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「……ん。いい子、よしよし」
帰り道。コンビニ袋を片手に歩いていた俺は、思わず立ち止まった。
奈央が俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でてくる。
「な、何すんだよ、いきなり」
「バイト終わりに即会いに来た光希くんが可愛すぎて、つい」
笑いながらそう言う彼女は、白いノースリーブにジーンズというラフな格好でも、堂々としていてかっこよかった。
――“年上の彼女”って、俺にとって憧れだった。
でも、奈央に出会ってからは、そんな言葉じゃ物足りないくらいの存在になってた。
「ていうか、俺もう大学生なんですけど」
「ほう? 一年坊が何を偉そうに」
「子ども扱いするのやめろって前も言ったよね?」
「うん。でも可愛いから却下」
はぁ、とため息をつきながらも、俺の口元はゆるんでいた。
奈央には、ほんと敵わない。
◇
付き合って半年。
最初は「サークルの先輩」というだけだった奈央。
でも、何気なく交わした言葉の端々に、自分をさらけ出してくれるような信頼があって。
時々見せる無防備な表情が、胸をくすぐった。
俺は、自然と惹かれていた。
そして気づけば、今ではほぼ毎日、彼女の部屋に通っている。
「ほら、これ。光希の好きなやつ。甘くしてあるよ」
渡されたのは、コーヒー牛乳入りのカフェラテ。
俺がブラックを飲めないのを、いつも笑いながらからかって、でもこうして用意してくれる。
「甘やかしすぎだろ」
「光希が彼氏でいてくれるなら、甘やかすくらい安いもんでしょ」
にこっと笑う。
年上らしい余裕と、大人の包容力が、さりげなく滲んでいる。
けれど、時折ふいに甘えてくるときもあって、それがまた、反則級に可愛い。
「……なあ、奈央」
「ん?」
「俺、マジで奈央のこと好きだわ」
「知ってるよ」
彼女は、それ以上何も言わずに、俺の肩に寄りかかってきた。
駅のベンチ。肩と肩が触れ合う距離。
その沈黙すら、心地よかった。
◇
金曜日の昼。サークルのグループLINEに、唐突な通知が飛んできた。
【急募:合コン男子枠、あと1人】
【女子の人数足りてるのに男子足りない。光希来れない?】
俺はすぐに既読スルーを決め込んだ。
奈央と明日朝から会う予定だったし、そもそも浮気みたいな場に行く気もない。
……はずだった。
その数分後、個人LINEが鳴った。
《田口先輩》
【なあ、光希。今夜ヒマだろ】
【女の子めっちゃ可愛いって。彼女に内緒でちょっと顔出すだけ】
【一時間でいいから】
【無理です、彼女います】
と返す。
でも先輩は、しつこかった。
【彼女にバレなきゃノーカン】
【顔出すだけ、な?】
スマホの画面をじっと見つめる。
奈央とのLINEも開いた。
【夜、うち来る?ご飯多めに炊くけど】
【ムリなら明日の朝ね。お弁当作ってあげる】
愛されてる。
わかってる。ほんとに、わかってた。
でも……なんだろう。
「顔出すだけ」
――その言葉に、どこか“許されるような気分”になってしまった。
きっと、ほんの出来心だった。
奈央とちゃんと会う前に、顔だけ出して帰ろう。
そう思って、俺は駅に向かって歩き出していた。
◇
合コンの居酒屋は、駅から少し離れたビルの2階にあった。
中に入った瞬間、空気が違った。
香水の匂い、低い照明、グラスを交わす軽い音。
女の子たちはみんな“気合い”が入っていた。
俺は場違いだった。完全に。
でも、だからこそ、変に意識してしまったのかもしれない。
「光希くんだっけ?」
話しかけてきたのは、美月という名前の、同じ一年の女子だった。
ショートパンツにピタT、カーディガンを肩に羽織って、涼しげに笑っている。
「へー、彼女いるんだ。サークルの先輩とか?」
「……うん。二年の先輩で」
「年上かぁ。なんか意外。甘えんぼ?」
「……別に、そういうんじゃ――」
「ふふ、図星?」
グラスを手にして、美月が俺に差し出してくる。
「ね。せっかく来たんだし、飲もうよ。乾杯だけでも」
手を伸ばしてしまった。
それが、たった一杯のつもりだったのに。
気づけば、酔いはまわり、視界が揺れていた。
奈央からのLINEも、通知音も、気づかないふりをした。
ただその場の空気に、ほんの少し心を許してしまった。
――その夜が、俺たちの全てを壊す夜になるとも知らずに。