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2

 氷の入ったグラスが、テーブルの上でカランと音を立てた。


 口に含んだアルコールが、喉を焼くように下っていく。


 「ほらほら、顔赤いよ? 光希くん、案外お酒弱い系?」


 笑いながら俺の腕にぴったりくっついてきたのは、美月だった。

 さっきから何杯目かも、もうわからない。


 「そろそろ、帰ろうかな……」


 「えー、つまんない。もうちょっと飲もうよ。ね? こっちこっち」


 彼女は俺の手を引いて、席を離れた。

 二次会。薄暗い、音楽の鳴るバーの片隅。


 グラスの中の琥珀色が揺れていた。


 「ねえ、キス……したことある?」


 耳元で囁かれたとき、俺の意識はすでに半分溶けていた。


 「……っ」


 唇が触れ合い、呼吸が重なった瞬間。

 奈央の顔が、脳裏に浮かんだ。


 ――ダメだ。


 そう思った。


 でも、止められなかった。


 世界が、アルコールの膜で曇っていた。


 



 


 目が覚めたのは、見覚えのない天井の下だった。


 身体が重くて、息が詰まりそうだった。


 視界の隅に、裸の肩が見えた。


 「……は?」


 隣で寝ていたのは、美月だった。


 彼女は、薄く笑いながら俺に気づき、シーツを引き寄せる。


 「おはよ。昨日……ちゃんと、覚えてる?」


 頭の奥がズキズキと痛む。


 覚えていない。

 いや、ところどころ、途切れ途切れの断片だけはあった。


 ――キス。

 ――服が脱がされる音。

 ――肌の温度。


 「……違う、俺……」


 「酔ってたんだよね? わかってる。でもさ、私、嬉しかったよ。光希くんが選んでくれて」


 「選んでなんか、ない」


 声が震えていた。


 俺は急いでスマホを探す。

 床に落ちた画面には、奈央からの未読LINEがいくつも届いていた。


 【どこにいるの?】

 【何かあった?】

 【連絡して】

 【もしかして、浮気……?】

 【嘘だよね】

 【電話出て】

 【なんで黙ってるの?】

 【最低】


 喉の奥が締めつけられた。


 昨日、自分が何をしたか、ようやく現実味を帯びてのしかかってくる。


 「……行かなきゃ」


 立ち上がろうとする俺の腕を、美月がまた掴んだ。


 「ねえ、責任……とってくれるんでしょ?」


 「責任?」


 「昨日、あんなにしておいて……なかったことにはできないよね?」


 その目は、真剣で、だけどどこか“演技”にも見えた。


 俺は言葉を返さなかった。

 吐きそうだった。


 背中を向けて、そのまま服を掴んで出ていった。


 



 


 夕方。奈央の家の前。


 何度チャイムを押しても、反応はなかった。


 LINEも未読のまま。


 俺は、深呼吸して、扉の前にしゃがみこんだ。


 「……奈央……ごめん。ほんと、ごめん……」


 何度も、何度も、呟いた。


 ようやく、ガチャ、と扉が開いた。


 奈央がそこにいた。


 髪は乱れていて、ノーメイクの顔は少し浮腫んでいた。

 目元は赤く、泣きはらした痕があった。


 でも、声は落ち着いていた。


 「……来ると思った」


 「……ごめん。謝って済むことじゃないのはわかってる。でも、ちゃんと伝えたくて……」


 俺は、土下座した。


 奈央の足元に、額が触れるくらいまで頭を下げた。


 「俺……酔ってて、ほんとに、自分が信じられなくて、でも奈央のことは、好きで……」


 「やめて」


 静かな声だった。


 それだけで、呼吸が止まった。


 奈央は俺を見下ろしていた。


 怒っているわけじゃない。


 ただ、何かが――完全に、冷めていた。


 「光希のこと、すごく好きだった。優しいとこも、甘えてくれるとこも、全部。……でも、信じてた」


 「……っ」


 「たった一晩でも、裏切られたことは、消えないんだよ」


 彼女の手が、俺の腕にそっと触れた。


 優しい触れ方だった。


 まるで、“最後の別れ”みたいに。


 「さようなら、光希」


 そのまま、奈央は扉を閉じた。


 静かに、けれど確実に。


 


 ――音もなく、俺の“居場所”が消えた。


 


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