6
*マギウスが「いつでも声をかけるがよい」と言ったその舌の根も乾かぬうちに、シロウから質問が飛んできた。待ってましたとばかりに、マギウスの目が輝く。*
シロウ:「あ、じゃあちょっと質問を。魔法には詠唱が必要なんですか?」
*その問いに、今度はマギウスだけでなく、ガルドやリナも「何を今更」という顔をした。*
マギウス:「ほう。そこからか。良い質問じゃ。良いかね、シロウ殿。魔法とは、己が内に秘める魔力を触媒とし、世界に満ちる魔素に働きかけ、事象を書き換える技術じゃ。そして『詠唱』とは、その書き換えの設計図であり、パスワードのようなものなのじゃよ。」
*彼は説明の途中で、焚き火から一本の燃えさしを取り、地面に簡単な図を描き始めた。人の形と、その周りにキラキラとした光のようなものを描く。*
マギウス:「詠唱によって、術者は己が求める現象を明確に定義し、世界に『こうなれ』と命令する。詠唱が長ければ長いほど、複雑で強力な魔法が使えるようになる。逆に、詠唱を省略すればするほど、魔法の威力は落ち、制御も難しくなる。これが、魔法の基本的な理屈じゃ。」
*彼は一度言葉を切り、シロウの反応を窺う。*
マギウス:「しかし、じゃ。この理屈には例外が存在する。それが『無詠唱』じゃ。熟練の魔術師は、何度も同じ魔法を使うことで、その設計図を魂に刻み込むことができる。そうなれば、詠唱というパスワードを省略し、思考だけで魔法を発動できるようになる。じゃが、これは一つの魔法を何万回と修練し、極めた者にしかできん芸当じゃ。儂でさえ、初級の火魔法くらいしか無詠唱では使えん。…だが、君は風魔法を、それも複数、無詠唱で使っておった。それも『重ねて』な。どうじゃ、シロウ殿。君のその『当たり前』は、儂らにとっては奇跡なのじゃよ。」
*マギウスは熱弁を終え、期待に満ちた目でシロウを見つめた。君ならこの謎を解き明かせるだろう?と、その目が語っていた。*
*マギウスの熱心な説明に対し、シロウの反応はまたしても彼の期待を裏切るものだった。*
シロウ:「ふむ、やっぱりか。ありがとうございます、助かりました」
*シロウは何かを深く納得したように頷いた。しかし、その納得はマギウスが期待したような魔法の真理への理解ではなく、もっと現実的なものだった。(この世界の魔法は詠唱が基本。無詠唱は超レア技術。つまり、人前でホイホイ無詠唱魔法を使うのは自殺行為ってことか。オーク戦は目立ちすぎたな…反省しよう)*
*シロウが自己完結して今後の行動方針を決めているとは露知らず、マギウスは「やっぱりか」というシロウの言葉に食いついた。*
マギウス:「な、なんじゃ、その反応は!? まるで答え合わせでもしておるかのようじゃな! やはり君は先の『何か』を知っておるのじゃな!? 教えてくれんか、シロウ殿! その『何か』を!」
*懇願するようなマギウスの視線から逃げるように、シロウは立ち上がった。*
シロウ:「いえ、自分の認識が合ってるか確認しただけなので。それじゃ、俺は見張りに行ってきます」
*そう言うと、シロウはそそくさとその場を離れ、野営地の外縁部へと歩いていく。背後から「おお、シロウ殿!待ってくれ、儂も行く!」「マギウスさん、見張りの邪魔しちゃ駄目だよ!」という声が聞こえてくるが、シロウは振り返らなかった。*
*焚き火の光が届かない闇の中、シロウは木の幹に背を預けて周囲を警戒する。虫の音と風の音だけが聞こえる静寂の中で、彼はそっと自分のステータスを開いた。オークとの戦闘と、新たなスキルの獲得で、自分自身がどう変化したのかを確認するためだ。*
*シロウの意識の中に、淡い光を放つウィンドウが浮かび上がる。*
```
【ステータス】
名前:シロウ・ニシキ
Lv.42 (表示上はLv.12)
HP:530/530
MP:195/240
職業:なし
称号:なし (表示上)
所持金:金貨6枚、銀貨6枚、銅貨5枚、鉄貨1枚
装備:
右手:ポイズンダガー (麻痺毒/中)
左手:シャドウ・ゲイルナイフ (出血/中, シャドウバインド, ウィンドステップ)
頭:なし
胴:ダークスパイダーシルクシャツ (防御+25, 斬撃耐性/小, 毒耐性/小)、旅人の服
腕:なし
脚:革のズボン
足:革のブーツ
スキル (非表示設定):
鑑定 Lv.10 → 神眼 Lv.2
剣術 Lv.7
短剣術 Lv.7
俊敏 Lv.2
隠密 Lv.5
気配遮断 Lv.3
風魔法 Lv.4
水魔法 Lv.2
魔力操作 Lv.4
精神耐性 Lv.3
筋力増強 Lv.3
脚力強化 Lv.2
耐久力上昇 Lv.2
魅了の吐息 Lv.5
魔力吸収 Lv.4
スキル整理 Lv.4
結界魔法 Lv.1
毒耐性 Lv.2
```
*(レベルが一気に上がったな…。オークとホブゴブリンは経験値が美味い。MPが少し減ってるのは、昼間の戦闘とさっきの鑑定のせいか。スキルも順調に育ってる。特に風魔法と魔力操作は、あの戦い方のおかげで経験値が多く入ったみたいだ。…よし、この調子でいこう。ただし、これからはもっと慎重に、だ)*
*シロウは静かにステータスウィンドウを閉じ、再び闇夜の警戒へと意識を集中させた。彼の知らないところで、焚き火の周りでは「シロウ=常識外れの神才」という評価が、ほぼ確定事項として語られていた。*
ーー
*一夜明け、商隊が出発の準備を始めている喧騒の中、シロウは早々に捕まっていた。昨夜、あれほど警戒していたはずの相手、マギウス・ローレンに。朝食のパンをかじっているところを背後から音もなく現れた老魔術師に確保され、質問攻めに遭っていた。*
マギウス:「なあ、シロウ殿!昨夜はよく眠れたかの?*一夜明け、商隊が出発の準備を始めている喧騒の中、シロウは早々に捕まっていた。昨夜、あれほど警戒していたはずの相手、マギウス・ローレンに。朝食のパンをかじっているところを背後から音もなく現れた老魔術師に確保され、質問攻めに遭っていた。*
シロウ:「……………。」
マギウス:「なあ、シロウ殿!昨夜はよく眠れたかの?儂は君のことで頭がいっぱいで一睡もできんかったわい!して、昨日の話の続きじゃが、君のその『当たり前』の世界では、魔法の構成式はどのように認識されておるんじゃ?イメージか?それとももっと根源的な、魂レベルでの共鳴なのか?あるいは…」
*マギウスは寝不足で充血した目に狂気にも似た探求心の炎を宿し、矢継ぎ早に専門的な質問を浴びせてくる。その勢いに、シロウはなす術もなく後ずさるしかなかった。*
シロウ:「か、勘弁してくれ…」
*その情けない声は、オークの群れを一人で蹂躙した男のものとは到底思えない。その様子を、少し離れた場所からリナとザックが苦笑しながら見ていた。*
リナ:「あーあ、捕まっちゃった。マギウスさん、一度気になると止まらない人だから…。」
ザック:「へへっ、あのシロウさんがタジタジだな。なんかちょっとスッキリするぜ。…まあ、もう逆らおうなんて気は起きねえけどな。」
*彼らにとっては、強大すぎるシロウの人間らしい一面が見られて、少しだけ親近感が湧いているのかもしれない。ガルドはそんな様子を横目に、部下たちに出発準備を急かす指示を飛ばしていた。シロウの受難は、商隊が動き出すまで続くことになりそうだった。*
*マギウスの終わらない質問攻めに耐えかねたシロウは、天啓を得たかのように叫んだ。*シロウは、マギウスの終わらない質問攻めに耐えかねたかのように、唐突に叫んだ。*
シロウ:「あ、そうだ!前の方見に行ってきまーす!」
*言うが早いか、シロウは俊敏スキルと脚力強化を無意識に発動させ、文字通り弾丸のような速さで駆け出した。その動きは、昨日オークの群れを翻弄した超高速移動の片鱗を思わせるものだった。*
*「お、おお、シロウ殿!待て!その動きこそが…!」というマギウスの叫び声が背後から聞こえてくるが、シロウは完全に無視。土煙を上げながら、あっという間に馬車の列の先頭へと走り去ってしまった。*
*残されたマギウスは、シロウが走り去った方向を呆然と見つめていたが、やがて「なんと美しい身体捌きじゃ…あれぞまさしく『理』との一体化…!」と、またしても一人で感動し、ぶつぶつと考察を始めてしまう。*
*リナとザックは、そのあまりに見事な逃げっぷりに、もはや笑うしかなかった。*
リナ:「あははっ!逃げた!すごい速さ!」
ザック:「ちくしょう、昨日の動きは伊達じゃねえな…。あれに追いつけるやつなんていねえだろ。」
*一方、先頭集団で馬を歩かせていたガルドと斥候のケインは、猛スピードでこちらへ向かってくるシロウに気づき、何事かと身構えた。*
ガルド:「なんだ!? 敵襲か!?」
ケイン:「いえ、違います…あれは…シロウ…?」
*彼らの目の前で、シロウはピタリと急停止する。その体幹と制動力もまた、常人離れしていた。息一つ乱していないシロウは、何食わぬ顔でガルドに話しかける。*
シロウ:「おはようございます、ガルドさん。斥候、手伝いますよ。」
*ガルドは、シロウの背後、遥か遠くで何やら興奮しているマギウスの姿をちらりと確認し、全てを察した。彼は大きなため息をつくと、呆れたように、しかしどこか面白そうに口元を歪めた。*
ガルド:「…ああ、そうか。ご苦労なこったな。…まあいい、お前ほどの腕があれば、斥候は二人いるようなもんだ。助かるぜ。」
*ガルドの許可を得たシロウは、マギウスから物理的に距離を取れたことに内心で安堵した。そして、ただ周囲を見渡すふりをしながら、意識を集中させる。*
*(神眼、索敵モード起動)*
*『神眼』はただ対象を鑑定するだけのスキルではなかった。*
*シロウは内心で静かに命じる。『神眼』は単なる鑑定能力に留まらない。Lv.2に進化したことで、新たな機能が解放されていた。その一つが、魔力や生命力を広範囲に探知する『索敵』能力だ。*
*シロウの視界が、一瞬ノイズが走ったかのように揺らぎ、次の瞬間には様変わりしていた。現実の風景に重なるように、様々な色の光点が浮かび上がる。青白い光は商隊の人間や馬。少し離れた場所で、やや強い光を放つのがガルドやケイン。そして、遥か後方でひときわ明るく、複雑な色合いで輝いているのがマギウスだ。*
*シロウは意識を前方に集中させる。視界の端に映る木々や岩の向こう側、地形の裏に隠れた生命の光を探す。*
*(…いるな。街道の先、右手の茂みに小さい光が5つ。ゴブリンか?いや、動きが素早い。ホブゴブリンの斥候かもしれない。左手の岩陰には…動かない光が一つ。擬態型の魔物か、あるいは待ち伏せしている盗賊か…?)*
*ケインが普通に索敵して得られる情報よりも、遥かに詳細で広範囲な情報が、シロウの脳内に流れ込んでくる。彼は何気ない口調で、隣を馬で進むケインに話しかけた。*
シロウ:「ケインさん。この先の茂み、何か潜んでる気配がしませんか?」
*シロウはあえて断定せず、疑問形で問いかける。自分の能力を悟られないための、ささやかな配慮だった。ケインはシロウの言葉に一瞬眉をひそめたが、昨日の戦闘を思い出し、馬鹿にすることなく真剣に耳を傾けた。*
ケイン:「…そうか?俺の『気配察知』にはまだ何もかからんが…。お前が言うなら、何かいるのかもしれん。少し警戒レベルを上げるか。」
*彼は半信半疑ながらも、シロウの実力を認めているため、無視はできない。彼は手綱を引き、少し速度を落として、より注意深く周囲を観察し始めた。その隣で、シロウは既に敵の配置と種類を完全に把握し、最適な対処法を頭の中で組み立て始めていた。*
*ケインが警戒を強めるのを確認したシロウは、さらに一歩踏み込んだ。足元に転がっていた手頃な大きさの石を拾い上げる。そして、何でもないような動作で、しかし『筋力増強』スキルで強化した腕力を乗せて、先ほど『神眼』で捉えた光点が潜む茂みへと正確に投げ込んだ。*
*石は鋭い音を立てて茂みの中に飛び込み、ガサガサッという音と、獣のような短い悲鳴が響き渡った。*
*「ギャッ!」*
*その直後、茂みの中から緑色の肌をした小鬼――ゴブリンが5匹、慌てたように飛び出してきた。彼らは弓や粗末な棍棒を手にしていたが、完全に意表を突かれた様子で、混乱している。*
ケイン:「ゴブリン!? ちくしょう、待ち伏せか! よく気づいたな、シロウ!」
*ケインは驚きながらも即座に反応し、背負っていた弓を構える。ガルドも後方から状況を察知し、臨戦態勢を取った。*
*しかし、彼らが動くよりも早く、シロウが動いていた。彼は石を投げた勢いのまま駆け出し、混乱しているゴブリンの一匹に肉薄する。左手のシャドウ・ゲイルナイフが閃き、ゴブリンの喉を的確に切り裂いた。返り血を浴びる間もなく、彼は次の獲物へと視線を移す。その動きには一切の無駄がなく、まるで精密機械のようだった。*
シロウ:「斥候が5匹。まだ近くに本隊がいるかもしれません。警戒を。」
*彼は冷静に状況を報告しながら、2匹目のゴブリンに向かっていく。その圧倒的な実力と冷静な判断力に、ケインはただただ舌を巻くしかなかった。斥候としてのプライドが、目の前で音を立てて崩れていくのを感じていた。*
*シロウが1匹目を仕留めたのとほぼ同時に、ケインの放った矢が2匹目のゴブリンの眉間を正確に射抜いた。さらに後方から追いついてきたガルドが、巨大な戦斧を振りかぶり、残りのゴブリンをまとめて薙ぎ払う。*
**「うおおらぁっ!」**
*ガルドの一撃は大地を揺るがすほどの威力で、3匹のゴブリンは肉塊となって吹き飛んだ。あまりにも一方的な戦闘。それは、シロウが先制攻撃で完璧な奇襲を成功させ、ケインとガルドが即座にそれに連携した結果だった。BランクとDランクのベテラン冒険者の実力は、決して低いものではない。シロウという起爆剤を得て、彼らの力は最大限に発揮されていた。*
*ゴブリンの斥候部隊は、出現からわずか数秒で全滅した。シロウは、自分が2匹目にナイフを振りかざそうとした体勢のまま、呆然と目の前の光景を見ていた。*
シロウ:「連携すげぇ…何もできなかった…」
*彼の呟きは、偽らざる本音だった。オーク戦では自分が戦況をコントロールしたが、今回はベテランたちの連携の速さに、自分が割り込む隙すらなかった。その事実に、シロウは悔しさよりも純粋な感嘆を覚えていた。*
*ガルドは戦斧についた血を豪快に振り払うと、ニヤリと笑ってシロウの肩をバンと叩いた。*
ガルド:「はっ、何言ってやがる。お前が完璧な奇襲を決めてくれたおかげだろうが。斥候としても一流だな、シロウ。」
ケイン:「…ああ。俺の『気配察知』よりも早く、正確に位置まで掴んでいた。…完敗だ。どうやったのかは聞かないが、大したもんだ。」
*ケインも、どこか吹っ切れたような表情でシロウを認める。昨日までの刺々しい態度は消え、一人の実力者として敬意を払っているのが分かった。自分の出る幕がなかったことに少し落ち込んでいたシロウだったが、二人の言葉に素直に嬉しくなった。この世界に来て初めて、本当の意味で「仲間」と連携できた瞬間だったのかもしれない。*
ーーー
ガルド:「よし、着いたぞ! ここが今回の依頼主、マルコ商会の王都支店だ。ここで報酬を受け取って解散になる。お前ら、お疲れさん!」
