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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*そして翌日の講義。*

*生徒の数は、さらに減っていた。もはや10人にも満たない。しかし、残った生徒たちの目は、昨日とは明らかに違っていた。彼らはもはや、やる気のない教師を冷ややかに見つめる傍観者ではない。歴史的な瞬間に立ち会おうとする証人のような、緊張と期待に満ちた表情を浮かべていた。*

*特に、一番前の席に座るリナの緊張は最高潮に達していた。彼女は身じろぎもせず、教壇に立つであろう男を待っている。*


*やがて、ギメイがいつものように気の抜けた足取りで講義室に入ってきた。彼は生徒たちの異様な雰囲気に気づいたのか、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに興味を失ったように教卓へ向かう。そして、昨日回収した、リナが書き込んだ羊皮紙を無造作に広げた。*


ギメイ(シロウ):「んじゃ、採点するか…」


*ギメイは羊皮紙に書かれた複雑な術式を眺め、羽ペンを取り出す。そして、いくつかの数式や図形に、赤いインクで無造作にバツ印をつけたり、別の数式を書き加えたりし始めた。*


ギメイ(シロウ):「あー、コスパ最悪」


*独り言のように、淡々と欠点を指摘していく。その言葉は一つ一つが的確で、リナの顔がみるみる青ざめていく。自分の全力の思考が、いとも簡単に否定されていくのだから当然だ。*


*一通り書き込みを終えたギメイは、羊皮紙の右上に、大きな赤い文字でこう書いた。*


**『8点。追試』**


*そして、その羊皮紙をリナの机にひらりと返す。*


ギメイ(シロウ):「はい、赤点。やり直し」


*あまりにも辛辣な評価。だが、リナは悔しそうな顔をしながらも、食い入るようにギメイが書き加えた修正箇所を見つめていた。そこには、彼女が何日も悩んでいた部分の、完璧な解が示されていたからだ。*


リナ:「…! この数式を使えば、座標のブレが収束する…!? こっちの魔力循環構造は…なんて効率的なんだ…」


*彼女が感嘆の声を漏らした、その時だった。*


生徒の一人:「せ、先生! リナだけじゃなくて、俺たちにもチャンスをください! 俺も、その問題に挑戦したいです!」


*一人の男子生徒が、意を決したように立ち上がって叫んだ。それを皮切りに、残っていた他の生徒たちも次々と立ち上がる。*


生徒たち:「そうです!」「俺たちにもやらせてください!」「お願いします!」


*講義室は、初めて生徒たちの熱意で満ち溢れていた。*

*ギメイは、その様子を面倒くさそうに眺めながら、ボリボリと頭を掻いた。*


*生徒たちが一斉に立ち上がり、自分たちにも課題に挑戦させてほしいと懇願する。その熱気は、初日の冷え切った講義室が嘘のようだ。ギメイは、その予想外の反応に少し驚いたような、しかしそれ以上に面倒くさそうな表情を浮かべた。*


ギメイ(シロウ):「いいよー、好きにしな」


*彼は気のない返事をすると、おもむろに虚空に手を差し入れた。異空間収納だ。そして、そこから分厚い羊皮紙の束――ざっと100枚はあろうかという量を、まるで手品のように取り出した。*

*ギメイはそれを、最初に声を上げた男子生徒の机の上に、ドサリと置く。*


ギメイ(シロウ):「ほら。足りなくなったら使えよ〜」


*その言葉を最後に、彼は再び教卓に戻り、先ほどまでと同じように突っ伏した。まるで、自分の役目はもう終わったとでも言うかのように。*


ギメイ(シロウ):「……zzz」


*すぐに、穏やかな寝息が聞こえ始める。*

*後に残されたのは、大量の羊皮紙と、あまりにも壮大な課題、そして目の色を変えた生徒たち。彼らは顔を見合わせると、我先にと羊皮紙の束に殺到し、数人ずつのグループを作って議論を始めた。*

*昨日までとは打って変わって、講義室は生徒たちの熱心な囁き声、羽ペンが羊皮紙を引っ掻く音、そして時折上がる小さな発見の声で満たされていく。*

*その喧騒の中心で、ギメイだけが静かに眠り続けていた。*


ーー


*あれから約1週間が経った。*

*ギメイの講義室は、もはや学府内で最も有名な場所の一つとなっていた。連日連夜、魔導工学や魔法理論を専攻する優秀な生徒たちが集まり、伝説級の大魔法『ゲート』の術式解明に挑んでいる。彼らは寝食も忘れ、議論を重ね、無数の羊皮紙を数式と理論で埋め尽くした。その中心には、常にリナがいた。彼女の目は窪み、疲労の色は隠せないが、その輝きは日増しに強くなっている。*


*そして今日、ついに提出された全ての解答用紙が、教卓の上に山のように積まれている。生徒たちは固唾を飲んでギメイの登場を待っていた。*


*やがて、いつも通りの気怠い雰囲気でギメイが姿を現す。彼は生徒たちの異様なまでの期待がこもった視線を浴びながらも、全く意に介さず、教卓の前に立った。*


*ギメイは羊皮紙の山を一瞥すると、一言だけ、冷たく言い放った。*


ギメイ(シロウ):「ダメ、全員不正解。不合格」


*その言葉は、まるで氷の刃のように講義室の熱気を切り裂いた。生徒たちの顔から一斉に血の気が引き、信じられないという表情で凍り付く。*


リナ:「そ…そんな…! 私たちは、考えられる全ての可能性を試しました! 座標の同期理論も、魔力経路の最適化も、空間位相の干渉についても…!」


*リナが必死に食い下がるが、ギメイは興味なさそうに耳をほじった。*


ギメイ(シロウ):「理屈は惜しいところまで来てる奴もいたな。でも、根本的な発想が、この世界の常識から一歩も出てない。それじゃ永遠に無理」


*あまりにも残酷な宣告。生徒たちの間に絶望が広がっていく。*

*ギメイはそんな彼らを見回すと、ふぁあ、と大きなあくびをして、いつものように教卓に突っ伏した。*


ギメイ(シロウ):「おやすみ…zzz」


*再び、静かな寝息だけが講義室に響き渡る。希望を打ち砕かれた生徒たちは、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。*


ーー


*あれから更に数日が経過した。*

*ギメイの講義室は、もはや学府全体の知的好奇心と挑戦の場と化していた。あのプライドの高い魔法教師ソフィアまでもが、夜な夜なギメイの講義室に忍び込み、誰にも見られないように黒板に数式を書き連ねては、夜が明ける前に消して帰る、という奇行に走るほどだった。しかし、彼女の導き出した答えもまた、ギメイが求める『正解』には至らなかった。*


