7 どう思ってるんだ?(sideサイラス)
「サイラスは、リリエルのことをどう思ってるんだ?」
考古学の授業が終わって教室に戻る途中、バルク殿下が急にそんなことを言い出した。
「どう、とはどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。好きなのか、そうじゃないのか――」
「好きですけど」
ちょっと被せぎみに答えると、殿下はふっと口元を緩める。
「それは、婚約者としての義務感で? それとも家族愛とか友人への愛情に近い感情なのかな?」
「……どちらでもありません」
「というと?」
「……殿下に話す必要性を感じないのですが」
俺の言葉に、殿下は「ははっ」と軽く笑う。
「サイラスは面白いね」
「褒めてるんですか?」
「もちろんだよ」
言いながら、冷たい目の色でじっと探るように俺を見つめる。
「じゃあどうして、君は長い間リリエルを放ったらかしにして、エルヴィーラ殿下のそばに居続けたのかな?」
「え……」
言葉に、詰まる。
なぜ留学してきたばかりのバルク殿下がそれを知っているのだろうという疑問、リリを放ったらかしにしていたつもりはないという反論、でも客観的にはそう受け取られても仕方がないという諦めが頭の中で渦を巻く。
「まあ、留学初日の雰囲気を考えれば、リリエルがこの学園でどれほどひどい目に遭っていたのか察しはつくけどね」
何も答えない俺を横目に、殿下はまるで独り言のように言葉を続ける。
「シリンド伯爵家を見下していたこの国全体の悪しき風潮のせいでもあるし、君とリリエルが幼い頃から婚約していたせいでもある。それに、あの傲慢なエルヴィーラ殿下の嫉妬ややっかみもずいぶんと苛烈だったのだろう? 彼女は君にご執心のようだから」
「……それは……」
「リリエルに対する度を越した攻撃や嫌がらせを食い止めるために、我が身を盾にしたつもりだろうが」
殿下はそこで、ぴたりと歩みを止める。
そして俺を見据えて、あっさり言い捨てる。
「独りよがりの自己犠牲としか、言いようがないね」
その目は、冷め切っていた。
馬鹿にするわけでもなく憐れむわけでもなく、ただその声に感情は見えない。
「君は自分を盾にすることでエルヴィーラ殿下や悪意ある生徒たちの攻撃からリリエルを守ったつもりなんだろうけど、本当にそれしか方法がなかったのかな?」
「え?」
「確かにそのやり方で、リリエルの学園生活は平穏を取り戻したのかもしれないよ? でも僕が留学初日にたった数分間演説しただけで、学園の空気はがらりと変わった。あれからリリエルのこともシリンド伯爵家のことも、悪し様に言う者はいないよね? ということは、君のやり方以外にも方法はあったと思わない?」
「いや、でも、あれは……」
「しかも君は、その中途半端な守り方のせいで一番大事なものを失ったことに、まったく気づいていない」
「……は……?」
眉間の皺がどんどん深くなっていくのを感じながら、俺は考える。
一番大事なもの……?
リリを守っているつもりの俺が、失ってしまったもの、とは……?
「……それは、いったい……」
「そんなの教えるわけがないだろう? 僕が敵に塩を送るようなことをすると思う?」
「……え?」
見返すと、殿下は笑っていた。でもそのアンバー色の目は、恐ろしいほど笑っていなかった。
「騎士気取りは、もうやめたらどうだ?」
「は?」
「悪いけど、リリエルは僕が帝国に連れて帰るよ」
「な、何を……」
言い返そうと思うのに、焦って思考が空回りして、言葉が全然出てこない。
「いったい何のために、僕がわざわざこんなところまで来たと思う?」
「そ、それは、シリンド先生のもとで考古学を学ぶために――」
「もちろんそれもある。でも一番の目的はリリエルだよ。本当は、シリンド伯爵家ごと帝国に連れて行きたいんだけどね。キルスにはもう何度も言ってるんだけど一向に首を縦に振らないから、リリエルだけ連れて帰ろうと思って」
殿下は余裕の表情で不敵に口角を上げ、それからまた何事もなかったかのように歩き出す。
「まあ、せいぜい悪あがきして見せてよ」
自信に満ちた挑むような声に、俺はなす術もなく立ち尽くすしかなかった。
◆・◆・◆
学園に入学してすぐの頃、リリはまわりの生徒たちからひどい嫌がらせを受けるようになった。
それはバルク殿下の言っていた通り、シリンド伯爵家を軽んじる世間の風潮と俺の婚約者であるというやっかみ、それに何より、この国の第一王女であるエルヴィーラの嫉妬によるものだった。
エルヴィーラは幼い頃からわがままで傲慢で、そして自己中心的だった。世界は自分のために存在するとさえ、思っていた節がある。いとこ同士という関係もあって会う機会は多かったが、正直、あいつのことはとにかく苦手だった。
そんなとき、リリに出会った。
初めて会った日のリリは、母親の葬儀だというのに泣きもせず落ち着いた様子だった。静かに母親の死を受け入れているようにも見えた。
でも偶然目が合ったとき、その優しいブルーグレーの瞳には何も映っていないと気づいて、俺は愕然とした。
そして、思った。
あの瞳に、俺が映りたいと。
そんな俺の淡い恋情に気づいたのかそれとも単なる親切心だったのか、その後母上は俺たちを連れて、頻繁にシリンド伯爵邸を訪れるようになる。
婚約が決まったのは、俺がそうしたいと言ったからだ。
いや正確に言えば、母上に聞かれたのだ。
『このままいけば、多分あなたはエルヴィーラと婚約することになると思うのだけど。それでもいい?』
それは絶対に嫌だと答えた。
そして婚約するなら、リリがいいと言った。リリじゃなきゃ嫌だ、とも言った。
そうして、すんなり婚約が決まった。
リリは暇さえあれば、本を開いているような子どもだった。
でも文字を追いかける目は好奇心でキラキラと輝き、口元はいつも可愛らしくほころんでいて、気づけば俺は時間も忘れてただただ見惚れていた。
そんなリリが、学園でひどい目に遭っていると知って黙っていられるわけもなく、俺は根も葉もない悪質な噂をことごとく否定して歩いた。でもエルヴィーラの影響力は想像以上で、結局は俺が直接エルヴィーラの相手をすることでしか、リリへの害を最小限に抑えることはできないのだと知った。
俺だけが我慢すればいいと、思った。
俺はただ、リリを守りたかっただけだ。
俺のすべてで、リリを守りたい。リリの憂いをすべて払ってやりたい。リリのまぶしいほどキラキラした笑顔を守るためなら、なんだってしてあげたい。
でも、そのやり方が間違っていたのだとバルク殿下にあっさり否定され、俺は今、途方に暮れている。
物心ついた頃からなんとなく、自分はみんなと違うという感覚があった。
人の感情がよくわからない。相手が何を考えているのかを想像して、先回りができない。自分の気持ちを正直に言えば、ドン引きされる。だから黙っているしかない。
周囲の賞賛の声とは裏腹に、俺は常に劣等感めいたものを抱いていた。でもリリは、そんな俺にこう言った。
『サイラス様の言葉は、嘘がないから安心します』
――――俺の唯一を、他人に奪われるわけにはいかないんだ。
次回から、またリリエル視点に戻ります。
リリエルの秘めたる能力が明かされます……!