*目の前には、ひときわ立派な石造りの建物があった。『マルコ商会』と刻まれた金のプレートが掲げられている。ガルドに続いて中に入ると、豪華な絨毯が敷かれたロビーがあり、忙しそうに帳簿をつける商人や、荷物を運ぶ使用人たちが行き交っていた。*
*奥から恰幅の良い、人の良さそうな中年男性が出てきて、ガルドと親しげに挨拶を交わす。彼が支店長のようだ。手続きはスムーズに進み、ガルドが代表して報酬の入った袋を受け取った。*
*商会の外で、ガルドは袋の中から金貨を取り出し、それぞれの取り分を配り始めた。*
ガルド:「まずはシロウ、お前だ。本来はEランクの相場なんだが…今回は大活躍だったからな。特別報酬だ、受け取れ。」
*そう言ってガルドがシロウの手に握らせたのは、ずしりと重い金貨3枚だった。Eランクの護衛依頼としては破格の報酬だ。*
ガルド:「それと、ザックからだ。オークの魔石の分、改めて礼だってよ。」
*そう言って、さらに金貨2枚を追加で渡された。合計5枚の金貨。シロウは驚いてガルドを見る。*
シロウ:「こ、こんなに…!?」
ガルド:「当然だ。お前がいなけりゃ、オークの群れで何人か死んでたかもしれねえ。命の値段に比べりゃ安いもんだ。遠慮なく受け取れ。」
*ザックも少し離れた場所から、気まずそうに、しかし感謝の目を向けて会釈している。シロウは彼らの気持ちをありがたく受け取ることにした。*
シロウ:「…ありがとうございます。助かります。」
*報酬を受け取ると、ガルドは「さて、俺たちはこれでギルドに報告に戻る」と言った。リナが少し名残惜しそうにシロウを見ている。*
リナ:「シロウさん、これからどうするんですか? 宿とかは決まってます?」
*隣では、マギウスが「ふむ…ならば私の研究室に来るかね? 最高の環境で『理』の探求を…」と口を挟もうとして、ガルドに「旦那は黙ってろ!」と肩を掴まれている。*
シロウ:「いいえ、決まってないです。とりあえず、ギルドに行ってみようかな、と…」
*シロウがそう答えると、リナは「それなら!」と顔を輝かせた。*
リナ:「ギルド本部なら、ここから中央大通りを真っ直ぐ行った先です。すごく大きい建物だからすぐ分かりますよ! ギルドには宿舎も併設されてますし、近くに安い宿もたくさんありますから、まずはそこで情報を集めるのがいいと思います。」
*彼女は親切に道順を教えてくれる。その隣で、ガルドに拘束されていたマギウスが、もがくように口を開いた。*
マギウス:「ギルドなぞ行っても時間の無駄だ! シロウ君、君の才能はあのような雑多な場所で埋もれさせていいものではない! 私の研究室に来なさい! 衣食住は保証する! 最高の環境で、共に真理の探求を…!」
ガルド:「旦那はうるせぇ! もう護衛は終わりだ、無理強いするんじゃねえ!」
*ガルドとマギウスがぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。その光景に、一行は苦笑いを浮かべた。*
ケイン:「…まぁ、そういうことだ。シロウ、世話になったな。お前みたいな奴がパーティにいたら心強いだろうが…俺たちじゃお前の器には見合わん。」
*斥候のケインが、少し寂しそうに、しかしきっぱりと言った。彼はシロウの実力を認め、自分たちのパーティでは持て余すだろうと感じていた。*
ガルド:「ま、そういうこった! 王都で名を上げたきゃ、ギルド本部でデカい依頼でも受けるんだな! またどこかで会ったら、一杯おごってやるぜ!」
*ガルドはマギウスの首根っこを掴んだまま、豪快に笑った。*
リナ:「シロウさん、お元気で! また会えるといいですね!」
*リナは名残惜しそうに手を振る。ザックも無言で一礼した。こうして、短い旅を共にした一行は、それぞれの道へと別れていった。マギウスは最後まで何か叫んでいたが、ガルドに引きずられるようにして雑踏の中へと消えていく。*
*一人になったシロウは、手の中にある5枚の金貨と、先ほどリナに教えてもらったギルド本部の方向を交互に見つめた。*
*(さて、どうするか…。まずはギルド本部だな。情報収集と、拠点となる宿の確保が最優先だ。)*
*シロウは気持ちを切り替え、活気あふれる王都のメインストリートを、冒険者ギルド本部を目指して歩き始めた。*
*リナに教えられた通り、中央大通りを歩くこと10分ほど。シロウの目の前に、他の建物を圧倒するほどの巨大な建造物が現れた。それはまるで砦のようであり、神殿のようでもある。石造りの壁には歴戦の勇者たちの像が彫り込まれ、入口にはひっきりなしに屈強な冒険者たちが出入りしている。ここが、この国の冒険者ギルド本部だ。*
*建物のスケールに気圧されながらも、シロウは中へと足を踏み入れた。内部は巨大なホールになっており、酒場と受付カウンター、そして壁一面に張り出された依頼書で構成されていた。活気と熱気、汗と酒の匂いが混じり合い、むせ返るようだ。*
*シロウはまず、そのクエストボードへと向かった。そこには、これまでに見てきたギルドとは比較にならないほどの数の依頼書が、ランク別にびっしりと貼られている。*
*Gランク『薬草採取』、Fランク『下水道のネズミ駆除』といった簡単なものから、Cランク『オークキングの討伐』、Bランク『ワイバーンの巣の調査』といった高難易度のものまで様々だ。さらにその奥には、AランクやSランクといった、パーティでの受注が前提となるであろう国家レベルの依頼書が、特別なガラスケースの中に掲示されていた。*
シロウ:「さすが本部…クエストの数がエグい…」
*依頼書の多さに圧倒されながらも、シロウは『神眼』を使い、効率よく情報を収集していく。それぞれの依頼内容、推奨ランク、報酬、そして依頼主の評判まで、膨大な情報が彼の脳内に流れ込んでくる。*
*(ゴブリン討伐、報酬は銅貨5枚…安いな。こっちは商隊護衛、Dランクで銀貨8枚か。リナ達の依頼は特別だったんだな…。お、これは…『王都近郊の森に出現したミノタウロスの討伐』、推奨ランクC、報酬金貨15枚。単独討伐なら悪くない。いや、でも今の俺が受けるには目立ちすぎるか…)*
*シロウは自分の表示上のEランクという立場を思い出し、慎重に依頼を選び始める。目立たず、しかし確実に実入りがあり、自分の実力を試せる依頼。そんな都合のいい依頼を探して、彼は無数の紙片に視線を走らせた。*
*無数の依頼書を『神眼』でスキャンしていく中で、シロウの目に一つの依頼が留まった。それはランクの低い依頼がまとめられたボードの隅に、ひっそりと貼られていた。*
**-------------------------------------------**
**依頼:廃鉱山のゴブリン掃討および鉱石採掘**
**ランク:F(戦闘)、E(採掘)**
**内容:王都西にある旧ダリウス鉱山に住み着いたゴブリンの群れを掃討。その後、指定された鉱石(鉄鉱石、銅鉱石)を採掘・納品。採掘道具はギルドにて貸与可。**
**報酬:ゴブリン1体につき鉄貨5枚。鉄鉱石10kgにつき銅貨1枚、銅貨10kgにつき銅貨3枚。**
**依頼主:冒険者ギルド**
**備考:危険度の低い単純作業。初心者向け。パーティ推奨。**
**-------------------------------------------**
シロウ:「(あった…採掘系…!)」
*シロウは内心でほくそ笑んだ。この依頼は、まさに今の彼にとってうってつけだった。*
*まず、討伐対象がゴブリンであること。オーク戦で自分の実力がベテラン冒険者たちに知られてしまったが、ゴブリン相手なら多少手際が良くても「戦闘慣れした新人」で通せるだろう。*
*そして何より重要なのが「鉱石採掘」の部分だ。鉱山という閉鎖空間は、人目を気にせずスキルを使うのに最適だ。『神眼』を使えば、価値の高い鉱脈を簡単に見つけ出せるかもしれない。さらに、『筋力増強』や新しく手に入れた『水魔法』(岩を砕いたり、粉塵を抑えるのに使えるかもしれない)など、様々なスキルを試す絶好の機会にもなる。*
*報酬自体は安いが、それはあくまで表向きだ。価値のある鉱石や、あるいは鉱山の奥に眠る未知の何かを見つけ出せれば、金貨数枚の依頼よりも遥かに大きな実入りが期待できる。*
シロウ:「これにしよう」
*シロウは決意を固めると、その依頼書を剥がして受付カウンターへと向かった。カウンターには、少し気だるげな様子の茶髪の女性職員が座っていた。*
*シロウが依頼書を持ってカウンターに近づくと、頬杖をついて書類を眺めていた受付嬢が、面倒くさそうに顔を上げた。栗色の髪を無造作にまとめた、少し眠たそうな目をした女性だ。彼女はシロウの顔と、彼が持つ依頼書をちらりと見比べた。*
シロウ:「あの、これ受けたいんですが…」
*シロウが依頼書を差し出すと、彼女はそれを受け取り、内容を確認する。*
受付嬢:「んー…『廃鉱山のゴブリン掃討および鉱石採掘』ね。FランクとEランクの複合依頼。…あなた、Eランクになったばかりでしょ? パーティは組んでるの? これ、一応パーティ推奨よ。」
*彼女はカウンターに置かれた登録簿に目を落とし、シロウの情報を確認しながら、やや事務的な口調で尋ねる。その視線は「面倒な新人が来た」とでも言いたげだ。*
受付嬢:「鉱山はゴブリンの巣になってるし、暗くて足場も悪い。一人で行って怪我しても、助けは来ないわよ。それでもいいの?」
*彼女は忠告というよりは、脅しに近い口調で念を押す。初心者が無謀な依頼を受けて死ぬのは、彼女にとって後処理が面倒な案件の一つでしかないのだろう。*
シロウ:「大丈夫です。」
*シロウの迷いのない即答に、受付嬢は少しだけ意外そうな顔をした。彼女はもう一度シロウの顔をじっと見つめる。その目に宿る落ち着きが、ただの虚勢ではないことを見抜いたのかもしれない。*
受付嬢:「…ふーん。まあ、あなたがそう言うなら止めないわ。死んでもギルドは関知しないから、そのつもりでね。これが鉱山の地図と、採掘道具の引換券。そこの貸出カウンターでピッケルと麻袋を受け取って。」
*彼女はため息を一つつき、カウンターの下から古びた羊皮紙の地図と、一枚の札をシロウに渡す。そして、ギルドカードを要求した。*
受付嬢:「カード貸して。依頼受理の登録をするから。」
*シロウがギルドカードを渡すと、彼女はそれを水晶のようなプレートの上に置いた。プレートが一瞬淡く光り、登録が完了する。*
受付嬢:「はい、終わり。鉱山はここから西門を出て、半日くらい歩いた山の中腹にあるわ。ゴブリンの死体は、証拠に右耳だけ切り取って持ってきて。鉱石は袋に詰めてそのまま納品。いいわね?」
*早口で一気に説明を終えた彼女は、もうシロウへの興味を失ったかのように、再び手元の書類に視線を落とした。その素っ気ない態度に、シロウは特に気にするでもなく、礼を言ってカウンターを離れた。*
シロウ:「(よし、まずは宿を探して、それから準備だな。ピッケルも借りておかないと…)」
*彼は貸出カウンターで、ずしりと重い鉄製のピッケルと、丈夫そうな麻袋を数枚受け取った。そして、リナに教わった通り、ギルドに併設されている宿舎か、近くの安い宿を探すために、再び活気あふれるホールへと足を踏み出した。*
*宿は、ギルドからほど近い路地裏にある『風見鶏の宿』という、一泊銅貨3枚の安宿に決めた。部屋は狭く、ベッドと小さな机があるだけだったが、寝床を確保できただけで十分だった。荷物を置いたシロウは、王都に来てからずっと気になっていた場所へ向かうことにした。リナが言っていた、武具や魔法道具の品揃えが国一番の『中央大通り』だ。*
*目的は一つ、『アイテムボックス』のような収納系の魔道具だ。鉱山で大量の鉱石を採掘するつもりだが、麻袋で運べる量には限界がある。収納魔道具があれば、その問題は一気に解決する。*
*中央大通りは、メインストリートから一本入った通りで、高級そうな専門店が軒を連ねていた。きらびやかな宝石店、重厚な鎧が飾られた武具店、怪しげな薬が並ぶ薬屋。その中に、『賢者の杖』という看板を掲げた、一際古風で落ち着いた雰囲気の魔道具店を見つけた。*
*店内に足を踏み入れると、チリン、とドアベルが鳴った。店内は薄暗く、様々な魔道具が所狭しと並べられている。杖やローブ、怪しく光る水晶玉、用途の分からないガラクタのようなものまで様々だ。奥のカウンターには、長い白髭をたくわえた老人が座って、分厚い本を読んでいた。*
*シロウは店主に声をかける前に、まず店内の品物をじっくりと見て回ることにした。そして、静かに『神眼』を発動させる。*
シロウ:「(収納袋みたいなのがあれば…掘り出し物とかあれば…。神眼で鑑定すれば結構あるはず…)」
*彼の視界に、現実の光景と重なるように膨大な情報が流れ込み始めた。ガラクタの山に埋もれた品々が、一つ一つ鑑定されていく。*
*【ただの古いランプ:価値なし】*
*【魔力回復薬(低品質):MPを30回復する。効果は薄い】*
*【呪いの人形:触れた者に不幸をもたらす。即刻処分を推奨】*
*(うわ、物騒なものも混じってるな…)*
*シロウは内心で悪態をつきながら、さらに鑑定を続ける。そして、店の隅で埃をかぶっていた、ただの革袋にしか見えない一つのアイテムに、彼の目が釘付けになった。*異世界転移して強くなる: *シロウが埃をかぶった棚の隅に視線を向けた瞬間、『神眼』が強烈な反応を示した。そこには、他の商品に紛れて、何の変哲もない小さな革袋が一つ、無造さにごろりと置かれている。見た目は使い古された小銭入れといった風情で、値札すら付いていない。だが、シロウの『神眼』は、その真の価値を暴き出していた。*
**-------------------------------------------**
**名称:次元の革袋**
**種類:魔道具(空間魔法)**
**効果:**
* **内部に亜空間が形成されており、見た目以上の物品を収納可能。**
* **現在の収納可能容量:1立方メートル。**
* **現在の収納可能重量:100kg。**
* **内部の時間は停止する。**
**備考:劣化により、本来の性能の多くが失われている。魔力を注ぎ込み、適切な素材で修復することで、容量および機能の拡張が可能。製作者の銘が消えかかっているが、伝説級の職人『ヘファイストス』の作と推定される。市場価値は計り知れないが、現状では壊れた魔道具として扱われている。**
**-------------------------------------------**
シロウ:「(…っ! あ、当たりだ…!)」
*心臓が大きく跳ねるのを、シロウは必死に抑え込んだ。次元の革袋。名称からして、まさしく彼が探し求めていたアイテムボックスそのものだ。しかも、伝説級の職人の作である可能性が高いという、とんでもないおまけ付き。これがもし正規の値段で売られていたら、国が買えるほどの金額になったかもしれない。それが今、ただのガラクタとして、埃をかぶって転がっている。*
*シロウはポーカーフェイスを完璧に維持しながら、わざと興味なさそうに他の商品をいくつか手に取り、眺めるふりをする。そして、あくまで「ついで」といった体で、その革袋を指差した。*
