8 汎用性がなさすぎない?
バルク殿下が留学してきて、一週間以上がたった。
私はお父様に呼ばれ、執務室へと向かっていた。
ドアをノックして中に入ると、片づけを手伝っていたらしいお兄様の背中が見える。
「お、来たのか」
「お父様は?」
「奥の保管庫だよ」
「今回はまた、すごい量なのね?」
「ほんとだよ。これを全部読むとなったら大変だぞ、リリ」
お兄様は散らばった何枚もの書類や古めかしい羊皮紙の束を一枚一枚確認しながら、手際よく仕分けている。
私は自分の足元に落ちていた紙を拾い、何気なく視線を向けた。
そこには見慣れた不可思議な文字が、びっしりと並んでいる。
それは、かつて精霊と人間が共存していた時代に使われていたとされる、失われた言語――いわゆる古代語――の写しだったのだけれど。
記された古代語の文章を目にした瞬間、突然私の前に見たこともない光景が広がった。
広い野原の中央に佇む、背の高い偉丈夫。
それはあらゆる精霊を束ねる精霊の長であり、森羅万象のすべてを統べる創世主、精霊王。
精霊王のプラチナブロンドの髪は陽の光に照らされて光り輝き、眉目秀麗な出で立ちは明らかに人ならざる者というオーラを纏っている。
そのまわりに集まったたくさんの人たちは、唯一無二の人ならざる尊き存在を称え、その偉大さ、気高さ、崇高さにひれ伏し、祝福を請う――――。
「それには何が書いてあるんだ?」
私が手にしていた古代語の写しを指差して、お兄様が尋ねる。
「……古代の人たちが精霊王様を称えている様子が書かれてるみたい」
「そうか。それにしても、リリはすごいな」
近づいてきたお兄様は古代語の写しを受け取りながら、誇らしげに微笑む。
「古代語で何が書かれてあるのか、わかってしまうんだから」
そう。
私は、古代語で書かれた文章が読める。
というか、正確には古代語で書かれた文章とその内容が、『映像』として『見える』。そういう能力を持っている。
古代語はいまだに謎が多く、完全に解読されているとは言い難い。
でも私には書かれている内容がダイレクトに『見える』から、それを生かしてお父様の研究の手伝いをしているのだ。
実はシリンド家には、時々このギフトを持った子どもが生まれてくるらしい。私のおばあ様のおばあ様もそうだったと聞いたことがある。
古代語というのは、かつて精霊が生きていた時代に使われていたとされる、失われた言語。だからこそ、古代語で書かれた文章の内容がわかる子どものことをシリンド家では『精霊の申し子』と呼び、大切に育ててきたという。
しかもこのギフトについては門外不出、ギフトを有する『精霊の申し子』の存在はシリンド家以外の者には決して知られてはならない、という家訓すらあるのだけど。
でもちょっと、冷静になって考えてみてほしい。
このギフト、汎用性がなさすぎない?
だって、古代語が読める、というか、書かれてある古代語の内容がわかるってだけなんですよ?
