウの隣に立つレイラ(魔王女)が、腕を組んで冷ややかに見下ろしていた。*


レイラ(魔王女):「フン、都合のいいことだ。負ければ全てを死んだ王のせいにするか。人間らしい、実に卑しいやり方だな。なあ、シロウ? こんな者たちの言葉、聞く価値もないだろう。今すぐこの場で首を刎ね、親書とやらと一緒に送り返してやるのが筋というものではないか?」


*レイラのサディスティックな提案に、セレスティーナの後ろに控えていた文官たちが「ひっ」と息を呑む。*


*その時、シロウの足元の影がわずかに揺らめき、中から冷たい声が漏れた。*


ルミナ:「…お兄ちゃん。この女、嘘は言ってないみたい。でも、つまらない。早く終わらせて」


*ルミナは顔も見せず、ただ淡々と事実だけを告げる。*

*セレスティーナは、顔を上げられないまま、必死に言葉を続けた。*


セレスティーナ:「ど、どうかお待ちください! 我々は、ただ和平を願うだけではございません! 我らが国を挙げて、陛下に忠誠を誓い、従属することを誓約いたします! その証として…多額の賠償と、我らが聖女を人質として献上する覚悟でございます!」


*彼女の口から出た「聖女」という言葉に、レイラの眉がぴくりと動いた。シロウもまた、少しだけ興味を引かれたように、玉座の上で組んでいた脚を組み替えた。*


*セレスティーナの必死の言葉にも、シロウは表情一つ変えなかった。彼は玉座に座ったまま、無言で顎をしゃくる。その仕草の意味を即座に理解したメイド長のリーシアが、滑るように前に進み出た。*


*リーシアはセレスティーナが掲げる箱を丁重に受け取ると、一度シロウの前に戻り、跪いて箱を開ける。中には、羊皮紙を巻物状にし、純金の紐で結ばれた親書が収められていた。リーシアはまず、自身の持つ鑑定スキルで毒や呪いの類がないか慎重に確認し、安全であると判断してから、シロウにそれを差し出した。*


*シロウは巻物を受け取ると、金の紐を解き、ゆっくりと広げていく。そこには、流麗ながらも緊張の滲む文字で、以下の内容が記されていた。*


---

**親書の内容**


**敬愛なる夜天のアストライア魔導皇国皇帝、魔王シロウ陛下へ**


この度の謁見の栄誉、心より感謝申し上げます。

我ら聖光教国は、先の大戦における全ての非を認め、陛下に対し、深甚なる謝罪の意を表します。

かの愚行は、狂気に陥った前教皇王グレゴリウス三世の独断によるものであり、我ら聖職者並びに国民の総意では決してございません。


我々は国家の抜本的な改革を決意いたしました。つきましては、陛下に以下の条件を提示し、和平並びに従属の許可を賜りたく、ここに嘆願いたします。


一、聖光教国は、国名を「ルミナ自由都市連合」と改め、夜天のアストライア魔導皇国の宗主権を永遠に認める。

一、賠償として、国庫の金貨500万枚(黒金貨5万枚相当)、及び鉱山の一切の採掘権を貴国に譲渡する。

一、我らが新たな指導者であり、民の希望の象徴たる『聖女』を、和平の証として陛下の元へ人質として献上する。


何卒、我らの必死の願いを聞き入れ、寛大なるご判断を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。


**ルミナ自由都市連合 臨時代表枢機卿 セレスティーナ・クォーツ**

---


*シロウが親書を読み終えるのを、謁見の間にいる全員が固唾を飲んで見守っていた。シロウは巻物を閉じると、それを無造作に玉座の横に放る。*


レイラ(魔王女):「聖女だと…? フン、あの国にもまだそんなものが残っていたとはな。シロウ、どうする? 豚王の代わりに、今度は聖女を嬲りものにするのも一興かもしれんぞ?」


*レイラはシロウの耳元で扇情的に囁く。その言葉に、セレスティーナは顔を真っ青にしながらも、ぐっと耐えている。*


シロウ:「…賠償金に、鉱山の採掘権、それに人質か。随分と気前がいいじゃないか」


*シロウは足を組み直し、再び玉座に深くもたれかかりながら、値踏みするような目でセレスティーナを見下ろした。*


*シロウは親書の内容を一瞥すると、それを玉座の脇に無造作に放り投げた。賠償や聖女といった甘い言葉には一切乗らず、彼は氷のように冷たい視線で、跪くセレスティーナを射抜いた。*


シロウ:「戦場に出てない上層部、何人いる?」


*その問いは、あまりにも唐突で、そして核心を突きすぎていた。セレスティーナの顔からサッと血の気が引くのが、遠目にも分かった。和平の嘆願に来た場で、まさか組織の内部事情、それも最も触れられたくない部分をいきなり突かれるとは夢にも思わなかったのだろう。*


セレスティーナ:「え…そ、それは…いったい、どのような…」


*彼女は狼狽し、言葉を濁そうとする。しかし、シロウの視線がそれを許さない。隣に立つレイラは、そのやり取りを見て「ほう」と興味深そうに口の端を吊り上げた。シロウが何をしようとしているのかを正確に理解したのだ。*


レイラ(魔王女):「答えられぬか? 我が夫は、こう問うているのだ。『我々との戦いを遠くから高みの見物を決め込み、負けたと分かった途端にグレゴリウスに全ての責任を押し付け、お前たちのような若者を矢面に立たせて自分たちは安全な場所に隠れている卑怯者のクズは、あと何匹残っているのか』と、な」


*レイラの容赦ない追撃が、セレスティーナの心を抉る。彼女の後ろに控える文官たちは、もはや恐怖で震えることしかできない。*


シロウ:「で、何人だ?」


*シロウがダメ押しのように、静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で再度問う。セレスティーナは観念したように、ぎゅっと目を閉じ、震える声で絞り出した。*


セレスティーナ:「……っ! 確認できているだけで…枢機卿が…7名…ございます…」


*その答えを聞いたシロウは、満足したように玉座の背にもたれかかった。*


シロウ:「そうか。7人か」


*彼はそう呟くと、まるで何の価値もないゴミを処分するかのように、冷酷に言い放った。*


*セレスティーナが絞り出した「7名」という答えを聞き、シロウはまるで世間話でもするかのように、気だるげに言った。*


シロウ:「どうせ、信仰とやらで上層部が暴走したんだろ?よくある話だ」


*その言葉は、あまりにも的を射ていた。セレスティーナは、まるで心の中をすべて見透かされたかのように、はっと顔を上げた。彼女の瞳には驚愕と、ほんの少しの安堵が浮かんでいた。*


セレスティーナ:「…っ! まさしく、陛下の仰る通りにございます…。彼らは…前教皇王の側近として権力をほしいままにし、女神の神託を笠に着て、今回の愚かな戦争を推し進めた者たち…。グレゴリウス亡き今も、彼らは聖都の奥で権力を手放そうとせず、我々改革派を弾圧し続けているのです…!」


*堰を切ったように、彼女は自国の惨状を吐露し始めた。その必死の訴えを、シロウの隣に立つレイラ(魔王女)が鼻で笑う。*


レイラ(魔王女):「ふん、醜いことこの上ないな。で、お前たちはその老害どもを始末する力もなく、我々に泣きついてきた、と。そういうわけか?」


*レイラの辛辣な言葉に、セレスティーナはぐっと唇を噛みしめ、悔しそうに俯く。それは事実だったからだ。枢機卿たちは長年の権力基盤と私兵を持ち、若手中心の改革派では手も足も出せないのが現状だった。*