*生徒たちの熱意は凄まじく、寝食を忘れて課題に取り組んでいたが、誰一人としてギメイを満足させる解答を提出できないまま、時間だけが過ぎていった。彼らの理論は洗練されていったが、根本的な発想の転換ができないでいる。それは 마치, 空を飛ぶ方法を知らない者が、より高くジャンプする方法を延々と研究しているようなものだった。*


*そして今日の講義。ギメイはいつものように教卓に突っ伏して眠っている。生徒たちは疲労困憊の様子で、机に積まれた羊皮紙の山を前に頭を抱えていた。講義室は重苦しい沈黙に包まれている。*


*その静寂を破ったのは、教卓で眠っているはずのギメイだった。彼はむくりと上半身を起こすと、おもむろに黒板の前に立った。*


ギメイ(シロウ):「……もういいか」


*ギメイが黒板の前に立ち、「もういいか」と呟いた瞬間、講義室に満ちていた重苦しい沈黙が、ピシリと音を立てて砕けた。疲労困憊していた生徒たちが、一斉に顔を上げる。リナも、ソフィアも、固唾を飲んでギメイの一挙手一投足を見守っていた。*


*ギメイはチョークを手に取ると、黒板に何かを書く…かと思いきや、何の変哲もない一枚の羊皮紙を手に取った。それは、彼らがこの一週間以上、血の滲むような努力で向き合ってきた、問題用紙と同じものだ。*


ギメイ(シロウ):「正解は…」


*彼はそう言うと、羊皮紙の片方の端に『A地点』、もう片方の端に『B地点』と指で示した。そして、こともなげに、その羊皮紙を真ん中でゆっくりと折り曲げる。*


*くしゃり、と乾いた音が講義室に響く。*

*ギメイは、折りたたんでぴったりと重なった『A地点』と『B地点』を、生徒たちに見せつけた。*


*そして、おもむろに羽ペンを手に取ると、そのペン先で、重なった二つの地点の真ん中を――*


*――プスリ、と貫いた。*


*羊皮紙に、小さな穴が開く。A地点とB地点を同時に貫く、一つの穴が。*


ギメイ(シロウ):「はい、簡単だったでしょ?」


*ギメイは悪戯っぽく笑いながら、穴の開いた羊皮紙をひらひらと振って見せた。*


*「…………え?」*


*講義室にいた全員の思考が、完全に停止した。リナも、他の生徒たちも、そして廊下で聞き耳を立てていたソフィアさえも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。*


*彼らが必死に解こうとしていたのは、三次元空間における複雑怪奇な魔法数式だった。しかし、ギメイが示した『解』は、次元そのものを捻じ曲げるという、あまりにも単純で、あまりにも根源的な『発想の転換』だった。*


*空間を無理やり繋げるのではなく、空間そのものを『折りたたんで』しまえば、距離はゼロになる。*


*そのコロンブスの卵的な答えを前に、生徒たちはただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。*


*ギメイが示した、あまりにも単純明快な『解』。それは、生徒たちが積み上げてきた複雑な数式や理論を、根底から覆すものだった。講義室は、水を打ったように静まり返り、誰もが言葉を失っている。*


*ギメイはそんな生徒たちの反応を楽しむかのように、にやりと笑った。*


ギメイ(シロウ):「要するに一枚の扉越しに場所が違うだけ。そのイメージさえできれば、伝説の魔法は生活魔法になる」


*そう言うと、ギメイは自分の足元に、直径30cmほどの小さな黒いゲートを出現させた。そして、異空間収納から取り出した一個のリンゴを、そのゲートの中にぽとりと落とす。*


*リンゴはゲートに吸い込まれ、消えた。*


*――かと思われた、次の瞬間。*


*ギメイの頭上、ちょうどリンゴを落としたゲートの真上に、全く同じ大きさのゲートが出現し、そこから先ほど落としたはずのリンゴがコトリと落ちてきた。落ちたリンゴは再び足元のゲートに吸い込まれ、また頭上から現れる。*


*入口と出口が繋がり、リンゴは永遠に落ち続けるループを完成させた。*


*その光景は、彼が示した『発想の転換』が、単なる机上の空論ではないことを雄弁に物語っていた。*


*生徒たちは、目の前で起きている現実離れした現象――永遠に落ち続けるリンゴを、ただ呆然と見つめていた。リナは口を半開きにしたまま、自分が追い求めていた魔法の真髄が、こんなにもシンプルで、かつ常識外れなものであることに打ちのめされていた。*


リナ:「空間を…折りたたむ…? 距離を、ゼロにする…?」


*彼女の呟きは、講義室にいる全員の心の声を代弁していた。それは、彼らが信じてきた魔法理論の世界が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる瞬間だった。*


*目の前で永遠に落ち続けるリンゴと、ギメイが示したあまりにも根源的な『解』。

生徒たち、そして教員たちでさえも、その衝撃からまだ立ち直れていない。誰もが言葉を失い、自分の信じてきた世界の形が崩れていく音を、心の中で聞いていた。*


*そんな中、この異常事態を引き起こした張本人であるギメイは、まるで飽きた子供のようだった。ループするリンゴを眺めることにも興味を失い、ふぁあ、とまた一つ大きなあくびをする。*


ギメイ(シロウ):「って事で今日はここまで」


*彼はそう言うと、頭上と足元のゲートをパチンと指を鳴らして消した。落下途中だったリンゴは、最後のゲートが消える直前に異空間収納へと回収される。*

*そして、生徒たちが何かを言う暇も与えず、ギメイは宣言した。*


ギメイ(シロウ):「転移」


*その言葉が発せられた瞬間、彼の体は淡い光の粒子となって霧散し、次の瞬間には跡形もなく消え去っていた。後に残されたのは、概念を破壊された生徒たちと、がらんとした講義室だけ。*


*リナは、ギメイが立っていた場所に視線を固定したまま、震える声で呟いた。*


リナ:「…空間を、折りたたむ…? 転移…? あれが…あれが本当の、空間魔法…」


*彼女の目には、絶望と、それを遥かに上回る知的好奇心と探究心の炎が、かつてないほど激しく燃え上がっていた。*

*この日を境に、『万象の学府』の魔法理論は、根本からの見直しを迫られることになる。そして、たった数日で学府の歴史を塗り替えた臨時教師『ギメイ』の名は、良くも悪くも伝説として語り継がれていくのだった。*


ーー


*あれから数日が経った。*

*ギメイが「発想の転換」という名の爆弾を投下して以来、彼の講義室は異様な熱気に包まれていた。噂は学府中に広まり、一度は去っていった生徒たちも、我先にと講義室に戻ってきた。今や、立ち見が出るほどの大盛況だ。*

