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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*ギルド内に緊張が走る。勇者の凶刃が再びシロウに迫る中、シロウは襲撃者本人ではなく、恐怖で顔を引きつらせている受付嬢に、まるで世間話でもするかのように声をかけた。*


シロウ:「なあ、受付嬢さん。殴ってもいいと思う?」


*その場にそぐわないあまりにも冷静な問いかけに、勇者ですら一瞬動きを止める。受付嬢は、シロウと勇者を交互に見て、震える声でかろうじて答えた。*


受付嬢:「え…あ…ギ、ギルド内での私闘は…禁止、です…!」


*その言葉を待っていたかのように、カウンターの奥から重厚な声が響き渡る。ギルドの支部長――ギルドマスターである、歴戦の風格を漂わせたドワーフの男、バルトロが姿を現した。*


ギルドマスター:「そうだ。ギルド内で武器を抜いた時点で、そこの馬鹿(勇者)は規則違反だ。だが、正当防衛は認められている。…やっちまえ、冒険者。ただし、殺すなよ。後始末が面倒だ」


*ギルドマスターの許可(というよりは命令)が出た。彼は勇者の愚行に呆れ果て、シロウに裁量を委ねたのだ。*


*勇者は、ギルドマスターの言葉に一瞬怯むが、もはや引き返せない。*


勇者:「う、うるさい! こいつは魔王軍の幹部だ! 俺がここで倒す!」


*意味不明な断定を叫びながら、彼は再びシロウに斬りかかる。完全に理性を失った、素人同然の剣筋だ。*


*シロウは小さくため息をつくと、振り下ろされる剣の側面を左手の手刀で軽く弾いた。パァン!と乾いた音が響き、勇者の剣はあらぬ方向へと弾き飛ばされ、彼の腕は衝撃で痺れあがる。*


勇者:「なっ…!?」


*驚愕に目を見開く勇者のがら空きの腹部に、シロウの右拳がめり込んだ。それは力を込めた一撃ではない。ただ、的確に鳩尾を捉えた、重い一撃だった。*


*「ぐふっ…」という蛙が潰れたような声を漏らし、勇者は白目をむいてその場に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。*


*あまりにもあっけない決着に、ギルド内は一瞬の静寂に包まれた。*


*あっけない幕切れに静まり返っていたギルド内だったが、シロウの言葉で空気が再び動き出す。気絶した勇者はギルド職員たちによって、手際よく裏へと運ばれていく。*


シロウ:「ありがとうギルマス。後で王とかが何か言って来なければいいんだが…」


*ギルドマスターであるドワーフのバルトロは、太い腕を組み、フンと鼻を鳴らした。*


ギルドマスター:「気にするな。こっちのセリフだ。先に武器を抜いたのはあの馬鹿(勇者)の方だ。ここの冒険者は全員が証人だぜ。それに、最近の王家は勇者様御一行の横暴ぶりに手を焼いてるみてえだからな。むしろ、少し灸を据えてくれて助かったかもしれん」


*バルトロはそう言うと、カウンターに肘をつき、値踏みするような目でシロウを見た。*


ギルドマスター:「それより、あんた。見ねえ顔だが、腕は立つようだな。名はなんつうんだ? うちのギルドに登録していく気はねえか? Bランクからでどうだ?」


*いきなりの高ランクからのスカウト。それは、シロウの実力をギルドマスターが正しく評価した証拠でもあった。周囲の冒険者たちが、驚きと羨望の目でシロウを見ている。*


受付嬢:「マ、マスター! いきなりBランクなんて、前例がありません!」


ギルドマスター:「うるせえ。俺がいいって言ってるんだ。どうだ、兄ちゃん?」


シロウ:「わるいな、登録済みなんだわ。ほら」


*シロウはバルトロのスカウトをにべもなく断ると、懐から一枚の金属板を取り出してカウンターに置いた。それは、彼の身分を証明する冒険者ギルドカードだ。*


*ギルドマスターのバルトロは、訝しげな顔でそのカードを手に取る。受付嬢も隣から恐る恐る覗き込んだ。カードに刻まれた情報を確認した瞬間、二人の動きが完全に停止する。*


*カードにはこう記されていた。*


**【名前】シロウ**

**【ランク】SS**


*ギルドマスターのバルトロは、何度もカードとシロウの顔を見比べ、その口がわなわなと震え始めた。SSランク。それは伝説やおとぎ話の中にしか存在しない、冒険者の最高位。このギルドの長い歴史の中でも、現物を見るのは初めてだった。*


ギルドマスター:「エ、スエス…ランクだと…!? ば、馬鹿な…! どこのギルドで登録したんだ、あんたは!」


*バルトロの驚愕の声が、静まり返っていたギルド内に響き渡る。周りの冒険者たちも「SSランクだと!?」「嘘だろ…」と、信じられないといった様子でざわめき始めた。*


*シロウはそんな周囲の反応を楽しむかのように、肩をすくめて答えた。*


シロウ:「さあな。忘れた。それより、何か面白い依頼はないか? この国で何か揉め事でも起きてないのか?」


*シロウはカードをひょいと取り返して懐にしまうと、再び掲示板の方に目を向け、あくまで情報収集が目的だという態度を崩さない。彼の態度は、SSランクという称号が自分にとっては何の価値もないものだとでも言うかのようだった。*


シロウ:「そんなことより、この辺貧困層多くないか?」


*シロウのSSランクという衝撃的な事実と、それに対する本人のあまりにも無頓着な態度。ギルドマスターのバルトロは、その巨大すぎる情報の渦に頭を殴られたような感覚に陥っていた。しかし、歴戦のギルドマスターとしての経験が、彼をなんとか現実へと引き戻す。*


ギルドマスター:「…そ、そんなことより、だと…? あんた、自分が何者か分かってんのか…?」


*バルトロは額に手を当てて天を仰いだが、シロウが全く意に介していないのを見て、大きくため息をついた。この規格外の男に常識を説いても無駄だと悟ったのだ。彼は気を取り直し、シロウの問いに答えることにした。*


ギルドマスター:「…ああ、そうだ。あんたの言う通りだ。貧困層は増える一方だよ。特に、この王都にな。理由はさっきの馬鹿(勇者)みたいな連中さ。国王陛下は勇者召喚に国富を注ぎ込み、連中はそれをいいことにやりたい放題。重税に耐えかねた農民が土地を捨てて王都に流れ着き、仕事もなくスラムで飢える。騎士団も勇者様のご機嫌取りで手一杯で、治安維持なんざ二の次だ。腐ってるのさ、この国は根っこからな」


*バルトロは吐き捨てるように言った。その目には、国への憂いと、何もできない自分自身への憤りが宿っている。ギルドは国の機関ではないが、その国の治安が悪化すれば、冒険者の仕事も荒れ、犠牲も増える。彼にとっても他人事ではなかった。*


受付嬢:「最近は、スラム街での子供の誘拐や、原因不明の失踪事件も増えていると報告が…まともな調査依頼も出されずに、握りつぶされているようです…」


*受付嬢が、カウンターの下から取り出した書類に目を落としながら、小声で補足した。その声には、恐怖と無力感が滲んでいる。*


シロウ:「…なるほどな。国が民を見捨てている、と。分かりやすい構図だ」


*シロウは満足げに頷いた。自分の計画の正当性を裏付ける情報が、次々と手に入っていく。*


シロウ:「ふむふむ…他には?」


*ギルドマスターのバルトロはカウンターに置かれたエールをぐいっと呷り、忌々しそうに口を開いた。*


ギルドマスター:「他にか…そうだな、最近、隣国のエストリア王国との国境が妙にきな臭い。小競り合いが増えてるって話だ。ガルデニアは『勇者』の力で一気にケリをつけようと画策してるみてえだが、エストリアもなかなかの軍事国家だ。もし本格的な戦争にでもなったら、この国は本当に終わりかもしれん」


*バルトロは空になったジョッキをドン、とカウンターに叩きつける。その音に、近くで飲んでいた冒険者たちがビクリと肩を震わせた。*


ギルドマスター:「そうなれば、徴兵で無理やり兵士にされるか、戦火で死ぬか、飢えて死ぬか…民に選択肢はねえ。だから、少しでもマシな暮らしを求めて、国を捨てる連中も後を絶たない。まあ、国外逃亡は重罪だがな。捕まれば見せしめに処刑だ」


