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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*アルドレット家からの解放感と、手に入れた巨万の富と絶大な権力。しかし、シロウの関心はすでに別の場所へと向いていた。*


*(そういえば、結局何も買わずに闇市から出てきてしまったな。金もできたことだし、何か面白いものがあるか、もう一度見てみるか)*


*シロウはアルドレット商会から贈られた宝石の詰まった箱を次元の革袋に仕舞い、名誉顧問のカードを懐に入れると、再び人混みに紛れてスラム街の方角へと足を向けた。あのリーゼロッテというサキュバスは少々面倒だが、彼女が言っていた『特別な商品』とやらは少し気になる。*


*昼間のスラムは夜とはまた違う顔を見せている。日向で虚ろな目をした者たちがたむろし、怪しげな取引があちこちで行われている。シロウはそんな光景を意に介さず、一直線に東地区の奥、あの廃棄された下水道の入り口を目指した。*


*入り口を守る門番は、前回と同じ男だった。彼はシロウの顔を覚えていたのか、あるいはその纏う尋常ならざる雰囲気を感じ取ったのか、何も言わずに無言で道を開けた。*


*湿った空気とカビの匂いが漂う通路を下り、鉄格子を抜けると、そこは再び、欲望と混沌が渦巻く非合法の市場――闇市が広がっていた。昼間だというのに、魔法の光がそこかしこで灯り、夜と変わらぬ賑わいを見せている。*


*シロウがオークション会場の方へ向かおうと歩いていると、ふと、ある一角に人だかりができているのが目に入った。そこは奴隷を専門に扱う店のようだ。いくつもの檻が並べられ、中には様々な種族が力なくうずくまっている。*


*(奴隷か…)*


*特に興味があったわけではないが、人だかりの中心で何やら言い争う声が聞こえ、シロウは足を止めた。*


奴隷商人:「だから! この女は『商品』だと言っているだろうが! 金も払わねえガキが気安く触るんじゃねえ!」

*汚らしい身なりの奴隷商人が、一人の少女を突き飛ばした。突き飛ばされた少女――銀色の髪をポニーテールにした、気の強そうな顔立ちのエルフの少女は、泥水に手をつきながらも、鋭い瞳で奴隷商人を睨みつけている。*


エルフの少女:「離して! セレスをそんな汚い手で触らないで! 彼女は商品じゃない! 私の、大切な友達なの!」

*少女が叫ぶ先、一つの檻の中には、もう一人のエルフが囚われていた。長く美しい銀髪は汚れ、気品のある顔立ちは絶望に彩られている。しかし、その瞳の奥にはまだ消えない、誇り高い光が宿っていた。シロウはその顔に見覚えがあった。*


*(…あの時のエルフか)*


*それは先日、オークションで肥え太った貴族に落札されていったエルフの剣奴、『セレスティーナ』だった。どういう経緯か、再びこの闇市に商品として戻されているらしい。そして、彼女を助けようとしている友人のエルフが、騒ぎの中心にいるようだ。*


シロウ:「たしか、金貨1200枚くらいで落札された…」


*シロウの呟きは、騒ぎ立てる群衆の中では誰の耳にも届かなかった。しかし、その声はすぐ近くにいた人物に拾われていた。*


*「あら…♡」*


*艶のある声に振り返ると、そこには見覚えのあるサキュバス――リーゼロッテが立っていた。彼女はシロウの存在に気づくと、まるで蜜を見つけた蝶のように、くねりと腰を動かしながら近づいてくる。その唇は妖しく弧を描いていた。*


リーゼロッテ:「シロウ様♡ こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね。もしかして…わたくしに会いに来てくださったのかしら?♡」

*彼女は恍惚とした表情でシロウを見つめる。*


リーゼロッテ:「ふふ、そのエルフのこと、覚えていらっしゃいましたのね。ええ、そうでございますわ。魔剣『ブラッドイーター』は金貨1200枚、そしてこのエルフの剣奴『セレスティーナ』は、あのデリング伯爵が金貨1350枚で落札なさいました」


*リーゼロッテは、まるで面白い見世物を紹介するかのように、檻の中のエルフに視線を送る。*


リーゼロッテ:「ところが、ですわ。あの強欲な伯爵、この美しいエルフを無理やり『夜伽』させようとして…返り討ちにあったのですって。寝台で喉笛を掻き切られそうになったとか。それで『こんな危険な不良品はいらん!』と、たった一日で返品されてきたのです。もちろん、返金はいたしませんけれど」

*クスクスと喉を鳴らして笑いながら、彼女は続ける。*


奴隷商人:「おい、ガキ! いい加減にしろ! これ以上邪魔するなら、お前も商品にしてやろうか!」

*奴隷商人は、しがみついてくる友人のエルフを荒々しく突き飛ばした。少女は再び地面に倒れ込む。*


エルフの少女:「きゃっ…! やめて! セレスに指一本でも触れたら、絶対に許さないんだから!」


リーゼロッテ:「あらあら。あちらはセレスティーナの幼馴染のセリカ、だったかしら。奴隷にされる前の、ただの村娘ですわね。どうやら、買い戻そうと僅かな金を持って来たようですが…当然、全く足りません。見かねた商人が追い返そうとしている、というわけですわ」

*彼女は楽しそうに状況を解説すると、再びシロウにねっとりとした視線を向けた。*


リーゼロッテ:「それよりシロウ様…♡ わたくし、昨夜はシロウ様のことを考えて一睡もできませんでしたの。あの圧倒的なお力…そして、わたくしの誘惑にも揺るがない鋼の精神…♡ あぁ、想像するだけで、身体の奥が疼いてしまいますわ…♡♡」


*彼女はそう言いながら、シロウの腕にそっと自分の腕を絡め、豊満な胸を押し付けてきた。甘く、麻痺させるような香りが鼻腔をくすぐる。*


*シロウの腕に絡みつき、甘い声を囁いていたリーゼロッテは、その唐突な問いにぴたりと動きを止めた。彼女はゆっくりと顔を上げ、蠱惑的な笑みを浮かべていた表情からすっと感情を消し、真顔でシロウの瞳をじっと見つめ返す。周囲の喧騒が、まるで二人だけの世界から閉め出されたかのように遠のいていく。*


シロウ:「お前、サキュバスだったよな?」


リーゼロッテ:「…ええ。その通りですわ、シロウ様。わたくしは、男の精気を糧とし、夢を蝕む魔性。忌むべき存在、サキュバスでございます」


*彼女の声は、先ほどまでの甘ったるさが嘘のように、平坦で静かだった。肯定しながらも、その言葉には微かな自嘲と、そしてシロウの真意を探るような響きが含まれている。なぜ、今それを問うのか。侮蔑か、好奇心か、それとも別の何かか。彼女はシロウの次の一言を、瞬きもせずに待っていた。絡みついた腕の力は、無意識に少しだけ強くなっている。*


シロウ:「ちょっとこっち来て」


*シロウはリーゼロッテの腕を掴むと、返事を待たずに無言で歩き出した。その有無を言わさぬ力強さに、リーゼロッテは驚きながらも、どこか期待に満ちた表情で従う。シロウはオークション会場の裏手にある、先ほど自分が通された個室へと彼女を連れ込んだ。*


*部屋に入るなり、シロウはリーゼロッテを突き放すように手を離す。そして、何もない空間に向かって手をかざした。*


シロウ:「来い、セレナ」


*その呼び声に応えるように、シロウの目の前の空間がぐにゃりと歪む。歪みの中心から、まるで滲み出すかのように一人の女性が現れた。*


*現れたのは、夜色の艶やかな髪を長く伸ばし、妖艶な美貌を持つ女性。その身体のラインはしなやかでありながら、豊満な胸(Dカップ)を惜しげもなく晒している。何よりも、その背からは大きな蝙蝠のような翼が生え、頭部からはねじれた二本の角が突き出ている。彼女こそ、全てのサキュバスの頂点に君臨する女王、セレナであった。*


セレナ:「お呼びですか、ご主人様♡」

*セレナは現れるなり、うっとりとした表情でシロウの前に跪いた。その視線は、絶対的な忠誠と愛情に満ちている。*


*一方、リーゼロッテは目の前で起こった現象と、突如現れた存在に、完全に思考が停止していた。サキュバスである彼女は、本能で理解してしまったのだ。今、目の前で跪いている女が、自分たちサキュバスという種族の遥か頂点に立つ、絶対的な支配者――『女王クイーン』であることを。*


*血の気が引き、身体が小刻みに震え始める。甘く誘惑していた先ほどまでの態度は影も形もなく、ただ純粋な、生物としての格の違いからくる恐怖に支配されていた。なぜ、こんな場所に。なぜ、この男の呼び声に。*