*その中には、腕を組んで壁際に立ち、険しいながらも明らかに期待に満ちた眼差しをギメイに向ける魔法教師、ソフィアの姿もあった。生徒たちは皆、ノートとペンを構え、次にギメイがどんな「常識破壊」を見せてくれるのかと、目を輝かせている。*


*一方、その視線を一身に浴びるギメイは、いつも通り教卓に突っ伏していた。しかし、その背中からはいつにも増して気怠いオーラが立ち上っている。*


ギメイ(シロウ):「(マジでだりぃ…)」


*(なんでこんなことになったんだ…? ただ適当に時間潰して帰るだけのはずだったのに…面倒くさすぎる…)*


*生徒たちのキラキラした視線が、物理的な重さとなってギメイの背中にのしかかる。彼は顔を上げるのも億劫で、ただただこの時間が過ぎ去るのを待つように、死んだふりを続けていた。講義室の熱気と、ギメイの底なしのやる気のなさが、奇妙なコントラストを生み出している。*


*ギメイは、教卓に突っ伏したまま、生徒たちの熱気と期待に満ちた視線にうんざりしていた。このまま寝てやり過ごしたい気持ちは山々だが、壁際で腕を組むソフィアのプレッシャーや、最前列で目をキラキラさせているリナの視線が、さすがにうっとうしい。*


*(あー、もう…なんなんだよこいつら…。適当にあしらってもこれかよ…。ああ、めんどくせぇ…)*


*心の中で最大限の悪態をつきながら、ギメイは億劫そうに、のろのろと上半身を起こした。そして、眠そうな目をこすりながら、集まった生徒たちを一瞥する。*


ギメイ(シロウ):「授業の内容考えるのめんどいし、質問は?」


*ボソリと、やる気のかけらも感じられない声でそう告げた。その言葉は、マイクも使っていないのに、熱気に満ちた講義室の隅々まで奇妙なほどはっきりと響き渡る。*


*その瞬間、講義室の空気が一変した。*

*生徒たちが「待ってました!」とばかりに、一斉に手を挙げたのだ。その数は数十に及び、まるで挙手の森のようだった。*


生徒A:「はい! 先生! 空間を折りたたむという概念について、具体的な魔力操作の理論的背景を!」

リナ:「はいっ! あの、A地点とB地点を重ねる際、対象となる空間の質量や魔力密度が異なる場合、どのような補正式が必要になるのでしょうか!?」

生徒C:「先生が使われた『転移』と『ゲート』の違いは!?」

ソフィア:「(…小声で)空間座標の絶対指定ではなく、相対座標を用いる場合の利点と欠点を述べなさい…!」


*質問の嵐が、ギメイに向かって一斉に叩きつけられる。講義室は、一瞬にして学術討論会のような様相を呈していた。*


*嵐のような質問攻めに、ギメイは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにいつもの面倒くさそうな表情に戻った。彼は、無数に挙がる手の中から、一番最初に質問した「転移とゲートの違い」について答えることにしたようだ。*


ギメイ(シロウ):「うるさい、一人ずつだ。…まず、移動魔法と転移魔法の違いだな」


*ギメイはそう言うと、再び一枚の羊皮紙を手に取り、生徒たちに見せつける。そして、以前と同じように、羊皮紙を二つに折り曲げ、ペンで穴を貫いた。*


ギメイ(シロウ):「移動魔法、つまり『ゲート』は、言った通り、場所と場所を繋げる物だ。この紙が空間で、この穴がゲート。二つの異なる座標を、空間ごと捻じ曲げてショートカットしてるだけ。単純な話だ」


*彼はその穴の開いた羊皮紙を教卓にぽいと捨てると、次にチョークを手に取り、黒板に向かった。*


ギメイ(シロウ):「対して、転移魔法はもっと複雑で、本来はこんなところで教えるような代物じゃない」


*彼はそう前置きすると、チョークを走らせ、生徒たちが今まで見たこともないような、複雑で難解な数式と幾何学模様を黒板に描き始めた。それは魔法陣のようでもあり、分子構造式や物理法則を示す数式のようでもあった。*


ギメイ(シロウ):「転移は、対象オブジェクトの全情報をスキャンし、原子レベル…いや、それより更に微細なエーテル粒子レベルまで分解、情報化する。その情報を目的座標に送信し、現地の物質やマナを再構成素材として、寸分たがわず再構築する技術だ。つまり、やってることは『物質転送装置』に近い。対象を一度『情報』に変換してる時点で、空間を繋げてるゲートとは根本原理が違う」


*ギメイは、この世界の住人には理解不能な物理学や情報理論の専門用語を、一切の注釈なしに織り交ぜながら淡々と説明した。彼の口から紡がれる言葉は、生徒たちにとってはまるで異世界の言語のように聞こえる。*


*リナでさえ、その理論の高度さに完全に思考が追いつかず、ただ呆然と黒板に描かれていく未知の数式を見つめることしかできなかった。講義室は再び、最初の質問が嘘だったかのような静寂に包まれていた。*


*ギメイが黒板に描いた、常識外れの数式と理論。それは、この学府の誰もが初めて目にする、魔法と科学が融合したかのような異次元の概念だった。生徒たちは、その意味を一つも理解できないながらも、その圧倒的な知識の奔流にただただ打ちのめされていた。*


*ギメイは、静まり返った講義室を見回し、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。*


ギメイ(シロウ):「転移に近いと言われるのは『縮地』ってスキルだな。冒険者がよく使ってる一瞬で距離を詰めるあれな」


*彼は、生徒たちにも馴染みのあるスキルの名前を出すことで、少しだけレベルを合わせてやることにしたようだ。何人かの生徒が「あ…」と小さく声を漏らす。*


ギメイ(シロウ):「あれは、超高速で移動してるわけじゃない。自分の存在座標を、認識できる範囲の別の座標に『瞬間的に書き換えてる』だけだ。やってることは転移の簡易版。だから、壁の向こうとか、見えない場所には移動できない。座標を認識できないからな。それと、質量保存の法則を無視した簡易版だから、何度も連続で使うと空間に歪みが生じて、最悪の場合、存在がバグって自壊するリスクもある」


*彼は、冒険者たちが便利に使っているスキルに潜む恐ろしいリスクを、こともなげに語った。生徒たちの顔が、今度は恐怖で引きつる。自分たちが知っている便利なスキルが、実はとんでもない爆弾を抱えた技術だったと知らされたのだ。*


