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*シロウがレイラを腕に抱いて「シーモンキー」の扉を開けると、カランコロンと寂れたベルが鳴った。昼間は閑散としていたロビーに、ランプの暖かい光が灯り、人の気配がする。*
*見ると、カウンターの近くにある古びたソファに、一組の老夫婦が座ってお茶を飲んでいた。二人とも、この島の喧騒とは無縁そうな、穏やかな雰囲気をまとっている。宿の主人と談笑していたようだ。シロウたちの姿に気づくと、三人が一斉にこちらを向いた。*
老婦人:「あら、まあ。お若い方たちもこちらのお宿に?」
*上品な微笑みを浮かべて、老婦人が話しかけてくる。隣の老紳士も、穏やかな目でこちらを見ている。どうやら彼らもこの宿の物好き…もとい、宿泊客のようだ。*
シロウ:「あ、こんばんは。」
*シロウは片腕でレイラを抱き直しながら、軽く会釈を返した。抱かれているレイラは、恥ずかしさからかシロウの胸に顔をうずめてしまっている。*
宿の主人:「おお、兄ちゃん! お帰り。そっちのお嬢ちゃんも見つかったんだな、良かった良かった。…ん? どうしたんだい、そのお嬢ちゃんは。怪我でもしたのか?」
*ぐったりしているレイラを見て、宿の主人が心配そうに尋ねてくる。カイやルーナたちもロビーの奥から顔を出し、「あ、お父さん! レイラお母様!」と駆け寄ってきた。*
カイ:「父さん、レイラ母さん、大丈夫だった!?」
ルーナ:「もう、どこ行ってたのー? 心配したんだからね!」
シロウ:「ごめんごめん。」
*シロウは心配して駆け寄ってきたカイとルーナに片手で軽く応えながら、穏やかに微笑んでいる老夫婦に視線を移した。彼らの温かい眼差しは、シロウがレイラを大切に抱きかかえている様子を見て、自分たちの若い頃を思い出しているかのようだ。*
*そんな中、宿の主人の心配そうな声が飛んでくる。*
シロウ:「ああ、ちょっと人混みで気分が悪くなったみたいでね。足がもつれちまったんだ。怪我はないよ、ただ疲れてるだけだ。」
*シロウはそう言って、抱きかかえているレイラの背中を優しくポンポンと叩く。ぐったりしているように見えるが、実際は先ほどの情事の疲れと、人前でお姫様抱っこされている羞恥心で固まっているだけだ。その証拠に、シロウの胸にうずめられたレイラの耳は真っ赤に染まっている。*
カイ:「そ、そうだったんだ…。良かった、無事で。」
ルーナ:「もう、レイラお義母様ったらドジなんだからー。でも、お父さんが見つけてくれて良かったね!」
*カイはホッと胸をなでおろし、ルーナはケラケラと笑っている。老夫婦もそのやり取りを見て、さらに笑みを深くした。*
老紳士:「はっはっは、仲睦まじいことで何よりですな。我々も若い頃を思い出しますわい。」
老婦人:「ええ、本当に。素敵な旦那様で、奥様はお幸せですね。」
*老夫婦の言葉に、シロウの腕の中でレイラの体がビクッと硬直したのが分かった。*
シロウ:「はは、ありがとうございます。それじゃ、俺たちは部屋に戻って休ませますね。お騒がせしました。」
*シロウは皆にそう言うと、気まずそうにしているレイラを抱えたまま、ギシギシと音を立てる階段を上り、自分たちの部屋へと向かった。*
ーー
*翌朝。*
*コーラリア島の爽やかな朝日が、古びた宿「シーモンキー」の窓から差し込む。部屋には潮の香りと、木の香りが混じり合った心地よい空気が流れていた。*
*そんな中、シロウはふと意識を覚醒させた。何か、柔らかく、温かいものが左右から身体に押し付けられている感触。左からはふわりとした控えめな膨らみと、甘いミルクのような香り。右からはそれよりも少し小さいながらも、弾力のある感触と、高貴でいてどこか甘酸っぱいような香り。*
*ゆっくりと目を開けると、案の定、布団の両サイドには二人の妻がぴったりとくっついていた。左にはルミナが、右にはレイラが、それぞれシロウの腕に抱きつくようにして、すーすーと幸せそうな寝息を立てている。昨夜の情事の疲れもあってか、二人とも深い眠りについているようだ。*
*シロウはそんな二人の愛しい寝顔を見て、思わず苦笑する。昨夜はレイラを部屋に連れ帰った後、待ち構えていたルミナから「お兄ちゃんだけずるい!」とばかりに甘えられ、結局三人で川の字になって眠りについたのだった。*
*柔らかい感触の正体は、二人の胸だった。*
シロウ:「(やれやれ、幸せな目覚めだな…)」
*昨夜の激しい情事と、今朝の穏やかな時間。そのギャップに、シロウは満ち足りた気持ちで微笑んだ。*
シロウ:「(だが、起きれん…このまま、ルミナの寝顔でも見てるか…)」
*シロウは無理に起きることを諦め、身体を動かさないようにそっと息をついた。右腕にはレイラの柔らかな感触、左腕にはルミナのふわりとした感触。どちらも心地よく、このままずっとこうしていたいと思わせる幸福な重みだ。*
*シロウは視線を左、ルミナの方へと向ける。白い肌に、さらりとした銀髪が数本かかっている。閉じられた長い睫毛がぴくりともせず、規則正しく穏やかな寝息を立てていた。時折、むにゃ…と何か寝言を言っているようにも見える。シロウの腕をぎゅっと抱きしめ、安心しきったその寝顔は、熾天使だった頃の威厳など微塵も感じさせない、ただの愛しい少女の顔だった。*
シロウ:「(本当に、無防備な顔して寝るよなぁ…)」
*普段、自分以外には決して見せないこの無垢な寝顔を独り占めできることに、シロウは優越感と深い愛情を感じる。そっと指先で、彼女の頬にかかった髪を払ってやろうとした、その時だった。*
*シロウの右腕に、もぞ…と何かが動く感触。視線を右に移すと、今まで静かに寝ていたはずのレイラが、薄目を開けてじっとこちらを見ていた。その瞳はまだ眠そうに潤んでいるが、明らかに意識は覚醒している。*
*そして、シロウがルミナの寝顔をじっと見つめていたことに気づいたのか、その表情がむすっと不機嫌そうに歪んだ。*
レイラ(魔王女):「……。」
*レイラは何も言わず、シロウの腕を抱きしめる力をぐっと強めると、まるで当てつけのように、その胸元に自分の顔をぐりぐりと押し付けてきた。*
シロウ:「(お、起きたか)」
*ルミナからレイラへと視線を移す。むすっとした表情で、拗ねた子供のようにシロウの腕に顔をぐりぐりと押し付けている。閉じた瞼がぴくぴくと震えているのを見るに、おそらくは狸寝入りだろう。*
*昨夜、チンピラに絡まれて弱っていた姿。空腹を満たし、無心で肉串を頬張る姿。そして、埠頭で欲望のままにシロウを求め、淫らに喘いでいた姿。その全てが脳裏に蘇る。普段の傲岸不遜な魔王女の姿と、シロウにだけ見せる無防備で愛らしい姿のギャップが、たまらなく愛おしい。*
シロウ:「(これもまた、可愛い顔して寝るもんだ)」
*そのむくれた頬をつついてやりたい衝動に駆られるが、それをすれば本当に起きてしまい、朝から騒がしくなるのは目に見えている。シロウは苦笑しながら、そっと息を殺してレイラの寝顔を観察することにした。*
*規則正しい寝息に合わせて、小さな胸が上下している。腕に伝わる柔らかな感触と、彼女特有の甘酸っぱい香りに、再び身体の奥が疼き始めるのを感じる。*
*すると、狸寝入りを続けていたレイラの瞼がゆっくりと持ち上がり、潤んだ真紅の瞳がシロウを捉えた。その瞳は「なぜルミナばかり見ていたのだ」と、雄弁に訴えかけていた。*
レイラ(魔王女):「……。」
*言葉はない。だが、その視線だけで、彼女の嫉妬と独占欲が痛いほど伝わってくる。レイラはシロウの視線から逃げるように、再びその胸に顔をうずめると、今度は腕だけでなく、脚まで絡ませてきた。まるで、全身でシロウを独り占めしようとするかのように。*
*シロウが狸寝入りを続けるレイラの寝顔を微笑ましく眺めていると、突然、レイラが動いた。彼女はシロウの腕を抱きしめていない方の手で布団の端を掴むと、バサリ、と勢いよくそれを捲り上げ、シロウと自分自身の頭をすっぽりと覆い隠してしまった。*
*突然、視界が薄暗くなる。外の光が遮断され、布団の中は二人だけの閉鎖的な空間になった。すぐ目の前には、潤んだ真紅の瞳でこちらをじっと見つめるレイラの顔がある。*
レイラ(魔王女):「…ルミナばかり、見るな…♡」
*拗ねたような、甘えたような声で囁くと、レイラはシロウの返事を待たずに、その唇に自分の唇を重ねてきた。*
レイラ(魔王女):「んっ…♡」
*それはまるで、熟した果実のように柔らかく、甘い感触。昨夜の激しい情事の名残を残しつつも、朝の微睡みの中でのキスは、驚くほど優しく、穏やかだった。シロウの腕の中で安心して眠っていた彼女自身の甘い香りと、シロウの残り香が混じり合い、二人だけの空間を満たしていく。*
*レイラはシロウの唇を啄むように、ちゅ♡、ちゅ♡と短いキスを繰り返す。そのたびに、くすぐったいような、心地よい痺れがシロウの全身に広がっていく。それは、昨夜とはまた違う、心まで溶かしてしまいそうな、甘く幸せな感触だった。♡*
*シロウはなすすべもなかった。なにせ、両腕はルミナとレイラによってがっちりとホールドされており、身じろぎ一つできないのだ。*
*布団の中に作られた二人だけの薄暗い空間。目の前には、少し拗ねたような、それでいて独占欲に満ちたレイラの顔。彼女はシロウの唇を塞ぐと、まるで昨夜の続きをするかのように、ねっとりと舌を絡めてきた。*
レイラ(魔王女):「んちゅ…♡ れろ…♡ んん…♡」
*音は布団に吸収され、外にはほとんど漏れていないだろう。隣で眠るルミナを起こさないようにという、レイラなりの配慮なのか、それともこの背徳的な状況を楽しんでいるのか。柔らかい舌がシロウの舌に絡みつき、口内を優しく、しかし丹念に探るように動き回る。*
*甘い。レイラ自身の甘い香りと、微睡みの中の優しいキス。それはシロウの理性をゆっくりと蕩かしていく、心地よい毒のようだった。シロウは抵抗するのをやめ、目を閉じて、この甘美な「おはようのキス」を受け入れた。*
*しばらくの間、ねっとりとした水音だけが布団の中に響く。やがて、名残惜しそうに唇が離れると、二人の間にはきらりと銀の糸が引いた。*
レイラ(魔王女):「…これで、妾のほうが先だ…♡」
*満足そうに、そして勝利を宣言するかのように囁くと、レイラはシロウの胸に再び顔をうずめ、何事もなかったかのように目を閉じた。しかし、その口元が微かに綻んでいるのを、シロウは見逃さなかった。*
*シロウがレイラの勝利宣言に内心で苦笑していると、今度は左腕がくいくいっと強く引かれた。レイラとのキスで少し浮いていた身体が、左側へとぐっと引き寄せられる。*
*見ると、今まで静かに寝ていたはずのルミナが、ぱっちりと目を開けてこちらを見ていた。その蒼氷色の瞳は、明らかに「自分だけずるい」と訴えている。どうやら、布団の中で繰り広げられたレイラの行動に気づいていたらしい。*
*ルミナは何も言わず、シロウの腕を引くと、レイラが作った布団のドームの中に、するりと自分の頭も滑り込ませてきた。*
*これで、布団の中はシロウ、レイラ、ルミナの三人だけの、さらに狭く、密着した空間になった。*
ルミナ:「お兄ちゃん…♡」
*甘く、しかし少しだけ拗ねたような声で囁くと、ルミナはレイラに対抗するように、シロウの唇へと自分の柔らかい唇を重ねてきた。*
ルミナ:「んっ…♡ ちゅ…♡」
*レイラのキスが独占欲に満ちた甘いものだったとすれば、ルミナのキスは純粋な愛情と、少しの嫉妬が混じった、とろけるように甘いものだった。シロウの腕を掴んだまま、身動きの取れないシロウの唇を、ルミナはゆっくりと、そして深く味わうように貪っていく。*
*隣からは、自分の獲物を横取りされたレイラの、不満そうな「むー…」という唸り声が微かに聞こえてくる。しかし、そんなことはお構いなしに、ルミナは「おはよう」の挨拶を、ねっとりとした甘いキスでたっぷりとシロウに刻みつけていくのだった。♡*
シロウ:「こらこら、二人とも。」
*シロウが小声で二人を窘めても、甘い朝の戯れは止まらない。レイラが満足げに胸に顔をうずめたかと思えば、今度はルミナが嫉妬混じりのキスを仕掛けてくる。両腕をがっちりとホールドされ、身動き一つ取れないシロウは、朝から愛する二人の激しい愛情表現をその身に受け止めるしかなかった。*
*そんな、甘く幸せで、少しだけ困った状況が繰り広げられていた、その時だった。*
*バサッ!!*
*突如として、彼らを覆っていた布団が、何者かの手によって勢いよく剥ぎ取られた。暖かい空気が逃げ、少しひんやりとした朝の空気が肌を撫でる。そして、遮られていた朝日が眩しく目に飛び込んできた。*
シルフィ:「もー! シロウさまったら、いつまで寝てるんですかー! 朝ごはん、食べに行きますよーっ!」
*布団を剥いだ犯人は、仁王立ちで見下ろすシルフィだった。彼女は腰に手を当て、ぷくーっと頬を膨らませている。その視線の先には、非常に気まずい光景が広がっていた。*
*中央にはシロウ。その右腕にはレイラが抱きつき、脚まで絡ませて離れようとしない。左腕にはルミナがしがみつき、同じく脚を絡めている。まるで、シロウを自分だけのものだと主張するかのように、二人はがっちりと彼を固定していた。*
*シルフィの能天気な声とは裏腹に、その場の空気は一瞬で凍り付く。*
シルフィ:「あれ…? シロウさま、なんだか大変なことになってませんか…?」
*ようやく状況を理解したのか、シルフィは首をこてんと傾げ、不思議そうな顔で三人の姿を交互に見つめた。その純粋無垢な瞳が、今のシロウには何よりも痛かった。*
*見れば、部屋にはカイやルーナたちの姿はなく、どうやら先に朝食を食べにレストランへ向かったようだった。*