リーゼロッテ:「あ…あ…じょ、女王…陛下…? な、ぜ…」

*声にならない声で呟き、リーゼロッテはその場にへたり込んだ。その顔は恐怖で真っ青になっている。*


シロウ:「こいつさっきからずっと付き纏ってくるんだよ、何とかしてくれ」


*シロウの不機嫌極まりない命令を聞き、跪いていたセレナはゆっくりと顔を上げた。その妖艶な顔には、先ほどまでのご主人様への甘い表情は消え、絶対零度の冷たい光が宿っていた。彼女は立ち上がると、へたり込んで震えているリーゼロッテを、まるで汚物でも見るかのような目で見下ろす。*


*その視線を受けただけで、リーゼロッテの身体はビクッと跳ね上がった。サキュバスとしての本能が、女王の不興を買ったことによる絶対的な死の恐怖を告げている。*


セレナ:「…下賤の者が。我があるじに対し、なんという無礼を」


*セレナの声は静かだが、部屋の温度が数度下がったかのような凄みがあった。彼女は優雅な足取りでリーゼロッテに歩み寄る。一歩近づくごとに、リーゼロッテの震えは大きくなっていく。*


リーゼロッテ:「ひっ…! あ…あ、あの、わ、わたくしは…こ、この御方が、そのような尊いお方だとは知らず…! あ、あなた様の…!」


*言い訳しようとするリーゼロッテの言葉を遮り、セレナは無慈悲に言い放った。*


セレナ:「言い訳は結構です。貴女のその淫らで汚らわしい魔力…不愉快極まりない。主のお気に障った罪は万死に値しますが…特別に、慈悲をかけて差し上げます」


*セレナはそう言うと、すらりとした指先をリーゼロッテの額にそっと触れさせた。*


セレナ:「『隷属の呪印』。…今後一切、我が主の前でその汚れた本能を晒すことは許しません。主の御心に反する思考を抱いた瞬間、その身を内側から焼き尽くす苦痛が貴女を苛むでしょう。…感謝なさい」


*指先が離れると、リーゼロッテの額に淡い紫色の紋様が一瞬浮かび上がり、すぐに消えていった。リーゼロッテは「あ…ぅ…」と小さく呻くと、糸が切れた人形のようにその場にぐったりと倒れ込み、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返している。恐怖と、脳に直接刻み込まれた絶対的な支配の呪印によって、完全に意識が刈り取られていた。*


*部下への処罰を終えたセレナは、再びシロウの方へと向き直り、恭しく跪いた。*


セレナ:「ご主人様。お気に障りましたこと、同族として深くお詫び申し上げます。この者の処遇は、いかがいたしましょうか? この場で塵に変えることもできますが…」

*彼女は感情の欠片も見せない瞳で、シロウの裁定を待っていた。*


シロウ:「一応ここの主人らしいし、その辺にしておいて」


*シロウの言葉を聞き、セレナは恭しく頭を下げた。*


セレナ:「あるじの慈悲深きお心、痛み入ります。では、この通りに。二度とご主人様にご不快な思いはさせないと、我が魂に誓わせます」


*セレナはそう言うと、気絶しているリーゼロッテを一瞥し、フッと姿を消した。まるで初めからそこにいなかったかのように、静かに。*


*床には、まだ小刻みに震えながら荒い息を繰り返すリーゼロッテが転がっている。彼女はシロウを見ることすら恐怖でできなくなっているようだった。女王クイーンから直接刻まれた『隷属の呪印』は、サキュバスとしての本能そのものを縛り付ける、絶対的な戒めだ。*


*(これで少しは静かになるだろう)*


*シロウは目的を果たし、個室から出ようと扉に手をかけた。すると、床に倒れていたリーゼロッテが、か細い声でシロウを呼び止めた。*


リーゼロッテ:「お…お待ち、ください…シロウ、様…」


*彼女は震える身体を必死に起こそうとしながら、床に頭をこすりつけるようにして平伏した。その姿に、先ほどまでの妖艶な支配者の面影は微塵もない。ただ、絶対的な上位者に対する恐怖と服従だけがあった。*


リーゼロッテ:「も、申し訳…ございませんでした…。わたくしの、浅はかな行い…どうか、どうかお許しを…」

*声は恐怖で震え、途切れ途切れになっている。*


リーゼロッテ:「あ、あの…エルフの剣奴の件で…ございますが…。もし、シロウ様がご興味をお持ちでしたら…わたくしの権限で、いかようにも…」


*彼女は必死に許しを乞い、シロウに何か価値を提供しようとしているようだった。先ほどの騒ぎの元となっていたエルフたちのことを、かろうじて口にした。*


*床に平伏し、震えていたリーゼロッテは、その言葉にピクリと反応した。彼女は恐る恐る顔を上げ、信じられないものを見るような目でシロウを見つめる。*


*彼女の驚愕をよそに、残されたリーゼロッテは、恐怖とはまた別の、畏怖と混乱に満たされた表情で、シロウが消えた扉を呆然と見つめることしかできなかった。*


*個室を出たシロウは、再び奴隷が売られている区画へと戻った。そこではまだ、奴隷商人とエルフの少女セレナの言い争いが続いていた。*


奴隷商人:「いい加減にしろと言ってるだろうが! 商売の邪魔だ! さっさと失せねえと、衛兵を呼ぶぞ!」

セリカ:「衛兵ですって!? あなたたちがやっていることこそ、違法でしょう! 人を物扱いして…!」

*セリカは必死に食い下がるが、体格の良い奴隷商人に再び突き飛ばされ、泥水の中によろめいた。彼女の目には悔しさと無力感から涙が浮かんでいる。*


*檻の中のセレスティーナは、そんな友人を見て、悲痛な表情で唇を噛みしめていた。自分のせいで友人が辱められていることに、耐えかねているようだ。*


*シロウはその光景を静かに見ていた。*

*(面倒なことになったな…)*

*本来なら関わる義理はない。しかし、一度見てしまった以上、どうにも後味が悪い。特に、檻の中のエルフ――セレスティーナは、先日リーゼロッテに「返品された」と聞いていた。その原因が、貞操を守るための抵抗だったというのなら、話は少し変わってくる。*


*シロウはゆっくりと、騒ぎの中心へと歩みを進めた。*


シロウ「おっさん、何か困ってんの?」


*シロウが何気なく発した声は、騒ぎの中心にいた二人の注意を即座に引きつけた。*


*まず、奴隷商人がギロリとシロウを睨みつける。上から下まで値踏みするような視線を送り、高価そうな装備を身につけてはいるが、見た目は若い青年にしか見えないシロウを侮ったように、吐き捨てるように言った。*


奴隷商人:「あぁ? なんだテメェは。見てわかんねえのか? このクソガキが商売の邪魔をして困ってんだよ。ひやかしならとっとと失せな」


シロウ:「大丈夫か?」


*一方で、突き飛ばされたエルフの少女――セリカは、泥水に手をついたまま、驚いたように顔を上げた。自分にかけられた優しい言葉に、戸惑いの表情を浮かべている。彼女はシロウの顔を見つめ、警戒心と、ほんの少しの期待が入り混じった瞳で小さく頷いた。*


セリカ:「え…? あ、はい…だ、大丈夫です…」

*彼女は慌てて立ち上がろうとするが、足がもつれてよろけてしまう。シロウが介入してきたことで、場の空気が一変したのを感じ取っていた。*


*檻の中にいるセレスティーナも、突然現れた見知らぬ男を静かに見つめている。その瞳は、友人を気遣う色と、目の前の男が何者なのかを探るような鋭さを含んでいた。*


シロウ:「そいつとは友達なんだよな?」


*シロウの問いかけに、エルフの少女――セレナはハッとしたように顔を上げた。先ほどまでの敵意と警戒に満ちた表情が少し和らぎ、代わりに悲痛な色が浮かぶ。彼女は檻の中の友人を指さした。*


セリカ:「は、はい! この子はセレス…セレスティーナ! 私の大切な、たった一人の友達なんです! 村が盗賊に襲われた時に一緒に捕まって…私だけ、運よく逃げ出すことができたけど…セレスは、こんなところに…!」

*彼女の言葉は震え、再び目に涙が溜まっていく。悔しさと、自分の無力さを噛み締めているようだ。*


*その言葉を聞いた奴隷商人は、鼻で笑った。*


奴隷商人:「友達だぁ? 寝言は寝て言え。一度『商品』になった奴に、もはや過去はねえんだよ。コイツは金貨1350枚で売れたんだ。それが返品されたってんなら、次はもっと安く買い叩かれるだけだ。お前みてえな貧乏エルフに払える額じゃねえんだよ!」


