10 もらってほしいんだけど
そうこうしているうちに、サイラス様のお母様、オフィーリア様の誕生パーティーの日を迎えた。
「ディオもリリもありがとう! 来てくれてうれしいわ!」
満面の笑みで出迎えてくれるオフィーリア様に、私たちも喜びを隠せない。
「キルス様はお元気なの? 今回は帰国が少し遅くなったと聞いたけれど」
「相変わらず、遺物や古文書と格闘していて騒々しいですよ。オフィーリア様によろしく伝えておいてほしいと言っていました」
お父様は先日発掘された、あのペンダント型の通信機器の片割れを探すのに忙しいらしい。「どこかにあったはずなんだが!」と言っては、保管庫に運び込んだ木箱をひっくり返している。まったく、毎日ドタバタと騒がしい。
「ディオ兄!」
廊下の向こうから、サイラス様の弟のルーカス様がオフィーリア様そっくりの笑顔で現れる。
「久しぶりだね! 元気だった?」
「もちろんだよ。ルーカスはどう? 学園生活はもう慣れた?」
「なんとかね」
私たちより二つ年下のルーカス様は、この春学園に入学したばかり。
ルーカス様とサイラス様は、兄弟なのにわりと真逆の性格をしている。気さくで、社交的で、人懐っこいルーカス様はすぐに友だちもできたらしく、楽しげに過ごしているのを時々見かける。
「僕よりもサイ兄やリリのほうが大変そうだよ」
「そうなの?」
「だって、帝国から留学してきた皇太子の『案内役』を任されるだけでも大変なのに、面倒くさいのがぞろぞろくっついてきて」
ルーカス様の言葉に、私は中途半端な薄笑いをすることしかできない。「そうなのよ」とも「そんなことないわよ」とも言えないところが、つらい。とほほ。
そのまま中庭に出ると、サイラス様が待っていた。
「いらっしゃい、リリ」
すぐに近づいてきて、当たり前のようにすっと私の手を取って、サイラス様は柔らかい笑みを浮かべる。
サイラス様はこんな笑顔を学園では見せない。というか、みんなにはこんな優しい微笑みを見せることがない。
今更ながらそんな事実に気づいて、痛いくらいに心臓が跳ねる。
もしも、これまで私の考えていたことが、すべて間違っていたとしたら。サイラス様の気持ちも、サイラス様とエルヴィーラ殿下のことも、何もかもが全部思い違いだったとしたら。
そんな淡い期待が、私の胸の中でどんどん加速している。
「リリ」
パーティーも終盤に差しかかった頃、サイラス様が不意に私の名前を呼んだ。
「ちょっと渡したいものがあるから、俺の部屋に来てくれないか?」
言われるがまま手を引かれ、私はサイラス様の自室に足を踏み入れる。
この部屋に入るのは、何年ぶりだろう。
小さい頃はよくここで二人で本を読んだなあ、なんて懐かしく思い出す。あの頃とあまり変わらない落ち着いた空気感にホッとしながら、ソファに腰かける。
サイラス様は机の引き出しから何やら取り出して、私の隣に座った。
「これ」
差し出されたのは、細長い長方形の箱。
「開けてみて」
優しく促され、私は蓋を開ける。
中に入っていたのは、サイラス様の瞳の色と同じ、濃藍色の石が施された上品なネックレスだった。
「これって……」
「もらってほしいんだけど」
「え……?」
思わず、サイラス様の端正な顔を真顔で見返してしまう。
サイラス様は恥ずかしそうにちょっと目を泳がせて、それから観念したようにふっと笑う。
「柄にもないことをって思ってるんだろ?」
「そんなことはないですけど、でも、その、いただく理由がないです。誕生日でもないし、何かの記念日ってわけでも……」
だいたい、誰かにプレゼントを選ぶということが苦手なサイラス様が、なぜいきなりこのネックレスを購入したのだろう。
いったいどういう理由で、どうしていきなり、しかも、なんでこの色の石なの……?
