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3 父上が帰ってきてるぞ

 結局、オフィーリア様の誕生日プレゼントは巷で流行っているというガラスペンを購入することになった。精巧な模様の刻まれた透き通るガラスペンは、美しいものが大好きなオフィーリア様にも気に入ってもらえると思う。


「ほんとに助かったよ」


 帰りの馬車の中で、サイラス様はホッとしたような表情を見せていた。




 重大任務を無事に終えて我が家に戻り、自室に向かうと兄のディオルが階段を降りてくる。


「おかえり、リリ」


 眼鏡をかけたひょろりと長身の兄は、屈託のない笑顔を浮かべる。でもこの笑顔が見られるのは、ごく限られた人間のみである。


「ただいま」

「どこかに寄ってきたのか?」

「サイラス様と一緒に、オフィーリア様の誕生日プレゼントを買いに行ってきたの」

「そうか、もうすぐだもんな」

「お兄様はもうプレゼントを用意した?」

「うーん、まだ考え中」


 そう言って、眼鏡の奥の目を細めるお兄様。


 私たち兄妹にとって、オフィーリア様は第二の母ともいうべき大切な存在である。


 幼くして実母を失くした私たちにとって、オフィーリア様の暖かな優しさがどれほど救いになったことか。本来はまったくの他人でしかない私たちに、惜しみない愛情を注いでくれたご恩を忘れることは一生ないと思う。


「サイラスは? 帰ったのか?」

「ええ。公爵様とのお約束があるとおっしゃって」

「あいつも相変わらず忙しいな」


 まるで弟を想うかのような気安い雰囲気で、お兄様がふふ、と笑う。


 何度も言うけど、お兄様のこんな表情が見られるのはごくごく限られた、わずかな人間だけである。私たち家族とオフィーリア様、そして幼馴染ともいえる公爵家の兄弟だけ。


 その他の人間に、お兄様が表情を緩めることは決してない。感情をすべて排除した無表情以外の顔を、他人に見せることなどほとんどない。


 でも、お兄様が表情を緩める相手は、実はもう一つある。


「温室へ行くの?」


 私が尋ねると、目の前の兄は途端に「ああ」と顔をほころばせる。


「海の向こうの異国から苦労して取り寄せた薬草の種があっただろう? あれがやっと芽を出したんだよ」

「ほんとに? もう半分諦めかけてたのに」

「やっぱり栽培が難しい薬草だったらしくてね。栽培方法を記した本がようやく手に入ったから、それを参考に試行錯誤していたら今朝芽が出ていることに気づいたんだ」

「すごいじゃない、お兄様」

「ああ。まだ油断はできないけどね」


 うれしさを抑えきれないといった様子で階段を降りようとしたお兄様は、思い出したようにぴたりと動きを止める。


「あ、そうだ。リリ、父上が帰ってきてるぞ」

「え!?」


 思わず大声を上げると、お兄様は可笑しそうに笑って二階のほうへ視線を向ける。


「執務室にいるよ。僕はもう話を聞いたから、リリも行ってみたら?」

「わかった。行ってみる」


 中庭の温室へと急ぐ兄を微笑ましい気持ちで見送って、私はすぐさま踵を返す。



 兄のディオルは、自他ともに認める博学卓識な人である。



 学者気質のシリンド家の中でも、お兄様以上にたくさんの本を読んだ者はいないのではないかと言われるくらい、幼い頃から本を手放さなかったお兄様。その知識欲はすさまじく、読みたいと思った本が異国のものならその異国語を独学でマスターしてしまうほど。


 お兄様には知らないことなどないのでは? というのが私とレイシアン公爵家の兄弟共通の見解だし、一緒に遊ぶことの多かった一番年下のルーカス様は、特にお兄様のことを心から尊敬し、慕っていた。



 ところが、である。



 私より三年早く学園に入学したお兄様は、シリンド伯爵家の人間というだけでまわりの生徒たちから馬鹿にされ、嘲笑を浴びるようになった。


 ひょろ長で眼鏡をかけ、いつも小脇に本を抱えたお兄様は「がり勉」だの「ヒョロガリ」だの「メガネ」だのと揶揄われ、たびたび陰湿な嫌がらせを受けるようになったのだ。


 幸い、お兄様と同じ学年には王太子のライオネル殿下がいらっしゃった。


 ライオネル殿下は公明正大な方で、シリンド家の人間というだけでお兄様を貶めることにはっきりと苦言を呈してくれたらしい。それどころか、お兄様の博学ぶりを高く評価し、大っぴらに称賛までしてくれたという。



 でもそれが、結果的には不幸を招くことになる。



 なぜなら、かえって周囲の反感を買ってしまったのだから……!