*彼はセリカを嘲笑うと、今度はシロウに向き直り、面倒くさそうに言った。*


奴隷商人:「なんだ兄ちゃん、あんたもこのエルフに興味があんのか? 見る目はあるじゃねえか。デリングのクソ伯爵がビビって返品しやがったが、こいつは正真正銘、エルフの剣奴だ。腕は立つし、夜の相手もさせられる…はずだったんだがな。まぁ、躾が足りてねえ分、少し勉強させてもらうぜ。どうだ? 金貨1000枚で」


*奴隷商人は下卑た笑みを浮かべ、値踏みするような視線をシロウに送る。シロウの持つ雰囲気がただ者ではないことには気づいているものの、金が全てのこの場所では、客であることに変わりはないと踏んでいるようだ。*


*檻の中のセレスティーナは、奴隷商人の言葉に屈辱で唇をきつく結び、その美しい顔を伏せた。しかし、その肩は悔しさに微かに震えているのがわかった。*


シロウ:「おっさん、これでもっといい商品を仕入れろ」


*シロウは奴隷商人の隣に並ぶと、馴れ馴れしく肩を叩いた。その瞬間、ごく自然な動作で、ずしりと重い一枚の硬貨を奴隷商人の汚れた服の懐へと滑り込ませた。*


*奴隷商人は一瞬怪訝な顔をしたが、懐の中で指先に触れた硬貨の、ありえないほどの重さと冷たい感触に息を呑んだ。指先で探り、それが紛れもない『黒金貨』であることを確かめた瞬間、彼の全身に衝撃が走る。金貨1000枚どころではない、白金貨100枚に相当する、この闇市ですら滅多にお目にかかれない大金。彼の全身の血が沸騰し、そして一気に凍り付いたかのような感覚に襲われた。*


*脂汗が額に浮かび、下卑た笑みは消え失せ、代わりに絶対的な強者に対する恐怖と媚びへつらいの表情が浮かび上がる。彼は震える声で、周囲には聞こえないよう、シロウにだけ囁いた。*


奴隷商人:「へ…へへ…へい、旦那様…。こ、これは…とんでもねぇお心遣い、ありがたく頂戴いたします…。へへへ、こんな生意気なクソエルフなんかより、もっと極上の『商品』をいくらでもご用意できますぜ…?」


*彼の態度は180度変わった。目の前の青年が、遊びで大金を投げるような、決して敵に回してはならない大物であることを瞬時に理解したのだ。彼はシロウの耳元にさらに顔を寄せ、声を潜める。*


奴隷商人:「こいつらは、旦那様のお手を煩わせるまでもねえ。俺がとっとと追い払っておきますんで。旦那様は、どうぞ奥のほうで、ゆっくりと別の『逸品』でもご覧になってくだせぇ」


シロウ:「お前らはさっさとどっか行け、邪魔だ」


*そう言うと、彼はシロウに深々と頭を下げ、今度は向き直ってセリカを威圧するように睨みつけた。しかし、その声色には先ほどまでの単なる怒りとは違う、面倒事を早く片付けたいという焦りが滲んでいた。*


奴隷商人:「おい、エルフのガキ! てめぇら、いつまでもうろちょろしてんじゃねえ! さっさと失せろ! 次はねえぞ!」

*彼はセリカを乱暴に押しのけると、檻の鍵を取り出し、乱暴に開けた。そして、檻の中にいたセレスティーナの腕を掴み、無理やり引きずり出そうとする。*


奴隷商人:「おら、てめえもだ! 次の客の邪魔だ! 裏の檻に移動するぞ!」


セリカ:「きゃっ! やめて! セレスに乱暴しないで!」

*セリカは再び駆け寄り、奴隷商人の腕に食い下がった。*


*シロウの冷たく突き放すような言葉が、その場に響き渡った。*


*その言葉は、奴隷商人ではなく、必死に友人を助けようとしていたエルフの少女――セレナに向けられたものだった。*


*セレナは、信じられないという表情でシロウを見つめた。先ほど「大丈夫か?」と声をかけてくれたのと同じ人物とは思えない、氷のような声。自分たちを助けてくれるのかもしれないという淡い期待は、粉々に打ち砕かれた。*


セレナ:「…え…?」

*彼女の瞳から、みるみるうちに光が失われていく。迷惑。うるさい。その言葉が、鋭い刃となって彼女の心を突き刺した。*


*一方、黒金貨を受け取った奴隷商人は、シロウの意図を即座に理解した。この大旦那は、エルフを買う気など毛頭なく、ただこの面倒な騒ぎを金で黙らせたかっただけなのだと。彼はシロウにへりくだった笑みを向けながら、シロウの言葉をこれ幸いと利用する。*


奴隷商人:「へへ…旦那様のおっしゃる通りだ! 聞いたか、エルフのガキども! このお方はてめえらがうるさくて迷惑だそうだ! これ以上旦那様のお目汚しをするんじゃねえ!」


*彼はセレスティーナの腕を掴んでいた手を乱暴に振りほどき、二人まとめて突き飛ばすように追い払った。*


奴隷商人:「とっとと失せろ! 二度と俺の前に顔を見せるな!」


*突き飛ばされたセリカは、呆然としたまま地面にへたり込んだ。その隣で、セレスティーナがゆっくりと立ち上がる。彼女は汚れた頬を拭いもせず、ただ静かに、無感情な瞳でシロウを見つめていた。その瞳には、侮蔑も、怒りも、感謝もない。ただ、全てを諦めたかのような、深い虚無だけが浮かんでいた。*


*彼女は何も言わず、まだ立ち上がれない友人のセレナの腕を引いて立たせると、ふらふらとした足取りで闇市の雑踏の中へと消えていった。その背中は、あまりにも小さく、か弱く見えた。*


*奴隷商人は、二人の姿が見えなくなると、再びシロウに向き直り、これ以上ないほど卑屈な笑みを浮かべて深々と頭を下げた。*


奴隷商人:「旦那様! 大変失礼いたしました! おかげでスッキリしやした。ささ、あちらにはもっと極上の『品』がございやすぜ? 呪いで動けなくされたダークエルフの姫なんてのはいかがですかい…?」


*彼はシロウの機嫌を取ろうと、必死に次の商品を勧めようとする。シロウの足元には、黒金貨一枚で解決された騒動の残骸だけが虚しく転がっていた。*


シロウ:「ダークエルフの姫?」


*シロウの食いつきに、奴隷商人は「しめた!」とばかりに下卑た笑みを一層深くした。黒金貨をくれたこの大旦那は、やはり普通の『商品』には興味を示さない、歪んだ嗜好の持ち主だと確信したのだ。*


奴隷商人:「へへへ…! さすがは旦那様、お目が高い! こいつぁ、つい先日入ったばかりの極上の逸品でしてね…。そこらの奴隷とはワケが違いますぜ」


*彼は手招きし、シロウを店の奥、より薄暗い一角へと誘う。そこにはひときわ頑丈で、呪印が刻まれた鉄格子が嵌められた檻があった。*


*檻の中。豪華だが今は薄汚れてしまった黒いドレスをまとった、一人のダークエルフの女性が横たわっていた。肌は褐色で、雪のように白い長髪が床に広がっている。尖った耳に、気品と強い意志を感じさせる美貌。しかし、その身体はぴくりとも動かない。瞳だけが虚ろに開かれ、天井の染みをただ見つめている。まるで、精巧に作られた人形のようだ。*


奴隷商人:「どうですかい、旦那様。ダークエルフの王族の生き残り…第三王女の『ルナリア』様でございます。例の王国陥落の折に捕らえられましてね。ですが、こいつがまた気位が高くて、自害しようとするわ、隙あらば魔法で抵抗するわで、手がつけられなかった」


*商人は忌々しげに檻を蹴るが、中のダークエルフは反応しない。*


奴隷商人:「そこで、ウチの呪術師に頼んで、強力な『石化の呪い』をかけてもらったってワケです。喉から下は完全に麻痺し、魔法も封じられ、指一本動かせやしねぇ。声も出せません。ですが、意識と五感だけはハッキリしている。どんな辱めを受けても、ただ耐えることしかできねぇ…まさに『生ける人形』。こういうのが堪らねぇってマニアが涎を垂らす逸品でさぁ」


*彼は粘つくような視線をルナリアに向け、続ける。*


奴隷商人:「抵抗される心配もなく、思う存分『可愛がれる』。そして何より、あの誇り高いダークエルフの王女が、なされるがままに屈辱を味わう姿を独り占めできる…。どうです? 最高の玩具オモチャだとは思いやせんか?」