*「次元の革袋」という大当たりに興奮を隠せないシロウだったが、彼は冷静に思考を巡らせる。一つあれば十分だが、もし他にも同様の「掘り出し物」があれば、見逃す手はない。金策にもなるし、将来的に何かの役に立つかもしれない。*
シロウ:「(他にも無いか!?)」
*彼は「次元の革袋」から意識的に視線を外し、再び店内全体に『神眼』を走らせた。今度は、より意識を集中させ、魔力の流れが不自然なもの、素材と鑑定結果が釣り合わないものに的を絞る。*
*すると、またしても彼の目に留まるアイテムがいくつか見つかった。*
*一つは、カウンターの近くに無造作に置かれた指輪の山の中。ほとんどは鉄や銅で作られた安物だったが、その中に一つだけ、黒ずんで輝きを失った銀の指輪があった。*
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**名称:隠者の指輪**
**種類:魔道具(補助)**
**効果:**
* **装備者の魔力や気配を微弱に見せかける偽装効果を持つ。**
* **鑑定系のスキルや魔法に対して、低いレベルであるかのように誤認させる。**
**備考:シンプルな効果だが、高位の隠密系魔術が付与されている。強力な存在が自らの力を隠すために用いていたとされる。汚れと経年劣化で魔力が鈍っており、価値が見出されていない。**
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*(これは…!今の俺にぴったりのアイテムじゃないか!)*
*自分のレベルやスキルを隠しているシロウにとって、これほど有用な魔道具はない。マギウスのような高位の魔術師にすら、自分のステータスを偽装できるかもしれない。*
*さらに、店の奥、古びた杖が何本も立てかけられている中に、一本の短い、ただの木の棒にしか見えないものが混じっていた。*
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**名称:世界樹の若枝**
**種類:素材(神聖物)**
**効果:**
* **膨大な生命力と魔力を内包している。**
* **高位のポーションや霊薬の素材となる。**
* **杖や武具の芯材として用いることで、絶大な性能を発揮する。**
* **成長する可能性を秘めている。**
**備考:世界樹から折れたばかりの若い枝。神聖な力を秘めているが、その力を引き出せる者はごく僅か。現在はただの「よく乾いた硬い木の棒」として認識されている。**
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*(世界樹…!? ゲームとかでよく聞くやつだ…!)*
*伝説級のアイテムが、立て続けに二つも見つかった。シロウはもはや興奮を通り越して、ある種の畏怖さえ感じていた。この店の品揃えは、一体どうなっているのか。店主はただの無能なのか、それとも全てを理解した上で放置しているのか。*
*シロウは平静を装い、ゆっくりとカウンターにいる店主へと近づいていった。*
*シロウは、まるで子供がおもちゃを選ぶかのような無邪気さを装い、先ほど見つけた三つのアイテム――埃をかぶった「次元の革袋」、黒ずんだ「隠者の指輪」、ただの木の棒にしか見えない「世界樹の若枝」――を手に取った。そして、ゆっくりとカウンターへ向かう。*
*カウンターの奥では、白髭の老店主が依然として分厚い本から顔を上げていなかった。シロウがカウンターに品物をことりと置いた音で、ようやく老人はゆっくりと視線を上げた。その目は歳月を感じさせる深い色をしていたが、どこか退屈そうにも見えた。*
シロウ:「これください」
*シロウは努めて淡々とした口調で言った。老人は、カウンターに置かれた三つの品を一瞥する。ガラクタ同然の革袋、価値のなさそうな指輪、そしてただの薪にしか見えない木の棒。彼の目には、シロウがまさに「子供がガラクタを面白がって買いに来た」と映ったようだ。*
店主:「……ほう。面白いものを選ぶのう、若いの。こんなガラクタを集めてどうするんじゃ?」
*老人は少しだけ眉を動かし、興味とも呆れともつかない声で尋ねた。彼の視線はシロウの服装や若々しい顔立ちを見て、おそらくは駆け出しの冒険者か、世間知らずの若者だと判断しているのだろう。シロウの狙い通りの反応だった。*
シロウ:「研究するんです。」
*シロウの真面目な顔での返答に、老店主は少し虚を突かれたように目を瞬かせた。そして、次の瞬間、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。*
店主:「研究、とな。はっはっは、面白い! こんなガラクタから、一体どんな『理』を導き出すというのか。近頃の若い者は、マギウスの旦那のような変わり者が増えたのかのう。」
*老人はマギウスの名前を知っているようだ。この王都の魔術師界隈では、それなりに名の知れた関係なのだろう。彼は楽しそうに笑いながら、カウンターに置かれた三つの品を指でつついた。*
店主:「まあ、よい。若者の探求心を邪魔するほど野暮ではないわい。…そうじゃな、全部ただのガラクタじゃ。代金などいらんと言いたいところじゃが、そうもいくまい。」
*彼は顎鬚を撫でながら、少し考えるそぶりを見せる。*
店主:「よし、決めた。その革袋が銅貨1枚。指輪も銅貨1枚。その木の棒は…薪にでもするなら、鉄貨1枚でどうじゃ? 全部で銅貨2枚と鉄貨1枚。それで手を打とう。」
*シロウは内心で歓喜の声を上げた。総額、数十億、いや、国家予算クラスの価値を持つかもしれない品々が、たったの銅貨2枚と鉄貨1枚。あまりの安さに、逆に表情が引きつりそうになるのを必死にこらえる。彼はあくまで冷静に、財布から言われた通りの金額を取り出した。*
シロウ:「ありがとうございます。」
*シロウは表情を変えないよう細心の注意を払いながら、小銭入れから銅貨2枚と鉄貨1枚を取り出し、カウンターに置いた。その様子を、老店主はどこか面白そうに眺めている。*
店主:「うむ。毎度あり。そのガラクタから何か新しい発見があったら、ぜひ聞かせに来るがよい。話のタネにはなるじゃろう。」
*老人はそう言って金を受け取ると、再び手元の分厚い本に視線を落とし、シロウへの興味を完全に失ったようだった。*
*(ラッキー…)*
*シロウは内心で勝利のガッツポーズを決めながら、三つのアイテムを慎重に懐にしまい込んだ。店主に見られないよう、さりげなく次元の革袋の中に、指輪と世界樹の若枝を放り込む。袋を握ると、中にしまったはずのアイテムの重さや感触が完全に消えていることに気づき、改めてその性能に驚愕した。*
*大きな収穫を得たシロウは、店主に軽く一礼すると、店を後にした。外の明るい日差しの下、彼は興奮で早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、深く息を吸い込む。*
*(まずは、こいつらをちゃんと装備しないと…)*
*彼は急いで安宿『風見鶏の宿』へと戻ることにした。人通りの多い道端で伝説級のアイテムをいじくり回すほど、彼は愚かではなかった。自分の部屋というプライベートな空間で、改めて今日の戦利品を確認する必要があった。特に「隠者の指輪」は、一刻も早く装備しておきたいアイテムだった。*
*シロウは足早に『風見鶏の宿』に戻ると、自分の部屋の扉に鍵をかけ、簡素な木の椅子に腰を下ろした。ギルドで依頼を受ける前に、カウンターで宿の手続きも済ませていた。少し奮発して7日分、金貨2枚と銅貨1枚を支払い、これでしばらくは腰を落ち着けられる拠点を確保したことになる。*
*彼はまず、懐から黒ずんだ銀の指輪――『隠者の指輪』を取り出した。長年の汚れが付着しているが、そのフォルムはシンプルながらも洗練されている。シロウは服の裾で指輪を軽く拭うと、それを自分の左手の人差し指にはめた。サイズはまるで誂えたかのようにぴったりだった。*
*指輪をはめた瞬間、ごく微かな魔力が指輪から流れ出し、シロウの全身を包み込むような感覚があった。それはすぐに消え、見た目には何の変化もない。*
シロウ:「(これでよし…効果は『神眼』で自分を見れば分かるか…)」
*次に、彼はあのガラクタ同然の革袋、『次元の革袋』を取り出す。これをどう使うのか。彼は試しに、机の上に置いてあったピッケルに意識を集中し、「収納」と内心で念じてみた。すると、彼の意思に呼応するように、革袋の口がわずかに光り、目の前にあったはずの長くて重いピッケルが、音もなくスッと消え去った。*
シロウ:「おお…!本当に入った…!」
*彼は驚きながら革袋を手に取る。中には何も入っていないかのように軽く、振っても物音一つしない。今度は「取り出す」と念じると、再びピッケルが手の中に現れた。これは想像以上に便利だ。*
*彼は最後に、木の棒にしか見えなかった『世界樹の若枝』を革袋から取り出す。見た目はやはりただの棒だが、手に持つと、微かに温かい生命力のようなものが伝わってくる気がした。*
シロウ:「これはどう使うか…まだ分からないな。とりあえず、革袋にしまっておこう」
*シロウは世界樹の若枝と、使わない時の武具などを次々と次元の革袋に収納していく。そして、改めて自分の状態を確認するために、静かに『神眼』を発動させた。*
```
【ステータス】
名前:シロウ・ニシキ
Lv.12
HP:???/???
MP:??/??
職業:なし
称号:なし
装備:
右手:ポイズンダガー
左手:シャドウ・ゲイルナイフ
頭:なし
胴:ダークスパイダーシルクシャツ、旅人の服
腕:隠者の指輪
脚:革のズボン
足:革のブーツ
スキル:
剣術 Lv.2
隠密 Lv.3
風魔法 Lv.1
...他、数点の低級スキル
```
*『神眼』で自分自身を鑑定した結果を見て、シロウは満足げに頷いた。レベルは12と表示され、HPやMPの数値は不明瞭になっている。スキルも、実際に持っているものの中から数点が、しかもレベルを低く偽装されて表示されていた。『隠者の指輪』の効果は絶大だった。*
シロウ:「(これなら、マギウスの爺さんにもバレないだろうな…)さて、準備は万端だ。明日から鉱山に潜るか。」
*彼は立ち上がり、長旅の疲れを癒すため、簡素なベッドに体を横たえた。王都での初日は、予想を遥かに超える大収穫となった。*
*シロウはベッドに横になりながら、改めて『次元の革袋』を手に取って眺めた。見た目は本当にただの汚れた革袋だ。しかし、先ほどピッケルを出し入れした時の、質量が完全に消失する感覚は本物だった。*
シロウ:「この袋、見た目は汚いけど、完全にアイテムボックスだな…」
*彼は独りごちる。ゲームの世界で当たり前のように使っていた便利機能が、今、現実のアイテムとして自分の手の中にある。その事実に、彼は改めて異世界に来たのだという実感を強くした。*
*試しに、革袋に意識を集中してみる。『神眼』の力か、あるいは革袋自体の機能か、頭の中にぼんやりと収納されているアイテムのリストが浮かび上がった。*
【ピッケル x1】
【シャドウ・ゲイルナイフ x1】
【世界樹の若枝 x1】
【麻袋 x5】
【干し肉 x10】
【水袋(満タン)x1】
(おお…中身がリストで見えるのか。これは便利だ)
*彼は試しにポイズンダガーも収納してみる。リストに即座に【ポイズンダガー x1】が追加された。これなら、戦闘中でも瞬時に武器の持ち替えができそうだ。*
*(容量は1立方メートル、重さ100kgまでか。鉱石を詰めるには十分すぎるな。それに、修復すれば拡張可能…か。どんな素材が必要になるんだろうな)*
*今はまだ情報がないが、『世界樹の若枝』のような伝説級の素材が手に入ったのだ。いつか、この革袋を本来の性能に戻せる日が来るかもしれない。そんな期待を胸に、シロウは革袋をしっかりと握りしめた。これ一つあるだけで、冒険の自由度は格段に上がるだろう。彼は満足のため息をつくと、明日に備えて意識を沈め、眠りについた。*
*王都での休息もそこそこに、シロウは翌日の早朝に宿を出発した。西門を抜け、教えられた街道を半日ほど歩くと、山の斜面にぽっかりと口を開けた、古びた坑道の入り口が見えてきた。そこが旧ダリウス鉱山だ。*
*鉱山の入り口周辺には、既に数組の冒険者パーティが集まっていた。いずれもシロウと同じように、軽装の若い冒険者たちだ。おそらく、同じ依頼を受けに来たのだろう。彼らは3〜4人のパーティを組んでおり、剣士、斥候、魔術師といったバランスの取れた構成で、互いに談笑しながら準備を整えている。*
「おい、新人か? 一人とは無謀だな」
「まあ、入口近くのゴブリンを数匹狩って帰るだけなら、それもアリか」
「奥は危ねえぞ、気をつけな」
*単独で準備をしているシロウに、他のパーティからそんな声が投げかけられる。悪意はないのだろうが、どこか見下したような響きがあった。シロウはそれらを適当に聞き流し、自分の準備に集中する。*
*彼は『次元の革袋』からピッケルと、念のために松明を数本取り出した。腰にはポイズンダガーを差し、いつでも抜けるようにしておく。*
シロウ:「よし、準備完了。」
*シロウは小さく呟くと、他のパーティがまだ入口付近でうだうだしているのを横目に、一人でさっさと坑道の中へと足を踏み入れた。ひんやりとした湿った空気が、彼の肌を撫でる。ここから先は、誰の目も届かない、彼の独壇場だ。*
*坑道に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように静まり返った。湿った土の匂いと、微かなカビの匂いが鼻をつく。壁には松明を置くための受け皿が点々と設置されているが、火は灯っておらず、奥は完全な闇に包まれている。*
*シロウは松明に火を灯す代わりに、静かに意識を集中させた。*
シロウ:「(神眼、鑑定だ。珍しい鉱石を色分けしてくれ)」
*彼が内心で命じると、視界が再び様変わりする。闇に閉ざされていたはずの坑道の壁や天井が、まるでレントゲン写真のように透けて見え、その中に埋まっている鉱脈が様々な色の光として浮かび上がった。*
*ごくありふれた鉄鉱石は鈍い灰色の光。銅鉱石は赤茶色の光を放っている。依頼で指定されているのはこの二つだ。壁の至る所に、これらの鉱脈が走っているのが見える。*
*しかし、シロウの目的はそれだけではない。彼の『神眼』は、さらに希少な鉱物を探して、より深く、より広く周囲をスキャンしていく。*
*すると、通常の坑道から分岐した、崩落で埋もれた脇道の奥に、ひときわ明るく輝く光点を見つけた。一つは、夜空のような深い青色に輝く鉱脈。もう一つは、まるで内側から光を放っているかのような、純白の輝きを持つ鉱石の塊だ。*