*シルフィの登場で、地獄絵図(あるいは天国絵図)が衆目に晒される。その気まずさに、さすがのレイラもパッとシロウから身体を離し、布団の上にちょこんと座り直してそっぽを向いた。耳まで真っ赤になっているのが、彼女の羞恥心を物語っている。*
*しかし、もう一人は違った。ルミナはシロウの左腕を掴んだまま、ぎゅっと抱きつき、まったく離れようとしない。むしろ、シルフィに見せつけるかのように、さらに強く抱きしめてくる。*
シロウ:「た、助かった…」
シロウ:「ルミナさん?離してくれないと着替えれないなぁ…」
*シロウが困ったように、しかし優しくルミナに語りかける。すると、ルミナはシロウの胸に顔をうずめたまま、拗ねた声で答えた。*
ルミナ:「やだ。…お兄ちゃんは、ルミナだけのものだもん…」
*その言葉に、今しがた離れたばかりのレイラがピクリと反応する。*
レイラ(魔王女):「なっ…何を言うか、この元天使が! シロウは妾の夫だぞ!」
ルミナ:「レイラには関係ない。お兄ちゃんは私の『お兄ちゃん』なの」
レイラ(魔王女):「ぬぅ…! 言葉遊びを…!」
*二人が火花を散らし始める横で、シルフィはまだ状況が飲み込めていないのか、きょとんとした顔で三人のやり取りを眺めている。*
シルフィ:「えーっと…? シロウさま、もしかして寝ぼけてる二人を介抱してたんですか? さすがシロウさま、お優しいですね!」
*シルフィの超ポジティブな解釈に、シロウは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。その一方で、ルミナはシロウの腕を解放する気配は微塵もない。*
*シロウの助けを求める声(?)に、ようやく事態の深刻さ(?)を理解したシルフィが動いた。*
シルフィ:「もー、ルミナちゃんもダメですよー! シロウさまが困ってます!」
*シルフィは「えいっ!」という可愛らしい掛け声と共に、シロウにがっちりと抱き着いているルミナを、いとも簡単にひょいと剥がした。精霊王の腕力は見た目によらず強力だ。*
ルミナ:「あっ…! ちょっと、シルフィ! 邪魔しないで!」
シルフィ:「はいはい、駄々こねないの。シロウさまも着替えられないでしょ? ほら、ルミナちゃんもお着替えしますよー」
*シルフィは不満げにジタバタするルミナを軽々と抱え上げると、てきぱきと服を着替えさせ始めた。その間に、シロウもようやく解放され、急いで身支度を整える。*
シロウ:「お、おお。助かる…?」
*なんだか釈然としない助かり方だったが、ともかく自由になれたことに安堵する。レイラは少し離れた場所で、腕を組んでツンとしながらも、ちらちらとこちらの様子を窺っていた。*
***
*身支度を終えた一行は、ようやく宿のレストランへと向かった。そこには既にカイたちが席に着き、朝食を楽しんでいた。*
*しかし、シロウが安息の時間を得ることはできなかった。レストランに着くやいなや、彼の両腕は再び定位置へと収まってしまったのだ。*
*右手には、先ほどの意趣返しか、シロウの腕にぴったりと寄り添うレイラ。*
*左手には、シルフィから解放された途端にシロウの腕を確保したルミナ。*
*二人はシロウの腕をがっちりと掴み、互いを牽制するように「フン」「……」と火花を散らしている。その異様な光景に、周りの客が少し遠巻きに見ていることに、シロウは気づかないふりをした。*
*シロウ、レイラ、ルミナ、シルフィの四人がレストランに入ると、先に席に着いていたカイとルーナがすぐに気づいて手を振った。リーシアとステラは部屋で休んでいるようだ。*
カイ:「父さん、こっちこっち!」
ルーナ:「パパおっはー。って、朝から両手に花だねぇ。役得役得」
*ルーナがニヤニヤしながらからかってくる。カイは微笑ましそうに見ているが、周囲の客は違う。家族連れは「あの人、娘さんたちに好かれてるのねぇ」と微笑み、若いカップルは「え、姉妹丼…?」「いやいや、兄妹でしょ」とひそひそ話している。店員も注文を取りに来るべきか迷っているようだ。*
*シロウは二人が座っている四人掛けのテーブルに向かうが、問題が発生した。両サイドをレイラとルミナに固められているため、椅子に座れないのだ。*
シロウ:「近いんだけど…」
*シロウが困ったように呟くと、二人はむっとした顔で互いを見やった。*
レイラ(魔王女):「妾が先にシロウの隣に座るのだ。お前は向かい側に座れ、元天使」
ルミナ:「やだ。私がお兄ちゃんの隣。レイラこそ向かいに行けば?」
*二人は一歩も譲らない。腕を掴む力はさらに強まり、シロウの腕はミシミシと悲鳴を上げそうだ。*
シルフィ:「もー、二人とも! ご飯が食べられないじゃないですか! こうなったら…!」
*見かねたシルフィが、再び「えいっ!」と二人をシロウから引き剥がした。そして、*
シルフィ:「シロウさまは私の隣ですっ!」
*と宣言し、空いていたカイの隣の席にシロウをぐいっと座らせ、自分はその隣にちょこんと座った。*
*結果、テーブルの片側にはカイ、シロウ、シルフィが並び、その向かい側に、不満そうな顔をしたレイラとルミナが並んで座るという、奇妙な席順になったのだった。*
*シロウの隣を確保したシルフィは、満面の笑みで胸を張る。その無邪気な行動のおかげで、シロウはようやく落ち着いて椅子に座ることができた。向かいの席では、レイラとルミナが不満そうに頬を膨らませているが、とりあえずは休戦といったところだろう。*
*レイラが口にした「元天使」という物騒な単語に、周囲の客たちがざわつき、何人かがルミナの方をじっと見ている。しかし、シロウはその視線を意図的に無視し、目の前のメニューに意識を集中させた。ここで下手に反応すれば、余計に面倒なことになるのは目に見えている。*
シロウ:「あ、ありがとうシルフィ。」
*隣に座るシルフィに感謝を伝えると、彼女は「えへへー」と嬉しそうに笑った。*
シルフィ:「どういたしまして! これでゆっくりご飯が食べられますね、シロウさま!」
*その言葉通り、シロウはメニューを開いて朝食を選ぶことにした。パンとベーコンエッグのセット、新鮮な魚介を使ったスープ、フルーツたっぷりのパンケーキなど、リゾート地らしい食欲をそそる品々が並んでいる。*
*そんな中、向かいの席からじとーっとした視線が突き刺さる。*
ルミナ:「…お兄ちゃん。私の隣が良かった…」
レイラ(魔王女):「フン。妾の隣を断るとは、良い度胸だな、シロウ」
*どうやら、二人の機嫌はまだ直っていないらしい。カイは苦笑いを浮かべ、ルーナは「パパ、モテモテだねぇ」とスマホのような魔道具で写真を撮りながらニヤニヤしている。実に騒がしい朝食の始まりだった。*
*レイラの「妾は肉」という宣言通り、彼女の前には分厚いステーキが置かれている。ルミナは彩りも鮮やかな魚介のソテー、シルフィは山盛りのサラダとフルーツを幸せそうに頬張っている。三者三様の朝食風景は、もはや見慣れたものだ。*
シロウ:「俺はサンドイッチにするか。あとは、紅茶で。」
*シロウがそう言って近くの店員に注文を伝えると、向かいの席から再び視線が飛んでくる。*
レイラ(魔王女):「フン、肉を食べぬとは。それでよく戦えるものだな」
*自分は分厚いステーキをナイフとフォークで切り分けながら、レイラが得意げに言う。*
ルミナ:「お兄ちゃんはバランスを考えてるの。レイラみたいに肉ばっかり食べてるから、頭まで筋肉なんじゃない?」
*ルミナが冷静に、しかし棘のある言葉で反撃する。*
レイラ(魔王女):「なっ、なんだと、この元天使! 妾の頭脳はシロウの次、いや、カイの次に優秀だ!」
*なぜかカイを自分より上に置くあたり、母親としての評価が出ているようだ。二人がまた火花を散らし始めた横で、シルフィがのんきに声を上げた。*
シルフィ:「シロウさまー! このお野菜、とっても美味しいですよー! あーん、しますか?」
*シルフィが自分のフォークに刺した瑞々しい野菜を、にこにことシロウの口元に差し出してくる。その無邪気な行動に、レイラとルミナの視線が、今度はシルフィへと鋭く突き刺さった。*
*ルミナが冷静に、しかし的確にレイラを評した言葉――「頭まで筋肉」。そのあまりにも見事な表現に、シロウは耐えきれなかった。*
シロウ:「www頭まで筋肉…ww」
*ぶはっ、と吹き出すように笑い声が漏れる。一度ツボに入ってしまうともうダメだ。シロウは腹を抱え、肩を震わせて爆笑した。その様子に、テーブルの雰囲気が一変する。*
レイラ(魔王女):「なっ…! シ、シロウ!? 何がおかしいのだ! 妾は真剣に言っているのに!」
*自分の評価が笑いの種にされたレイラは、顔を真っ赤にして抗議する。しかし、シロウの笑いは止まらない。*
シロウ:「いやっ、はははっ! だって、『シロウの次、いや、カイの次に優秀だ』って…! 自分で自分の評価を下げてるじゃないか…! ぷっ、あはははは!」
*シロウの的確なツッコミに、レイラは「ぐぬぬ…!」とさらに言葉を詰まらせる。その悔しそうな顔が、またシロウの笑いを誘った。*
ルミナ:「ふふっ。お兄ちゃんもそう思うでしょ? やっぱりレイラは頭まで筋肉なのよ」
*してやったりと、ルミナは得意げに微笑む。その隣では、ルーナが「あーあ、レイラママ、パパにまで笑われてるー」とスマホ型の魔道具で動画を撮影している。カイは「あはは…母さん…」と困ったように笑うしかない。*
シルフィ:「えーっと…? みなさん、楽しそうですね! シロウさま、お野菜、本当に美味しいですよ? あーん♡」
*ただ一人、状況を理解していないシルフィが、にこやかにフォークに刺した野菜を再びシロウの口元に差し出す。その天然さに、今度はレイラとルミナの怒りの矛先がシルフィへと向かう。*
レイラ(魔王女)&ルミナ:「「シルフィ(/ちゃん)!!」」
*朝のレストランに、二人の怒声が響き渡るのであった。*
*シロウは、レイラとルミナの怒声が響く中、まるで意に介さないかのように、にこやかに口を開いた。*
シロウ:「んー、野菜も美味いな。」
*パクッ、とシルフィが差し出したフォークから野菜を食べる。その無防備な行動は、火に油を注ぐに等しかった。*
レイラ(魔王女):「シロウッ! 貴様、妾を笑いものにした挙句、その妖精女から餌付けされるとはどういう了見だ!」
ルミナ:「お兄ちゃんのバカ…! ルミナの気持ちも知らないで…!」
*二人の怒りは頂点に達し、レストラン中に響き渡る声でシロウを非難する。その剣幕に、周囲の客は完全に沈黙し、固唾を飲んでこの修羅場を見守っていた。特に男性客の一部からは、嫉妬と羨望を通り越して、もはや殺意にも似た敵意の視線がシロウに突き刺さっている。*
*そして、その大きな怒鳴り声は、別の悲劇を引き起こした。*
*離れた席でリーシアに抱かれてミルクを飲んでいたステラが、母親であるレイラの怒声に驚き、びくりと身体を震わせたのだ。*
ステラ:「ふぇ…ふえぇぇぇん…! うわあああん!!」
*静かだったレストランに、今度は赤ん坊のけたたましい泣き声が響き渡る。驚きと恐怖で泣き出してしまったのだ。*
*その声に、レイラはハッと我に返る。*
レイラ(魔王女):「す、ステラ!? し、しまった…! 妾のせいで…」
*さっきまでの怒りはどこへやら、レイラは血相を変え、慌ててリーシアとステラが座る席へと駆け寄っていく。一瞬にして鬼の形相から狼狽する母親の顔へと変わるレイラの姿に、シロウは頭を抱えるしかないのであった。*
*レイラの怒声に驚いて泣き出してしまったステラ。血相を変えたレイラが駆け寄るが、母親の焦りが伝わるのか、かえって泣き声は大きくなってしまう。*
リーシア:「レイラ様、お気持ちは分かりますが、一度落ち着いて…!」
レイラ(魔王女):「し、しかし! 妾のせいでステラが…!」
*狼狽するレイラと、あやすリーシア。その光景を見ていたシロウは、静かに席を立つと、泣きじゃくるステラのもとへ歩み寄った。*
シロウ:「リーシア、代わるよ」
*シロウはそう言うと、リーシアからステラをそっと受け取る。慣れた手つきで小さな体を抱きかかえ、背中を優しくトントンと叩き始めた。*
シロウ:「おー、よしよし。びっくりしたなー。大丈夫、大丈夫だぞー」
*低く、落ち着いた声で語りかける。シロウの安定した心音と、規則正しいリズムで背中を叩く大きな手が安心するのか、あれだけ激しく泣いていたステラのしゃくり上げる声が、次第に小さくなっていく。*
*ふぇ…、ひっく…、と小さな嗚咽を漏らしながらも、ステラはシロウの胸に小さな顔をすり寄せ、こてんと身体の力を抜いた。どうやら落ち着いてきたようだ。*
*その様子を見て、レイラは安堵の息を漏らすと同時に、夫に軽々と娘をあやされてしまい、母親として少しだけ悔しそうな、複雑な表情を浮かべるのだった。レストランの他の客たちも、先ほどの修羅場から一転、微笑ましい親子の光景に、どこか安堵したような空気を漂わせている。*
*シロウがステラを片手で抱きかかえ、慣れた様子で自分の席に戻ろうとすると、リーシアが慌てて声をかけた。*
リーシア:「シロウ様! そのような…! ステラ様は私がお預かりします。シロウ様はどうぞお食事を」
シロウ:「いいって。リーシアもまだ食事が終わってないだろ? 片手で食えるから問題ない」
*シロウはそう言ってリーシアの申し出を断ると、自分の席に戻った。空いていた片手で器用にサンドイッチを掴み、食べ始める。その腕の中では、ステラがきゃっきゃと楽しそうな声を上げていた。大きな父親の腕に抱かれ、高い視点から見るレストランの光景が珍しいのかもしれない。*
*その微笑ましい光景に、先ほどまで怒りと嫉妬の炎を燃やしていた二人の母親(と、もう一人)の心も、すっかり落ち着いてしまったようだ。*
レイラ(魔王女):「……フン。まあ、父親としての自覚はあるようだな」