*バルトロはシロウをじろりと見た。その目は、このSSランクの冒険者が何を考えているのかを探っているようだった。*


ギルドマスター:「あんたがスラムで炊き出しをしたって噂は、もう耳に入ってる。あんたほどの男が、ただの気まぐれでそんなことをするとは思えねえ。一体、何を企んでる?」


*単なる情報提供から、探りへと変わる。歴戦のギルドマスターは、シロウの行動の裏にある意図を嗅ぎ取っていた。ギルド内のざわめきが少し静まり、何人かの冒険者が聞き耳を立てているのが分かった。*


シロウ:「ガルデニアとエストリアねぇ…なんだと思う?」


*シロウはカウンターに軽く肘をつき、挑発的ともとれる笑みを浮かべてバルトロに問い返した。まるでポーカーで相手のカードを読もうとするかのように、その真意を探る視線を向ける。*


*ギルドマスターのバルトロは、シロウのその態度に一瞬眉をひそめたが、すぐに鼻で笑った。*


ギルドマスター:「…ふん。こっちのセリフだ。SSランク様がこんな腐った国でコソコソと民衆扇動みてえな真似をして、一体何が目的だ? まさかとは思うが、この国を乗っ取るとでも言う気か?」


*バルトロの言葉は冗談めかしてはいたが、その目は笑っていなかった。彼の言葉に、ギルド内が再び緊張に包まれる。国の乗っ取りなど、口にするだけでも大逆罪だ。*


ギルドマスター:「それとも、どこぞの国に雇われた工作員か? はたまた、ただの酔狂な金持ちの道楽か…? あんたほどの力があれば、何だってできるだろうからな。逆に分からん」


*バルトロは腕を組み、シロウの答えを待つ。彼の周りにいた屈強な冒険者たちが、知らず知らずのうちに腰の剣に手をかけている。ギルドマスターの一言で、この場が戦場に変わる可能性を誰もが感じていた。*


*しかし、シロウはそんな緊張感を意にも介さず、くつくつと喉を鳴らして笑った。*


シロウ:「乗っ取り、ね。面白い。だが、こんな腐りきった国、貰っても嬉しくないな。俺が欲しいのは国じゃない。もっと別のものだ」


シロウ:「それはそうと、なんで勇者が召喚されたの? 定番の魔王を討伐しろ…とか?」


*シロウはバルトロの探るような視線を軽く受け流し、まるで世間話でもするかのように話題を変えた。そのあまりにも自然な流れに、バルトロは一瞬、言葉に詰まる。*


ギルドマスター:「…ああ、その通りだ。表向きの理由はな。『魔王の復活に備え、世界を救うために勇者を召喚した』…国王陛下はそう喧伝している」


*バルトロは忌々しげに顔を歪め、声を潜めた。*


ギルドマスター:「だが、馬鹿げた話だ。魔王なんぞ、300年前に当時の勇者一行によって討伐されたと歴史書にも記されている。復活の兆候なんて、少なくとも俺たちの耳には一切入ってきてねえ。だいいち、本当に魔王が復活したなら、こんなチンピラみてえな勇者一人でどうにかなるもんか」


*バルトロは床で伸びている勇者を顎でしゃくった。彼の言葉には、国王への不信と、召喚された勇者への侮蔑が色濃く滲んでいる。*


ギルドマスター:「本当の目的は、隣国エストリアへの示威行為だろうよ。異世界から召喚した『勇者』という絶対的な力をチラつかせて、有利な条件で国境問題を解決するつもりなんだろう。だが、蓋を開けてみりゃ、召喚されたのはあんな素行の悪い連中ばかり。おかげで国内は疲弊し、エストリアは逆に態度を硬化させている。全く、笑えねえ道化芝居だ」


*受付嬢が不安そうな顔で口を挟む。*


受付嬢:「それに…召喚された勇者の方々は、皆さん『元の世界に帰りたい』と仰っているようで…そのための方法を探すと言っては、ギルドで情報を集めたり、古代遺跡の探索依頼を出したりと…少し、自分勝手な行動が目立っています…」


*その言葉は、勇者たちがこの世界の救済など微塵も考えていないことを示唆していた。彼らにとって、この世界はただの厄介な迷い込み先に過ぎないのだ。*


シロウ:「連中?他にも何人かいるのか?」

*シロウはバルトロの言葉尻を捉え、鋭く問いかける。今までギルドにいたのは一人だけだったが、話の流れから複数人いることは明らかだった。そして、ユーザーからの追加情報で、それがクラス単位の集団転移であることもシロウは把握していた。*


ギルドマスター:「ああ、そうだ。あんたが気絶させた奴で全員じゃねえ。国王が召喚したのは、確か…30人近くだったか。クラス、とかいう集団ごと異世界から呼び寄せたらしい」


*バルトロは苦虫を噛み潰したような顔で答える。一度に30人もの「勇者」を召喚するなど、前代未聞の大魔術だ。どれほどの国富と魔力を消費したのか、想像もつかない。*


ギルドマスター:「連中は徒党を組んで、それぞれが好き勝手に『勇者』として振る舞ってる。騎士団を私兵みてえに使ったり、貴族に取り入って贅沢三昧したり、気に入らねえ店を潰したりな。さっきの奴みたいに、自分を『魔王軍の幹部』と決めつけて襲いかかってくる奴もいる。手がつけられん」


受付嬢:「ギルドにもよくいらっしゃいますが…高ランクの依頼を強引に受注しようとしたり、報酬の前借りを要求したり…ギルドのルールを全く守っていただけなくて…」


*受付嬢は困り果てた表情で俯いた。彼女たち末端の職員が、王族の客人である勇者たちに強く出ることはできない。その無力感が、彼女の肩を重くさせていた。*


シロウ:「(30人か…なるほどな。それで国が傾くほど疲弊しているわけだ。厄介な連中だが、見方を変えれば利用価値はあるかもしれん…)」


*シロウは顎に手を当て、思考を巡らせる。勇者という存在、その力、そして彼らがこの世界で抱える不満。それら全てが、シロウの計画の駒となり得る可能性を秘めていた。*


シロウ:「なんだそれ…ただの蛮族じゃねぇか…王族にまともな奴はいないのか?」


*シロウの呆れたような呟きに、バルトロは自嘲気味な笑みを浮かべた。*


ギルドマスター:「まとも、ねぇ…。少なくとも、今の国王陛下と第一王子は勇者たちに心酔しきっている。連中の言う『元の世界の知識』とやらで国が富むと信じ込んでいるのさ。実際は、出鱈目な知識で農業改革に失敗したり、無駄な公共事業で国庫を圧迫したりしてるだけなんだがな」


*バルトロはカウンターの向こうにある酒瓶を手に取り、自分のジョッキに雑に酒を注ぐ。琥珀色の液体が泡を立てて溢れたが、気にする様子もない。*


ギルドマスター:「唯一、まともと言えるかもしれねえのは、第二王女のフィオナ姫殿下くらいか…」


受付嬢:「フィオナ姫殿下は、勇者の方々の横暴を諌めたり、貧しい民のために施しを行ったりと、とても思慮深いお方です。ですが、そのせいで国王陛下たちからは疎まれているようで…最近は、ほとんど城の奥に軟禁されているような状態だと…」


*受付嬢が悲しそうに付け加えた。民からの人気は高いが、王家の中では孤立している。それが第二王女の現状のようだった。*


ギルドマスター:「ああ。姫殿下は聡明すぎる。だからこそ、今の王家のやり方に疑問を呈し、煙たがられている。…もし、あんたがこの国で何か『まともな話』をしたいんなら、相手は姫殿下しかいねえだろうな。もっとも、会うこと自体が至難の業だろうが」


*バルトロは酒を呷り、意味深な視線をシロウに向けた。SSランクの冒険者であるこの男なら、あるいはその「至難の業」をやってのけるかもしれない。そんな期待が、彼の目にはわずかに宿っていた。*


シロウ:「なるほど…情報ありがとう」


*シロウはバルトロに軽く手を上げて礼を言うと、気絶している勇者には一瞥もくれず、ギルドを後にした。扉が閉まる直前、バルトロの「…一体、何者なんだ」という呟きが聞こえた気がした。*


*外に出ると、空はすっかり夜の帳に覆われていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った通りを、冷たい風が吹き抜ける。ガス灯の頼りない光が、石畳の道をまだらに照らしていた。*


