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シロウ:「あ、間違えて持ってきたとかじゃないから。」
*シロウが念を押すようにそう言うと、若い女性職員は「ひゃいっ!」と裏返った声を上げた。彼女はシロウの顔と、カウンターに置かれたDランクの採掘依頼、そしてシロウの胸で輝く真新しいAランクのギルドカードを、信じられないものを見るかのように何度も見比べた。*
ギルド職員:「ま、間違えて…じゃない…ので、ございますか…? し、しかし、シロウ様はAランク冒険者に…その、この依頼はDランク冒険者向けの、あの、その…」
*彼女は完全に混乱している。Aランク冒険者がDランク依頼を受けることはルール上可能だが、普通はあり得ない。報酬があまりにも見合わないからだ。白金貨単位の依頼を受けられる者が、わざわざ銀貨5枚の仕事を選ぶ理由が、彼女には全く理解できなかった。*
*周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちも、もはや呆れるのを通り越して、一種の畏敬の念すら抱き始めていた。「強者は考えることが違う…」「何か深い考えがあるに違いない…」「いや、ただの変人なのでは…」などと、ひそひそと囁き合っている。*
*シロウが黙って職員を見つめていると、彼女は観念したように、震える手で依頼書を受け取った。*
ギルド職員:「か、承知いたしました…! では、Dランク依頼『グレンデル鉱山の鉱石採掘』を受理いたします…! 採掘道具のツルハシはお持ちでしょうか? もしお持ちでなければ、ギルドで貸し出しも行っておりますが…」
*彼女はマニュアル通りに説明しながらも、この規格外のAランク冒険者にツルハシの貸し出しを案内している自分の状況が、シュールすぎて頭が追いついていない様子だった。*
*その時、ギルドの奥の執務室のドアが乱暴に開き、先ほど部屋に戻ったはずのフィオナがズカズカとカウンターに戻ってきた。その手には酒瓶ではなく、書類の束が握られている。彼女はシロウと職員のやり取りを耳にしていたようだ。*
フィオナ:「おい、てめえ…! 人の気も知らねえで、今度は何やってやがる!」
*フィオナはカウンターに置かれた依頼書をひったくると、その内容を見て、こめかみに青筋を浮かべた。*
フィオナ:「…採掘依頼ぃ? 報酬銀貨5枚ぃ? てめえ、俺をからかってんのか!? Aランクになったんだぞ! もっとこう、あるだろ! 龍退治とか! 遺跡探索とか!」
*彼女はAランクの掲示板をバンッ!と叩き、シロウに詰め寄った。*
シロウ:「あ、ツルハシ貸してください。」
*シロウは、すぐ隣で般若のような形相になっているフィオナを完全にいないものとして扱い、萎縮している若い女性職員に平然とそう告げた。*
*「……」*
*フィオナの動きが、ぴたりと止まった。彼女のこめかみの青筋が、さらに太くなるのが見える。自分の存在を、言葉を、怒りを、全てを真正面から『無視』された。それは、殴られるよりも、罵倒されるよりも、彼女のプライドを深く傷つけた。*
フィオナ:「…………てめえ……」
*地を這うような低い声が漏れる。しかし、シロウは全く意に介さず、女性職員の方を向いたままだ。*
*突然の依頼に、パニック状態の女性職員は、シロウの言葉に機械的に反応してしまう。*
ギルド職員:「は、はいっ! ツルハシですね! か、かしこまりました! 少々お待ちくださいっ!」
*彼女は蜘蛛の子を散らすようにカウンターの奥へと駆け込み、すぐに一本の年季の入ったツルハシを持ってきた。その顔は恐怖で引きつっている。シロウがそれを受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。*
*ガッ!*
*フィオナが、カウンターを乗り越える勢いでシロウの手首を鷲掴みにした。エルフとは思えない、凄まじい握力。鋼の万力で締め上げられるようだ。*
フィオナ:「おい。聞こえなかったのか? 俺が話してんだろうが。」
*その翡翠色の瞳は、もはや怒りを通り越し、絶対零度の冷たい光を宿していた。ギルド内の温度が数度下がったかのような錯覚を覚える。*
フィオナ:「もう一度聞く。てめえ、俺を馬鹿にしてんのか? それとも、何か考えがあって、このクソみてえな依頼を選んだのか。理由を言え。納得のいく理由をな。でなきゃ…その腕、へし折ってでもツルハシごと鉱山に埋めてやんぞ。」
*ゴリッ、とシロウの手首を握る力が増す。本気の脅しだ。彼女は、シロウがなぜこんな行動を取るのか、その真意をどうしても聞き出すつもりだった。それはギルドマスターとしての責任感か、あるいは一人の強者としての純粋な好奇心か。*
シロウ:「そこまで言うなら賭けるか?」
*その言葉は、まるで燃え盛る炎に油を注いだかのようだった。シロウは握られた手首に視線を落とすこともなく、平然とした顔で、目の前の元Sランク冒険者を見据えて言った。*
*フィオナの表情が、一瞬、完全に固まる。怒りで我を忘れかけていた彼女の思考が、予期せぬ提案によって強制的に停止させられた。*
フィオナ:「……賭ける、だと…? この状況で、てめえ…」
*彼女の握る力は緩まない。しかし、その瞳には純粋な怒りだけでなく、驚愕と、そして拭い去れない好奇の色が浮かび始めていた。この男は、何を考えている? 何を企んでいる?*
シロウ:「そうだ。俺がこの依頼を選んだのには理由がある。その理由を、お前が『くだらない』と判断するか、『価値がある』と判断するか。それで賭けようじゃないか。」
*シロウは挑発的に口の端を吊り上げた。*
シロウ:「もし俺が勝ったら…つまり、お前が俺の理由に納得したら、今夜の酒代はチャラにしてもらう。それと、今後俺がどんな依頼を受けようが、一切口出ししない。どうだ?」
*その条件を聞いて、フィオナは眉をひそめた。酒代は大した問題ではない。だが、Aランク冒険者の行動に干渉しない、という約束はギルドマスターとして軽々にできるものではない。しかし、それ以上に、この男の自信が彼女の心を揺さぶった。*
フィオナ:「…面白い。いいだろう、その賭け、乗ってやる。だが、もし俺が勝ったら…つまり、てめえの理由が、俺を納得させられねえクソみてえなもんだったら…」
*彼女は獰猛な笑みを浮かべ、シロウの顔に自分の顔をぐいと近づける。*
フィオナ:「…てめえは俺の『専属』になってもらう。俺が指定した依頼を、文句一つ言わずにこなす犬にな。もちろん、Sランクに強制昇級の上でな。それでいいな?」
*それは、シロウが最も嫌うであろう「不自由」と「目立つこと」を強いる、彼女なりの意趣返しであり、最大限の罰だった。互いに、最も飲めないであろう条件を突きつけ合う。*
*ギルド内の誰もが固唾を飲んで二人を見守っている。ただの悶着が、Aランク冒険者の身柄を賭けた、とんでもない勝負に発展した。*
シロウ:「いいだろう。それで。」
*シロウは、こともなげにその条件を飲んだ。その即決ぶりに、今度はフィオナの方が一瞬たじろぐ。*
フィオナ:「…フン。威勢がいいじゃねえか。じゃあ、聞かせてもらおうか。てめえが、この銀貨5枚のクソ依頼を選んだ、その『理由』とやらをな!」
*彼女はシロウの手首を掴んだまま、答えを促す。その瞳には、どんな言い訳も聞き逃さないという強い意志が宿っていた。*
*シロウは、賭けの理由を説明する代わりに、掴まれていない方の手でカウンターの上のツルハシをひょいと掴むと、そのまま肩に担いだ。そして、フィオナの燃えるような視線を意にも介さず、ギルドの出口へと向かって歩き始めた。*