古代語なんて、古文書とか金石文(金属や石に刻まれた文字資料のこと)とかでしかお目にかかることのない、だいぶ希少な文字である。大抵の人間は、そんなものに触れる機会など滅多にない。
だから古代語がわかったとしても、こんな特別なギフトを持っていたとしても、生かす場も機会もない、なんてことは多いのである。
実際、おばあ様のおばあ様は、このギフトを使うことがほぼなかったらしい。学者気質のシリンド家とはいっても、みんながみんなお父様のように考古学やその近隣の学問を生業とするわけではないのだから。
そう考えると、父親が考古学者である私はこのギフトを直接的に生かせる機会があって、よかったのかもしれない。いや、よかったのはお父様のほうよね。娘が『精霊の申し子』だったなんて、まさに僥倖でしかないもの。
「リリ、もう来てたのか?」
奥の保管庫から戻ってきたお父様が、少し疲れたような笑顔を見せる。
ちなみに『保管庫』とは、お父様が発掘してきた古代の遺物や古文書を、調査や解読が終わるまで一時的に保管しておく部屋である。
「早速で悪いんだが、ちょっとこれを見てくれないかな?」
お父様はそう言って、小脇に抱えていた木箱を執務机の上に置いた。蓋を開けると、中には小さな楕円形の石のようなものと古めかしい羊皮紙が入っている。
石のまわりには細かな装飾が施されているようだけど、石も装飾も元の色がわからないほどすすけてしまっている。
「これは帝都南東部に位置するダゴールの遺跡から発掘された、古代の遺物なんだ」
「ダゴールって、お父様がこの前の発掘調査で行っていた場所?」
「そうそう。そこでこの石が見つかってね。その近くに厳重に保管されていたのが、こっちの古文書で」
お父様は木箱の中から、一枚の羊皮紙を取り出す。ところどころ破れかけたそれには、やっぱりびっしりと古代語が書かれてある。
「何が書かれてあるのか、読んでみてくれないかな?」
わくわくを抑えきれないらしいお父様の圧には逆らえず、私は黙ってその羊皮紙を受け取って、古代語に目を通す。
途端に広がった光景は――――
輝くプラチナブロンドの髪をなびかせた精霊王様が、自分の力の一部を琥珀色に光る二つの石に封じ込めている。
その石は小さな楕円形に加工され、細かい装飾を施した台座の真ん中に据えられてペンダントになる。
完成した二つのペンダントを、二人の古代人がそれぞれ自分の首にかける。
さっとひと撫ですると石は淡く光り、お互いに遠く離れた場所にいても石を通して直接会話をすることができる――――。
「……どうだった?」
古文書を読み終わって顔を上げると、待ちきれない様子のお父様と目が合った。
「……この古文書は、楕円形の石の取扱説明書みたいなものね」
「取扱説明書?」
「この石って、もともとペンダントだったみたいなの。しかも対になっていて、ペンダントをしている者同士は石を通して会話ができたみたい」
「……通信機器ってことか?」
「多分、そうなんじゃないかな。最初に精霊王様が、石に自分の力を封じ込めているところが見えたの。だからこの石には、精霊王様の『秘めたる力』が付与されてるんだと思う」
「やっぱりそうか!」
疲れていたはずのお父様は俄然元気になって、納得したように意気揚々としゃべり出す。
「発掘調査で見つけたときから、なんだか特別なもののような気がしてたんだよ! そうか、通信機器か! なるほどなあ!」
「でも対になってるみたいだから、もう一つあるはずじゃない?」
「そうか! そうだよな!」
そう言うと、お父様は「もう一度探してみる!」と叫んで脇目も振らずに保管庫へ戻っていく。
「……相変わらず騒がしい人だね」
ちょっと呆れたような口調で、肩をすくめるお兄様。
「でもペンダント型の通信機器か。精霊王様の『秘めたる力』というのは、ほんとにすごいよね」
「そうね。この前読んだ古文書にも、遠く離れた場所に一瞬で移動できる『転移門』があった、みたいなことが書かれてたでしょ? あれだって精霊王様の『秘めたる力』があってこそだもの」
「精霊王様が浄化した湖の水を飲むと『秘めたる力』の片鱗をその身に宿すことができる、なんておとぎ話もあながち嘘じゃないかもね」
感心したように何度も頷きながら、お兄様はまた書類の整理を再開する。
精霊王様が浄化したとされる湖――通称、『精霊王の湖』――の話は、わりと有名なおとぎ話である。
精霊王はこの世界に降り立ったとき、まず最初に湖を浄化した。リュダウル帝国のどこかには、実際にその湖が今でも存在するらしい。でも「らしい」と言われているだけで、本当にあるのか、またあるとしてもどこにあるのかまでは解明されていない。
ただ、これまでたくさんの古代語の文章を読んできた限りでは、『精霊王の湖』の存在がいくつもの古文書の中で示唆されている。だから私としては、どこかにあるのだろうなという気はしている。
「そういえばさ」
書類を片づけていたお兄様がふと手を止めて、私のほうに顔を向ける。
「『精霊王の国』の皇太子はどんな感じ?」
「え? ああ、バルク殿下のこと?」
「そう。父上の話だと、だいぶ自由すぎていつも振り回されてるみたいだけど」
「まあ、振り回されてる感はあるけど、問題はそっちじゃないのよね……」
私の曖昧なつぶやきに、不思議そうな顔をするお兄様だった。