20 人の心の機微というものを学ぶべき
「まるで嵐のようだったわね」
目の前でランチをとるフレイアが、チキンにぶすりとフォークを刺す。
「何があったかは知らないけど、腹黒皇太子も尻尾を巻いて逃げ帰ったということかしら」
「まあ、そうね」
ふふ、と小さく笑みを漏らすと、フレイアも上機嫌でチキンを口に運ぶ。
あれから、数週間が経った。
すべての真実を聞かされたバルク殿下は、取るものもとりあえず一目散に帝国に帰っていった。
分不相応にも精霊の『秘めたる力』を手に入れようとしていたことや、そのために『精霊の申し子』である私を無理やり帝国に連れ帰って自分のものにしようとしていたことが、精霊王様に知られてしまったのである。
このままでは我が身が危ない、どんな制裁を受けるかもわからない、と半ば怯えるバルク殿下に、サイラス様は更なる追い打ちをかけた。
『バルク殿下。リリのことは金輪際、きっぱり諦めると誓ってもらえますか?』
『は? いきなり何を……』
『お約束いただけないのであれば、帝国と帝国皇族の秘密を世間に暴露することになりますが』
『帝国の秘密? な、なんだ、それは』
『帝国は精霊王の末裔が興した国であるという言い伝えが、実際には根も葉もない真っ赤な嘘だったという事実ですよ。帝国皇族が精霊の末裔でもなんでもないとわかれば、世の人々はいったいどう思うでしょうか?』
『え……』
『帝国の権威性は、皇族が精霊王の末裔だという言い伝えが根拠になっている部分も大きいですからね。それが否定されるとなると、世界の覇者としての帝国の威光が……』
『お、前……!』
バルク殿下は苛立ちと屈辱感を含んだ目で何か言い返そうとしたけれど、結局は顔を真っ赤にしたまま何も言えずに帰国した。
紆余曲折ありながらも見事バルク殿下を撃退できたことで、サイラス様はたいそうご満悦だったのだけど。
でも今、学園の中で私たちが一緒に過ごすことはない。
バルク殿下が留学してくる前と同様、サイラス様はエルヴィーラ殿下やその取り巻きの令息たちと行動をともにしている。
それは、なぜか。
これまでの言動について、サイラス様がフレイアから結構きつめの説教を食らったからである。
バルク殿下が帰国してすぐ、私とサイラス様は婚約を結び直すことになった。
というか、正確には「婚約解消がなかったことになった」のだけど、それもあって何事もなかったかのように私の隣に座るサイラス様を目にしたフレイアは、珍しく声を荒げたのだ。
『サイラス様がリリエルを守るために、我が身を盾にしてエルヴィーラ殿下たちと行動をともにしていたことは理解しています。それでも、私はあなたのことが許せません。なぜだかわかりますか?』
厳しい表情のフレイアは、これまでこらえていたものをすべて吐き出すように一気にまくし立てた。
『あなたがエルヴィーラ殿下たちと行動をともにするようになったことで、リリエルはずっと傷ついてきたのです。あなたの気持ちは自分から離れてしまったのだと思い込み、それなら婚約を解消してほしいと望んでも一向に応じてもらえない。放置され続ける悲しみや切なさをサイラス様にぶつけることもできず、ただただ我慢を強いられてきたリリエルがどんな気持ちで毎日を過ごしてきたのか、サイラス様にわかりますか?』
『あ、いや……』
『あなたはこれしか方法がなかった、むしろ自分はリリエルを助けてきたのだとお思いでしょうが、私からしたらふざけるなと言いたいところです。リリエルを長い間傷つけ、その信用を裏切っておいて、何が婚約者ですか。せめてあなたが自分の行動の意図をリリエルに話していれば、リリエルがあんなにも苦しむことはなかったのです。あなたはもっと、人の心の機微というものを学ぶべきでは?』
『お、おっしゃる通りです……』
『というわけで、サイラス様にはこれからリリエルと同等か、それ以上の苦難を経験していただきたいと思うのですが』
『は? い、いったい、何を……?』
『サイラス様には、学園の敷地内におけるリリエルとの接触を当分の間ご遠慮いただきます』
