17 サイコパス入ってます?
「光の精霊ガラド……?」
言われた言葉をそのまま復唱すると、自称精霊王様はますます憂いを帯びた表情になる。
「……じゃあ、あの方も精霊ではあるのですね?」
「そうだ」
「でもあらゆる精霊を束ね、その頂点に君臨する精霊王ではないと」
「うむ」
「では逆に、あなたが精霊王だという証拠はあるんですか?」
私の質問にサイラス様は明らかにぎょっとして、自称精霊王様はわかりやすく眉根を寄せる。
「……かつて、同じ質問をした『愛し子』がいたが……」
「え、そうなんですか?」
「しかし、残念ながら証拠はない」
「えー?」
「『えー』とはなんだ。失礼な」
とか言いつつさほど怒っているふうでもなく、むしろ可笑しそうに顔をほころばせる自称精霊王様。
人智を超越した神秘の存在だというのに、意外にフランクな人らしい。
……あ、「人」じゃなかった。
「証拠はないが、我の話を聞くがよい。そのうえで、それが真実かどうか判断せよ」
そこまで言うなら、黙って話を聞くしかないじゃない。
この世のものとは思えないほど整い過ぎた端正な顔を見据えながら、私は「わかりました」と素直に答えた。
「……遠い昔、我はこの地に降り立った。新たな世界を創造し、その調和と均衡を維持するためにはいくつかの属性を司る精霊を生み出すことが必要だった。光の精霊ガラドも、そうして生み出された精霊の一人だ」
その言葉で、私は思い出す。
古文書を通して見ていたあの方は、いつも太陽の光の下でキラキラと輝いていた。言われてみれば、光の精霊、という気がしないでもない。
「生み出された精霊たちはみな、この世界で思い思いに暮らしていた。ガラドは生来、明るく社交的なやつでな。人間たちに慕われて、ともに暮らすようになったのだ」
「確かに、発掘された古文書や金石文にはあの方を称え、敬う文章がたくさん残っています」
「うむ。あやつは自分の『秘めたる力』を惜しみなく使い、人間たちに祝福と恩恵を与えていたからな。その影響もあって、人間たちは次第にあやつをまるで神であるかのように盲信し、崇拝するようになったのだ。そしてガラド自身も己が神であるかのごとく振る舞うようになり、いつしか我に取って代わろうと画策し始めた」
「……え?」
思ってもみない展開に、唖然としてしまう。
「取って代わろうなんて、いったい何を……?」
サイラス様が尋ねると、自称精霊王様は一瞬だけ視線を下に向け、沈んだ声で答える。
「有り体に言えば、我を亡き者にしようとしていた」
「そんなことができるのですか?」
相手はこの世界の創造主、すべての生きとし生けるものを生み出した尊い創世の王である。
亡き者にするだなんて、とてもじゃないけど正気の沙汰とは思えない。
「我とこの世界とは一心同体。我が死するということは、この世界もまた終焉を迎えるということ。無論、我が生み出したすべての命も終わりを迎えることになる」
「それなら、光の精霊だって……」
「そうだ。しかしあやつは人間たちに崇め奉られるうちに慢心し、そうした事実を失念してしまったらしい」
……え、ちょっと。
光の精霊って、だいぶやばいのでは、という気がしてきた。
今まで古文書を通して見てきた光景が、途端に別の意味を持ち始める。
自らの『秘めたる力』を人々のために使うことで崇拝されていたあの方が、実は世界の頂点に君臨しようと野望を秘めて暴走した、とんでもない勘違い野郎だったなんて……!