 たかがシリンド家の人間のくせに王太子殿下に庇ってもらうとは何事か、身の程を弁えろ、なんていう陰険な嫌がらせは、ライオネル殿下の目をかいくぐってその後もしばらく続いたという。完全にひがみというか、やっかみというか、お門違いもいいところである。


 でも、そんな環境の中で長年過ごしたお兄様は、すっかり人嫌いになってしまった。


 頑なに心を閉ざし、無の境地で学園生活を送り続けた結果、ごくごく近しい者以外と話すことすらなくなった。



 その代わり、お兄様が心を許し、話し相手に選んだのは植物だった。



 多くの書籍に触れる中で植物に関心を寄せるようになっていたお兄様は、今度は独学でいろんな植物を育てるようになった。お父様もそんなお兄様の気持ちを癒そうと中庭に小さな温室を造ってくれて、お兄様は暇さえあればそこに入り浸るようになる。


 学園を卒業したあとは領地経営に携わり、幼い頃家族で何度も訪れた自然豊かなシリンド伯爵領を盛り立てようと、奮闘しているお兄様。その傍ら、温室に足を運んでは好きな本を読んだり植物の研究に勤しんだりと、有意義な時間を過ごしている。


 そんなお兄様、目下の研究対象は他国の薬草である。


 どこぞの異国の薬草を手に入れては、せっせせっせと栽培に励み、研究を重ねているらしい。今朝芽が出たという薬草も、その一つ。お母様が流行り病で亡くなったことも影響しているのか、今は病気や怪我の治療に効果のある薬草に興味が向いているんだとか。





 階段を上ってお父様の執務室へ向かうと、何やらドタバタと騒がしい音が聞こえてくる。


 近づいてドアをノックすると、返事の代わりに「わあっ!」という叫び声と「ドスン!」という派手な音がして、慌ててドアを開ける。


「お父様! 大丈夫!?」


 視界に入ってきたのは、所狭しと散らばったたくさんの本や書類、それからいくつかの木箱と何かにつまずいて尻もちをついたと思われるお父様だった。


「……やあ、リリ。おかえり」

「おかえり、じゃないでしょう? 大丈夫?」

「ちょっと足元が見えなくてね」


 そう言って、お父様は苦笑しながらゆっくりと立ち上がる。


「帰ってくるのが遅くなって、悪かったね」

「いいけど、何があったの?」

「それがまあ、なんというかねえ……」


 曖昧な返事をしながら、困っているのか喜んでいるのか、よくわからない表情をするお父様。


 お父様はこの春の長期休暇の間、いつものように発掘調査に出かけていたのだ。行き先は、リュダウル帝国。それ自体は、さほど珍しいことではない。


 リュダウル帝国はとある理由で遺跡や祠の類いが多いため、お父様もこれまで何度となく足を運んでいる。ただ、お父様の本業はあくまで学園の教員であり、今までは長期休暇が終わる前には必ず帰国していた。


 ところが、今回だけは帰国が少し遅くなるという知らせが来たのだ。


 しかも手紙には、『詳しい事情は帰ってから』と書かれてあっただけ。私もお兄様もわけがわからず、ただひたすらお父様の帰国を待つしかなかったのだ。


「実は今回の発掘調査、リュダウル帝国の皇太子も同行されていてね」

「え、皇太子? どういうこと?」

「まあ、話せば長くなるんだが、その皇太子バルク殿下がこの春からうちの学園に留学することが決まってね。私がお連れすることになったんだよ」













 

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