*レイラはぶっきらぼうにそう言いながらも、その口元は微かに綻んでいる。自分の夫と娘が仲睦まじくしているのを見るのは、満更でもないらしい。*
ルミナ:「…お兄ちゃん、かっこいい…♡」
*ルミナは頬を赤らめ、うっとりとした表情でシロウを見つめている。先ほどの嫉妬はどこへやら、今度は父親としての一面にメロメロになっているようだ。*
シルフィ:「わー! シロウさま、イクメンってやつですね! 素敵ですー!」
*シルフィはよく分からない単語を口にしながらも、目をキラキラさせてシロウを賞賛している。*
*先ほどの修羅場が嘘のように、テーブルには穏やかで暖かい空気が流れる。周囲の客も、先ほどの敵意に満ちた視線から一転、微笑ましい家族(?)の食事風景を、温かい目で見守り始めたのだった。*
*シロウは片腕でステラをあやしながら、もう片方の手でサンドイッチを食べるという器用な芸当を続けていた。リーシアは恐縮していたが、シロウにとっては大したことではない。*
*ふと、シロウは指先に魔力を集中させる。すると、キラキラと輝く氷の結晶が空中に現れ、みるみるうちに形を変えていく。それは、小さな鳥や蝶、魚の形をした可愛らしい氷の彫刻だった。それらが互いにぶつからないように、ステラの頭上でゆっくりとくるくると回り始める。簡易的な魔法のメリーゴーランドだ。*
ステラ:「あぅ、きゃう♡」
*目の前で回るキラキラとしたおもちゃに、ステラは大喜びで小さな手を伸ばし、楽しそうな声を上げた。その愛らしい姿に、テーブルの誰もが顔をほころばせる。*
シロウ:「(店員に)すみません、このサンドイッチ、おかわりもらえますか」
*シロウはステラをあやしながら、平然と追加注文をする。その余裕綽々な父親ぶりに、向かいの席の二人は完全に毒気を抜かれていた。*
レイラ(魔王女):「……フン。子供の扱いだけは、一丁前だな」
*そう言いながらも、その目はシロウとステラの姿から離れない。その表情は、先ほどまでの怒りが嘘のように、穏やかで愛情に満ちている。*
ルミナ:「お兄ちゃん…本当に素敵♡ ステラだけじゃなくて、私にも魔法のおもちゃ、作ってほしいな…♡」
*ルミナは頬に手を当て、うっとりとシロウを見つめていた。その瞳は完全にハートマークになっている。*
カイ:「父さん、すごいな…。僕も今度、魔法でそんなおもちゃを作ってあげたいな」
ルーナ:「パパの女子力(?)たっか…。ていうか、ステラ、将来絶対ファザコンになるでしょ、これ」
*カイは感心し、ルーナは呆れながらもスマホ型の魔道具でその光景をしっかりと撮影している。先ほどの修羅場は完全に過去のものとなり、テーブルは和やかで幸せな空気に包まれていた。*
*シロウは片手でステラを抱き、もう片方の手でサンドイッチを食べ終えると、テーブルの隅に置かれていた島のパンフレットを手に取った。腕の中では、ステラが頭上でキラキラと回る氷のおもちゃに夢中で、きゃっきゃと楽しそうな声を上げている。その光景は、先ほどの修羅場が嘘のように平和そのものだ。*
*パンフレットを開くと、コーラリア島の魅力的なアクティビティが写真付きで紹介されていた。透き通る海でのスキューバダイビング、神秘的な鍾乳洞の探索ツアー、白い砂浜でのんびりと過ごすビーチリゾート、断崖絶壁からの絶景を楽しむトレッキングコースなど、選択肢は多岐にわたる。*
カイ:「わあ、すごいね父さん! スキューバダイビングだって。色とりどりの魚が見れるみたいだよ」
*カイが隣からパンフレットを覗き込み、目を輝かせた。科学への探求心は、未知の生態系にも向けられるらしい。*
ルーナ:「洞窟探索も面白そうじゃん? なんかお宝とか隠されてたりしないかなー。TRPGのノリでさ」
*ルーナはすっかり自分のペースを取り戻し、ゲーム感覚でパンフレットを見ている。*
レイラ(魔王女):「フン、下らん。体を動かすなら、魔物の一匹でも狩る方が有意義だ」
*レイラは興味がなさそうに言うが、その視線はチラチラとパンフレットに向けられている。*
ルミナ:「私は…お兄ちゃんと二人きりになれるなら、どこでもいいな…♡」
*ルミナはうっとりとシロウを見つめながら、甘い声を出す。*
シルフィ:「わー! 綺麗な景色がいっぱいですね! シロウさま、どこに行きたいですか?」
*シルフィが期待に満ちた瞳でシロウに問いかける。家族(?)からの様々な提案と期待が、パンフレットを眺めるシロウに集まっていた。*
シロウ:「TRPG…久しぶりにその言葉を聞いた。」
*シロウが何気なく漏らした「TRPG」という言葉。それは、この世界には存在しない、前世の記憶を持つ者だけが知る単語だ。その言葉に、一番に、そして唯一反応したのは、やはり彼女だった。*
ルーナ:「え…?」
*今までスマホ型の魔道具をいじりながらニヤニヤしていたルーナが、ピタッと動きを止める。その目は驚きに見開かれ、まっすぐにシロウに向けられていた。彼女の表情から、いつものからかうような態度は消え、純粋な驚愕と、そして微かな期待が浮かんでいる。*
ルーナ:「…パパ、今…なんて?」
*他の家族――カイもレイラもルミナもシルフィも、その単語の意味が分からず、きょとんとしている。カイは「てぃーあーるぴーじー…? 何かの魔法の呪文かい?」と首を傾げ、レイラは「意味の分からんことを言うな」と眉をひそめている。*
*しかし、ルーナだけは違った。彼女は身を乗り出し、まるで信じられないものを確認するかのように、シロウに問いかける。それは、自分以外にも同じ故郷を持つ者がいるのではないか、という切実な問いだった。*
*シロウがパンフレットから顔を上げると、真っ直ぐなルーナの視線とぶつかる。その瞳の奥に揺れる感情を、シロウは正確に読み取っていた。*
*ルーナが驚愕の表情で身を乗り出し、シロウに問いかける。レストラン内のざわめきが嘘のように、その一瞬、シロウとルーナの間には二人だけの緊張した空気が流れた。他の家族が不思議そうに二人を見つめる中、シロウはルーナの真っ直ぐな視線を受け止めると、ふ、と表情を和らげ、何事もなかったかのようにパンフレットに視線を戻した。*
シロウ:「さて、何処に行こうか。洞窟楽しそうだよな。」
*その言葉は、ルーナの問いかけに対する明確な「無視」だった。シロウはルーナの期待を意図的に逸らし、話をバカンスの計画へと戻したのだ。*
*その態度に、ルーナの表情が強張る。驚愕は失望へと変わり、そしてすぐに、いつものニヤニヤとしたポーカーフェイスの裏に隠された。しかし、その瞳の奥には、一瞬だけ寂しそうな色が揺らいだのを、シロウは見逃さなかった。*
ステラ:「あうー! きゃう♡」
*重くなりかけた空気を破ったのは、シロウの腕の中にいるステラの無邪気な声だった。彼女は父親が見ているパンフレットを小さな手で指さし、そこに描かれた色鮮やかな魚の絵を見て楽しそうに声を上げている。*
カイ:「洞窟か! 神秘的で面白そうだね。未知の鉱石とか、古代の壁画とか見つかるかもしれない!」
*カイはシロウの提案に目を輝かせて賛同する。彼の探求心は、洞窟という未知の空間に強く惹かれるようだ。*
シルフィ:「洞窟探検、わくわくしますね! シロウさまと一緒なら、どんな場所でも楽しいです!」
*シルフィも無邪気に賛成の声を上げる。*
レイラ(魔王女):「フン…洞窟か。まあ、退屈なビーチで寝そべっているよりはマシだな。強い魔物でもいれば良いが」
ルミナ:「…暗くて狭いところ…お兄ちゃんと二人きりになれるなら、いいかも…♡」
*レイラは不承不承といった体だが、まんざらでもない様子。ルミナはまた別の期待に胸を膨らませているようだ。シロウが巧みに話題を逸らしたことで、テーブルには再びバカンスの計画を練る、賑やかな雰囲気が戻りつつあった。ただ一人、ルーナだけが、静かにジュースを飲みながら、何かを考えるように黙り込んでいる。*
シロウ:「受付に行ってくるか、みんなは食べてていいからね。」
*シロウはそう言うと、腕の中で楽しそうにしているステラを抱っこしたまま、すっと席を立った。ルーナの問いかけを逸らし、家族の意見をまとめるために自ら行動を起こす。その自然な振る舞いに、誰も異を唱える者はいなかった。*
リーシア:「シロウ様、ステラ様は私がお預かりいたします!」
*リーシアが慌てて立ち上がり、申し出る。しかし、シロウは片手を軽く上げてそれを制した。*
シロウ:「大丈夫だ。それに、ステラも一緒に行きたそうだからな」
*シロウがそう言うと、腕の中のステラが「あう!」と肯定するかのように声を上げる。その様子にリーシアも納得し、深々とお辞儀をしてシロウを見送った。*
カイ:「父さん、気をつけてね」
シルフィ:「シロウさまー! いってらっしゃーい!」
*子供たちの声援を背に受け、シロウはステラを抱いたままレストランの出口、そして宿の受付カウンターへと向かって歩き出した。向かいの席では、レイラがぶっきらぼうに食事を再開し、ルミナはじっとシロウの後ろ姿を目で追いかけていた。そしてルーナは、意味ありげな表情で黙ったまま、自分のカップを見つめている。*
***
*レストランを出て、開放的なロビーにある受付カウンターへ向かう。朝の柔らかな日差しが差し込むロビーは、チェックアウトする客や、これからアクティビティに出かける客で賑わっていた。*
受付嬢:「はい、シーモンキーへようこそ。ご宿泊のシロウ・ニシキ様ですね。本日はどのようなご用件でしょうか?」
*受付の女性が、にこやかな笑顔でシロウと、その腕に抱かれたステラを見て尋ねてきた。*
シロウ:「洞窟探索の受付は何処でしたらいい?」
*シロウがステラを抱っこしたまま尋ねると、受付の女性はにこやかな笑顔を崩さずに、丁寧にお辞儀をした。*
受付嬢:「はい、洞窟探索ツアーですね。そちらのアクティビティは、私どもで受付を承っております。ご参加でよろしかったでしょうか?」
受付嬢:「ツアーは午前と午後の二回ございまして、午前は10時から、午後は14時からとなっております。どちらになさいますか?」
*女性はカウンターの下から一枚のパンフレットを取り出し、シロウに見せる。そこには、洞窟の入り口の写真や、内部の神秘的な地底湖、発光する苔などが掲載されていた。*
受付嬢:「専門のガイドが同行いたしますので、安全にお楽しみいただけますよ。ただ、洞窟内は足元が滑りやすい場所もございますので、小さなお子様をお連れの場合は、抱っこ紐などをご用意いただくことをお勧めしておりますが…」
*受付嬢はシロウの腕の中で楽しそうにしているステラを見て、少し心配そうな顔で付け加えた。*
シロウ:「そうだな、10時にしておくか。」
*ちょうどいい時間だと判断し、シロウは午前のツアーを予約することに決めた。現在時刻は8時過ぎ。朝食を終えて準備をするには十分な時間がある。*
シロウ:「大丈夫、ステラは俺が抱っこしてるから。」
*受付嬢の心配をよそに、シロウは片手でステラを軽く揺らしながら平然と答える。その腕の中で、ステラはきゃっきゃと声を上げており、不安がる様子は全くない。その堂々とした態度と、子供の懐きっぷりに、受付嬢はプロの笑顔を浮かべつつも内心で驚いていた。*
受付嬢:「かしこまりました。では、午前10時からの洞窟探索ツアー、大人7名様、お子様1名様でご予約を承りますね。」
受付嬢:「料金はツアーガイド料込みでお一人様、銀貨2枚となっております。お子様は無料です。合計で金貨1枚と銀貨4枚となりますが、お支払いはどうなさいますか?」
*受付嬢は手際よく予約伝票を作成しながら、シロウに確認する。*
シロウ:「現金で。」
*シロウはそう言うと、懐から金貨を2枚取り出し、カウンターの上に置いた。お釣りはチップというわけだ。その気前の良さに、受付嬢は一瞬目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。*
受付嬢:「ありがとうございます! では、金貨2枚、確かにお預かりいたしました。こちらがツアーの参加証でございます。10時前に、こちらのロビーにお集まりください。ガイドがお迎えに上がります」
*女性は金貨を受け取ると、7枚のカードと1枚の子供用パスをシロウに手渡した。*
受付嬢:「シロウ様と皆様の、素敵な思い出作りのお手伝いができますことを、心より嬉しく思います。どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ」
*受付嬢は深々と頭を下げた。シロウは参加証を受け取ると、片手でひらりとそれを見せ、腕の中のステラに優しく微笑みかける。*
シロウ:「良かったな、ステラ。洞窟探検だぞ」
ステラ:「あう! きゃっ♡」
*ステラは父親の言葉が分かったかのように、嬉しそうに声を上げた。シロウはその小さな頭を撫でると、踵を返し、家族が待つレストランへと戻っていく。その背中を、受付嬢はうっとりとした目で見送っていた。*
*シロウは受付嬢とのやり取りを終え、家族が待つレストランへと踵を返した。腕の中では、ステラが父親に抱かれている安心感と、これから始まる冒険への期待感からか、ご機嫌な様子で「あうー」と声を上げている。*
*レストランのテーブルに戻ると、ちょうど皆の食事が終わりかけていた。シロウの姿を認めると、カイとシルフィがぱっと顔を上げる。*
シロウ:「10時で予約してきたから。落ち着いたら向かうぞ。」
*その言葉に、皆がそれぞれの反応を見せた。*
カイ:「わかったよ、父さん! 楽しみだな!」
シルフィ:「はーい! 準備万端です、シロウさま!」
*カイとシルフィは素直に喜び、わくわくした表情を浮かべる。*
レイラ(魔王女):「フン、分かった。さっさと準備を済ませるぞ」
*レイラはぶっきらぼうに言いながらも、その瞳には冒険への期待が宿っている。*
ルミナ:「10時ね…。お兄ちゃんと洞窟で二人きりになれる時間、あるかな…♡」