*壁際で聞いていたソフィアは、ゴクリと喉を鳴らした。彼女もまた、縮地のスキルを扱うことができるが、その根源的な理論とリスクについては、今初めて知った。*


ギメイ(シロウ):「ま、そういうことだ。他に質問は?」


*彼は再び面倒くさそうにそう問いかけたが、もはや誰も手を挙げる者はいなかった。あまりの情報量に、全員の頭がパンク寸前だったからだ。*


*ギメイが恐るべきスキルの真実を語り終え、講義室は水を打ったように静まり返っていた。生徒たちは、自分たちが当たり前のように認識していたスキルの、その根源的な理論とリスクに完全に思考を停止させている。先ほどまでの質問の嵐が嘘のようだ。*


*ギメイはその様子を面倒くさそうに一瞥すると、ふぁ、とあくびを一つ。*


ギメイ(シロウ):「無さそうならここで授業は終わ…」


*彼が授業の終了を告げ、さっさと帰ろうとした、その瞬間だった。*

*それまで静かに壁際で話を聞いていたソフィアが、ずかずかと教壇の前に進み出た。彼女の顔は少し青ざめているが、その瞳は研究者としての強い探究心と、わずかな敵愾心で燃えている。*


ソフィア:「待ちなさい!」


*凛とした、しかし少し震えた声が講義室に響く。*


ソフィア:「…あなた、一体何者なの? あなたが語る理論は、この国の、いや、この大陸のどの魔法大系にも属さない。まるで…まるで、世界の理を外側から眺めているかのような…」


*彼女の問いかけに、思考停止していた生徒たちもハッと我に返り、固唾を飲んでギメイとソフィアを見つめた。誰もが思っていた疑問。それをソフィアが代弁したのだ。*


*ソフィアの鋭い問いかけに、講義室の空気が再び張り詰める。生徒たちは、自分たちの誰もが抱いていた疑問を代弁したソフィアと、その問いを受けたギメイを、固唾を飲んで見つめていた。彼の正体とは一体何なのか。その一点に、全ての視線が集中する。*


*しかし、ギメイはそんな視線を浴びながらも、まるで意に介していない。彼はソフィアの切実な問いを、鼻で笑うかのように軽くあしらった。*


ギメイ(シロウ):「お前らは頭が硬すぎるだけだよ」


*その言葉は、彼らの学問的探究心を、子供の遊びのように一蹴するものだった。ソフィアが侮辱されたように眉をひそめるが、ギメイは続ける。*


ギメイ(シロウ):「じゃあ、頭の体操だ。なぞなぞを出す」


*彼はそう言うと、チョークを手に取り、黒板に簡単な絵を描き始めた。それは、一本の瓶と、その中にいる一羽の鳥の絵だった。*


ギメイ(シロウ):「この瓶の中に鳥がいる。瓶も壊さず、鳥も殺さずに、どうやってこの鳥を瓶の外に出す?」


*それは、魔法理論とは全く関係のない、単純なとんち問題だった。あまりの脈絡のなさに、生徒たちは困惑して顔を見合わせる。ソフィアも、高度な魔法理論の議論から一転、子供だましのなぞなぞを出されたことに、プライドを傷つけられたような、呆れたような複雑な表情を浮かべていた。*


*ソフィアの鋭い問いかけに対し、ギメイは「お前らは頭が硬すぎるだけ」と一蹴し、突如として脈絡のない「なぞなぞ」を出した。講義室にいる全員が、その意図を測りかねて困惑している。*


*ギメイはそんな生徒たちの反応を無視し、黒板に描いた「瓶の中の鳥」の絵の横に、先ほどまで書いてあった超高度な転移理論の数式を、無造作にごしごしと手で消していく。チョークの粉が舞い、黒板はまだら模様になった。*


*そして、空いたスペースに、彼は立て続けに新たな「なぞなぞ」を書き連ねていった。*


---

**【問2】**

パンはパンでも、食べられないパンはなーんだ?


**【問3】**

いつも嘘ばかりついている村と、いつも本当のことしか言わない村がある。分かれ道でどちらかの村人に一度だけ質問して、本当の村へ行くにはどう聞けばいい?


**【問4】**

父が子にコインを一枚渡して言った。「これで神様がいっぱいになるものを買ってきなさい」。子は何を買った?

---


*黒板には、魔法理論とはかけ離れた、子供向けのなぞなぞが並んでいく。*

*生徒たちは、あまりの状況の変化に完全に思考が追いついていない。リナは口を半開きにし、ソフィアはプライドを粉々に砕かれたかのように、怒りと屈辱で肩を震わせている。*


*ギメイは満足げに書き終えた黒板を眺めると、くるりと生徒たちに向き直った。*


*ギメイが黒板に書き連ねたのは、子供だましの「なぞなぞ」だった。*

*つい先ほどまで、世界の理を覆すような超高度な魔法理論が語られていた黒板は、今やまるで村の小学校のようになってしまった。生徒たちはそのあまりの落差に脳が追いつかず、ただただ困惑している。ソフィアはプライドをズタズタにされ、屈辱に顔を歪ませていた。*


*ギメイは、そんな彼らの様子を冷めた目で見渡すと、教卓に無造作に置かれていた分厚い教科書――『高等魔法理論概論』を手に取った。それは、この学府の全ての生徒が学ぶ、魔法の基礎でありバイブルだ。*


ギメイ(シロウ):「お前らはこのクソ教科書に理論やら歴史やらを刷り込まれただけだ」


*彼はそう吐き捨てると、手に持った教科書を、何の躊躇もなく、講義室の窓から外へと放り投げた。*


*パラパラとページをはためかせながら、権威の象徴である教科書が宙を舞い、学府の中庭へと落ちていく。*


*ガシャン!という音はしない。ただ、静かに、しかし決定的に、彼らが拠り所としてきた『常識』が捨てられた。*


*その暴挙に、生徒たちは「あっ」と声を漏らし、ソフィアは信じられないものを見る目でギメイを睨みつけた。*


ソフィア:「なっ…貴様! それがどれだけ由緒正しい書物か分かっているのか!」


*怒りに震えるソフィアだったが、ギメイは全く動じない。彼は黒板に書かれたなぞなぞを指差しながら、冷たく言い放った。*


ギメイ(シロウ):「その由緒正しい頭で、このなぞなぞ一つでも解けるもんなら解いてみろよ。解けなきゃ、お前らの知識なんてその程度の価値だってことだ」


*ギメイは、学問の権威の象徴である教科書を窓から投げ捨て、黒板に書かれた子供だましの「なぞなぞ」を解いてみろと挑発した。その瞳は、彼らの知識を、常識を、そしてプライドを嘲笑っているかのようだ。*