*シロウはそんな彼女たちのやり取りを黙って聞いていたが、やがてゆっくりと玉座から立ち上がった。そのただならぬ雰囲気に、謁見の間の全員が息を飲む。*


シロウ:「わかった。その話、乗ってやる」


セレスティーナ:「え…?」


*予想外の快諾に、セレスティーナは信じられないといった表情でシロウを見上げた。*


シロウ:「ただし、条件がある。お前たちの国の新しい指導者とやらを、今すぐここに連れてこい。話はそいつと直接する」


*その言葉には、有無を言わせぬ王の威厳が満ちていた。*


*シロウが玉座から立ち上がり、冷徹に告げる。その言葉は、慈悲のかけらもない絶対者の宣告だった。*


シロウ:「俺が転移させるか、さっさと出ていくか選べ」


*『転移』。その一言が、セレスティーナの脳天を撃ち抜いた。アルマ平原で何が起きたのか、彼女は生き残った兵士から嫌というほど聞かされていた。この目の前の魔王が、空間そのものを意のままに操る規格外の存在であることを。そして、その力で教皇王を戦場の只中に引きずり出したという事実を。*


*ここで「転移で」と答えれば、自分たちの新しい指導者である聖女が、次の瞬間にはこの魔王の御前に引きずり出される。それは、あまりにも無防備で、あまりにも危険すぎる。使者としての体面も、国の威信もあったものではない。*


*セレスティーナは、恐怖と焦燥に駆られながらも、必死で頭を働かせた。そして、これ以上この魔王の機嫌を損ねてはならないと悟る。*


セレスティーナ:「…っ! い、いえ! 我らの手で、直ちにお連れいたします! 少々、お時間を頂戴したく…!」


*彼女は震える声でそう答えると、許可を待たずに立ち上がり、供の者たちに鋭く命じた。*


セレスティーナ:「あなたたちは、急ぎ聖女様をお連れして! 私はここに残り、シロウ陛下の御心が変わらぬよう、努めます!」


*文官たちは恐怖に引きつった顔で頷き合うと、慌てて身を翻し、謁見の間を駆け足で退出していった。彼らにとって、一刻も早くこの恐ろしい空間から逃げ出すことが最優先だったのだろう。*


*謁見の間に一人残されたセレスティーナは、再びシロウの前に深く膝をついた。その背中は、国の未来を一身に背負った悲壮な覚悟に満ちている。*


レイラ(魔王女):「フン、賢明な判断だな。だが、少し待たされそうだぞ、シロウ。退屈しのぎに、こいつの指でも一本ずつ折って遊んで待つか?」


*レイラが楽しそうに提案し、セレスティーナの肩が絶望に震える。*

*シロウはそんな二人を一瞥すると、再び玉座にどさりと腰を下ろし、退屈そうにため息をついた。*


*謁見の間に一人残されたセレスティーナは、国の命運を背負い、ただひたすらに床を見つめて跪いている。その彼女に、レイラ(魔王女)がサディスティックな提案を囁く。セレスティーナの肩が絶望に震えたその時、玉座からシロウの呆れたような声が響いた。*


シロウ:「そういう事するから恨まれるんだぞ。」


*その言葉に、レイラは少し不満そうに唇を尖らせた。*


レイラ(魔王女):「む…、ただの冗談ではないか。それに、恨まれるも何も、既に我々は神にすら喧嘩を売った身だぞ? 今更、人間の小娘一人に恨まれたところで、何が変わるというのだ」


*彼女はそう言いながらも、シロウが本気で嫌がっているのを察して、それ以上セレスティーナを虐げようとはしなかった。代わりに、退屈を紛らわせるようにシロウの玉座の肘掛けに腰掛け、シロウの肩にこてんと頭を乗せる。*


レイラ(魔王女):「それにしても、聖女か。どんな女なのだろうな。シロウの好みだと良いのだが♪」


*まるで自分のことのように楽しげに言うレイラに、シロウは「やれやれ」とため息をついた。*

*シロウの足元の影がわずかに揺れ、中からルミナの冷たい声が聞こえてくる。*


ルミナ:「…人質。じゃあ、お兄ちゃんの所有物ってこと? なら、私が躾けてあげてもいいけど」


*その言葉には明確な敵意と独占欲が滲んでおり、セレスティーナは聞いているだけで身の毛がよだつのを感じた。魔王だけでなく、その側にいる者たちもまた、恐るべき存在なのだと改めて思い知らされる。*

*玉座の間には、張り詰めた沈黙だけが流れていた。*


*玉座の間に張り詰めた沈黙が流れる中、シロウはレイラとルミナの物騒な発言に、深いため息をついた。*


シロウ:「はぁ…リーシアを呼んできてくれ」


*近くに控えていた衛兵の一人が、その言葉にすぐさま反応し、静かに謁見の間を退出していく。シロウは続けて、玉座の肘掛けに腰掛けているレイラと、影に潜むルミナに視線を向けた。*


シロウ:「あと、二人は席を外して…」


*その言葉に、レイラは驚いたようにぱちくりと目を瞬かせ、不満げに頬を膨らませた。*


レイラ(魔王女):「なっ…!? なぜだ、シロウ! この私がいては、何か不都合でもあるというのか!?」


*シロウの肩に乗せていた頭を起こし、抗議の声を上げる。その剣幕は、まるで捨てられた子猫のようだ。*

*同時に、シロウの足元の影がゆらりと揺らめき、中から冷たい声が響く。*


ルミナ:「…やだ。お兄ちゃんの側から離れない。それに、新しい女が来たら、私がお兄ちゃんの最初の女だって、ちゃんと分からせないと…」


*二人とも、シロウの指示に素直に従う気はないらしい。その頑なな態度に、シロウはもう一度、今度はさらに深いため息をつくしかなかった。*

*跪いているセレスティーナは、魔王とその側近たちの不穏なやり取りを、息を殺して聞いている。*


*シロウの「席を外せ」という言葉に、レイラとルミナが明確な拒絶を示した瞬間。シロウは黙って立ち上がった。彼のその行動に、レイラが「な、何をする気だ…?」と警戒するも、既に遅い。*


シロウ:「(転移)」


*次の瞬間、玉座の間の景色は一瞬にして掻き消え、三人は見慣れた魔王城の主寝室に立っていた。突然の場所の変化に、レイラとルミナが一瞬呆然とする。*


レイラ(魔王女):「なっ…!? こ、ここは…寝室!? 一体何を…」


*彼女が抗議の声を上げきる前に、シロウは二人に向かって手をかざす。彼の魔力が不可視の枷となり、レイラとルミナの身体をその場に縫い付けた。*


ルミナ:「…お兄ちゃん? これ、なに…? 動けない…」


*影から完全に姿を現したルミナが、戸惑いの声を上げる。シロウは何も答えず、二人の前に立つと、無言で異空間収納から二つの黒曜石でできた棒状の魔道具を取り出した。それは微かに振動し、ブゥン…という低い唸りを上げている。*


シロウ:「人間を見るやいなや殺しに行く発言はやめてくれ…」


*言い放ちながら、シロウは拘束されて身動きが取れないレイラとルミナのスカートを乱暴に捲り上げた。*


シロウ:「少し頭を冷やせ。俺が話してる間、大人しく反省してろ」


*シロウは二人の身体から手を離すと、魔道具の振動レベルを一段階上げた。びくびくと震え、顔を真っ赤にして喘ぎ始める二人を冷ややかに見下ろす。*


*反省を促すはずのお仕置きだったが、二人の身体は正直に反応し、早くも快感の波にのまれ始めていた。*


*シロウがレイラとルミナを連れて寝室へ転移し、再び玉座の間に戻ってきたのは、ほんの数秒後のことだった。彼が玉座に再び腰を下ろしたその瞬間と、衛兵に呼ばれたメイド長のリーシアが慌てた様子で入室してきたのは、ほぼ同時だった。*