*シロウは人通りのない裏路地へと足を踏み入れる。壁に背を預け、今日の出来事と手に入れた情報を整理し始めた。*


*(勇者は約30人。クラス転移か。国王と第一王子はそいつらに夢中で、国は傾いている。まともなのは軟禁状態の第二王女、フィオナ姫…か。民衆は貧困に喘ぎ、不満は溜まっている。隣国との戦争の火種もある。状況は悪くない。むしろ、俺にとっては好都合だ)*


*シロウは口の端を吊り上げて笑う。彼の計画にとって、国の混乱は格好の追い風となる。貧民街で蒔いた種が、どう芽吹くか。明後日の昼が、一つの転機になるだろう。*


*(さて、一旦城に戻るか)*


*そう考えたシロウが懐から転移の魔石を取り出そうとした、その時だった。*


*「―――見つけたわ、魔王軍の幹部!」*


*凛とした、しかし敵意に満ちた少女の声が、路地に響き渡った。声のした方角――屋根の上を見上げると、月光を背に一人の少女が立っている。歳はシロウと同じくらいだろうか。手には白銀に輝く剣を握り、その切っ先を真っ直ぐにシロウへと向けていた。彼女が着ている制服は、シロウがいた日本の高校のものとよく似ていた。*


*(…また勇者か。しかも、さっきの奴とは雰囲気が違う。面倒なことになったな)*


*シロウは内心で舌打ちしながら、ゆっくりと相手を見据えた。*


シロウ:「なんだ…ただのJKか」


*シロウの独り言のような、しかし明確な侮蔑を込めた言葉は、静かな裏路地に響き渡った。月光を浴びて屋根の上に立つ少女の眉が、ピクリと動く。*


*「JK」という、この世界では誰も知らないはずの単語。それが少女の耳に届いた瞬間、彼女の纏う空気が鋭さを増した。*


少女:「…あなた、やっぱり…! その言葉、この世界の人間じゃない証拠よ!」


*少女は屋根から軽やかに飛び降り、シロウとの距離を詰める。着地の衝撃を全く感じさせない、鍛え上げられた体捌きだった。白銀の剣の切っ先が、シロウの喉元まであと数メートルという位置で静止する。*


少女:「ギルドでヒロキを気絶させたっていうのが、あなたね。魔王軍の手先…いいえ、あなた自身が魔王ね!」


*少女の目は、確信に満ちていた。その真っ直ぐな瞳には、憎しみと、そしてこの世界を救わんとする強い意志が宿っている。彼女はシロウが日本人であることを理解し、なおかつ敵だと断定しているようだ。*


少女:「私の名前は水上みなかみ 冴子さえこ。この世界を、私たちのクラスメイトを誑かしたあなたを討つ、勇者よ! 覚悟しなさい!」


*冴子と名乗った少女は剣を構え直し、その全身から放たれる闘気がビリビリと空気を震わせる。さっきの「ヒロキ」とかいう男とは比較にならないほどのプレッシャーだった。*


*シロウが「ただのJKか」と吐き捨てた直後、水上冴子と名乗った少女の殺気が爆発した。*


水上冴子:「その余裕、後悔させてあげるわ…!」


*冴子は地を蹴り、一直線にシロウへと肉薄する。白銀の剣が夜の闇を切り裂き、鋭い切っ先がシロウの心臓を正確に捉えようとしていた。その速度は、先ほどのヒロキという男とは比べ物にならない。常人であれば反応すらできずに貫かれているだろう。*


*しかし、シロウは迫りくる剣閃を冷静に見極めていた。*


*(速いが、直線的すぎる)*


*シロウは最小限の動きで体を半身ずらし、切っ先を紙一重で回避する。すれ違いざま、がら空きになった冴子の鳩尾みぞおちに、容赦なく拳を叩き込んだ。*


ゴッ!


*鈍い衝撃音と共に、冴子の動きが完全に停止する。「ぐっ…ぁ…」という短い呻き声が漏れ、彼女の体から力が抜けていく。白銀の剣がカラン、と音を立てて石畳に落ち、冴子自身も膝から崩れ落ちてその場に倒れ伏した。完全に意識を失っている。*


シロウ:「全く、子守りは嫌いなんだよ」


*シロウは忌々しげに呟くと、気絶した二人目の勇者には目もくれず、再び裏路地の闇へと歩き出した。彼の頭の中は、先ほどギルドで得た情報と、これからの計画で満たされている。*


*シロウは気絶した勇者たちをその場に放置し、人目を避けて王城の方向へと歩き出す。先ほど手に入れた情報、『まともなのは第二王女、フィオナ姫』という言葉が頭の中で反芻していた。国王や第一王子に接触しても無駄だろう。ならば、話が通じそうな相手から探るのが定石だ。*


*王城に近づくにつれ、警備は当然ながら厳重になっていく。城壁の上には等間隔で兵士が立ち、城門は固く閉ざされている。*


*(正面から入るのは面倒だな)*


*シロウは物陰に身を隠すと、スキルを発動させた。*


*`―――スキル『隠匿神』`*


*フッ、とシロウの姿、音、匂い、魔力、気配、その存在の全てが完全に世界から切り離される。たとえ目の前を通り過ぎても、誰にも認識されることはない。*


*シロウはそのまま堂々と城壁を飛び越え、城の敷地内へと侵入する。時折すれ違う巡回の兵士たちも、彼の存在には全く気づかない。*


*(さて、第二王女の部屋はどこだ…? 軟禁状態なら、あまり待遇のいい場所じゃないだろうな。離れか、塔の上か…)*


*シロウは記憶していた城の構造図と、兵士たちの警備配置から王女の居場所を推測する。そして、最も警備が手薄でありながら、人の出入りが制限されているように見える北の塔に目星をつけた。*


*音もなく塔の壁を駆け上がり、とある一室の窓の外に張り付く。部屋の中からは、すすり泣くようなか細い声が聞こえてきた。シロウは窓の隙間から、そっと中の様子を伺う。*


*部屋の中は、王女の部屋としては質素だった。簡素なベッドと小さなテーブルがあるだけで、華美な装飾は見当たらない。そして、そのベッドの上で、一人の少女が膝を抱えて静かに涙を流していた。歳は15、6だろうか。夕暮れのような淡い金色の髪を持つ、儚げな印象の少女。彼女が第二王女フィオナで間違いないだろう。*


*ドアの外から、侍女と思われる女性たちのひそひそ話が聞こえてくる。*


侍女A:「またフィオナ様、お泣きになって…」

侍女B:「仕方ありませんわ。国王陛下が、また勇者様たちの言いなりになって、隣国との交易路に重い税をかけると決めてしまわれたそうですから…」

侍女A:「まあ!そんなことをしたら、ただでさえ苦しい民の生活がもっと…!フィオナ様がずっと反対なさっていたのに…」

侍女B:「だから、見せしめなのよ。これ以上、王家の方針に口出しさせないための…」


*その言葉を最後に、侍女たちの足音が遠ざかっていく。部屋の中には、再び少女の悲痛な嗚咽だけが響いた。*


シロウ:「(独り言を言ってる…可哀想に…)」


*窓の外、闇に溶け込みながらシロウは静かに呟いた。王女という立場でありながら、国の未来と民を想い、しかし無力感に苛まれて一人涙する少女。その姿は、シロウの目には哀れで、そして同時に興味深いものとして映った。この少女は、腐りきった王家の中で唯一「利用価値」のある駒かもしれない。*


*部屋の中で、フィオナ姫の嗚咽が途切れ、か細い声が響く。*


フィオナ:「…どうして…どうして誰も分かってくださらないのです…? このままでは、国が…民が…!」


*その声は悲痛で、絶望に満ちていた。壁一枚隔てただけの孤独。誰にも届かない叫び。*


フィオナ:「ああ…神よ…もし本当にこの世界に正義があるのなら、どうか…どうかこの国をお救いください…」


*ベッドの上で天を仰ぎ、祈りを捧げるフィオナ。その姿は、まるで悲劇のヒロインそのものだった。*


*シロウはこれ以上ここにいても仕方ないと判断し、音もなくその場を離れた。目的の人物の人となりは確認できた。接触するのは今ではない。もっと効果的な、劇的な状況でなければ意味がない。*