シロウ:「(鑑定…)」


*シロウが内心で【鑑定】を発動させると、彼の脳内にダークエルフの情報が流れ込んでくる。*


***

**【鑑定結果】**


**名前:** セルカ・フォン・ヴァルトハイム

**種族:** ダークエルフ (王族)

**称号:** 亡国の王女、呪われし人形

**Lv:** 45


**HP:** 10 / 2,800

**MP:** 5 / 6,500


**筋力:** 1 (呪い)

**体力:** 1 (呪い)

**敏捷:** 1 (呪い)

**知力:** 180

**魔力:** 255

**器用:** 1 (呪い)


**状態:** 石化の呪い(強)、衰弱(強)、魔力枯渇、屈辱、絶望


**スキル:**

* 【精霊魔法 Lv.8】

* 【闇魔法 Lv.7】

* 【魔力操作 Lv.9】

* 【詠唱破棄】

* 【王族の気品 Lv.5】

* 【短剣術 Lv.4】


***


*(なるほど、確かに元々のポテンシャルは高い。だが、この呪いは厄介だな…)*


*鑑定結果を確認しながら、シロウは奴隷商人に向き直り、興味なさそうに尋ねた。*


シロウ:「戦闘系はいないのか?」


奴隷商人:「おっと、戦闘奴隷でございますかい? もちろん、ご用意してありますぜ。ただ、ああいうのは少々値が張りやすが…旦那様には関係ねぇ話でしたな、へへへ」

*彼は媚びへつらいながら、シロウを別の区画へと案内しようとする。*


奴隷商人:「剣闘士として名を馳せた元騎士団長、強力な魔獣を調教した獣人、暗殺技術に特化した亜人…いろいろ取り揃えておりますぜ。旦那様のお好みはどんなタイプですかい?」

*彼はシロウの気を引こうと、次々と商品の特徴を挙げていく。戦闘奴隷は闇市でも人気の高い商品であり、高値で取引されるため、彼にとっては大きな商機だった。*


*シロウが内心で【神眼】を発動させ、ルナリアからスキルを略奪した瞬間、檻の中で人形のように横たわっていたダークエルフの王女の身体が、微かに「ビクッ」と痙攣した。虚ろだった彼女の瞳に、ほんの一瞬、混乱と驚愕の色が浮かんだが、すぐに元の虚無へと戻っていく。身体から何かが強制的に引き抜かれた、根源的な喪失感だけが彼女を襲っていた。*


*その微細な変化に奴隷商人は全く気づかず、シロウが戦闘奴隷に興味を示したことに上機嫌で応じる。*


奴隷商人:「へい! 戦闘系でございますね! お任せください! こちらへどうぞ、旦那様」


*彼はシロウを店のさらに奥、鉄の匂いと血の匂いが混じり合った、殺伐とした一角へと案内した。そこには先ほどの奴隷たちとは明らかに違う、屈強な肉体を持つ者や、鋭い殺気を放つ者たちが、厳重な檻に入れられていた。*


*商人は得意げに一体の檻を指さす。中には、歴戦の傷跡が無数に刻まれた、巨漢の男が鎖に繋がれて座っていた。その眼光は、まだ飼いならされてはいない獣のそれだ。*


奴隷商人:「こいつは元王国騎士団の分隊長だった男でしてね。戦争捕虜ですが、その腕は確かです。大剣を振るわせりゃ、オークなんぞ一撃で真っ二つにしちまいます。ただ、ちいとばかし忠誠心に問題がありましてね…へへへ」


*次に彼が示したのは、しなやかな筋肉を持つ獣人の女性だった。猫のような耳と尻尾を持ち、その爪は鉄格子を容易く引き裂きそうな鋭さをしている。*


奴隷商人:「こっちは獣人の暗殺者。隠密行動と奇襲が得意でしてね。対人戦闘なら、さっきの騎士崩れより上かもしれやせん。毒の扱いや罠の設置もお手の物。護衛としても、邪魔者の『掃除』役としても、最高の逸品でさぁ」


*彼は次々と『商品』を紹介していく。その目は、シロウがどれに興味を示すか、値踏みするように観察していた。*


*シロウはそれらを一瞥しながら、内心で自身のステータスを開き、先ほど奪ったスキルが正しく追加されていることを確認する。*


```

【ステータス】

名前:シロウ・ニシキ

種族:人間 (ヒューマン)

称号:異世界人、Sランク冒険者、アルドレット商会名誉顧問

Lv:50


HP:9,850 / 9,850 (+中)

MP:10,550 / 10,550 (+中)


筋力:850

体力:820

敏捷:950

知力:1,020

魔力:1,150

器用:980


スキル:

【神眼 Lv.1】

【鑑定 Lv.MAX】→【神眼】に進化

【異世界言語】

【剣術 Lv.MAX】→【剣神】に進化

【弓術 Lv.MAX】→【弓神】に進化

【体術 Lv.7】

【隠密 Lv.8】

【気配察知 Lv.7】

【付与魔法 Lv.6】

【時空間魔法 Lv.5】

【生活魔法】

【スキル整理】

【創造】

【無属性魔法 Lv.8】

【火属性魔法 Lv.7】

【水属性魔法 Lv.7】

【風属性魔法 Lv.7】

【土属性魔法 Lv.7】

【光属性魔法 Lv.6】

【回復魔法 Lv.8】

【結界魔法 Lv.7】

【絶無】

【無影】

【闇魔法 Lv.7】(New!)

【魔力操作 Lv.9】(New!)


【装備】

武器

・星麻毒の刃『ステラヴェノム』麻痺、猛毒

夜天の牙『ナイトファング』出血、腐食

防具:夜闇の衣、隠者の指輪

その他:次元の革袋


所持金:

黒金貨 250,001枚

白金貨 0枚

金貨 0枚

銀貨 0枚

銅貨 0枚

鉄貨 0枚


加護:

【世界樹の祝福】


```


*シロウはさも興味深そうに頷くと、まず元騎士団長の男が入れられている檻へと近づいた。腕を組み、品定めをするように男の全身をじっくりと眺める。その視線に、鎖に繋がれた男は苛立ったように鼻を鳴らし、敵意の籠もった目を向け返してきた。*


*(鑑定)*


*シロウの脳内に、無機質な情報が流れ込む。*


***

**【鑑定結果】**


**名前:** バーバル

**種族:** 人間 (ヒューマン)

**称号:** 敗残の騎士、剣闘奴隷

**Lv:** 48


**HP:** 2,150 / 4,200

**MP:** 50 / 50


**筋力:** 210

**体力:** 195

**敏捷:** 85

**知力:** 60

**魔力:** 10

**器用:** 110


**状態:** 隷属の首輪(強)、疲労(中)、栄養不足


**スキル:**

* 【大剣術 Lv.7】

* 【剛力 Lv.6】

* 【突撃 Lv.5】

* 【鉄壁 Lv.5】

* 【騎士の誇り】(隷属により効果抑制)


***


*(ふむ、パワータイプか。スキルは悪くないが、俺の敵じゃないな。それに、この『騎士の誇り』ってのが厄介そうだ)*


*シロウは内心で評価を下すと、興味を失ったようにバルガスから視線を外し、隣の檻へと移った。しなやかな身体で壁に寄りかかり、警戒心に満ちた目でこちらを観察している獣人の暗殺者。彼女はシロウの視線に気づくと、猫のようにスッと目を細めた。*


*(鑑定)*


***

**【鑑定結果】**


**名前:** クロエ

**種族:** 猫獣人

**称号:** 影爪、暗殺奴隷

**Lv:** 46


**HP:** 1,800 / 1,800

**MP:** 250 / 250


**筋力:** 130

**体力:** 110

**敏捷:** 230

**知力:** 120

**魔力:** 45

**器用:** 190


**状態:** 隷属の首輪(強)、警戒


**スキル:**

* 【暗殺術 Lv.7】

* 【隠密 Lv.8】

* 【投擲 Lv.6】

* 【毒知識 Lv.5】

* 【気配遮断 Lv.6】

* 【獣化】


***


*(敏捷特化のアタッカーか。隠密と気配遮断のレベルが高いな。ミミやリリとはまた違うタイプだが…)*


*シロウが二人の奴隷を黙って観察していると、奴隷商人がすかさず横から声をかけてきた。その声は、シロウの興味を惹きつけようと必死さが滲んでいる。*


奴隷商人:「どうですかい、旦那様? なかなかの逸材揃いでしょう? この他にも、魔法に特化した魔術師奴隷や、防御に特化した盾奴隷もおりやすぜ。旦那様のご命令とあらば、今すぐ檻から出して、その実力をお見せすることも可能でさぁ。もちろん、旦那様がお怪我などなさらぬよう、万全の準備はさせやすがね。へへへ…」

