1 釣り合いが取れなさすぎない?
廊下の先に、いつもの煌びやかな集団が見えた。
時折楽しげな歓声を上げながら、集団は私の横をすんなり通り過ぎる。
優美で華やかなオーラを纏った人たちの賑やかな笑い声が、耳に残ってまとわりつく。
「今日はまた、一段とテンションが高くていらっしゃるわね」
私の隣を歩く親友のフレイアが、少し皮肉めいた口調でつぶやいた。
「何かいいことでもあったのかしら」
「さあ?」
「リリエルの婚約者様、何か言ってなかったの?」
「……特には」
「まあ、そうよね」
煌びやかな集団の中心にいるのは、この国の第一王女エルヴィーラ・フェアラス殿下。はっきりと濃い金髪に高貴なエメラルドグリーンの瞳を持つ容姿端麗な王女は、快活で親しみやすい雰囲気もあってか庶民には大層人気がある。
そしてそのまわりに並び立つ、見目麗しい令息たち。
現宰相家の次男とか、騎士団長の令息とか、資産家の新興貴族の子息とか、錚々たる面子が居並ぶ中でもひと際目を引くのは、『完璧貴公子』の異名をとるサイラス・レイシアン公爵令息その人である。
漆黒の闇夜を映したような黒髪と深い海の底を思わせる神秘的な濃藍色の瞳は、理知的で端正な顔立ちをこれでもかというほど引き立てている。幼い頃からその神懸かり的な美しさゆえに『精霊王の再来』などともてはやされてきた彼は、百人いたら百人が振り返るだろうという美貌の貴公子に成長した。
そのうえ聡明で思慮深く、頭脳明晰で頭の回転が速く、剣を握らせれば騎士団長をもうならせるという非凡な才能をも併せ持つ。物静かで常に冷静、口を開けば素っ気なく、何を考えているのかわからないミステリアスなところも世の令嬢たちにはたまらないらしい。まさに全方位死角なし、といえる完璧な貴公子。
そんな、超絶スーパーハイスペック令息についてなぜ私がこれほど詳しいのか。
それは――――
「リリ」
さっきの集団と一緒だったはずのサイラス様の顔が、いきなり私の眼前にあって狼狽える。
「サ、サイラス様、いつの間に」
「今日の帰り、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」
「……どこですか?」
「母上の誕生日が近いから、プレゼントを一緒に選んでほしくて」
「ああ、オフィーリア様の」
サイラス様のお母様、オフィーリア様は現国王陛下の妹君にあたる。
つまり、サイラス様とエルヴィーラ殿下はいとこ同士。完璧超魔人には、なんと王家の血まで流れている。
「毎年のことで悪いんだけど、ちょっとつきあってくれないか?」
「そんなの、もちろんいいですよ」
私がにっこり微笑むと、サイラス様は無表情ながらも「助かるよ」と応える。
完璧貴公子と名高いサイラス様だけど、プレゼント選びに関しては「何を選んでいいのかわからない」らしい。だから学園に入学してからは、一緒に選ぶのが暗黙のルールみたいになっている。
「じゃあ、帰りに」
それだけ言い残して、さっさと華やかな集団に戻っていくサイラス様。
その背中を黙って見送ると、無意識にため息がもれてしまう。
「……あなたの婚約者様って、本当に相変わらずね」
半ば呆れたようなフレイアの言葉に、私は曖昧な表情で頷くしかなかった。
◇・◇・◇
私とサイラス様の婚約が決まったのは、私たちが六歳のときである。
出会いは、五歳のとき。
私の母が流行り病で亡くなった際、その葬儀にレイシアン公爵家が参列されたのだ。私の父であるシリンド伯爵とサイラス様のお父様であるレイシアン公爵は、学生時代からの親友同士だったらしい。
葬儀に参列したレイシアン公爵夫妻、とりわけ夫人のオフィーリア様は、幼くして母を亡くした私と三つ年上のお兄様にずいぶんと心を痛めておいでだった。同じ年頃の子を持つ母親としては、黙って見ていられなかったのだろうと思う。
葬儀が終わってしばらくすると、オフィーリア様はサイラス様と二つ年下の弟ルーカス様を連れて、足繁く我が家を訪れるようになった。はじめは人見知りと気後れでガチガチだった私と兄のディオルも、女神のように優しいオフィーリア様と同年代の公爵家兄弟にだんだん心を開くようになる。
そうしてすっかり仲良くなった子ども四人は、一緒に庭を駆け回ったり木陰で絵本を読み合ったりしながら、たくさんの時間を共有した。
六歳になった頃、突然私とサイラス様との婚約が決まる。
理由は、実のところよくわからない。オフィーリア様が、殊の外私のことを気に入ってくれているという事実はあるけれども。