正直、うれしさよりも驚きや戸惑いのほうが大きくて、微妙な反応になってしまう。
そんな私に不安を覚えたのか、サイラス様はどこか困ったような顔をする。
「リリに、俺の色のものを身につけてほしくて」
「それは、どうして……?」
「だってリリは、俺の婚約者だから」
なんの迷いもない返事に、すごい勢いで膨らみかけた何かが急激にしぼんだ気がした。
なんだ、そうか。いや、まあ、そうなんだけど。そうか。そうよね。
知らず知らずのうちにあらぬ期待をしていたことに気づいて、内心狼狽える。
真っすぐなサイラス様のことだもの。そこに他意というか、特別な想いがあるわけじゃないのよ、うん。
ほかの人には向けることのない焦がれるような「熱」を無理やり見つけようとしていた自分が、なんだかとても、恥ずかしい。
「わかりました。ありがとうございます」
笑って見返すと、今度はサイラス様が一瞬虚を衝かれたような表情になる。
でもすぐにいつもの飄々とした雰囲気に戻って、「つけてみる?」と言いながらネックレスを指差す。
「いいんですか?」
「もちろん。つけてあげるよ」
サイラス様がしゃらりとネックレスを手に取ったから、私は長い髪を右側にまとめて背中を向けた。
露わになった首の辺りが、ちょっとすーすーする。
そのまま、数秒。
なぜかサイラス様は動く気配がない。
「……あの、サイラス様?」
「え? あ、ごめん。ちょっと待って」
サイラス様は慌てた様子で返事をして、すぐにネックレスをつけてくれた。
小ぶりながらも確かなきらめきを放つ石に、温かな安らぎを覚える。
「……どうですか?」
振り返って尋ねると、またあの柔らかい笑みを浮かべるサイラス様。
「可愛い」
なんの前触れもなくそんな言葉を返されて、平常心でいられるわけがない。
……そ、それは、ネックレスのことですよね……!?
とは、ちょっと聞けなかった。
◇・◇・◇
翌日。
「へえー」
ネックレスのことを話しても、フレイアは大して驚いた様子を見せなかった。
「驚かないの?」
「別に、驚かないわよ」
「どうして?」
「だって、知ってたから」
「何を?」
「サイラス様が、リリエルをどう思っているのか」
「はい?」
フレイアの表情は変わらない。
「えっと、それは、どういう……?」
おずおずと尋ねても、フレイアの表情はなおも変わらない。
……いや、ちょっと、そこはかとなく、得意げかも。
「私が言うべきことじゃないと思っていたから、ずっと黙ってたのよ。私はサイラス様のことをよく知らないし、話したこともほとんどないし、だから勝手な憶測でものを言うのは控えたほうがいいかなと思ってて」
「う、うん」
「でも見てればなんとなく、というか、わりとはっきりめにわかるというか」
「うんうん」
「サイラス様ってエルヴィーラ殿下たちと一緒にはいても、いつもリリエルのほうばかり見てるんだもの」
「……え?」
きょとんと、してしまう。
「いや、でも、いつも楽しそうに……」
「楽しそうに見えた? あれが? いつもつまんなそうな顔をしてたじゃない。ていうか、リリエルはちゃんと見てないでしょう?」
「あ……」
「そりゃあ、婚約者がほかの女性と一緒にいるのなんてあんまり見たくはないだろうし、だからリリエルもあえて見ないようにしてたんだろうけど。でもじっくり観察してれば、サイラス様がエルヴィーラ殿下のことをなんとも思っていないのははっきりわかったと思うのよ。だって、まるで虫けらを見るような目で見ていたんだもの」
「虫けら」
「だからそのネックレスは、単に婚約者だからという理由だけでくれたわけじゃないと思うわよ」
ふふんとほくそ笑むフレイアに、私は何も言い返すことができない。
「まあ、サイラス様の真意は、本人に聞いたほうが早いと思うけどね」
それは、そう。なのだけど。
でもそんなこと、聞いていいのだろうか。ていうか、聞きづらくない? そもそも、何をどう聞けば……?
なんてことを悶々と考えている間に、それどころではない非常事態が勃発することを、このときはまだ誰も知らない。