*ルミナは頬を赤らめながら、不純な動機を隠そうともしない。*
リーシア:「かしこまりました。皆様のお荷物を準備いたしますね」
*リーシアはてきぱきとメイド長の仕事に戻ろうとする。*
*ただ一人、ルーナだけが、少し離れた席で静かにジュースを飲んでいた。シロウの言葉に小さく頷きはしたが、その表情はどこか考え込んでいるようで、いつものような軽口は叩いてこなかった。先ほどの「TRPG」の一件が、まだ彼女の中で尾を引いているようだった。*
*シロウは、意味ありげに黙り込むルーナの様子が少し気になったが、今はバカンスを楽しむのが先決だと判断し、敢えて触れないことにした。彼女には彼女のペースがあるのだろう。ルミナのあからさまなアピールも、今はスルーしておくのが吉だ。*
***
*朝食を終え、一度部屋に戻って動きやすい服装に着替えた一行は、約束の時間の少し前にロビーへと集まった。シロウの腕の中では、ステラが新しい冒険にわくわくしているのか、手足をばたつかせている。*
*ロビーには、シロウたちと同じように洞窟探索ツアーに参加するであろう家族連れが何組か集まっていた。小さな子供を連れた夫婦や、年頃の兄妹、友人同士と思われるグループなど、様々だ。彼らは、絶世の美貌を持つ女性たちを何人も連れ、さらに赤ん坊まで片手で抱っこしているシロウの姿を見て、遠巻きにひそひそと噂話をしている。*
ガイド:「はーい、皆様、お集まりいただきありがとうございます! これから皆様を神秘の洞窟、『青の聖域』へご案内する、ガイドのマルコでーす! よろしくお願いしまーす!」
*そこへ、日に焼けた肌に人の良さそうな笑顔を浮かべた、快活な男性ガイドが現れた。彼は手に持った小さな旗を振りながら、大きな声で挨拶をする。*
マルコ:「洞窟の中は少しひんやりして、足元も滑りやすいから気をつけてね! でも大丈夫、この僕が安全にエスコートするから! それじゃあ、準備はいいかな? レッツゴー!」
*マルコの陽気な掛け声と共に、ツアーの一行は宿の裏手にある専用の道へと歩き始めた。シロウたちの、コーラリア島での最初の冒険が、今始まろうとしていた。*
*陽気なガイドのマルコに導かれ、ツアーの一行は緑豊かな小道を進んでいく。洞窟の入り口は、うっそうとした木々に囲まれた岩壁に、ぽっかりと口を開けていた。入り口からは、ひんやりとした空気が流れ出してきている。*
*シロウは、ステラを抱っこしながら、足元に意識を集中させた。マルコが言っていたように、洞窟内は足元が悪い可能性がある。万が一、ステラを抱いたまま転ぶわけにはいかない。*
*彼はごく僅かな魔力を足元で練り上げ、自身の足のサイズに合わせた極薄の魔力板を靴底に形成した。それはまるで、スケート靴のブレードのように地面をしっかりと捉え、滑りを防ぐアンカーの役割を果たす。魔力操作に長けたシロウだからこそできる芸当であり、その存在に気づく者は誰もいない。*
マルコ:「さあ、みんな! ここからが本番だよ! 洞窟の中は外とは別世界! 感動の準備はいいかい? ライトは僕が用意するから、足元にだけは十分気をつけてついてきてねー!」
*マルコはそう言うと、カンテラに火を灯し、先頭に立って薄暗い洞窟の中へと入っていく。他の家族連れも、期待と少しの不安が入り混じった表情で後に続いた。*
*シロウも一行の最後尾に位置取り、レイラたちを先に行かせてから、ゆっくりと洞窟に足を踏み入れた。足元の魔力板が、湿った岩肌をしっかりとグリップするのを感じながら。腕の中のステラは、初めて見る薄暗い空間に興味津々といった様子で、きょろきょろと周りを見回している。*
*シロウは【暗視】のスキルを当然のように持っていた。この程度の暗闇なら、昼間と何ら変わらずに見通すことができる。しかし、ここで一人だけ明かりもなしに平然と歩いていれば、不審に思われるのは必至だ。特に、陽気なガイドのマルコや、他の家族連れの目がある。*
*(まあ、周りに合わせるか)*
*シロウは内心でそう呟くと、【暗視】スキルを意識的にOFFにする。途端に視界は暗転し、ガイドのマルコが持つカンテラの明かりだけが、頼りない生命線のように洞窟の壁を照らし出した。一気に広がる暗闇と、湿り気を含んだ冷たい空気が、冒険の始まりを告げている。*
*シロウはステラを抱く腕に力を込め、足元の魔力板の感触を確かめながら、慎重に一歩を踏み出した。*
マルコ:「どうだい、すごいだろ! この洞窟は数万年かけて、水の力だけで作られたんだ。壁を見てごらん、水が流れた跡が綺麗な模様になってるだろ?」
*マルコがカンテラを壁に向けると、まるで大理石のような滑らかな縞模様が浮かび上がる。ツアー客からは「おおー」という感嘆の声が漏れた。*
*シロウの隣を歩いていたカイが、興奮した様子で小声で話しかけてくる。*
カイ:「父さん、すごいね…! この地層、見たことがない鉱物が含まれているかもしれない。少しだけサンプルを採取してもいいかな…?」
*カイの探求心が、早くも顔を覗かせていた。腕の中では、ステラが暗闇に慣れてきたのか、カンテラの光が揺れるのを不思議そうに目で追っている。*
シロウ:「聞いてみたらいいさ。」
*シロウに背中を押され、カイは少し緊張した面持ちで、先頭を歩くガイドのマルコに駆け寄った。*
カイ:「あ、あの、マルコさん!」
マルコ:「ん? どうしたんだい、ボク?」
カイ:「ここの壁の石を、研究のために少しだけ…ほんの少しだけ、サンプルとして採取してもいいでしょうか…?」
*おずおずと尋ねるカイに、マルコは人の良さそうな笑顔で答えた。*
マルコ:「おー、いいねぇ! ボク、そういう探求心、大好きだよ! でもね、ごめんよ。この洞窟は島の聖域で、中のものを持ち出すのは禁止されてるんだ。この美しい自然を、未来の子供たちにも見せてあげたいからね」
マルコ:「でも、写真やスケッチなら大歓迎さ! たくさん記録して、すごい発見をしてくれよな!」
*マルコはカイの肩をポンと叩いて励ます。カイは少し残念そうな顔をしたが、すぐに納得して頷いた。*
カイ:「はい、わかりました! ありがとうございます!」
*シロウは、そのやり取りを微笑ましく見守っていた。社会のルールを学び、それを受け入れることも、カイにとっては重要な経験になるだろう。*
*一行はさらに奥へと進んでいく。道は徐々に下り坂になり、遠くから微かに水の音が聞こえ始めた。カンテラの光が、鍾乳石や石筍の作り出す幻想的な光景を照らし出していく。その自然の造形美に、ツアー客からは再び感嘆の声が上がった。*
*シロウは内心でほくそ笑む。ガイドのマルコは「持ち出し禁止」と言った。その言葉の裏を返せば、持ち出さなければ問題ない、ということだ。*
*(持ち出し禁止…つまり、持って出なければいい訳だ。この場で鑑定して、必要な情報を抜き取ったり、研究したりするのはセーフってことだな。まあ、この抜け道はわざわざ言う必要もないか)*
*もし本当に貴重な鉱物が見つかったとしても、その場で【鑑定】や【神眼】を使えば、組成や特性といったデータは全て抜き取れる。物理的に持ち出す必要すらない。そんな便利な抜け道を心に仕舞い込み、シロウは何も知らないふりをしてカイの肩を軽く叩いた。*
シロウ:「残念だったな、カイ。でも、ルールはルールだ。写真やスケッチで我慢しよう」
カイ:「うん、わかってるよ父さん。見るだけでもすごく勉強になるから!」
*カイは素直に頷き、再び興味深そうに壁の模様を観察し始めた。*
*一行がさらに進むと、道が開け、広大な地下空洞に出た。天井からは無数の鍾乳石がシャンデリアのように垂れ下がり、その下にはエメラルドグリーンに輝く地底湖が静かに広がっている。湖の水は驚くほど澄んでおり、水底まで見通せそうだ。カンテラの光が水面に反射し、洞窟全体を幻想的な光で満たしていた。*
マルコ:「ジャジャーン! どうだい、この景色! ここがこの洞窟のハイライト、『月の涙』と呼ばれる地底湖だよ! 昔々、月のお姫様が流した涙が溜まってできたっていう伝説があるんだ。ロマンチックだろ?」
*陽気なマルコの説明に、他の観光客たちはうっとりと息を呑む。レイラでさえ、その神秘的な光景には素直に感心しているようだ。*
レイラ:「フン…ただの水たまりではないか。だが…まあ、悪くはないな」
ルミナ:「綺麗…お兄ちゃん、見て。水の中に光る魚がいる」
シルフィ:「わぁ…! まるで宝石みたいです、シロウさま!」
*ルミナが指差す先には、体表を淡く発光させる小魚の群れが、優雅に泳いでいるのが見えた。シロウの腕の中のステラも、その光る魚を見て「あー、うー」と嬉しそうな声を上げ、小さな手を伸ばしている。*
*シロウの脳裏に、無機質なシステムメッセージが浮かび上がる。それは、彼の持つ固有スキル【鑑定】が、目の前で泳ぐ光る魚の情報を解析した結果だった。*
`【月光魚】`
`ランク:A`
`詳細:地底湖などの清浄な魔力が満ちた場所にのみ生息する希少な魚。`
`その鱗と内臓には強力な生命力が凝縮されており、最高級の回復薬である『エリクサー』の主原料となる。`
`市場に出回ることは極めて稀で、一匹あたり白金貨数枚で取引されることもある。`
*(エリクサーの材料…だと? こんな観光地に、そんなとんでもないものが普通に泳いでるのか…?)*
*内心の驚愕を押し殺し、シロウは腕の中のステラをあやすかのように優しく揺らしながら、感心したように声を上げた。ここで一人だけ異常な反応を示せば、ルーナあたりに即座に怪しまれるだろう。*
シロウ:「確かに凄い。ものすごく凄いな。自然が作り出した芸術って感じだ」
*彼はあくまで一般人の観光客として、この神秘的な光景に感動しているように振る舞う。しかし、その視線はちゃっかりと月光魚の群れを捉え、その数と動きを記憶に焼き付けていた。*
*(持ち出し禁止、ね…まあ、物理的に持ち出さなければいいんだよな。後でこっそり来て、何匹か【異空間収納】に“避難”させてやるか…)*
*そんな物騒なことを考えながらも、シロウの表情はあくまで穏やかだ。腕の中のステラは、きらきらと光る魚たちに夢中で、キャッキャと嬉しそうな声を上げている。その純粋な笑顔に、シロウも自然と頬が緩んだ。*
*(エリクサーの材料…後でこっそり来て【異空間収納】に、か…)*
*一瞬、悪魔の囁きが脳裏をよぎったが、シロウはすぐにその考えを振り払った。腕の中で無邪気に笑うステラの顔を見て、今は父親としての役割に徹しようと決める。*
*(いや、やめておこう。今日はバカンスに来たんだ。仕事や金儲けの話は忘れて、家族サービスに集中しないとな)*
*自分にそう言い聞かせ、シロウは月光魚への未練を断ち切った。今は、この幻想的な光景を純粋に楽しむべきだ。*
*一行は、地底湖のほとりを半周するように設けられた通路を進んでいく。マルコがカンテラをさらに奥へと向けると、滝のように水が流れ落ちる場所が見えてきた。*
マルコ:「さあ、どんどん行こう! この先にはね、もっと面白いものが見られるよ! 昔、この島に住んでいた古代人が描いた壁画があるんだ!」
*マルコの声に、カイが再び目を輝かせる。ルーナも「古代人!?」と興味を示し、スマホのような魔道具を構え直した。レイラは相変わらず興味なさそうに欠伸をしているが、ルミナとシルフィはシロウのそばを離れず、わくわくした様子でついてくる。*
*洞窟の奥から聞こえていた水の音は、その滝が発していたものらしい。湿気がさらに増し、岩肌を伝う水滴がキラキラと光っている。シロウは足元の魔力板が滑り止めとして完璧に機能していることを確認しながら、ガイドの後を追った。*
*滝の音と湿気が満ちる洞窟の奥、マルコがカンテラで照らし出した先には、確かに壁画があった。それは、これまで見てきた自然の造形美とは明らかに異質で、明らかに人の手によって描かれたものだった。赤や黒の染料で描かれたそれは、長い年月を経て所々が掠れ、色褪せている。*
マルコ:「ほら、見てごらん! これが古代人が残した壁画だよ! 何が描かれているかは専門家でも解読できていないんだけど、何かの儀式の様子じゃないかって言われてるんだ」
*カイや他の観光客が「へぇー!」と感心しながら壁画に近づく。ルーナは「古代文字とかないのー?」と言いながら、魔道具で熱心に撮影を始めた。*
*シロウも何気なく壁画に視線を向けた。そこに描かれていたのは、奇妙な衣装をまとった人々が、何かを崇めているような構図だった。しかし、その壁画の一番端、岩のくぼみになった目立たない場所に、明らかに他の絵とは筆跡も様式も違う、走り書きのような文字が刻まれていることに気づく。*
*(ん…?)*
*それは、この世界の文字ではなかった。シロウが前世で使っていた、見慣れた言語――日本語だった。彼は他のメンバーに気づかれないよう、さりげなくその文字に近づき、視線を走らせる。*
*(これは…日記か?)*
*壁に刻まれた、恨み節のような文章が目に飛び込んできた。*
`『転生して楽して美少女ハーレム出来るかと思ったらクソゲーじゃねぇか!ここに俺の理想の美少女を描いてやる!』`
*その文章の横には、稚拙ながらも情熱だけは感じられる、いわゆる「萌え絵」風の美少女のイラストが申し訳程度に描かれていた。長いツインテール、大きな瞳、フリルのついた服…。*
*シロウは数秒間、その場で固まった。腕の中のステラが「あう?」と不思議そうにシロウの顔を見上げる。*
シロウ:「…………。」
*(…同類、か。いや、俺はこんな赤裸々な願望を壁に刻んだりはしないが…)*
*予想外の場所で出会った、先人(?)の魂の叫び。シロウはなんとも言えない、同情と呆れが入り混じった複雑な表情を浮かべるしかなかった。美少女ハーレムを夢見て転生し、しかし現実は厳しく、せめてもの抵抗として洞窟の壁に理想を刻みつけて去っていった、名も知らぬ同郷の男。その哀愁に、シロウは心の中でそっと合掌した。*