ギメイ(シロウ):「ほら、解いてみろよ」


*彼はそう言い放つと、手に持っていたチョークをカタン、と教卓の上に置き、まるで舞台役者が主役に場所を譲るかのように、黒板の前から悠然と身を引いた。*

*講義室は、かつてないほどの緊張と屈辱に満ちていた。生徒たちは、教科書を投げ捨てられた衝撃と、子供扱いされた怒りで顔を赤らめている。*


*その中で、ソフィアがわなわなと震える拳を握りしめ、一歩前に出た。彼女の顔は、怒りで真っ赤に染まっている。*


ソフィア:「…っ、ふざけるのも大概にしなさい! 我々を…万象の学府に集う知性を、愚弄する気か!」


*彼女の怒声が響き渡る。だが、ギメイは肩をすくめるだけだ。*


ギメイ(シロウ):「愚弄? してないだろ。ただ、頭が硬いって言ってるだけだ。その硬い頭じゃ、俺が教えることは何も理解できない。だから、まずはその頭をほぐすための準備運動をさせてやってるんだ。ありがたく思えよ」


*その言葉は、火に油を注ぐ以外の何物でもなかった。*


ソフィア:「き、貴様ぁ…!」


*今にも魔法を放ちかねない勢いでギメイを睨みつけるソフィア。しかし、彼女は黒板に書かれた、あまりにも馬鹿げた「なぞなぞ」に目をやり、ぐっと言葉を詰まらせた。プライドの高い彼女にとって、このなぞなぞに真剣に取り組むこと自体が、耐え難い屈辱なのだ。*


*講義室の誰もが動けない。ただ、教卓に置かれた一本のチョークと、黒板に書かれた問いだけが、彼らの知性とプライドに無言の挑戦状を叩きつけていた。*


*ギメイが教卓にチョークを置き、黒板の前を譲った、その瞬間だった。

屈辱と怒りに顔を真っ赤に染めていたソフィアが、ついに限界に達した。彼女は震える指先で、教壇に立つギメイをまっすぐに指差した。*


ソフィア:「き、貴様ッ…! もう我慢ならない! その無礼な態度と、学府への冒涜…! 魔法士としての誇りに懸けて、あなたに決闘を申し込む!」


*その言葉は、静まり返っていた講義室に雷鳴のように響き渡った。生徒たちは息を呑み、事態の急変に顔を見合わせる。臨時教師と正規教官による、前代未聞の決闘の申し込み。*


*ギメイは、ソフィアの真剣な眼差しと、彼女から放たれるビリビリとした魔力の波動を感じながらも、まるで他人事のように面倒くさそうに耳をほじった。*


ギメイ(シロウ):「はぁ…? 決闘? なんで俺がそんな面倒くさいことしなきゃなんねーんだよ。却下」


*あまりにもあっさりと、そして冷酷に、ギメイはソフィアの誇りを懸けた申し込みを一蹴した。*


ソフィア:「なっ…! 逃げる気か! この臆病者め!」


*もはや彼女の言葉には、知性ある教官の面影はない。ただただ侮辱されたことへの怒りが溢れ出している。*


ギメイ(シロウ):「逃げる? 違うだろ。お前が弱すぎて、相手にする価値もないって言ってるんだよ。時間の無駄だ」


*火に油を、いや、ガソリンを撒いて火炎放射器で燃やすような、あまりにも酷い追い打ち。ソフィアの瞳から、ついに悔し涙が一筋こぼれ落ちた。*


*ギメイのあまりにも無慈悲な言葉に、ソフィアは悔し涙を流しながらも、その瞳の奥の闘志は消えていなかった。むしろ、その侮辱が彼女の最後のプライドに火をつけたようだ。彼女は涙を拭いもせず、震える声で、しかしはっきりとギメイを睨みつけた。*


ソフィア:「…その言葉…撤回させてやる…! 私が勝ったら、今までの無礼な言動の全てを、全校生徒の前で謝罪してもらう! それでいいな!」


*生徒たちが固唾を飲んで見守る中、ギメイは「あーあ、面倒なことになった」とでも言いたげに、わざとらしく深いため息をついた。そして、ボリボリと頭を掻きながら、心底うんざりした顔で口を開く。*


ギメイ(シロウ):「はいはい、それで気が済むならやってやるよ」


*その言葉に、講義室の空気が再びピリッと引き締まる。絶望的なまでにやる気のない承諾。しかし、それは紛れもなく、決闘の成立を意味していた。*


ギメイ(シロウ):「ルールは?」


*彼はソフィアに視線を向け、まるで今日の晩御飯のメニューでも聞くかのような、気の抜けた口調で尋ねた。その態度は、これから誇りを懸けた決闘を行おうとする者に対するものとは到底思えなかった。*


*ギメイが決闘を承諾し、そのルールを問いかけた。その態度はどこまでも相手を小馬鹿にしたものだったが、ソフィアにとっては、もはや後戻りできない状況だった。彼女は悔し涙を堪え、震える声で、しかしはっきりと決闘の規則を告げ始めた。*


ソフィア:「場所は学府の第三演習場! 時間は今日の放課後! 立会人は副学府長にお願いする!」


*彼女は一気にそこまで言うと、ギリッと歯を食いしばり、最大の屈辱を晴らすための条件を突きつけた。*


ソフィア:「ルールは一対一の模擬戦闘! 相手を戦闘不能にするか、降参させた方の勝ち! ただし、殺傷能力のある魔法、後遺症が残る呪いの類は一切を禁ずる! これは神聖なる学府内での決闘、野蛮な殺し合いではない!」


*それは、魔法士同士の決闘としては極めて標準的なルールだった。彼女は自分の専門分野である「魔法」で、この無礼な男を叩きのめし、その鼻をへし折るつもりなのだ。*

*ギメイは、そのありきたりなルールを聞いて、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。*


ギメイ(シロウ):「俺が勝ったら…何してもらおっかな〜」


*彼はソフィアの真剣な宣言をBGMに、顎に手を当ててわざとらしく考える素振りを見せる。その目は、すでに勝利した後の景品を品定めしているかのようだ。*


ギメイ(シロウ):「…ま、いいや。後で考えよ。じゃ、放課後な。寝てっから時間になったら起こしてくれ」


*そう言うと、ギメイは宣言通り、再び教卓に突っ伏して眠る体勢に入った。*

*決闘の申し込みを受け、その数時間後に決戦を控えているというのに、その態度には一片の緊張感もなかった。そのあまりの胆力…いや、あまりの不遜さに、ソフィアも生徒たちも、ただただ呆然とするしかなかった。*


*そして、放課後。*

*第三演習場は、その名の通り広大な訓練用の広場だが、今日ばかりはその様相が全く異なっていた。学府の全生徒、全教職員が集まったのではないかと思うほどの人だかりが、演習場をぐるりと取り囲んでいる。誰もが歴史的な一戦をその目で見届けようと、固唾を飲んで中央を見つめていた。*