『え?』
『学園にいる間は、リリエルに接触するなということです。愛しいリリエルに近づくことのできない学園生活を通して、リリエルがこれまでどんな思いでいたのかを実感してください……!』
フレイアの勢い、わりとすごかった。
自分の『推し』について語る以外であんなに一気にまくしたてるフレイアのを見たのは、初めてだったかもしれない。
そんなふうに思ってたんだ? という驚きもあったけど、私のためにそこまで怒ってくれるなんて、とちょっと感動もしている。
サイラス様はフレイアの説教に思うところがあったらしく、フレイアの指示を黙って受け入れた。
私から離れて過ごすサイラス様をエルヴィーラ殿下が見逃すはずもなく、結局はあのキラキラメンバーと一緒に過ごしている、というかあのメンバーにつきまとわれている様子のサイラス様。
それでも、気がつくといつも私を追う視線を感じるし、学園の外では一緒にいられない時間を埋めるように甘いスキンシップの類いが増えた。
やりきれない想いでサイラス様を見つめていた頃とは、何もかもが違ってきている。
そして、あの頃とは違うことが、もう一つ。
「まあ、でも、バルク殿下が留学してきたおかげで変わったことも、実際あるわけだしさ」
そう言って、フレイアに満足そうな笑みを向けるイザーク・グレンヴィル様。
どういうわけか、バルク殿下が帰国しても、イザーク様がエルヴィーラ殿下たちのもとに戻ることはなかった。
なぜかいまだに、私たちと一緒にいるイザーク様。
正直言って、私も今のこの状況をいまいち理解できていない。
「そ、それは、まあ、そうですけど……」
イザーク様にとろけるような微笑みを向けられて、途端にしどろもどろになるフレイア。
本当にいつのまにか、この二人の距離はぐんぐん縮まっていた。
どちらかというと、イザーク様のほうがぐいぐい来ている感じではあるんだけど。
バルク殿下の留学に伴って一緒にいる機会が増えたことで、フレイアのオタク気質というか、最推しである『ギデオン様』に似たイザーク様をも陰で激烈に推していたという奇行が少しずつバレていたらしい。
自分の与り知らぬところで勝手にうざいくらいの熱情を傾けられ、謎に全力応援されていたことに逆に興味を示したイザーク様は、それ以来やたらとフレイアにちょっかいを出してくるようになった。
エルヴィーラ殿下に「こっちに戻ってきなさいよ!」と圧をかけられてもどこ吹く風、イザーク様はまったく動じる様子もなくこう言ったのだ。
『俺もいい加減、殿下から解放されてファンサービスに専念したいんですよ』
フレイア自身はこの言葉を聞いて、卒倒した。
ちなみに、フレイアはずっと「私はイザーク様を推しているだけであって、好きなわけではないのよ!」と主張し続けている。
フレイア曰く、「好き」と「推し」の違いは見返りを求めるかどうか、らしい。自分を好きになってほしいとか独り占めしたいとか、そういう気持ちは微塵もないんだとか。
だからこそ、イザーク様が『ファンサービス』と称して常にそばに居続ける今のこの状況は、なかなかに受け入れがたい。慣れないらしい。イザーク様に話しかけられるたびに、びっくりするくらい真っ赤になってしまうんだもの。平静を装ってはいるけれど、動揺しまくっているのがバレバレである。
「フレイアだって、俺と一緒にいられるようになってよかっただろう?」
「え、あ、その……」
「俺もこんなに可愛いファンを見つけられて、そのうえエルヴィーラ殿下から離れる口実ができたんだから、バルク殿下には感謝したいくらいだよ」
「いや、あの、あうぅ……」
最後には俯いて、わけのわからないうめき声を上げるしかない、フレイア。
これがサイラス様に猛烈な勢いで説教し倒した人物と同じ人間とは、とても思えないんだけど。
でも、親友が自身の『推し』に口説かれ困惑している様を眺めてニヤニヤできる日常は、すごくいい。
次回、説教を食らってお灸を据えられているサイラス視点です。