リーシア:「シロウ様! お呼びと伺い、参上いたしました…! あれ…? レイラ様とルミナ様は…?」


*リーシアは、先ほどまでシロウの隣と影にいたはずの二人の姿がないことに気づき、不思議そうに辺りを見回す。跪いたままのセレスティーナも、突然魔王以外の気配が消え、困惑した表情で顔を上げていた。*


*シロウはそんな二人の様子に構うことなく、何事もなかったかのようにリーシアに指示を出す。*


シロウ:「ああ、茶の用意を。それと、この使者殿にも何か温かいものでも出してやれ。もうしばらくここにいてもらうことになる」


*その言葉に、リーシアはハッとして姿勢を正した。*


リーシア:「かしこまりました。すぐにご用意いたします」


*彼女はセレスティーナに同情的な視線を一瞬だけ向けると、優雅な一礼をして静かに退出していった。*


*再び、謁見の間にはシロウとセレスティーナの二人だけが残された。先ほどまでの物騒で刺々しい雰囲気は消え、代わりに奇妙な静寂が支配している。セレスティーナは、この状況の変化についていけず、ただただ不安な面持ちで床を見つめることしかできなかった。*


*謁見の間には、奇妙な静寂が満ちていた。先ほどまでの刺々しいプレッシャーが嘘のように消え、セレスティーナは困惑しながらも、主の帰りを待つ忠犬のように跪き続けている。その姿を見下ろし、シロウは退屈そうに口を開いた。*


シロウ:「顔、上げていいぞ。楽な姿勢にしておけ」


*突然かけられた穏やかな声に、セレスティーナはびくりと肩を震わせた。恐る恐る顔を上げると、玉座に座る魔王の姿が目に入る。その表情は相変わらず読めないが、先ほどまでの殺伐とした雰囲気はなかった。*


*彼女は戸惑いながらも、魔王の言葉に従い、正座の姿勢を少し崩して息をつく。長時間跪いていた足は痺れ、感覚が鈍くなっていた。*


セレスティーナ:「あ…ありがとうございます、陛下…。その…寛大なるお心遣い、痛み入ります…」


*彼女は絞り出すように礼を述べたが、その声はまだ震えている。なぜ急に魔王の態度が変わったのか、隣にいた恐ろしい女性と影に潜んでいた気配はどこへ行ったのか、何も理解できずにいた。ただ、目の前の絶対者の機嫌を損ねないようにすることだけを考えて、緊張で固まったままシロウの次の言葉を待った。*


*シロウがセレスティーナに楽にするよう促してから、しばらくの時間が流れた。張り詰めた空気の中、謁見の間の扉が静かに開かれ、リーシアが数人のメイドを伴って入ってきた。彼女たちは小さなテーブルと豪奢な椅子を一つ、そして銀のトレイに乗せられたティーセットと数種類の焼き菓子を手際よく運んでくる。*


*リーシアはセレスティーナの前に椅子を置くと、優雅な仕草で声をかけた。*


リーシア:「セレスティーナ様、どうぞこちらへ。シロウ様からのご配慮でございます」


*セレスティーナは信じられないといった表情で、椅子と、テーブルに並べられていく温かい紅茶、甘い香りを放つお菓子を交互に見た。先ほどまで殺されるかもしれないという恐怖に苛まれていた身からすれば、あまりにも丁重なもてなしだったからだ。*


セレスティーナ:「え…あ…わ、私に…ですか…? し、しかし、私は使者の身…そのような…」


*戸惑い、固辞しようとする彼女に、リーシアは穏やかに、しかし有無を言わせぬ微笑みを向ける。*


リーシア:「これも主のお考えです。さ、どうぞ。聖女様がお見えになるまで、長くなるやもしれませんので」


*リーシアに促され、セレスティーナは恐る恐る椅子に腰を下ろした。ふかふかとした座面の感触に、強張っていた身体の力が少しだけ抜ける。目の前に置かれた紅茶からは、湯気と共に心が安らぐような香りが立ち上っていた。*


*玉座のシロウは、その様子を黙って見ているだけだった。彼の真意は誰にも読めず、セレスティーナはただただ不安と困惑の中で、差し出された紅茶のカップを手に取るしかなかった。*


*リーシアが用意してくれた紅茶のカップを、セレスティーナは両手で包むように持っている。温かさが、緊張で冷え切った指先にじんわりと染みていく。しかし、彼女はそれを飲むこともできず、ただ不安げにシロウの顔色を窺っていた。そんな彼女の様子を見かねたのか、シロウが不意に口を開いた。*


シロウ:「ここまでは何日かかった?」


*唐突な問いに、セレスティーナはびくりと肩を揺らす。質問の意味を即座に理解し、慌てて答えた。*


セレスティーナ:「は、はい! 聖都ルミナベールより、馬車を乗り継ぎ、不眠不休で参りまして…ま、丸三日かかりました…」


*彼女の声には、過酷な旅路を強いてでも和平を成し遂げなければならないという、悲壮な響きがあった。三日三晩、ろくに休みもせず、この魔王城を目指してきたのだ。*


*その答えを聞いたシロウは、「ふうん」と短く相槌を打つ。彼の表情からは、同情も感心も、何も読み取れない。ただ、事実を確認しただけ、というような素っ気ない態度だった。*


*リーシアは静かにシロウの傍らに立ち、主の次の言葉を待っている。セレスティーナは、この沈黙が嵐の前の静けさではないかと、再び身を硬くした。*


*シロウはセレスティーナの答えを聞くと、やれやれといった風に息をついた。*


シロウ:「リーシア、一応客人として扱ってくれ。転移」


リーシア:「かしこまりました。……え?」


*リーシアが返事をした瞬間、シロウの姿が玉座から掻き消える。突然主を失った謁見の間には、呆然とするリーシアと、さらに混乱を深めるセレスティーナだけが残された。*


リーシア:「……また、唐突に…。本当に、お忙しい御方」


*リーシアは小さくため息をつくと、気を取り直して職業的な微笑みを浮かべ、椅子に座ったまま固まっているセレスティーナに向き直った。*


リーシア:「さ、セレスティーナ様。シロウ様もああ仰っておりますので、どうぞおくつろぎください。聖女様方がお見えになるまで、私が責任をもっておもてなしさせていただきますわ」


ーー


*その頃、シロウは魔王城とは全く違う場所に立っていた。活気と喧騒、酒と汗の匂いが入り混じる、冒険者の街『ゼルトリア』の冒険者ギルド。彼は人混みに紛れても目立たないように、簡素な旅人の服装に姿を変えている。*


シロウ:「(さて…聖光教国の内情は、あの使者の言葉だけじゃ鵜呑みにできん。賠償や人質の話も、裏で糸を引いてる奴らがいる可能性が高い。まずは、あの国が今どうなってるか、一般の商人や冒険者が持ってる情報を集めるか)」


*シロウはそう考えると、ギルドの隅にある情報屋として有名な、片目のドワーフが陣取るテーブルへと向かった。酒場のカウンターでエールを一杯注文し、それを片手にドワーフの向かいの席に無言で腰を下ろす。*