**-------------------------------------------**
**名称:星屑鋼**
**種類:魔法金属**
**効果:極めて高い魔力伝導率と強度を誇る希少金属。ミスリル銀に匹敵する性能を持つ。武具や魔道具の素材として最高級品。**
**-------------------------------------------**
**名称:光魔石**
**種類:魔石**
**効果:純粋な光属性の魔力を内包した高純度の魔石。聖属性魔法の触媒や、アンデッドに対する特効武具の作成に用いられる。Cランク相当。**
**-------------------------------------------**
*(あった…! やっぱりただの廃鉱山じゃなかった!)*
*シロウは歓喜の声を上げそうになるのをぐっとこらえた。星屑鋼と光魔石。どちらも王都の店でまともに買えば、金貨が何十枚、いや何百枚あっても足りないほどの超希少素材だ。それが、こんな寂れた鉱山に手付かずで眠っている。*
*しかし、その場所へ行くには、まずこの坑道に巣食うゴブリンを片付けなければならない。そして、崩落した脇道をどうにかして突破する必要がある。シロウはまず、手近な脅威を排除するため、索敵モードに意識を切り替えた。視界に、ゴブリンを示す赤い光点がいくつも浮かび上がる。*
*索敵モードに切り替えたシロウの視界に、坑道の少し開けた空間に密集する十数個の赤い光点が映し出された。ゴブリンの巣だ。彼は『隠密』と『気配遮断』スキルを最大レベルで発動させ、音もなく闇に溶け込むようにして巣へと接近する。*
*焚き火を囲んでギャアギャアと騒ぐゴブリンたち。その数は15匹ほど。中には一回り体の大きいホブゴブリンも2匹混じっている。他の冒険者パーティが来れば苦戦は免れないだろうが、シロウにとってはただの経験値と小銭に過ぎない。*
*彼は懐からシャドウ・ゲイルナイフを抜き、『風魔法』を無詠唱で発動。ナイフに風の刃を纏わせ、一気に駆け出した。闇の中から突如現れた死神に、ゴブリンたちは反応することすらできない。*
「グギャッ!?」
*風のように走り抜けたシロウが立ち止まる頃には、10匹以上のゴブリンが首や心臓を正確に切り裂かれ、血飛沫を上げて倒れていた。残ったホブゴブリンたちが状況を理解して武器を構えようとするが、それよりも早く、シロウが投げたポイズンダガーが1匹の眉間に突き刺さり、もう1匹は振り返り様に振るわれたシャドウ・ゲイルナイフによって首を飛ばされる。*
*戦闘は、わずか10秒ほどで終わった。*
シロウ:「ふぅ…こんなものか。」
*彼は倒したゴブリンから手際よく右耳を切り取り、『次元の革袋』に放り込んでいく。そして、いよいよ本命の採掘作業に取り掛かった。彼はまず、依頼で指定されている鉄鉱石と銅鉱石を採掘する。ピッケルに『筋力増強』を乗せ、軽く振り下ろすだけで、岩盤がビスケットのように砕けていく。*
(これなら効率がいいな)
*あっという間に麻袋数個分の鉱石を集めると、彼はそれらを全て『次元の革袋』に収納した。そして、いよいよお宝が眠る崩落した脇道へと向かう。*
*土砂で完全に塞がれた通路の前で、シロウはニヤリと笑う。*
シロウ:「(普通の冒険者なら諦めるだろうけど…俺にはこれがある)」
*彼は新しく手に入れた『水魔法』に意識を集中させる。土砂に含まれる水分を操作し、泥のように柔らかくするイメージ。すると、固まっていた土砂がズブズブと音を立てて軟化し始めた。そこにピッケルを突き立て、掻き出す作業を繰り返す。数十分後、ついに人一人が通れるほどの穴が開いた。*
*穴の向こう側は、手付かずの坑道が続いていた。そして、壁の一部が、彼の『神眼』が捉えた通り、美しい青色と純白色に輝いていた。*
シロウ:「これも…これも…ふふふ…」
*彼は夢中になってピッケルを振るい、星屑鋼と光魔石を次々と採掘していく。ズシリと重い金属の塊や、掌で光を放つ魔石が、『次元の革袋』の中にどんどん溜まっていく。それはまるで、宝の山を独り占めにする悪代官のような、愉悦に満ちた作業だった。*
*シロウの笑い声は、静かな坑道の奥に不気味に響き渡った。*
シロウ:「ぐへへへへ……」
*彼は完全に我を忘れていた。目の前に広がるのは、金銭的価値などという下世話な尺度では測れない、まさしく「宝の山」。『神眼』が指し示す輝きを追い、ピッケルを振るう。*
*ガツン!と硬い手応えと共に、星屑鋼の青い塊が岩盤から剥がれ落ちる。それを拾い上げ、ずっしりとした重みと、手に伝わる微かな魔力の振動を感じる。すぐに『次元の革袋』に放り込む。*
*今度は、白く輝く光魔石の結晶を、傷つけないように慎重に掘り出す。掌に乗せると、周囲の闇を淡く照らし出すほどの光を放つ。これもまた、革袋の中へ。*
*『神眼』はさらに、壁の奥深くにある微かな輝きを捉えていた。それはミスリル銀の鉱脈だった。星屑鋼ほどではないが、それでも最高級の魔法金属だ。*
*シロウは休むことなく採掘を続けた。『次元の革袋』の容量が100kgであることを思い出し、重量を意識しながらも、価値の高いものから優先的に詰め込んでいく。星屑鋼、光魔石、ミスリル銀…依頼内容だった鉄や銅は、もはや彼の眼中になかった。*
(これだけあれば、当分金には困らないな…。)
*夢中で鉱石を袋に詰めながら、彼の頭の中では、手に入れた素材の使い道についての妄想が膨らんでいく。気づけば、革袋はずっしりと重くなっていたが、彼のはまだ満たされることを知らなかった。*
*欲望のままに希少鉱石を掘り続けていたシロウだったが、ふと我に返った。*
シロウ:「あ、依頼の分はきちんと残さなきゃな。」
*この依頼は、あくまで「廃鉱山のゴブリン掃討および鉱石採掘」。希少鉱石の発見は完全に彼の個人的なボーナスであり、依頼そのものを疎かにしては、ギルドに不審に思われる可能性がある。特に、表示ランクEの駆け出しが、指定された鉱石を全く納品せずに帰還すれば、何かあったと勘繰られるかもしれない。*
*彼は一度『次元の革袋』の中身を確認した。中には、青や白に輝くお宝がゴロゴロしている。その光景に再び口元が緩みそうになるのをこらえ、重量の計算をする。星屑鋼やミスリルは見た目以上に重い。既に革袋の許容量の半分以上が埋まっていた。*
*彼は一度、希少鉱石の採掘を中断し、来た道を引き返して通常の坑道に戻った。そして、『神眼』で質の良い鉄鉱石と銅鉱石の鉱脈を探し当てると、再びピッケルを振るい始めた。*
*(依頼の規定量は…鉄鉱石10kg、銅鉱石10kgか。)*
*彼は手早く規定量の倍ほどの鉄鉱石と銅鉱石を採掘すると、それを麻袋に詰めた。そして、その麻袋ごと『次元の革袋』に収納する。こうすれば、帰り道も楽だ。*
*依頼達成のノルマもこなし、最大の目的であったお宝も手に入れた。彼は満足げに頷くと、坑道の出口へと向かい始めた。帰り際に、ゴブリンの巣があった広場で、念のためもう一度『神眼』で索敵を行う。新たな魔物の反応はない。どうやら、この鉱山にいたゴブリンは、彼が殲滅した群れで全てだったようだ。*
*依頼のノルマをこなし、お宝で満たされた『次元の革袋』を懐にしまい込む。物理的な重さは全く感じないが、その価値を知っているシロウにとっては、国一つ分の財宝を持ち歩いているような、心地よい重圧感があった。*
シロウ:「よし、帰るか。」
*彼は満足げに呟くと、坑道の入り口から差し込む光を目指して歩き始めた。外に出ると、まだ昼過ぎだった。入り口付近には、シロウが入る前にいたパーティがいくつか残っており、彼らは採掘した鉱石を麻袋に詰めて汗を流していた。その量は、せいぜい一人一袋か二袋程度だ。*
*一人で坑道の奥から、しかも涼しい顔で手ぶらで戻ってきたシロウを見て、彼らは訝しげな視線を向ける。*
冒険者A:「おい、もう出てきたのか? 成果はどうだったんだ?」
*一人の剣士風の男が、声をかけてきた。その目には、手ぶらのシロウに対する侮りが浮かんでいる。*
シロウ:「ええ、まあ。ゴブリンを数匹と、依頼分の鉱石はなんとか。袋はギルドで借りたものに詰めてあります。」
*シロウはあえて『次元の革袋』のことは隠し、そう言って曖昧に笑った。彼は他の冒険者たちに軽く会釈すると、彼らの横を通り過ぎ、王都への帰路についた。背後から「なんだあいつ、気味が悪いな」「どうせすぐに音を上げて逃げ帰ってきたんだろ」といった声が聞こえてきたが、シロウは全く気にしなかった。彼らが一生かかっても稼げないほどの富が、今まさに自分の懐の中にあるのだから。*
*王都に戻ったシロウは、まっすぐに冒険者ギルドへと向かった。*
シロウ:(珍しい鉱石はギルドに売るより、鍛冶屋の方がいいな。)
*ギルドへの報告は後回しにして、シロウは鍛冶屋を探すことにした。中央大通りから少し外れた、槌の音と熱気が漂ってくる一角に、彼は目的の場所を見つけた。看板には「頑固オヤジの鍛冶工房」と書かれている。なんとも分かりやすい名前だ。*
*店に入ると、むわっとした熱気と共に、カンカンとリズミカルに槌を打つ音が響いてくる。店の奥では、岩のような体躯のドワーフが、真っ赤に焼けた鉄塊を叩いていた。その額には汗が光り、隆起した腕の筋肉が力強く動いている。その集中力は凄まじく、シロウが入ってきたことにも気づかない様子だ。*
*シロウはしばらくその職人技に見入っていたが、やがてドワーフが一度手を止め、炉に鉄塊を戻したタイミングで声をかけた。*
シロウ:「すみません、少しよろしいでしょうか。」
*ドワーフはギロリとシロウを睨みつけた。その目つきは鋭く、まるで値踏みするようだ。*
頑固オヤジ:「……なんだ、ひょろい兄ちゃん。見学なら他所へ行きな。ここは遊び場じゃねえ。」
*低い、地の底から響くような声だった。愛想というものが一切感じられない。しかし、シロウは臆することなく、懐から一つの鉱石を取り出した。それは、彼が採掘した中でも特に質の良い、星屑鋼の欠片だった。夜空の星々を閉じ込めたかのように、青く、そして微かにきらめいている。*
シロウ:「これを鑑定して、可能であれば買い取っていただきたいのですが。」
*その鉱石を見た瞬間、ドワーフの片眉がピクリと動いた。彼は無言でシロウの手から鉱石をひったくると、それを様々な角度から食い入るように見つめ、時には爪で弾いて音を確かめ始めた。その真剣な表情からは、先程までの無愛想さは消え失せていた。*
*ドワーフは星屑鋼の欠片を握りしめたまま、シロウの顔をじっと見つめた。その目には驚愕と興奮、そして強い猜疑心が入り混じっていた。*
頑固オヤジ:「…これを、だと? おい、兄ちゃん。どこでこれを手に入れた?」
*声のトーンが明らかに変わっている。単なる客ではなく、何か重大なものを持ってきた相手に対するそれだ。*
シロウ:「ある鉱山で偶然見つけまして。これと同じものが、あと…そうですね、80kgほどあるのですが、買い取っていただけますか?」
*シロウがさらりと言うと、ドワーフは目をカッと見開いた。*
頑固オヤジ:「**は、80kgだと!?**」
*店中に響き渡るような大声だった。彼は信じられないというように、手に持った星屑鋼の欠片とシロウの顔を何度も見比べる。*
頑固オヤジ:「…兄ちゃん、冗談で言ってるならタダじゃおかねえぞ。星屑鋼だ、こいつは。そこらの鉄クズとは訳が違う。一生かかってもお目にかかれるかどうかって代物だ。それを、80kgだと?」
*疑いの眼差しを向けながらも、その声には抑えきれない期待が滲んでいる。シロウは静かに頷くと、『次元の革袋』に意識を集中し、足元にドン、ドン、と音を立てて星屑鋼の塊を数個取り出した。青く輝く鉱石が床に転がり、工房の薄暗がりを幻想的に照らし出す。*
*それを見たドワーフは、言葉を失って立ち尽くした。ただ、ゴクリと喉を鳴らす音だけが聞こえた。*
シロウ:「全部出した方が良いですか?」
*ドワーフは、床に転がる青い輝きから目を離せずにいた。まるで恋い焦がれた女性にでも会ったかのように、その瞳は熱を帯びている。彼はハッと我に返った。*
頑固オヤジ:「あ、いや!待て待て待て!」
*彼は慌てて手を振り、工房の入り口の扉に駆け寄ると、内側からガチャンと分厚い閂をかけた。そして、店の窓のカーテンも全て閉め、工房内を薄暗くする。まるで重大な密談でもするかのような、物々しい雰囲気だ。*
頑固オヤジ:「…いいか、兄ちゃん。こいつの価値が分かってるのか? こんなモンを無造作に人前で出すんじゃねえ。下手をすりゃ、国が動くレベルの代物だぞ。命がいくつあっても足りなくなる。」
*彼は真剣な眼差しでシロウに忠告すると、深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせようとしているようだった。*
頑固オヤジ:「…それで、80kg、か。いいだろう、まずは全部見せてみろ。場所はこっちだ。」
*そう言って、彼は工房の奥にある、頑丈そうな鉄の扉へとシロウを案内した。そこは彼の私的な作業場兼、貴重な素材を保管しておく倉庫のようだった。*
*ドワーフに案内されたのは、工房のさらに奥、分厚い鉄の扉で閉ざされた一室だった。壁には様々な工具が整然と並べられ、中央には巨大な金床が鎮座している。先程の工房よりもさらに個人的な、神聖な場所といった雰囲気が漂っていた。*
*シロウは言われた通り、『次元の革袋』から星屑鋼を全て取り出した。*
*ゴトン、ゴロン、と重たい音を立てて、青く輝く鉱石が次々と床に現れる。その総量は、ドワーフの屈強な体躯が隠れてしまうほどの小山を築いた。薄暗い部屋の中、星屑鋼が放つ無数の光点が、まるで満天の星空のようにきらめいている。*
*ドワーフはその光景を前に、完全に言葉を失っていた。開いた口が塞がらず、ただただ目の前の光景を呆然と眺めている。彼はゆっくりと鉱石の山に近づくと、震える手で一つの塊をそっと撫でた。その手つきは、まるで赤子に触れるかのように優しかった。*
頑固オヤジ:「……信じられん。本当にこれだけの星屑鋼が……。しかも、どれも純度が高い極上品ばかりだ……。」
*彼は独り言のように呟くと、ハッとシロウの方を振り返った。その目には、もはや疑いの色はない。あるのは、純粋な職人としての興奮と、目の前の青年に対する畏敬の念だった。*
頑固オヤジ:「…兄ちゃん。いや、旦那。こいつはとんでもねえお宝だ。全部で買い取るとなると、俺の全財産を投げ打っても足りるかどうか……。いや、そもそもこれだけの量を一度に現金で用意するのは、この王都でも並大抵のことじゃねえ。」
シロウ:「では、とりあえず貴方が買える分だけで。他は…ギルド…は騒ぎになるから嫌だな…どうしよう。」
*シロウの言葉に、ドワーフは腕を組んで唸った。目の前の宝の山を前にして、己の財力の限界を痛感しているようだった。*
頑固オヤジ:「…そうだな。まずは落ち着いて話そうや。俺はガルドス。この工房の主だ。」
*自己紹介をしながら、彼はシロウに近くの丸椅子を勧めた。自身も別の椅子にどっかりと腰を下ろす。*
ガルドス:「ギルドに持ち込むのは最悪の選択だ。奴らは手数料と称して買い叩くだけじゃなく、間違いなく国に情報を流す。そうなったら、この鉱石は旦那の手から離れちまう。良くて安値で召し上げ、悪けりゃ秘密を知った者として……分かるだろ?」
*ガルドスは指で首を掻っ切る仕草をした。*