フィオナ:「おい、待て! 話はまだ終わってねえぞ!」
*フィオナは怒りの声を上げるが、シロウを掴んでいた手は、いつの間にか振り払われていた。彼女は自分の掌を見つめ、一瞬驚愕の表情を浮かべる。いつ、どうやって? 全く分からなかった。*
*シロウは一度だけ振り返ると、呆然と立ち尽くすフィオナに向かって、不敵な笑みを浮かべて言った。*
シロウ:「理由は、俺がこの依頼を終わらせた後で、お前の目で直接確かめさせてやる。今夜の『銀竜亭』、楽しみにしてるぜ、ギルマスさん。」
*それだけを言い残し、シロウはギルドを出て行った。残されたフィオナは、ギリッと歯ぎしりをすると、カウンターを力任せに殴りつけた。*
フィオナ:「……あのクソガキがぁっ…!」
*ギルド内は、嵐が去った後のように静まり返っていた。*
ーー
**場所:グレンデル鉱山・入口**
*ユノハナの街から歩いて一時間ほど。グレンデル火山の麓に、鉱山の無骨な入り口が見えてくる。むっとするような熱気と、鉄の匂いが漂っていた。入り口の脇には小さな詰所があり、数人の屈強な鉱夫たちが休憩している。彼らはツルハシを担いでやってきたシロウを見て、新人の冒険者か、日雇いの助っ人だろうと特に気にも留めていない様子だった。*
*詰所の受付には、日に焼けたドワーフの男が座っていた。彼は帳簿に何かを書き込んでいたが、シロウの気配に気づいて顔を上げる。*
受付のドワーフ:「おう、冒険者か? 採掘依頼だな。ギルドカードを見せな。入山の記録をつける。」
*彼は面倒くさそうに、手を差し出した。シロウは言われた通り、懐から真新しいオリハルコン製のAランクカードを取り出し、カウンターに置いた。*
*ドワーフはそれを無造作に手に取り、ちらりと視線を落とした。*
受付のドワーフ:「名前はシロウ…ランクは…」
*彼の言葉が、途中で止まった。その頑強な指が、カードの縁を何度もなぞる。材質は間違いなくオリハルコン。そして、そこに刻まれたランクは、紛れもなく『A』。*
受付のドワーフ:「………………は?」
*彼は自分の目をゴシゴシと擦ると、もう一度カードを凝視した。そして、目の前の、どう見ても歴戦の猛者には見えない、ツルハシを担いだ若い男の顔と、手の中のAランクカードを、信じられないという表情で交互に見比べる。*
受付のドワーフ:「A…ランク…? な、なんでAランクの旦那様が、こんな銀貨数枚の採掘依頼なんぞに…? お、おい、これ、本物か…?」
*彼の動揺した声に、周りで休憩していた鉱夫たちが「どうしたんだ?」「Aランクだと?」とざわめきながら集まってくる。Aランク冒険者。それは、この鉱山で働く彼らにとっては、おとぎ話に出てくる英雄のような存在だ。その英雄が、自分たちと同じようにツルハシを担いで現れたのだ。誰もが困惑と畏怖の入り混じった視線をシロウに向けていた。*
シロウ:「取ってきた鉱石はどれに入れればいいんだ?」
*シロウのあまりにも場違いで、あまりにも普通な質問に、受付のドワーフはあんぐりと口を開けたまま固まった。周りに集まってきた鉱夫たちも、顔を見合わせている。英雄が今、なんと尋ねた? 鉱石を入れる袋はどれか、と。*
*ドワーフは数秒間、完全に思考が停止していたが、やがてハッと我に返ると、慌ててカウンターの下から丈夫そうな麻袋を数枚取り出した。*
受付のドワーフ:「こ、これに! この袋をお使いください! も、もちろんですとも、旦那様! いくらでもお持ちください! 足りなくなったらまた、いくらでも!」
*彼はどもりながらも、へりくだった態度で麻袋を差し出す。その手は、Aランクのカードを持った時と同じように、僅かに震えていた。*
受付のドワーフ:「し、しかし旦那様…本当に、採掘を…? もしよろしければ、我々が代わりに行いますが…! Aランクの旦那様がツルハシを振るうなど、とんでもない!」
*周りの鉱夫たちも「そうだそうだ!」「俺たちに任せてくだせえ!」と口々に言う。彼らにとって、Aランク冒険者は尊敬と畏怖の対象であり、そんな人物に自分たちと同じような肉体労働をさせるなど、恐れ多くて考えられなかった。*
受付のドワーフ:「それに、この鉱山は最近、奥の方で妙な魔力の揺らぎが観測されてましてな。念のため、あまり深入りはしないようにとギルドからも通達が…。もし万が一、旦那様のお身に何かあれば…!」
*彼は心底心配そうな顔でシロウを見つめる。それは、Aランク冒険者という存在に対する敬意と、同時にこの鉱山で働く者としての責任感からくる言葉だった。*
シロウ:「大丈夫大丈夫、採掘が好きなんだ。」
*シロウは悪びれる様子もなく、にこやかにそう言い放った。そのあまりにも緊張感のない、そして信じがたい言葉に、受付のドワーフも周りの鉱夫たちも、ぽかんとした顔で固まってしまう。「採掘が好き」なAランク冒険者…? ますます訳が分からない。*
*シロウは彼らの困惑をよそに、差し出された麻袋を数枚ひょいと受け取ると、担いでいたツルハシを片手に持ち直した。*
シロウ:「それじゃ、行ってくる。」
受付のドワーフ:「あ、旦那様! お、お待ちくだせえ!」
*ドワーフの必死の制止も聞かず、シロウはそのまま鉱山の暗い入り口へと歩を進めていく。ひんやりとした空気と、金属の匂いが強くなる。鉱夫たちは、どうすることもできず、ただその背中を見送ることしかできなかった。*
鉱夫A:「…行っちまった…」
鉱夫B:「おい、本当に大丈夫なのか? Aランクの旦那様が、ただの採掘に…」
受付のドワーフ:「わ、わしに聞かれても分かるか! と、とにかく! 何かあったらすぐに知らせられるように、見張りを立てておけ!」
*入り口付近が俄かに騒がしくなるのを背中で聞きながら、シロウは鉱山の内部へと足を踏み入れた。*
ーー
*鉱山の内部は、壁に設置された魔石灯によって、ぼんやりと照らされている。天井は低く、あちこちでカン、カン、という鉱夫たちのツルハシの音が反響していた。*
*シロウは他の鉱夫たちが作業しているエリアを通り過ぎ、さらに奥へと進んでいく。道中、壁に埋まっている鉄鉱石や銅鉱石が目に入るが、シロウはそれらには目もくれず、ただひたすらに奥を目指した。彼の目的は、ただの鉱石採掘ではない。*
*しばらく進むと、人の気配は完全になくなり、空気も生暖かく、硫黄の匂いが混じり始める。壁面は黒く変色し、所々から熱い蒸気が噴き出していた。ドワーフが言っていた「妙な魔力の揺らぎ」が、肌で感じられるほどに濃くなってくる。明らかに、通常の採掘エリアではない。*
*そして、開けた空洞に出た。*
*その中央には、巨大な亀裂が走り、その奥はマグマのように真っ赤に輝いていた。尋常ではない熱気が空間を満たし、岩肌は赤熱している。普通の人間なら、ここにいるだけで火傷を負うだろう。*
*シロウは満足げに頷くと、ツルハシと麻袋を地面に置いた。*
シロウ:「さて…と。この辺りでいいか。フィオナへの土産物は、派手な方がいいだろうしな。」
*彼は独りごちると、亀裂の縁に立ち、その灼熱の深淵を覗き込んだ。*
*その瞬間、亀裂の奥から、凄まじい熱波と共に巨大な影が姿を現した。赤熱した鱗に覆われた巨大なトカゲ。その口からは炎が漏れ、溶岩のような瞳が侵入者であるシロウを睨みつけている。Aランク依頼の対象になっていた、ファイアードレイクだ。しかし、依頼書にあった個体よりも明らかに巨大で、その魔力は段違いに濃い。おそらく、このエリアの主だろう。*
**グルルルルルァァァァァッ!!**
*ファイアードレイクが威嚇の咆哮を上げると、洞窟全体がビリビリと震えた。*