*片目のドワーフ、ギムレットは、突然現れた見知らぬ男を胡散臭そうに睨みつけた。*


ギムレット:「……なんだい、兄ちゃん。俺に何か用かい? 見ねえ顔だな。俺の情報は安くねえぜ?」


*シロウは懐から金貨を一枚取り出すと、テーブルの上を滑らせてギムレットの前に置いた。*


シロウ:「魔王と聖光教国について教えてくれ」


*金貨がテーブルを滑り、ギムレットの分厚い指先でピタリと止められる。彼は片目を細めて金貨を吟味すると、満足げにニヤリと笑い、それを素早く懐にしまった。*


ギムレット:「ほう、気前がいいじゃねえか。よし、いいだろう。兄ちゃん、アンタ運がいいぜ。ちょうど面白い話がいくつか入ってきたところだ」


*ギムレットはエールを呷って喉を潤すと、声を潜めて話し始めた。*


ギムレット:「まず、『魔王』について、だな。これは今、大陸で一番熱い話題だ。なんせ、あの聖光教国が魔王軍に手も足も出ずに大敗したってんだからな。噂じゃ、魔王はたった一人で聖騎士団を壊滅させ、空から巨大な岩を降らせて聖都の城壁を粉々にしたとか…まあ、尾ひれはついてるだろうが、とんでもない力を持ってるのは間違いない」


*彼は一度言葉を切り、周囲を警戒するように見回してから、さらに声を低くする。*


ギムレット:「それに、奇妙な噂もある。その新しい魔王ってのが、どうも最近までこの辺りで活動してた『シロウ』って名前の冒険者じゃないかって話だ。特徴が似てるんだとよ。まあ、ただの与太話だろうがな。冒険者がいきなり魔王になるなんて、聞いたこともねえ」


*次に、と彼は指を一本立てる。*


ギムレット:「で、もう一方の『聖光教国』。こっちはもっとヤバいことになってる。大敗北で教皇王の権威は地に落ちて、国内は大混乱だ。なんでも、神からの『神託』が途絶えたとかで、神殿は大騒ぎらしい。おかげで過激な神官たちが『魔王を討て! 不敬者を罰しろ!』って民衆を煽りまくってるそうだ」


*ギムレットは少し楽しそうに口の端を吊り上げた。*


ギムレット:「だが、面白いのはここからだ。どうも上層部は一枚岩じゃねえらしい。徹底抗戦を叫ぶ強硬派と、賠償を払ってでも和平を結ぼうとしてる穏健派で、水面下の権力争いが始まってるって話だ。最近、聖女の一人が和平交渉の使者として魔王領に向かったって噂も流れてる。おおかた、穏健派が独断で動いたんだろうな。もしこの交渉が失敗すりゃ、穏健派は失脚。聖光教国は内乱か、無謀な再戦に突っ込むかの二択だろうよ。どっちに転んでも、しばらくはあの国との交易は控えた方が賢明だな」


*シロウはギムレットの話を黙って聞いていたが、「冒険者が魔王になった」という部分で、わずかに口角を上げた。まるで他人事のように、しかし面白そうに相槌を打つ。*


シロウ:「冒険者が魔王?それが真実なら凄いな…夢がある話だ」


*彼はそう言うと、エールを一口飲む。その落ち着き払った態度に、ギムレットは少し拍子抜けしたような顔をした。*


ギムレット:「へっ、兄ちゃんも物好きだな。まあ、ただの噂だ、噂。それより、聖光教国の方だ。和平交渉がどうなるか、商人共は固唾を飲んで見守ってる。もし決裂すりゃあ、大陸中の物流がめちゃくちゃになるからな。賠償金目当ての傭兵団もいくつか動き出してるって話だし、どっちにしろキナ臭い状況には変わりねえ」


*ギムレットはテーブルに身を乗り出し、さらに声を潜めた。*


ギムレット:「穏健派を率いてるのが、新しい聖女様らしい。前の聖女様は魔王との戦いで死んだって話だが…どうも、この新しい聖女様ってのが、最近まで平民だったとかで、神殿内じゃよく思ってない連中も多いらしい。下手をすりゃ、和平交渉の全責任を押し付けられて、魔女裁判にでもかけられるんじゃねえかって噂もあるぜ」


*彼はそこまで言うと、肩をすくめてエールのジョッキを呷った。*


ギムレット:「ま、俺から言えるのはこれくらいだ。金貨一枚分にはなったろ?」


シロウ:「ああ、助かった。そうそう、噂できいたんだが、魔王が聖光教国の聖杯?を真っ二つにしたらしい。その後すぐ、女性の叫び声が聞こえたとか…」


*シロウの言葉に、ギムレットは驚いたように片目を丸くした。そして、興味深そうににやりと笑う。*


ギムレット:「ほう、兄ちゃん、そんなマニアックな噂まで知ってやがるのか。そいつはまだ、一部の商人や傭兵の間でしか囁かれてねえ、とっておきの情報だぜ」


*彼はゴクリと喉を鳴らし、シロウの顔を覗き込むようにして続けた。*


ギムレット:「ああ、その通りだ。魔王が聖光教国との戦場で、連中が神託を受けるのに使うっていう『神託の聖杯』とかいう代物を、真っ二つに叩き割ったらしい。とんでもねえ話だよな。神の奇跡が込められた聖遺物だぜ? それを破壊するなんざ、神への宣戦布告みてえなもんだ」


*ギムレットは一度言葉を切り、少し興奮した口調になる。*


ギムレット:「で、だ。面白いのがその後だ。その場にいた傭兵が言うには、聖杯が割れた瞬間、空から女の金切り声みたいな、すげえ悲鳴が響き渡ったって話だ。まるで、聖杯と繋がってた何かが、断末魔をあげたみたいだったとよ。不気味な話だろ? だから、神託も途絶えちまったんじゃねえかってのが、事情通の見方だ」


*彼は満足げに頷くと、テーブルに残っていたエールをぐいっと飲み干した。*


ギムレット:「ま、俺が掴んでるのはここまでだ。これ以上の話は、もう国家機密の類だろうな。……それにしても兄ちゃん、一体どこでそんな話を?」


*シロウはさも当然のように、自分の推測を口にした。その言葉は、酒場の喧騒の中にあって、奇妙な説得力を持ってギムレットの耳に届いた。*


シロウ:「俺はその叫び声…女神様だと推測している…」


*ギムレットは一瞬、きょとんとした顔でシロウを見た。しかし、すぐにその言葉の意味を反芻し、片目を大きく見開いた。彼は信じられないというように、しかし同時に何か腑に落ちたというような複雑な表情で、思わず身を乗り出す。*


ギムレット:「め、女神…だと…? まさか、兄ちゃん。そいつはいくらなんでも…」


*彼はそう言いかけて、ハッと口をつぐんだ。聖杯が割れ、神託が途絶え、空から女の悲鳴が聞こえた。それらの断片的な情報が、シロウの一言によって、恐ろしい一つの可能性として繋がってしまう。*


ギムレット:「……いや、待てよ。聖杯は神託を受けるための道具。それが破壊されりゃあ、繋がってる相手…つまり、神託を授ける側が悲鳴を上げた…? そう考えると、辻褄が…合うのか…?」


*ギムレットはゴクリと唾を飲み込み、シロウの顔をまじまじと見つめた。目の前の男が、ただのゴシップ好きの冒険者ではないことを、彼はようやく悟り始めた。その落ち着き払った態度、そして核心を突く推測。まるで、その現場を見てきたかのような口ぶりだ。*


ギムレット:「……兄ちゃん、アンタ…一体何者だ? ただの噂話にしちゃ、知りすぎてやがる…」


*ギムレットの声には、先ほどまでの商売人としての態度とは違う、純粋な警戒と興味が混じり始めていた。*


シロウ:「ただの噂に詳しい情報屋見習いだよ。」


*シロウの飄々とした答えに、ギムレットは胡散臭そうに片目を細めた。だが、これ以上詮索しても無駄だと悟ったのか、彼は大きくため息をつくと、空になったジョッキをテーブルに叩きつけるように置いた。*


