9 『推し』に似すぎててちょっと無理
バルク殿下が留学してきて一週間が経った頃、嵐は突然やって来た。
「わたくしもご一緒してよろしいかしら?」
なんと、エルヴィーラ殿下が昼食をとる私たちの前に現れたのだ。
麗しい顔に貼り付けた嘘くさい笑みを向けられ、バルク殿下とサイラス様は面食らったように私の表情をうかがっている。
先日の一件、というか、これまでのエルヴィーラ殿下の傍若無人ぶりを考えれば、一番の被害者である私の反応が気になったのだろう。
「リリ」
隣に座っていたサイラス様が、心配そうに私の顔を覗き込む。
と同時に、ちょっと尖った声のバルク殿下が声を荒げる。
「エルヴィーラ殿下。君は自分の立場というものをわかっていないようだね。まともな神経の持ち主なら、僕たちの前に堂々と現れるなんてできないと思うんだけど」
いつもにも増して手厳しい物言いである。
そして、まったくもってその通りとしか言いようがない。
咎められたエルヴィーラ殿下は一瞬顔を歪めつつも、すぐに平静を装って答える。
「ですから、これまでの言動を真摯に振り返って反省し、リリエル嬢に正式に謝罪いたしたく」
そう言って、軽く頭を下げるエルヴィーラ殿下。
いくら今までの所業が悪辣すぎたとはいえ、王族に頭を下げさせて黙っていられるわけがない。
私が謝罪を受け入れたことでバルク殿下もそれ以上強くは言えず、結局私たちは一緒に昼食をとることになったのだ。
それからエルヴィーラ殿下は、さも当然のように私たちと行動をともにするようになった。というか、率先してバルク殿下に媚びを売り、我が物顔でサイラス様の隣を独占しようとする。
エルヴィーラ殿下の本当の狙いは、二人のうちのどちらなのか? ひょっとして両方なのか? なんてのんきに考えていたら、なんともう一人やって来た。
「俺もご一緒してよろしいですか?」
それはあの、騎士団長家の嫡男イザーク・グレンヴィル侯爵令息だった。
もちろん、否やを唱える理由がない。それに、一切の邪気を感じさせないにこやかな笑みを見せられては、なかなかに断りづらい。
というわけで、最近の私たちは私とサイラス様、バルク殿下とフレイア、そしてエルヴィーラ殿下にイザーク様という、六人の大所帯で過ごしているのである。
これがまた、ちょっと面倒というかなんというか。
ついこの間まではフレイアと二人でいることが多かったから、慣れない。とても。
「それに間近で過ごしてみたら、思っていたのとはちょっと違ったのかなって」
選択科目の授業が終わり、廊下を歩きながらフレイアにつぶやいてみる。
ちなみにこの時間、ほかの四人は考古学の授業を選択しているから一緒ではない。しかも、エルヴィーラ殿下とイザーク様はバルク殿下が留学してきてからの新規参入組である。
「いきなり何の話?」
「サイラス様とエルヴィーラ殿下のことよ。サイラス様はエルヴィーラ殿下のことが好きだから、一緒にいるようになったんだと思っていたの。でも二人を近くで見ていたら、なんか違うのかなって」
「……それは、そうでしょうよ」
何か言いたそうな雰囲気を醸し出しながら、フレイアが答える。でもそれ以上は、何も言わない。
「エルヴィーラ殿下がサイラス様をお好きで、独り占めしたがっているのは一目瞭然でしょ? でもサイラス様は、どちらかというと一生懸命距離を置こうとしているというか、なんならちょっと嫌がっているというか」
「完全なる塩対応よね」
「そうそう。『俺には関係ないから』とか『興味ないし』とか『どうでもいい』とか、そんな受け答えばかりだったから、ちょっと意外だったの」
「リリエルにはそんなこと言わないでしょう?」
「……そうね」
なぜか訳知り顔のフレイアが、無言でニヤニヤしている。
「それにイザーク様も、エルヴィーラ殿下に心酔しているとばかり思っていたのに――」
「……イザーク様の話はやめてよ」
強気なセリフながらも、やけに弱々しい声のフレイア。
顔を見ると、耳まで真っ赤になっている。
「フレイア、やっぱりイザーク様のことが好きなんじゃないの?」
