6 だって、事実だし
「そもそも君たちは、キルス・シリンドの研究が一体どういうものなのかまったく知らないようだな」
わざとらしいため息をつきながら、バルク殿下が大袈裟に嘆く。
「キルスは帝国に眠る数多くの遺跡を発掘し、また精霊を祀る神殿や祠を詳細に調査することで、かつて精霊が有していたとされる『秘めたる力』の解明に全力を注いでいる。『秘めたる力』とはどんなものか、君たちも学園の授業で学んだだろう? 心身を癒したり毒を浄化したり、戦闘に特化した力もあれば時間や空間に作用する力もある。帝国では今、発掘された古代の魔道具を解析し、その『秘めたる力』を利用した新たな魔導具が開発されて日夜研究が進められているのだ。そして徐々に、帝国民の生活がより豊かに、そしてより快適になっている」
バルク殿下の説明に、みんながみんな驚きを隠せない。
いや、私自身も、そうだったんだー、と若干驚いている。
お父様が何を研究しているのかまったく知らなかったわけではないけど、きちんと教えてもらったこともなかったし。なんていうか、お父様って説明したり解説したりがあまり得意ではないのよね。何を言いたいのかよくわからないときもあるし。
考古学の授業が不人気なのも、実はそういう理由なのではと密かに思っている。
「だからこそ、キルスの研究結果は帝国内で常に注目を集め、高い評価を得ているのだ。それなのに、この国でのキルスやシリンド伯爵家に対する扱いはなんだ? 『なんの取り柄もない地味な弱小貴族家』? 笑わせるな。シリンド伯爵家より価値のある貴族家などこの国にあるのか? 帝国に対し、シリンド伯爵家よりも多大な恩恵を与えた貴族家がほかにあるとでも? まったく、嘆かわしい」
だいぶ攻撃力高めの発言がぼんぼん飛び出して、カフェの中は水を打ったようにシーンと静まり返っている。
バルク殿下のお父様愛はちょっと行き過ぎた感があるけれど、それでもお父様の研究が帝国ではしっかり評価されているというのはうれしい。それだけでなく、研究結果が帝国民の生活にも生かされつつあるというのは、ちょっと誇らしい。
「キルスが『うちはしがない伯爵家ですし、自国では地味で冴えないと揶揄されていますから』などと繰り返すのを単なる謙遜だと思っていたが、正直これほどとは思わなかった。シリンド伯爵家ごと帝国がもらい受けたいくらいだというのに、なんという理解のなさだ」
バルク殿下の激しい怒りに、もう誰もかれもが気まずそうに俯いて、顔を上げようとはしない。
エルヴィーラ殿下は疎ましげな表情をしながらも黙り込み、なぜかサイラス様だけがそこはかとなく満足そうな顔をして頷いている。
ヒートアップし過ぎたバルク殿下はしばらく鎮まりそうにないし、かといって我関せずで通り過ぎるなんてできるわけもないし、この場をどう収めたらいいものか思案に暮れていると――――。
「恐れながら、バルク殿下」
エルヴィーラ殿下の後ろから現れたのは、あのキラキラ貴族のメンバー、アッシュグレーの髪がトレードマークのイザーク・グレンヴィル侯爵令息だった。
「的確な説明をしていただき、誠に痛み入ります。どうやら我々は、シリンド伯爵家及びキルス・シリンド先生に対する認識を改める必要がありそうです」
物腰も柔らかく、和やかな笑みを浮かべるイザーク様の登場で、ようやくバルク殿下も怒りを鞘に納める気になったらしい。
「君の名前は?」
「イザーク・グレンヴィルと申します、殿下」
「理解の早い人間は、嫌いじゃないよ」
ゆったりと相好を崩すバルク殿下に、全員がホッと胸をなでおろしたのだった。
◇・◇・◇
それからすぐに、学園内の空気は一変した。
世界の覇者たるリュダウル帝国皇太子が、あのキルス・シリンド伯爵の研究成果を認め、絶賛したのだもの。とてもじゃないけど、無視することなどできない。
私を見下し、遠巻きに眺めていた目は一掃され、むしろ畏敬の念を抱いたまなざしを向けられるようになった。
お父様の研究についてクラスメイトたちから質問されることも増えたし、学期の途中だというのに考古学の授業を選択し直したいという希望者が殺到したらしく、お父様はうれしい悲鳴を上げている。
でも一番変わったのは、学園の雰囲気でも学園生たちの態度でもなく。
実は、サイラス様だった。
バルク殿下の留学生活をサポートする『案内役』を担うことになったのもあって、エルヴィーラ殿下から離れて私たちと一緒にいるようになったのは、もちろん想定の範囲内である。
でも気づくといつも、隣にいる。
なんとなく、距離も近い。
ふとした瞬間、さりげなく手とか肩とかに触れられる。
そして、視線を感じる。
それはまわりの生徒たちのような、敬意とか尊敬とかそういう類いのものではなく、もっと優しくて、温かくて、それでいてどこか切実な光を宿していた。
決定的だったのは、バルク殿下の登校が諸事情で午後からに変更になった日のこと。
午前中はバルク殿下がいないのだから、サイラス様が私たちと一緒にいる必要はない。どこからかその話を聞きつけたエルヴィーラ殿下が、朝から突撃してきたのだ。
「サイラス、今日の午前中はバルク殿下がいないのでしょう?」
エルヴィーラ殿下はそう言って、傲慢な薄笑いを私に向ける。
バルク殿下の演説以降、私に対するエルヴィーラ殿下のあからさまな攻撃は鳴りを潜めているけれど、相変わらず睨まれたり近くで舌打ちをされたりという地味な嫌がらせは続いている。懲りない人である。
多分、本当は、留学してきた眉目秀麗な皇太子を自分のまわりに侍らせるつもりでいたのだろうと思う。そうして愉悦に浸りつつ、あわよくば気に入られて帝国に輿入れ、なんてことも勝手に妄想していたに違いない。
でもそのすべてが初日でぶち壊しになり、だいぶ不平不満をたぎらせていたらしいエルヴィーラ殿下。ここぞとばかりにサイラス様に擦り寄って、少しはしゃいだ口調で言う。
「殿下がいないのなら、こっちに来なさいよ。リリエル嬢と一緒にいたってつまらないでしょ」
勝ち誇ったような目で私を見返すエルヴィーラ殿下に、サイラス様は事もなげに言い放つ。
「は? なに言ってんだ?」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。エルヴィーラ殿下はサイラス様のほうに伸ばしかけた腕を止め、一旦静止する。
「……サイラス?」
「なんでそっちに行かなきゃなんないんだよ」
「なんでって、今まではずっとそうしてきたじゃない。私たちと一緒にいたほうが楽しいでしょ」
「別に楽しくはないけど」
「は?」
「エルヴィーラと一緒にいても、疲れるだけだし」
「は!?」
思いもよらない切り返しに、エルヴィーラ殿下は驚きすぎて口を半開きにし、クラスメイトたちは半ば呆然としていて、私もちょっと、言葉がない。
そんな外野を置き去りにして、サイラス様は私の手を取ると教室の自分の席まで移動する。
「え、ちょっと、サイラス様」
「なに?」
「あの、いいんですか? あんなこと言って……」
「だって、事実だし」
「でも、今までは――」
「……リリまでそんなこと言うの?」
ちょっと不貞腐れたような目で見下ろされ、私は視線を泳がせる。だって、なんか、唐突にちょっと可愛いんだもの。
結局、午前中ずっと、サイラス様は私のそばを片時も離れなかった。
次回、サイラス視点です。
皇太子バルクの思惑とサイラスの真意とは……?




