14 隠すのがうますぎる
「リリ」
サイラス様が、もう一度私の名前を呼んだ。
何も答えず返事もしない私の前に回り込み、サイラス様は俯いたままの私の顔を見下ろしている。
「リリ、一つだけ質問するから答えて」
「え……?」
「……帝国に、行きたい?」
思わず、顔を上げる。
切羽詰まったように翳る濃藍色の瞳と、視線がぶつかる。
「それは……」
「答えて」
「でも……」
「リリ」
一向に変わらない声色で、サイラス様は私を追い詰める。
「リリのほんとの気持ちを、教えてよ」
「そ、そんなの……」
――――言えない。でも、言いたい。言ってしまいたい。
そう思うと涙はとめどなく溢れ出て、言葉はことごとく流れてしまう。
それでも私は嗚咽の声を漏らしながら、必死で想いを紡ぐ。
「……ほんとは、行きたくない……。サ、サイラス様のそばに、ずっと――」
最後まで言い終えることは、できなかった。
気づいたら、サイラス様に抱きしめられていた。
「サイラス、様……?」
「行かせないから」
「え?」
「行かせない。リリを手放すなんて、できない」
「え……?」
見上げると、サイラスが魅せられたようにじっと私を見つめている。
「初めて会ったときからずっと、俺はリリが好きだから」
真っすぐすぎるその言葉に、私は逆に「え……」と冷静になる。
「初めて会ったとき? それって、うちの母親の葬儀のときですよね?」
「そうだよ」
「あのときから? あれはもう、十年以上前の話ですよ?」
「そうだよ」
「いや、でも、あのとき会ったのは一瞬だし、ほとんど話もしてないし……」
「そうだけど、あのあと頻繁にシリンド伯爵邸に行くようになったじゃないか」
「それは、オフィーリア様が私たちをかわいそうだと思って……」
「それもあるけど、多分俺の気持ちがとっくにバレてたんだよ。あのあと母上に『このままだとエルヴィーラと婚約することになるかも』なんて言われて、そんなの絶対に嫌だし婚約するならリリじゃなきゃ嫌だって言ったし」
「……初耳なんですけど」
「初めて言ったから」
特に動じることなく平然と答えるサイラス様に、私は思わず怪訝な顔になる。
「……もしかして、それで婚約が決まったんですか?」
「そうだよ」
「そういう説明をされてないんですけど」
「俺が言わないでほしいって言ったから」
「なんで?」
「俺の気持ちを知って、リリがどう思うかわからなかったから」
「……え」
つい、咎めるような目つきになってしまう。
それでもサイラス様の表情は、まったく変わらない。
「じゃ、じゃあ、ついでに聞きますけど、どうして学園では私のことを放ったらかしにして、ずっとエルヴィーラ殿下たちと一緒にいたんですか?」
「リリへの執拗な嫌がらせを抑えるためだよ。リリがまわりの生徒たちからひどい嫌がらせを受けてると知って、どうにかしようと直接抗議したり、あれこれ説明して回ったりしたんだ。でもエルヴィーラは作り話がうまいし影響力もありすぎて、とてもじゃないけど太刀打ちできなかった。最終的に、直接あいつの動きを封じることでしかリリを守れないと思ったんだ」
「……私はてっきり、サイラス様がエルヴィーラ殿下をお好きなのだとばかり……」
「いや、それは絶対にないから。あり得ないから」
「まあ、近くで見るようになって、そうなのかなとは思いましたけど……」
あの塩対応を見れば、さすがの私もすべてが勘違いだったのだと気づくしかない。
でもサイラス様の心が離れてしまったのだと半ば諦めて、傷つく自分を持て余してきた年月を思うと、どうしても釈然としない。ああそうだったんですね、とすんなり言えない自分がいる。
それに。
「……サイラス様は、私のことをそういう目では見ていないと思っていました」
「そういう目?」
「サイラス様はいつも優しくて、穏やかで、完璧で、私を好きな素振りなんてまったく見せなかったから」
「そんなことないと思うけど」
「いや、だって、恋い焦がれて、好きで好きでたまらなくて、私以外目に入らない、みたいな衝動? というか欲望? の類いを感じるようなことは一切なかったし……」
「だってそれを見せたら、リリが怖がるかと思って」
「……はい?」
飄々としたサイラス様の、想定外なその言葉。
怖がる? 私が?
「……それってつまり、私が恐怖を抱くほどの想いを秘めているとか、そういう……?」
まさかそんなはずは、という思いと、でも今の話の流れではそうとしか考えられないのでは、という思いとが交差する。
「そうだよ」
「そんな、あっさり認めるんですか?」
「だって、事実だし」
「え」
「ほかのことなんか全部どうでもいいと思うくらいには、リリが好きだから」
あっけらかんと言い切る、サイラス様。
……えっと、あの、これ、現実かな? 私、夢でも見てる? これってこの前フレイアが言っていた、『死ぬ前に見る夢』じゃないよね……?
「夢じゃないから」
まるで私の心の声が聞こえていたのかというくらい、どんぴしゃな答えが返ってきた。いや、どんぴしゃすぎて、声も出ない。
「俺がどれだけリリのことが好きなのか、リリに知られて引かれるのが怖かったんだ。だからずっと、隠してた」
「……隠すのが、うますぎると思うんですけど……」
私の言葉に、サイラス様はどこか得意げな顔になる。
……いや、別に、褒めてはないのよ……。
「でももう、隠さないよ。いい?」
サイラス様の手が、私の頬にそっと触れる。
その目には、確かな「熱」が宿っていた。
今まで決して見せることのなかった衝動と情欲の火が、濃藍色の瞳の奥で揺れている。
近づいてくるその妖しい光に魅入られて目を閉じそうになったとき、すうっと意識が現実に引き戻される。
「……ダ、ダメです、サイラス様」
「なにが?」
「サイラス様の気持ちはうれしいですけど、でも私、帝国に――」
「行かせないって言ったよね?」
「でも、私が行かないと……」
言いかけて、口をつぐむ。
視線を逸らし、顔を背ける私を見定めて、サイラス様のまなざしが鋭さを増していく。
「リリ。バルク殿下との間に何があったのか、俺に教えてくれないか?」
「え……?」
瞬きもせず私を見つめる濃藍色の瞳に捕らえられ、抗うことができない。
身動きできずにしばらく逡巡した私は、結局すべてを話そうと決めた。
あの日のお父様と同様、『精霊の申し子』とギフトについて説明し、その秘密を知ったバルク殿下が話したことをそのまま伝える。
殿下が『精霊王の湖』を探していることも、『秘めたる力』を手に入れて神に近づこうとしていることも、その野望のために『精霊の申し子』である私を娶ろうとしていることも、そして殿下の求婚を断れば、この国に害が及ぶと脅されたことも、すべて。
「……そうだったのか」
押し殺した声に、冷ややかな怒りがこもっている。
「怒ってるんですか?」
「怒ってるよ。これ以上ないくらいにね」
とはいえ、傍目には怒っているというのがまるでわからない。
いつも以上に、きりりと冷静な無表情なんだもの。
「なんにせよ、そんなやつにリリを渡すつもりはないよ」
「でも帝国に逆らうなんて、無謀すぎます」
「そうでもないよ。リリは大事なことを忘れてる」
愛おしげな様子で私の頬に触れながら、サイラス様はいつものあの柔らかい笑みを浮かべてこう言った。
「俺たちの味方になってくれそうな人が、一番身近にいるじゃないか」
そうして、サイラス様に連れられ向かった先にいたのは――――。
「来るのが遅いから、待ちくたびれたよ」
不敵な顔で笑う、お兄様だった。