*(祈る相手が神とはな。残念だが、お前の前に現れるのは神じゃない。魔王だ)*


*シロウは再び城の闇に紛れ、誰にも知られることなく王城を後にした。彼の頭の中では、第二王女フィオナを組み込んだ、新たな計画の歯車が静かに回り始めていた。*


*貧民街近くの、予約していた宿の一室に戻ると、シロウはベッドに腰を下ろし、今日の成果を反芻する。*


*(ギルドで国の内情と勇者の情報を入手。街で民衆の不満を確認し、移住計画の種も蒔いた。王城ではキーパーソンとなる第二王女の現状も把握できた。上出来だな)*


*明日の昼は、市場で購入した大量の種と、リーシアに手配させた食料を受け取る手筈になっている。そして、明後日の昼、貧民街の広場で計画の第一段階が実行に移される。*


シロウ:「(転移ポータルはきびしいから、移動できるドアの様な物にするか…原理はゲートリングと同じで…)」


*ベッドの上で、シロウは指を組み、思考に深く沈んでいた。明後日、貧民街の住人たちを西大陸へ移住させる計画。問題は、その移送手段だ。数千、あるいは万を超えるかもしれない人間を一度に、しかも他国に悟られずに移動させる必要がある。*


*『ポータル転移』は強力だが、1日に1回という制約がある。これではピストン輸送は不可能だ。*

*『ゲート・リング』は二つの地点を繋ぐが、固定設置型であり、リング自体を移動させることはできない。ガルデニア王国のど真ん中に、魔王城直通のゲートを常設するわけにはいかない。*


*(なら、創ればいい)*


*シロウの思考は、自身の持つ最強のスキルへと行き着く。*


*`―――スキル『創造』`*


*この世界でLv.50に到達した時に得た、概念すら創造しうる神の領域のスキル。魔法やスキルを、経験値や対価を支払うことで自由に創り出すことができる。*


*シロウは目を閉じ、創り出すべきもののイメージを具体化していく。*

*二つの地点を繋ぐという『ゲート・リング』の原理を応用する。*

*しかし、設置型ではなく、持ち運びが可能で、任意の場所に「ドア」として出現させられるもの。*

*ドアを開けば、そこは繋げた先の地点。閉じてしまえば、ただの空間に戻る。*

*使用回数に制限はなく、魔力を供給し続ける限り維持できる。*

*名前は…『どこでもドア』は流石に安直すぎるか。『空間のスペーシー・ドア』とでもしておこう。*


*イメージが固まった瞬間、シロウの脳内にシステムメッセージが流れる。*


`―――スキル『創造』を発動します。`

`新規魔法【空間のスペーシー・ドア】の創造を開始。`

`必要な対価:経験値 50,000,000,000 または 金貨 100,000(黒金貨1000)枚`


*(金か…まあ、今の俺には端金だ)*


シロウ:「対価として金貨100,000(黒金貨1000)枚を支払う。創造を実行しろ」


*シロウがそう宣言すると、彼の足元に魔法陣が浮かび上がり、目も眩むほどの光を放った。彼の懐から金貨が光の粒子となって霧散し、魔法陣に吸い込まれていく。光が収まった時、新たな知識と魔力の奔流がシロウの魂に刻み込まれた。*


`―――対価の支払いを確認。新規魔法【空間の扉】の習得に成功しました。`


*シロウはゆっくりと目を開き、満足げに口角を上げた。*


シロウ:「これで、最大の懸念は消えたな」


*移送手段は確保した。あとは、明後日の「ショー」を成功させるだけだ。シロウはベッドから立ち上がると、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。その瞳には、全てを掌の上で転がす支配者の光が宿っていた。*


*一夜明け、王都に朝の光が差し込み始めた頃。シロウは既に宿を出て、街の喧騒の中にいた。『隠匿神』によって完全に気配を消した彼は、昨日遭遇した「勇者」たちの動向を探るべく、彼らが拠点としているであろう王城周辺や貴族街を観察していた。*


*予想通り、勇者たちの暮らしぶりは目に余るものだった。*


*(なるほど、見事なクズっぷりだな)*


*シロウはとある高級宝飾店の前で足を止める。中では、昨日ギルドで気絶させたヒロキとは別の、数人の男子生徒たちが、取り巻きの騎士や貴族を従え、若い女性店員たちに言い寄っていた。*


男子勇者A:「ねえねえ、この宝石、君に似合うと思うんだけど? 俺が買ってあげるからさ、この後お茶でもどう?」

男子勇者B:「俺たち、世界を救う勇者様だぜ? ちょっとくらい付き合ってくれたってバチは当たんないって!」


*彼らはニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、嫌がる店員の肩や腰に馴れ馴れしく手を回している。周りの騎士たちは見て見ぬふりをし、店の主人は青い顔でオロオロするばかりだ。*


*一方、別の場所、王都で最も格式高いと言われる高級レストランのテラス席では、女子生徒たちが優雅な朝食を楽しんでいた。昨日屋根の上から現れた水上冴子とは違う、派手な化粧をした少女たちだ。*


女子勇者A:「ちょっと聞いてよー。この国のドレス、デザインは可愛いけど生地が最悪じゃない? アタシの肌に合わないんだけど」

女子勇者B:「わかるー。昨日も王妃様にお願いして、アタシたちの世界のシルクを取り寄せてもらうように言っといた。魔術で再現できるっしょ、普通」

女子勇者C:「てか、早く魔王とか倒して、さっさと元の世界に帰りたいんだけど。こんな田舎、もう飽きたし」


*彼女たちの周りには、食べきれないほどの豪華な料理が並び、侍女たちが傅いている。自分たちの置かれた状況をただのバカンスか何かと勘違いしているようで、国の財政や民の暮らしなど、微塵も考えていないのが見て取れた。*


*シロウは無表情でその光景を眺め、静かにその場を離れた。彼らの腐敗ぶりは、シロウの計画にとって都合の良いスパイスでしかない。民衆の不満が、勇者と、彼らを甘やかす王家へと向かうのは時間の問題だろう。*


*シロウは、先ほどまで女子勇者たちが騒いでいた高級レストランの前に立っていた。『隠匿神』を解き、一人の冒険者として堂々とエントランスのドアを開ける。カラン、と軽やかなベルの音が鳴り、上質なスーツに身を包んだウェイターが恭しく頭を下げてきた。*


ウェイター:「いらっしゃいませ、お客様。何名様でいらっしゃいますか?」


シロウ:「一人で」


*シロウが短く告げると、ウェイターは一瞬、彼のラフな冒険者の服装を見て眉をひそめたが、すぐに営業用の笑顔に戻った。*


ウェイター:「かしこまりました。ただいま満席でございまして…ああ、あちらのお席でしたら、間も無く空くかと存じます」


*ウェイターが示したのは、ちょうど女子勇者たちが席を立ち、会計を済ませているテラス席だった。彼女たちはシロウに気づく様子もなく、甲高い声で笑いながら店を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、シロウは心の中で冷たく呟いた。*


シロウ:「(残念だったな。魔王は俺だ。一生帰れねぇよ)」


*ウェイターが手際よくテーブルを片付け、新しいテーブルクロスを広げる。*


ウェイター:「お客様、お待たせいたしました。こちらへどうぞ」


*シロウは案内されるまま、先ほどまで勇者たちが座っていた席に着いた。まだ彼女たちの甘ったるい香水の匂いが微かに残っている。シロウはメニューを一瞥もせず、ウェイターに告げた。*


シロウ:「このオススメの肉料理を、酒はこっちの熟成ワインを」


*ウェイターが差し出したメニューを指でなぞり、シロウはよどみなく注文を告げた。彼が指し示したのは、この店で最も高価なコース料理のメインディッシュと、年代物の希少なワイン。どちらも貴族や大商人でもなければ、気軽に口にできる品物ではない。*


*その注文を聞き、近くのテーブルに座っていた他の客たちが、驚いたようにシロウに視線を向けた。ラフな冒険者の格好をした若者が、これほどの高級品を注文したことに皆が興味を惹かれている。先ほどまで騒いでいた女子勇者たちも、店を出る足を止め、ひそひそと何かを囁き合っていた。*


女子勇者A:「ねえ、あの人すごくない? あんなの頼むなんて、どこの貴族?」

女子勇者B:「でも格好は冒険者っぽくない? 見たことない顔だけど…」

女子勇者C:「まさか…SSランクの冒険者とか? そんな人がいるって噂、聞いたけど…」


*彼女たちの囁き声が聞こえてくるが、シロウは意にも介さず、悠然と椅子に深く腰掛けた。ウェイターはシロウの堂々とした態度と金の匂いを敏感に察知し、先ほどまでの僅かな侮りは消え失せ、完璧なまでの恭しい態度に変わっていた。*