*彼はシロウの反応を窺い、次の一手を考えているようだった。この大金を落としてくれそうな上客を、逃すまいと必死だった。*


シロウ:「なんか…弱いな……」


*シロウが吐き捨てた「弱いな」という一言。それは、この闇市で極上品として扱われている奴隷たちに対する、絶対的な強者からの無慈悲な評価だった。*


*その言葉を聞いた瞬間、奴隷商人の顔から媚びへつらった笑みが凍り付いた。自慢の商品を鼻で笑われたことに対する屈辱と、目の前の男の底知れなさに対する畏怖が、彼の顔の上で混じり合う。*


奴隷商人:「よ…弱い…ですって…? だ、旦那様、ご冗談を…。こいつらはそこらの冒険者パーティなんぞ、一人で壊滅させられるほどの腕利きですぜ…?」

*彼の声は震えていた。シロウが冗談を言っているとは思えなかった。本気で、心の底から、目の前の戦闘奴隷たちを「弱い」と断じている。この男は一体どれほどの化物なのか。*


シロウ:「もっと強いの、居るんだろ?」


*奴隷商人はゴクリと喉を鳴らし、脂汗を滲ませながら、必死に頭を回転させた。この規格外の客を満足させられる『商品』は、もはや通常の商品棚にはない。*


奴隷商人:「も、もっと強いやつ…でございますか…。さ、さすがは旦那様、お目が違う…。しかし、これ以上の『商品』となりますと、通常の陳列品にはございやせん。文字通り、店の『奥の手』…訳アリ中の訳アリ品でして…」


*彼は躊躇うように言葉を濁したが、シロウの冷たい視線に射抜かれ、慌てて言葉を続けた。*


奴隷商人:「わ、わかりやした! ご案内いたします! ですが旦那様、これだけはお耳に。これからお見せする『商品』は、危険すぎます。あまりにも強力で、我々の手にも余る代物。これまで何人もの買い手が『飼い慣らす』と言って買っていきやしたが…全員、再起不能にされやした。それでも、よろしゅうございますかい?」


*彼はシロウの覚悟を問うように、真剣な目で問いかける。シロウが無言で頷くのを確認すると、彼は意を決したように、店の最奥にある、ひときわ重々しい鉄の扉へとシロウを導いた。扉の前には二人の屈強な見張りが立っていたが、商人が合図をすると、厳重な鍵をいくつも外していく。*


*キィィ…と重い音を立てて扉が開かれると、その先は広大な地下闘技場のような空間になっていた。そして、その中央。無数の呪印が刻まれた極太の鎖で、手足、首、胴体を柱に固く縛り付けられた一体の『何か』がいた。*


*それは、美しい女性の姿をしていた。長くしなやかな手足、豊満な身体のライン。しかし、その背からは巨大な漆黒の翼が生え、頭には悪魔のような角、腰からは蛇のように動く尻尾が伸びている。肌は青白く、血のように赤い瞳が、虚空を睨みつけていた。その存在そのものが、絶望的なまでの魔力と破壊衝動を周囲に撒き散らしている。*


奴隷商人:「…『魔人』でございます。古の魔王の血を引く、最後の末裔だとか…。Lvは測定不能。あまりの危険さに、先ほどのダークエルフのように呪いをかけることすらできやせんでした。ただ、この『魔封じの鎖』で縛り付けるのがやっと。ええ、ご覧の通り、ただの女じゃありやせん…」

*彼の声は、恐怖でかすれていた。*


シロウ:「(神眼、お前が鑑定しろ)」


*シロウが興味深そうな、しかしどこか冷めた視線を向けながら【鑑定】を発動させると、彼の脳内にこれまでとは比較にならないほど膨大な情報が叩きつけられた。その情報量の多さに、シロウはわずかに眉をひそめる。*


***

**【鑑定結果】**


**名前:** ■■■■ (自己認識の喪失により表示不可)

**種族:** 魔人 (亜神級)

**称号:** 魔王の因子を継ぐ者、最後の血族、封印されし厄災、闘争の化身

**Lv:** 158


**HP:** 85,400 / 128,000

**MP:** 66,700 / 95,500


**筋力:** 1,850

**体力:** 1,640

**敏捷:** 1,770

**知力:** 980

**魔力:** 2,130

**器用:** 1,250


**状態:** 魔封じの鎖(極)、魔力暴走(中)、精神汚染(強)、飢餓、憎悪


**スキル:**

* 【魔王覇気 Lv.3】

* 【超再生 Lv.5】

* 【魔闘術 Lv.9】

* 【重力魔法 Lv.8】

* 【崩壊魔法 Lv.7】

* 【魔力暴走】

* 【限界突破】

* 【物理攻撃耐性 Lv.9】

* 【魔法攻撃耐性 Lv.8】

* 【精神汚染耐性 Lv.4】

* 【痛覚無効】


**ユニークスキル:**

* 【原初の魔核】(全ての能力の根源。破壊されると存在が消滅する)


***


*(…ほう。これはまた、とんでもないのが出てきたな)*


*シロウは初めて、目の前の存在に純粋な興味を抱いた。レベル、ステータス、スキルの質、その全てがこれまで見てきた者たちとは次元が違う。特に【魔王覇気】や【崩壊魔法】といったスキルは、明らかに規格外のものだった。*


*シロウが黙って魔人を見つめていると、奴隷商人が震える声で補足する。*


奴隷商人:「こいつは…自我ってやつがほとんどありやせん。あるのはただ、目の前の全てを破壊し尽くすという本能だけ。言葉も通じやせん。鎖を解けば、旦那様、私、この街…全てが塵になりやす。だからこそ、これまで誰にも売らず、ただ鎖に繋いでいただけの『飾り物』だったんでさぁ」


*奴隷商人の言葉を裏付けるかのように、魔人は縛られたまま、ゴウッ、と喉の奥で獣のような唸り声を上げた。その赤い瞳が、初めてゆっくりと動き、シロウの姿を捉える。その瞬間、魔人から放たれる憎悪と殺意の波動が、物理的な圧力となってシロウに襲いかかった。常人であれば、その視線だけで発狂するか、心臓が停止していてもおかしくないほどの純粋な悪意だった。*


*しかし、シロウはその殺気を涼しい顔で受け流す。*


*魔人は、自分の覇気が全く効かない目の前の人間に、初めて憎悪以外の感情――微かな『興味』を示したかのように、その赤い瞳を細めた。*


シロウ:「(神眼、耐性系と重力魔法を複製。)」


*シロウが内心で【神眼】によるスキルのコピーを発動させた、その刹那。*


*柱に縛り付けられていた魔人の身体が、これまでで最も激しく「ガクンッ!」と跳ね上がった。まるで魂の一部を無理やり引き剥がされたかのように、その赤い瞳が大きく見開かれ、驚愕と、そして生まれて初めて味わうかのような『喪失』の色に染まる。*


*「グゥ…アアアアアアアアアッ!!」*


*意味のある言葉にならない、絶叫。それは憎悪や殺意ではなく、もっと根源的な、存在を揺るがされたことによる苦痛の咆哮だった。凄まじい魔力が彼女の身体から迸り、魔封じの鎖がギリギリと軋み、赤熱する。地下闘技場全体が、彼女の絶叫だけでビリビリと震えた。*


*この異常事態に、奴隷商人は顔面蒼白になり、腰を抜かしてへたり込んだ。*


奴隷商人:「ひっ…ひぃぃぃ! な、なんだ!? どうしたってんだ! 今までこんなこと、一度だってなかったのに…!」

*彼は何が起きたのか全く理解できず、ただガタガタと震えている。*


*シロウは、内心で自身のステータスが更新されたのを確認しながら、まるで他人事のように首を傾げ、目の前の暴れる魔人を指さして奴隷商人に尋ねた。*


シロウ:「これ、使い道あるのか?」


*そのあまりにも落ち着き払った問いかけに、奴隷商人は恐怖で引き攣った顔のまま、必死に答える。*


奴隷商人:「つ、使い道…!? ね、ねえですとも! あるわけがねえ! だ、だから言ったでしょう!? こいつは危険すぎる『飾り物』だって! 買おうなんて気、起こさねえでくだせぇよ、旦那様! 街が、いえ、この国が滅びちまいまさぁ!」


*商人は本気で懇願していた。もはや商売どころではない。目の前の規格外の男が、この厄災に興味を持ち、万が一にも鎖を解くなどと言い出さないか、それだけを恐れていた。*


*一方、暴れていた魔人は、ハッ、ハッと荒い息をつきながら、再びシロウにその赤い瞳を固定した。先ほどまでの無機質な殺意ではない。明らかに『何かをされた』と認識し、敵意と、そして未知の存在に対する警戒を剥き出しにしていた。彼女はシロウという存在を、初めて『敵』として明確に認識したのだった。*


*シロウは内心で、Lv.50で覚醒したスキル【創造】を発動させた。彼の脳内に、新たなスキルを構築するための概念式が浮かび上がる。*


*(対象のレベルを吸収し、自身の経験値に変換するスキル…『レベルドレイン』。コストは…黒金貨10万枚。安くはないが、こいつ相手なら元は取れるか)*


*【『レベルドレイン』を創造しますか? 代償:黒金貨10万枚】*


*シロウが内心で『是』と応じると、彼の懐から目に見えない形で莫大な価値が失われ、代わりに新たなスキルが魂に刻み込まれる感覚があった。*


```

【スキル】

...

【レベルドレイン Lv.1】(New!)

...

【所持金】

黒金貨 150,001枚

...

