第69話 決着、そして、"剣聖"の異変……?
カシャン……
静寂を裂くように、一本の剣が乾いた音を立てて地面に転がった。
王国最強の剣士――剣聖カリム・ヴェルトールが、その手から放した愛剣。
刃が砂利にぶつかり、ゆっくりと横倒しになるまでのわずかな時間。
まるで時が止まったかのように、訓練場全体が凍りついていた。
王国軍の兵士たちは誰もが動けず、観客席の貴族たちは驚愕に目を見開く。
空気が張り詰める中、カリムは剣から目を離さぬまま、静かに顔を上げた。
そして――彼の視線が向けられた先に立つのは、一本の細剣を手にした少年。
異世界の勇者、九条迅だった。
雷光を帯びたレイピアを片手に、迅は肩で呼吸を繰り返す。
その刃の周囲には未だ微弱な青白い光がちらついており、まるで戦いの名残を惜しむようだった。
カリムの黄金の瞳が、その光を映してきらりと煌めく。
「……異世界の勇者よ。」
その声は、風のように静かだった。
だが、そこには間違いなく敬意が込められていた。
「この戦い……私の負けだ。」
静寂を打ち破るように、その宣言が響いた瞬間――
観客席が爆ぜたようにざわめいた。
「カリム様が……!? 負けを認めた……だと……!?」
「剣聖が敗北するなど……!?」
嘘だろ、と言わんばかりの声が飛び交う中、迅は肩をすくめる。
「……ま、俺としてもギリギリだったけどな。」
軽口を叩きつつも、額からは汗がにじんでいる。
カリムが、静かに歩み寄ってくる。
そして――その手が、迅の手を取った。
「貴殿こそが勝者だ。」
そのまま、ぎゅっと握った手を高く掲げる。
訓練場全体に、勝者の名が響いた。
「――異世界の勇者、九条迅の勝利だ!!」
次の瞬間、地鳴りのような歓声が訓練場を包み込んだ。
「「「うおおおおおおおおおっ!!!」」」
兵士たちは拳を振り上げ、歓喜の声を上げる。
貴族たちは驚愕と困惑、そして――それでも納得したような眼差しで、勝者を見つめていた。
異端を排斥する派閥の面々――バルコスやダリウスもまた、椅子に沈み込みながら小さく震える。
「まさか……あのカリムが、敗れるとは……」
「剣技で勝ったわけではない。……だが、なぜだ……?」
そう、彼らは気づき始めていた。
迅の戦いが、“魔法士”という枠を超えていたことに。
科学と魔術の融合。
論理と直感の交錯。
それは、この世界の常識を覆す戦術だった。
――だがその時、迅の脳裏には、別の「違和感」が芽生えていた。
(……あれ?)
勝者として手を掲げられているのは、まだいい。
問題は――まだ、カリムが俺の手を握ってることだ。
それも、ずっと。
強く。
(いやいや……そろそろ離すよな? 普通、こういうのって?)
さすがの迅も戸惑いを覚え、ちらりと隣を見る。
カリムは真面目な顔で、こちらをじっと見つめていた。
しかも、やたら距離が近い。
(近ッ……! てか、近い近い近い!!)
その黄金の瞳は、どこかキラキラしているように見えた。
明らかに、テンションが高い。
「……なぁ、カリム。」
「……何だ?」
「そろそろ、手を放してもらっても……いいんじゃねぇか?」
カリムはきょとんとした顔で、視線を自分の手元へ向ける。
そして、ようやく“握ったままだった”ことに気づいた。
「あ、ああっ! す、すまない!!」
バッと手を離す――その瞬間。
カリムの指先が、僅かに迅の手のひらを撫でるようにすべる。
(……えっ!? なんで余韻残すの!?!?)
ゾワッ……!
迅の背筋を何かが駆け上がる。
その様子を見ていたリディアが、深いため息をついた。
「……まったく、やっぱりこうなったわね。」
迅はギョッとして振り向く。
「こうなったって、どういう意味だよ!?」
「カリムは昔からこうなのよ。」
呆れ顔で、リディアが肩をすくめる。
「感動すると、その対象に極端に傾倒するの。
剣に生きる人間だから、余計にね。」
「……つまり?」
「つまり今、あなたに全力で傾倒してるってこと。」
「……マジかよ。」
そして次の瞬間――
「勇者殿ッ!!」
「うおっ!? な、なんだよ急に!?」
カリムが、目をキラキラと輝かせて詰め寄ってくる。
その姿は、感動した少年のようだった。
「私は、貴殿の戦い方をもっと学びたい!
ぜひとも貴殿の元で鍛錬をさせてほしい!!」
「……は?」
「貴殿の剣と科学の融合、その戦術理論、全てが新鮮で心を打たれた!」
「ぜひ弟子として! いや、門下生として!」
「ちょ、待て待て待て!! 何でそんな話になってんだよ!!?」
背後では、ロドリゲスが腕を組んで頷いていた。
「フム……なるほどな。」
「いや、“なるほど”じゃねぇよ、じいさん!!! なんか言ってくれよ!!」
こうして──
剣聖カリム・ヴェルトールの“新たな道”は、確実に誤った方向へ進み始めたのだった。