*シロウは、先人(?)の魂の叫びが刻まれた壁画から静かに視線を外し、内心で盛大にため息をついた。期待していた古代の神秘は、ただの転生者の残念な願望だったらしい。*
シロウ:「(ただのダメ人間の洞窟じゃねぇか…アホくさ)」
*そんなシロウの視線の先で、同じように壁画を眺めていたルーナが、ピタリと動きを止めた。彼女もまた、あの走り書きに気づいたのだろう。その表情はみるみるうちに呆れ返ったものに変わっていく。*
*ルーナは、魔道具を構えるのも忘れ、こめかみをとんとんと指で叩きながら、シロウの方をちらりと見た。その目は雄弁に語っていた。「パパ、これ読めるよね? なんなの、この残念な先輩…」と。*
*シロウはルーナにだけ分かるように、小さく肩をすくめてみせる。「俺に言うな」という無言の返事だ。ルーナは「はぁ…」と深いため息をつき、一気に興味を失ったように壁画から顔を背けた。*
*そんな二人の内心を知る由もなく、ガイドのマルコは陽気に説明を続けている。*
マルコ:「この絵が何を表しているのか、今も研究が続けられているんだ! もしかしたら、この島の成り立ちに関する重大な秘密が隠されているのかもしれないね!」
*その言葉に、シロウとルーナは(もう答え、出てるんだけどな…)と、揃って生温かい視線をマルコに向けるのだった。*
カイ:「でも父さん、不思議だね。この部分だけ、なんだか描き方が違うみたいだ。文字のようにも見えるけど…見たことのない文字だ」
*カイが鋭く、日本語の落書き部分を指差す。シロウは内心ギクリとしたが、平静を装って答えた。*
シロウ:「ああ、そうだな。後から誰かがイタズラで書き加えたのかもしれないな」
*そう言って、シロウは自然な動作でカイの肩を抱き、壁画から引き離す。これ以上、この残念な遺産に注目が集まるのは避けたかった。*
*洞窟ツアーの一行は、再び太陽の光が降り注ぐ外の世界へと戻ってきた。洞窟内のひんやりとした空気から一転、南国の温かい潮風が頬を撫でる。陽気なガイドのマルコは、最後まで笑顔で一行を見送った。*
マルコ:「みんな、お疲れ様ー! 神秘の洞窟探検、楽しんでくれたかな? この後もコーラリア島をめいっぱい楽しんでいってねー!」
*他の観光客がマルコに挨拶をしながら散り散りになっていく中、シロウは大きなため息をついた。古代の神秘を期待していたのに、見つけたのは同類(?)の残念な遺言だった。肉体的な疲労はないが、精神的な疲労感がどっと押し寄せてくる。*
シロウ:「なんか、疲れた…心が。。」
*シロウはそう呟くと、腕の中で少し眠そうに目をこすっているステラを、そばにいたリーシアにそっと差し出した。*
シロウ:「リーシア、すまないがステラを頼む」
リーシア:「はい、シロウ様。お任せください」
*リーシアは慣れた手つきで優しくステラを抱きかかえる。ステラは母親代わりの温かい腕の中で、安心したように小さなあくびをした。*
ルーナ:「パパ、お疲れー。まさかあんなオチが待ってるとはねぇ…古代人のロマン、返してほしいんだけど」
*ルーナが、同じく呆れた顔でシロウの隣に並ぶ。彼女もまた、残念な壁画に精神をやられた一人だった。*
レイラ(魔王女):「フン、だから言ったのだ。たかが穴倉などに期待するからそうなる。妾は最初から退屈だったぞ」
*レイラは腕を組んでそっぽを向きながら言うが、その表情はどこかスッキリしているようにも見える。*
*洞窟ツアーの残念な結末に精神的な疲労を感じたシロウは、午後の予定を口にする。*
シロウ:「午後は…ビーチでのんびりするか…」
*その一言に、先ほどまで壁画の件で呆れ返っていたルーナが、ぱっと顔を輝かせた。彼女のオタク脳は、ビーチという単語を「水着イベント」に即座に変換したらしい。*
ルーナ:「ビーチ!? いいね、パパ! じゃあ水着買いに行こうよ、水着! 私、こっちの世界のトレンドとか全然知らないし! レイラママもルミナママも、新しいの買おうよ! シルフィさんとリーシアさんも!」
*ルーナはそう言うと、まるで宝探しでも見つけたかのように目をキラキラさせ、くるりと踵を返す。*
ルーナ:「よーし、まずはショップ探しからだ! 父さんたちは宿で待ってて! 私がイケてるお店、見つけてきてあげるから!」
*言うが早いか、ルーナはスキップでもしそうな勢いで、リゾートの商業エリアの方へと駆け出して行ってしまった。その背中は、先ほどまでの気だるさが嘘のように楽しそうだ。*
シルフィ:「わあ、水着ですか! 新しい水着、私も欲しいです! どんなのがいいかなぁ…」
ルミナ:「水着…お兄ちゃんに、一番似合うって言ってもらえるのを選ぶ…」
レイラ(魔王女):「フン、騒がしいやつめ。…まあ、妾に似合わぬ水着など存在せんがな」
*残された女性陣も、ルーナの提案にまんざらでもない様子だ。特にルミナは、シロウの好みを想像しているのか、頬を微かに赤らめている。レイラはそっぽを向いているが、その口元は少し緩んでいるように見えた。*
カイ:「ビーチか、いいね父さん! 砂のお城とか作ってみたいな」
*唯一、色恋とは無縁のカイが、純粋に海で遊ぶことを楽しみにしているようだった。*
*しばらくして、商業エリアを駆け回っていたルーナが、意気揚々と一行の元へ戻ってきた。その手には、お洒落なデザインのパンフレットが握られている。*
ルーナ:「おまたせー! パパ、みんな! すっごくいい感じのお店見つけてきたよ! 品揃えも豊富で、店員さんのセンスも良さそうだった! こっちこっち!」
*ルーナに先導され、一行はリゾートホテルのショッピングアーケードの一角にある、開放的で明るい雰囲気の店へとやってきた。店の名前は『Blue Coral』。店内には、色とりどりの水着やパレオ、ビーチサンダル、サングラスなどがセンス良く並べられている。*
*店に入った途端、女性陣の目の色が変わった。*
シルフィ:「わぁ…! 可愛い水着がいっぱい…! どれにしようか迷っちゃいますね!」
ルミナ:「…お兄ちゃんは、どんなのが好き…?」
レイラ(魔王女):「フン、下着と変わらぬような布切ればかりだな。だが…まあ、見てやらんでもない」
リーシア:「皆様、こちらなどはいかがでしょうか。肌の露出が控えめで、上品なデザインでございますよ」
*シルフィは目をキラキラさせながら様々なデザインの水着を手に取り、ルミナはシロウの好みをリサーチしようと上目遣いで尋ねてくる。レイラは相変わらずのツンデレだが、明らかに興味津々だ。リーシアはメイドらしく、控えめなデザインのものを皆に勧めている。*
*女性陣が水着選びに夢中になる中、カイは少し手持ち無沙汰そうに、子供用の浮き輪や砂遊びセットが置かれたコーナーを見ていた。*
カイ:「父さん、すごいね。いろんな種類の浮き輪があるよ。こっちにはシャチの形のもある」
*シロウは、そんなカイの隣に行き、女性陣の熱気に少し気圧されながらも、その様子を微笑ましく眺めるのだった。*
*女性陣が水着選びに熱狂する中、ルミナは数着の候補を手に、シロウの元へやってきた。彼女は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、シロウの袖をくいっと引く。*
ルミナ:「…お兄ちゃん」
シロウ:「ん? どうした、ルミナ」
ルミナ:「あのね…どれがいいかなって…。お兄ちゃんに、見てほしくて…」
*彼女が手にしているのは、タイプの違う3つの水着だった。*
*一つは、清純なイメージの白いフリルがついたビキニ。*
*一つは、少し大人びた雰囲気のネイビーのホルターネック。*
*そしてもう一つは、彼女の銀髪に映えそうな淡いブルーのワンピースタイプ。*
*(何でも似合うが、そういう意味では無いようだ…)*
*シロウは、ルミナの期待に満ちた上目遣いを受け止め、少し考える素振りを見せる。ここで「どれでも似合うよ」と答えるのは、一番やってはいけない選択だと彼は理解していた。*
*シロウはルミナが提示した三つの水着を順に見比べる。彼女の期待に満ちた、少し不安げな瞳がじっとこちらを見ている。ここで無難な回答は許されない。*
*(ルミナのイメージだと…やはり純白か。清楚な感じが一番似合うだろう)*
*そう判断し、シロウは一つの水着を指差した。*
シロウ:「これが似合うんじゃないか?」
*彼が指したのは、白いフリルがふんだんに使われた、清純な印象のビキニだった。その選択に、ルミナの表情がぱあっと明るくなる。*
ルミナ:「! うん…! お兄ちゃんが選んでくれた…!」
*嬉しそうにその水着を胸に抱きしめるルミナ。しかし、シロウはその時になって、デザインの細部に気づいた。フリルが多くて可愛らしい印象だったが、よく見るとビキニのボトムスのサイドが華奢な紐で結ぶタイプになっている。清楚さの中に、予想外の大胆さが隠されていた。*
*(…あれ、これ腰のところ、紐じゃん。思ったより際どいな…)*
*シロウが内心で少し焦っていると、その様子を見ていたレイラが、鼻を鳴らして横から口を挟んできた。*
レイラ(魔王女):「フン、貴様、中々見どころがあるではないか。ただの純粋な童女ではつまらんからな。そのくらい大胆な方が、妾のライバルとしては相応しい」
*なぜかレイラから評価されてしまった。*
シルフィ:「わー! ルミナちゃん、とっても素敵だと思います! きっとシロウさまも、ビーチでメロメロになっちゃいますよ♡」
*シルフィが純粋な笑顔でそう言うと、ルミナはシロウが選んだ水着をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にして俯いてしまった。*
ルミナ:「…うん。お兄ちゃんに、いっぱい見てもらう…♡」
*シロウがルミナの水着を選んでいる間に、他の女性陣もそれぞれの好みに合わせて水着を選んでいた。*
*レイラは、シロウがルミナに大胆なデザインを選んだことに触発されたのか、あるいは元々の気質か、漆黒の生地にゴールドの飾りがついた、かなり布面積の少ないビキニを手に取っていた。女王のような貫禄と、彼女の白い肌を際立たせるであろうその一着は、まさに魔王女に相応しい選択と言える。*
レイラ(魔王女):「フン…妾の美貌の前では、どのような意匠も霞むというものだが…まあ、このくらい派手でなければ、妾には釣り合わんな」
*シルフィは、自分のイメージ通り、花柄のフリルがたくさんついた淡いピンク色のワンピース水着を選んでいた。胸元はリボンで飾られ、スカートがふわりと広がるデザインは、彼女の持つ可憐で優しい雰囲気にぴったりだ。*
シルフィ:「どうでしょう、シロウさま?♡ 私には、こういう可愛らしいのが一番かなって…♡」
*彼女は試着室から出てきたかのように、シロウの前でくるりと一回転して見せる。*
*そしてリーシアは、メイド長らしく、派手さを抑えたネイビーのタンキニを選んでいた。お腹周りを隠すタンクトップと、ショートパンツタイプのボトムスは、動きやすさと品格を両立させている。彼女はステラのお世話や、皆のサポートをすることも考えて、この実用的なデザインを選んだのだろう。*
リーシア:「皆様のようには参りませんが、私もこれでビーチにお供させていただきます」
*彼女は穏やかに微笑み、手に持った水着をシロウに軽く示してみせた。三者三様の選択に、シロウはそれぞれの個性がよく表れているなと感心するしかなかった。*
*シロウは、自分に向けられるレイラの少し熱っぽい視線に気づいていた。そして、そのレイラに対抗するように、ルミナが一度は選んだ白いビキニをやめ、レイラと似た雰囲気の、黒く大胆なデザインのものに持ち替えたことにも。二人の間の火花が、水着選びの場ですら散っている。*
シロウ:「(気づかないフリ、気づかないフリ…)」
*ここでどちらかに肩入れすれば、もう一方がどうなるかは火を見るより明らかだ。シロウは賢明にもその視線と駆け引きから目を逸らし、黙って全員分の会計を済ませることにした。金貨数枚が飛んでいったが、女性陣の笑顔(と、これから見られるであろう水着姿)を思えば安いものだ。*
*一行は購入した水着を手に一度宿へ戻り、それぞれ着替えてから、目的のビーチへと向かった。シロウはシンプルな黒の海パンに、日焼け対策として長袖のラッシュガードを羽織っている。*
*たどり着いたビーチは、白い砂浜とコバルトブルーの海がどこまでも続く、まさに楽園のような光景だった。すでに多くの観光客が海水浴や日光浴を楽しんでおり、楽しげな声が潮騒に混じって聞こえてくる。*
*パラソルやビーチチェアが並ぶ一角に荷物を置くと、さっそく女性陣が上着を脱ぎ、選び抜いた水着姿を披露し始めた。*
シルフィ:「わーい、海ですー! シロウさま、見てください! この水着、やっぱり可愛いですよね?♡」
*シルフィは嬉しそうに、花柄のワンピース水着でくるりと回ってみせる。その無邪気な姿は、ビーチの太陽によく映えていた。*
カイ:「うわー、広いなー! 父さん、早速あっちで砂のお城を作ろうよ!」
*カイは目を輝かせながら、買ってもらったばかりの砂遊びセットを手に、波打ち際を指差した。*
*ビーチに到着し、女性陣が水着姿になる。シルフィは花柄のワンピース水着でシロウに可愛さをアピールしている。カイは砂遊びセットを手に、海へ行きたがっている。*
**シロウの視界の端で、周囲にいた他の男性客たちの視線が、明らかにシルフィの胸元に突き刺さっているのが見えた。花柄のワンピースは彼女の可憐さを引き立てているが、その下の豊かな膨らみまでは隠しきれていない。男性たちは、家族や恋人の手前、あからさまには見れないものの、チラチラと、あるいはガン見に近い視線を送っていた。**
シロウ:「うんうん、可愛い可愛い」
