広東でストが多発する原因
今、広東省の各企業は深刻な人手不足に悩んでいる。
街を歩けば人だらけなのでどこがそうなのだろうと思ってしまうが、一説によると、私の住んでいる広東省の省都・広州だけで十五万人不足し、深センなども含めた広東省全体では百万人分の労働力が足りないという。
この原因としては、第一に景気が好調のために雇用情勢のいいこと、そして、二番目には内陸部の発展によって出稼ぎ労働者が減ったことが挙げられる。各省ごとのGDP成長率を見ると、すでに発展してしまった上海、福建、広東といった沿岸部よりも、内陸部のほうが高い。近場に出稼ぎ先ができたので、わざわざ遠い広東省まで出稼ぎにこなくてもよくなったのだろう。
また、中国の労働力人口が頭打ちになったことも、この原因として加えられるかもしれない。労働力人口とは、十五歳から六十四歳までの人口のことだ。一人っ子政策の浸透によって若年層が減ったため、二〇一一年からこれが減少に転じる。労働者の数そのものが増えないのだから、景気がよければ人手不足になりやすい。
この人手不足とすさまじい格差問題を背景にして、中国全土においても、広州付近でもストライキが多発している。
広州市郊外とその周辺には、トヨタ、ホンダ、日産と日本の三大自動車メーカーがそろって進出し、各社の現地合弁企業とその工場がある。さらに、それぞれの下請け会社なども進出しているので、合計すれば相当な数の日系自動車関連企業が広州一帯に存在する。もちろん、日系ばかりではなく他の国の自動車メーカーも広州付近で現地工場を稼動させており、この自動車産業によって広州経済は大きく潤い、地域経済発展の柱となっている。広州は、いわば日本の愛知県やアメリカのデトロイトのようなところだ。このような場所に住んでいるのと仕事上でも自動車産業との係わりが多いので、私の聞くストライキ話は自動車関連のものが多い。
先日、広州市の隣の市にあるホンダ系列の日系部品メーカーで従業員が大規模なストライキに入った。日本でも報道されたようなので、ご存知のかたもいるだろう。
エンジン、車体、内装関係など自動車関連の部品工場は数多くあるが、そのひとつでもストップすれば大変なことになる。
日系自動車メーカーの最終組立工場は、必要最小限の部品在庫しか置かない。余分な在庫を減らして効率を高めるのが狙いなのだが、そのためにあまり余裕がなく、系列部品工場の操業停止が長引けば、部品が不足して生産ラインに大きな影響が出てしまう。ホンダの最終組立工場もすでに操業に支障をきたして生産ラインがストップしたそうだ。ちなみに、その部品工場の操業停止によって影響が出たのは広州付近の最終組立工場ばかりではない。中国各地にあるホンダの最終組立工場へもその部品メーカーから部品を供給しているため、それらの工場も生産ラインが止まってしまった。
中国のニュースサイトでこのストライキに関する報道を読むと、日本人総経理(社長)と中国人のいちばん賃金の安い従業員との格差が五十倍もあり、それがいちばんの問題だというような書き方をしている記事もあるが、これは問題の本質のありかを意図的に隠そうとした姑息な執筆手法だ。日本のマスコミも中国の新聞記事を元ネタにして原稿を書いているようだが、こんな子供だましの手に騙されてはいけない。
中国の現地子会社の総経理は、そのほとんどが日本の親会社からの出向者だ。つまり、日本の親会社での基準にしたがって給与が支払われているにすぎない。たしかに、中国は物価が安いので、駐在すれば日本ではできないようないい暮らしを送ることができるが、彼らの生活のベースは日本にあるので日本での支払いもある。子供の教育の関係で家族を日本に残したまま単身赴任をしていればなおさらだ。物価の差を考慮し、実質的な購買力で比較すればいくらなんでも五十倍にはならない。そもそも、日本と中国では物価が大きく異なるので、同じ土俵に乗せて単純に比較しようとすること自体がむちゃだ。それにもかかわらずセンセーショナルに「格差が五十倍」などと書くのは重要な問題点をわざと覆い隠そうとしているとしか思えない。ストのあったホンダ系列の部品工場が他の企業と同様に格安の賃金で中国人労働者を雇用していることは確かだが、その反面、現地従業員を大量に雇うことで彼らの生活を支え、中国経済の発展のために貢献していることも間違いない。外国企業を排斥するような記事を安易に書くのはいかがなものだろう。