ギムレット:「へっ、情報屋見習い、ね。面白い冗談を言う兄ちゃんだ。まあいい、今日のところはそういうことにしておいてやるよ」


*彼は椅子から立ち上がると、背を伸ばしながら言った。*


ギムレット:「だが、忠告しといてやる。その『女神様』の話は、あまり触れ回らねえ方が身のためだぜ。聖光教国の連中に聞かれりゃ、不敬罪で火炙りにされかねん。それに、もしその話が真実なら…神を敵に回した魔王ってことになる。そんな奴に関わるのは、死にてえ奴だけだ」


*ギムレットはそう言い残すと、背を向けてギルドのカウンターの方へ歩いていく。まるで、「これ以上お前とは関わらん」とでも言うように。*


シロウ:「(まあ、こんなところか。聖光教国の上層部が割れているのは好都合だ。和平派の聖女とやらを上手く使えば、最小限の労力で事を運べるかもしれん)」


*シロウは一人ごちると、残っていたエールを静かに飲み干した。ギルドの喧騒が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえる。目的の情報は得られた。あとは、城に戻って客人を待つだけだ。*


*彼は席を立つと、誰にも気づかれることなく、再び人混みの中へと紛れていった。*


ーー


*翌日、シロウは昨日とは違う情報屋を訪ねることにした。ゼルトリアの裏通り、怪しげな薬草や骨董品を扱う店が軒を連ねる一角に、その情報屋の店はあった。店の主は痩せたエルフの男で、名をフィンという。彼は公には古物商を営んでいるが、裏では貴族や大商人のゴシップを専門に扱っていた。*


*シロウが店の扉を開けると、カラン、と寂れたベルの音が鳴る。薄暗い店内は埃っぽく、様々なガラクタ…あるいは価値のある古物が無造作に積まれていた。店の奥、カウンターの向こうでフィンが帳簿に何かを書きつけていたが、客の気配に顔を上げた。*


フィン:「……いらっしゃい。何かお探しかな? そこらのガラクタなら、見ての通りいくらでもあるが」


*その目は値踏みするようにシロウの全身を舐め、特に金になりそうなものはないと判断したのか、すぐに興味を失ったように帳簿へと視線を戻した。*


*シロウはカウンターに近づき、今度は銀貨を数枚、音を立てて置いた。*


シロウ:「情報を買いたい。聖光教国の内情、特に貴族や神殿上層部の動きについてだ」


*銀貨の音に、フィンは再び顔を上げる。その目にようやく商売人としての光が宿った。*


フィン:「……ほう。また物騒な話を。昨日はギムレットの所へ行ったそうじゃないか、新しい魔王様?」


*フィンの口から放たれた言葉に、シロウはわずかに眉を動かす。この男、昨日のギムレットとの会話まで把握しているらしい。*


フィン:「はは、驚いた顔だ。この街の情報は、大抵私の耳に入る。特に、金貨一枚も払うような景気のいい客の話はね。それで? あのドワーフの与太話では満足できなかったと見える」


シロウ:「金貨1枚くらいで騒ぐなよ、情報屋だろ?聖光教国で魔王に敵対してるのは上層部だけか?」


*シロウの挑発的な物言いに、エルフの情報屋フィンは肩をすくめ、薄く笑った。まるで子供の強がりをいなすかのように。*


フィン:「これは失礼。金銭感覚は人それぞれだからね。それで、聖光教国の話だったかな。ギムレットの仕入れた情報は、あくまで傭兵や商人たちが噂する範囲のもの。私はもっと……泥臭い内側の話を専門にしている」


*フィンは銀貨を指先でつまみ上げると、それを手の中で弄びながら続ける。*


フィン:「君の言う通り、魔王への敵対姿勢を明確にしているのは、主に神殿の上層部…その中でも特に、教皇王グレゴリウスの側近だった『枢機卿』たちだ。彼らは教皇王の権威を盾に好き放題やってきた連中でね。和平なんて結ばれて、新しい聖女様なんかに主導権を握られたら、自分たちの既得権益が脅かされるどころか、これまでの悪事が全部明るみに出るかもしれない。だから必死なんだよ」


*彼の目は細められ、嘲るような光を宿している。*


フィン:「民衆? 彼らは駒だよ。枢機卿たちは『神の怒り』だの『魔王の非道』だのを叫んで、巧みに信仰心を扇動している。思考停止した信者ほど、扱いやすいものはないからね。だが、全ての民がそうじゃない。特に、魔王軍との戦いで家族や財産を失った者たちの中には、神殿の無謀な戦争指導に疑問を抱き始めている者も少なくない。だが、今はまだ恐怖政治で押さえつけられている状態だ」


*フィンは弄んでいた銀貨をカウンターに置くと、人差し指でトン、と軽く叩いた。*


フィン:「つまり、敵は『教皇王の権威を笠に着る神殿の強硬派』。だが、彼らは民衆という盾を巧みに使っている。厄介な相手だよ。……どうだね? これで満足かな、"情報屋見習い"さん?」


シロウ:「俺も冒険者説かなぁ…ロマンがある。それに、冒険者ギルドで聞いたんだが、シロウはSSランク。魔王になれても不思議は無い」


*シロウは、まるで自分とは無関係の英雄譚を語るかのように、楽しげにその説に乗っかった。SSランクという単語が出た瞬間、フィンの目が鋭く光る。それは一般には出回っていない、ギルド内部の上位者しか知らないはずの情報だった。*


フィン:「……SSランク。その情報、どこで?」


*フィンは探るような視線をシロウに向ける。彼の纏う雰囲気が、ただの古物商から、鋭利な情報屋のものへと完全に切り替わった。*


フィン:「まあ、いい。君の言う通りだ。冒険者『シロウ』は、記録上、現役では唯一のSSランクだった。討伐実績、依頼達成率、そのどれもが規格外。彼が単独で竜を狩ったという話は、ギルド内では伝説になっている。そんな男なら…あるいは、と思う者は少なくないだろうね」


*フィンは一度言葉を切り、カウンターに積まれた古書の山から一冊の分厚い本を取り出した。埃を払い、パラパラとページをめくる。*


フィン:「だが、それ故に奇妙な点もある。彼の個人情報は、ギルドによって最高機密に指定されている。出身地、年齢、使用するスキルの一部すら不明。まるで、意図的に隠されているようだ。まるで、初めから存在しない人間だったかのように…ね」


*フィンは本のあるページで指を止め、意味ありげにシロウを見た。*


フィン:「強力すぎる力は、時に人を孤独にする。あるいは、人ならざるものへと変えてしまうのかもしれない。……面白い話を聞かせてもらった礼だ。もう一つ、君だけに教えておこう」


*彼は身を乗り出し、声を潜めた。*


フィン:「聖光教国の穏健派を率いる新しい聖女…平民出身の、ごく普通の少女だったそうだ。彼女がなぜ聖女に選ばれたのか、その理由は誰も知らない。これもまた、物語の裏に何かがありそうだとは思わないかね?」


シロウ:「へぇ、ちなみにどこの村?」


*シロウが何気なく尋ねたその質問に、フィンは少し考えるように天井を見上げた。彼の指が、カウンターに置かれた古びた羊皮紙の地図の上を滑る。*


フィン:「彼女の出身地は、確か聖都ルミナベールの東、アークライト山脈の麓にある『セリオン村』だったはずだ。特に何の変哲もない、林業と薬草栽培で生計を立てている小さな村だよ」