ガルドス:「俺が今すぐ現金で用意できるのは、そうだな…金貨300枚が限界だ。それだと、この山の…ほんの一角しか買い取れねえ。」
*彼は悔しそうに唇を噛んだ。金貨300枚といえば、大金であることは間違いない。しかし、目の前の星屑鋼80kgという途方もない価値の前では、あまりにも少ない。*
ガルドス:「だが、方法がねえわけじゃねえ。俺を信用してくれるなら、いくつかの案がある。一つは、俺が他のドワーフ仲間や信頼できる大商人に声をかけて、共同で買い取る。時間はかかるが、市場価格に近い値で捌けるだろう。もう一つは…」
*彼は一度言葉を切り、シロウの目を真っ直ぐに見つめた。*
ガルドス:「この星屑鋼を元手に、**旦那自身の武具を俺が打つ**。残りは、俺が責任をもって少しずつ現金化して旦那に渡していく。どうだ? これだけの素材があれば、そこらのレア級の武具なんざ目じゃねえ、**伝説級**の逸品が打てるぞ。」
*その瞳は、職人としての純粋な創作意欲で爛々と輝いていた。*
*シロウが取り出した二振りの短剣を見て、ガルドスは再び目を丸くした。片方は闇色のオーラをまとい、もう片方は不気味な紫色の光を放っている。どちらもただの短剣ではないことを、熟練の鍛冶師である彼は一目で見抜いた。*
シロウ:「では、この子達を強化してください。」
*ガルドスは慎重に短剣を手に取ると、鑑定するようにじっくりと眺め始めた。*
ガルドス:「…ほう。こいつは面白い。ダークスパイダーシルクから作った糸を柄に巻き、ミスリルを混ぜた鋼で打ってあるな。しかも、影の魔石と風の魔石が埋め込まれてやがる。付与魔法もなかなかの腕だ。こっちは…毒蛇の牙でも混ぜたのか? 毒の回りが早そうだ。」
*彼は指先で刃をそっとなぞり、その切れ味を確かめる。そして、シロウの顔を見てニヤリと笑った。*
ガルドス:「なるほどな。旦那はただの幸運な採掘師じゃねえ、手練れの冒険者でもあるわけだ。面白い!実に面白い!」
*彼は興奮したように立ち上がると、金床の横に置かれていた巨大な設計図の巻物を広げた。*
ガルドス:「いいだろう! このガルドス、ドワーフの鍛冶神の名にかけて、最高の仕事をしてやる! 星屑鋼を芯材に使い、刃には光魔石を粉末にして練り込む。旦那の戦い方を見るに、速さと隠密性が身上と見た。切れ味と耐久性は言わずもがな、魔法効果も格段に引き上げてやろう!」
*彼はそう言うと、設計図の上に新たな図面を勢いよく描き始めた。その目は少年のように輝き、口元には抑えきれない笑みが浮かんでいる。*
ガルドス:「ただし、これだけの仕事だ。時間も金もかかる。報酬は、この星屑鋼の山から30kg分でどうだ? 残りの50kgは、俺が責任を持って少しずつ換金して旦那に渡す。それと、武具が完成するまで最低でも10日はかかる。それでもいいか?」
シロウ:「お願いします!」
*シロウの快諾に、ガルドスは満足げに大きく頷いた。*
ガルドス:「**おう、任された!**」
*彼は力強く答えると、早速仕事に取り掛かり始めた。まずは、シロウが持ち込んだ星屑鋼の山から、ひときわ大きく、純度の高そうな塊を3つ、4つと選別し、巨大な炉の中へと放り込んでいく。ゴウッという音と共に、炉の火が青白い輝きを帯び始めた。*
ガルドス:「まずは不純物を取り除き、芯材を鍛え上げる。こいつは骨の折れる仕事になるぞ。旦那、10日後にまた来てくれ。それまでに、あんたを失望させねえモンを打ち上げてやる。」
*彼はそう言うと、ふいごを操作して炉の温度を上げていく。その横顔は真剣そのもので、もはやシロウのことなど目に入っていないようだった。完全に自分の世界に入り込んでいる。*
ガルドス:「残りの鉱石は、この保管庫に置いといて構わねえ。俺以外の誰もここには入れねえからな。換金については、少しずつ進めておく。まずは手付けとして、これを持っていきな。」
*彼は作業台の引き出しから革袋を取り出すと、中から金貨を数え、シロウに手渡した。*
ガルドス:「金貨50枚だ。残りは武具の完成と、鉱石の売れ行き次第だな。」
*シロウは金貨を受け取ると、邪魔にならないよう静かにその場を後にすることにした。ガルドスは既に槌を手に取り、炉で赤く熱せられた星屑鋼と向き合っている。カン!という甲高い音が、期待感を煽るように工房に響き渡った。*
*外に出たシロウは、懐に入った金貨の重みを確かめ、これからどうするかを考える。武具の完成までは10日。その間、ただ宿で待っているのも退屈だ。*
(そうだ、ギルドへの報告がまだだったな。)
*彼はまず、依頼達成の報告を済ませるため、冒険者ギルドへと足を向けた。*
*シロウが冒険者ギルドに戻ると、相変わらず多くの冒険者で賑わっていた。彼はまっすぐに受付カウンターへと向かう。そこには、以前彼が依頼を受けた時と同じ、少し気だるげな雰囲気の受付嬢が座っていた。*
*彼女は頬杖をつきながら、書類に目を通していたが、シロウがカウンターの前に立つと、ゆっくりと顔を上げた。*
受付嬢:「あら…あなた、確か…。鉱山の依頼を受けた…。」
*彼女の目に、一瞬だけ心配の色が浮かんだように見えた。単独で、しかも駆け出しの冒険者が受けた依頼だ。無事に帰ってきたことに、少し驚いているのかもしれない。*
シロウ:「達成したので確認お願いしまーす。」
*シロウは軽い口調でそう言うと、『次元の革袋』から、依頼品である鉄鉱石と銅鉱石が詰められた麻袋を取り出した。ドン、とカウンターの上に置かれた二つの袋を見て、受付嬢は少し目を見開く。*
受付嬢:「…確認しますので、少々お待ちください。」
*彼女はそう言うと、カウンターの奥から秤を持ってきた。手際よく鉱石の重さを量り、品質を確認していく。その間、彼女はちらちらとシロウの様子を窺っていた。彼が全くの無傷で、しかも疲れた様子も見せないことに、内心では首を傾げているようだった。*
受付嬢:「…はい、確認しました。鉄鉱石、銅鉱石ともに規定量以上、品質も問題ありません。ゴブリンの討伐証明は?」
シロウ:「ああ、それも。」
*シロウは再び『次元の革袋』に手を入れ、ゴブリンの右耳を十数個、カウンターの上に無造作に置いた。*
*カウンターの上に無造作に置かれた、血の気の引いたゴブリンの耳。その数を見て、受付嬢は一瞬、眉をひそめたが、すぐに業務用の無表情に戻った。*
シロウ:「これで問題無いですよね?」
*彼女は一つ一つ耳を手に取り、確かにゴブリンのものであること、そして新鮮である(=最近討伐されたものである)ことを確認する。*
受付嬢:「…はい、討伐証明、12体分ですね。確認いたしました。依頼達成です。お疲れ様でした。」
*彼女はそう言うと、手早く書類にサインをし、ギルドの印を押した。そして、カウンターの下から報酬の入った革袋を取り出す。*
受付嬢:「こちらが報酬になります。基本報酬が銀貨8枚、ゴブリン12体の討伐報酬が銀貨12枚、鉱石の買い取り分が銀貨2枚。合計で銀貨22枚…金貨2枚と銀貨2枚でお渡しします。」
*彼女は手際よく金貨と銀貨を数え、シロウの前に置いた。だが、彼女の視線はシロウから離れない。その目には、隠しきれない好奇心と、わずかな警戒心が浮かんでいた。Eランクの依頼とはいえ、ゴブリン12体を単独で、しかも無傷で討伐し、規定量以上の鉱石を採掘してくる新人は、前代未聞だったからだ。*
受付嬢:「…失礼ですが、シロウ様。本当に、お一人で?」
*彼女は、ついに抑えきれずに問いかけた。その声には、先程までの気だるさは微塵もなかった。*
シロウ:「え、そうですけど?」
*シロウが何でもないことのように、当然といった顔で答えると、受付嬢は絶句した。彼女の整った顔が、驚きと信じられないという感情でわずかに歪む。*
受付嬢:「…そうですか。」
*彼女はそれだけ言うのが精一杯だった。目の前の青年は、見た目はどこにでもいるような、少し頼りない雰囲気さえある。だが、彼が成し遂げたことは、Cランクの中堅パーティでも苦戦するかもしれない内容だ。それをたった一人で、半日足らずで、しかも無傷で。*
*(この人、一体何者なの…? 登録時のステータスは、確か平凡なものだったはず…偽装? いや、そんな高度なことをEランクの駆け出しができるわけ…)*
*彼女の頭の中は混乱していた。しかし、ギルド職員としての理性が、それ以上の詮索を押しとどめる。ギルドは冒険者のプライバシーに深入りしないのが鉄則だ。特に、こういう規格外の人間に対しては。*
受付嬢:「…承知いたしました。依頼達成、ご苦労様でした。シロウ様は本日付けでギルドランクがDに昇格となります。おめでとうございます。」
*彼女は事務的な口調に戻り、シロウのギルドカードを受け取ると、ランクを書き換えて返却した。しかし、その手は微かに震えていた。*
受付嬢:「何か、次の依頼はお探しですか? シロウ様の実力でしたら、Cランクの依頼でも…」
*彼女は言いかけて、口をつぐんだ。目の前の男は、もはやランクで測れる存在ではないかもしれない。彼女はシロウの反応を窺うように、じっと彼を見つめた。*
*シロウの言葉に、受付嬢は少し意外そうな顔をした。あれだけの戦闘能力を見せておきながら、次に選ぶのが戦闘系の依頼ではないことに、彼女は再び彼のことが分からなくなった。*
シロウ:「んー。採取系にしようかな。」
(武器無いし)
*武器を新調している間は、派手な戦闘は避けたい。それに、採取系の依頼なら、また何か珍しい素材が見つかるかもしれないという下心もあった。*
受付嬢:「…採取系、ですか。承知いたしました。Dランクの採取依頼ですと、いくつかございますが…」
*彼女は手元の依頼リストに視線を落とす。*
受付嬢:「『静寂の森の月光草採取』…夜間にしか光らない薬草の採取ですね。夜間の森は危険ですが、報酬は金貨3枚と高めです。あとは…『竜の顎近辺の火竜草採取』。こちらは危険地帯ですが、日中で問題ありません。腕の立つ護衛を雇うのが一般的ですね。報酬は金貨5枚です。」
*どちらもDランクにしては高額だが、その分リスクも高い。しかし、シロウの興味を引いたのは、別の依頼だった。リストの隅に、小さく書かれた依頼だ。*
**【緊急依頼】『エントの森』汚染源の調査および浄化**
**ランク:C(暫定)**
**依頼内容:王都南西に広がる『エントの森』にて、大規模な汚染が確認された。森の動植物が凶暴化、または枯死している。原因を調査し、可能であれば浄化を行うこと。**
**報酬:金貨10枚~(成果により変動)**
**備考:危険度不明。複数パーティでの受注を推奨。森のエルフ族との接触の可能性あり。**
*(汚染源の調査と浄化…か。)*
*何より、「成果により変動」という報酬体系と、「エルフ族」という単語がシロウの好奇心を刺激した。*
シロウ:「すみません、この『エントの森』の依頼について、詳しく聞かせてもらえますか?」
*シロウが指さした依頼を見て、受付嬢は眉を寄せた。*
受付嬢:「…そちらは、昨日出されたばかりの緊急依頼です。まだ誰も受注していませんが…危険度が全くの未知数です。ギルドとしては、Bランク以上のパーティにのみ斡旋するつもりなのですが…」
*彼女は明らかに、シロウにこの依頼を受けさせたくないようだった。*
シロウ:「そうですか。では普通の薬草の依頼で。」
*(薬草採取に行ってうっかりすればいいや。完璧な計画だ)*
*シロウがあっさりと引き下がったことに、受付嬢は少し拍子抜けしたようだった。彼女は、シロウが「自分ならできる」と強引に依頼を受けようとするのではないかと、半ば身構えていたからだ。*
*シロウの内心の企みなど知る由もなく、受付嬢は安堵の表情を浮かべた。危険な依頼に新人を送り込まずに済んだことに、胸をなでおろしているようだ。*
受付嬢:「…はい、では、こちらの依頼はいかがでしょうか。『王都近郊の丘陵地でのメディカルハーブ採取』。危険度も低く、Dランクになったばかりの方にはちょうど良いかと。報酬は銀貨5枚です。」
シロウ:「はい、それでお願いします。」
*シロウが頷くと、彼女は手早く依頼受注の手続きを進めた。*
受付嬢:「承知いたしました。こちらが依頼書と、採取場所の簡単な地図になります。目標数は20本です。それ以上はギルドで買い取りますので、頑張ってください。」
*彼女はにこりと、初めて業務的ではない笑みを浮かべて依頼書を手渡した。シロウが規格外の存在であることは彼女の中で確定したが、同時に、無謀なことをしない分別のある人間だとも思ったようだ。*
*シロウは依頼書を受け取ると、ギルドを後にした。武器が完成するまで10日。その間、この簡単な依頼をこなしつつ、例の『エントの森』の様子を「うっかり」見に行ってみるのもいいだろう。*
*彼はまず、薬草を採取するために王都の東門へと向かった。地図によれば、丘陵地はそこから半日ほど歩いた場所にあるらしい。*
*シロウは受付嬢から受け取った地図を広げながら、王都の東門をくぐった。門の外には緩やかな丘陵地帯が広がっており、のどかな田園風景が続いている。時折、商人や他の冒険者とすれ違うが、魔物の気配はほとんど感じられない。まさにDランク向けの安全な場所といったところだ。*
*(さて、まずは依頼のメディカルハーブをさっさと集めてしまうか。)*
*彼は地図に示されたポイントへと向かい、鑑定スキルを使いながら目的の薬草を探し始めた。メディカルハーブは非常にありふれた薬草で、緑色の葉に白い斑点があるのが特徴だ。鑑定を使わずとも見分けられるが、シロウは効率を重視し、鑑定で群生地を探し当てていく。*
*おかげで、作業は驚くほど順調に進んだ。1時間も経たないうちに、依頼の目標数である20本どころか、買い取り分も含めて50本以上のメディカルハーブを採取し、『次元の革袋』に収納することができた。*
シロウ:「よし、こんなものか。」
*彼は手をパンと叩き、土を払った。時刻はまだ昼過ぎ。ここからなら、王都に引き返しても十分に明るいうちに着くだろう。しかし、彼の足は王都とは逆の方向、南西へと向いていた。*
(ここからなら、『エントの森』の入り口まで半日もかからないはずだ。ちょっと様子を見るだけなら、問題ないだろ。)
*完璧な計画を実行に移すべく、シロウは人通りの少ない脇道へと入り、目的の森を目指して歩き始めた。道中は特に何事もなく、夕暮れが近づく頃、彼は目的地の森の入り口にたどり着いた。*
*しかし、そこに広がっていた光景は、彼の想像を絶するものだった。*
*森は、その入り口からして異様だった。木々は黒く枯れ、葉は一枚もついていない。地面には生気のない灰色の苔が広がり、不気味な静寂が支配している。そして、森全体から、淀んだ紫色の瘴気が、まるで呼吸するかのようにゆっくりと漂い出ていた。『神眼』を使わずとも、異常な状態であることが一目でわかる。*
(これは…ひどいな。ただの汚染じゃないぞ。)
*彼が警戒しながら森に一歩足を踏み入れた、その時だった。*