「違うって言ってるでしょ。ただイザーク様は、『推し』に似すぎててちょっと無理なのよ……」
言いながら、フレイアは両手で顔を隠してしまう。
普段はクールビューティーで知られるフレイアの意外な一面が、唐突に顔を覗かせる。
「だってあの、イザーク様よ? 騎士団長家の嫡男で、恵まれた丈夫な体格にアッシュグレーの短髪で、厳つい人かと思いきや意外に繊細で人当たりがよくて、そんなのもう『ギデオン様』そのものじゃない。ほんと無理。もう勘弁して」
突如として始まったフレイアのオタク語りがひたすら可笑しくて、私はただニヤニヤしながら次の言葉を待っている。
「イザーク様と同じ教室の空気が吸えるってだけでも寿命が百万年延びたと思っていたのに、最近はもう酸素濃度が濃すぎて毎日過呼吸を起こしそうなのよ。ていうか何? イザーク様のまわりだけ、異常に空気が浄化されてない? マイナスイオン出まくりじゃない? 近くにいるだけでストレスが緩和されるんですけど。あれは実測したほうがいいと思うわ。そして特許を申請すべきよ」
「特許」
「もうこれ五万回は言ったと思うんだけど、イザーク様が学園に迷い込んだ子猫を保護したときの表情、ほんとにたまらなかったんだから。愛らしいものに向けるあの優しい微笑み、あれは『ギデオン様』が婚約者の『リーディア様』に向ける表情そのものだと思うの。ほんと、控えめに言って最高だから全人類にも見てほしい」
「確かにその話、五万回くらいは言ってるわね」
「なんか私、最近の学園生活が本当に信じられないのよ。あのイザーク様と同じ空間で過ごして、たまに言葉なんか交わしちゃったりして、幸せ過ぎてもうすぐ死ぬのかなと思うんだけど。あれ、もしかしてこれ、死ぬ前に見る夢なのかしら」
「お願いだから死なないでね」
そう。
フレイアの隠された性癖が、これである。だいぶ強烈である。とにかく熱量が半端ない。
ちなみにフレイアの最大の推しである『ギデオン様』というのは、『人形令嬢と年上の婚約者』という恋愛小説に出てくるサブキャラである。主役ではない。そういうところがまた、フレイアの性癖を感じさせるけれども。
この『ギデオン様』の家柄とか髪色とか見た目とか性格とかの『設定』が、ちょっと、いやだいぶイザーク様と被っているのだ。言われてみれば確かにね、という気もする。
実は私たちが仲良くなったきっかけというのが、その小説と作者サエル・アレステルだった。バリバリの恋愛小説を書くサエル・アレステルという作家が好きという共通点があるとわかって、私たちは急速に仲良くなったのだ。
「話を戻すけど」
思いの丈をしゃべり尽くして半ば酸欠状態になっているフレイアの隙を突いて、私は口を開く。
「イザーク様って、サイラス様以上にエルヴィーラ殿下のそばを離れなかったから、余程崇拝しているのかと思っていたのよね。でも、むしろあれは、殿下の暴走を食い止めるためだったのかなって」
「……そんな感じよね。私もちょっとびっくりしたわ」
遠目で見ている限りでは、キラキラ貴族の面々はいつもエルヴィーラ殿下を中心にして、わいわいと賑やかで楽しげだった。
だから令息四人はみんな殿下に心酔し、夢中なんだろうなと思っていたのだ。
でも近くに寄って見てみたら、サイラス様は辛辣なほどの塩対応だし、イザーク様はにこやかな顔で容赦ないダメだしを浴びせている。「殿下、近づきすぎです」とか「殿下、それは失礼です」とか「殿下、いい加減にしてください」とか。
いや、逆に、あのツッコミがまったく響いてないエルヴィーラ殿下の鋼の心臓がすごいと思う。ある意味尊敬してしまう。全然うらやましくはないけども。
「リリ、おかえり」
教室に着くと、先に戻っていたらしいサイラス様が廊下まで出迎えてくれる。
そっと私の手を握り、うれしそうに微笑むサイラス様の目がなんだかとても優しくて、さすがの私も薄々気づく。
サイラス様は、こんな表情をエルヴィーラ殿下には見せない。
しれっと過去作が出てきています。
興味をお持ちの方はぜひ……!(笑)