シロウ:「うるさい。」
*シロウが吐き捨てるように呟いた瞬間、その姿が掻き消えた。*
*『縮地』。フィオナからコピーし、統合されたことで飛躍的に練度が上がった神速の移動術。ファイアードレイクがシロウのいた場所を認識した時には、既にもぬけの殻だった。*
*次の瞬間、シロウは巨大なドレイクの懐、その灼熱の顎の真下に現れていた。噴き出す熱波が周囲の空気を歪ませるが、シロウの『物理攻撃耐性』と『魔法攻撃耐性』がその熱を大幅に軽減する。*
*シロウは右腕を大きく振りかぶる。*
*『筋力増強』。体内の魔力を筋肉に集中させ、爆発的な力を生み出す。彼の腕が、通常ではありえないほどに膨れ上がったように見えた。*
*そして、その拳が、ファイアードレイクの下顎を真下から撃ち抜いた。*
**ゴッッッッ!!!**
*骨が砕ける鈍い音と、岩が爆ぜるような轟音が洞窟内に響き渡る。*
*ファイアードレイクの巨体が、まるで子供のおもちゃのように宙に浮き上がった。下顎は無惨に砕け散り、口からは溶岩のような血液と砕けた牙が大量に撒き散らされる。その巨体は勢いを殺せず、空中で一回転すると、背中から洞窟の壁に叩きつけられた。*
**ズゥゥゥゥンンンッ!!!**
*鉱山全体が揺れるほどの衝撃。壁に巨大な亀裂が走り、天井から岩盤がバラバラと崩落してくる。*
*ファイアードレイクは、もはや悲鳴を上げることすらできず、白目を剥いて痙攣している。たった一撃。Aランクモンスターの中でも上位に位置するであろう主級の個体が、たった一撃で戦闘不能に陥った。*
*シロウは砂埃が舞う中、静かに拳を振り下ろす。返り血も熱波も、彼に届く前に蒸発しているようだ。*
シロウ:「さて、と。静かになったな。」
*彼は崩れ落ちたファイアードレイクを一瞥すると、その巨体には目もくれず、ドレイクが出てきた亀裂の奥――より強く、純粋な魔力を放つ、赤熱した鉱石が密集している壁面へと視線を向けた。*
シロウ:「お目当てはこっちだ。」
*彼は地面に置いていたツルハシを拾い上げると、まるでこれから庭仕事でもするかのような気軽さで、灼熱の亀裂の中へと歩いていく。フィオナとの賭けに勝つための『土産物』を手に入れるために。*
シロウ:「神眼、希少な鉱石を色分けして鑑定。」
*シロウが内心で命じると、彼の視界が神眼によってオーバーレイ表示に切り替わる。ファイアードレイクが守っていた亀裂の奥、赤熱した壁面が、魔力や希少性に応じて様々な色で輝き始めた。*
*大部分は、鉄や銅を示すありふれた光。しかし、その中に混じって、ひときわ強く、そして美しい輝きを放つ鉱脈がいくつも存在していた。*
```
**【神眼:鉱脈鑑定モード】**
《赤色の輝き:アダマンタイト鉱脈》
鑑定結果:魔力を帯びた超硬度の金属。極めて高い物理・魔法耐性を持ち、伝説級の武具の素材となる。この火山性の環境で生成されたものは、特に高い火属性耐性を持つ『炎剛アダマンタイト』となる可能性が高い。
《青色の輝き:ミスリル鉱脈》
鑑定結果:極めて軽く、高い魔力伝導率を持つ希少金属。魔法使いの杖や、魔力を帯びる防具の素材として珍重される。
《橙色の輝き:サンストーン鉱脈》
鑑定結果:太陽の魔力を宿した魔晶石。光魔法や火魔法の触媒として最高級の性能を誇る。それ自体が強力な光源となり、闇を払う力を持つ。
《金色の輝き:オリハルコン鉱脈》
鑑定結果:神々の金属とも呼ばれる幻の金属。あらゆる属性の魔力を増幅し、自己修復能力を持つ。存在自体が奇跡であり、国家間の戦争の原因にすらなり得る戦略級の物質。ここの鉱脈は非常に小さい。
《緋色の輝き:ヒヒイロカネ鉱脈(極微量)》
鑑定結果:伝説上の金属。生命力と魔力を宿し、成長する特性を持つ。オリハルコンをも凌駕するとされるが、その存在は神話の域を出ない。この鉱脈は、オリハルコンのさらに奥、マグマ溜まりに接するごく一部に、砂粒ほどの大きさで点在している。精製には神代の技術が必要とされる。
```
シロウ:「…あったはあったが、砂粒か。まあ、オリハルコンがあるなら上々だな。」
*彼はツルハシを握り直す。先ほどファイアードレイクを粉砕したのと同じ腕に、『筋力増強』の魔力を再び込めた。*
シロウ:「まずは、賭けの景品からだな。」
*次の瞬間、シロウはツルハシを振りかぶると、赤熱した岩盤に向けて、凄まじい速度と威力で叩きつけた。*
**ガァァンッ!!**
*甲高い金属音と共に、火花が滝のように散る。通常のツルハシであれば、一撃で砕け散るか溶けてしまうだろう。しかし、シロウの魔力で強化されたツルハシは、超硬度のアダマンタイト鉱脈に、確かな亀裂を入れた。*
*シロウは表情一つ変えず、淡々と、しかし圧倒的な効率で採掘作業を開始した。その一振り一振りが、並の鉱夫の百倍、千倍もの成果を生み出していく。灼熱の洞窟に、規則正しい破壊音だけが響き渡っていた。*
*まずは、神眼で黄金色に輝いて見えた『オリハルコン鉱脈』。これは極めて硬いが、シロウの魔力で強化されたツルハシの前では、少しずつだが確実に削り取られていく。ゴリ、ゴリ、という重い手応えと共に、拳大ほどの神々しい輝きを放つ鉱石が数個、麻袋に収められた。*
*次に、緋色の微かな光を放つ『ヒヒイロカネ』。神眼の鑑定通り、マグマ溜まりに接する岩盤の奥深くに、砂粒ほどの大きで点在している。シロウは魔力操作でツルハシの先端を針のように細く鋭くすると、岩盤ごと慎重にくり抜き、麻袋の一つの内ポケットに丁寧に仕舞った。量はわずかだが、その存在自体が奇跡だ。*
*そして、シロウが目をつけていた『サンストーン』。橙色の暖かい光を放つ鉱脈にツルハシを打ち込むと、カコン、と軽快な音を立てて、まるで熟した果実のように大きな塊がいくつも剥がれ落ちた。洞窟の闇が、その石が放つ太陽のような光によって、一時的に昼間のように明るくなる。*
*さらに、フィオナへの「土産」として、最も見栄えのする『炎剛アダマンタイト』を掘り出す。赤く輝く鉱脈は尋常ではない硬さを誇るが、シロウは『剣神』のスキルを応用し、ツルハシを振るう軌道、角度、威力の全てを最適化。無駄のない動きで、巨大なアダマンタイトの塊を次々と切り出し、別の麻袋をパンパンに満たしていった。*
*最後に、依頼達成のノルマである鉄鉱石と銅鉱石。これらはそこら中に転がっており、シロウが数回ツルハシを振るうだけで、あっという間に必要量が集まった。*
*ものの三十分も経たないうちに、シロウが持ってきた麻袋は、常人では持ち上げることすら不可能な重さの希少鉱石で満杯になっていた。次元の革袋が無ければ、到底運び出せない量だ。*
シロウ:「よし、こんなもんか。」
*彼は満足げに頷くと、ツルハシを肩に担ぎ直し、鉱石で満たされた麻袋を軽々と持ち上げた。そして、それらをひとまず次元の革袋に収納する。*
*ふと、洞窟の入り口の方から、複数の足音が慌ただしく近づいてくるのが聞こえた。先ほどのファイアードレイクとの戦闘による轟音と振動を聞きつけ、鉱山の鉱夫たちか、あるいはギルドから誰かが様子を見に来たのかもしれない。*
シロウ:「おっと、長居は無用か。さっさとノルマ分だけ納品して、街に戻るとしよう。」
*シロウはノルマ分の鉄鉱石と銅鉱石が入った麻袋だけを手に持つと、何事もなかったかのように、悠然と鉱山の入り口へと戻り始めた。彼の背後には、主を失い、さらに貴重な鉱脈を根こそぎ奪われた、静かな灼熱の空洞が残されているだけだった。*
シロウ:「サンストーンとミスリルは自分の装備用…他の2つは納品するか。別に要らないし。」