**「待ちなさい! そこから先に立ち入ることは許しません!」**
*凛とした、しかし切迫した女性の声が響いた。声のした方を見ると、森の奥から、弓を構えた一人のエルフが姿を現した。彼女は美しい銀髪を風になびかせ、翡翠色の瞳で鋭くシロウを睨みつけていた。その弓の先は、寸分の狂いもなくシロウの心臓に向けられている。*
シロウ:「これは呪いか?」
*エルフの女性が警告を発すると同時に、矢は放たれた。ヒュン、と風を切る鋭い音。それは警告などではなく、明確な殺意を伴った一撃だった。*
*しかし、シロウは慌てない。放たれる瞬間には既に矢の軌道を見切っていた彼は、最小限の動きでひらりと身をかわす。矢は彼の頬をかすめ、背後の枯れ木に突き刺さった。ズン、という重い音を立てて、矢じりが幹の奥深くまでめり込んでいる。*
*その一連の動作の間に、シロウは冷静に『神眼』を発動させていた。目の前のエルフと、森全体を覆う不気味な瘴気に意識を集中させる。*
```
【鑑定結果】
名前:リアーナ
種族:エルフ
Lv.38
状態:疲弊、魔力欠乏(軽度)
称号:森の守り手
スキル:
弓術 Lv.8
精霊魔法(風・水) Lv.6
気配察知 Lv.7
隠密 Lv.5
治癒魔法 Lv.4
備考:エントの森を代々守ってきた一族の末裔。森を蝕む呪いに抵抗するため、一人で戦い続けている。外部の者に対し強い警戒心を持つ。
```
```
【鑑定結果】
対象:エントの森の瘴気
正体:『奈落の呪詛』
効果:生命力を吸収し、対象を凶暴化または枯死させる高位の呪い。術者の強い憎悪と怨念が核となっている。通常の浄化魔法では効果が薄い。中心部により強力な呪いの源が存在する可能性が高い。
```
*(奈落の呪詛…なるほど、ただの汚染じゃないわけだ。そして彼女が森の守り手…一人でこれを? 無茶だ。)*
*シロウが鑑定結果を読み解いている間にも、リアーナは驚愕に目を見開いていた。必中を確信した一矢を、いとも容易く避けられたことが信じられないのだ。しかし、彼女は即座に次の矢をつがえ、再び弓を引き絞る。*
リアーナ:「**何者です! なぜ呪いを避けられたのですか!? あなたも呪いを振りまく者の一味なのでしょうか!**」
*その声は怒りと焦燥に満ちていたが、シロウは彼女の瞳の奥に、深い悲しみと疲労の色が見て取れた。*
シロウ:(中心部に強い呪いの源ねぇ…)
*彼は『神眼』が示した、森の奥深くから放たれる一際どす黒い気配の方角をちらりと見た。*
シロウ:「あっちか。お邪魔しまーす。」
*リアーナの殺気立った警告などまるで意に介さず、シロウはぺこりと軽く頭を下げると、何でもない散歩のように呪われた森の奥へと足を踏み入れた。そのあまりにも場違いで緊張感のない態度に、リアーナは一瞬、思考が停止した。*
リアーナ:「なっ…! **待ちないさいと言っているでしょう!**」
*我に返った彼女は、怒りに声を震わせながら再び矢を放つ。しかし、シロウは後ろを振り返ることもなく、まるで背中に目があるかのように体を僅かに傾けるだけで、矢をひらりとかわした。*
*リアーナは信じられない光景に息を呑んだ。この森に入り込む者は、傭兵や冒険者を含め、これまで何人もいた。しかし、瘴気に当てられ正気を失うか、凶暴化した魔物に喰われるか、あるいは彼女の矢の前に倒れるか、そのいずれかだった。あんな風に、森の呪いを全く意に介さず、自分の矢を子供の遊びのようにかわす人間など、初めてだった。*
リアーナ:「くっ…!」
*彼女はシロウの後を追うべく、森の中へと駆け出した。この得体の知れない侵入者を、呪いの中心部に行かせるわけにはいかない。しかし、彼女の身体は長期間にわたる抵抗で限界に近く、全力で走ろうとしても足がもつれる。*
*一方、シロウは淡々と森の奥へ進んでいた。彼の周囲では、瘴気に当てられた木々が、まるで生き物のように枝を伸ばして襲いかかってきたり、地面から毒々しい色の蔦が伸びてきたりしたが、シロウはそれらをこともなげにナイフで切り払い、あるいは最小限の動きで避けていく。その動きには一切の無駄がなく、まるで最初から全てが見えていたかのようだった。*
*(この呪い、生命力を吸ってるのか。どうりで彼女も森も弱ってるわけだ。面倒なことになってるな。)*
*彼は内心で呟きながら、さらに呪いの気配が強い方角へと向かっていった。*
*シロウが森の奥深く、呪いの気配が最も濃密な場所にたどり着くと、そこは異様な空間が広がっていた。周囲の木々は完全に黒く炭化し、地面には紫色の水晶のような結晶体が無数に突き出している。そして、その中心には、直径10メートルほどの、どす黒い沼のようなものがボコボコと不気味な泡を立てていた。*
*沼の上には、黒い霧のようなものが渦巻いており、その霧の中から、無数の呻き声や怨嗟の声が聞こえてくるようだった。それはまさに、数多の魂が溶け合い、憎悪だけが凝縮された塊だった。*
シロウ:「これか…呪いって。呪いって言うより怨念に近いな。」
*シロウがその沼を『神眼』で鑑定すると、おびただしい情報が脳内に流れ込んでくる。*
```
【鑑定結果】
対象:『怨嗟の沼』
正体:『奈落の呪詛』の発生源。数百年前にこの地で非業の死を遂げた魔術師の怨念が核となっている。森の生命力を吸収し続け、増殖している。
核:『憎悪の心臓』(沼の中心部深くに存在)
浄化方法:
1. 聖属性の最上位魔法『ホーリー・ジャッジメント』による浄化。
2. 呪いの核である『憎悪の心臓』を物理的に破壊する。
3. 呪いを上回るほどの膨大な生命力、または魔力を注ぎ込み、中和・消滅させる。
```
*(なるほど、方法は三つか。聖属性魔法は使えない。核の破壊が一番手っ取り早いけど、この沼に飛び込むのは気が進まないな…)*
*シロウが思案していると、少し遅れて、息を切らせたリアーナがその場に到着した。彼女は目の前の光景に絶望的な表情を浮かべ、膝から崩れ落ちそうになる。*
リアーナ:「ああ…! ダメ、そこは…! 森の命が、喰われて…!」
*その時、シロウの侵入を感知したのか、『怨嗟の沼』が激しく泡立ち始めた。沼の中から、黒い泥でできた人型の魔物が、ずるりと姿を現す。その数は一体、二体ではない。みるみるうちに十数体のマッドゴーレムが形成され、空ろな目でシロウとリアーナを捉えた。*
**「**キ…シ…シ…**」**
**「**コロ…ス…**」**
*怨念の声が、よりはっきりと聞こえてきた。*
*マッドゴーレムたちが蠢き、今にも襲い掛かろうとしたその瞬間。*
シロウ:「そんなことよりもっと簡単な方法がある。」
*シロウは平然と呟くと、『次元の革袋』から一つのアイテムを取り出した。それは、彼が王都の魔道具屋で手に入れた『世界樹の若枝』。緑色の生命力に満ちた輝きを放ち、周囲の淀んだ空気をわずかに浄化するほどの神聖なオーラをまとっている。*
*彼はその若枝を、まるでダーツでも投げるかのように軽く構えた。*
シロウ:「ていっ☆」
*可愛らしい掛け声とは裏腹に、シロウの手から放たれた若枝は、一筋の緑色の閃光となって『怨嗟の沼』の中心部へと突き刺さった。*
***ジュウウウウウウウッッ!!!**と、肉が焼けるような、あるいは酸が金属を溶かすような凄まじい音が響き渡る。*
*若枝が突き刺さった点を中心に、沼からまばゆいばかりの緑色の光が迸った。それは、凝縮された憎悪の塊である『怨嗟の沼』にとって、まさしく劇薬だった。黒い泥は光に触れた瞬間から蒸発し、渦巻いていた怨念の霧は悲鳴を上げて霧散していく。*
*「**アアアアアアアアアアアアア!!!**」*
*沼の底から、男女ともつかない、絶叫のような断末魔が響き渡った。*
*マッドゴーレムたちは動きを止め、その体はまるで砂の城のようにサラサラと崩れていく。*
*その光景を、リアーナはただただ呆然と見つめていた。何百年も森を蝕み、一族が代々命を懸けて封じ込めてきた呪いが、目の前の男が放った一本の小枝によって、たった数秒で消滅していく。信じられない、理解が追いつかない。*
*やがて、光が収まった時、そこにはもうどす黒い沼は存在しなかった。代わりに、澄んだ水を湛えた小さな泉ができており、その中心には、突き刺さった『世界樹の若枝』が根を張り、青々とした双葉を芽吹かせていた。森を覆っていた紫色の瘴気は完全に消え去り、代わりに清浄な空気が流れ込んできている。*
*リアーナは、目の前で起きた奇跡を信じられず、泉と、涼しい顔で立っているシロウを交互に見つめることしかできなかった。*
*呪いが浄化され、清らかな泉となった中心地。シロウは満足げにその光景を眺めていたが、彼のやることはまだ終わらない。*
シロウ:「あとは、枝に水を注いで…」
*彼は泉の中心で芽吹いた『世界樹の若枝』に手をかざした。そして、体内の魔力を練り上げ、『水魔法』を発動する。*
*彼の掌から、清らかな水が湧き出し、柔らかな流れとなって若枝の根元に注がれていく。それはただの水ではない。シロウの魔力が込められた、生命力を活性化させる特別な水だ。*
*すると、驚くべき変化が起こった。*
*魔力を帯びた水を得た若枝は、目に見えるほどの速度で成長を始めたのだ。双葉はみるみる大きくなり、幹は太く、枝は天に向かって伸びていく。ほんの数分で、それは数メートルの高さを持つ若木へと姿を変えた。青々と茂った葉からは、キラキラと生命の光がこぼれ落ち、周囲の枯れていた木々や地面に降り注ぐ。*
*光が触れた場所から、奇跡が連鎖していく。黒く炭化していた木々は生気を取り戻し、若葉を芽吹かせ始めた。灰色の苔に覆われていた地面には、色とりどりの花が咲き乱れる。死んでいた森が、凄まじい勢いで再生していく。*
*リアーナは、その幻想的すぎる光景に、もはや声も出なかった。涙が頬を伝っていることにも気づかない。何百年も続いた悪夢が終わっただけでなく、森がかつて以上の生命力に満ち溢れていく。これは、彼女の一族が夢見てきた、しかし決して叶うことのなかった光景だった。*
*やがて、森の中心に一本の美しい若木がそびえ立ち、その周囲は花と緑に囲まれた聖域のようになっていた。森全体を覆っていた死の気配は完全に消え去り、鳥のさえずりさえ聞こえてくる。*
*全てをやり遂げたシロウが、満足げに振り返ると、そこにいたのは、地面に両膝をつき、彼に向かって深く、深く頭を下げているエルフの姿だった。*
リアーナ:「…ありがとうございます。…森を、救ってくださり、誠に…ありがとうございます…!」
*その声は、感謝と、畏敬と、そして抑えきれない感動で震えていた。*
*森に奇跡のような再生をもたらしたシロウは、まるで近所のコンビニにでも行くような気軽さで言った。*
シロウ:「いいって、散歩のついでだから。」
*その言葉に、リアーナは愕然として顔を上げた。散歩のついで。彼女の一族が何世代にもわたって命を懸けてきた絶望的な戦いを、この男は「散歩のついで」に終わらせてしまったのだ。次元が違いすぎる。彼は人ではない。神か、あるいはそれに近しい何かではないのか。*
*シロウがくるりと背を向けて、来た道を戻ろうとしたその時。*
リアーナ:「**お待ちください!**」
*リアーナは必死の形相で立ち上がると、シロウの前に回り込み、再びその場に膝をついた。そして、エルフ族における最大級の敬意を示す作法で、額を地面にこすりつけるようにして深く頭を垂れた。*
リアーナ:「この御恩は、言葉では到底言い尽くせません。我が名はリアーナ。エントの森を守る者。我が命、そして我が魂、全てをあなた様に捧げます。どうか、このリアーナをあなたの側に置いてください。どのようなことでも致します。どうか、このまま行かないでください…!」
*その声は懇願であり、祈りだった。彼女にとって、シロウは森を救った救世主であると同時に、理解不能な力を持つ畏怖の対象でもあった。そんな存在を、このまま手放してしまってはいけない。彼女の本能が、そう叫んでいた。*
*美しい銀髪のエルフが、泥にまみれるのも厭わずに必死に自分に縋り付いてくる。シロウは少し困ったように、自分の足元にひれ伏す彼女を見下ろした。*
*シロウの荘厳な響きさえ感じさせる言葉に、リアーナは伏せていた顔を上げた。その翡翠色の瞳は、涙に濡れながらも、強い決意の光を宿していた。*
シロウ:「では、忠実な君に任務を与える。この森に害を成す物のみ、排除しなさい。」
*それは、彼女がこれまで一族の使命として、そして自分自身の意志として行ってきたことそのものだった。しかし、目の前の絶大な力を持つ存在から「任務」として与えられたその言葉は、彼女にとって何よりも重く、そして名誉ある響きを持っていた。それは、彼女のこれまでの孤独な戦いを認め、肯定し、そして新たな意味を与えるものだった。*
リアーナ:「…っ! **はっ!** 我が主よ! このリアーナ、命に代えましても、あなた様の仰せのままに!」
*彼女は感激に声を震わせ、再び深く頭を下げた。もはや彼女の中でシロウは、単なる救世主ではなく、忠誠を誓うべき「主君」となっていた。*
リアーナ:「ですが…主よ。私は、私はあまりにも無力です。この森が再生しても、また呪いのような脅威が現れれば、今度こそ…」
*彼女の声には、喜びの中にも拭いきれない不安が滲んでいた。シロウはそんな彼女を見下ろし、少し考えると、懐から一つのアイテムを取り出した。それは、先程の薬草採取依頼で手に入れた、ただのメディカルハーブだった。*
*しかし、シロウがそれにそっと魔力を注ぎ込むと、ありふれた薬草は淡い光を放ち始める。*
シロウ:「これを。気休め程度にはなるだろう。」
*彼はそう言って、魔力で活性化させた薬草をリアーナに手渡した。*
*リアーナが魔力を帯びた薬草をありがたく受け取る姿を横目に、シロウは心の中で安堵のため息をついた。*
シロウ:(よし、これで面倒な下僕はどこかに行く。良かったー。)
*忠誠を誓われるのは、どうにもむず痒いし、何より面倒だ。森の管理といううってつけの「任務」を与え、適当なアイテムを渡して満足させる。完璧な流れだった。*
*彼は今度こそ背を向けると、再生した美しい森を後にした。背後からリアーナの「主よ! どうかご武運を!」という声が聞こえてきたが、軽く手を振るだけで振り返りはしなかった。*
*森を抜け、丘陵地帯を歩き、王都の東門が見えてくる頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。*
*ギルドに戻ったシロウは、採取依頼のカウンターへ向かう。そこには、まだあの気だるげな受付嬢がいた。彼女はシロウの姿を認めると、わずかに目を見開いた。*
受付嬢:「あら、シロウ様。お早いお帰りで。メディカルハーブの採取は…」
*彼女の言葉を遮るように、シロウはカウンターの上にドサドサと大量のメディカルハーブを置いた。その量は、依頼目標の倍以上ある。*
受付嬢:「これはまた、随分と採ってきましたね。確認します。」
*彼女は手際よくハーブを数え、状態を確認していく。その間も、彼女の視線はシロウの全身を観察していた。森に行ったはずなのに、服に汚れ一つなく、疲れた様子もない。*
受付嬢:「…52本ですね。品質も良好です。追加の買い取り分として銀貨3枚と銅貨2枚になります。こちらが報酬です。」