「ガラドの思惑に、ほかの精霊たちは腹を立て、反発した。我が死すれば世界も終わるのだと教え諭そうとした精霊もおったが、ガラドは聞く耳を持たなかったのだ」
「ほかの精霊たちの忠告を聞かなかったのですか?」
「そうだ」
「それって、常軌を逸しているというか視野狭窄的というか、だいぶぶっ飛んでますよね? 光の精霊って、もしかしてちょっとサイコパス入ってます?」
「なんだ、『さいこぱす』とは」
「しかし精霊王様ほどの方であれば、そうした光の精霊の暴走をも食い止めることができたのでは……?」
恐るおそるといった様子で、サイラス様が真っ当な問いを投げかける。
精霊王様は苦り切った表情でサイラス様を見返して、ため息をつく。
「我は精霊を束ねる長ではあるが、すべての精霊を思いのままにできるわけではない。精霊にも各々意志や感情があり、それらは尊重されるべきものだからな」
精霊王様の言葉にそういうものか、と思いつつ、じゃあ『すべてを統べる』わけじゃなくない? というツッコミが頭に浮かぶ。
もちろん、ひとまずスルーする。
「しかも、ガラドは光の精霊。ガラドを排すれば、この世界の光は失われてしまうのだ。そうなれば影響を受けるのは、もはや人間だけではない。この世界の調和と均衡が崩れ、存続の危機に直面することになる。それだけはどうしても避けねばならぬと考えた我は、この身を隠そうと決めたのだ」
「……身を、隠した? どこにですか?」
なんて自分で聞いたくせに、私はすぐに「……あ!」と思いつく。
「もしかして、ここですか?」
「そうだ。シリンド家の者たちが、事情を知ってかくまってくれたのだよ」
そのときのことを思い出しているのだろうか。
精霊王様の表情が、少しだけ懐かしそうに緩んだ気がする。
「シリンドの人間は実直で嘘がなく、学ぶことにひたすら貪欲で、そして親切だった。みな、良くしてくれたよ。人とともに過ごすということは、これほどまでに心を豊かにしてくれるのだと知った。ガラドが暴走に至った理由が、理解できた気がしたよ」
「ガラド様はその後どうされたのですか?」
「我がいなくなったことで、誰に憚ることなく派手に精霊王を名乗り始めた。ほかの精霊たちは誰もあやつを認めなかったが、そのうち非難し、糾弾することを諦めたようだ。咎める者がいなくなったこともあって、ガラドは長いこと精霊王として君臨し続けた」
古代の精霊たちにまつわる衝撃的な物語の数々に、私もサイラス様もすぐには言葉を発することができない。
「……え、じゃあ」
何かに気づいたらしいサイラス様が、その麗しい顔をぱっと上げる。
「リュダウル帝国は精霊王の末裔が興した国とされ、『精霊王の国』とまで言われているのですが……」
「古代の人間はガラドを精霊王だと思っていたからな。そういう伝承や言い伝えになるのは致し方ないが、しかしリュダウル帝国と我とは一切関係がない。そのような呼び名は、いささか不本意ではあるな」
「ですよね……」
「では、リュダウル帝国の皇族は、ガラド様の末裔ということなのでしょうか?」
私が尋ねると、精霊王様は急になんとも言えない微妙な顔になる。
「……いや」
「いや?」
「そもそも我々は精霊であり、生殖機能を持たぬ」
「え?」
「ゆえに、我らは人との間に子をなすことはできぬのだ」
「……え」
「リュダウル帝国の皇族は精霊王である我の末裔ではないどころか、そもそも精霊の末裔など存在しない」
「……それって……」
私とサイラス様は、思わず顔を見合わせる。
「じゃあ、リュダウル帝国の皇族は精霊の末裔でもなんでもない、ただの人ってことですか?」
「まあ、そうなるな」
「でも帝国は、精霊王の末裔が興した国だからこそこれまで世界の覇者として君臨してきたのです。その前提が覆されたら、帝国の権威性や威光といったものまで否定されてしまうのでは……」
「まあ、そういうことになるな」
淡々とあっさり答える精霊王様の言葉に、私は妙な胸騒ぎを覚える。
「……あの、すみません。ちょっと確認してもいいですか?」
少し改まった態度になってそう言うと、サイラス様と精霊王様は私のほうに怪訝な顔を向ける。
「もしかして私たち人間は、長きに渡って盛大な思い違いを重ねてきたのでは……?」