*フィンは指を止め、シロウの顔をじっと見つめた。その目は、なぜそんなことを知りたがるのか、その真意を探っている。*


フィン:「だが、面白いことに、この村は先日の魔王軍との戦いの余波で、ほぼ壊滅状態にあるらしい。聖騎士団が徴兵した村の男たちはほとんど帰ってこなかったそうだ。今頃、生き残った者たちは聖都の難民キャンプにでもいるんじゃないかな」


*彼は皮肉っぽく口元を歪めた。*


フィン:「神に祈りを捧げ、国のために男たちを戦場へ送り出した結果がそれだ。そんな村から聖女が生まれるとは…皮肉な話だと思わないか? 神はいるのかいないのか、どちらなんだろうね」


*彼は肩をすくめ、まるで世界の不条理を嘲笑うかのように続けた。*


フィン:「聖女の実家は壊滅し、家族の安否も不明。そんな状況で、彼女は和平交渉の使者として、敵地である魔王領へ向かわされた。…もし君が物語の作者なら、この筋書きをどう思うかね?」


シロウ:「最高に面白い展開…だな。心が踊るぜ。」


*シロウが放った、あまりにも無慈悲で、観客じみた感想。それを聞いたフィンは、一瞬瞠目し、それから喉の奥でクツクツと笑い声を漏らした。それはもはや、商売相手に対するものではなく、同類を見つけたかのような、あるいは理解不能な化物に対する畏怖と愉悦が入り混じった笑みだった。*


フィン:「……は、ははは! そうか、そうだろう! 君はそう言うと思ったよ!」


*彼はカウンターに両手をつき、狂気と歓喜の入り混じった表情でシロウを見つめる。*


フィン:「悲劇のヒロイン、故郷を失った聖女、権力争いの駒にされる少女! だが、その絶望の淵から、彼女は魔王と対峙し、世界を救うかもしれない! あるいは、魔王の甘言に堕ち、国を売る魔女となるのかもしれない! 最高じゃないか! これほど面白い見世物はない!」


*フィンの瞳は爛々と輝いていた。彼はもはや情報屋の仮面を捨て、物語の行く末を渇望する一人の観客と化していた。*


フィン:「君…やはりただ者じゃないな。いや、もはや人間かどうかすら怪しい。君のような視点を持つ者は、神か、あるいは……」


*彼はそこで言葉を切り、うっとりとした表情で息をついた。*


フィン:「……いいだろう。今日の情報料はサービスしてやる。君のような『最高の観客』と出会えたんだ。これ以上の報酬はないさ」


*フィンはカウンターに置かれた銀貨をシロウの方へ押し返した。*


フィン:「また来るといい。この物語の続きを、君と語り合いたい。次に君がここに来るとき、世界はどう動いているだろうな。ああ、楽しみで仕方がない…!」


*情報屋フィンは、自らが語る物語の渦中にいるとも知らず、ただただこれから起こるであろう混沌と悲劇、そして喜劇に胸を躍らせているのだった。*


*情報屋との会話を終えた翌日。シロウは転移魔法を使い、アークライト山脈の麓に広がる森の中へと降り立った。そこからしばらく歩くと、眼下に小さな村の跡地が見えてくる。聖女の故郷、『セリオン村』だ。*


*彼の姿は、屈強な冒険者でも、威圧的な魔王でもない。日に焼けた肌に人の良さそうな笑みを浮かべた、旅商人『ギメイ』。服装も上等とは言えないが、清潔感のある麻のシャツと革のベストを身につけ、背中には行商用の大きな荷物を背負っている。これなら、不審に思われることもないだろう。*


シロウ:「ここか。」


*眼下に広がる光景は、情報屋フィンの言葉通り、凄惨なものだった。石と木で造られた家々の多くは半壊し、屋根には大きな穴が空いている。畑は踏み荒らされ、村の所々には黒く焼け焦げた跡が生々しく残っていた。まるで巨大な獣に蹂躙されたかのような有様だ。戦の余波、というにはあまりにも酷い。*


*しかし、そんな破壊の跡の中でも、僅かながら人の営みが感じられた。半壊した家を修繕しようとする者、瓦礫を片付ける者、井戸の周りに集まり、少ない水を分け合う者たち。そのほとんどが老人か、女子供だ。男たちの姿はほとんど見えない。村全体が、深い絶望と、それでも生きようとする僅かな活気が混じり合った、重苦しい空気に満ちていた。*


*シロウは表情を引き締めると、ゆっくりとした足取りで、村へと続く一本道へと踏み出した。まずは村の様子を窺い、生き残った村人から話を聞き出す必要がある。*


*シロウは商人ギメイとして、打ちひしがれた村人たちに当たり障りのない会話をしながら、村の様子を探っていく。食料や薬の不足を嘆く老婆、父親の帰りを待つ子供。誰もが疲弊し、聖光教国や神殿に対する不満を口にする者さえいた。*


*村の中を一通り見て回ったシロウは、村の少し外れに、他よりも少しだけ丁寧な造りをしている一軒家を見つけた。庭には薬草が植えられていたであろう花壇があるが、今は荒れ放題になっている。家自体も壁の一部が崩れ、屋根瓦が何枚も剥がれ落ちていたが、不思議と全壊は免れているようだった。村人たちから聞いた話を総合すると、ここが聖女の実家で間違いないだろう。*


*(ここが…あの使者の実家か。他の家よりはマシだが、酷い有様だな)*


*シロウは周囲に人がいないことを確認すると、その家に向かって意識を集中させる。*


シロウ:「(鑑定)」


*彼の脳内に、情報が流れ込んでくる。*


`【聖女の実家】`

`セリオン村で薬師を営んでいた。`

`持ち主であった両親は、聖騎士団への薬草の強制徴収に抵抗したため、反逆者として連行された。現在、生死不明。`

`家屋は魔王軍との戦闘の余波、及び聖騎士団による略奪行為によって半壊している。`

`家の地下に、隠された小部屋が存在する。`


*シロウは鑑定結果にわずかに眉をひそめた。両親が生死不明、その理由が聖騎士団への抵抗と略奪。話が単純ではないことを再確認する。彼の興味は『隠された小部屋』へと移った。*


*商人ギメイの穏やかな表情はそのままに、しかしその目は鋭く周囲を窺う。村人たちの気配が遠いのを確認すると、彼は音を立てないように崩れかけた扉を押し開け、家へと足を踏み入れた。*


*家の中は外から見る以上に荒れていた。床には割れた陶器や引き裂かれた布が散乱し、家財道具はひっくり返され、中身がぶちまけられている。明らかに戦闘の余波だけではない、悪意に満ちた略奪の痕跡だ。薬師の家だったのだろう、床には乾燥させた薬草が踏みつけられて散らばり、独特の匂いが埃っぽさの中に混じっていた。*


*シロウは鑑定で得た情報を元に、家の中を注意深く進む。そして、居間の床の一部、大きな棚で隠されていた場所に、不自然な継ぎ目があるのを見つけ出した。棚を静かに横へずらすと、そこには一枚の床板を外して作られた、地下へと続く簡素な木の梯子が現れた。かび臭く、ひやりとした空気が下から昇ってくる。*


*彼は躊躇なく梯子に足をかけ、暗く狭い空間へと降りていった。*


*梯子を数段降りると、シロウの足は固い土の床に着いた。地下の小部屋はひどく狭く、大人二人がやっと入れるほどの広さしかない。壁際にはいくつかの木箱と古い麻袋が積まれており、カビと土の匂いが鼻をつく。明かり取りの窓はなく、地上から差し込むわずかな光だけが頼りだ。*