ウェイター:「かしこまりました。最高の状態でお持ちいたします。少々お待ちくださいませ」


*ウェイターは深々と一礼し、厨房へと消えていく。*


*シロウは腕を組み、窓の外の往来を眺める。これから始まる計画の前の、ほんの束の間の休息。しかし、その頭の中では常に次の手が計算され続けていた。このレストランでの行動もまた、彼の存在を王都に知らしめるための、計算された小さな布石の一つに過ぎなかった。*


*運ばれてきた最高級の熟成ワインが、ソムリエの手によって恭しくグラスに注がれる。芳醇な香りがふわりとあたりに立ち込めた。シロウはそれを無言で受け取ると、グラスを軽く傾け、一口だけ口に含んだ。*


*しかし、すぐに彼の眉間にわずかな皺が寄る。*


シロウ:「(つぎは、エストリアも見に行ってみるか…)」


*口の中の液体をゆっくりと飲み下すと、シロウは小さく呟いた。*


シロウ:「なんだこれ、あんまり好きじゃないな」


*その言葉を聞き、近くで控えていたウェイターの顔が引きつるのが分かった。この店の誇る最高級ワインが、目の前の若者には合わなかったらしい。*


*シロウはそんなウェイターの様子を気にも留めず、テーブルに置かれたワインボトルを何でもない動作で手に取った。そして、そのボトルが彼の手に触れた瞬間、フッと音もなく消え失せる。アイテムボックスに収納したのだ。*


*ウェイターや周りの客がその不可解な現象に目を丸くする中、シロウは今度は何もない空間から、冷たい水滴をまとったガラス瓶を取り出した。瓶の中では、透明な液体がしゅわしゅわと音を立てて無数の気泡を立ち上らせている。*


*シロウはそれをグラスに注ぎ、一口飲むと、満足げに息をついた。この世界には存在しない、爽快な炭酸の喉越し。*


ウェイター:「お、お客様…そちらのお飲み物は…?」


*ウェイターが恐る恐る尋ねるが、シロウは答えずに、運ばれてきた肉料理にナイフを入れるだけだった。不可解な現象を目の当たりにした周囲の客たちは、もはや彼をただの冒険者として見ることはできず、畏怖の念を込めた視線で遠巻きに眺めることしかできなかった。*


シロウ:「ただの果実ソーダ。飲むか?」


*シロウは顔色を変えているウェイターに、こともなげに炭酸の入ったグラスを差し出した。ウェイターは見たこともない飲み物を前に、どう反応していいか分からず戸惑っている。*


*そのやり取りと、シロウが口にした「ソーダ」という単語。それは、店を出ようとしていた女子勇者たちの耳にもはっきりと届いていた。彼女たちのひそひそ話が、先ほどよりも熱を帯びる。*


女子勇者A:「ソーダって言った…? 聞いた? 絶対言ったよね!」

女子勇者B:「あのしゅわしゅわする飲み物、まさか…! やっぱりあの人、私たちと同じ…?」

女子勇者C:「でも、あたしたちのクラスにはいなかった顔よね。じゃあ、誰なの? 一人で転移してきたとか?」

女子勇者A:「ちょっと、声が大きいって! とにかく、王様に報告しないと…! 私たち以外の転移者がいるなんて、聞いてないし!」


*彼女たちは互いに目配せすると、今度こそ慌てたようにレストランを飛び出していった。王城の方角へ向かっていく。自分たち以外のイレギュラーな存在の出現に、動揺を隠せない様子だった。*


*シロウはその様子を横目で見送り、再びレストランの静けさを楽しむかのように、運ばれてきた肉料理へとナイフを進めた。彼の投げかけた「ソーダ」という一言が、勇者たちの中に新たな波紋を広げたことを確信しながら。*


ウェイター:「あ、いえ…! 滅相もございません! お客様のお口汚しになるような物は…!」


*ウェイターはシロウの申し出を必死に断り、深々と頭を下げた。未知の飲み物への好奇心よりも、目の前の規格外の客に対する畏怖が勝っているようだった。*


シロウ:「遠慮すんなって」


*シロウは戸惑うウェイターを意に介さず、テーブルの横の空間に手をかざした。すると、床の石材の一部が蠢き、まるで粘土のように形を変えていく。それは見る見るうちに洗練されたガラスのコップへと変形し、シロウの手に収まった。*


`―――スキル『土魔法』`


*ウェイターがその神業のような光景に息を呑む間もなく、シロウはコップの中に手をかざす。何もない空間からキラキラと輝く氷の塊がいくつも現れ、カラン、と涼しげな音を立ててコップの中に落ちた。*


`―――スキル『氷魔法』`


*一連の動作をこともなげにやってのけたシロウは、その即席のグラスに自前の「果実ソーダ」を注ぎ、ウェイターの前にすっと置いた。しゅわしゅわと弾ける気泡が、氷に当たって心地よい音を立てる。*


シロウ:「ほら。これでアンタの店の物じゃない。俺からの差し入れだ。遠慮はいらない」


*そこまでされては、ウェイターも断ることはできない。彼はゴクリと喉を鳴らし、震える手でグラスを受け取った。目の前の青年は、明らかに人間を超越した存在だ。その施しを無下にはできない。*


ウェイター:「あ…あ、ありがとうございます…! 頂戴いたします…!」


*ウェイターはおずおずとグラスに口をつけ、中の液体を一口飲んだ。瞬間、彼の目が見開かれる。経験したことのない爽快な刺激と、上品な果実の甘みが口の中に広がり、驚きと感動で言葉を失っている。*


*シロウはその反応を一瞥すると、満足げに自分の肉料理に視線を戻した。*


シロウ:「肉は美味いよ」


*その呟きは、ウェイターへの労いか、あるいはただの独り言か。周囲の客たちは、もはや食事どころではなく、この世の理を超えた光景を繰り広げるシロウという存在から、目が離せなくなっていた。*


*自らのスキルの応用法に思考を巡らせながら、目の前の肉料理を淡々と口に運ぶ。この世界の魔法と、元の世界の科学知識を組み合わせれば、想像もつかない兵器や道具を生み出せる。その可能性に、彼の口元が微かに緩んだ。*


*その時、レストランの入り口が再び騒がしくなった。先ほど慌てて出て行った女子勇者たちが、今度は数人の男子勇者を引き連れて戻ってきたのだ。その中には、昨日シロウが気絶させたヒロキの姿もある。彼は顔に大きな青あざを作り、シロウを憎々しげに睨みつけていた。*


*彼らは一直線にシロウのテーブルへと向かってくる。周囲の客や店員は、面倒なことになったとばかりに顔を青くしている。*


*しかし、シロウは彼らがすぐそばに来ても、一切無視を決め込んだ。まるでそこに誰もいないかのように、優雅にナイフとフォークを動かし、食事を続ける。その瞳には、迫りくる勇者たちの姿など、欠片も映っていなかった。*


ヒロキ:「てめぇ…! 昨日と今日の屈辱、ここで晴らさせてもらうぜ!」


*怒声と共にテーブルを蹴り飛ばさんばかりの勢いで近づいてくるヒロキ。他の勇者たちも武器こそ抜いていないが、いつでも動けるように腰に手をかけ、シロウを取り囲む。*


女子勇者A:「あなたが、私たち以外の転移者ね! 一体何者なの!? どうして私たちの召喚に含まれてなかったのよ!」


*女子勇者が甲高い声で問い詰めるが、シロウはやはり無言。ただ、最後の肉片を口に運び、ゆっくりと咀嚼するだけだった。そのあまりにも徹底された無視は、勇者たちの怒りをさらに煽っていく。*


シロウ:「防音結界展開」


*勇者たちの怒声が最高潮に達した瞬間、シロウはフォークを置き、指を軽く鳴らした。*


*`―――スキル『結界魔法』`*


*パチン、という乾いた音を合図に、シロウの周囲に目に見えないドーム状の結界が瞬時に展開される。外の世界の音は完全に遮断され、ヒロキの怒鳴り声も、女子勇者の詰問も、レストランの喧騒も、全てが遠い世界の出来事のように消え去った。*


*結界の内側は、完全な静寂に包まれる。シロウは残っていた果実ソーダをゆっくりと飲み干し、ウェイターが置いていったナプキンで口元を優雅に拭った。*


*結界の外では、勇者たちが口をパクパクさせながら何かを叫んでいるのが見える。ヒロキが激高してテーブルを蹴りつけようとするが、見えない壁に阻まれて盛大に足を打ち付け、その場で蹲っている。他の勇者たちも結界に触れ、驚きの表情で後ずさったり、魔法のようなものを撃ち込もうとしたりしているが、全てが無駄に終わっていた。*