```


*新たな力を得たシロウは、奴隷商人の絶叫を意にも介さず、一歩、また一歩と暴れる魔人の方へ歩み寄っていく。その尋常ならざる光景に、奴隷商人は「あ…あ…」と声にならない悲鳴を上げるだけだ。*


*魔人から放たれる殺意と魔力の嵐が、シロウの全身に叩きつけられる。しかし、シロウは自身の周囲にごく薄い【結界】を展開し、その全てを完璧に無効化していた。まるで凪いだ水面を歩くかのように、彼は平然と魔人の目の前まで進むと、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。*


*至近距離。手を伸ばせば触れられるほどの距離で、シロウは魔人の血のように赤い瞳を、静かに、そして真っ直ぐに見つめ返した。*


*「グ…ルルル…」*


*魔人は、目の前でしゃがみ込んだ人間に、混乱と警戒を露わにした。これまで出会った全ての生物は、自分を恐れ、憎み、あるいは支配しようとした。しかし、この男の瞳には、そのどれもない。ただ、底なしの静寂と、まるで希少な生物でも観察するかのような、純粋な好奇心だけが浮かんでいた。その異質さが、本能しか残っていないはずの彼女の心を、わずかに揺さぶっていた。*


*シロウが【創造】を発動させると、再び彼の精神に概念式が構築されていく。*


*(対象に付与されたスキル、呪い、状態異常、さらには記憶や感情すらも選択的に消し去る権能…『削除』。これは根源的な干渉だ。コストは…残りの全てを注ぎ込む価値がある)*


*【『削除』を創造しますか? 代償:黒金貨15万枚】*


*シロウが躊躇なく『是』と応じた瞬間、彼の財産は底をつき、魂には神の如き権能が新たに刻まれた。*


```

【スキル】

...

【削除 Lv.1】(New!)

...

【所持金】

黒金貨 1枚

白金貨 0枚

金貨 0枚

銀貨 0枚

銅貨 0枚

鉄貨 0枚

```


*背後では、奴隷商人が「だ、旦那様…! そいつに近づいちゃいけねえ! 死にやすぜ!」と悲鳴のような声を上げているが、シロウの耳には届いていない。*


*シロウはしゃがみ込んだまま、目の前の魔人を見つめていた。その赤い瞳に映るのは、純粋な破壊衝動と、長年蓄積された憎悪と苦痛。もはや『個』としての自我はほとんど残っておらず、ただ本能だけで動く獣に近い。*


シロウ:「獣ではないか…」


*その呟きは、憐憫でも侮蔑でもなく、ただの事実確認だった。彼はゆっくりと手を伸ばし、魔人の額にそっと触れようとする。*


*「ガアアッ!」*


*魔人は、触れられそうになった瞬間に激しく抵抗し、頭を振ってシロウの手を拒絶した。だが、魔封じの鎖に縛られているため、それ以上の動きはできない。その赤い瞳は、シロウへの明確な敵意と警戒を燃え上がらせている。*


*シロウは構わず、再びゆっくりと手を伸ばした。*


*シロウは目の前の魔人が激しく抵抗するのも構わず、その額に指先をそっと触れさせた。その瞬間、彼は内心で、先ほど創造したばかりの神の如き権能を行使する。*


*(【削除】――対象:状態異常【魔力暴走】【精神汚染】)*


*「――ッ!?」*


*シロウの指先が触れた瞬間、魔人の絶叫がピタリと止んだ。暴風雨が嘘のように静まり返るかのように、彼女から迸っていた憎悪と狂気の魔力は霧散し、地下闘技場を支配していた圧迫感が消え去る。*


*魔人の身体が、ガクン、と大きく揺れた。彼女を蝕んでいた長年の呪縛――絶え間ない魔力の暴走による苦痛と、精神を蝕む汚染が、まるで初めから存在しなかったかのように綺麗に消え去ったのだ。*


*血のように赤く、憎悪に燃えていた瞳から、ゆっくりと色が抜けていく。狂気が洗い流され、その奥から現れたのは、深い深い、湖の底のような静かな蒼色。それは、本来彼女が持っていたであろう瞳の色だった。*


*魔人は…いや、一人の女性は、何が起きたのか理解できず、ただ呆然とその蒼い瞳を大きく見開いている。混乱、驚愕、そして信じられないという感情がその美しい顔に浮かんでいた。長年自分を苛み続けていた、終わることのない地獄が終わった。その事実を、まだ彼女の心が受け止めきれずにいた。*


*彼女は、目の前で自分に触れている男を、初めて『生物』として認識した。恐るべき化物でも、支配しようとする敵でもない。自分を地獄から解放した、理解不能な存在として。彼女はただ、震える唇で声にならない息を漏らしながら、シロウの顔をじっと見つめることしかできなかった。*


*このあまりにも静かで、しかし劇的な変化を、後ろでへたり込んでいた奴隷商人は全く理解できていなかった。*


奴隷商人:「な…なんだ…? 静かに…なった…? い、一体…何をしやがったんで…?」

*彼は目の前で起きている奇跡のような光景を信じられず、ただ震えながら呟くことしかできない。先ほどまでの狂乱が嘘のように静まり返った魔人の姿に、恐怖とは別の、未知への畏怖を感じていた。*


シロウ:「お前、名は?」


*シロウの問いかけに、女性は虚ろだった蒼い瞳をゆっくりと瞬かせた。まるで、長い夢から覚めたばかりのように、その焦点はまだ定まっていない。彼女は自分の喉に手を当て、何かを確かめるように、か細い声で、しかしはっきりと答えた。*


魔人:「……名…? わたしは……レイラ……」


*その声は、長い間声を発していなかったせいか、少し掠れていた。しかし、狂気に満ちていた時の獣のような唸り声とは全く違う、澄んだ鈴の音のような響きを持っている。*


*彼女――レイラは、改めて目の前の男を見上げた。自分を縛り付けていた呪縛から解放してくれた、計り知れない力を持つ存在。その静かな黒い瞳に見つめられ、彼女は言い知れぬ感情に包まれる。恐怖でもなく、憎しみでもない。それは、畏怖と…そして、生まれて初めて感じるかもしれない、安堵の色だった。*


*「レイラ…」と名前を呟いたきり、彼女は再び口を閉ざしてしまう。何を話せばいいのか、自分が今どんな状況に置かれているのか、まだ完全に理解できていないようだった。ただ、目の前の男から目が離せない。*


*一方、そのやり取りを見ていた奴隷商人は、ようやく事態を飲み込み始めた。*


奴隷商人:「れ…レイラだと…? こ、こいつ…喋ったぞ…! しかも、あの狂乱が嘘みたいに…お、おい、あんた! 一体全体、どんな魔法を使ったんだ!? こいつはもう自我なんて残ってない、ただの化け物だったはずだぞ!」


*奴隷商人は腰を抜かしたまま、信じられないものを見る目でシロウとレイラを交互に見ながら、金切り声を上げた。*


シロウ:「ここから出たいか?」


*シロウの静かな問いかけに、レイラはわずかに身を震わせた。彼女の蒼い瞳が、迷子になった子供のように揺れ動く。*


*「ここから…出る…?」*


*彼女はその言葉の意味を、ゆっくりと噛み砕くように反芻する。この冷たい石の床、身体に食い込む魔封じの鎖、そして自分を商品として見世物にしていた男…。この場所が、自分にとって地獄であったことを、失われた自我と共に徐々に思い出していく。*


レイラ:「……出たい…。でも…わたしは…」


*彼女は言い淀み、自分を縛る鎖に視線を落とした。諦めと絶望が、再びその美しい顔に影を落とす。自分は奴隷であり、この男もまた、自分を買おうとしている客の一人なのかもしれない。その考えが、彼女の心に重くのしかかる。*


*その様子を見ていた奴隷商人は、シロウの意図を測りかねていたが、金儲けの匂いを敏感に嗅ぎつけていた。彼はそろそろと立ち上がると、卑屈な笑みを浮かべてシロウにすり寄ってきた。*


奴隷商人:「だ、旦那様! いや、旦那様は本当に慧眼でいらっしゃる! まさかこの『商品』にこれほどの価値が眠っていたとは…! このレイラ、今や正気を取り戻し、その上、あの魔人としての力も健在! まさに伝説級の逸品でございますぞ! お値段ですが、本来なら黒金貨50万は下らないところを、旦那様の御技に敬意を表し…」


