19 『精霊の申し子』だからです
「精霊王から直々に……?」
何度も言うようだけど、リュダウル帝国民の精霊に対する信仰心は篤い。この世界で、最も精霊信仰が根づいている国だと言っていい。
だからこそ、突然「精霊王様」なんて言葉がサイラス様の口から飛び出して、辺りは途端に騒然となった。いや、ちょっとしたパニックである。
「精霊王の言葉を直接聞いたと言うのか?」
「お告げか? 神託か?」
「まさか! 帝国の人間でもないのに」
「いや、しかし嘘を言っているようには……」
「もしも本当だとしたら……」
ざわざわとした近衛兵たちのつぶやきは次第に大きなうねりとなって、全員が一歩二歩と後ずさる。
バルク殿下でさえも深刻そうに眉根を寄せ、事の真偽について考え込んでいるらしい。
「……サイラス。どういうことだ?」
ようやく言葉を発したバルク殿下に、サイラス様は珍しく少し得意げな顔をする。
「ここで話してしまっても、よろしいのですか?」
「は? 何を言っている?」
「いえ、今後の帝国の安寧と繁栄を考えれば、ここですべてを公にしてしまうのは……」
だいぶ芝居がかった口調の、サイラス様。
わざとらしい物言いでバルク殿下や帝国の近衛兵たちの不安を煽るだけ煽って、きっと悪い顔をしているに違いない。
ちょっと、見たいかも。
「……わかった。話は中で聞こう」
内なる不安に勝てなかったらしいバルク殿下は、忌々しそうな顔をしながらも踵を返して屋敷の中に入っていく。
「リリ、行こう」
差し出された手をしっかりと握り返して、私もサイラス様と一緒に歩き出した。
執務室では、神妙な面持ちのお父様と明らかにわくわくした表情のお兄様が待っていた。
お兄様は多分、私たちが無事に任務を遂行できたと確信しているのだろう。あとはアイレの湖で何が起こったのか、聞きたくて仕方がないのだろうと思う。
バルク殿下は不愉快そうな顔をしながらも、どこかびくびくと落ち着かない様子だった。
そりゃそうだ。精霊王の言葉を直接聞いたと主張するサイラス様が、「帝国の安寧と繁栄を考えれば」なんて不穏なことを言い出すんだもの。
しかも殿下は、精霊の『秘めたる力』を手に入れようなんて邪な思いを抱いているのである。いわば、脛に疵持つ身。戦々恐々となるのも、無理はない。
「サイラス、さっさと説明しろ」
ソファにどかりと座ったバルク殿下は、畏怖と不安がない交ぜになったような声で居丈高に命じる。
サイラス様はしれっと私を隣に座らせて、不敵な笑みを浮かべた。
「……実は、俺とリリエル嬢は昨晩シリンド伯爵領に赴き、精霊王様にお会いして直接お話を聞く機会を得ました」
そこからサイラス様は、精霊王様から聞いた真実を涼しい顔で説明し始める。
人々が精霊王として崇め奉ってきた信仰の対象が、実は真の精霊王ではなく、光の精霊であったこと。
光の精霊は分不相応な野望を秘めて精霊王を排除しようと画策し、精霊王は不要な争いを避けるためシリンド伯爵領に隠れ住んだこと。
光の精霊を盲目的に信仰した古代人のおかげで、「精霊王」に関する根も葉もない嘘が言い伝えとして独り歩きし、流布していったこと。
そのほか、リュダウル帝国の皇族は精霊の末裔でもなんでもないことや、いわゆる『精霊王の湖』というものは存在しないこと、また精霊の『秘めたる力』を人間が手にすることはできないということも、サイラス様は淡々と説明した。
「そ、そんな話、俄かには到底信じられない!」
サイラス様が話している間も、「そんなわけあるか!」とか「出鱈目を言うな!」とかいちいち反応して鬱陶しかったバルク殿下。
サイラス様が話し終わるや否や興奮した様子で立ち上がり、語気を強める。
「作り話も大概にしろ! そんな話をいったい誰が信じると言うんだ!?」
「でも殿下、これが真実なのです。俺たちが精霊王様から直接お聞きしたのですから」