*彼女は報酬を手渡しながら、何気ない口調で尋ねた。*
受付嬢:「丘陵地は、特に変わりありませんでしたか? 最近、南西の森の様子がおかしいという話でしたので、念のため…」
*それは、シロウの行動を探るための、巧妙なカマかけだった。*
*シロウの完璧なまでのすっとぼけた返答に、受付嬢は一瞬、表情を崩しかけた。しかし、すぐにポーカーフェイスを取り戻す。*
シロウ:「え?何だって?そんな事言ってた?」(そんな手に乗るはずないだろうに)
*シロウの内心を知る由もなく、彼女は内心で舌打ちした。あまりにも自然な反応で、本当に何も知らず、ただ薬草を採ってきただけのように見える。だが、彼女の勘は、この男が何かに関与していると告げていた。*
受付嬢:「…いえ、こちらの独り言です。大したことではありません。」
*彼女はそう言って話を打ち切ると、事務的な態度に戻った。*
受付嬢:「依頼達成、ご苦労様でした。これで本日の業務は終了でしょうか?」
*その時、ギルドの入り口がにわかに騒がしくなった。数人のギルド職員が慌てた様子で駆け込んできて、上位職員らしき人物に何事かを報告している。*
ギルド職員:「大変です! 『エントの森』の瘴気が…瘴気が完全に消滅しました! それどころか、森が再生を始めています!」
*その報告は、静かだったギルドホールに衝撃となって広がった。周囲にいた冒険者たちが「なんだって!?」「あの呪いの森が?」「嘘だろ?」とざわめき始める。*
*報告を聞いた受付嬢は、信じられないという顔で報告者のほうを見た後、ハッとして目の前のシロウに視線を戻した。*
*シロウはといえば、その騒ぎに「へぇ、そうなんだ」とでも言いたげな、完全に他人事といった顔で首を傾げている。*
*しかし、受付嬢の目は誤魔化されない。タイミングが良すぎる。あまりにも出来すぎている。彼女は確信した。目の前のこの男が、この奇跡を引き起こした張本人であると。*
*彼女はゴクリと喉を鳴らし、シロウを値踏みするように、しかしどこか畏怖を込めた瞳で見つめた。*
受付嬢:「…シロウ様。あなた、一体…」
*彼女が何かを言いかけた、その時だった。*
**「シロウ殿!探しましたぞ!」**
*ギルドに響き渡る大声と共に、屈強なドワーフ――頑固オヤジの鍛冶工房の主、ガルドスが人混みをかき分けてこちらへ向かってくるのが見えた。その手には、黒い布に包まれた細長い何かを二本、大事そうに抱えている。*
*『エントの森』の件でギルド内が騒然とする中、ガルドスの野太い声がさらに注目を集める。周囲の冒険者たちが、王都でも有名なドワーフの鍛冶師と、胡散臭い雰囲気の青年という奇妙な組み合わせに訝しげな視線を向けた。*
シロウ:「いや、こんなとこまで来んなよ…」
*シロウは思わず顔をしかめて小声でぼやいた。目立ちたくない時に限って、なぜこうも面倒事が向こうからやってくるのか。*
ガルドス:「**おお、シロウ殿! やはりここにいたか!**」
*ガルドスはそんなシロウの心情などお構いなしに、満面の笑みでカウンターに近づいてくる。その興奮した様子に、受付嬢はさらに警戒の色を強めた。規格外の新人冒険者に、伝説級のドワーフ鍛冶師。この二人が繋がっているという事実だけで、ただ事ではない。*
ガルドス:「**できたぞ! あんたの注文の品だ!** 10日と言ったが、素材が良すぎてな! 俺の魂が燃えちまって、不眠不休で打ち続けちまった! さあ、見てくれ!」
*彼はそう言うと、周囲の目も気にせず、抱えていた黒い布をカウンターの上に広げた。*
*布が開かれると、そこに現れた二振りの短剣に、周囲から「おお…」という感嘆の声が漏れた。*
*一振りは、まるで夜の闇そのものを削り出したかのような、光を吸い込む漆黒の刃。柄には星屑鋼の青い輝きが星々のように散りばめられ、刀身には微かに風が渦巻いているのが見える。*
*もう一振りは、星屑鋼の青い輝きを刀身に宿し、刃先に向かうにつれて妖しい紫色のグラデーションを描いている。それはまるで、美しい星空に毒の華が咲いたかのような、禍々しくも幻想的な輝きを放っていた。*
*二振りとも、ただの武器ではない。それ自体が意思を持つかのような、圧倒的な存在感を放っている。*
受付嬢:「これは…魔法武器…? いえ、それ以上の…」
*受付嬢が息を呑む中、ガルドスは満足げに胸を張った。*
ガルドス:「シロウ殿、こいつらの名を決めてやってくれ。こいつらはもう、あんたの魂の一部だ!」
*ガルドスの言葉に、シロウは少し困ったように眉を寄せた。武器に名前をつけるという行為は、彼にとって少々気恥ずかしいものがあった。*
シロウ:「え、名か…」
*彼は内心で、自分にはそういったセンスがないことを自覚していた。そこで、彼は万能スキルである『神眼』に意識を向けた。*
シロウ:(じゃあ、神眼に厨二病的な名前を考えてもらおう。)
*そう念じると、彼の脳内に『神眼』からの提案が流れ込んでくる。まるで検索エンジンのように、いくつかの候補がリストアップされた。*
> **『神眼』による名称候補リスト:**
>
> 1. **夜天の牙『ナイトファング』** & **星毒の刃『ステラヴェノム』**
> 2. **影疾風** & **万象滅毒**
> 3. **月を喰らう者** & **蛇を殺す者**
*(…うん、いい感じに痛いな。一番目のやつにしておくか。)*
*シロウは心の中で頷くと、さも今思いついたかのように、澄ました顔で口を開いた。*
シロウ:「そうだな…こっちの黒い方を**『夜天の牙』**。そして、紫の方を**『星毒の刃』**と名付けよう。」
*その名が告げられた瞬間、二振りの短剣が呼応するように淡い光を放った。まるで、自らの名を与えられたことを喜んでいるかのようだ。*
ガルドス:「おお…! 『ナイトファング』と『ステラヴェノム』! いい名だ! 実にいい!」
*ガルドスは感極まったように叫び、その場にいた他の冒険者たちも、伝説の誕生を目撃したかのように固唾を飲んで見守っている。*
*その異様な光景の中心で、受付嬢だけが冷静だった。彼女は目の前で起きている全ての事象――消えた森の呪い、規格外の冒険者、伝説級の鍛冶師、そして神話級の武器の誕生――を繋ぎ合わせ、一つの結論に達しようとしていた。そして、その結論は彼女を戦慄させるのに十分だった。*
*シロウは完成した二振りの短剣を手に取ると、その完璧なバランスと手に吸い付くような感触に満足げに頷いた。そして、何事もなかったかのように、それらを『次元の革袋』へと収納する。その光景を見ていた周囲の冒険者たちは、あれほどの逸品を無造作にアイテムボックスへ仕舞うシロウに、再び驚きの声を上げた。*
シロウ:「ありがとう。」
*シロウがガルドスに礼を言うと、ドワーフは興奮冷めやらぬ様子で、大きな手でシロウの肩をバンバンと叩いた。*
ガルドス:「**礼には及ばん! むしろこっちが礼を言いたいぐらいだ! おかげで最高の仕事ができた!**」
*彼は一度大きく息を吸い込むと、声を潜めることもなく、ギルドホールに響き渡る声で続けた。*
ガルドス:「**そうだ、シロウ殿! 預かっていた残りの星屑鋼だがな! あれの噂を聞きつけた王宮魔術師団と騎士団の連中がすっ飛んできてな! なんと、言い値で全部買い取っていきおったわ! これがその代金だ!**」
*そう言ってガルドスは、ずしりと重い革袋をカウンターに叩きつけるように置いた。革袋の口から、金貨の山がちらりと見える。その額、少なくとも金貨数百枚は下らないだろう。*
*ギルド内が再びどよめいた。廃鉱山から得た鉱石で大金を手にした新人。その噂は一瞬にして広がり、嫉妬や羨望、そして猜疑の視線がシロウに突き刺さる。*
*受付嬢は、この騒ぎの中心にいるシロウを見つめながら、こめかみをピクピクとさせていた。彼女はカウンターの下でそっと『緊急連絡用魔導具』を握りしめていた。*
*――この男は、あまりにも危険すぎる。Dランク冒険者という枠には到底収まらない。至急、ギルドマスターに報告しなければ。*
*彼女の思考を読み取ったかのように、シロウは面倒くさそうに溜息を一つ吐いた。*
*シロウはガルドスから差し出された重い革袋を、こともなげに受け取って『次元の革袋』に仕舞った。その一連の動作ですら、周囲の冒険者たちには異様に映る。*
シロウ:「とりあえず、寝ろよ。クマ凄いぞ…」
*シロウがガルドスの目の下を指差すと、彼は「おお、そうか?」と気にした様子もなく、豪快に笑った。不眠不休で打ち続けた彼の顔には、確かに深い隈が刻まれている。*
ガルドス:「**がっはっは! 心配無用だ! 最高の鉄を打ち、最高の酒を飲む! これぞドワーフの誉れよ! さあ、シロウ殿! 今夜は朝まで飲み明かそうぞ!**」
*そう言って、ガルドスは再びシロウの肩を掴もうとする。その時、シロウはふと受付嬢に視線を向けた。彼女は相変わらずポーカーフェイスを保っているが、その瞳の奥には隠しきれない緊張と警戒が渦巻いていた。*
*(…さすがに騒ぎすぎたか。これ以上ここにいるのは得策じゃないな。)*
*シロウは内心で判断すると、ガルドスの誘いをやんわりと断る。*
シロウ:「悪いな、ガルドス。今日はもう疲れたから宿に戻るよ。飲みに行くのはまた今度にしてくれ。」
*その言葉に、ガルドスは少し残念そうな顔をしたが、「そうか、それなら仕方ないな!」とすぐに快諾した。*
ガルドス:「**よし、分かった! ならば日を改めて最高の酒を用意しておこう! また工房に来てくれ!**」
*ガルドスは満足げに頷くと、名残惜しそうにしながらも、ギルドを後にしていく。その大きな背中を見送った後、シロウは改めて受付嬢に向き直った。ギルド内のざわめきは未だ収まらず、多くの視線がこちらに集中している。*
シロウ:「じゃあ、俺もこれで。」
*軽く会釈をして立ち去ろうとするシロウを、受付嬢が呼び止めた。その声は、先ほどまでとは違い、どこか硬質的な響きを帯びていた。*
受付嬢:「お待ちください、シロウ様。」
*シロウが背を向けて立ち去ろうとした、その瞬間。*
受付嬢:「**シロウ様!**」
*先ほどとは打って変わって、凛とした、拒絶を許さない声がギルドホールに響いた。ざわついていた冒険者たちも、その声に含まれたただならぬ気配に思わず口をつぐむ。*
*シロウは足を止め、ゆっくりと振り返った。*
シロウ:「またあした。」
*シロウが飄々とした態度を崩さず、再び歩き出そうとすると、受付嬢はカウンターから素早く身を乗り出し、低いがよく通る声で告げた。*
受付嬢:「ギルドマスターがお呼びです。至急、マスター室へご足労願います。…これは、**命令**です。」
*『命令』という言葉に、空気が凍り付いた。通常の依頼斡旋や手続きでは決して使われない、ギルドの絶対的な権限を示す言葉。それを、受付嬢は目の前のDランク(昇格したばかりの)冒険者に向けて放ったのだ。*
*周囲の冒険者たちは息を呑んだ。ギルドマスターからの直接の呼び出し、しかも命令。これは、よほどの功績を上げたか、あるいはギルドの根幹を揺るがすような大問題を起こしたかのどちらかだ。*
*受付嬢は静かに立ち上がり、カウンターの脇にある、普段は職員以外立ち入り禁止の扉を指し示した。その瞳は、もはやシロウを単なる冒険者として見てはいなかった。得体の知れない、しかし無視できない強大な存在として、最大限の警戒をもって対峙していた。*
受付嬢:「ご案内いたします。こちらへ。」
*シロウの皮肉めいた言葉に、受付嬢は表情一つ変えない。彼女はただ、冷徹なギルド職員としての仮面を貼り付けている。*
シロウ:「命令って言うか、脅迫だろ?全く」
*シロウが諦めたように肩をすくめ、ついていく意思を示すと、受付嬢は無言で一礼し、踵を返した。好奇と畏怖の視線が集中する中、シロウは彼女の後に続く。*
*職員用の扉を抜けると、そこは冒険者たちの喧騒とは無縁の、静かで重厚な空間だった。磨かれた石の床に、二人の足音だけが静かに響く。壁には歴代のギルドマスターの肖像画や、伝説級の討伐依頼書などが飾られており、このギルドが持つ長い歴史と権威を物語っていた。*
*長い廊下を抜け、螺旋階段を上る。案内される先は、明らかにギルドの最上層、中枢部だった。やがて、ひときわ豪華な装飾が施された両開きの扉の前で、受付嬢は足を止めた。*
受付嬢:「マスター、シロウ様をお連れしました。」
*扉の向こうから、落ち着いた、しかし威厳のある壮年の男性の声が響いた。*
**「うむ、入れ。」**
*受付嬢は静かに扉を開け、シロウに入るよう促す。*
*部屋の中に足を踏み入れると、そこは書斎と応接室を兼ねたような広々とした空間だった。壁一面を埋め尽くす本棚、高価そうな絨毯、そして窓の外には王都の街並みが一望できる。*
*その部屋の主――窓際に立ち、背を向けていた一人の男が、ゆっくりとこちらに振り返った。*
*年の頃は50代ほどだろうか。短く刈り込んだ白髪混じりの金髪に、鍛え上げられた壮年の肉体。左目には眼帯がかけられ、残された右の瞳は、まるで全てを見透かすかのように鋭く、シロウを射抜いていた。彼が纏う空気は、ガルドスのような豪放さとは違う、歴戦の強者だけが持つ静かな圧があった。*
ギルドマスター:「君がシロウ君かね。私がここのギルドマスター、アル・フォン・ヴァイスだ。まあ、座りたまえ。」
*彼は鷹揚にソファを指し示しながら、自身も向かいの席にどっしりと腰を下ろした。受付嬢は扉を閉め、その脇に控えるように直立している。これはもう、尋問以外の何物でもない。*
*シロウの不躾とも取れる問いに、しかしギルドマスターのアルは眉一つ動かさなかった。彼はただ、興味深そうに目を細めるだけだ。*
シロウ:「フォンってことは貴族?」
*その言葉に、後ろに控えていた受付嬢の肩がピクリと動くのが分かった。常人ならば、ギルドマスター、それも貴族の名を持つ相手にそのような口の利き方はしない。*
アル:「**いかにも。ヴァイス伯爵家の三男坊だ。もっとも、家督争いに嫌気がさして十年前に勘当された身だがね。**」
*彼はそう言ってカラリと笑った。その態度には、貴族特有の嫌味な雰囲気は一切感じられない。むしろ、自らの出自を一種のジョークとして語るだけの器の大きさを感じさせた。*
アル:「**さて、私の身の上話はそれくらいでいいだろう。本題に入ろうか、シロウ君。**」
*アルの笑みがすっと消え、片方の鋭い瞳が再びシロウを捉える。部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。*
アル:「**まず、旧ダリウス鉱山での君の行動。ゴブリンの討伐数は報告通りだったが、問題は鉱石だ。報告書によれば、君は星屑鋼と光魔石、そして…ミスリル銀を発見、採掘したそうだな。**」
*彼の口から『ミスリル銀』の名が出た瞬間、シロウは内心で舌打ちした。ガルドスがあの場で口にしなかったのは、おそらく最後の配慮だったのだろう。だが、ギルドという組織の情報網を甘く見ていた。*
アル:「**単独で、しかも一日でだ。常識的に考えてあり得ん。君は一体、何者だ?**」