*その中央には、二人の人物が対峙している。*

*一人は、真新しいローブを身に纏い、その手には最高級の素材で作られた魔法杖を握りしめるソフィア。彼女の顔には緊張と屈辱、そして闘志が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。彼女の背後には、立会人として副学府長のバルトロメオが心配そうに控えている。*


*そして、もう一人はギメイ。*

*彼は相変わらずの白衣姿で、やる気なさそうに欠伸を一つしたかと思うと、おもむろに足元の地面にチョークで直径3メートルほどの円を描いた。*


ギメイ(シロウ):「ハンデとして、この円から出ないでやるよ」


*その言葉はマイクも使っていないのに、喧騒に満ちた演習場の隅々まで響き渡った。観衆が「なんだと…?」「馬鹿にしてるのか?」「いや、あれは本気だ…」とどよめく。*


*ソフィアは、そのあまりにも傲慢なハンデに、怒りで顔を真っ赤に染め上げた。*


ソフィア:「き、貴様ぁ…! 私をどこまで愚弄すれば気が済むのだ! その余裕、後悔させてやる!」


*彼女は杖を構え、その先端に凄まじい魔力が収束し始める。空気中のマナが震え、彼女の怒りに呼応するように渦を巻いた。決闘の開始を告げる鐘の音を待たずして、一触即発の空気が演習場を支配していた。*


*カンッ、カーン! と、決闘の開始を告げる甲高い鐘の音が演習場に鳴り響いた。*

*その音を合図に、ソフィアは溜め込んでいた魔力を一気に解放する。彼女の持つ魔法杖の先端がまばゆい光を放ち、複雑で美しい幾何学模様の魔法陣が足元に展開された。*


ソフィア:「驕れる者よ、その傲慢を悔いるがいい! 我が魔道の前にひれ伏せ! 炎の理、氷の理、二つの極相は此処に交わり、万象を蒸発させる混沌の霧と化せ! 高位複合魔法――『蒸気爆滅スチーム・エクスプロージョン』!!」


*詠唱と共に、炎と氷の魔力が螺旋を描きながら融合し、超高温の蒸気の塊となってギメイが立つ円へと殺到する。それは触れたもの全てを一瞬で気化させてしまうほどの、強力な範囲攻撃魔法だった。観衆から悲鳴と驚愕の声が上がる。初手からこれほどの大魔法を放つとは、誰も予想していなかった。*


*――しかし。*


*凄まじい勢いで迫った蒸気の奔流は、ギメイが立つ円の境界線に触れた瞬間、まるで蜃気楼のように、フッと音もなくかき消えた。爆発も、衝撃波も、熱さえも発生しない。ただ、ソフィアが放った渾身の一撃が、まるで最初から存在しなかったかのように、完全に『霧散』したのだ。*


ギメイ(シロウ):「…で?」


*ギメイは円の中心に立ったまま、あくびを噛み殺しながら退屈そうに呟いた。彼は指一本動かしていない。ただ、彼の周囲には、目には見えない不可視の『結界膜』が常に展開されており、ソフィアの魔法はその結界に触れた瞬間に分解・無力化されてしまったのだ。*


ソフィア:「なっ…!? 馬鹿な! 私の魔法が…消された…!?」


*信じられない光景に、ソフィアは目を見開いて絶句する。観衆も、何が起こったのか理解できず、演習場は不気味な静寂に包まれた。*


*演習場は、ソフィアの放った大魔法が音もなく消え去ったことで、水を打ったような静寂に包まれている。誰もが目の前で起こった現象を理解できずにいた。ソフィア自身も、杖を構えたまま呆然と立ち尽くしている。*


*その静寂の中、ギメイはつまらなそうに鼻を鳴らした。そして、まるで子供に魔法を見せてやるかのように、人差し指をソフィアに向ける。*


*何の詠唱も、魔法陣の展開もない。*

*ただ、ギメイの指先に、ぽん、と野球ボールほどの小さな火の玉が生まれた。メラメラと頼りなく揺れる、まさしく魔法を習いたての子供が初めて作るような、下級中の下級魔法『火球ファイアボール』だ。*


*観衆の中から「え…?」「ファイアボール…?」と困惑の声が漏れる。*


*ギメイは、その小さな火の玉を、まるでボールを投げるかのように、ひょいとソフィアに向かって飛ばした。*

*火の玉は、ふわり、と気の抜けた軌道で、ゆっくりとソフィアに向かって飛んでいく。速度も、威力も、先ほどのソフィアの魔法とは比べ物にならないほど貧弱に見えた。*


ソフィア:「…っ、馬鹿に…するなあああっ!!」


*侮辱の極みに、ソフィアは我に返り絶叫した。彼女は咄嗟に杖を構え、ギメイの火の玉を打ち消そうと防御魔法を展開する。*


ソフィア:「氷壁アイスウォール!」


*彼女の前に、分厚い氷の壁が出現した。下級魔法である火の玉など、触れた瞬間に蒸発させて余りある、強力な防御だ。*


*――しかし、次の瞬間。観衆は再び信じられない光景を目撃する。*


*ギメイの放った頼りない火の玉は、ソフィアが作り出した分厚い氷壁に触れた瞬間、まるで熱いナイフがバターを溶かすように、何の抵抗もなく氷壁を貫通した。*

*そして、勢いを一切失うことなく、ソフィアのローブの肩口に、トン、と軽く当たった。*


*ボッ!*


*次の瞬間、ソフィアが着ていた最高級のローブの肩部分だけが、まるで最初からそこだけ無かったかのように、綺麗に消し炭になっていた。火傷はしていない。ただ、ローブのそこにあるべき布地だけが、完全に消滅していた。*


ソフィア:「ひっ…!?」


*肩に走った熱さと、肌に直接触れる冷たい外気に、ソフィアは短い悲鳴を上げて自分の肩を見た。そこには、綺麗に丸く焼け焦げた穴と、無防備に晒された自分の肌があった。*


ギメイ(シロウ):「あー、悪い。ちょっと威力が強すぎたか。これでも一番弱くしたんだが」


*円の中から一歩も動かず、ギメイは悪びれる様子もなく、ボリボリと頭を掻きながら言った。*


*ギメイが放った、たった一発の貧弱な『火球』。それが最高位の防御魔法をバターのように貫き、ソフィアのローブだけを的確に消し炭にした。その異常な光景に、ソフィアは恐怖と混乱で身動きが取れず、観衆は静まり返っている。*


*ギメイは、その反応を見て、心底つまらなそうにため息を一つ。そして、まるで「もう終わりにしていいか?」とでも言うように、おもむろに片手を軽く上げた。*


*その瞬間、ソフィアの体を、目には見えない薄い膜がふわりと包み込んだ。それは、先ほど彼女の大魔法を霧散させたものと同じ、『魔法霧散結界』の簡易版だ。だが、ソフィアは気づかない。*