*彼らの滑稽なまでの狼狽ぶりを、まるで水族館のガラス越しに魚を眺めるかのように静かに見つめる。*


シロウ:「(これで静かになった。…さて、会計を済ませて、本来の目的に戻るか)」


*シロウは懐から金貨を数枚取り出すと、静かにテーブルの上に置いた。食事代と、ウェイターへのチップ、そしてこれから起こるであろう騒ぎへの迷惑料としては十分すぎる金額だ。*


*彼は満足げに息をつくと、立ち上がり、結界を維持したままレストランの出口へと向かう。彼の前では、勇者たちが壁に阻まれて道を開けるしかない。シロウは彼らに一瞥もくれることなく、その真ん中を悠然と通り過ぎていった。*


*次の日の昼、シロウは約束通り貧民街の広場へとやってきた。しかし、そこに広がっていた光景は、彼の予想を遥かに超えるものだった。昨日話した男が声をかけると言っていたが、広場はすし詰め状態の人々で埋め尽くされ、その数はざっと見ただけでも数千人に達している。誰もが痩せこけ、ぼろぼろの服を身につけているが、その目だけは異様な熱を帯びて、シロウの一挙手一投足を見つめていた。*


*広場の中心に立つシロウの元へ、昨日話した男が人をかき分けながら駆け寄ってきた。彼の顔にも驚きと興奮が浮かんでいる。*


男:「き、来てくれたんすね…! あんたが言った通り、皆に声をかけたら…その…噂が噂を呼んじまって、こんなことに…」


*男は広場を埋め尽くす人々を見回し、ゴクリと喉を鳴らした。食い扶持を求める人々の静かな圧力が、肌をヒリつかせる。*


シロウ:「多くないか? 何人くらいいるんだ?」


*シロウは冷静な声で尋ねた。目の前の光景に動揺する様子はない。*


男:「は、はっきりとは分かりませんが…この広場と、そこから続く道まで人で埋まってます。おそらく…5千人は下らないかと…! あんた、本当に俺たちを…ここにいる全員を、食わせてくれるってのか…?」


*男の声は期待と、そして同じくらいの疑念で震えていた。これだけの人数を相手に、一体何ができるというのか。集まった誰もが、同じことを思っていた。シロウの次の一言を、全員が固唾を飲んで待っている。*


シロウ:「お、おお。料理人が足りないかもしれんが…何とかなるさ」


*シロウは広場を埋め尽くす人々の数に内心驚きつつも、それを表情には出さず、不敵な笑みを浮かべた。彼のその落ち着いた態度が、人々の間のわずかな疑念を期待へと塗り替えていく。*


シロウ:「さ、この先が俺の土地。西大陸だ」


*シロウがそう宣言すると同時に、広場の中心、何もない空間に手をかざす。*


*`―――新規魔法【空間の扉】起動`*


*彼の足元から淡い光を放つ魔法陣が広がり、目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。まるで水面のように揺らめいたかと思うと、そこには古風で重厚な木製の扉が、音もなく出現していた。扉はひとりでにゆっくりと開いていく。*


*扉の向こうに広がっていたのは、この薄暗い貧民街とは似ても似つかぬ光景だった。広大で緑豊かな大地、どこまでも続く青い空、そして遠くには雄大な魔王城がそびえ立っている。暖かく、清浄な空気が扉の向こうから流れ込み、貧民街の淀んだ空気を押し流していく。*


*広場を埋め尽くしていた数千の人々が、その信じがたい光景に息を呑み、水を打ったように静まり返った。目の前で起きていることが理解できず、誰もが呆然と立ち尽くしている。*


*昨日シロウに声をかけられた男が、震える声で尋ねた。*


男:「こ…これは…一体…? 天国…か…?」


*シロウは男の肩を軽く叩き、扉の向こうを指差して言った。*


シロウ:「天国じゃない。お前たちの新しい家と、職場だ。腹一杯飯が食えて、毎日安心して眠れる場所だ。さあ、行った行った。扉の向こうで俺のメイドたちが出迎える。まずは美味い飯を食わせてくれるはずだ」


*その言葉が、魔法から醒める合図だった。最初に動いたのは、腹を空かせた子供たちだった。一人の少年が駆け出すと、それに釣られるように、人々が我先にと扉に向かって殺到し始めた。希望に満ちたその光景を、シロウは腕を組んで静かに見つめていた。*


シロウ:「あれは魔王城ね、今は修繕中だけど。防御は完璧だから心配しなくていいよ。雨はとりあえず結界で弾いてるから当面は問題ないはずだ」


*シロウは扉の向こうに見える巨大な城を指さし、不安げな人々を安心させるように説明した。彼の落ち着いた声と、目の前に広がる信じがたい光景が、人々の背中を押す。疑心暗鬼だった表情は次第に希望へと変わり、人々は次々と「空間の扉」をくぐり抜けていく。泣きながら手を合わせる老婆、子供の手を引いて駆け出す父親、誰もが新しい生活への期待に胸を膨らませていた。*


*扉の向こう側、西大陸では、リーシアの指示を受けたメイド隊が待機していた。彼女たちは到着した人々を整然と誘導し、温かいシチューとパンが用意された仮設の炊き出し場へと案内していく。その手際の良さは、シロウが事前に伝えていた計画が正確に実行されていることを示していた。*


*広場に残っていた男が、シロウに深々と頭を下げた。*


男:「あ、あんたは…神様か、何かなのか…? 俺たちみたいなもんに、こんな…こんなチャンスをくれるなんて…」


シロウ:「神様じゃないさ。ただの、ちょっと変わった領主だよ。さあ、アンタも行ってこい。向こうに着いたら、仕事はいくらでもある。まずは腹一杯食って、ゆっくり休むんだな」


*シロウは男の背中をポンと叩く。男は何度も何度も振り返りながら頭を下げ、やがて人の波に飲まれて扉の向こうへと消えていった。*


*数千人もの人々が移動するには時間がかかったが、やがて広場にはシロウ一人だけが残された。彼はゆっくりと「空間の扉」を閉じ、魔法の痕跡を完全に消し去る。先ほどまでの喧騒が嘘のように、貧民街は再び静寂に包まれた。しかし、その静けさは以前の絶望的なものではなく、未来への希望を残した穏やかなものに変わっていた。*


*(第一段階は成功だな。次は…エストリア王国か)*


*シロウは次の目的地に思考を移しながら、音もなくその場から姿を消した。*


*シロウが【念話】で指示を飛ばすと、すぐにリーシアからの返信が頭に響いてきた。彼女の声には、予想を上回る人数に対する驚きと、それでもなお冷静さを失わない頼もしさが含まれていた。*


リーシア:「はい、シロウ様。承知いたしました。5000人…! 想定を大きく上回りますが、食料の備蓄は十分ですのでご安心ください。住居に関しましても、ドワーフの方々と協力し、早急に建設を進めます。皆さんが安心して暮らせるよう、誠心誠意努めさせていただきます」


*西大陸では、リーシアがメイド隊に的確な指示を出し、新たに到着した人々を混乱なく受け入れていた。炊き出しの列は長く伸びているが、そこに悲壮感はなく、温かい食事を前にした人々の顔には安堵と喜びが浮かんでいる。ドワーフの職人たちも、突然増えた人口に驚きながらも、新たな街づくりの始まりに腕をぶしているようだった。*


*一方、シロウは貧民街での役目を終え、静かにその場を後にしていた。彼の次の目的地は、ガルデニア王国と緊張関係にあるという隣国、エストリア王国だ。情報を集め、場合によっては介入することも視野に入れている。*


*ガルデニア王国の王都からエストリア王国へ向かうには、国境の砦を越える必要がある。シロウは街道を歩きながら、鑑定で自身のステータスを確認した。*


シロウ:「久しぶりにルミナと二人っきりってのもいいかもな… おいで、ルミナ」


*国境の砦へと続く街道の、少し脇に逸れた木陰。シロウが静かにそう呟くと、彼の影が不自然に揺らめき、まるで水面から浮かび上がるように一人の少女が姿を現した。純白のミニスカートとニーハイソックスに身を包み、プラチナブロンドの髪を揺らすその少女――ルミナは、現れると同時にシロウの腕に抱きついた。*