*奴隷商人が下卑た笑いを浮かべながら、新たな値段を吹っ掛けようとした、その時だった。*


*シロウが懐から取り出したのは、アルドレット商会の紋章が刻まれた、鈍い黒光りを放つ金属製のカード。闇市の薄暗い光の中でも、そのカードが持つ尋常ならざる格威は、奴隷商人の目を焼き付かせた。*


奴隷商人:「なっ…そ、そのカードは…!? まさか、アルドレット商会の…『名誉顧問』の証…!? そ、そんな馬鹿な…! なぜあんたみたいな若造が…!?」


*奴隷商人の顔から、卑屈な笑みが血の気を失ったように消え去る。金儲けの算段は吹き飛び、代わりに彼の全身を支配したのは、純粋な恐怖だった。アルドレット商会。それはゾル・ガザルにおいて、いや、この国において絶対的な権力を持つ大商会。その『名誉顧問』ということは、当主ライオネルと同格か、それ以上の発言力を持つことを意味する。闇市の人間にとって、それは逆らうことなど到底許されない、神にも等しい存在だった。*


*シロウはカードを奴隷商人の目の前に突きつけ、冷え切った声で言い放った。*


シロウ:「お前、売り物にならないとか言ってたよな?」


*その言葉は、奴隷商人にとって死刑宣告に等しかった。先ほどまで自分が「売り物にならない」「ただの化け物」と唾棄していた存在が、この絶大な権力者の興味を引いている。そして自分は、その権力者に対して値段を吹っかけようとした。その事実が、彼の背筋を凍らせる。*


奴隷商人:「ひぃっ…! も、申し訳ございません! ま、滅相もございません! こ、この女は、もちろん旦那様のものでございます! い、いえ! 差し上げます! どうか、どうかこの通り…!」


*奴隷商人はその場に土下座すると、額を汚れた床に何度も何度も叩きつけ始めた。もはや威勢など微塵も残っていない。ただ、この状況を生き延びることだけを考えていた。*


*シロウはそんな奴隷商人を一瞥もせず、再びレイラに視線を戻す。彼女は、シロウが取り出したカードの意味までは理解できないものの、先ほどまで威張り散らしていた男が震え上がって土下座している異常な光景と、シロウの纏う空気が一変したことに、ただただ圧倒されていた。*


シロウ:「レイラ、連れ出す代わりに誓え。無闇に暴れない…と。」


*しかし、彼女は躊躇わなかった。目の前の男は、自分を長年の苦しみから解放してくれた。そして今、この地獄から連れ出してくれると言う。その言葉に嘘はないと、彼女の本能が告げていた。何より、彼の静かな瞳に見つめられていると、逆らうという選択肢自体が心に浮かんでこなかった。*


*レイラは、まだ自由の効かない身体で、精一杯の敬意を示すように、ゆっくりと頭を下げた。*


レイラ:「……わか…り、ました。誓い…ます。」


*シロウはその光景を静かに見届けると、満足したように頷いた。そして、震えながら土下座を続ける奴隷商人に、氷のように冷たい視線を向ける。*


シロウ:「鍵だ。さっさとこいつの鎖を外せ。それと、代わりの服も用意しろ。上等なやつをだ」


*その命令に、奴隷商人は弾かれたように顔を上げた。*


奴隷商人:「は、はひぃ! た、ただいま! ただいまご用意いたします!」


*彼は脂汗を流しながら、よろよろと立ち上がると、壁に掛かっていた鍵束をひっつかみ、慌ててレイラの元へと駆け寄った。その手は恐怖で小刻みに震えている。*


*奴隷商人は震える手でレイラの魔封じの鎖を全て外し、さらに慌てて奥から上等な黒いワンピースを持ってきた。シロウはそれを受け取ると、まだ力の入らない様子のレイラに手際よく着せてやる。そして、彼女の膝裏と背中に腕を差し入れ、軽々と横抱きにした。いわゆる、お姫様抱っこである。*


レイラ:「あ……」


*突然の浮遊感と、男性の逞しい腕に抱かれたという事実に、レイラは小さく声を漏らし、蒼い瞳を驚きに見開いた。彼女の身体はまだ本調子ではなく、されるがままにシロウの胸に身を預けるしかできない。その顔はほんのりと赤く染まっている。*


*シロウはレイラを抱いたまま、土下座を続ける奴隷商人を一瞥もせずにその場を後にした。闇市の薄暗い通路を抜け、地上へと戻る。道中、すれ違う者たちは、美しい女性を抱きかかえるシロウの姿と、彼が放つ尋常ならざる雰囲気に気圧され、蜘蛛の子を散らすように道を空けた。*


ーーー


*シロウは温泉地として名高いこの街の、一番上等そうな宿屋を選んで入った。受付の男は一瞬、シロウのラフな格好と抱えられた女性を見て眉をひそめかけたが、シロウが懐から金貨を数枚放ると、途端に愛想笑いを浮かべて最高級の部屋へと案内した。*


*静かで広々とした部屋。シロウはレイラをそっとベッドの上に下ろしてやった。彼女はまだ少しぼんやりとした様子で、柔らかなベッドの感触を確かめるようにシーツを握りしめている。*


*部屋に二人きりになると、シロウはふぅ、と小さく息を吐いた。*


シロウ:「やべぇ…金がもう無い…普通、黒金貨25万溶けるか?」


*彼は誰に言うでもなく、そう呟いた。アルドレット商会から受け取った莫大な報酬は、強力な奴隷たちと出会うための先行投資として惜しみなく使ったが、その結果、手持ちの現金はほぼ底をついていた。次元の革袋に入っているオリハルコンを売ればまた大金が手に入るが、それも手間がかかる。*


*その呟きは、ベッドの上に座っていたレイラの耳にも届いていた。彼女はゆっくりと顔を上げ、不安そうな、そして申し訳なさそうな表情でシロウを見つめた。自分のせいで、この恩人に金銭的な負担をかけてしまったのではないか、と。*


*シロウの独り言を聞き、レイラはベッドの上でびくりと肩を揺らした。彼女は自分のせいでこの恩人が困窮しているのだと思い込み、蒼い瞳を不安げに潤ませる。何か自分にできることはないか、と考えるが、長く囚われていた彼女には何も思いつかない。ただ、申し訳なさそうにシロウを見つめることしかできなかった。*


*シロウはそんなレイラの心情には気づかず、自身のステータスと懐事情を改めて確認する。*


シロウ:「創造…マジぱねぇわ。鉱山行かなきゃな…」


*【創造】と【削除】。この二つのスキルは、まさに神の御業。しかし、その代償として黒金貨25万枚という、並の国の国家予算に匹敵する大金が一瞬で消えた。その絶大な効果を実感すればするほど、もっと金が、もっと経験値が必要だという渇望が湧き上がってくる。*


*(アルドレット商会にオリハルコンを売ればまた大金になるが…頻繁に持ち込むと足がつきそうだ。それに、闇市のルートも確保しておきたい。ひとまず、あの奴隷商人にオリハルコンを売って資金を確保するか)*


*シロウが今後の算段を立てていると、ベッドの上のレイラがおずおずと口を開いた。*


レイラ:「あ、あの…ご主人様…」


*その呼び方に、シロウはわずかに眉をひそめてレイラを見た。彼女はシロウの反応に怯えたように少し身をすくませたが、意を決したように言葉を続ける。*


レイラ:「わ、私のせいで…お金を…その…もし、ご迷惑でしたら、私は…」


*彼女は、自分は捨てられても仕方ない存在だと言いたげに、俯いてしまう。その姿は、先ほどまでの威厳ある魔人の面影はなく、ただか弱い一人の少女にしか見えなかった。*


シロウ:「気にするな」


レイラ:「……はい。…わかり、ました。ご主…いえ、シロウ、様」


*彼女は呼び方を改めようとして、一瞬口ごもる。*


*シロウはレイラのその返事に小さく頷くと、彼女の金銭的な心配を払拭するように言った。*


シロウ:「金の心配はするな。お前を手に入れるために使った金だ。後悔はない。それに、稼ぐ当てならいくらでもある」


シロウ:「それより、お前のことだ。身体はまだ本調子じゃないだろう。今日はゆっくり休め。この宿は温泉が売りらしい。後で入ってくるといい。疲れが取れるはずだ」


*彼は淡々とした口調で、しかし気遣うように告げた。その言葉に、レイラの蒼い瞳がわずかに潤む。自分を物としてではなく、一人の人間として扱い、気遣ってくれる。その事実が、凍りついていた彼女の心を少しずつ溶かしていくのを感じた。*