でも格上の筆頭公爵家からぜひにと請われた縁談を、しがない伯爵家が断れるはずもない。確たる理由は不明ながらも、私とサイラス様の婚約はあっさり結ばれてしまった。
婚約が決まったことで、私たち四人の関係ががらりと変わったかというとそうでもない。ただ成長するにつれ、少しずつ遊びは変化していったように思う。
お兄様とルーカス様は外に行って虫を探したり走り回ったりということが好きだったけど、私とサイラス様は屋内で、とりわけ図書室で一緒に本を読んでいることが多かった。
本を読むのが好きな私につき合わせるのが申し訳なくて、外に遊びに行ってはどうかと促したこともある。でもそんなとき、サイラス様は決まってこう言った。
「俺はこっちのほうが楽しいから」
あまり表情を変えず、淡々と答えるサイラス様の言葉は素直にうれしかった。
幼い頃から、サイラス様は妙に論理的というか合理的で、相手の気持ちを推し量って忖度するということがあまり得意ではなかった。控えめで口数が少なく、たまに何か言ったかと思えば「興味ない」とか「それ、意味あるの?」とか結構辛辣なセリフで相手をドン引きさせることもしばしばだったけど、それでも私に向ける裏表のない優しさに嘘はなく、私は淡い恋心が少しずつ芽吹いていくのを感じていた。
でもそんな関係は、王立学園に入学後、徐々に形を変えていく。
理由はまあ、簡単といえば簡単だし、単純といえば単純である。
要するに、筆頭公爵家の嫡男であり、『完璧貴公子』として名高いサイラス様と婚約しているのがシリンド伯爵家の私であるという事実が、まわりの生徒たちには想像以上に受け入れ難いものだった、ということだろう。
我がシリンド伯爵家は、建国当初から続く由緒正しい貴族家ではある。
でも我が家が誇れるのは、正直言って歴史の古さくらいしかない。過去には著名な学者を何人も輩出したという記録もあるけど、そんなのは遠い昔の話。
父であるシリンド伯爵は王立学園で考古学を教える一教員にすぎないし、しかも学園の長期休暇となれば、すぐに発掘だ調査だと騒いで世界中のあちこちに出向いていってしまう。お母様が生きていた頃はそれでもよかったけど、他界してからは私たちをレイシアン公爵家に預けて発掘調査に出かけて行ってしまうという、どこまでも発掘バカなお父様。
そもそも、シリンド伯爵家は出世や権力といったものに無頓着な、学者肌の者が多い。だから地味で冴えない弱小貴族と揶揄されてしまうのはまあ、仕方がない。
でもそんなシリンド伯爵家の私と、飛ぶ鳥を落とす勢いのレイシアン公爵家嫡男サイラス様が婚約しているなんて。
どう考えても、釣り合いが取れなさすぎない?
それなのになぜか婚約は結ばれて、そして十年間解消されないまま今に至っている。
まったくもって、謎である。謎でしかない。
もちろん、そう思っているのは私だけではない。全世界の人がそう思っている。断言できる。
しかも学園に入学後しばらくすると、サイラス様はいとこでもあるエルヴィーラ殿下やさっきの令息たちと常に行動をともにするようになった。
論理的かつ合理的で、意味のないことや興味のないことは避けたがるサイラス様が、あのキラキラ貴族の面々と行動をともにしているのはそこに明確な意味を見出しているからにほかならない。
きっと、サイラス様の気持ちはエルヴィーラ殿下に向いているのだろう。
そりゃそうだ。学園に入学してきれいな令嬢たちを目の当たりにして、サイラス様は気づいたのだ。地味で冴えないシリンド家の私より、明るくて華やかで気心の知れた美しい王女のほうが魅力的なのだと。
それにエルヴィーラ殿下のお気持ちだって、いまや誰もが知っている。殿下が幼い頃からずっとサイラス様に片想いをしていたという話は、有名なのだから。
そう思うからこそ、私との婚約なんかさっさと解消してもらっても、とこれまで何度も何度もやんわりと伝えているというのに、サイラス様は婚約解消に応じようとはしない。
しかも困ったことに、学園以外の場所では見事なまでに完璧な婚約者として振る舞うサイラス様。
学園内では完全に用事のあるときしか寄ってこないけど、学園の送り迎えはきっちりしてくれるし、月に一度のお茶会をすっぽかされたこともない。誕生日には、私のリクエストしたプレゼントと花束を毎年しっかり贈ってくれる。もはや文句のつけようがなく、婚約解消をゴリ押しすることもできない。
だから私にとって、『完璧貴公子』サイラス様は理解不能、何を考えているのかよくわからない厄介な婚約者なのである。
全22話で完結予定です。
よろしくお願いします!