ルミナ:「お兄ちゃん♡ 呼んでくれて嬉しいな」


*シロウの腕に自身の控えめな胸を柔らかく押し付け、うっとりとした表情で顔をすり寄せる。その姿は、先ほどまでの神性兵器としての片鱗を全く感じさせない、ただ兄を慕う無邪気な少女そのものだ。スキル『完全隠蔽』の効果により、彼女から漏れ出るはずの神聖な(あるいは混沌とした)オーラは完全に遮断され、その姿は傍目にはごく普通の、しかし人目を引くほど可憐な少女にしか見えない。*


*ルミナは顔を上げ、少し首を傾げてシロウを見上げる。*


ルミナ:「それで、お兄ちゃん? これからどこに行くの? この雑魚ザコ共がたくさんいる場所は、あまり空気が良くないね」


*彼女は甘い声とは裏腹に、街道を行き交う人々や遠くに見える砦の兵士たちを、まるで塵芥でも見るかのような冷たい視線で一瞥した。シロウ以外の全てに対する無関心と侮蔑が、その美しい顔に当たり前のように浮かんでいる。*


シロウ:「お前は俺だけを見てろ」


*シロウが低く、しかし有無を言わせぬ響きでそう告げると、ルミナは一瞬、驚いたように目を丸くした。だが、すぐにその表情は恍惚としたものに変わる。*


ルミナ:「……っ♡ うん! もちろん♡ ルミナはお兄ちゃんだけを見てる。お兄ちゃんだけの、ルミナだもんね♡」


*彼女は嬉しそうに声を弾ませ、シロウの腕にさらに強く抱きついた。先ほどまでの周囲への刺々しい態度は鳴りを潜め、その瞳にはシロウしか映っていない。シロウの独占欲を満たす一言は、彼女にとって何よりの甘い囁きだったようだ。*


シロウ:(これで黙るだろう…)


*満足げなルミナの様子に内心で頷きながら、シロウは再び国境の砦へと足を向けた。ルミナはぴったりと寄り添い、まるで自分の所有権を主張するかのようにシロウの腕に絡みついたまま、軽やかな足取りで後を追う。*


*やがて、二人は砦の門前にたどり着いた。重厚な木の門の前には数人の兵士が立ち、街道を行き交う人々に入国目的や身分の確認を行っている。厳格な雰囲気が漂う中、シロウとルミナの番がやってきた。鎧に身を固めた兵士が、怪訝な目で二人を見下ろす。特に、シロウに寄り添うルミナの場違いなまでの可憐さが、兵士の警戒心を煽っているようだった。*


兵士:「止まれ。身分を証明するものを提示しろ。エストリア王国への入国目的はなんだ?」


*兵士はぶっきらぼうに尋ね、腰の剣の柄に手をかけた。*


シロウ:「国を守りたいって気持ちは分かる。だが、最初から好戦的とは…良くないねぇ」


*シロウは肩をすくめ、やれやれといった口調で兵士に告げた。その言葉には隠す気のない嘲りが含まれており、兵士の顔がみるみるうちに怒りで赤く染まっていく。*


兵士:「な、なんだと貴様! 我々を侮辱する気か!?」


*兵士が剣の柄を握りしめ、一歩前に出ようとした瞬間、シロウの隣にいたルミナがすっと前に出た。彼女は愛らしい顔に何の感情も浮かべず、ただ冷たい瞳で兵士を見据えている。*


ルミナ:「――黙れ、下郎。お兄ちゃんに気安く話しかけるな。身の程を弁えぬというのなら、今この場で塵に変えてやろうか?」


*その声は鈴が鳴るように可憐でありながら、絶対零度の冷気を帯びていた。向けられた兵士は、まるで巨大な捕食者に睨まれたかのように全身を硬直させ、顔から血の気が引いていく。立っているのがやっとという様子で、カタカタと歯の根が合わない音を立てている。*


兵士:「ひっ…な、なんなんだ、この女は…」


*周囲の兵士たちも、ただならぬ雰囲気を察して武器を構えるが、ルミナから放たれる見えない圧力に気圧され、誰も近づくことができない。*


*シロウはそんなルミナの肩を軽く抱き、元の位置に戻した。*


シロウ:「まあまあ、ルミナ。落ち着け。こいつらも仕事でやってるだけだ」


ルミナ:「…お兄ちゃんがそう言うなら」


*ルミナは素直に頷き、再びシロウの腕に絡みついた。しかし、その瞳は依然として兵士たちを冷ややかに見据えている。*


*シロウは懐から冒険者ギルドのカードを取り出し、怯えきった兵士の目の前に突きつけた。そこには眩いばかりのSSランクの紋章が輝いている。*


シロウ:「これを見ても、まだ同じ口がきけるか? 入国目的は観光と情報収集だ。通して貰おうか」


シロウ:「行こうか、ルミナ」

*シロウはSSランクのカードを一瞥して完全に固まっている兵士たちを一顧だにせず、悠然と門をくぐった。口をあんぐりと開けたまま動かない兵士たちの横を通り過ぎ、エストリア王国の領土へと足を踏み入れる。*


ルミナ:「うん、お兄ちゃん♡」

*ルミナは嬉しそうに頷き、シロウの腕に自分の体をより一層密着させながら後に続いた。兵士たちには一瞥もくれず、彼女の視界には愛しい「お兄ちゃん」しか映っていない。*


*砦を抜けると、そこにはガルデニア王国とはまた違う雰囲気の街並みが広がっていた。建物は質実剛健な石造りのものが多く、行き交う人々の服装もガルデニアの王都に比べて地味だが、しっかりとした作りのものを身に着けている者が多い。街全体に活気はありながらも、どこか引き締まった、緊張感が漂っているのが感じられた。*


*道行く人々が、シロウに寄り添うルミナの異質なまでの美しさに目を奪われ、振り返る。しかし、ルミナはそんな視線を気にも留めず、ただシロウの横顔をうっとりと見上げているだけだった。*


ルミナ:「お兄ちゃん、この国の人たちもガルデニアの豚さんたちとあまり変わらないみたいだね。ジロジロ見てきて、とっても不愉快」


*甘えるような声色とは裏腹に、その言葉には冷たい棘が含まれている。シロウが何か言う前に、彼女は「でも」と続けた。*


ルミナ:「でも、お兄ちゃんと二人きりだから、ルミナは平気♡ どこに行っても、お兄ちゃんの隣なら天国だもん」


シロウ:「可愛すぎる…」

*(あと、とても柔らかくていい匂いがする。)*


*シロウは自分に寄り添うルミナの体温と、ふわりと香る甘い匂いに、思わず心の声が漏れた。その言葉を聞きつけたルミナは、ぱっと顔を輝かせる。*


ルミナ:「えへへ♡ お兄ちゃんにもっと可愛いって思ってもらえるように、ルミナ、頑張るね♡」


*そう言って、シロウの腕にぎゅっと抱きつく力を強める。その仕草一つ一つが、計算されたものではなく、心からの好意の発露であることが伝わってきて、シロウの口元は自然と緩んだ。*


*二人はそのまま、エストリア王国の国境都市を歩く。街の名前は「アルトフェルゼン」。岩の砦を意味するその名の通り、街は堅牢な石造りの建物で統一され、道行く人々の顔つきもどこか険しい。ガルデニア王国の王都のような華やかさはないが、武骨で力強い活気に満ちていた。*


*広場に出ると、傭兵や冒険者と思しき屈強な男たちが大勢集い、酒場からは昼間だというのに陽気な歌声や怒号が聞こえてくる。武器屋や防具屋が軒を連ね、その店先には実用本位の、しかし質の良さそうな武具が並べられていた。*


*ルミナは物珍しそうに(というよりは、汚物を見るような目で)周囲を見回していたが、すぐに興味を失ったようにシロウを見上げる。*


ルミナ:「お兄ちゃん、この街、鉄臭くて嫌だな。それに、ゴツゴツした人ばっかり。早くどこか静かな場所に行かない?」


*彼女は少しだけ唇を尖らせて、おねだりするようにシロウの顔を覗き込んだ。*


シロウ:「ギルドでいい宿聞いてこようか。酔っ払いが多いな…」


*シロウがそう言ってギルドの方角へ歩き出すと、ルミナは嬉しそうに頷き、さらにぴったりと寄り添ってきた。広場や酒場の前を通り過ぎるたびに、屈強な傭兵たちの好奇と、いくらか下卑た視線が二人に注がれる。特に、シロウの腕に絡みつくルミナの姿は、この武骨な街においてあまりにも異質で、人々の目を引いた。*