スト問題の本質は、中国人同士の賃金格差とごくわずかしか上昇しない一般従業員の賃金体系にある。
工場の生産ラインで働く出稼ぎ労働者の月給は、無料の寮付きで月給七百数十元から九百数十元、日本円にすれば一万円あまりという場合が多い(※)。広州の大卒初任給の相場は約三千元(約四万円)なので、もうこれだけで四倍の格差がある。部長職なら月給一万数千元から二万元(約二十七万円)を支払う企業もあるので、出稼ぎ労働者と部長職を比べれば十数倍から二十数倍の賃金格差がついてしまうこともある。格差社会といわれている日本でもこれほどの差はつかない。能力が高くてばりばり仕事する人間には高額の給料を支払うが、一般の作業員には必要最小限しか賃金を払わないというのが中国文明の形であり、それはそれで大陸中国の国情にそった方法なのだが、それにしても、ここまで格差が広がっては出稼ぎ労働者に恨むなというほうがむりというものだ。
中国の格差問題には「実習生」という中国の制度も関係している。
中国の大学生は在学中に一定期間、実習生、つまり見習いとして企業で働くことが義務付けられている。社会経験を積みましょうというのがその趣旨で、実習期間をきちんと終えて企業からその証明書を発行してもらわなければ、大学を卒業することができない。
多くの大学生は卒業後、契約社員として一般企業へ就職するのだが、なかにはいつまでも契約社員にしてもらえず、実習生の身分のままで働き続ける若者もいる。広州におけるこの実習生の基本賃金は月五百元(約七千円)あまり。食事補助などの福利厚生を含めて、七百元(一万円前後)から八百元(一万円強)くらいが相場といわれている。だが、これぽっちの所得ではとても生活できない。日本でも、技術を学ぶためという名目で中国や他の途上国から外国人研修生が来日して企業で実習するものの、実質的には日本の企業が彼らを低賃金で酷使しているだけだとして問題になっているが、同じような問題が中国国内に存在している。
かつて中国の指導者だった鄧小平は「先に豊かになれるものは豊かになって、後のものは彼らに追いつけるようにがんばろう」という「先富論」と名づけた考え方にもとづいて中国の改革開放を始めたのだが、「先に豊かになれるものは豊かになり、後のものはほったらかし」というのが実情だ。もちろん、昔に比べれば生活水準はかなり向上しているのだが、物価の上昇に賃金の上昇が追いついていない。とりわけ、不動産価格高騰の問題は深刻だ。一般企業で契約社員として働く若者が自分で頭金を貯蓄し、ローンを組んでマンションの部屋を買うなどということはとてもむりだ。ましてや農村からの出稼ぎ労働者ともなれば、都市部で自宅を購入することはおろか、一生かかってもマンションの頭金を用意できるかどうかすらあやしいものだろう。
広州でストライキが多発する背景には、これまで述べたように、中国人同士での賃金格差、一般従業員の賃金が低水準に据え置かれたままでなかなか上昇しない、価格が高騰しすぎたために生活の基盤であるはずの住宅が一般庶民の手に届かなくなった、などという中国の社会問題が存在している。日本人総経理の給与が高すぎるなどという報道は、これらの諸問題を隠蔽して責任転嫁するためのミスリードにすぎない。
このエッセイは二話完結です。後編へ続きます。
(※)賃金相場は本作の発表時点のもの。2010年の春頃から、広東ではストの多発と人手不足により賃上げが相次いでいるので、賃金水準は上昇傾向にある。また、日系企業の賃金は中国本土企業のそれよりも高い場合が多い。