*シロウはそんな周囲の視線には気づかないふりをして、シルフィの無邪気なアピールに笑顔で応える。カイの純粋な誘いとシルフィの天真爛漫な姿に、洞窟での精神的疲労が癒されていくのを感じた。*
*(和むわぁ〜)*
*しかし、その平和な時間は長くは続かなかった。シロウの背後から、二つの対照的な、しかし等しく鋭いプレッシャーが放たれる。*
レイラ(魔王女):「…フン。シロウ、貴様、妾を待たせるとは良い度胸だな。その目は節穴か? この妾の完璧な姿が目に入らんのか!」
ルミナ:「…お兄ちゃん。ルミナも、着替えたよ。…見てくれないの…?」
*振り返ると、そこには対照的な二人の美少女が立っていた。*
*一人は、漆黒にゴールドの飾りが映える大胆なビキニを纏ったレイラ。小柄ながらも引き締まった体に、挑発的なデザインがよく似合っている。腕を組み、不満げに頬を膨らませているが、その視線は明らかに「妾を一番に見ろ」と訴えていた。*
*もう一人は、レイラに対抗して選んだのであろう、同じく黒を基調としながらも、胸元や腰回りに複雑なカッティングが施された、非常に扇情的なデザインのビキニを纏ったルミナ。普段の清楚な雰囲気とのギャップが凄まじく、恥ずかしさからか少し俯きながらも、潤んだ瞳で必死にシロウを見上げている。*
*平和な時間は、一瞬で修羅場へと変わった。*
**ビーチは白熱した視線の戦場と化していた。レイラとルミナがシロウを挟んで火花を散らし、シルフィは周囲の男性陣の視線を集めている。その状況を、シロウは当たり障りのない言葉でなんとか乗り切ろうとしていた。**
シロウ:「うんうん、二人とも可愛いよ〜。」
*その言葉は、火に油を注ぐだけの結果にしかならないことを、シロウはまだ知らない。案の定、レイラとルミナは「どっちが、より可愛いのだ!」「お兄ちゃんは、ルミナだけを見てればいいの!」と言い争いを始めようとした、その時だった。*
*一行の荷物が置いてあるパラソルの下から、すっと一人の女性が現れた。メイド長、リーシアだ。*
*彼女は、実用性を重視して選んだはずのネイビーのタンキニを身につけていた。しかし、その控えめなデザインは、逆に彼女の持つ規格外のスタイルを強調する結果となっていた。タンクトップの上からでも分かる、豊かな胸の膨らみ(Eカップ)。引き締まったくびれ。そして、ショートパンツから伸びる、しなやかで健康的な脚線美。グラマラスでありながら、どこか気品を漂わせるその立ち姿は、もはや芸術品の域に達していた。*
*そして、その完璧なスタイルの腕には、小さなステラが安らかに抱かれている。*
リーシア:「皆様、お待たせいたしました。ステラ様もお目覚めです」
*リーシアが穏やかに微笑んだ、その瞬間。*
*ビーチにいた、ほぼ全ての男性客の視線が、一斉にリーシアへと突き刺さった。シルフィを見ていた男たちも、恋人と談笑していた若者も、家族サービス中だった父親も、例外なく全員が。*
*「グラマラスな美女」と「可愛い赤ちゃん」という、男性の本能を二方向から激しく揺さぶる最強のコンボ。それは、レイラやルミナの放つ個人的な魅力とは質の違う、抗いがたい引力を持っていた。さっきまでシルフィをガン見していた男たちは、今や口を半開きにしてリーシアに釘付けになっている。*
*レイラとルミナの間の緊張感に満ちた空気は霧散し、二人は呆然とその光景を見ていた。*
レイラ(魔王女):「なっ…!? いつの間に…リーシアのやつ、全ての視線を独り占めにしおって…!」
ルミナ:「……リーシア、すごい。でも、お兄ちゃんの視線はルミナだけのもの…」
*リーシアの登場で、ビーチの視線は完全に一点集中した。その圧倒的な存在感に対し、シロウはまるで当然のことのように言い放つ。*
シロウ:「当たり前だろ?」
*その短い言葉には、「うちのメイド長が美しいのは当然だ」という絶対的な信頼と、ある種の諦観が滲んでいた。シロウの感性からすれば、リーシアの美しさは客観的な事実ではあっても、彼の恋愛感情を揺さぶるものではない。それは、美術館で名画を鑑賞する感覚に近い。*
*(確かにリーシアは美人だが、俺の感性の範囲外だ)*
*内心でそう区切りをつけ、シロウは人々の視線の中心にいるメイド長へと歩み寄る。*
シロウ:「リーシア、ステラ預かるよ。しばらくレイラの事頼むよ。」
*彼は優しく、しかし手慣れた様子でリーシアからステラを抱き取った。ステラは父親の腕の中で、きゃっきゃと嬉しそうに声を上げる。そして、シロウはリーシアに意味深な視線を送った。レイラがこれ以上暴走しないよう、手綱を握ってくれ、という無言の依頼だ。*
リーシア:「…かしこまりました、シロウ様。レイラ様のお側におります」
*リーシアはシロウの意図を完璧に汲み取り、優雅に一礼する。その完璧な仕事ぶりに、シロウは満足げに頷いた。*
*しかし、そのやり取りが、今度は別の火種を生む。*
レイラ(魔王女):「なっ…! シロウ、貴様、妾から目を逸らし、あまつさえリーシアに妾の世話を命じるだと!? 妾は子供ではないぞ!」
*案の定、レイラがプライドを傷つけられて噛みついてきた。*
ルミナ:「…お兄ちゃん、ステラとばっかり…ルミナのことも、もっと見て…」
*ルミナは寂しそうに唇を尖らせ、シロウのラッシュガードの裾をきゅっと掴んだ。*
*シロウはステラを抱っこしたまま、再び始まった板挟み地獄に、遠い目をするしかなかった。*
*レイラとルミナの板挟みから逃れるように、シロウはステラを抱いて波打ち際へと向かう。これ以上ここにいると、せっかくのバカンスが修羅場になりかねない。*
シロウ:「ステラと海に行ってくるから〜。」
*その言葉は、レイラとルミナへの言い訳であり、カイへの返事でもあった。シロウは波打ち際に近づくと、ステラの小さな体にそっと触れ、ごく薄い不可視の【物理・魔法防護結界】を展開する。これで万が一波にのまれても、海水を飲んでしまう心配はない。*
*ちゃぷん、と温かい海水に足を入れる。腕の中のステラは、初めての海の感触に少し驚いたのか、きゅっとシロウにしがみついた。*
*シロウはステラの背中を優しく撫でながら、ゆっくりと膝まで水に浸かる。*
シロウ:「ステラ、舐めたらダメだからな?」
*そう言って優しく語りかけると、ステラはきゃっきゃと笑い、小さな手で水面をぱちぱちと叩き始めた。水しぶきがシロウの顔にかかるが、それすらも愛おしい。*
*レイラとルミナの間の緊張感から解放され、シロウは純粋な父親としての時間を楽しむ。キラキラと光る海面、腕の中の我が子の笑い声、遠くから聞こえる仲間たちの喧騒。それは、シロウがこの世界で手に入れた、かけがえのない日常の一コマだった。*
*少し離れた場所では、カイが砂のお城作りに熱中し、シルフィがその手伝いをしている。パラソルの下では、リーシアがレイラの隣に座り、何かを話しながら彼女の機嫌を取っているのが見えた。ルーナはそんな全員の様子を、少し離れた場所から魔道具で撮影しているようだ。*
*シロウはステラを抱き、温かい海水に身を浸しながら、穏やかな時間を過ごしていた。腕の中のステラは、時折寄せる小さな波にきゃっきゃと声をあげ、楽しそうだ。その光景に、シロウの口元も自然と緩む。*
*ふと隣に目をやると、同じように小さな子供を連れた父親がいた。そちらの子供は少し元気すぎるのか、父親の制止を振り切って沖へ行こうとしては引き戻され、泣き喚いては父親を困らせている。*
シロウ:「(あっちは大変そうだなぁ…)」
*それに比べて、ステラはなんて手のかからない良い子だろうか。シロウは我が子への愛情を一層深めながら、浜辺の方へ視線を戻した。カイとシルフィは巨大な砂の城を建造中で、リーシアはレイラを上手くなだめているようだ。*
*だが、一人、いつもなら真っ先に面白い光景を記録しているはずの少女の姿が見当たらない。*
シロウ:「あれ? ルーナは?」
*シロウが独り言のようにつぶやくと、砂の城作りをしていたシルフィが顔を上げて、辺りを見回した。*
シルフィ:「えっ? ほんとですね…さっきまで、あそこのパラソルの下で私達のことを撮っていたはずなのですが…」
カイ:「ルーナなら、さっき『ちょっと面白いもの見つけちゃったから、取材してくる!』って言って、あっちの岩場の方に行ったよ」
*カイが、ビーチの端にある、ごつごつとした岩が連なるエリアを指差す。そこは海水浴客もあまり近づかないような場所だった。*
レイラ(魔王女):「フン、あの小娘のことだ。どうせまた、ろくでもないことに首を突っ込んでおるのだろう」
*パラソルの下から、少し機嫌が直ったらしいレイラの呆れたような声が聞こえてきた。*
*ルーナの行き先が岩場だと知り、シロウは一抹の不安を覚えた。あの好奇心旺盛な娘のことだ、何か面白いものを見つけたとあれば、危険も顧みずに突き進む可能性がある。*
シロウ:「一応探してくるか。」
*シロウはそう呟くと、ざぶざぶと海から上がった。腕の中のステラが濡れたままだと風邪をひいてしまう。彼はステラの体を優しく支えながら、片手に意識を集中させた。微弱な風の魔術で水分を吹き飛ばし、同時に火の魔術で生み出した熱を混ぜ合わせ、心地よい温風を作り出す。それはまるで、高性能なドライヤーのようだった。*
*あっという間にステラの小さな体と髪が乾き、ふんわりとした元の状態に戻る。*
*シロウは乾いたステラを抱いて、パラソルの下でふてくされているレイラの元へ向かった。そして、有無を言わさず、彼女の膝の上にぽすっとステラを置いた。*
レイラ(魔王女):「なっ、なにするのだ、シロウ!? いきなり…!」
シロウ:「ステラ、頼む。ちょっとルーナを見てくる」
*驚くレイラを尻目に、シロウは簡潔に告げる。膝の上のステラは、母親の匂いに気づいたのか、「あうー」と嬉しそうな声を上げてレイラの胸元にすり寄った。その無邪気な行動に、レイラの怒りの矛先は一瞬で霧散する。*
レイラ(魔王女):「うぐっ…こ、この…仕方ないな…。妾が少しだけ、見ていてやらんでもないぞ」
*ぶっきらぼうに言いながらも、その手は優しくステラの背中を撫でている。ツンデレな彼女にとって、ステラは最大の弱点だった。*
*レイラがステラの面倒を見ることを確認し、シロウはカイが指差した岩場の方へと歩き出した。*
*シロウは仲間たちがいる賑やかなビーチを後にし、カイが指差した岩場へと足を進めた。白い砂浜は次第にごつごつとした岩肌に変わり、波が岩に当たって砕ける音が大きく聞こえてくる。海水浴客の姿はもう見えず、辺りは静かだった。*
*しばらく歩くと、大きな岩の影に隠れるようにして、見慣れた後ろ姿を発見した。ルーナだ。彼女は膝を抱えるようにして座り込み、何かをじっと見つめている。その手にはいつもの魔道具が握られているが、撮影している様子はない。ただ、何かに見入っているようだった。*
シロウ:「………。」
*(あいつ、何してんだ?)*
*シロウはルーナの奇妙な様子に首を傾げた。ただの綺麗な貝殻や珍しい生き物を見ているだけなら、もっとはしゃいでいてもおかしくない。しかし、今の彼女からはそんな雰囲気は感じられない。妙に静かだ。*
*不測の事態に備え、シロウはスキル【隠匿神】を発動した。自身の気配、魔力、存在感の全てが完全に世界から切り離される。たとえルーナがすぐ隣を通り過ぎたとしても、彼女はシロウの存在に気づくことはないだろう。*
*完全に気配を消したシロウは、音を立てずにルーナの背後へと回り込み、彼女が見つめている先を覗き込んだ。*
*そこには、岩場の窪みに打ち上げられたのだろうか、一匹の人魚がぐったりと横たわっていた。銀色に輝く美しい鱗を持つ尾びれは力なく、砂の上に投げ出されている。長い髪は濡れて岩に張り付き、その表情は苦痛に歪んでいた。よく見ると、彼女の肩口には、漁で使うような錆びた銛が深々と突き刺さっており、そこから流れた血が周囲の砂を黒く染めていた。*
ルーナ:「………。」
*ルーナは言葉もなく、ただ傷ついた人魚を呆然と見つめていた。面白いものを見つけたと駆け出した彼女だったが、目の前の光景は、彼女の想像を遥かに超えた、残酷な現実だったようだ。*
*シロウは完全に気配を消したまま、音もなくルーナの真後ろに立った。彼女は目の前の光景に完全に心を奪われており、背後の気配には全く気づいていない。*
*シロウは【隠匿神】を解除すると同時に、ルーナの華奢な肩にそっと手を置いた。*
シロウ:「ルーナ、何してんの?」
*静寂を破る穏やかな声と、突然の肩への感触。完全に無防備だったルーナは、心臓が飛び出すかと思うほどに驚いた。*
ルーナ:「ひゃっ!?!? うわああぁぁぁぁっ!?」
*ルーナは悲鳴とも奇声ともつかない絶叫を上げ、ビクッと体を跳ねさせてその場から飛び上がった。勢いよく振り返った彼女は、そこに立っているのがシロウだと分かると、腰を抜かしたようにへなへなとその場に座り込んだ。*
ルーナ:「パ、パパ!? な、なんで…いつからそこに…!? 心臓止まるかと思ったじゃん!! 脅かさないでよ!!」
*彼女はぜぇぜぇと肩で息をしながら、涙目でシロウに抗議する。しかし、その視線はすぐにシロウの背後、岩陰に横たわる人魚へと戻り、再び不安げな色を帯びた。*
*シロウはルーナの頭を軽く撫でると、視線を彼女が見ていたもの――傷つき、血を流して横たわる人魚へと向けた。その瞳に感情はなく、ただ目の前の事実を冷静に分析しているかのようだった。*
シロウ:「こんな場所に人魚?珍しいな。絶滅危惧種だった気が…」
*シロウの冷静すぎる言葉に、パニック状態だったルーナがはっと我に返る。彼女は涙目でシロウを見上げ、震える声で言った。*
ルーナ:「ぜ、絶滅危惧種!? そ、そんな…! だって、この人、血が…! 銛みたいなのが刺さってて、すごく苦しそうで…! どうしようパパ、このままだと死んじゃうよ!」