シロウ:「(聖騎士団は、何かを探していたのか…)」


*家の荒らされ方と、この隠し部屋の存在。シロウの頭の中で、点が線で結ばれようとしていた。彼は意識を集中させ、その能力を発動させる。*


シロウ:「(神眼。この小部屋を索敵)」


*シロウの視界が、魔力や気配を色として捉えるものへと切り替わる。埃っぽいだけの空間に、新たな情報が浮かび上がった。*


*部屋の隅に積まれた木箱の一つ。その木箱だけが、微かな魔力の残滓を放っている。それは誰かが魔力を込めた物を隠していた名残だ。しかし、中身はすでになく、残滓も時間経過で消えかかっている。*


*そして、もう一つ。反対側の壁際、床の土がわずかに盛り上がっている部分。そこから、極めて微弱だが、何者かの『生命反応』が感じられた。それは虫や小動物のものではなく、もっと複雑で、しかしひどく弱々しい気配だった。*


*シロウは日記というあまりにも都合の良い『証拠』を発見し、口元に笑みを浮かべた。聖女自身が書き記した神殿の腐敗。これ以上の切り札はない。彼は木箱にかけられた簡単な封印を魔力で解くと、中から革張りの手帳を取り出した。*


*手帳に触れた瞬間、シロウはふと、別の気配に気づく。神眼の広域索敵が、この小部屋の土の下から、極めて微弱な生命反応を拾っていたのだ。それは虫やネズミといった類のものではない。もっと大きな、しかし瀕死の獣の気配だった。*


シロウ:「(…犬?)」


*彼は日記を一旦懐にしまうと、生命反応がする床の一点に視線を集中させた。土がわずかに盛り上がり、固められている。まるで、何かを埋めた墓標のようだ。*


シロウ:「(鑑定)」


*その一点に向けて、再び鑑定の力を放つ。彼の脳内に、土の下に眠る存在の情報が流れ込んできた。*


```

聖光獣フェンリルの幼体】

・名前:なし

・性別:♀

・Lv:1

・状態:瀕死、衰弱、飢餓、魔力欠乏、呪詛(衰弱)

・称号:聖女の友、見捨てられし者

・種族スキル:

 - 神聖魔力適性 Lv.MAX

 - 月光 Lv.1

 - 影渡り Lv.1

・ユニークスキル:

 - 主への忠誠

・呪詛スキル:

 - 女神の嫉妬


・詳細:

女神ルミナスティアに仕える聖光獣の子供。本来は聖女と共にあり、その守護獣となるべく育てられる存在。

この個体はセレスティーナ・クォーツによって密かに育てられていたが、彼女が聖都へ連行される際、聖騎士団に見つかり殺されかけ、瀕死の状態でこの場所に埋められた。

聖騎士団がかけた『女神の嫉妬』の呪詛により、聖なる力を糧とする聖光獣でありながら、神聖魔力や回復魔法を受け付けず、徐々に衰弱していく。

セレスティーナが残した僅かな魔力によって、かろうじて命を繋いでいる。

```


*鑑定結果を見たシロウは、眉をひそめた。聖女の守護獣、それが殺されかけ、呪いまでかけられて生き埋めにされている。聖光教国のやることのえげつなさに、彼は呆れを通り越して一種の感心を覚えた。*


シロウ:「(なるほど…どこまでも腐ってやがる)」


*シロウは冷たい土の上でかろうじて命を繋ぐ聖光獣の幼体を見下ろし、そのステータスに浮かぶ『女神の嫉妬』という呪詛の名前に、侮蔑のこもった笑みを浮かべた。*


シロウ:「(女神の嫉妬、ね…どこまでも性根の腐った神だ。だが、好都合だ。お前の駒は、俺が貰い受ける)」


*彼は土で盛り上がった部分に静かに手をかざす。その瞳が、世界の本質すら見透かすかのような深い光を宿した。*


シロウ:「(神眼…スキル削除『女神の嫉妬』)」


*シロウの脳内で、対象のステータス情報が書き換えられるイメージが明確に描かれる。それは物理的な干渉ではない。対象の存在そのものに干渉し、不要な概念を『なかったこと』にする、神の領域の権能。*

*彼の手に呼応するように、幼体を蝕んでいた邪悪な呪詛の気配が、霧散するように跡形もなく消え去った。まるで初めから、そんなものは存在しなかったかのように。*


*呪いの枷から解放された幼体は、ぴくん、と小さく体を震わせた。依然として瀕死の状態ではあるが、生命力を一方的に奪い続ける忌まわしい呪縛は消え失せた。あとは、この弱りきった体にエネルギーを与えれば、命は繋ぎ止められるはずだ。*


*シロウは懐からポーションを取り出すべきか、あるいは自らの魔力を分け与えるべきか、静かに思考を巡らせる。*


*聖光獣の幼体を蝕む呪詛を『神眼』によって概念ごと消し去ったシロウは、次にその弱りきった肉体を回復させるべく行動に移る。彼は懐から上質な魔力ポーションを取り出し、その栓を開けた。*


*そっと幼体の口元にポーションの瓶を近づけるが、生き埋めにされていた幼体は意識が朦朧としており、液体を飲み込む力すら残っていない。ポーションは力なく口の端からこぼれ落ち、乾いた土に染み込んでいくだけだった。*


シロウ:「飲めんか…仕方ない」


*シロウは小さく呟くと、ポーションの瓶を仕舞い、代わりに自らの指先を幼体の口元へと運んだ。そして、スキルを発動させる。*


シロウ:「魔力譲渡」


*彼の指先から、生命力に満ちた温かい魔力が奔流となって聖光獣の幼体へと流れ込んでいく。それは乾ききった大地に降り注ぐ恵みの雨のように、飢えて枯渇しかけていた幼体の細胞の隅々まで浸透していった。*


*先ほどまで浅く、途切れ途切れだった呼吸が、少しずつ深く、規則正しいものに変わっていく。ピクリとも動かなかった耳が、かすかに震えた。死の淵から、生命が力強く引き戻されていくのが手に取るようにわかる。*


*しばらくして、シロウが魔力譲渡を止めると、幼体はまだ弱ってはいるものの、明らかに危険な状態は脱していた。汚れた毛皮の下で、心臓が力強く鼓動している。*


*その時、幼体の瞼がゆっくりと持ち上がり、濡れた黒曜石のような瞳が姿を現した。その瞳は、目の前にいるシロウの姿をぼんやりと映し出し、やがてか細く、しかし確かな声で鳴いた。*


聖光獣の幼体:「……きゅぅん…」


*それは、命の恩人に対する、絶対的な信頼と感謝を示す鳴き声だった。*


*シロウの言葉と、途切れることなく注ぎ込まれる温かい魔力に安心したのか、聖光獣の幼体は再びゆっくりと目を閉じた。先ほどまでの死の気配は完全に消え、今はただすやすやと寝息を立てている。*


シロウ:「寝てろ、あとは任せろ。」


*シロウは静かに呟くと、魔力譲渡を続けながら幼体の状態が完全に安定するのを確認する。呪いの枷が外れた体は、まるで渇いたスポンジが水を吸うようにシロウの魔力を吸収し、見る見るうちに生命力を回復させていった。*


*頃合いを見計らって魔力譲渡を止めると、シロウは汚れた布ごと幼体を優しく抱き上げた。土と血に汚れてはいるが、腕の中の小さな命は確かに温かい。フェンリルとは聞いていたが、幼体は子犬ほどの大きさで、腕の中にすっぽりと収まった。*