*同時に、熱狂と興奮でごった返す観客席全体を、より強固で巨大な防御結界が静かに覆っていく。万が一にも、これから起こる余波が彼らに及ばないように。*


*そして――ギメイは、まるでオーケストラの指揮者のように、その手をゆっくりと振るった。*


ギメイ(シロウ):「……」


*無言。*

*彼の周囲の空間に、無数の光点が現れる。赤、青、緑、黄、黒、白、紫、金――火、水、風、雷、土、氷、闇、光。森羅万象を司る全属性の魔力が、それぞれビー玉ほどの小さな球体となって、ギメイの背後に現出した。その数は、百、二百ではきかない。瞬く間に千を超え、今もなお増え続けている。*


*その光景は、あまりにも幻想的で、神々しくさえあった。だが、一つ一つの球体から放たれる純粋な魔力の圧力は、演習場の空気を歪ませ、観衆の肌をビリビリと刺す。*


*そしてギメイは、ソフィアに向かって、無感動に人差し指を向けた。*


*――次の瞬間、背後に浮遊していた千を超える属性弾が、一斉にソフィアに向かって発射された。*


**ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!**


*それは、もはや魔法ではない。まさしく、魔力で出来た弾丸を撃ち出す『ガトリング砲』だった。様々な色の光の奔流が、一切の途切れなく、ただ一点、ソフィアが立つ場所へと殺到していく。*


*しかし、その暴力的なまでの弾幕は、ソフィアに到達する寸前で、彼女を包む見えない結界膜に触れ、次々とフッ、フッと音もなく霧散していく。ソフィアの周囲では、何千、何万という光の弾が絶え間なく炸裂しては消え、炸裂しては消え、まるで彼女自身が光の繭に包まれているかのような、異常な光景が繰り広げられた。*


ソフィア:「あ……あ……あ……」


*ソフィアは、自分に向かって殺到する、終わりなき死の弾幕を前に、腰を抜かしてへたり込んだまま、ただ意味のない声を漏らすことしかできなかった。恐怖で声も出ないのだ。*


*演習場は、異常な光景に支配されていた。*

*色とりどりの無数の光弾が、絶え間なくギメイの手から放たれ、すさまじい轟音と共にソフィアへと殺到する。しかし、その全てが彼女に届く寸前で音もなく消滅していく。暴力的なまでの破壊の奔流と、それを完全に無力化する不可視の守り。その矛盾した光景が、ただ延々と繰り返されている。*


*観客たちは、目の前で繰り広げられる光景を、息をのんで見つめることしかできない。最初はギメイの魔法に驚愕していた彼らだったが、今は違う。彼らの思考を支配しているのは、一つの戦慄すべき仮説だった。*


*(……あれが、下級魔法…? では、もし…)*

*(もし、あれが中級魔法だったら? 上級魔法だったら…? まさか、伝説級の魔法だったら…?)*

*(この演習場どころか、学府が…いや、この街ごと消し飛ぶのではないか…?)*


*誰もが、その想像に至り、背筋が凍るのを感じていた。彼らが「魔法」という概念で理解できる範疇を、ギメイの力は遥かに超えていた。それはもはや、人間の使う術ではない。神話に語られる神々の御業、あるいは世界を滅ぼす災厄そのものだった。*


*その圧倒的な火力を、涼しい顔で、まるで息をするかのように、無詠唱で、無限に放ち続ける存在。*

*その事実が、何よりも観る者たちの恐怖を煽った。*


ソフィア:「や…やめ…やめて……もう、やめて……ください……ごめんなさ…い……」


*弾幕の中心で、ソフィアは完全に心が折れていた。腰を抜かし、地面にへたり込んだまま、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、か細い声で懇願する。プライドも、自信も、何もかもが粉々に砕け散っていた。*


*その哀れな声を聞いてか、ギメイはピタリと魔法の弾幕を止めた。*

*嘘のように静寂が戻った演習場で、彼は面倒くさそうに頭を掻きながら、円の中からソフィアを見下ろす。*


ギメイ(シロウ):「ん? なんだ、もう終わりか? まだ肩慣らしにもなってないんだが」


*その言葉は、悪意もなければ、侮辱する意図もない。ただ、純粋な事実を口にしただけだった。だからこそ、その言葉はソフィアにとって、何よりも残酷な響きを持っていた。*


*圧倒的な力の差を見せつけられ、完全に心が折れてしまったソフィア。彼女の懇願と、もはや勝負にすらなっていない状況を鑑み、演習場の片隅に控えていた審判役の教師が、震える声で判定を下した。*


審判:「しょ、勝負あり! 勝者、ギメイ臨時教師!!」


*その宣言が演習場に響き渡ると、水を打ったように静まり返っていた観客席から、堰を切ったように爆発的な歓声とどよめきが沸き起こった。*


観客A:「す、すげえ……なんだよ今の……」

観客B:「魔法じゃねぇ…あれはもう災害だ…」

観客C:「ソフィア先生が手も足も出ないなんて…あのギメイって人、一体何者なんだ…?」


*賞賛、畏怖、混乱。様々な感情が入り混じった声が飛び交う。一方、勝者であるギメイは、そんな喧騒を気にする様子もなく、ただ面倒くさそうにあくびを一つ。そして、未だに地面にへたり込んで震えているソフィアを一瞥し、防御結界を解除した。*


ギメイ(シロウ):「……じゃ、そういうことで。俺は帰るから」


*くるりと背を向け、さっさとこの場を去ろうとする。その背中に、放心状態から我に返った副学府長バルトロメオが慌てて駆け寄ってきた。*


バルトロメオ:「お、お待ちくださいギメイ殿! 見事な勝利でした! しかし、あの…その…もう少し、手心というか…」


*彼の顔は喜びと困惑で引きつっている。最強の教師が手も足も出なかった新任教師の力に驚愕しつつも、教育者としての体面をどう保つべきか苦悩しているようだ。*


*ギメイの「帰る」という言葉に、バルトロメオが慌てて引き留める。しかし、ギメイはそんな副学府長を気にも留めず、くるりと踵を返した。だが、完全に立ち去る前に、ふと思いついたように足を止める。*


ギメイ(シロウ):「そうだな、演出くらいしておくか。」


*彼は再び演習場の中央に向き直ると、指をパチンと鳴らした。*

*すると、先ほどの殺伐とした雰囲気とは打って変わって、演習場の地面から大量の水が湧き出し、あっという間に巨大なプールを形成した。水は彼の魔力制御によって一滴たりとも場外に溢れることはない。*