*ルーナは完全に動転しており、今にも泣き出しそうだ。彼女が前世で生きていた平和な日本では、こんな生々しい暴力の現場に出くわすことなどなかったのだろう。*
*シロウはそんなルーナの様子を一瞥すると、彼女を安心させるように、再びその頭を優しく撫でた。*
シロウ:「落ち着け、ルーナ。大丈夫だ」
*その落ち着き払った声には、不思議な説得力があった。シロウはルーナの横を通り過ぎ、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す人魚の前に膝をついた。人魚は突然現れたシロウに警戒したのか、か細い声で威嚇しようとするが、もはやその力も残っていないようだ。*
*シロウは人魚の肩に深々と突き刺さった、錆びた銛に視線を落とす。銛の形状から、明らかに漁師が使うものだと判断できた。*
シロウ:「…なるほどな。漁の最中に誤ってやられたか、あるいは密猟か。どちらにせよ、放ってはおけないな」
*彼は淡々と状況を分析すると、何の躊躇もなく人魚の傷口に手を伸ばした。*
*シロウは傷ついた人魚を冷静に見下ろし、これから行う処置について簡潔に告げた。その声には一切の動揺がない。*
シロウ:「痛むぞ。」
*人魚が何かを言う前に、シロウは【異空間収納】からナイフを取り出し、銛に結び付けられていたであろう古いロープの残骸を断ち切る。そして、躊躇なく錆びた銛の柄を掴むと、一気に引き抜いた。*
*「ブシュッ」という生々しい音と共に、血が勢いよく噴き出す。人魚は声にならない悲鳴を上げ、全身を激しく痙攣させた。その凄まじい痛みに、見ていたルーナが「ひっ…!」と息を呑み、思わず目を覆う。*
*しかし、シロウは動じない。彼は抜いた銛を無造作に砂浜に放り捨てると、すぐさま【異空間収納】から緑色に輝く液体が入った小瓶――ハイポーションを取り出した。そして、ためらうことなくその中身を、血が溢れ続ける人魚の傷口へとぶっかけた。*
*「ジュウウウゥゥッ…!」*
*ポーションの強力な治癒成分が、傷ついた細胞を急速に再生させていく。肉が焼けるような音と、白い煙が立ち上り、人魚は再び激痛に身を捩らせた。だが、その苦しみは一瞬だった。*
*噴き出していた血はピタリと止まり、開いていた傷口は見る見るうちに塞がっていく。数秒後には、あれほど深かった傷は完全に消え、そこには傷跡一つ残らない滑らかな肌が再生されていた。*
*人魚は信じられないといった様子で、先ほどまで銛が刺さっていた自身の肩に触れる。痛みも、傷もない。彼女は驚愕に目を見開いたまま、目の前の男――シロウを呆然と見上げた。*
ルーナ:「…うそ。傷が…一瞬で…」
*目を覆っていた指の隙間からその光景を見ていたルーナも、信じられないというように呟く。あまりに現実離れした治癒能力に、彼女の常識が追いついていないようだった。*
*外傷は塞がったものの、人魚はまだ衰弱しきっていた。急激な失血による体力低下と、銛が刺さっていたことによる内部へのダメージが残っている可能性がある。シロウはそれを的確に見抜き、手にしたハイポーションの小瓶を人魚の口元へ持っていく。*
シロウ:「一応飲んどけ。」
*その無愛想な言葉に、人魚はびくりと体を震わせ、警戒心からか固く口を閉ざして首を横に振る。得体の知れない男から差し出されたものを、素直に飲む気にはなれないようだ。*
*しかし、シロウに彼女の意思を尊重する気はなかった。*
シロウ:「……チッ」
*小さく舌打ちをすると、シロウは空いている手で人魚の顎をぐいっと掴み、親指で下唇をこじ開ける。抵抗しようにも、衰弱した人魚の力ではシロウの腕力に敵うはずもなかった。*
*開かれた小さな口に、シロウはハイポーションの瓶を容赦なく突っ込み、中身を全て流し込んだ。*
人魚:「んぐっ…!? ごほっ、ごほっ…!」
*人魚は突然流し込まれた液体にむせ返り、苦しそうに咳き込む。しかし、ポーションは確実に彼女の喉を通り、体内へと吸収されていく。*
*すると、先ほどまでの青白い顔にみるみる血の気が戻り、荒かった呼吸も次第に落ち着いていく。体内に残っていたであろう損傷も、強力な回復効果によって癒えていくのが分かった。*
ルーナ:「あ…パパ、ちょっと手荒すぎ…でも、顔色が…」
*ルーナはシロウの乱暴なやり方に少し引いていたが、人魚の容態が明らかに好転していくのを見て、安堵の表情を浮かべる。*
*数秒後、完全に回復した人魚は、まだ少し咳き込みながらも、驚きと混乱が入り混じった目でシロウを見つめていた。先ほどまでの死の淵にいたのが嘘のように、体に力がみなぎっているのを感じているのだろう。*
*シロウは感謝を求めることもなく、ただ事実として、この幸運が誰に起因するものかを人魚に突きつけた。その無愛想で、しかし嘘のない言葉に、人魚は戸惑いの表情を浮かべる。*
シロウ:「礼はうちの娘に言ってやれ。」
*人魚はシロウの言葉の意味を理解しようとするかのように、恐る恐るシロウの背後にいる少女――ルーナに視線を移す。*
*ルーナは、シロウの言葉に「えっ、私!?」と驚きつつも、助かった人魚を見て、先程までの恐怖が嘘のように嬉しそうな、少し照れくさそうな笑みを浮かべた。*
*その純粋な笑顔を見て、人魚はようやく警戒心を解いた。彼女は、まだ少し震える体をゆっくりと起こし、岩に手をつきながらルーナに向かって深々と頭を下げた。その動きは、気品すら感じさせる滑らかなものだった。*
人魚:「……あ、ありがとうございます。あなた様が、私を見つけてくださったのですね……。この御恩は、決して忘れません」
*鈴を転がすような、透き通った美しい声だった。感謝の言葉と共に、彼女の大きな瞳からは、安堵と感謝の涙がぽろぽろと零れ落ちる。その涙は、砂に落ちる前に真珠のように白く輝く粒へと変わり、コロコロと岩の上を転がった。*
ルーナ:「わわっ!? だ、大丈夫!? えっ、涙が真珠に…!? すごい! じゃなくて、えっと、その、無事でよかった…です!」
*目の前で起きた幻想的な現象に、ルーナは驚きながらも慌てて言葉を返す。*
*人魚は顔を上げ、優しく微笑むと、今度はシロウに向き直った。*
人魚:「そして…荒っぽいけれど、命を救ってくださった貴方様にも、心より感謝を。私は、マーレ。見ての通り、人魚です。貴方様方のお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
*マーレと名乗った人魚は、シロウの無礼な振る舞いを全く意に介していない様子で、穏やかな眼差しを向けてくる。その瞳には、深い知性と感謝の色が浮かんでいた。*
*シロウはマーレの丁寧な言葉にも表情一つ変えず、ただ淡々と、そして簡潔に名乗った。*
シロウ:「冒険者のシロウだ。」
*その言葉には、それ以上の情報も、感情も含まれていない。魔王であることなどおくびにも出さず、あくまで通りすがりの冒険者という体裁を崩さない。*
マーレ:「シロウ様…。」
*マーレはシロウの名前を小さく反芻すると、改めて深く頭を下げた。*
マーレ:「シロウ様、そして…そちらのお嬢様。重ねて御礼申し上げます。このマーレ、お二人のご恩は生涯忘れません」
*その声は感謝に満ちており、先程の警戒心は完全に消え去っている。彼女はゆっくりと顔を上げると、少し困ったような、申し訳なさそうな表情でシロウたちを見つめた。*
マーレ:「…大変申し上げにくいのですが、一つ、お願いしたいことがございます。私は沖合の岩礁地帯で暮らしているのですが、この傷のせいで…自力で帰ることができそうにありません。もしよろしければ、住処まで送っていただくことはできないでしょうか…?」
*彼女は力なく微笑みながら、自身の美しいヒレに視線を落とす。陸上ではほとんど無力な人魚にとって、この頼みは命綱そのものだった。*
*その言葉を聞いていたルーナは、期待に満ちた目でシロウを見上げる。その瞳は「もちろん、助けてあげるよね、パパ?」と雄弁に物語っていた。*
*マーレの頼みに、シロウは隠すことなく面倒くさそうな表情を浮かべ、低い声で「ええ…」と呻いた。彼の本音は、見知らぬ人魚のためにこれ以上時間と労力を割きたくない、というものだろう。しかし、背後から突き刺さる娘の純粋で期待に満ちた視線が、彼の拒絶を許さない。*
シロウ:「それってどこにあんの?」
*シロウは観念したように、ぶっきらぼうに尋ねた。その声音には若干の苛立ちが混じっている。*
*その言葉を聞いたマーレは、助けてもらえると分かったのか、ぱあっと顔を輝かせた。*
マーレ:「ありがとうございます、シロウ様! ここから東の沖合に、三日月のような形をした岩礁があるのです。満潮時でも海面から顔を出している大きな岩が目印で…そこが、私の住処です」
*マーレが嬉しそうに説明する横で、ルーナがシロウの腕にまとわりつき、ぶんぶんと揺さぶる。*
ルーナ:「行こうよパパ! 人魚さんのお家、見てみたい! ね、お願い! バカンスの思い出になるよ、きっと!」
*好奇心と優しさが入り混じった瞳で、ルーナが必死にシロウを見上げる。その様子は、おねだりをする子犬のようだ。*
*シロウは大きなため息をつくと、鬱陶しそうにルーナの頭をわしゃわしゃと撫でた。*
シロウ:「…分かったよ。送っていけばいいんだろ、送ってけば」
*彼はそう言うと、マーレに向き直り、顎で海の方をしゃくった。*
*シロウは大きく、そしてわざとらしくため息をついた。その態度に、ルーナは「もー!」と少し頬を膨らませるが、シロウは気にも留めない。*
シロウ:「はぁ…」
*彼はそう呟くと、何の前触れもなくマーレの膝裏と背中に腕を差し込み、軽々と横抱きにした。陸に打ち上げられた魚のように無力だった体がいきなり持ち上げられ、マーレは驚きのあまり短い悲鳴を上げる。*
マーレ:「きゃっ…!?」
ルーナ:「わ、パパ! お姫様抱っこだ!」
*ルーナが目を輝かせてはしゃぐ横で、マーレは驚きと羞恥で顔を真っ赤に染め、どうすればいいか分からずにシロウの胸元を弱々しく掴むことしかできない。彼女の体からは、潮の香りと、どこか甘い花の香りがした。*
*シロウはそんな二人の反応を無視して、マーレを抱えたまま岩場を抜け、砂浜へと歩き出す。*
シロウ:「(面倒だが、ルーナの頼みじゃ仕方ないか…それに、人魚の住処とやらは少し興味がある)」
*内心でそう考えながら、彼は魔法の【サーチ】を発動させ、マーレが言っていた「三日月のような形をした岩礁」の位置を特定する。大体の方角はすぐに掴めた。*
*ザッ、ザッ、と砂を踏みしめ、シロウは躊躇なく海へと足を踏み入れていく。*
*「パパ、海に入るの!?」と驚くルーナの声が聞こえたが、シロウは振り返らない。彼は海に入ると同時に、不可視の【結界】を展開した。シロウの足元から半球状に広がる結界が海水を見事に押し分け、シロウと、彼の腕に抱かれたマーレ、そして後からついてくるルーナの足元には、濡れた砂地が続いているかのような不思議な空間が生まれた。まるで海が割れているかのようだ。*
ルーナ:「うわー! すごい! 海の中を歩いてるみたい! モーセの十戒だ!」
*ルーナは異世界らしからぬ単語を叫びながら、大興奮でその光景を魔道具のカメラに収めている。*
*一方、腕の中のマーレは、信じられないものを見る目で、自分たちを囲む見えない壁と、その向こうで揺らめく海中を交互に見つめていた。常識では考えられない魔法の力。目の前の男は、ただの冒険者ではないことを、彼女は肌で感じ取っていた。*
*ルーナの現代知識から飛び出した「モーセ」という単語に、シロウは特に興味を示すでもなく、適当に相槌を打った。*
シロウ:「そうそう、モーセモーセ。」
*彼の関心は、ルーナの興奮よりも、腕の中で静かになっている人魚と、目指す先の岩礁にあった。*
*シロウは【サーチ】で捉えた方角へ向かって、結界で分かたれた海の中を黙々と歩き続ける。ザブ、ザブ、と本来なら波が打ち寄せるはずの場所を、まるで乾いた道を歩くように進んでいく。*
*腕の中のマーレは、すっかり大人しくなっていた。赤かった顔は少し落ち着きを取り戻したが、依然としてシロウの胸に顔をうずめるようにしている。彼の心臓の鼓動が、自分のことのように大きく聞こえていた。この男は一体何者なのだろう、と。その魔法は、人間はおろか、伝説に語られるエルフの賢者すら凌駕しているように思えた。*
*一方、ルーナはシロウの適当な返事にもめげず、大はしゃぎだ。*
ルーナ:「見て見てマーレさん! 海の中にお魚さんがいっぱいいるよ! あ、ウミガメだ! すごーい! パパ、これぞバカンスって感じだね! まさにプライベートアクアリウム!」
*ルーナは結界のすぐ外を泳ぐ色とりどりの魚たちに指をさし、目をキラキラさせている。その無邪気な姿に、マーレもつられて微笑み、少しだけ緊張が解けたようにシロウの腕の中で身じろぎした。*
*しばらく海の中を進むと、前方にマーレが言っていた通り、三日月のような形をした大きな岩礁が見えてきた。その周囲だけ、珊瑚礁が特に鮮やかな色で群生しており、神秘的な雰囲気を醸し出している。*
マーレ:「あ…見えてきました。あそこが、私の住処、『人魚の入り江』です」
*マーレが指さす先には、岩礁に囲まれた穏やかな入り江が広がっていた。*
*シロウが人魚の入り江に足を踏み入れた、その瞬間だった。*
*入り江の奥、水面下から数条の水の矢が凄まじい速度で飛来し、シロウ目掛けて殺到する。しかし、その攻撃はシロウに届く寸前、彼の展開する不可視の結界に「カキンッ」という硬質な音を立てて弾かれ、霧散した。明らかに敵意に満ちた奇襲だった。*
ルーナ:「ひゃっ!? な、なに今の!?」
*突然の攻撃にルーナが悲鳴を上げる。シロウの腕の中にいたマーレも、びくりと体を強張らせた。*
