21 死んだ魚みたいな目はやめて(sideサイラス)
「人の心の機微というものを、学ぶべきでは?」
バルク殿下が帰国してすぐ、俺はリリの親友であるフレイア嬢からこれまでの行動を非難され、説教を受け、リリと学園内で接触することを禁じられた。
正直、腹は立たなかった。
フレイア嬢の言う通りだと思った。
俺はリリを守っていたつもりだったし、ほかに方法はないと思っていた。リリを蔑ろにしているつもりはなかったし、むしろ丁寧に接しているつもりだったし、大好きな気持ちが溢れすぎてリリを怖がらせないようにしなければ、と必死で自分を律していた。
リリに嫌われたくなかったから。
でもそんな行動の数々について、リリがどう思っていたのか、という視点は確かに欠けていたと思う。
俺がエルヴィーラたちと一緒にいるようになったことで、俺の気持ちはエルヴィーラに向いているとか、俺とエルヴィーラが相思相愛だからとか、出鱈目な噂話が横行していたことには薄々気づいていた。
それはエルヴィーラが言いふらしていた悪質な作り話と、リリの容姿やシリンド伯爵家を軽んじる世間の風潮のせいだということも、もちろんわかっていた。
でもわかっていて、俺はそれを放置した。否定したところでどうせ信じてもらえないし、まわりにどう見られようと、まわりがどう勘違いしようと、そんなのは所詮事実ではない。まともに向き合うだけ、労力の無駄だと思っていたから。
それに、リリならきっとわかってくれているだろう、という甘えや驕りのようなものもあったと思う。
リリは、自分がエルヴィーラやまわりの生徒たちからひどい嫌がらせを受けていたことを、俺には一切話さなかった。
話したくないんだろうなと思ったから、俺もあえて聞き出さなかった。
リリが言いたがらないことを、わざわざ話題にする気はない。俺が陰で支えて、守っていけばいい。俺がなんとかすればいいだけのことだと思っていた。
でもフレイア嬢が言う通り、致命的に言葉が足りなかったのだ。
きちんと話を聞くべきだったし、俺も話すべきだった。
今になって、そう思う。
何も言わずにリリを守ろうとして、かえってリリを傷つけていたのなら、本末転倒もいいところだ。
悔しいけど、留学してきてまもないバルク殿下に「独りよがりの自己犠牲」と指摘された通りだったと認めざるを得ない。
それに、あのときバルク殿下に言われた「中途半端な守り方のせいで失った一番大事なもの」が果たしてなんだったのか、俺はいまだにその答えを見つけることができない。
昼になり、学園内のカフェへと向かう。
リリはすでにフレイア嬢やイザークと窓際の席に座っていて、楽しそうな笑顔を見せている。
あの笑顔に、手を伸ばせない。
その事実が、俺の胸を深くえぐる。
はあ、と大きなため息をついて、俺は目の前のランチを口に運んだ。
正直、あまり味はしない。
咀嚼しながら、懲りずにまたリリの笑顔に視線を向ける。
なんだあれ。可愛すぎだろ。
あんな笑顔、俺以外の人間には見せないでほしいのに。
……はあ。マジでつらい。
バルク殿下がいた間、なんだかんだ言ってリリのそばにいられたことは俺にとって至福のひとときだった。
リリと普通に話して普通に笑い合って、あのキラキラした笑顔を間近で見られてそのうえそれとなく触れることもできて、俺は初めて学園生活に意味を見出した。
ひたすら我慢を強いられていた日々が、一気に輝きと彩りを増した。
生きていてよかったとさえ、思った。
それがなくなった今、俺の学園生活はこれまで以上に味気ないものになっている。
いや、一度でもあんな幸せな気分を味わってしまったら、もうもとには戻れない。
リリに近づけない今のこの状況は、むしろあの頃より地獄だ。奈落の底だ。絶望しかない。ああああ。もう後悔しかない。
「やっぱり、リリエル嬢と一緒にいるのはつまらないのでしょう?」
いきなり神経を逆なでするような声が聞こえたかと思うと、エルヴィーラが断りもなく俺の隣に座った。
不必要にヘラヘラしたベルンハルトやニコラスもそれに続き、俺たちは同じテーブルを囲む格好になる。
わかりやすく不愉快な顔をしたところで、こいつらには通用しない。
俺はエルヴィーラを一瞥するが、何も答えずランチを食べ続ける。
「ちょっと。サイラスったら、どうしちゃったの? 機嫌が悪いの?」
鬱陶しい。
ムカつきすぎて、しゃべる気にもならない。
今までだって仕方なく行動をともにしていただけで、俺の機嫌はいつだってずっと悪かった。常に「無」の境地で過ごすしかなかった。
あまりにも無表情すぎて、イザークには「ウケるから死んだ魚みたいな目はやめて」とツッコまれていたくらいだ。