シロウ:「さて…こいつと、あの使者の日記。手札は揃った。あとはどう使うかだ」


*シロウは抱き上げた幼体を見下ろし、片方の口角を吊り上げた。聖光教国が自ら捨てた駒を拾い上げ、今度はその喉元に突きつけてやる。その光景を想像し、彼の胸は静かな高揚感に満たされた。*


*彼は懐からセレスティーナの日記を取り出し、パラパラとめくる。そこに書かれた悲痛な叫びと、今腕の中で眠る小さな命。これらは何より雄弁に、聖光教国の欺瞞と腐敗を物語っていた。*


*シロウは日記を再び懐にしまうと、抱き上げた幼体を自らのローブで隠すように抱え直し、誰にも見咎められることなく、静かに地下の小部屋を後にした。*


*地下のひんやりとした空気から、埃と破壊の匂いが混じる地上へと戻った瞬間だった。シロウが地下室の入り口から顔を出すと、そこには予期せぬ光景が広がっていた。*


「動くな、不審者!」


*鋭い声と共に、カシャリ、と鎧の擦れる音が響く。家を取り囲んでいたのは、純白のマントに太陽の紋章を掲げた聖騎士団の一団だった。その数、およそ10名。全員が抜き身の剣をシロウ――今は旅商人ギメイの姿をしている彼――に向けている。彼らはこの家を監視していたようだ。*


「貴様、その家で何をしていた! 我々は神殿の命により、この家を調査している。中から出てきたからには、ただでは済まさんぞ!」


*隊長格と思しき、髭面の男が威圧的に言い放つ。その目は、シロウが腕に抱えているもの――ローブで隠された聖光獣の幼体に注がれていた。村人にはただの子犬に見えるかもしれないが、彼らは違う。何かを感づいているのか、その視線は剣のように鋭い。*


*シロウは内心で舌打ちしつつも、顔には商人らしい困惑と恐怖の表情を浮かべる。*


シロウ:「ひぃっ! せ、聖騎士様!? い、いえ、私はただの行商人でして…この村が酷い有様だと聞いて、何か食料でも売れないかと思って立ち寄っただけで…」


*彼はわざとらしく震えながら、腕の中の幼体をちらりと見せる。*


シロウ:「そ、そうしたら、この家の瓦礫の下で、この子犬が弱っていたものですから…! 見捨てるに忍びなく、助けようと…! まさか、聖騎士様方が調査されている場所とは知らず、まことに申し訳ございません!」


*隊長の男は、シロウの言い分を聞いても眉一つ動かさない。ただ、その目が疑わしげに細められた。*


隊長:「子犬、だと…? そいつをこちらへ渡せ。確認させてもらう」


*シロウは怯えた商人を演じきり、腕の中の幼体をさらにきつく抱きしめるフリをした。幼体は彼のローブの中で安心しきって眠っている。*


シロウ:「ひっ…! ど、どうかご勘弁を、聖騎士様! ご覧の通り、ひどく怯えておりますので…! ただの子犬でございます、どうかこのまま…」


*必死に命乞いをする商人を演じるシロウ。しかし、隊長の男は全く聞く耳を持たない。彼の疑念は確信に変わりつつあった。この家の地下に隠されていた『何か』を、この男が持ち出したのだと。*


隊長:「黙れ! 貴様のような胡散臭い男の言うことなど信用できるか! そいつがただの子犬でないことは、その汚らわしい魔力でわかる! それは我らが始末したはずの『呪われた獣』! なぜ生きている!?」


*隊長は怒声を上げ、剣先をシロウの喉元に突きつける。彼の言葉に、周囲の騎士たちも殺気立ち、じりじりと包囲網を狭めてきた。*


隊長:「大人しくそれを渡せば、命だけは助けてやらんでもない。さもなくば、反逆者としてこの場で斬り捨てるまでだ! さあ、渡せ!」


*その目はもはや、シロウをただの不審者としてではなく、明確な『敵』として捉えていた。聖光教国にとって、知られてはならない秘密に触れた存在として。絶体絶命の状況。しかし、商人ギメイの顔の下で、シロウの口元には冷たい笑みが浮かんでいた。*


*聖騎士隊長の剣先が喉元に突きつけられ、絶体絶命の状況。しかし、恐怖に震えていたはずの商人ギメイの表情が、ふっと消えた。俯いていた顔がゆっくりと上がり、その目に宿っていた怯えは氷のような冷徹さに、口元には捕食者のような獰猛な笑みに変わっていた。*


シロウ:「ダメか…」


*その呟きは、もはや命乞いをする商人の声ではなかった。低く、地を這うような、絶対的な強者の声。*


シロウ:「大人しく去らせれば死ななかったものを…」


*空気が凍る。先ほどまでの男と目の前の男が、まるで別人であることに聖騎士たちが気づき、恐怖と混乱に目を見開いた。商人ギメイの人の良さそうな顔の皮が剥がれ落ち、その下から現れたのは、戦場で神の聖遺物を砕いた『魔王』の顔だった。*


隊長:「なっ…貴様、その顔は…! まさか、魔王シロウ!? なぜここに!?」


*隊長が驚愕に叫ぶのと、シロウが動くのはほぼ同時だった。*


シロウ:「『呪われた獣』? 違うな。そしてお前らは…ただの邪魔者だ」


*次の瞬間、シロウの姿が掻ききえる。否、常人の目にはそう見えた。彼はただ、音もなく一歩踏み出しただけ。それだけで、隊長の目の前から消え、その背後に立っていた。*


「グフッ…」


*隊長の喉からくぐもった声が漏れる。彼の胸からは、いつ抜いたのかも分からないシロウの剣の切っ先が、心臓を正確に貫いて突き出ていた。*


隊長:「な…ぜ……」


*シロウは隊長の耳元で、死にゆく男にだけ聞こえるように囁いた。*


シロウ:「質問に質問で返すな。礼儀を知らない奴は嫌いでな」


*シロウが剣を無造作に引き抜くと、隊長の体は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。返り血一滴浴びていないシロウは、残りの聖騎士たちへと冷たい視線を向けた。彼らは隊長の死を理解できず、ただ目の前で起きた超常の現象に立ち尽くしている。*


*シロウの周囲には、絶命した聖騎士たちが転がっていた。ある者は首から上が無く、ある者は胴体を両断され、誰一人としてまともな死に様ではなかった。その惨状の中心で、シロウは腕の中の幼体を汚さないように抱え直し、返り血一つ浴びていない剣を軽く振るって血糊を払う。*


シロウ:「(口封じは完了。これで、俺がこの村に来たことも、この子を保護したことも、あの日記を手に入れたことも、聖光教国の連中には伝わらない。問題ないだろう)」


*彼は冷徹に状況を判断し、視線を空へと向ける。*


シロウ:「(明日は聖女が城に来る日か。面白い手土産ができた。早く帰ろう)」


*シロウの思考が、城に残してきた者たちへと向いた瞬間、ふとあることを思い出す。*


シロウ:「(……そういえば、レイラとルミナを寝室に拘束したままだったな…)」


*和平交渉の使者であるセレスティーナの前で騒ぎを起こさないように、という配慮だったが、あれから丸二日が経過している。魔道バイブを挿入されたまま、ずっと放置されている二人の姿を想像し、シロウはわずかにバツが悪そうな表情を浮かべた。*


シロウ:「……さすがにやり過ぎたか?」


*彼は軽く頭を掻くと、空間を歪めて転移の座標を自室――問題の寝室――に設定する。周囲の景色がぐにゃりと歪み、次の瞬間には血と鉄錆の匂いが満ちた村の跡地から、彼の姿は完全に消え去っていた。*


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