18 直々に仰せつかりました
「盛大な思い違い?」
サイラス様は私の言葉の意味がピンと来ないらしく、ちょっと浮かない顔つきになる。
「そうです。これまで私たちが精霊王だと思っていた人物は実は精霊王様ではなく、光の精霊ガラド様という別人で、しかも帝国皇族は精霊の末裔でも何でもないわけですよね? となると、今の時代に残っている言い伝えの数々って、実は眉唾物も多いのではと……」
私の推測にサイラス様は「確かにな」と納得したようにつぶやき、精霊王様も「ふむ……」と何か考え込んでいる。
「例えばですね、リュダウル帝国のダゴールという場所は、精霊王降臨の地だと言われているのですが……」
私の言葉に精霊王様は少し難しい顔をして、渋々答える。
「……ダゴールはガラドが精霊として最初に降り立った場所だ。我ではない」
「やっぱり」
「で、では、精霊王様がこの世界に降り立ったときに浄化したと言われる、『精霊王の湖』というのは……?」
サイラス様がまるで迷子にでもなったような不安げな表情になって、おずおずと尋ねる。
「その言い伝えでは、我がこの世界に降り立ったときすでに湖があったようにも聞こえるな。しかし原初、世界は完全なる『無』であった。この世界に存在するものはすべて我の手で作り出したものであり、それは湖とて同じこと。ゆえにそのような言い伝えに合致する湖は、存在しないな」
「え」
精霊王に関する伝承の中でもひと際有名なものを簡単に否定され、面食らってぽかんとするサイラス様。
「じゃあ、『精霊王の湖』の水を飲めば精霊の『秘めたる力』の片鱗をその身に宿すことができるという言い伝えも……?」
「事実無根だな。そのような湖がそもそも存在せぬというのは今言った通りだが、精霊たちの持つ『秘めたる力』は物や道具に付与することができても、人に分け与えることはできぬのだ」
事もなげに言い切る精霊王様の言葉に、私の頭の中で何かが唐突にけたたましくドコドコと鳴り響く。
「……ということは、ですね」
逸る気持ちを抑えて、私は超絶美形な精霊王様を一心に見つめた。
「『精霊王の湖』を探してその水を飲み、精霊たちの『秘めたる力』を手に入れて神に近づこうとしているバルク殿下の野望は、最初から見当違いの叶わぬ夢だった、ということでしょうか?」
息を凝らして食い入るように、精霊王様の答えを待つ。
「……まあ、そういうことだ。人はガラドを崇拝し、信仰するあまり、ガラドに近づこうとして『秘めたる力』を求めたのであろう。しかし思い違いも甚だしいとしか言いようがない」
決定的ともいえるその事実に、私もサイラス様も二の句が継げない。
ほぼすべての伝承や言い伝えがことごとく否定され覆され、いまや精霊王伝承の価値は風前の灯火である。
……あれ。でも、そうなると。
「精霊王様」
私の躊躇いがちな声に、精霊王様はひょい、と片眉を上げる。
「なんだ?」
「では精霊王様は、なぜここにいらっしゃるのでしょう?」
「……どういう意味だ?」
「私たちがここに来たのは、このアイレの湖が『精霊王の湖』だと示唆されていたからです。ダゴールの遺跡で見つかった古文書に、そう書かれてありました。でも精霊王様は、『精霊王の湖』など存在しないとおっしゃいましたよね?」
「そうだな」
「となると、精霊王様とアイレの湖、そして伝承の『精霊王の湖』にはいったいどんな関係があるのでしょう……?」
「ああ、それはな」
比類なき美貌の持ち主である精霊王様が、ふっと柔和な微笑みを見せる。
その破壊力たるや……!
「我がこの世界で唯一浄化した湖が、この湖なのだ」
「え、浄化?」
「我がシリンド領に匿われる少し前に、この地で山崩れが起きてな。この湖はその影響で完全に濁ってしまっていたのだ。それを我が浄化した」
「え、じゃあ……」
「我が浄化した湖を『精霊王の湖』と呼ぶならば、まさしくこのアイレの湖こそが『精霊王の湖』と呼べるかもしれんな。シリンド家の者の中には、ガラドが精霊王として人々に崇拝されていることを苦々しく思う者も少なくはなかった。しかもガラド自身や『秘めたる力』に関する数多くの誤った言い伝えが独り歩きしていく様を見て、歯がゆい思いをしていたらしくてな」
「それはそうですよ。本物の精霊王様は目の前にいるんですから。そっちは偽物だし言い伝えも真っ赤な嘘だって、みんな言いたかったと思いますよ」
「それでも、我がここにいると公言することはできぬ。せめてもの抵抗として、真実を書き留めダゴールの神殿に隠したシリンド家の者がいたのだ」
「ああ、そういう……」
とても納得のいく説明をされて、私は何度も大きく頷いてしまう。
「で、では」
一瞬私に目を向けたサイラス様が、精霊王様のほうに恭しく向き直って尋ねる。
「シリンド家に時折生まれる『精霊の申し子』には、どういった意味があるのでしょうか……?」
「彼らの有する能力は、我を匿ったシリンド家に対するいわば礼のようなものだ。長きに渡り、よく仕えてくれたからな。我の力の一部を分け与えて、祝福を授けた。未来永劫、シリンドの家の者は我の加護のもとにあるという証としてな」
「しかし、先程精霊王様は、精霊の『秘めたる力』は人には分け与えることができないとおっしゃっていたはずでは……?」
サイラス様のその問いに、精霊王様はその威厳を保ったまま、そこはかとなくドヤ顔で答える。
「精霊たちには、できぬ。しかし、我は精霊王だからな」
「え、『王』だけはできるってことですか?」
「我はこの世界の創世主、すべてを統べる王である。我にできぬことなどない」
いや、さっき、精霊たちを思いのままにできるわけではないって言ったばかりでは……? というツッコミは、いろいろと面倒だからやめておいた。
◇・◇・◇
精霊王様との貴重な対面を終え、とんぼ返りで王都に戻った私たちを待っていたのは、憤怒の表情のバルク殿下だった。
「どういうつもりか説明してもらおうか?」
シリンド伯爵邸に到着して馬車を降りた瞬間、ざざざっという足音とともに現れたのは帝国の近衛兵。
怒りと嘲りを含んだバルク殿下の声に呼応するように、私たちのまわりを取り囲む。
サイラス様が私を自分の背に隠して立ちはだかるのを見て、バルク殿下はすぐさま尖った声で糾弾した。
「サイラス! リリエルはもはや君の婚約者ではない! 何様のつもりだ!?」
「確かに、俺とリリエル嬢との婚約は解消されました。ですが、彼女が俺の最愛であることに変わりはありません」
「リリエルは僕の婚約者に内定している! それを横から奪う気なのか!? どこまで帝国に楯突くつもりなんだ……!?」
横から奪おうとしていたのはあなたのほうでは、と言い返したくなって、一歩前に出る。
でもサイラス様の腕に制止され、おまけに「リリ、ここは任せて」なんて色っぽくささやかれるものだから、何も言えなくなってしまう。
ここで色気を出す必要ある? ないよね!? こんな非常事態なのに!
「……バルク殿下」
サイラス様の落ち着き払った声に、ますますヒートアップするバルク殿下。
「サイラス! リリエルから離れろ! さもないと――」
「そういうわけにはまいりません。なんせ俺は、この身を賭してリリエル嬢を守るよう、精霊王様から直々に仰せつかりましたからね」
耳を疑うその言葉に、誰もがぴたりと動きを止めた。