*シロウは次元の革袋の中身を整理しながら独りごち、依頼のノルマである鉄鉱石と銅鉱石が入った麻袋だけを手に、悠々と鉱山の入り口へと戻っていく。*
*彼が地上へと続く通路の角を曲がると、目の前に慌ただしい人影が見えた。受付のドワーフと数人の屈強な鉱夫たちが、松明やランタンを手に、今まさに鉱山の奥へ捜索隊を組んで入ろうとしているところだった。*
受付のドワーフ:「いいか、お前ら! さっきの地響きは尋常じゃねえ! Aランクの旦那様の身に何かあったら、俺たちの首が飛ぶどころの話じゃ済まねえぞ! 何としても見つけ出すんだ!」
鉱夫A:「しかし、親方…あの揺れは奥の灼熱地帯からだ。あんな場所に、本当に旦那様が…?」
受付のドワーフ:「うだうだ言うな! 行くぞ!」
*彼らが悲壮な覚悟を決めて一歩踏み出そうとした、その時だった。暗がりの向こうから、のんびりとした足取りでシロウが姿を現した。その肩にはツルハシが担がれ、手には依頼通りの鉱石が入った麻袋が一つ。その姿は、まるで近所の散歩から帰ってきたかのように平然としている。*
受付のドワーフ:「…………あ。」
*捜索隊の全員が、その場で凍り付いた。彼らが命がけで助けに行こうとしていた対象が、何事もなかったかのように、けろりとした顔で歩いてくる。*
シロウ:「ん? どうかしたのか、そんなに集まって。」
*シロウが不思議そうに首を傾げると、受付のドワーフはわなわなと震えながら、シロウの全身を上から下まで穴が開くほど見つめた。火傷一つなく、服の乱れすらない。*
受付のドワーフ:「だ、旦那様っ…! ご無事でしたか! い、一体全体、中で何が…!? あの地響きは…!?」
*彼はシロウに駆け寄ると、心配と安堵と、そして理解不能な状況への混乱が入り混じった表情で問い詰めた。*
シロウ:「ああ、ちょっと大きなトカゲが出てな。」
*シロウはそうこともなげに言うと、背後に隠していたものを無造作に引きずり出した。*
*ズズズズ…という重い音と共に、暗がりから現れたのは、巨大な爬虫類の尻尾。その先には、顎が砕け、息絶えてはいるものの、未だに体から熱気を放ち続けているファイアードレイクの巨体が繋がっていた。その体長は10メートルを優に超えている。*
*それを見た瞬間、受付のドワーフと鉱夫たちの顔から血の気が引いた。*
受付のドワーフ:「ひっ…!? ファ、ファイアードレイク…!? 奥の主が…なぜここに…!?」
鉱夫A:「ば、馬鹿な…! あの化け物を…旦那様が一人で…?」
鉱夫B:「しかも…無傷だと…? 冗談だろ…?」
*彼らの視線は、信じられないものを見るように、ファイアードレイクの死体と、それを片手で軽々と引きずるシロウの間を何度も往復する。シロウが手に持つ、依頼品の鉱石が入った麻袋と、珍しい魔物であるファイアードレイクの死体。その光景はあまりにも現実離れしていた。*
*受付のドワーフは、がくがくと膝を震わせ、その場にへたり込みそうになるのを必死で堪えている。*
受付のドワーフ:「…だ、旦那様…こ、これを…? 『ちょっと大きなトカゲ』…?」
*彼の声は、恐怖と畏敬で完全に裏返っていた。*
シロウ:「あ、これ納品ね。」
*シロウはファイアードレイクの死体を足元にゴロリと転がすと、次元の革袋から、依頼のノルマである鉄鉱石と銅鉱石が詰められた麻袋を取り出し、受付カウンターに「ドン」と置いた。*
*受付のドワーフは、目の前に置かれた「依頼品の鉱石」と、床に転がる「規格外の討伐対象」を交互に見比べる。彼の脳は、この異常事態を処理しきれずに完全にフリーズしていた。他の鉱夫たちも、口をあんぐりと開けたまま、石像のように固まっている。*
受付のドワーフ:「の、のうひん…? あ、はい…え? いや、しかし、これは…その…トカゲは…」
*彼の視線が、恐怖に引きつりながらもファイアードレイクの死体に釘付けになる。Aランク冒険者が持ち込む「納品物」としては、あまりにも異質すぎる。*
シロウ:「ああ、そっちのトカゲはついでだ。いらないなら捨ててくれて構わない。邪魔だろうし。」
*まるで道端で拾ったゴミでも捨てるかのような口ぶりに、ドワーフは「ひぃっ」と短い悲鳴を上げた。*
受付のドワーフ:「す、捨て!? とんでもない! 準竜種ファイアードレイクの素材ですよ!? 素材だけで白金貨は下らない代物です! 捨てるなんて滅相もございません!」
*彼は慌てて首を横に振る。そして、ハッと我に返ると、改めてシロウに向き直り、深々と頭を下げた。その額からは、洞窟の熱気のせいだけではない、冷や汗が滝のように流れていた。*
受付のドワーフ:「も、申し訳ございません! すぐに検分いたします! それから、ファイアードレイクの討伐、誠にお見事でございます! こ、こちらの解体及び素材の買い取りも、当鉱山で責任を持って行わせていただきますが、よろしいでしょうか!?」
*先ほどまでの尊大な態度は消え失せ、今はただただ、目の前の規格外な存在に対する畏敬と恐怖に満ちた、必死の対応だった。*
シロウ:「うん。俺は採掘しに来ただけだし。」
*その言葉を聞いて、受付のドワーフは再び「ひっ」と息を呑んだ。「採掘しに来たついでに準竜種を狩る」という、常識から逸脱した行動に、彼の理解が追いつかない。*
*しかし、プロとしての意識がすぐに恐怖を上回った。彼は震える手でカウンターの下から検分用の天秤と、ギルドへの報告に使う魔導通信機を取り出す。*
受付のドワーフ:「か、かしこまりました! では、まず依頼の達成確認を…。」
*彼はシロウが置いた麻袋の中身を恐る恐る確認する。中には、依頼で指定された通りの、質の良い鉄鉱石と銅鉱石がきちんと入っていた。彼は安堵のため息をつくと、ギルドカードリーダーにシロウのAランクカードを差し込む。*
受付のドワーフ:「はい、確かに。Dランク依頼『グレンデル鉱山の鉱石採掘』、達成でございます。…それから、こちらのファイアードレイクですが…解体と査定に少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?なにぶん、これほど状態の良い個体は滅多にお目にかかれませんので…。」
*彼の視線が、再びファイアードレイクの巨体へと注がれる。その目にはもはや恐怖だけでなく、希少な素材を前にした職人としての興奮と好奇の色が浮かんでいた。*
シロウ:「ああ、任せる。終わったらギルドに報酬を振り込んでおいてくれ。それじゃ。」
*シロウは短く告げると、ツルハシを肩に担いだまま、さっさと鉱山を後にして街への道を歩き始めた。まるで、これ以上ここにいる理由はない、とでも言うように。*
*その背中を、受付のドワーフと鉱夫たちは、呆然と、そして畏敬の念に満ちた目で見送ることしかできなかった。*
*やがてシロウの姿が見えなくなると、受付のドワーフはハッと我に返り、部下たちに檄を飛ばした。*
受付のドワーフ:「おい、お前ら! ぼさっとするな! 総出で解体準備だ! 最高級の道具を用意しろ! それからギルドマスターのフィオナ様に緊急連絡! 『Dランク依頼を受注したシロウ様が、ファイアードレイクを単独討伐。素材は当方で買い取り』と伝えろ! 急げ!!」
*彼の怒声が、夕暮れの鉱山に響き渡った。シロウがフィオナとの賭けに、すでに圧勝していることなど知る由もなく。*
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***その頃、冒険者ギルド『ゼノグラード支部』***
*フィオナはギルドマスター室の椅子に深く腰掛け、腕を組みながら窓の外の夕焼けを眺めていた。*