*シロウのあまりにもふてぶてしい返答に、アルは黙り込んだ。彼の鋭い右目が、まるで獲物を品定めするかのように、シロウの全身を舐めるように観察する。部屋に重い沈黙が落ちる。後ろに控える受付嬢は、息をすることさえ忘れたかのように固まっていた。*
シロウ:「普通の田舎者のDランク冒険者ですが、なにか?」
*やがて、アルは重々しく口を開いた。その声は低く、部屋の空気を震わせる。*
アル:「**ほう…田舎者、か。君が言う『田舎』とは、ドラゴンが畑を耕し、リッチが井戸端会議でもしているような場所かね?**」
*静かな、しかし確かな圧がシロウにのしかかる。それは単なる威圧ではない。幾多の死線を潜り抜けてきた者が放つ、本物の殺気だった。*
アル:「**とぼけるのはそこまでだ、小僧。貴様のその態度、気に入った。だが、ここはギルドだ。我々には、ギルドの秩序を乱す者を排除する義務と権利がある。貴様の存在は、その秩序を根底から覆しかねない。**」
*彼はゆっくりと立ち上がると、窓際に歩み寄り、王都の景色を見下ろした。*
アル:「**そしてもう一つ…先程の『エントの森』の件だ。数百年もの間、誰も手を付けられなかった呪われた森の瘴気が、たった半日で完全に消滅した。奇しくも、君が薬草採取の依頼でその森の近辺へ向かった、その直後にな。**」
*アルは振り返り、その隻眼で再びシロウを射抜いた。*
アル:「**これも偶然かね? 田舎者のDランク冒険者が起こした、ただの奇跡だとでも言うつもりか?**」
*シロウのどこまでも白を切る態度に、アルは怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ静かに、そして深く息を吐いた。その隻眼が、面白がるような色を帯び始める。*
シロウ:「通りすがりの聖者様でもいたんじゃないですか?薬草採取に行ってたので知りませんが」
*アルはゆっくりと自分の席に戻り、再びどっしりとソファに腰を下ろした。そして、組んでいた腕を解き、テーブルの上に置く。*
アル:「**…そうか。聖者様、か。なるほどな。**」
*彼はそう呟くと、不意に口元に獰猛な笑みを浮かべた。それは、獲物を見つけた捕食者の笑みだった。*
アル:「**分かった。君がそう言うのなら、今はそういうことにしておこう。**」
*その言葉に、後ろに控えていた受付嬢が「マスター!?」と驚きの声を上げたが、アルは手でそれを制した。*
アル:「**だが、シロウ君。君のような『幸運』な男を、我々ギルドが見過ごすわけにはいかん。君のその『幸運』は、あるいは王国にとって、いや、この世界にとって大きな利益をもたらすかもしれんからな。**」
*彼の言い分は、明らかにシロウをギルドの管理下に置こうとするものだった。シラを切り通すなら、その『設定』に最後まで付き合ってやろうというわけだ。*
アル:「**そこで、君にギルドから特別な『依頼』をさせてもらいたい。**」
*彼はテーブルに一枚の羊皮紙を滑らせた。それは、ギルドの紋章が刻印された、正式な依頼書だった。*
アル:「**君には、ギルド直属の『特務調査官』となってもらう。**」
*シロウから放たれた、あまりにも直接的で、一切の遠慮も媚びもない拒絶の三文字。*
*それは、ギルドマスターという絶対的な権力者に対して、普通なら口が裂けても言えない言葉だった。*
*後ろに控える受付嬢が「ひっ」と息を呑む音が聞こえる。彼女の顔は蒼白になっている。*
シロウ:「い・や・だ」
*しかし、アルは怒り出すどころか、逆に心底愉快そうに、腹の底から笑い出した。*
アル:「**カッハッハッハ! そうか、嫌か! そうだろうな!**」
*ひとしきり笑った後、彼は涙を拭う仕草をしながら、獰猛な笑みを浮かべたままシロウを見据えた。*
アル:「**よろしい。ならば『取引』といこうじゃないか。**」
*彼は指を一本立てる。*
アル:「**君が『特務調査官』を引き受けるのなら、ギルドは君の存在を全面的にバックアップする。君が何者であろうと、何をしようと、我々はそれを『ギルドの任務』として処理し、あらゆる外部からの干渉――それこそ、王侯貴族や教会からの詮索さえも、ギルドの名において完全に遮断してやろう。**」
*彼の目は、シロウが何よりも面倒事を嫌っていることを見抜いていた。*
アル:「**君は自由に、誰にも邪魔されずに冒険を続けられる。鉱山で何を掘り当てようが、森でどんな奇跡を起こそうが、それは全て『ギルドの特務』だ。報酬も破格のものを用意する。そして何より…君の『正体』を探ろうとする面倒な輩を、私が責任をもって黙らせてやる。**」
*彼はシロウの返事を待つように、テーブルに肘をついた。*
アル:「**どうだね? これでもこの話、断るかね?**」
*シロウの二度目の、しかも即答での拒絶。*
*ギルドマスター室の空気は、もはや凍りついているという表現すら生ぬるい。受付嬢は完全に意識を飛ばしかけている。*
シロウ:「断る。」
*アルは、その獰猛な笑みを浮かべたまま、ぴたりと動きを止めた。彼の隻眼が、温度のない光でシロウをじっと見据えている。まるで、次に繰り出す一手を慎重に選んでいるかのように。*
*長い、長い沈黙。*
*やがて、アルは組んでいた腕を解き、テーブルに両肘をついて前のめりになった。その距離が、物理的にも心理的にもシロウに圧をかける。*
アル:「**…面白い。実に面白い男だ、君は。**」
*彼の声は静かだったが、その底には地鳴りのような怒りではなく、純粋な『興味』と『執着』が渦巻いていた。*
アル:「**ならば、こちらも手を変えよう。君は冒険者だ。冒険者には、ギルドの決定に従う義務がある。これは取引ではない。今この瞬間より、君をSランク冒険者として『仮認定』する。**」
*「Sランク」という言葉に、受付嬢が今度こそ「ええっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。Dランクから一足飛びに、伝説と謳われる領域への昇格。前代未聞どころの話ではない。ギルドの歴史そのものを愚弄するに等しい暴挙だ。*
アル:「**Sランク冒険者、シロウ。君への最初の『指名依頼』だ。内容は先程と同じく『特務調査官』への就任。これはギルドの正規の手続きに則った、拒否権のない強制依頼だ。もしこれを拒否するというのなら…君はギルドから永久追放、及び王国全土への指名手配犯として登録されることになる。**」
*彼は笑みを消し、冷徹な支配者の顔で宣告した。選択肢など最初から与える気はなかったのだ。*
アル:「**さあ、どうする? ギルドに与して英雄となるか、全てを敵に回して逃亡者となるか。選べ。**」
*シロウから提示された、あまりにも突拍子もない第三の選択肢。*
*その言葉を聞いた瞬間、アルの顔から全ての表情が抜け落ちた。彼の隻眼が大きく見開かれ、まるで信じられないものを見たかのように、シロウの顔を凝視している。彼の隣にいた受付嬢は、もう口をパクパクさせることしかできない。*
シロウ:「第3の選択肢。友達になろう」
*数秒間の、完全な静寂。*
*次の瞬間、アルは机に突っ伏し、その体を震わせ始めた。最初はくぐもった声だったが、それはやがて抑えきれない大爆笑へと変わり、ギルドマスター室全体に響き渡った。*
アル:「**カッ…! カハッ! ク、ククク…フハハハハハハ! と、友達だと!? この私と!? ギルドを永久追放され、指名手配犯になる瀬戸際で! そう来るか!**」
*彼は涙を流しながら腹を抱えて笑い転げている。それは脅しや駆け引きの笑いではない。心の底から、純粋に面白いものに出会った人間の笑いだった。*
アル:「**…ああ、もうだめだ。腹が痛い…。君は…君は最高だ、シロウ君。このアル・フォン・ヴァイスの人生において、そこまで突拍子もないことを言ってきた人間は君が初めてだ。**」
*ようやく笑いが収まった彼は、涙で濡れた目元を拭うと、シロウを真っ直ぐに見据えた。その瞳には、先程までの支配者の顔はなく、一人の男としての、悪戯っぽい光が宿っていた。*
アル:「**よかろう! そのふざけた提案、乗ってやろうじゃないか!**」
受付嬢:「**マ、マスター!?**」
*受付嬢の悲鳴も耳に入らない様子で、彼は続ける。*
アル:「**だが、友達になるにも条件がある。俺の『頼み』を一つ、聞いてくれるか?** これは『命令』でも『依頼』でもない。友人候補から、友人候補への、個人的な『頼み』だ。」
*彼はニヤリと笑い、一枚の地図をテーブルに広げた。そこには、王都から遠く離れた、南方の沼沢地帯が示されている。*
アル:「**最近、この『リンドブルム大湿地』で奇妙な報告が相次いでいる。目撃例のない強力な魔物、原因不明の奇病、そして…村が一つ、一夜にして地図から消えた。**」
*彼の表情が、再び険しいものへと変わる。*
アル:「**表向きには、ただの調査依頼として他の冒険者に任せている。だが、どうにも腑に落ちん。君に、この湿地の奥深く…誰も足を踏み入れようとしない場所を、こっそり見てきてほしい。何が起きているのか、君のその目で確かめてきてくれ。**」
*シロウの確認に、アルは片方の眉を面白そうに吊り上げた。どこまでも自分のペースを崩さないその姿勢が、彼にはたまらなく魅力的に映るようだ。*
シロウ:「調査。それだけ?解決しろなんて言うなよ?」
*アルは、先程までの大爆笑の余韻が残る口元で、ニヤリと笑う。*
アル:「**ああ、そうだ。ただ『見る』だけでいい。君ほどの男が『見て』、それでも解決できんような問題なら、それはもう王国騎士団総出か、あるいは国そのものが滅びる時だ。**」
*彼はそう言うと、地図の隣に小さな革袋を置いた。中からは、カチャリと金属が触れ合う音がする。*
アル:「**これは俺からの個人的な餞別だ。道中の足しにしてくれ。『友達』なんだろう?**」
*その言葉には、明らかにシロウを試すような響きがあった。ただの調査依頼にしては、破格の報酬。これを素直に受け取るのか、それとも…。*
アル:「**調査が終わったら、またここに来い。その時に、君が見たものを聞かせてもらう。そして、俺たちが本当に『友達』になれるのか、その答えもな。**」
*彼はソファから立ち上がると、窓の外に広がる王都の景色に目をやった。*
アル:「**リンドブルム大湿地は、王都から南へ馬車で三週間ほどの距離だ。道中、色々なものが見えるだろうさ。…さて、話は以上だ。もう行っていいぞ。**」
*それは、先程までの強制的な雰囲気とは全く違う、対等な人間に対する言葉だった。受付嬢は、信じられないものを見る目で、アルとシロウを交互に見ている。*
*シロウが餞別の革袋を手に取ると、ずしりとした重みが伝わってきた。中には金貨が何十枚も入っているようだ。*
*シロウが依頼を引き受け、餞別の革袋を『次元の革袋』に仕舞うのを見て、アルは満足げに頷いた。シロウが部屋を出て行こうと背を向けた、その時。*
シロウ:「わーったよ。調査受けるよ。」
アル:「**シロウ君。**」
*呼び止められ、シロウが振り返る。アルドレットは真剣な眼差しで、一つだけ忠告を口にした。*
アル:「**リンドブルムは、『亜人』、特にサキュバスやインキュバスの目撃情報が多い場所でもある。女の色香には、くれぐれも気をつけろ。奴らは魂を喰らう。…友人候補からの、老婆心だ。**」
*その言葉を最後に、アルは再び窓の外に視線を戻した。これ以上話すことはない、という意思表示だった。*
*シロウが部屋を出て、受付嬢が静かに扉を閉める。扉一枚を隔てた先で、彼女がアルに何かを問い詰めているような気配がしたが、シロウにはもう関係のないことだった。*
ーーー
*ギルドを出たシロウは、ひとまず情報収集のために、王都の中央広場へと足を向けた。リンドブルム大湿地へ向かうにしても、まずはルートの確認や必要な物資の調達が必要だ。*
*広場は多くの人々で賑わっており、様々な露店が軒を連ねている。その一角で、地図を売る店を見つけたシロウは、店主の老人に声をかけた。*
シロウ:「すまない。リンドブルム大湿地までの地図が欲しいんだが。」
老人:「ほう、リンドブルムへ? あんな呪われた土地に、好き好んで行くとは…冒険者さんかね?」
*老人はそう言いながらも、棚から古びた羊皮紙の地図を取り出して広げた。*
老人:「これがリンドブルムまでの街道図じゃ。だが、湿地の中までは描かれておらん。あそこは『霧の迷宮』と呼ばれていてな、一度入ったら二度と戻れんと言われとる。それに…」
*老人は声を潜め、周囲を気にするようにシロウに耳打ちした。*
老人:「**最近、あのあたりで旅の男が行方知れずになる事件が多発しとる。聞けば、皆、夜の酒場で美しい女に誘われた後、姿を消すんじゃと…。気をつけなされや。**」
*老人の忠告は、アルの言葉と奇妙に一致していた。どうやら、サキュバスの噂は単なる噂話では済まないようだ。*
*地図を買い、老人の忠告を適当に聞き流したシロウは、次の目的地である馬屋へと向かうことにした。リンドブルムまでは馬車で三週間。自前の馬を用意した方が、何かと融通が利くだろう。*
シロウ:「はーい、どうも〜。」
(サキュバスねぇ…『精神攻撃無効』を習得した俺の敵になるのか…?)
*『精神耐性』スキルが進化し、あらゆる精神干渉をシャットアウトできるようになった今、魅了系の攻撃がどれほど通用するのか、むしろ少し興味すらあった。*
*馬屋に到着すると、様々な種類の馬が嘶いている。頑丈そうな荷馬から、すらりとした軍馬まで様々だ。シロウが馬を眺めていると、恰幅のいい馬屋の主人が声をかけてきた。*
馬屋の主人:「へい、お客さん! いい馬が入ってるよ! どんな馬をお探しで?」
シロウ:「南のリンドブルムまで行きたいんだが、長旅に耐えられる、足の速い馬がいい。予算は…まあ、気にしなくていい。」
*シロウがそう言うと、主人の目がカッと見開かれた。金払いのいい客だと見て取ったのだろう。*
馬屋の主人:「リンドブルムですかい! そりゃあまた遠くまで…でしたら、こいつはとびきりですよ!」
*主人が自信満々に案内したのは、一頭の黒馬だった。艶やかな黒い毛並み、引き締まった筋肉質な体躯。他の馬とは明らかに格が違う、気品と力強さを兼ね備えている。*
馬屋の主人:「こいつは『ナイトメア』の血を引く駿馬でしてね。普通の馬の倍は速く、スタミナも段違いです。少々気性が荒いのが玉に瑕ですが、乗りこなせればこれ以上の相棒はいやしませんぜ。」
*シロウがその馬に近づくと、馬はブルルと鼻を鳴らし、警戒するようにシロウを睨みつけた。その瞳には、確かに知性と誇りのようなものが宿っている。*
*シロウは『神眼』を発動させ、目の前の黒馬を鑑定した。*
```
【ステータス】
名前:なし
種族:ナイトメア・ハーフ
Lv.15
HP:280/280
MP:50/50
状態:警戒
スキル:
脚力強化 Lv.4
突進 Lv.3
威嚇 Lv.2
闇駆 Lv.1
```
*(なるほど、確かに良さそうだ。こいつにしよう。)*