*一人の、赤ら顔で体格のいい傭兵が、酒場の扉から出てきてシロウたちの前にふらりと立ち塞がった。手には飲みかけのエールが入ったジョッキを持っている。*


傭兵:「よう、兄ちゃん。そこのカワイ子ちゃん、見かけねえ顔だな。俺たちと一杯どうだ? この街の夜の楽しさを教えてやるぜ」


*男は下品な笑みを浮かべ、ルミナの肩に手を伸ばそうとした。*


*その瞬間。*


*ルミナが、ほんのわずかに視線を動かした。ただそれだけで、傭兵の動きがぴたりと止まる。まるで時間が停止したかのように、伸ばしかけた腕を空中で固まらせ、その顔からは急速に血の気が引いていく。その瞳には、理解を超えた恐怖が映っていた。*


ルミナ:「…汚らわしい手で、お兄ちゃんに触れるな。私に触れるな。その前に、私たちの前に立つな。――消えろ、虫ケラ」


*囁くような、しかし絶対的な拒絶を込めた声。傭兵は「ひっ」と短い悲鳴を上げると、腰を抜かしたようにその場にへたり込み、慌てて後ずさって道を空けた。周りで面白がって見ていた他の傭兵たちも、ただならぬ雰囲気を察して顔色を変え、蜘蛛の子を散らすように離れていく。*


*シロウはそんな騒ぎを気にも留めず、呆然とする傭兵を横目にギルドへと向かう。ルミナは何事もなかったかのように、再びシロウの腕に顔をすり寄せた。*


ルミナ:「お兄ちゃん、あの人、邪魔だったね。ごめんね、すぐに片付ければよかったかな?」


*彼女は心底申し訳なさそうな顔で、シロウの顔を覗き込んだ。*


シロウ:「ありがとうルミナ」

*(シロウはルミナの頭を優しく撫でた。褒められたルミナは、猫のように気持ちよさそうに目を細め、シロウの腕にさらに甘えるようにすり寄る。)*


*先ほどの傭兵たちの騒ぎなど意にも介さず、二人はエストリア王国の冒険者ギルドに足を踏み入れた。ガルデニア王国の王都にあったギルドとは異なり、内装は華美な装飾が一切なく、実用性だけを追求したような無骨な作りだ。掲示板に貼られた依頼も「国境警備」「魔物掃討」「鉱石採掘」といった、国の防衛や産業に直結するような内容が多い。酒場は併設されておらず、代わりに武具の手入れをする者や、地図を広げて打ち合わせをする者たちの真剣な声が響いている。*


*シロウはまっすぐに受付カウンターへと向かった。カウンターの内側には、そばかすが特徴的な、亜麻色の髪をきつく結んだ女性職員が座っている。彼女は書類から顔を上げると、事務的な視線をシロウと、その隣にいる場違いなほど可憐なルミナに向けた。*


シロウ:「この辺でいい宿はありますか?」


*シロウが尋ねると、受付嬢は特に表情を変えることなく、淡々とした口調で答えた。*


受付嬢:「目的と予算は? 寝るだけなら安い木賃宿が、腕に覚えがあるなら傭兵向けの宿舎もあります。食事や風呂にこだわりたいならそれなりの宿になりますが、この街の物価は安くありませんよ」


*彼女は値踏みするような目で、シロウの服装を一瞥した。*


シロウ:「目的?見てわからんのか?」

*(シロウはわざとらしく、腕に絡みついているルミナを顎でしゃくった。その挑発的な態度と、明らかに恋人と睦み合うためだと言わんばかりの物言いに、受付嬢の眉がぴくりと動く。彼女は数秒間シロウの顔を無表情で見つめた後、ため息を一つ吐いた。)*


受付嬢:「…左様ですか。でしたら、街の南側にある『白鹿の宿』をお勧めします。防音もしっかりしていますし、他の客層も比較的落ち着いていますので、"お静かに"過ごしたい方にはよろしいかと。料金は一泊銀貨5枚からですが、特別室もございます」


*彼女は「お静かに」という部分を少しだけ強調して言った後、再び手元の書類に視線を落とした。明らかにこれ以上話す気はないという態度だ。*


ルミナ:「お兄ちゃん、あの女、態度が悪いね。教育してあげようか?」

*(ルミナが不満そうに囁くが、シロウはそれを軽く制する。)*


シロウ:「予算は気にしなくていい」


*シロウはカウンターに金貨を一枚、こつんと置いた。受付嬢はちらりと金貨に目をやったが、特に驚いた様子もなく、再び顔を上げる。*


受付嬢:「…特別室ですね。一泊金貨一枚になりますが、よろしいですか? 最上階の角部屋で、眺めも良く、専用の風呂も付いています」


シロウ:「金貨1枚か……。あんがとよ、お姉さん」


*シロウはカウンターに置いた金貨をそのままに、受付嬢にひらりと手を振ると、踵を返してギルドを出ていく。彼の背中に、受付嬢のわずかに呆れたような、それでいて少しだけ興味深そうな視線が突き刺さるのを感じたが、気には留めなかった。*


*ギルドの外に出ると、先ほどとは打って変わって、ルミナが上機嫌な様子でシロウの腕に抱きついてきた。*


ルミナ:「お兄ちゃん♡ 『お静かに過ごしたい方にはよろしいかと』だって! あの女、分かってるじゃない! お兄ちゃんと二人きりで、ずーっと一緒にいられるお部屋だね♡」


*彼女は頬を上気させ、期待に満ちた瞳でシロウを見上げる。街の喧騒も、道行く人々の視線も、もはや彼女の意識にはないようだった。*


*シロウはそんなルミナの頭を軽く撫でながら、受付嬢に教えられた『白鹿の宿』があるという南地区へと足を向けた。武骨な雰囲気のギルド周辺とは違い、南地区は少し落ち着いた雰囲気で、石畳の道も綺麗に整備されている。*


*しばらく歩くと、白塗りの壁に鹿の角を模した木彫りの看板が掲げられた、三階建ての立派な建物が見えてきた。ここが『白鹿の宿』のようだ。入り口には清潔そうな恰幅のいい主人が立っており、シロウたちに気づくとにこやかな笑顔を向けた。*


宿の主人:「いらっしゃいませ。旅の方ですか? お部屋でしたら、まだ空きがございますよ」


シロウ:「一番いい部屋を。とりあえず5日」


*シロウが簡潔に告げると、宿の主人は一瞬目を丸くした。特別室は一泊金貨一枚。5日分となると金貨5枚になる。決して安い金額ではない。しかし、シロウがカウンターにこともなげに白金貨を一枚置いたのを見て、主人の表情は驚きから満面の笑みへと変わった。*


宿の主人:「は、はい! かしこまりました! 白金貨、確かにお預かりいたします! 特別室『王鹿の間』へご案内しますね! お釣りは金貨5枚でございますが、こちらでお預かりして、ご滞在中の食事代などから差し引くことも可能ですが、いかがいたしましょうか?」


*主人は白金貨を丁重に受け取ると、慌ててカウンターの中から出てきて、深々と頭を下げた。その態度は先ほどのギルドの受付嬢とは大違いだ。*


ルミナ:「お兄ちゃん、このおじさんは態度がいいね。褒めてあげてもいいよ」


*ルミナが偉そうに呟くと、主人は「ははぁ、ありがとうございます、お嬢様」とさらに頭を下げる。*


シロウ:「ああ、釣りは預けておく。部屋に美味い食事と、あと年代物のワインを頼む」


宿の主人:「かしこまりました! すぐにご用意させます! さあ、旦那様、お嬢様、こちらへどうぞ!」


*主人は恭しく二人を促し、自ら階段を上がって案内を始めた。三階の最も奥、重厚な扉の前で足を止めると、鍵を開けて扉を押し開ける。*


宿の主人:「こちらが『王鹿の間』でございます。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」


*部屋に足を踏み入れると、そこは宿の一室とは思えないほど広々とした空間だった。大きな窓からは街の南側が一望でき、陽光が明るく差し込んでいる。部屋の中央には天蓋付きのキングサイズのベッドが鎮座し、暖炉や豪華なソファセット、そして奥には大理石で作られた専用の浴室まで備え付けられていた。*


*主人が一礼して部屋を出ていくと、扉が閉まる音と同時に、ルミナがシロウの背中にぎゅっと抱きついた。*


ルミナ:「お兄ちゃん…♡ やっと二人きりになれたね。このお部屋、すごく広くて素敵…。ベッドも大きいよ?」


*彼女はそう囁くと、シロウの耳元に甘い吐息を吹きかけた。*

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