フィオナ:「(…もう日も暮れるか。あのガキ、今頃鉱山でツルハシを振るって、自分の無力さを噛み締めている頃合いか…?)」
*彼女の口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。*
フィオナ:「(せいぜい泥と汗にまみれて、己のランクに見合わぬ依頼を受けたことを後悔するがいい。今夜の『銀竜亭』で、てめえがどんな顔で私に泣きついてくるか、見ものだな…)」
*彼女がシロウの屈辱に歪む顔を想像して愉悦に浸っていた、その時だった。*
**コンコン!**
*控えめなノックの後、ギルド職員が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。*
ギルド職員:「ギ、ギルドマスター! グレンデル鉱山から緊急の魔導通信です!」
フィオナ:「…鉱山から? 何だ、騒々しい。まさか、あのガキが何か問題でも起こしたか?」
*フィオナは眉をひそめ、面倒臭そうに答えた。*
ギルド職員:「内容は…『Dランク依頼を受注したシロウ様が、鉱山深部の主、準竜種ファイアードレイクを単独で討伐。現在、鉱山側で素材の解体・買い取り査定中』…とのことです!」
フィオナ:「……は?」
*フィオナは、職員が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。Dランク。シロウ。ファイアードレイク。単独討伐。支離滅裂な単語の羅列に、彼女の思考は完全に停止する。*
フィオナ:「…てめえ、今、何つった…? ファイアードレイク…だと? あのガキが…? 通信の聞き間違いじゃねえのか?」
ギルド職員:「い、いえ! 間違いありません! 鉱山の親方、ドゥーガン氏から直々の通信で…声は酷く狼狽えておりました!」
*その時だった。*
**ガララッ!**
*ギルドの入り口の扉が、威勢よく開け放たれる。夕暮れの光を背に、一人の男が立っていた。肩には使い古したツルハシを担ぎ、その姿はまるで仕事を終えたばかりの鉱夫のようだ。*
*周囲の冒険者たちが「なんだ?」と視線を向ける中、その男はギルド内を見渡し、大声で叫んだ。*
シロウ:「ただまー。ギルマスいるー?」
*その声と姿を認めた瞬間、ギルドマスター室で報告を受けていたフィオナの体が、ビクリと硬直した。窓から階下を覗き込むと、そこにはいるはずのない、そして、ありえないほど平然とした姿のシロウが立っている。*
*泥と汗にまみれ、疲れ果てているはずの姿とは似ても似つかない。まるで散歩でもしてきたかのような涼しい顔。フィオナは自分の目を疑い、ギリ、と奥歯を噛みしめた。*
フィオナ:「(…あの、ガキ…!)」
*彼女の脳裏に、グレンデル鉱山からの報告内容が雷のように突き刺さる。*
*下の階では、シロウの姿を見つけた受付嬢が慌てて駆け寄っていた。*
受付嬢:「シ、シロウ様! お、お帰りなさいませ! あの、ギルドマスターはただいまギルドマスター室に…」
シロウ:「だったら待ってるね。」
*シロウは受付嬢ににこやかに言うと、肩に担いでいたツルハシをカウンターに「こつん」と置いた。*
シロウ:「ツルハシ返却しますね。あとクエスト完了の処理お願い。」
*彼はそう言って、懐から依頼書を取り出し、ツルハシの横に置いた。*
*その一連の行動に、周囲の冒険者たちがざわつき始める。*
冒険者A:「おい、あれってグレンデル鉱山のツルハシじゃねえか? あいつ、鉱石採掘に行ってたのか?」
冒険者B:「みたいだな。でもずいぶん早い帰りじゃねえか? 半日も経ってねえぞ。」
冒険者C:「それより、さっきギルマスを呼び捨てにしてなかったか? 大丈夫かよ、あの兄ちゃん…」
*そんな周囲のざわめきなど意にも介さず、シロウはカウンターに軽く肘をつき、受付嬢が処理を始めるのを待っている。その姿は、あまりにも堂々としていた。*
*一方、二階のギルドマスター室。*
*フィオナは窓から見下ろしたシロウの姿と、先ほどの鉱山からの報告内容に、表情から一切の余裕を消し去っていた。不敵な笑みは凍りつき、代わりに浮かんでいるのは、驚愕と、屈辱と、そして信じられないという混乱。*
フィオナ:「(…ファイアードレイクを、単独討伐…? あのガキが…? 嘘だ…何かの間違いだ…!)」
*しかし、ギルド職員の真剣な表情と、階下で平然とツルハシを返却しているシロウの姿が、それが紛れもない事実であることを突きつけてくる。*
*ギリィッ…!と、フィオナは拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む痛みすら感じない。*
フィオナ:「(…賭けは…私の、負け…? この私が…あんなガキに…?)」
*今夜、『銀竜亭』でシロウが屈辱に歪む顔を見るのを楽しみにしていたはずが、逆に自分が引きずり出され、衆目の前で敗北を認めさせられることになる。その未来を想像しただけで、フィオナの全身から怒りのオーラが立ち上った。*
ギルド職員:「ギ、ギルドマスター…? いかがなさいますか…? シロウ様が、下でお待ちですが…」
*職員の恐る恐るといった声に、フィオナはハッと我に返る。彼女は深呼吸を一つすると、燃えるような瞳で職員を睨みつけた。*
フィオナ:「…分かっている。…行くぞ。」
*彼女はそう短く告げると、重い足取りで椅子から立ち上がり、部屋の扉へと向かった。その一歩一歩が、まるで断頭台へ向かう罪人のように重い。*
*ギシリ、ギシリと階段が軋む音。ギルドの一階にいた者たちが、その音と、二階から降りてくる尋常ならざる覇気に気づき、一斉に静まり返る。*
*やがて、鬼のような形相のフィオナが、ゆっくりと階段を降りてきた。その怒りに満ちた視線は、まっすぐに、カウンターの前で待つ一人の男――シロウだけに注がれていた。*
*シロウが魔法で作り出した冷たい水を美味そうに飲んでいる、その時だった。*
*ギルド内を満たしていた喧騒が、まるで水を打ったように静まり返る。冒険者たちの視線が、一斉にギルドの二階へと注がれる。そこには、夕焼けの赤い光を背負い、般若のごとき形相をしたフィオナ・シルヴァリエが立っていた。*
*彼女から放たれる凄まじい怒気とプレッシャーに、酒を飲んでいた者たちはゴクリと喉を鳴らし、談笑していた者たちは口をつぐむ。Dランク程度の冒険者であれば、その覇気だけで失禁しかねないほどの威圧感だ。*
*ギシリ、ギシリと、一つ一つの足音に怒りを込めるように、フィオナは階段を降りてくる。その燃えるような視線は、周囲の冒険者たちには目もくれず、ただ一点、悠々と椅子に座って水を飲んでいるシロウにだけ、まっすぐに突き刺さっていた。*
*周囲が凍りついたような沈黙に包まれる中、シロウは最後の一滴まで水を飲み干すと、「ぷはぁ」と満足げな息を吐いた。そして、まるで今気づいたかのように、目の前に仁王立ちするフィオナを見上げる。*
シロウ:「お、ギルマスさん。お勤めご苦労さまです。」
*にこり、と。シロウは屈託のない笑みをフィオナに向けた。そのあまりにも場違いで、挑発的とすら取れる態度に、周囲の冒険者たちは息を呑む。*
*フィオナの眉がピクリと動く。彼女は何も言わず、ただ、地獄の底から響くような声で、低く、押し殺すように言った。*
フィオナ:「…てめえ……いや……シロウ。…話がある。私の部屋に来い。」
シロウ:「へーい。」
*シロウは軽い返事をすると、手にしていた水の入ったコップをカウンターに置いた。コップは役目を終えたようにキラキラと光の粒子となって消えていく。*