「戯れ言を抜かすな! どうやって精霊王から話を聞くというのだ!?」
「あー、それはですね」
サイラス様はいつもの柔らかな笑みを見せて、私に目を向ける。
「リリが『精霊の申し子』だからですよ」
その言葉に、バルク殿下は「あ……」と言ったきり、口を半開きにさせている。
そうだった、とでも言いたげな顔である。
「真の精霊王は長きに渡って自分をかくまってくれた見返りとして、シリンド家に永遠の加護を与えたのです。シリンド家に時折生まれる『精霊の申し子』は、その証。そして『精霊の申し子』の持つギフトとは古代語がわかるというだけでなく、正確には精霊王と直接コンタクトを取ることができるという能力なのだそうです」
「……なんだって……?」
「『精霊の申し子』とは、精霊王と直にやり取りができるうえにその加護を直接受け取ることのできる稀有な存在。『精霊の申し子』の求めに応じて精霊王は姿を現し、その身を助け、進むべき道を指し示し、祝福を与えてくれる。だからこそ、精霊王はリリの願いに応えて太古の昔に起こった真実をお話しくださったのです。それを嘘だ出鱈目だと疑い真っ向から否定するということは、精霊王そのものを否定することと同義。違いますか?」
「そ、そんなつもりはない! しかし……!」
「精霊王は今もシリンド領のどこかに祀られ、シリンド家を、そして『精霊の申し子』を見守っている。もしもリリを害して意に沿わぬ困難を強いる者がいれば、容赦なく正義の鉄槌を下すとおっしゃっていました。ただ精霊王のご意志としては、この世界に直接関与することは極力控えたいとのこと。ですから、『精霊の申し子』であるリリを俺がこの身を賭して守ると誓い、精霊王の許しを得たのです」
真剣な表情ながらもどこか挑発的な声で言い募るサイラス様に、バルク殿下は「うぅ」と低くうめくことしかできない。
今までずっと、誰もが疑うことなく信じ込んできた精霊王伝承が、ほぼすべて荒唐無稽な絵空事だとわかってしまったんだもの。
だからといってすぐには受け入れられるはずもなく、バルク殿下は呆然と立ち尽くしたまま。
混乱する思考の中で悪あがきを続けるバルク殿下を見上げながら、サイラス様はけろりとした顔で言った。
「……ここまで話しても、まだご納得いただけませんか?」
そこでサイラス様は少しだけ表情を緩めて、すっと私に視線を移す。
「リリ。悪いけど、精霊王様にお願いできるかな?」
「わかりました」
私はしっかりと頷いて、わざとらしく胸の位置で両手を組んだ。
そして目を閉じ、心の中で精霊王様に呼びかける。
――――精霊王様。なんでもいいので、この横暴な皇太子をびびらせちゃってください……!
次の瞬間。
明るかった窓の外が突然雲に覆われて真っ暗になったかと思うと、空を覆うほどのまばゆい稲光とともに「ズドーン!!」という爆音が……!
「ひぃっ!!」
立ち上がっていたバルク殿下は驚いて悲鳴を上げ、ソファに尻餅をつく。
音のしたほうを見ると、一本の街路樹が焦げて煙を上げていた。
雷が落ちたのだと誰もが気づく頃には暗雲も消え失せ、空は何事もなかったかのように明るさを取り戻す。
「え……?」
「おわかりいただけましたか?」
「ま、まさか……」
「精霊王様は、『精霊の申し子』を守り支えることは自身の使命でもあるとおっしゃってくださいました。そして、困ったときにはいつでも呼びかけに答えてくださると」
「は……?」
「何人たりとも、『精霊の申し子』である私を害し脅かすことはできないということです。意に沿わぬ縁談を強いられて愛する人と引き裂かれ、苦難の人生を歩む私を精霊王様が黙って見過ごされるわけがありません。この意味、おわかりいただけますよね?」
にっこりと微笑むと、バルク殿下は目を見開いたまま、蒼ざめてわなわなと震えていた。