俺とイザークはそれぞれのっぴきならない理由があって、不本意ながらもエルヴィーラと一緒にいることを強いられていた。
一方ベルンハルトとニコラスは、多分あまり何も考えていない。というか、あまりまわりが見えていない。エルヴィーラがあいつらに声をかけたのは単に見た目がよかったからだし、あいつらはあいつらで第一王女と近しい間柄でいれば将来的に旨みがあると勘違いしている。だから二人は嬉々として、エルヴィーラのご機嫌取りに徹している。
その様子を、俺とイザークがだいぶ冷ややかな目で眺めている、というのがこれまでの俺たちだった。
それでも、バルク殿下が来るまでは俺もエルヴィーラの機嫌を損ねないよう多少は気をつけていた。エルヴィーラの苛立ちの矛先が、リリに向かないようにするためだ。
でももう、そんなことをする必要はない。
今、リリとフレイア嬢のそばには、常にイザークがいてくれる。イザークなら何かあってもうまくいなしてくれるだろうし、そもそもイザークがいれば何も起こらないだろう。
エルヴィーラは、イザークが自分のところに戻ってこないとイライラを募らせているみたいだけど。
でも、イザークが戻ってくることはないと思う。
俺だって、本当は早く向こうに戻りたい。リリと一緒に過ごしたいし、リリを独り占めしたい。
リリを間近で感じて、リリに触れたい。
はあ、とまた一つ大きなため息をつく。
カフェの窓際に目を遣ると、やっぱりリリは笑っていた。
屈託のない笑顔はキラキラとまぶしく、俺は我を忘れて見入ってしまう。
……可愛い。可愛いしかない。
あの可愛い人は俺の婚約者だというのに、なんで俺は近づくこともできずにどうでもいいわがまま王女の隣でランチなんか食ってるんだ。くそっ。忌々しい。
こんな禁欲生活に甘んじているせいで、行き帰りの馬車の中での愛情表現がうざいほど過剰になってしまうのは、仕方がないと思う。
◆・◆・◆
「もう少し楽しそうな顔をしてやったらどうだ?」
シリンド先生の考古学の授業が終わって教室に帰る途中、後ろから揶揄うような声が追いかけてきた。
「……一ミリも楽しくないのに無理」
むすりと答えると、アッシュグレーの髪をした優男が肩を並べる。
「遠くからでもお前の仏頂面はよく見えるよ」
「……自分だけ楽しい思いしやがって」
「今までずっと我慢してきたんだから、これくらいは許されるだろ?」
隣を歩くイザークは、にこにこと愛想のいい笑顔を見せる。
ちなみに、バルク殿下が去ったら考古学の授業から撤退した生徒が何人もいた。現金なやつらだとは思うが、あまりに人数が増えすぎてシリンド先生もいっぱいいっぱいになっていたから逆によかったのかもしれない。
エルヴィーラたちも、手のひらを返したように撤退してくれたし。
「リリエル嬢って、話すと結構楽しい子だよね」
「お前、リリには絶対に手を出すなよ」
「そんな命知らずなことしないよ。それに俺は、フレイアに夢中だし」
いけしゃあしゃあとそんなことを言うこいつの本心は、実はよくわからない。
本当にフレイア嬢に気持ちが傾いているのか、それとも自分に好意を寄せる令嬢にちょっかいを出すのが楽しいのか、正確なところはわからない。
あ、リリによれば、「フレイアは別に、イザーク様を好きなわけじゃないのよ」ということらしいが。人の気持ちというものがよくわからない俺に、女心などわかるわけもない。
「まあ、近いうち殿下の行き先も決まるだろうしさ」
急に訳知り顔をして、イザークは声を潜める。
「……お前が監視役を降りた時点で、あいつの処遇は決まったようなものだろ」
俺も小声で返すと、イザークはふふんとほくそ笑む。
この場合の「殿下」とはエルヴィーラのことだ。
イザークは父親であるグレンヴィル侯爵から、第一王女エルヴィーラが学園でやらかさないよう密かに監視役を命じられていた。
グレンヴィル侯爵は王立騎士団長でもあるし、国の行く末を考えての判断だったのだろう。
イザークは父親に命じられるまま、自由気ままな学園生活を投げうって長いことエルヴィーラを秘密裏に監視し続けた。
時には厳しく注意したり苦言を呈したりしながら、エルヴィーラが自分の傲慢な認識と不遜な態度を改めるよう仕向けてきたのだけど。
どこまでいってもエルヴィーラが改心する気配はなく、イザークもとうとう匙を投げたのだ。
「更生の余地なし」と報告されたエルヴィーラの今後が、どうなるのか。
俺たちには、おおよその見当がついている。
そして、その発表がなされたのは数日後のことだった。
次回、リリエル視点に戻っていよいよ最終話です。
わがまま王女はどうなるのか……?