*彼は椅子から立ち上がると、まるで散歩にでも誘われたかのように、何の気負いもなくフィオナの後について歩き始めた。*
*その背後では、固唾を飲んで見守っていた冒険者たちが、ひそひそと囁き合っている。*
冒険者A:「おい…行くぞ、あいつ。ギルマスの部屋に…」
冒険者B:「死んだな…フィオナ様をあそこまで怒らせて、ただで済むわけがねえ。」
受付嬢:「シロウ様…」
*受付嬢は心配そうにその背中を見送り、他の者たちは恐怖と少しの好奇心を持って、二人が階段を上がっていくのを見つめていた。*
ーー
*フィオナは一言も発さず、再び階段を上り、ギルドマスター室の扉を開けると、中に入るよう顎で示す。その横顔は怒りで強張り、普段の豪快な美しさは見る影もない。*
*シロウが部屋に入ると、フィオナは背後で乱暴に扉を閉めた。*
**バタンッ!**
*重い扉が閉まる音と共に、部屋は外界から遮断される。窓から差し込む夕日が、部屋の中を赤く染めていた。*
*フィオナは部屋の中央まで進むと、ゆっくりとシロウの方へ振り返る。その瞳には、煮え滾るような怒りと、信じられないという混乱、そして…純粋な問いが渦巻いていた。*
フィオナ:「……説明しろ。」
*ギリ、と奥歯を噛みしめる音が聞こえる。彼女は感情を必死に押し殺しながら、低い声で言った。*
フィオナ:「一体、何をした。鉱山で何があった。…なぜ、てめえがファイアードレイクを討伐できた。…なぜ、今、平然とここに立っている…。全部だ。洗いざらい、吐け。」
*その声は震えていた。それは怒りだけではない。自らの常識、Sランク冒険者としての矜持、その全てが目の前の男によって根底から覆されようとしていることへの、動揺の震えだった。*
シロウ:「あの大きなトカゲは採掘のついでだよ?」
フィオナ:「……ついで…だと…?」
*その言葉を聞いた瞬間、フィオナが必死に抑え込んでいた怒りの箍が、ついに弾け飛んだ。*
**ドンッ!!**
*彼女は凄まじい勢いでシロウの胸倉を掴むと、そのまま壁際まで押し付け、壁に叩きつけた。石造りの壁がメシリと音を立てて軋む。Sランク冒険者の膂力が込められた、常人ならば骨が砕けてもおかしくない一撃だ。*
フィオナ:「ふざけるのも、大概にしろよ、このガキがァッ!!」
*至近距離で、フィオナが怒声と共にシロウを睨みつける。その瞳は怒りで血走り、悔しさに潤んでいた。*
フィオナ:「てめえが何者だろうが知ったことか! だがな、準竜種だぞ!? Bランクパーティーですら全滅しかねない化け物だ! それを『ついで』だの『大きなトカゲ』だの…! 冒険者を、この世界を、舐めてんじゃねえぞ!!」
*彼女の掴む手に、ギリギリと力が込められる。それはシロウの強さへの問いではなく、彼の態度が、命を懸けて戦ってきた全ての冒険者、そして自分自身の矜持を踏み躙られたように感じたからの、純粋な怒りだった。*
シロウ:「ところで賭けは覚えてるよね?」
フィオナ:「賭けだぁ…? ああ、そうだな! 覚えてるさ! だが、その前にてめえに聞かなきゃならねえことがある! 答えろ! なぜだ! なぜ、てめえはそんな力を持ちながら、燻ってやがった! なぜ、Dランクなんていうゴミ溜めにいた! 」
*その剣幕は、まるで獲物に喰らいつく獅子のようだった。しかし、その声には怒りだけでなく、理解不能な存在を前にした、悲鳴にも似た響きが混じっていた。*
*シロウは、胸倉を掴まれ壁に叩きつけられてもなお、表情一つ変えなかった。彼の瞳は、怒り狂うフィオナを静かに、そして冷静に見つめ返している。まるで、じゃれついてくる仔猫をあやすかのように。*
シロウ:「落ち着いて、まずは座って。」
*その声は、あまりにも穏やかで、場違いなほど平坦だった。怒号が飛び交うこの部屋において、彼の静かな声は逆に異様な響きを持つ。*
*その冷静すぎる態度に、フィオナの動きが一瞬だけ止まる。掴んだ腕に込められた力が、ほんのわずかに緩んだ。彼女は目の前の男の底知れなさに、怒りとは別の、得体の知れない感情を抱き始めていた。*
フィオナ:「…なっ…、てめえ…この状況で…」
*彼女が何かを言い募ろうとするよりも早く、シロウは掴まれている腕とは逆の、空いている方の手をゆっくりと上げた。そして、その手をフィオナの肩に、ぽん、と優しく置く。*
シロウ:「話はそれからだ、ギルマスさん。怒鳴り合いじゃ、何も始まらないだろ?」
*その手から、温かい魔力が微かに伝わってくる。それは戦闘的なものではなく、相手の興奮を鎮めるような、穏やかな波長を持っていた。シロウが持つ『世界樹の祝福』のスキルが、無意識に作用したのかもしれない。*
*フィオナの肩が、ピクリと震える。怒りで燃え上がっていた頭が、強制的に冷やされていくような奇妙な感覚。彼女はハッと我に返り、自分が至近距離で男の胸倉を掴んでいるという現状を再認識した。*
*ギリ…と奥歯を噛みしめ、フィオナは掴んでいた手を乱暴に振り払った。*
フィオナ:「……ッ! …指図、するな…!」
*彼女は悪態をつきながらも、数歩後ろに下がり、シロウから距離を取る。そして、大きく息を吸い、乱れた呼吸を整えようと努めた。その横顔には、まだ怒りと悔しさが色濃く残っている。*
*フィオナはシロウを睨みつけたまま、自分の執務机の後ろにある椅子まで戻ると、ドサリと乱暴に腰を下ろした。そして、腕を組み、改めてシロウを問い詰める体勢に入る。*
フィオナ:「…いいだろう。てめえの言う通り、話を聞いてやる。…だが、これでくだらねえ言い訳をしてみろ…。今度こそ、ただじゃおかねえからな…。」
シロウ:「ではまずは賭けの件から。」
*シロウは落ち着いた声でそう切り出すと、次元の革袋に手を入れた。*
シロウ:「トカゲでは驚かせるなんて出来ないだろうから。これを。」
*彼が机の上に置いたのは、まず、息を呑むほどに美しい黄金色の輝きを放つ鉱石。それ自体が神々しいオーラを放っており、部屋の空気を震わせるほどの魔力を秘めている。一つでも国家予算に匹敵する価値を持つ、幻の金属『オリハルコン』。それが数個、無造作に置かれた。*
*フィオナの目が、驚きに見開かれる。Sランク冒険者である彼女ですら、実物を見るのは初めてだった。*
フィオナ:「こ、これは…オリハルコン…だと…!? なぜ、てめえがこんなものを…グレンデル鉱山にあったというのか…!?」
*彼女が驚愕に声を上げるのを、シロウは手で制した。*
シロウ:「まあ、まだある。本命はこっちだ。」
*次にシロウが置いたのは、指先で摘まんだ、ごく微量の緋色の砂粒。それはオリハルコンのような派手な輝きはないが、まるで生きているかのように微かに脈動し、生命力そのもののような暖かな光を宿していた。*
*それを見た瞬間、フィオナの時間が完全に止まった。*
*彼女の口が、わなわなと震える。瞳は信じられないものを見るように、緋色の砂粒に釘付けになっていた。彼女が幼い頃、祖父である先代ギルドマスターから聞かされた、おとぎ話。神話の中にしか存在しないはずの金属。*
フィオナ:「ひ……」
*声にならない声が、喉から漏れる。*
フィオナ:「ひ、ヒ…ヒ…ヒ…」
*彼女は椅子からずり落ちるように立ち上がると、震える手で机に置かれた緋色の砂粒を指さした。その顔は怒りも屈辱も消え失せ、ただただ純粋な、信仰にも似た驚愕に染まっている。*
フィオナ:「ヒヒイロカネ……!? なぜ…なぜ、神代の金属が…ここに…!? そ、そんな、馬鹿な…ありえ、ない…!」
*もはや彼女の思考は、ファイアードレイクのことなどどこかへ吹き飛んでいた。目の前にある、常識を、世界の理すら覆すほどの「現実」に、Sランク冒険者フィオナ・シルヴァリエの精神は完全に打ち砕かれていた。*