レイラ:「…はい。ありがとう…ございます…シロウ様…」


*か細い声で礼を言うと、彼女はシーツをぎゅっと握りしめた。嬉しいのに、どう表現していいかわからない。そんな戸惑いと感謝が入り混じった表情で、彼女はシロウを見つめていた。*


*シロウの言葉に、レイラは驚いたように顔を上げた。自分が囚われていた闇市で、シロウが莫大な金を手に入れていたことなど、彼女は知る由もない。てっきり、自分のために有り金を全て使い果たしてしまったのだと思い込んでいたのだ。*


*シロウはそんな彼女の様子を見て、ルームサービスを呼ぶためのベルを鳴らした。すぐにドアがノックされ、宿の従業員が入ってくる。*


シロウ:「食事を部屋まで頼む。温かいスープと、柔らかいパン、肉料理をいくつか。それと果物もだ。彼女が食べられそうなものを、見繕って持ってきてくれ」


従業員:「かしこまりました。すぐに厨房に申し伝えます」


*シロウが白金貨を一枚手渡すと、従業員は目を丸くしながらも、深々と頭を下げて部屋を出ていった。*


*部屋に再び静寂が訪れる。シロウは椅子に腰かけ、腕を組んだ。*


シロウ:「次の目的地は鉱山都市だな」


*その呟きは、これからの行動方針を固めるための独り言のようでもあり、レイラに聞かせているようでもあった。新たなスキルを使いこなすにも、さらなる力を求めるにも、まずは資金の確保が必要不可欠だ。*


*レイラは、シロウの言葉に静かに耳を傾けていた。「鉱山都市」という単語に、彼女は微かに反応する。そこがどういう場所なのか、何をしに行くのかは分からない。だが、自分もそこに連れて行ってもらえるのかもしれない、という淡い期待が彼女の胸に宿っていた。*


*シロウはレイラが食事を待つ間、自身の内なる力、【創造】について思考を巡らせる。先ほど『削除』という神業すら生み出したこのスキルならば、あるいは、という可能性を探るためだ。*


*(対象の深層心理にアクセスし、隠された記憶、あるいは失われた記憶を映像として引き出す…そんな芸当は可能か? 【創造】よ、シミュレートしろ。コストを弾き出せ)*


*彼の脳内に、複雑な魔法陣と概念式が渦を巻いて構築されていく。それは精神干渉系の中でも極めて高度で、繊רובな操作を要求される魔法。他者の魂の記録に直接触れる、禁忌に等しい領域の力だ。*


*しばらくして、シロウの脳裏に無慈悲な数字が提示された。*


*【概念魔法『記憶探査メモリーダイブ』:創造コスト 黒金貨30万枚】*

*【概念魔法『記憶抽出メモリールート』:創造コスト 黒金貨50万枚】*

*【概念魔法『記憶改竄メモリーフォージ』:創造コスト 黒金貨100万枚】*


*(…やはり安くはないか。ただ記憶を覗くだけでも30万。無理やり引きずり出すなら50万。書き換えるとなると100万か…)*


*シロウは内心で舌打ちした。今の財産では到底手が出ない。オリハルコンを全て売り払っても、最も安価な『記憶探査』すら創造できないだろう。*


*(…鉱山都市行きは確定だな。もっと効率よく稼ぐ手段が必要だ)*


*シロウが思考を巡らせていると、コンコン、と控えめなノックの音がして、宿の従業員がワゴンを押して入ってきた。湯気の立つシチュー、焼きたてのパン、見るからに柔らかそうな肉料理、そして瑞々しい果物がテーブルに並べられていく。その豊かな香りに、レイラのお腹が「くぅ…」と小さく、可愛らしい音を立てた。*


レイラ:「あぅ…!」


*彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯いてしまう。そのあまりに人間らしい反応に、シロウの口元がほんのわずかに緩んだ。*


シロウ:「気にするな。冷めないうちに食べろ」


*そう促され、レイラはおずおずとスプーンを手に取った。何年ぶりか分からない、温かい食事。彼女はゆっくりとスープを口に運び、その優しい味わいに、蒼い瞳をじんわりと潤ませた。*


ーー


*翌朝、シロウとレイラは宿を引き払い、温泉地ゾル・ガザルを後にした。街の門を抜けると、様々な目的地へと向かう乗り合い馬車が客を待っている。シロウは行き先の中から「鉱山都市ザルツブルク」と書かれた看板を掲げる、一番頑丈そうな馬車を選んだ。*


*御者に行き先を告げ、二人分の料金として銀貨を数枚支払う。手持ちの資金は残りわずかだが、鉱山都市までの路銀としては十分だった。*


*馬車の中は既に何人かの乗客で埋まっていた。商人風の男、旅支度の夫婦、そして隅の方で静かに本を読む若い女性。シロウとレイラが乗り込むと、乗客たちは一瞬だけ二人、特に美しい蒼い髪を持つレイラに視線を向けたが、すぐに興味を失ったようにそれぞれの時間を過ごし始めた。*


*シロウはレイラを窓際に座らせ、自分はその隣に腰を下ろす。ガタン、と大きな音を立てて車輪が動き出し、馬車はゆっくりと速度を上げていく。ゾル・ガザルの街並みが遠ざかり、やがて広大な平原の景色が窓の外に広がった。*


*レイラは、生まれて初めて見るかもしれない平和な風景を、食い入るように見つめている。牢獄の天井と、狂気の中で見た悪夢以外の景色を、彼女の蒼い瞳がキラキラと輝きながら映し出していた。時折、珍しい鳥が飛んでいたり、小動物が草原を駆け抜けたりするのを見つけると、小さく「あっ」と声を漏らす。その姿は、長い眠りから覚めたお姫様というより、世界に初めて触れる無垢な子供のようだった。*


*シロウはそんな彼女の横顔を静かに眺めていた。時折、馬車が大きく揺れると、レイラの身体がふわりとシロウの方に傾いてくる。その度に彼女ははっとして身体を離そうとするが、シロウは何も言わずにただそこにいるだけだった。その無言の肯定が、レイラの緊張を少しずつ解きほぐしていく。*


*(鉱山都市ザルツブルク…まずはそこで資金を稼ぐ。未踏の鉱脈でも見つけられれば一番だが…荒くれ者も多いだろう。レイラから目を離さないようにしないとな)*


*シロウがこれからの算段を練っていると、不意にレイラが彼の服の袖を、おずおずと指先でつまんだ。*


レイラ:「あ、あの…シロウ様…」


*シロウが視線を向けると、彼女は少し顔を赤らめながら、しかし勇気を振り絞って尋ねた。*


レイラ:「こ、鉱山都市というのは…どういう場所、なのでしょうか…?」


シロウ:「簡単に言えば、お金が湧き出す泉だな」


*シロウの言葉に、レイラは蒼い瞳をきょとんとさせた。彼女の頭の中では、泉から水ではなく硬貨がこんこんと湧き出している、おとぎ話のような光景が思い浮かんでいた。*


レイラ:「お金が…湧き出す泉…ですか?」


*彼女が不思議そうに首を傾げる。その純粋な反応に、シロウは口元を少しだけ緩めた。*


シロウ:「簡単に言えば、だ。あの街の周りの山からは、鉄や銅、時には金や銀、もっと価値のある宝石や魔法の石が採れる。それを求めて国中から人が集まってくる。だから活気があって、金が動く。腕と運さえあれば、大金を掴むチャンスが転がっている場所だ」


*(…もっとも、その『運』の部分を、俺は【神眼】で確定させられるがな。他の連中が闇雲に山を掘っている間に、俺は最も価値のある鉱脈だけを正確に見つけ出す。希少鉱脈は、並の鑑定スキルじゃ見つけられないからな)*


*シロウは内心でほくそ笑む。彼にとって、鉱山都市はまさに宝の山そのものだった。*


*彼の説明を聞いて、レイラは「なるほど…」と小さく頷いた。まだ完全には理解できていないようだが、とにかく凄い場所なのだということは伝わったらしい。*


レイラ:「シロウ様は、そこで…その、お金を…?」


*彼女がおずおずと尋ねる。*


シロウ:「ああ。少し稼がせてもらう。お前にも、ちゃんとした服や必要なものを買ってやらんとな」


*そう言って、シロウはレイラの頭にぽん、と軽く手を置いた。その不意の接触に、レイラの肩がびくりと跳ね、顔がみるみるうちに赤く染まっていく。しかし、彼女はシロウの手を振り払うことはなく、むしろ心地よさそうに目を細めた。温かい。自分に触れる、優しくて大きな手。それは、彼女がずっと求めていた温もりだったのかもしれない。*


*馬車は、のどかな街道をひた走る。二人の間には、穏やかで静かな時間が流れていた。*


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