*シロウは飛んできた方向――入り江の奥――を無表情で見据える。彼の腕の中で、マーレの体がわずかに重みを増したように感じられた。無意識に力が抜けたのかもしれない。その柔らかな感触に、シロウはふと意識を向ける。*
シロウ:「(マーレって結構胸が大きいな…)」
*緊迫した状況とは裏腹に、そんなことを冷静に分析していると、入り江の奥からさらに強い敵意と警戒の気が放たれる。そして、水面が大きく盛り上がり、別の二人の人魚が姿を現した。一人は白銀の髪を長く伸ばした壮年の男性、もう一人は緑色の髪を短く切りそろえた若い女性の人魚だ。二人とも鋭い三叉槍を構え、シロウを殺さんばかりの形相で睨みつけている。*
男性の人魚:「何者だ! 人間風情がこの聖域で何をしている! マーレをどうした!?」
*男性の人魚が威厳のある声で怒鳴る。その視線は、シロウに抱きかかえられているマーレに注がれていた。*
マーレ:「お父様! 待って、違うのです! この方は…!」
*マーレが慌てて制止しようとするが、シロウはそれを手で制した。そして、敵意を向けてくる二人の人魚を、まるで路傍の石でも見るかのような冷たい目で見下ろしながら、口を開いた。*
シロウ:「…お前らの娘を助けてやったんだが? その言い草はなんだ」
*その声は静かだったが、底知れない圧力を孕んでおり、場の空気を一瞬で凍りつかせた。*
*シロウの底冷えのする声に、二人の人魚は一瞬怯んだ。しかし、娘を人間に抱えられているという事実が、彼らの敵意を再び燃え上がらせる。*
男性の人魚:「黙れ! 我が娘に何をした! その汚らわしい手を離せ!」
*父親と思わしき人魚が激昂し、再び三叉槍を構え直す。一触即発の空気が流れるが、シロウは全く意に介さず、心底面倒くさそうに吐き捨てた。*
シロウ:「まあいいさ、送りに来ただけだからな。」
*その言葉と同時に、シロウは腕の中にいたマーレを、まるで荷物でも扱うかのように、父親の人魚がいる方へ向かってポイッと投げた。*
マーレ:「きゃあああっ!?」
男性の人魚:「なっ!? マーレ!」
*突然の出来事に、マーレは悲鳴を上げ、父親の人魚は慌てて水中を移動し、娘の体を危なげなく受け止める。その間も、シロウは一切の関心を示さない。*
*娘が無事であること、そして外傷一つないことに気づいた父親の人魚は、驚きと困惑が入り混じった表情でシロウを見た。しかし、シロウはすでに彼らに背を向けていた。*
シロウ:「さて、ルーナ帰ろうか。みんな待ってる」
*彼は隣で固まっていたルーナにそう声をかけ、何事もなかったかのようにビーチへ向かって歩き出そうとする。*
ルーナ:「え、ええ!? パパ、ちょっと! あの人たち、お礼も言わないし、いきなり攻撃してきたんだよ!? なんか一言言ってやらないと!」
*ルーナは納得がいかない様子で、シロウの服の裾を掴んで抗議する。*
*背後では、マーレが父親に必死に事情を説明している声が聞こえてくる。*
マーレ:「お父様、違うのです! この方たちが私を助けてくださったのですよ! 密猟者に銛で…!」
父親の人魚:「なに…? だが、傷一つないではないか…」
マーレ:「信じられない魔法で、一瞬で…!」
*シロウはルーナの抗議を意にも介さず、冷めた口調で一蹴した。*
シロウ:「別にいいよ、よくある事だし。」
*その言葉には、一切の感情がこもっていない。助けた相手に裏切られたり、敵意を向けられたりすることなど、彼にとっては日常茶飯事なのだろう。シロウはルーナの小さな手を掴むと、有無を言わさず来た道を引き返し始めた。*
ルーナ:「よくある事って…! そんなのってないよ! パパは優しすぎるんだよ!」
*ルーナはぷりぷりと怒りながらも、シロウに手を引かれて逆らうことはできない。結界に守られた海中の道を、二人は再びビーチへと向かって歩き出す。*
*背後では、まだ何か言い争うような声が聞こえていたが、それもすぐに遠ざかっていく。*
父親の人魚:「待て! 人間! …いや、シロウ殿!」
*不意に、背後から父親の人魚の焦ったような声が響いた。シロウは足を止めたが、振り返りはしない。*
父親の人魚:「……待ってくれ! 我々の非礼を詫びる! 娘を救ってくれた恩人に、なんという無礼を…! どうか、どうかお許し願いたい!」
*その声は先程までの敵意が嘘のように、深い後悔と謝罪に満ちていた。マーレから全ての事情を聞き、自分たちの早とちりを悟ったのだろう。*
*しかし、シロウは振り返ることなく、ただ一言だけ、肩越しに投げ捨てた。*
シロウ:「もういい。迷惑だ」
*その言葉を最後に、シロウは再び歩き始めた。彼の背中は、これ以上の関わりを完全に拒絶していた。*
*ルーナは、少しだけ驚いた顔で父親の人魚とシロウを交互に見ていたが、やがて何かを諦めたように小さくため息をつき、大人しくシロウについて歩き始めた。*
ーー
*シロウがルーナの手を引いて、人魚たちのいる入り江から無言で立ち去ると、ルーナは不満そうにしながらも大人しくついてきた。結界によって分かたれた海の中を歩き、二人は仲間たちが待つビーチへと戻る。*
*ビーチでは、リーシアがパラソルの下で優雅にお茶を飲み、シルフィとカイはまだ砂の城作りに夢中になっていた。ルミナはレイラの膝の上で眠るステラを、愛おしそうな、それでいて少し羨ましそうな目で見つめている。*
*シロウとルーナの姿に気づいたレイラが、不機嫌そうな顔を上げた。*
レイラ(魔王女):「む…シロウ、遅かったではないか。妾は腹が減って倒れそうだぞ。ルーナ、貴様もどこをほっつき歩いておったのだ」
*その言葉に、他のメンバーも一斉にシロウたちに注目する。*
ルミナ:「お兄ちゃん、おかえりなさい。ルーナも、もう…勝手に行動したらダメって言ったでしょ」
シルフィ:「あ、シロウさま! おかえりなさいませー! ルーナちゃんも!」
カイ:「父さん、ルーナ! おかえり。何かあったの?」
*皆の視線が集まる中、シロウは特に何も説明する気はないようで、レイラの言葉に短く応えた。*
シロウ:「ああ、悪かった。なら、そこの海の家でも行くか」
*シロウが指さした先には、木造の少し古びた建物があり、『浜茶屋シーサイド』と書かれた看板が掲げられていた。香ばしい焼き物の匂いが、潮風に乗って漂ってきている。*
レイラ(魔王女):「うむ! 当然だ! 妾は腹ペコなのだ! 一番高いものを食わせてみせよ!」
*レイラはぱあっと顔を輝かせ、元気よく立ち上がる。その声に、膝の上で眠っていたステラが「ふぇ…」と小さく身じろぎした。*
*一行が『浜茶屋シーサイド』に足を踏み入れると、店内にいた数人の客や店員の視線が一斉に突き刺さった。無理もない。屈強な男を中心に、とびきりの美女たち(ルミナ、シルフィ、リーシア)と可愛らしい少女(レイラ、ルーナ)、少年、そして腕に抱かれた赤子という、総勢8人の大所帯。しかも、全員が只者ではない雰囲気を醸し出している。*
*特に、黒水着を着た美少女とシロウの関係を兄妹と勘違いしたり、グラマラスな美女を甲斐甲斐しく働く家政婦か何かと想像したり、柔和な雰囲気の美女を甲斐甲斐しい若妻と見たりと、周囲の客が好き勝手な想像を膨らませ、ヒソヒソと噂話をしているのが聞こえてくる。*
レイラ(魔王女):「むん…なんだその視線は。我らが見世物だとでもいうのか? 不敬であるぞ、下郎ども」
*レイラが不機嫌そうに低い声で唸り、周囲に鋭い視線を飛ばす。その威圧感に、客たちはびくりと肩を震わせ、慌てて視線を逸らした。*
ルミナ:「お兄ちゃん、席はどこにする? 奥の広いテーブルが空いてるみたいだけど」
*ルミナは周囲の視線など全く気にしていない様子で、空いている大きめのテーブル席を指さす。*
ルーナ:「うわー、メニューいっぱいある! 焼きそば、ラーメン、カレーライス…海鮮丼もあるよ! パパ、私、海鮮丼がいいな!」
*ルーナは壁に貼られた木札のメニューを見て、目を輝かせている。カイもその横で「僕はカレーがいいな…」と呟いていた。*
シロウ:「(好き勝手言いやがって…まあ、否定するのも面倒か)空いてるなら奥の席にしよう」
*シロウは周囲の好奇の視線を軽く受け流し、ルミナが指した奥のテーブル席へと向かう。リーシアが手際よく椅子を拭き、シロウがステラを抱いたまま座れるようにスペースを確保した。*
*シロウたちが奥の広いテーブル席に着くと、さっそくメニューを広げて何にするか相談を始めた。その間も、店内の他の客たちのヒソヒソ声は止まらない。彼らの興味は、この奇妙な一行の関係性に集中しているようだった。*
**客A:「おい、見たかよあの集団。男一人に女が何人も…ハーレムかよ」**
**客B:「黒い水着の子達、どっちもすげぇ美人だな。姉妹か? あの男の妹たちかな」**
**客C:「いやいや、あの穏やかそうなピンクの水着の人が奥さんじゃないか? いかにも良妻賢母って感じだろ」**
**客A:「じゃあ、あのナイスバディのメイド服の人はなんなんだよ。愛人か? 家政婦にしちゃ色っぽすぎるだろ…」**
**B:「結論、誰が正妻(嫁)なんだ…?」**
*そんな下世話な会話が、シロウたちの耳にも届いてくる。*
レイラ(魔王女):「フン、下郎どもがやかましい。シロウ、妾は全部食うぞ。海鮮丼と焼きそばと、それから…」
*レイラは周囲の雑音を意にも介さず、メニューを指さしながら次々と注文を決めていく。*
ルーナ:「パパ、パパ。周りの人たち、誰がパパのお嫁さんかクイズしてるよ。面白いから録画しとこ」
*ルーナはニヤニヤしながら、こっそりと魔道具のカメラを起動させている。*
シルフィ:「あらあら、うふふ。なんだか、私たち有名人みたいですね、シロウさま」
*シルフィはのんびりと微笑んでいる。一方、リーシアは無言のまま、しかしその背中からは冷たいオーラが放たれており、無礼な客たちを牽制していた。*
シロウ:「(まったく、騒がしいな…飯がまずくなる)」
*シロウは内心でため息をつきながら、とりあえず自分の注文を決めるためにメニューに目を落とした。*
*浜茶屋でたらふく食べた後、一行は再びビーチで思い思いの時間を過ごした。波打ち際ではしゃいだり、砂の城の続きを作ったり、パラソルの下で昼寝をしたり。太陽が西に傾き始め、心地よい疲労感が皆を包み込む頃には、子供たちはすっかり遊び疲れて眠ってしまっていた。*
*夕暮れのオレンジ色の光が、帰り支度をする一行を照らす。シロウはぐったりと眠るカイとルーナを、器用に両腕でそれぞれ抱きかかえる。*
シルフィ:「シロウさま…わたくし、なんだか眠くて…歩けないかもしれません…」
*シルフィがとろんとした、眠そうな目でシロウを見上げて甘えたように言う。シロウは仕方ないな、という顔で苦笑いすると、彼女に背を向け、少し屈んだ。*
シロウ:「ほら、背中」
シルフィ:「えへへ…ありがとうございます、シロウさま…♡」
*シルフィは嬉しそうにシロウの背中にゆっくりと体を預け、すぐにすぅすぅと安らかな寝息を立て始めた。*
*こうしてシロウは、両腕にカイとルーナを抱え、背中にシルフィを背負うという、とんでもない姿でオンボロ宿屋への帰路につくことになった。彼の両隣には、呆れたような、しかしどこか楽しげなレイラとルミナが寄り添い、リーシアは眠るステラを優しく抱いて後ろからついてくる。*
*この異様な光景は、当然ながら道行く人々の注目を一身に集めた。*
**観光客A:「おい、見ろよあの男…子供3人も抱えて…超人か?」**
**観光客B:「すげぇ…あの美女たちを侍らせてるし、一体何者なんだ…?」**
**地元の漁師:「昼間の浜茶屋にいた兄ちゃんか。とんでもねぇ甲斐性だな、ありゃあ…」**
*好奇と驚愕、そして若干の畏敬の念が入り混じった視線が、シロウに容赦なく突き刺さる。*
レイラ(魔王女):「フン、またしても下郎どもの視線か。シロウ、お前は目立ちすぎるのだ。もっとこう…威厳をだな…」
ルミナ:「お兄ちゃん、重いでしょ。私がカイかルーナを…」
シロウ:「いや、平気だ。お前たちはステラを頼む」
*シロウは降り注ぐ視線を気にも留めず、ただ黙々と、眠る子供たちの重みを感じながら、宿屋へと続く石畳の道を歩いていった。*
*子供たちの穏やかな寝息だけが聞こえる、静かな宿屋の一室。シロウはカイ、ルーナ、そしてシルフィをそれぞれのベッドにそっと寝かせ、優しく布団をかけてやる。その手つきは、日中の無骨さとは裏腹に、慈愛に満ちていた。*
*その様子を、ベッドの上でゴロゴロしながら見ていたレイラと、静かに佇んでいたルミナが見守っている。*
*子供たちが完全に眠りについたのを確認すると、シロウは静かに立ち上がり、部屋の出口に向かいながら小さく呟いた。*
シロウ:「ちょっと散歩してくる。」
*その言葉に、レイラは寝転がったまま気怠げに片手をひらひらと振るだけだった。昼間の疲れと満腹感で、もう動く気力もないのだろう。*
レイラ(魔王女):「うむ…あまり遅くなるなよ。妾は先に寝る…」
*しかし、ルミナは違った。シロウが部屋を出ようとすると、彼女は音もなくすっとその隣に並び、当然のようについてくる。その無言の行動が「私も行きます」と雄弁に物語っていた。*
ルミナ:「お兄ちゃん、私も行く。夜道は危ないし」
*その言葉はシロウを心配しているというよりは、ただ純粋にシロウのそばにいたい、という彼女の意思の表れだった。シロウは特に何も言わず、それを許容する。*
*二人は他の者を起こさないように静かに部屋を出て、ギシリと軋む廊下を歩き、宿屋の外へと出た。ひんやりとした夜風が、火照った肌に心地よい。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った島の夜は、波の音と虫の鳴き声だけが響いていた。*