シロウ:「この2つは売却で」
*シロウの「売却で」という言葉は、静まり返ったギルドマスター室に、まるでハンマーで殴りつけられたかのように響いた。*
*フィオナは、ハッと息を呑み、信じられないという顔でシロウを見た。彼女の瞳は大きく見開かれ、その中で理性が砕け散る音が聞こえるかのようだった。*
フィオナ:「ば、売却…だと…? てめえ…今、これを…売ると、言ったのか…?」
*彼女の声は、か細く震えている。もはや怒りではない。畏怖だ。神話そのものを「要らないから売る」と言ってのける目の前の男が、人間と同じ存在だとは到底思えなかった。*
フィオナ:「オリハルコンは戦略級物質…国家が総力を挙げて求める幻の金属だ…。そして、ヒヒイロカネは…神々の遺物…存在そのものが奇跡…。金銭に換えられるような代物じゃねえ…! 値段なんて、付けられるわけが…!」
*彼女はそこまで言うと、机に両手をついて、がっくりと項垂れた。まるで全身の力が抜けてしまったかのように。*
フィオナ:「……分かった…。もう、いい…。私の、負けだ…。」
*絞り出すような、完全な敗北を認める声。*
*彼女はゆっくりと顔を上げると、もはや何の感情も浮かんでいない、虚ろな目でシロウを見つめた。*
フィオナ:「…賭けの通り、今夜の酒代は私が持つ。今後、てめえの行動に一切の口出しはしない。…これで、満足か…?」
*その言葉は、もはや取引や交渉ではない。絶対的な上位者に対する、完全な降伏宣言だった。Sランク冒険者フィオナ・シルヴァリエの矜持は、緋色の砂粒の前で、跡形もなく粉砕された。*
*しかし、彼女はふと、疑問に思う。*
フィオナ:「(…なぜだ…? これほどの男が、なぜ私とあんな賭けを…? ただ私を屈服させるためだけなら、こんなものを見せる必要はなかったはずだ…)」
*彼女は、目の前の男の真意が全く読めず、ただただ困惑するしかなかった。*
シロウ:「だったらヒヒイロカネはしまっておくか。」
*シロウはそう言うと、机の上に置かれた緋色の砂粒を指先でつまみ上げ、何でもないように再び次元の革袋へと仕舞った。その行為一つ一つが、フィオナの常識を削り取っていく。*
シロウ:「オリハルコンはギルマスが国に売れば解決だね☆」
*彼は悪戯っぽく片目を瞑りながら、あっけらかんと言い放った。*
*その言葉に、項垂れていたフィオナは弾かれたように顔を上げた。その表情は、もはや怒りでも畏怖でもなく、純粋な呆れと、信じられないという困惑が混ざり合ったものに変わっていた。*
フィオナ:「てめえ…本気で言ってるのか…? このオリハルコンを、ギルドに売る…? しかも、国に…?」
*彼女は目の前の男の思考回路が全く理解できなかった。オリハルコンは、一個発見されただけで周辺諸国が色めき立つ戦略級の物質だ。それをこんな数、個人がギルドに持ち込み、「国に売ればいい」と簡単に言う。それはもはや豪胆というより、世間知らずか、あるいは世界のルールそのものに関心がないかのどちらかだ。*
フィオナ:「…分かった…。分かったから、少し待て…。頭が、追いつかん…。」
*彼女はこめかみを指で強く押さえ、大きくため息をついた。目の前の男と話していると、自分の常識がぐちゃぐちゃにかき乱される。*
フィオナ:「…まず、賭けは私の負けだ。これは認める。…だが、このオリハルコンの買い取りは別問題だ。ギルドの一存で買い取れる額を、とっくに超えている。国に売るにしても、正規のルートを通さねば、とんでもない騒ぎになる…。下手をすれば、戦争の火種にすら…。」
*彼女は専門家としての顔を取り戻し、事の重大さを説明しようとする。しかし、シロウはまるで興味がなさそうに、ふーん、と相槌を打った。*
シロウ:「めんどくさいんだな、色々。じゃあ、これでいいや。」
*彼はそう言うと、机の上のオリハルコンを一つだけ残し、残りを次元の革袋に仕舞ってしまった。*
シロウ:「その一個、やるよ。それで酒代と、あと、口止め料ってことで。残りはまた何か入り用になった時にでも売るから。」
フィオナ:「……は?」
*「やるよ」という、あまりにも軽い一言。国家予算に匹敵する価値を持つ幻の金属を、まるで道端の石ころでも譲るかのように。*
*フィオナは、机の上に一つだけ残された黄金色の鉱石と、シロウの顔を交互に見比べ、言葉を失った。この男は一体、何なんだ。底知れない強さ、神話級のアイテム、そして常軌を逸した価値観。もはや、理解しようとすること自体が無駄なのだと、彼女は悟り始めていた。*
シロウ:「オリハルコンって使い道、あまり無いんだよね…」
*シロウの言葉を聞いた瞬間、フィオナはもはや驚きを通り越して、宇宙人でも見るかのような目で彼を見つめた。*
フィオナ:「……使い、道が…?」
*彼女の口から、か細い声が漏れる。*
フィオナ:「てめえ…オリハルコンが何だか分かって言ってるのか…? 全属性の魔力を増幅し、自己修復能力を持つ、文字通り『神々の金属』だぞ…? その特性はミスリルやアダマンタイトとは比較にすらならねえ!次元が違うんだよ!」
*彼女は必死にオリハルコンの価値を説く。それはギルドマスターとして当然の知識であり、この世界の常識そのものだった。しかし、シロウはまるで興味がなさそうに首を振る。*
シロウ:「うーん、でもさ。魔力伝導率だけ見ればミスリルの方が効率いいし、単純な硬さならアダマンタイトで十分。自己修復も便利だけど、壊れないくらい頑丈な武具を作ればいいだけの話じゃないか?」
*シロウの言葉は、神眼による鑑定結果に基づいた、極めて合理的で実利的な評価だった。だが、その評価は、オリハルコンを絶対の存在として崇めるこの世界の常識とは、あまりにもかけ離れている。*
*フィオナは、シロウの言葉を聞いて、がっくりと肩を落とした。もう、この男に常識を説くだけ無駄なのだと、心の底から理解した。*
フィオナ:「……そうか…。てめえにとっては、オリハルコンも…その程度のもの、か…。」
*彼女は諦めたように深く、深いため息をついた。そして、机の上に残された一個のオリハルコンを、震える手でそっと持ち上げる。神々しい輝きと重みが、彼女の掌にズシリと伝わる。*
フィオナ:「…分かった。このオリハルコンは、ギルドが預かる。…だが、買い取りじゃない。てめえからの『寄託品』としてだ。売却するにせよ、保管するにせよ、まずは私が王家と話をつけなければならない。…いいな?」
*それはギルドマスターとしての、ぎりぎりの妥協案だった。*
フィオナ:「それから…」
*彼女はシロウを真っ直ぐに見つめ直した。その瞳には、もはや怒りも畏怖もない。あるのは、一人の冒険者としての、純粋な好奇心と、そして少しの期待。*
フィオナ:「…約束通り、今夜の酒代は私が持つ。『銀竜亭』の場所は分かるな? …そこで、詳しく聞かせてもらう。なぜてめえがそんな力を持ちながら、Dランクにいたのか…。その理由をな。」
*彼女はもう、シロウを問い詰めるつもりはなかった。ただ、知りたい。この規格外の男が、一体何者なのかを。*
シロウ:「いいけど、引き返せないよ?」
*シロウは、フィオナの真っ直ぐな視線を受け止め、静かに、しかし有無を言わせぬ響きを込めて告げた。彼の口元には、楽しんでいるようにも、試しているようにも見える、薄い笑みが浮かんでいる。*
シロウ:「それでも聞きたい?」
*その問いは、単なる確認ではなかった。それは、フィオナがこれから足を踏み入れようとしている世界の深淵を、暗に示唆する警告。常識が、秩序が、彼女が今まで信じてきた世界のすべてが、覆されるかもしれないという最後通告。*