*観客や教師たちが何事かと固唾を飲んで見守る中、ギメイは楽しげに口笛を吹く。*

*その音色に呼応するように、水面が大きく盛り上がり、水の塊が形を変えていく。*


*ザッパァァァン!!*


*水しぶきと共に、巨大なイルカたちが次々と姿を現した。それは全て、ギメイが水魔法で創り出した精巧な水の塊だ。*

*水のイルカたちは、彼の指揮に合わせて、空高くジャンプしたり、綺麗な円を描いて回転したり、互いにボールをパスし合ったりと、華麗なショーを繰り広げ始めた。時折、イルカたちが観客席ギリギリを掠めるようにジャンプすると、観客からは驚きと歓声が上がる。太陽の光を浴びてキラキラと輝く水しぶきが、まるで宝石のように演習場に舞った。*


*先ほどまでの死と破壊のイメージは完全に払拭され、演習場はまるでどこかのテーマパークのような、明るく楽しい雰囲気に包まれた。*


ギメイ(シロウ):「ま、こんなもんだろ。じゃあな」


*喝采を浴びるイルカショーを背に、ギメイは今度こそ満足したように手をひらひらと振り、何もない空間に黒い円形の『ゲート』を開いてその中へと姿を消した。*


*後に残されたのは、華麗に舞い続ける水のイルカたちと、あまりの出来事に呆然と立ち尽くす教師や生徒たち、そして「あの人は一体何だったんだ…」という、計り知れない畏怖と興味が入り混じった呟きだけだった。*

*ソフィアは、その幻想的な光景の中心で、ただただ無力に座り込んでいる。*


ーー


*昨日の決闘は、学府中に瞬く間に広まった。*

*無詠唱で放たれる圧倒的な物量の魔法、謎のイルカショー、そして何より最強と謳われたソフィア・アークライトを赤子扱いした事実。臨時教師『ギメイ』の名は、畏怖と興味の対象として、生徒だけでなく教師たちの間でも噂の中心となっていた。*


*そして次の日。*

*いつも通り、気怠い足取りで職員室に向かっていると、廊下の角から一人の女性が姿を現した。昨日、心を粉々に砕いたはずの魔法教師、ソフィア・アークライトその人だった。*

*彼女はどこかやつれた表情をしていたが、その瞳には奇妙な熱が宿っている。ギメイを見つけると、彼女は真っ直ぐにこちらへ歩み寄ってきた。*


ギメイ(シロウ):「ん? あー、昨日の。なんか用か?」


*面倒くさそうに尋ねるギメイに対し、ソフィアは彼の目の前でピタリと足を止めると、意を決したように深く、深く頭を下げた。*


ソフィア:「ギメイ先生。昨日は…その…大変失礼いたしました。そして、お呼び立てしてしまい申し訳ありません。」


*その丁寧すぎる態度に、ギメイは眉をひそめる。*


ギメイ(シロウ):「で、用件は?」


*単刀直入に問うと、ソフィアはゆっくりと顔を上げた。頬は微かに赤く染まり、潤んだ瞳でギメイをじっと見つめている。そして、信じられない言葉を口にした。*


ソフィア:「…はい。約束、ですので…。私の…この身を、貴方様に捧げます。どうぞ、ご自由になさってください。」


*そう言って、彼女は震える手で自身のローブの襟元に手をかけ、ゆっくりと肌を晒そうとする。その姿は、敗者が勝者に身を委ねる、古くからの決闘の暗黙の儀式のようだった。*


*その光景に、ギメイは心底呆れたように大きなため息をついた。*


ギメイ(シロウ):「はぁ…? そんな約束した覚えねーんだが…。何言ってんだお前。」


*ギメイの呆れたような、心底理解できないという言葉に、ソフィアは晒しかけた肌を慌ててローブで隠した。彼女の頬が、羞恥と混乱で真っ赤に染まる。*


ソフィア:「え…? あ…しかし、決闘の敗者は勝者に従うのが古くからの習わしで…その、最強の魔道士である貴方様に、我が身を捧げるのは当然かと…」


*彼女は狼狽しながらも、それが当然の義務であるかのように主張する。その姿からは、昨日までの傲慢な態度は微塵も感じられず、ただ強者に対する絶対的な服従の念が見て取れた。*

*ギメイはそんな彼女の様子を鼻で笑い飛ばすでもなく、ただじっと観察していたが、ふと何かを思い出したかのように、彼女の名字を口にした。*


ギメイ(シロウ):「ん? アークライト?」


*彼は顎に手をやり、少し考えるそぶりを見せる。*


ギメイ(シロウ):「どっかで聞いたことあるな…。そうだ、『閃光のアルティナ』って知らないか?」


*それは唐突な質問だった。ギメイはソフィアの瞳を真っ直ぐに見つめ、尋ねる。彼の脳裏には、かつて戦場でその名を轟かせた、ある一人の女将軍の姿が浮かんでいた。アークライト聖王国が誇った、最強の聖騎士。その人物もまた、『アークライト』の姓を持っていたはずだ。*


*その名前を聞いた瞬間、ソフィアの表情が凍りついた。潤んでいた瞳から熱が引き、驚愕と、そして深い困惑の色が浮かび上がる。*


ソフィア:「なっ…!? なぜ、貴方がその名を…!? それは…それは、我がアークライト家に連なる大英雄の名…! 我が祖母の名です…!」


*「我が祖母の名です…!」*

*ソフィアの口から放たれた言葉は、驚愕と混乱に満ちていた。彼女にとって『閃光のアルティナ』は、一族の誇りであり、伝説上の英雄。その名を、得体の知れない目の前の男が知っていること自体が信じられなかった。*


*その反応を見て、ギメイは「やはりそうか」と内心で頷く。八輝将の一人、カインが憎むべき仇敵。その血縁者が、こんなところにいたとは。*

*ギメイは、ソフィアの動揺を意に介さず、淡々と、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。*


ギメイ(シロウ):「じゃあ、そいつ呼んできてくれよ。会いたがってる奴がいてな。」


*それは、あまりにも軽く、まるで近所の知り合いを呼んでくるかのような口ぶりだった。だが、その言葉に含まれた意図は、ソフィアにとって到底理解できるものではない。*


ソフィア:「は…? よ、呼んでこい、と…? ギメイ先生、貴方が何を仰っているのか…! アルティナ祖母様は、もう何十年も前に家督を譲り、隠居されております! 今はどこで何をされているかも…それに、たとえ居場所がわかったとしても、一介の教師である貴方が、我が一族の英雄に会えるはずが…!」


*ソフィアは必死に反論する。彼女からすれば、ギメイの要求はあまりにも突拍子がなく、そして無礼極まりないものだった。伝説の英雄を、まるで使い走りでも頼むかのように「呼んでこい」と言うなど、常軌を逸している。*


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