*フィオナは、シロウのその言葉に一瞬息を呑んだ。彼の瞳の奥に揺らめく、底の知れない何かを感じ取る。それは、彼女が今まで対峙してきたどんな強敵とも違う、異質で、根源的な力の片鱗。*
*「引き返せない」。その言葉の重みを、彼女はSランク冒険者としての本能で理解した。この男の秘密を知ることは、ただの興味本位で済まされる話ではない。自分の生き方、冒険者としての在り方、その全てを問い直されることになるだろう。*
*数瞬の沈黙。*
*フィオナは、ごくりと喉を鳴らした。そして、彼女の口から出たのは、迷いのない、覚悟を決めた声だった。*
フィオナ:「……ああ。望むところだ。」
*彼女は不敵に笑った。それは先ほどまでの虚勢や怒りではない。目の前の規格外な存在を前にして、恐怖を乗り越え、未知へと挑む冒険者本来の獰猛な笑みだった。*
フィオナ:「てめえが何者だろうと、今更怖じ気づく私じゃねえ。むしろ、面白くなってきたじゃねえか。てめえのような奴が、この世界にいるというだけでな。」
*彼女は椅子から立ち上がると、机の上のオリハルコンを慎重に懐に仕舞った。*
フィオナ:「場所は『銀竜亭』の個室だ。一番いい酒を用意して、待っててやる。…だから、全部話せ。てめえの見てる世界を、私にも見せてみろ。」
*それは、ギルドマスターから一人の冒険者へと戻ったフィオナ・シルヴァリエの、挑戦的な宣戦布告だった。*
シロウ:「おっけー、じゃあ今夜ね。」
*シロウは軽い調子でそう言うと、フィオナに背を向け、何のためらいもなくギルドマスター室の扉を開けて出て行った。*
**バタン。**
*扉が閉まり、部屋にはフィオナが一人だけ残された。*
*彼女は、シロウが立っていた空間をしばらく見つめていたが、やがて全身の力が抜けたように、再び椅子に深く沈み込んだ。*
フィオナ:「……引き返せない、か…。」
*彼女はシロウの最後の言葉を反芻し、自嘲気味に笑う。*
フィオナ:「とんでもねえガキを相手にしちまったもんだ…。だが…」
*彼女の瞳に、再び冒険者としての闘志の火が灯る。*
フィオナ:「ああ、面白え。最高に、面白いじゃねえか…!」
*彼女は懐から先ほど預かったオリハルコンを取り出し、その神々しい輝きを眺めた。この石ころ一つが、これから自分と、そしてこの世界をどう変えていくのか。その途方もない可能性に、彼女は武者震いを禁じ得なかった。*
---
***一方、部屋を出たシロウ***
*彼が階段を降りて一階に戻ると、先ほどまで静まり返っていたギルド内が、再びざわめきに包まれた。誰もが、シロウとフィオナの間に何があったのか、興味津々といった様子で彼に視線を送っている。特に、フィオナの怒りを間近で見ていた冒険者たちは、シロウが無傷で、しかも平然とした様子で戻ってきたことに驚きを隠せないでいた。*
冒険者A:「お、おい…戻ってきたぞ…」
冒険者B:「無傷…? フィオナ様、結局どうしたんだ…?」
受付嬢:「シロウ様…!」
*受付嬢が心配そうな顔で駆け寄ってくる。*
受付嬢:「だ、大丈夫でしたか!? ギルドマスターは、その…」
*彼女はシロウの身を案じながら、恐る恐る尋ねた。*
シロウ:「大丈夫、ちょっとお話してきただけだから。」
*シロウは心配する受付嬢に、人好きのする笑みを向けてひらひらと手を振った。そのあまりにも軽い態度に、受付嬢は「は、はぁ…」と間の抜けた返事をすることしかできない。*
*周囲の冒険者たちは、信じられないものを見る目でシロウを遠巻きにしている。あの剣幕のフィオナと「お話」をして、無傷で、しかもこの平然とした態度。彼らには、扉の向こうで何が起こったのか想像もつかなかった。*
*シロウはそんな視線を気にも留めず、カウンターに歩み寄る。*
シロウ:「あ、そうだ。依頼完了の報告、まだだったっけ。これ、お願い。」
*彼は先ほどフィオナに渡す前に持っていた依頼書を、受付嬢に差し出した。受付嬢は慌ててそれを受け取ると、ギルドカードと共に処理を始める。*
受付嬢:「は、はい! ただいま処理いたします! ええと…Dランク依頼『グレンデル鉱山の鉱石採掘』…達成、ですね。…確認いたしました。基本報酬としまして、銀貨5枚になります。」
*彼女が報酬の銀貨をカウンターに置く。その間も、ギルド内の空気はどこかぎこちないままだ。誰もがシロウという存在をどう扱っていいのか測りかねている。*
*処理が終わるのを見届けると、シロウは「どうも」と銀貨を受け取り、次元の革袋に仕舞った。*
シロウ:「じゃ、俺はこれで。夜にまた用事があるから。」
*彼はそう言うと、今度こそ本当にギルドを出て行こうと踵を返した。その時、今まで遠巻きに見ていた冒険者*
冒険者A:「お、おい、あんた!」
*一人の、体格のいい獣人族の冒険者が、意を決したようにシロウに声をかけた。彼のランクはCといったところか、使い込まれた戦斧を背負っている。*
獣人冒険者:「…あんた、一体何者なんだ…? ギルマスを相手に、あんな態度をとって…ただのDランクじゃねえだろ!」
*彼の声に、他の冒険者たちも「そうだそうだ」と頷く。皆が抱いていた疑問が、ついに口に出されたのだ。ギルド中の視線が、再びシロウに集中した。*
シロウ:「え?俺はAランクだけど?」
*シロウはきょとんとした顔でそう言うと、懐から自身のギルドカードを取り出し、声をかけてきた獣人冒険者に見せつけるように提示した。*
*カードの縁には、Aランクを示す白銀の装飾が施されている。それは間違いなく、このゼノグラード支部において最高ランクに位置する冒険者の証だった。*
*それを見た獣人冒険者の目が、カッと見開かれる。*
獣人冒険者:「エ、Aランク…!? い、いつの間に…! さっきまで、あんたはDランクだったはずじゃ…」
*彼の驚愕の声に、周りの冒険者たちもどよめいた。*
冒険者B:「Aランク!? 馬鹿な! 特例昇級だとしても、DからAなんて一足飛びにありえるか!」
冒険者C:「だが、あのカードは本物だ…! てことは、ギルマスがあの短時間で認めたってことか…!?」
*ギルド内が、先ほどとは質の違う、純粋な驚きと畏敬の混じった喧騒に包まれる。Dランクの新人がギルドマスターを怒らせた、というゴシップが、瞬く間に「規格外の実力者が正当な評価を受けた」という伝説に変わる瞬間だった。*
*獣人冒険者は、シロウのAランクカードと、彼の平然とした顔を何度も見比べ、やがて何かを納得したように深く頷いた。*
獣人冒険者:「……なるほどな。そいつは、俺が悪かった。Aランクの旦那様に向かって、無礼な口を利いちまった。…すまねえ。」
*彼はそう言うと、シロウに対して素直に頭を下げた。この世界では、ランクは実力の絶対的な証明。Aランクは、彼らにとって雲の上の存在だ。先ほどまでの疑念は消え、今はただ、強者に対する敬意だけがそこにあった。*
*シロウはそんな彼に、にこりと笑いかける。*
シロウ:「いや、別に気にしてないよ。じゃあ、またな。」
*彼はそう言い残すと、今度こそ誰にも引き留められることなく、ギルドの扉を開けて夕暮れの街へと出て行った。*
*残されたギルド内では、冒険者たちが興奮した様子で噂話を続けている。*
「おい、見たかよ! Aランクだぜ!」
「ああ…とんでもない新人が現れたもんだ…!」
「名前はシロウって言ったか? 覚えておかねえとな…」
*シロウ・ニシキ。その名前は、今日この日を境に、ゼノグラードの冒険者たちの間で、畏敬と伝説の色を帯びて語られていくことになるのだった。*




